粋に笑む
マスター名:鷹羽柊架
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや易
参加人数: 7人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/03/09 01:39



■オープニング本文

  てぃん

                           てぃん

            てん

 とある料亭の一室から聞こえる緩やかな三味線の音色。
 撥を使わず、指先で鳴らしている。
 三味線を弾いていた者の傍にいた芸妓が鮮やかな紅を差された唇から唄が流れる。
 奏者の視線は魅力的な芸妓ではなく、上の空の言葉の如く、空を見上げた。
 上弦の月が嗤っている。

 少しずつ春の陽気に入りつつある今日この頃。
 理穴監察方第四組の役人達に当てられた大部屋では珍しく半数以上の役人が部屋の中にいた。
 普段は外に出ている事が九割なので、このように人がいるのは珍しい。
 報告書を書く為にいるのが殆どなのだが、誰も手を動かしてない。顔を寄せ合って話し合っている。
 話の内容は彼らを纏める第四組主幹羽柴麻貴の事。
 半月前からつい先日まで三茶の街に調査して、雪原一家の騒動を鎮めてきたのは四組の全員が知るところ。
 そこから帰ってきてからというもの、様子がおかしい。
 仕事に熱心なのはいつもの事だが、仕事が終われば、お座敷で芸妓を呼んで酒を飲んでいるとか。
 事情を知るだろう檜崎は知らないの一点張り。多分、麻貴を庇っているのだろうと思われる。
「すぐに戻るだろうけど、何か変だよなぁ」
「あの仕事一辺倒がなぁ」
 とりあえず、女がお座敷遊びしてる時点でツッコめよ。

 噂されている麻貴は仕事を終えて、とある料亭にいた。
 ぼんやりと窓際に座り、三味線を抱えて酒を飲んでいた。
「あら、今日も呼んでくれたの?」
 芸妓は言葉を普段のものにして麻貴に接する。
「‥‥客なんだけどー」
「客扱いしてほしくないくせに」
 くすくす笑う声は心地よい鈴の音色に似ていると麻貴は不貞腐れたように窓の外を向く。
「ヘコむのもいい加減にしなさいよ。義従姉夫婦さんに心配かけてるんだから」
「ちぇー」
 窓枠に顎をつけて麻貴は不貞腐れた顔のまま遠くを見る。
「願掛けが叶ったんでしょ? 意固地にならなくてもいいんじゃない?」
 銚子を傾ける芸妓に麻貴は杯を差し出す。
「‥‥まだ叶ってもいないよ」
「もう、うじうじしてないで、綺麗な格好をして、ぱーっと遊んできたら? 葉桜さんから聞いたわよ。朱藩三京屋でしつらえた反物を貰ったそうじゃない。臙脂の桜模様で綺麗と聞いたわよ」
「義姉上から聞いてたんかい!」
 即座に麻貴はツッコミを入れる。
「それじゃ、ぱーっと、遊ぶか!!」
 立ち上がって杯の中の酒を飲み干して麻貴が言った。


■参加者一覧
滋藤 御門(ia0167
17歳・男・陰
劉 天藍(ia0293
20歳・男・陰
俳沢折々(ia0401
18歳・女・陰
御樹青嵐(ia1669
23歳・男・陰
紫雲雅人(ia5150
32歳・男・シ
珠々(ia5322
10歳・女・シ
リズ(ib0118
16歳・女・吟


■リプレイ本文

 人というものは一度つながった縁は切れず、何処かで繋がっているもの。
 それに気づくかはその人次第。
 悲劇もあれば喜劇もある。
 今紡がれるこれは喜劇へとなるのだろうか。


