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■オープニング本文 沙桐が神楽の都に住みだして数ヶ月が経過した。 ただ一人の開拓者としてこの街に住み、愛しい妻と共に寝食を共にする喜びは何者にも変えられないものであった。 梅雨も明けた頃、沙桐は開拓者ギルドへと足を向けた。 目的は自身の両親の報告書。 二十年数年も前の話であり、報告書を見つけるのも困難だとギルド受付員の真魚が言っていたが、彼女は時間を見て探してきた。 記録の中の父と母はよく同じ依頼に入っていたようだった。 わが道を行く父とお気楽な母。その中にいたのは松籟だっただろう記録もあった。 奴は松籟の名を隠してギルドに登録していた元開拓者だった。 自身の力を試したいという想いからギルドに入り、繚咲を捨て、開拓者として生きようとする父と出会い、百響の願いの下、父と母に近づき、殺した敵‥‥ 記録の中の松籟は父と母ととても仲がよかったようだ。 胸が焼けるような思いに駆られていると、自分の名前を呼ばれた。 「ああ‥‥」 友人の開拓者だ。依頼を探しに着ていたようだった。 「真魚ちゃんに探してもらってたんだ」 「そうだったんだ。折梅様は元気?」 「この間、いじめられた」 肩を竦める沙桐に開拓者はくすくす笑う。少しだけ会話をして彼女は行ってしまった。 「沙桐様」 次に声をかけてきたのは愛しい新妻。 手紙を持ってきたようだった。 「ありがとう。さっき、風姫にあった‥‥え、えーーー!」 驚く沙桐の手に中にある手紙には、此隅の親友の永和と蜜莉の間に子供が出来た話。 年明けには生まれるらしい。 それと、満散と火宵の刑執行日が決まった。 沙桐が開拓者となった以降、永和が理穴と連絡を取り、刑の執行の取り決めをしていた。 両方同じ日で太陽が真上に上がったときだという。 刑を科せられる二人の唯一の願いだ。 沙桐の様子を気遣う新妻を沙桐は抱き寄せる。 「俺たちは一緒だよ」 理穴から羽柴麻貴が大手を振って繚咲に現れた。 まだ有力者達の色物を見る目は拭えないが、堂々と繚咲に入れるのは何よりも変えられない喜びだ。 「麻貴、よく帰った」 「ただいま帰りました。叔父上」 晴れ晴れとした姪に緑萼は優しく頭を撫でる。 「沙桐にもされているのですか?」 「男にしてもつまらん。姪は可愛いものだ。上原殿はどうした」 「ああ、遅れてくるそうです」 「そうか、今回は祝い事があるからな。沢山いた方がいい」 穏やかに微笑む緑萼が向けるのは賑やかな高砂の街‥‥ 繚咲に花街は高砂にしかなく、遊女はそこに集められる。 花街の中にも天蓋の監視はあり、花街という赤い壁の中で蠢く繚咲や鷹来家に対する不穏な動きを封ずる為の拠点がある。 その楼閣が現在の花魁の称号を持つ店だ。 繚咲の花街には花魁は一人しかおらず、花街の中で一番美しく、教養があり沢山売り上げを上げている遊女に与えられる。 その花魁が花街を出て、祝言を挙げる。 噂は繚咲内外を駆け巡り、色んな人達が花魁が花街から出て行く姿を見ようと来て、高砂の街は大賑わいだ。 花街でも大賑わいで、今日は花魁の称号を引き渡す儀式があった。 とはいっても、現花魁が次期花魁に花魁の証たる品々を渡すというもの。つつが無く終了し、花魁と呼ばれるのもあと少しの柳枝は空を眺めるばかりだ。 あと少しで、花街と別れる事になる。 愛しい男と共に生きるのだ。 会いたい気持ちを心に秘めて柳枝は両の手を重ね、愛しい男を思い出す。 |
■参加者一覧 / 鷹来 雪(ia0736) / 御樹青嵐(ia1669) / 珠々(ia5322) / 輝血(ia5431) / ユリア・ソル(ia9996) / 溟霆(ib0504) / リーズ(ic0959) |