 ギルドの待合室にて待っていたのは麻貴だった。リズ(ib0118)が麻貴を見て目を見張った。
「不貞腐れてないから」
 くすくす笑う麻貴は楽しそうだった。
「前の依頼の打ち上げって事でいいのか?」
 素直に尋ねる劉天藍(ia0293)に麻貴は首を傾げる。
「大きな事件が終わりましたからね。労いも込めているのでは?」
 紫雲雅人(ia5150)が言えば、麻貴は「あっ」と納得した。
「精進落とし程度の酒の振る舞いはあるが、宴会まではないんだ」
「仕事忙しいんだね」
 俳沢折々(ia0401)が言うと、麻貴は困ったように頷く。
「本当は天藍君の言う通り、それくらいしてやるべきなんだろうな」
「貴女が無理をする事はないと思いますけどね」
 言葉を差し込んできたのは御樹青嵐(ia1669)だ。
「そうです。今日は楽しみましょう」
 滋藤御門(ia0167)も言えば、麻貴は頷く。
 そんな中、こっそりと珠々(ia5322)がにやりと笑った。

●雛の間に
 何人かは食べ物を持ち寄っていた事が判明し、今日はいい天気で春の暖かさを感じる。
「うーん、梅か寒桜が見れる所ってないかな」
 折々が首を傾げると、麻貴が羽柴家でやる事を提案した。
 羽柴家に着けば、迎えに出てきたのは麻貴の義姉に当たる人物。
「義姉上、戻りました。今日は客人を連れて参りました故、持成し願えませんか?」
 麻貴が事情を伝えると、誰よりも楽しそうに彼女は微笑み、持成しの用意に取り掛かる。
 まぁ、入れと麻貴が中に入る。
「麻貴さん。着替えをしたいので、一室お借りしたいのですが」
 御門が声をかけると、麻貴は適当に部屋を二部屋用意する。今回は皆で華やかに着飾り、楽しく過ごすという構図であり、その着物を用意したのは御門だった。
「お願いした着物は?」
 珠々が御門に言えば、彼はにこやかに頷く。
「ご用意しましたよ」
「では、着替え終わりましたら声をかけてください」
 そう言って、男性陣を着替え部屋に押し込み、珠々も別の女性陣部屋にて着替えを始める。
 着替えの中、男部屋では、何も疑いもしなく受け取った天藍が美しい表情を壊してぱっかりと、大口を開けて御門が渡した着物を見ている。藍色に艶やかな桃の花を描いた着物。迷う事はなく、女物だ。
「御門‥‥これは‥‥」
「はい、女性物です」
 きらびやか笑顔で頷く御門であったが、対する天藍の表情とは雲泥の差。
「勿論、お雛様になってもらいます!」
 囃子姿に着替え終わった珠々が勢いよく襖を開ける。
「お雛様って‥‥華を添えるのは違うでしょう」
 呆れる青嵐であるが、珠々は愉しさのあまりあまり聞こえていない模様。
「末代までの弱みを握られて溜まるかーーー!」
 腹の底からの本音を叫ぶ天藍に珠々は獲物を見つけたとばかりに爛々と目を輝かせている。勿論、手には化粧筆。逃げようとする天藍を捕まえたのは麻貴。珍しい珠々の様子に興味津々だ。
「いや、珠々さんを止めてくださいよ!」
 即座に雅人がツッコミを入れるが、こっちも聞いちゃいない。聞いてやれよ。
「こういうのも楽しいだろう」
「楽しいのは貴女でしょう‥‥」
 天藍の勢いを上手く返し、麻貴が天藍を珠々に渡すように組み伏せる。そんな姿を見た青嵐が呆れている。
「まぁ‥‥いいですけどね‥‥」
 溜息をつく雅人はげんなりして、腹を括っている。
「麻貴様、化粧お願いできますか?」
「承知」
 生きる為の呪術の一つとして、元服するまで女として育ってきた御門にしてはあまり抵抗がないのか、難なく女物の着物に袖を通す。麻貴もにこやかに頷く。
「御門君は白粉を叩く必要がなさそうだな。年頃の女性が見たら羨む。夜道には人魂でも使った方がいいな」
「そうですか」
 くすくす二人の男女が笑いながら囁く様に談笑してはいるが、その後ろでは天藍と珠々が攻防戦を繰り広げている。
「着物、大丈夫ですかね」
 御門が終わると、次は雅人の化粧に麻貴は取り掛かる。心配しているのは御門の着物。
 麻貴は雅人の髪につけ毛を後れ毛に付け、髪を足しのを見えないように紙で包み、付け毛を垂らす。
「何かあれば私の着物でも貸すよ。少々丈が足りないだろうが、引振袖ならば都合がつけられるだろう」
 健康的な雅人の肌に麻貴が白粉を叩く。
「以前は免れたと思ってほっとしてたんですけどね」
 溜息混じりに雅人が呟く。以前、麻貴の部下達の依頼で麻貴に忘年会を行った事があった。その時は女性陣のみ着飾る事になり、男性陣は逃れる事が出来た。
 手早く麻貴が雅人に化粧を施す。
「今回は積極的な子がいるんでね。こっちも楽しいよ」
「‥‥そっちは、でしょう?」
 呆れる雅人に麻貴が紅を引いた。
 一方、天藍は見事に珠々の餌食となり、お雛様の姿に変わっていた。
「美しい顔が台無しですよ」
 勝者の表情で天藍に進言し、更なる餌食である青嵐に白粉を叩いている。綺麗にされたはずだというのに天藍の表情は優れないというか、優れても仕方ない事だろう。彼には華やかな着物に袖を通したり、白粉を叩いて紅を引く事はないのだから。弄ばれた街娘の如く、天藍は打ちひしがれて身を崩していた。
「美しいから安心しろ」
 麻貴がトドメの一言を言えば、がっくりと肩を落とした。

 一方、リズと折々は羽柴家に飾られている雛人形を眺めていた。
「昔の結婚式を意識したものなんだって」
 眺めているリズに折々が説明をしている。
 二人を見かけた葉桜が声をかける。
「私はこちらに来て間もなくて、まだ天儀の慣わしなんかがわからないもので」
 返したのはリズだ。
「天儀の国は季節折々に慣わしがありますの。一つでも心に留めて頂ける事が出来れば幸いですわ」
 微笑む葉桜は折々の姿に気がつく。赤紫の牡丹色の着物を着て、髪も結い上げている。
「可愛らしいですわね。髪に飾りを付けてみましょう」
「いいの?」
 葉桜の提案に折々が顔を輝かせる。
「あなたもご一緒しません?」
 随人の姿をしているリズにも声をかける。リズが頷くと、三人は葉桜の部屋へ向かった。
「私と麻貴さんは初対面ではあるが、何だか元気がなさそうだね」
 折々に合う髪飾りを探している時にリズが呟いた。そんなリズを見て、葉桜が困ったように微笑む。
「あの方は麻貴にとって大切な方であり、私達にも大恩がある方なのです。何も知らされていなく、あの子は留守を任されて‥‥」
 言うだけ言ってから葉桜はあっと、手を口で覆う。
「これ、あの子には言わないで下さいませね」
 きょとんとするリズだが、折々は納得してないような顔をする。
「粋に遊ぼうとするのは当たり前じゃないかな」
「え?」
「辛い事があっても粋がって何でもないようにするんだよ。だから、元気付けるつもりはないよ。私は麻貴ちゃんと遊びたいから」
 折々が言えば、リズが苦笑して納得した。
「麻貴はいいお友達を持ったようですね」
 葉桜が髪飾りを折々に付けると、そう賞賛した。折々は飛び切りの笑顔で応えた。