■リプレイ本文 暑い暑い夏の日。 武天が領地、繚咲は大きな祭りの準備をしているかのようにとても賑やかだった。 その賑やかさは花街から伝わってきている。 赤く高い壁の向こうはとても賑やかであり、朝から神輿でも担いでいるのかという賑わいだ。 娑婆と花街を隔てる壁がある方向を見つめるのは溟霆(ib0504)だ。 今日、ようやく彼の望みが果たされる日。 初めてあった日からどれくらい経とうと彼女への想いは今もなお、静かに溢れる。 「いよいよですね」 青嵐が溟霆に声をかけると彼はいつもの笑みで頷いたが、それは何処か無垢さを持った笑み。 初めて彼女に会った時、彼も一緒だったと溟霆は思い出す。 「しっかり迎えに行くのよ」 そう声をかけるのはユリア・ヴァル(ia9996)だ。 「溟霆も年貢の納め時だね‥‥って、もう納めてるっけ」 軽口を口にする輝血(ia5431)に溟霆はちらりと御樹青嵐(ia1669)の方を見やりつつ、にこりと笑顔で返す。 「おめでたい事が続くのはいい事だよね」 明るく言うリーズ(ic0959)の言葉に珠々(ia5322)が頷いていたが、彼女の意識は大人たちではなく、真直ぐ向けられた。 「珠々ちゃん、どうしたの?」 リーズが声をかけつつも、珠々の視線の方向を見やると大人の男の人がいた。 「柊真様がお迎えに来たようですね」 鷹来雪(ia0736)の言葉に反応するように珠々は駆け出した。 「おとうさんっ」 無意識に早駆を使ってしまい、思いのほか早く柊真の前に着く。 「お疲れ様、宿は高砂の方でとってあるぞ」 珠々を抱きあげ、柊真が開拓者達に労いの声をかけた。 高砂の宿についたが、麻貴の姿はなかった。 「あれ、麻貴は?」 「麻貴様は高砂のお屋敷にて明日の打ち合わせに」 周囲をうかがいつつ、輝血が呟けば、架蓮が答えた。 「花魁が出るともなれば大騒ぎだ。二人がやられるとは思わないが、周囲が心配するだろ? 念には念だ」 珠々を抱っこしていた柊真が折梅に渡す。 「私も出ます。おねえさんたちに何かあげたいです」 折梅の膝に収まってしまった珠々だが、出る気は満々のようだ。 「時間もあるし、私は貌佳へ行くわ。折角の祝言のお呼ばれだし、こちらでの衣装を見に行くわ」 ユリアが言えば、架蓮が馬を用意すると言ったので、ユリアはその好意に甘えることにした。 「杷花様もきっと喜びます」 架蓮が言えば、ユリアは「楽しんでくるわ♪」と行って貌佳へ駆けていった。 リーズは折梅の前にちょこんと座った。 「あら、リーズさんもいらしたのですね。また会えて嬉しいです」 「折梅おばあちゃん、この辺でお花摘めるところはあるかな」 リーズの質問に折梅は少し考え込む。 「高砂より天蓋の方がいいでしょう。春玉、なずな」 折梅が二人の名を呼ぶと、どこからともなく、二人の娘が現れた。 「ここに」 一人が言葉で応じれば、折梅はリーズを案内するように伝える。 「かしこまりました」 彼女達は笑顔で頷き、案内を始める。 リーズを見送った折梅は雪に気づいた。てっきり、珠々達と一緒に麻貴の所に行ったと思ったのだ。雪は残る為に沙桐を見送っただけのようだ。 「お話いたしませんか? 折梅様」 笑顔の雪に折梅は「そうですね」とだけ返して微笑んだ。 柊真の案内で珠々、輝血、青嵐、溟霆、沙桐は大理の屋敷へと向かう。 「いらっしゃい! 溟霆君、おめでとう!」 笑顔全開の葛が出迎えた。 「ありがとうございます」 案内された先にいたのは麻貴、大理、緑萼、蓮誠と高砂の地図を広げて打ち合わせをしていた。 「随分物々しいですね」 青嵐が言えば、緑萼はじっと地図に視線を落とした。 「繚咲の魔の森の事も片付き、めでたい事も重なれば次第に街が浮かれてくるのは道理。