●ひらりひとひら
 準備が終わって、中庭に降りた折々とリズが見たのは、いつもの無表情顔であるが、顔ツヤのいい珠々といつも通りの御門と疲れ果てた男性陣、楽しそうな顔をしている麻貴だった。
「折々ちゃん、可愛いね。似合ってるよ」
 麻貴が言えば、折々が嬉しそうに笑う。
「お姉さんが髪飾り貸してくれたんだ」
「青嵐さんがちらし寿司を作ってくださったんですよ。食べましょう!」
 いつもよりハキハキしている珠々が青嵐が持ち寄ったちらし寿司を全員の皿に盛る。
「麻貴様どうぞ」
 麻貴的なんばーわんお雛様である御門が麻貴にちらし寿司を盛った皿を渡す。
「ありがとう」
 葉桜から蛤のお吸い物が出てきて、早春の風に当たった身体を温めてくれる。皆で持ち寄った桃の節句にちなんだお菓子を食べ、大人達は白酒を頂く。
「珠々ちゃん、ボク等は甘酒でかんぱーい♪」
「あ、かんぱいです」
 お酒が飲めない二人は甘酒で乾杯。ふんわり甘い甘酒は飲みやすかった。
「しかし、今日の御門は美しいな。早春の寒さも忘れるくらいにな」
「ありがとうございます」
 リズの口説き言葉に御門はにこやかに答える。リズを挟んで向こうには青嵐がリズの杯に白酒を注いでいる。
「やれやれ、着物までは妥協できたんだがなぁ‥‥夜は覚えてろよ」
 不穏な天藍が覚悟を秘める。

 楽しい昼の雛祭りは終えると、ようやっと男性陣は女装から開放される。
「折角だし、着物着てみる?」
 女性陣が着替えている時に麻貴がリズに声をかける。
「着てみたら?」
 折々も麻貴の提案を推す。
「なら、そうしようかな」
 季節に合う柄を麻貴が何点か引っ張り出す。折々が見つけたのは夜の藍色の枝垂れ桜が風に吹かれているような柄だ。着物に合わせ、麻貴が赤紫の帯を出す。
 麻貴が着付けると、リズは鏡の前で自身の姿を見ると、不思議そうな表情をしている。
「暖かいものだな」
「よく似合ってる」
 微笑む麻貴にリズはどうもとだけかえした。
「さて、珠々ちゃんも着ようか。折々ちゃん」
 びくっとする珠々を麻貴が捕まえて折々に言えば、折々が即座に動く。
「あいよー!」
 取り出したのは淡い桜色に可愛らしい八重桜が花開く振袖だ。
 びくびくと飾り付けられるが、髪につけられる桜に小鳥が止まる姿を意匠した櫛が可愛らしく、珠々の視線を惹きつけた。
 出来上がった珠々を引き連れて女性陣が現れた。
「おや、麻貴さん。その着物は」
 青嵐が気づいたのは麻貴が着ている着物だ。
「義姉上より頂いた着物だ」
「美海さんのものですよね‥‥この間の山茶花も似た感じがするのですが」
 気づいていたのは珠々も同じで、製作者の名を言う。
「知っているのか。美海さんは義姉上の友人でな。よく着物を作ってもらうんだ」
「その着物をアヤカシから守ったんですよ。珠々さんなんか、鳥のアヤカシに連れ去られそうだったんですよ」
 青嵐が事情を話せば、麻貴はじっと、珠々を見つめる。
「そうか、ならば大事にしないとならないな。成長するように今日は食おうか」
 笑顔の麻貴に珠々が肩を竦めたが、麻貴に肩をしっかり抱かれて動けない。