我々は損害を如何に減らすかが問題にするべきだ」 「それに、夏で倒れる人も増えてくるから、臨時の診療所も立てるのよ。町中お祭り騒ぎになるからね」 更に葛が声をかけると、納得は出来る。大きな通りから少し離れているこの屋敷まで賑やかな声が聞こえてくる。 酒を飲んでよい気分になるものも少なくないだろう。 「なんにせよ、大事に至ることのないよう、お願いします」 溟霆の願いに全員が頷いた。 「さて、私はこれから、蓮誠と共に外でる。君達は?」 「おかあさん、私、お礼がしたい人達がいます」 立ち上がる麻貴に珠々がついて行った。 「おとうさんもいっしょです」 珠々に言われては柊真も立ち上がる。 「鼻の下、伸ばしまくっているよ」 呆れた輝血の声もそこそこに受けつつ、三人は外へと向かった。 「柊真君もお父さんだね」 「沙桐さんもそろそろ進歩を見せないと」 くすくす笑う溟霆の隣で青嵐が沙桐をちらりと見やる。 「そういうものは機会っていうのがあるでしょっ」 慌てる沙桐だが、大理と緑萼は待っているようでもあった。 「雪殿の子は見たいものだ」 「きっと雪殿似で可愛いと思う」 「折梅似の子供だったら?」 輝血のツッコミに二人は黙り込む。 馬で駆けるのはユリアだ。 「いい子ね!」 相性のいい馬だったのか、馬も誉められて足取り軽やかに貌佳へと向かう。 一本道で早々に貌佳へと入ることが出来た。 高砂ほどではないが、こちらも賑やかだ。街に入ると馬から降りて歩いて杷花の工房へと向かう。 誰もが知っている工房の為、すんなり行けたのはありがたかった。 工房の前にいた者がユリアの姿に気づき、「工房長を呼んできます」と声をかけてくれた。 ユリアがこの工房に向かったのは初めてだ。それなのにユリアの姿を知っていたかのようだったので、天蓋のシノビだろうかとユリアは思案したりして杷花を待つ。 程なく姿を現したのは作業服姿の杷花だ。 「すみません、工房で仕事をしてて」 「頑張ってるみたいね」 力仕事でもしているのだろうか、杷花は少し疲れているようであったが、充実しているようで、とても輝いていた。 「ユリア様、もしかして太夫の祝言の件で来られた‥‥とか?」 首を傾げる杷花にユリアは笑顔で頷く。 「ええ、天儀の婚姻についてはあまり分らないし、折角だから♪」 「それでは、仕立てもやっている呉服屋に行きましょう。そこならある程度の商品を仕立てておりますので」 着替えてくると言って、杷花は一度奥へと走っていった。 再び待つ事になったユリアの前に小さな少女が現れた。 「迷子?」 「ううん、おとうさんもおかあさんもここにいるの。おねえさんはこうぼうちょうのおともだち?」 首を傾げる少女にユリアは頷く。 「杷花はどう? お仕事頑張ってる?」 「うん! こうぼうちょうのこと、みんなだいすきっ」 満面の笑みを浮かべる少女にユリアも安心したように笑顔になる。 一方、春玉、なずなに連れられ来たリーズは難儀していた。 目的の花がないのだ。 「どういった花でしょう?」 なずなが尋ねると、リーズは平らな地面に花の絵を描く。きちんと書かれた絵であるが、二人のシノビは首を傾げてしまう。 「もしかして、ジルベリアのお花でしょうか?」 「わう‥‥こっちでは見ないかな?」 ふわふわの尻尾をたれ下げてリーズは首を傾げてしまう。 「ジルベリアと天儀では同じ花が咲くということはあまりないので、もしかしたら、天儀にない花だと思われます」 申し訳なさそうに言う春玉にリーズはしょげてしまう。 「青い花は他にもあると思うのですが‥‥」 「それ探しにいこう!」 少しの慰めにとなずなが言えば、リーズは頷く。 親子三人で手を繋いで歩く姿を見て、待ち行く人たちは目を細める。 先ほどまで男装していた麻貴は女性物に着替えさせられ、髪も奥様風に纏めている。