●早桜
 向かった先は麻貴が贔屓にしている店だ。
 杯を掲げての乾杯から始まり、季節の食材を使った天麩羅や炊き込みご飯、魚の焼き物等が並ぶ。
 カリッとした薄い衣にほっこりとふきのとうがほろ苦くも甘みを出している。
「んー、おいしーっ」
「俳沢さんは美味しそうに食べるね」
「だって、すっごく美味しいんだもん」
 くすりと、笑う天藍に折々は嬉しそうに答える。その横では必死に炊き込みご飯の具の仕分けをしている珠々の姿がある。きょとんとする雅人に御門がこっそりと珠々が人参が嫌いという事を伝える。
「以前は、美味しいものが良くわからないといっていたのですが」
「嫌いなものは別なんでしょうね」
 苦笑する御門に雅人がくすっと笑う。
 そこそこにお腹が膨れてきた珠々が麻貴に投扇興をしないか提案をする。麻貴はぱちんと扇で自分の肩を叩く。
「ようこそ、おこしやす」
 呼ばれた芸妓は麻貴がいつも呼んでいる者だった。入ってきた芸妓は人数の多さに驚くが、女の姿をした麻貴の姿を見つけ、嬉しそうに微笑む。
「芙蓉。珠々姫殿が投扇興を所望しているぞ」
 姫と呼ばれ、珠々はびっくりして目を見開く。
「はいな」
 芙蓉と呼ばれた芸妓は投扇興の用意をする。
「投扇興ってどんなんだ?」
 珠々と同じく初挑戦な天藍が誰にともなく質問すると、真っ先に答えたのは雅人だった。
「扇で桐箱の上に立てた駒を倒してその美しさで点数を見るのです」
「随分詳しいな」
「色々と付き合いがありますから」
 リズが言えば、雅人が言葉をはぐらかす。
「覚えておこう」
「羽柴さん?!」
 すかさず差し込まれる麻貴の言葉に雅人が驚いて振り向いた。
 肝心の投扇興は思ったよりも難しく、最初は苦戦していたが、段々当てられるようになっても花散里止まり。
 数をこなしている雅人はコツを掴んでるだけに上手かった。
 結局は雅人と青嵐が勝ち、最後はリズと数点差で珠々が負けた。負けた人は何かするという約束を決めたので、珠々は何かをしなくてはならない。的当てでもと考えていた珠々の前に「昼間はよくやってくれたな」という字が書いてありそうな笑顔の天藍が小皿を手にしていた。
「はい、あーんですよ」
 青嵐が珠々の両肩を押さえ、珠々は小皿の上に載っている天ぷらの正体に気づく。微妙に衣が厚く、中身がよく見えないが、本能が警鐘を鳴らす。
「にゃーーーーっ」

 珠々の絶叫が聞こえたが、逆襲成功とばかりに青嵐と天藍ががっしり手を握り合う。当人はぐったりと麻貴の膝に横になっている。
「一曲やりましょうか」
 御門が最近手に入れたオカリナで一曲。郷愁の旋律は優しいもの。それになぞり、リズが謡い、芙蓉が三味線の伴奏を入れる。
 一曲終わると折々が雅人の杯に酒を注ぐ。
「次はそうだな。離れ離れになった会いたい人へ捧ぐ歌などはどうだ」
 リズの言葉に麻貴の肩が震える。青嵐が窓を少し開けると、寒桜が視界に入った。ひらりと、花弁が部屋に入ってくる。
「いい、夜ですね。酒に料理に友人‥‥全てよしにまだ望むものがあるのですか?」
 酔いに紛れ、青嵐が意地の悪い質問をする。麻貴は自分が落ち込んでいて慰める為に来たという事に気づかされる。
「私は強欲だ。故に真に欲しいものは手に入らないものだ。仏でも神でも不可能かつ不条理な願いで他人から見れば本当に下らない雫のようなものがほしい‥‥お前達が想像している者は心は貰っているし、やっている」
 傷ついた歪んだ笑みを麻貴が浮かべる。
「酒が回った‥‥頭を冷やしてこよう。よく呑み、忘れてくれ」
 立ち上がった麻貴を誰も呼び止める事は出来なかった。

「‥‥頭を冷やすんじゃないんですか?」
 中庭に面する縁側に席があり、そこで麻貴は呑んでいて、見かねた雅人が呟く。
「そんなに落ち込んでいたかな」
「ヤケっぽいですけど、楽しそうでよかったですよ」
 雅人に麻貴が持っていた杯を渡し、酒を少しずつ銀の細糸のように注ぐ。
「あの人が姿を現したという事は、また事件を追う事になるだろう。読売屋、また私の仕事を請け負うのであれば、記事の核心を隠さねばならぬ時が来るやもしれん。その見分け、お前に出来るか?」
 杯の縁ギリギリまで注がれた酒は少しの揺れで零れ落ちる。麻貴の言葉を意味するかのように。杯に視線を落とした雅人は受け取った杯の意味に気づかされる。言葉で飯を食う者に言葉で挑発した。
「あなたは俺の友人ですよ」
 雅人の言葉の後、杯に注がれる酒の行方を知るのは寒桜と月だけだった。