娘と夫と手を繋ぐ幸せな家族の姿。 「珠々、どうした俯いて」 麻貴が声をかけると、珠々は困ったように俯いている。これは恥ずかしいときに見せる状態なのを二人は分っている。 「もう、成人なのに‥‥」 麻貴と柊真の背丈もあり、珠々が小さい子に見えてしまうのだ。 「で、何か買うんじゃないのか?」 助け舟とばかりに柊真が声をかけると、珠々は思い出す。 「この間、花街のおねえさん達からお菓子を貰ったんです! なので、ご祝儀ということで何か贈り物がしたいです」 珠々の言葉に二人は顔を見合わせる。 渡された見世は天蓋の者達しかいないので、実際の見世とは少々勝手は違う。しかし、構造は普通の見世同様の為、花街から出たい者も少なくはない。 苦界と称される花街に捕らわれた女達にとってまさに地獄。一文でも返すのが遅れれば、また一日花街を去る日が遠のく。その金で菓子を贈るのは相当の事だろう。 「ならば、摘めるものを作ってはどうだ」 「手作りですか?」 麻貴の言葉に珠々が目を見開く。 「稲荷ずしや握り飯、煮しめ程度でいい。遊女はあまり食えないから、少しでも腹に入るものが喜ばれる」 「そうなのですか」 花街に入れば食うもの着るものに困らないといえど、店から出るのは最小限。客を取って酒代飯代を出してもらって自身も食べるのだ。 「ちょっと頑張ってみます」 「私も手伝おう」 気合を入れる珠々に麻貴と柊真は微笑みあう。 輝血は葛と一緒に居た。 男性陣は花街での段取りの打ち合わせもあるようで、自分は少し手持ち無沙汰だった。 彼女は高砂の医者達に声をかけつつ、明日の準備もしていたが、現時点で急病人が運び込まれる事態もあった。 「ごめんね、手伝わせちゃって」 「いいよ、これくらい」 湯飲みを輝血に渡す葛は少し汗をかいていた。 「明日はもっと大変そうだね」 「ま、この準備が無駄になればいいんだけど」 からから笑う葛だったが、その瞳は何だか違うものを見ていた気がする。 それもそうかもしれない。 葛は本来、紗枝という名で高砂領主の直系として育てられていた。 長らくの繚咲の風習の悪い成果で彼女は空っぽの人間となっていた。彼女を一人の人間として人格を形成させたのは繚咲の外。 葛にとってはここは思い入れがないのだ。 「‥‥戻るの、嫌だった?」 「分らないわ。でも戻れるようになってよかったって思ってる」 にっこり笑う葛に嘘はなかった。 通りの向こうで珠々達が手を繋いで歩いていたのを見つけた。こちらには気づいていないようだ。 まだ麻貴と柊真は籍を共にしていない。珠々ともまだ正式には養女ではない。近い将来、必ず家族になるだろう。 輝血の脳裏を掠めるのは青嵐の姿。 「‥‥葛先生‥‥」 輝血に呼ばれ、振り向いた葛は彼女をしっかり見やる。 「先生、あたしね。最近なんだか辛い」 はっきりと彼女が弱音を吐いたのは今が初めてだ。 もしかしたら、輝血自体も弱音を口にするのは初めてなのかもしれない。 「どうしたらいいか‥‥分からないことがあって‥‥」 話しながらも輝血はどう、葛に伝えるのか考えているのだろう。 彼女とはじめてであったのはもう三年も前。いつも冷静沈着に周囲を見て、最強の一手をその手で下す。 開拓者の中でも指折りの強さを持つシノビだろう。 その彼女が苦しんでいる。 「真っ直ぐ伝えられるって、羨ましい」 同じシノビと言う立場で家族を勝ち取った珠々や溟霆。自分は何をしているのかと自問してしまう。 「あんな風になれたらって思うよ‥‥それ自体が間ち」 「間違いと思う今の自分を間違っていたと思う素直な自分になりなさい」 きっぱり言う葛に輝血は目を見開く。 「でも、あたしは‥‥」 「青嵐君の事どう思ってるの」 「それは‥‥っ」 「好きか嫌いか、私より好きかどうか口にしてごらんなさい」 突拍子のない事を言われ、輝血は目を見開く。 「私は輝血ちゃんに好かれてる自信あるわ。だって、私は輝血ちゃんの事、娘にしたいくらい大好きだもの」 堂々と口にする葛に輝血は戸惑ってしまうし、何だか心がむず痒い。 「でも、あたしにそんな事を言う資格なんて‥‥」 「私の事を好きって言うのは当然の事よ!」 「もー、葛先生、子供じゃないんだから。早く帰るよ」 駄々をこねる葛に輝血が帰りを促す。 「自分では分るものではないけど、充分貴女が眩しいわ」 葛に言われて輝血は困ったように俯いた。 貌佳の呉服屋に連れられたユリアは仕立て済みの着物の数々を見ていた。 色鮮やかな着物の中でユリアは迷っているようであった。 「ユリア様は既婚者でいらっしゃるので、本来は黒留袖がよいと言われております。ですが、香雪様より、開拓者の方がご相談に参られた時は色留袖を勧めるよう言いつかっております」 「まぁ、折梅ったら、仕事が速いことね」 肩を竦めるユリアに杷花がくすくす微笑む。 「開拓者は私達、繚咲の民に新しい風を吹き込んだ方々。目出度き事に華を添えてほしいという香雪様の願いも込めております」 「そう。杷花も一緒にどお? 折角の目出度い事だもの。貴女の元気な姿見たら皆喜ぶわよ」 片目を瞑ってユリアが言えば、杷花は笑顔で頷いた。 一方、目的の花は見つからなかったが、一応は青い花を摘む事が出来たリーズはなずなと春玉と一緒に宿へ戻ってきた。 「目当ての花は見つかりましたか?」 折梅が迎え入れると、リーズはなかったと答えた。 「でも、似たような花を見つけたよ」 リーズがその花を差し出すと、折梅はにっこりと微笑む。 「よい花ですね」 折梅の笑顔にリーズは笑顔となる。 「そういや、皆はどんな服を着るのかなぁ」 「リーズさんはどのような服をご用意したのですか?」 折梅に尋ねられれば、リーズは見せてみる。 「それならば、天儀の着物を着てみたら如何でしょう?」 ひょっこり顔を出したのは雪だ。 「まぁ、それはいい考えです」 「お待ちくださいませ」 ぱぁっと、笑顔になる折梅に二人のシノビは用意をしに場を離れた。 半刻もしない内にリーズの前に広げられたのは沢山の振袖。 「これ、どうしたの!?」 「まぁまぁ、お気になさらず、気に入ったものはございますか?」 急に用意された沢山の着物達にリーズは驚いてしまう。 「リーズ様なら、緑の系統も似合いますので、淡い緑の振袖はどうでしょう?」 雪が差し出した振袖は淡い緑に若芽色や白藍色、鴇色の花達が咲き誇る花柄だ。 「わぁ、綺麗だね」 ぱっと顔を明るくさせたリーズも気に入ったようだった。 「帯はこちらの水色は如何でしょう?」 「涼しそう。でも、髪はどうしよう‥‥」 自分の短めの髪を気にするリーズだが、雪は大丈夫ですと声をかけた。 「髪飾りで留めれますので」 どれが良いかと並べられてリーズは悩んだが、ふと、何かを思い出す。 前に大事な友達に何か言われたような気がした。 そう、薄紅の桜が咲く頃に。 桜の小花が咲く髪飾りを手にする。 「春じゃないけど、いいかな」 上目遣いにリーズが言えば、折梅は微笑んで頷く。 「これくらいの小花なら誰も気にしません。大丈夫です」 「ありがとう、折梅おばあちゃん」 ぴんと、耳と尻尾を跳ね上げてリーズが喜びを現している。 小物類も雪と一緒に選び、片付け始めた頃に皆が戻ってきた。 「沙桐様、お帰りなさいませ」 雪が迎えに行き、沙桐が姿を現す。 「リーズちゃん、天蓋の方まで行ってたんだって?」 「わぅ、ちょっ‥‥」 ちょっとねと言葉を濁そうとしていたが、珠々と共に入って来た人物にリーズは目を丸くする。 「沙桐さんが二人!?」 ぎょっとして二人の沙桐を見やるリーズに二人は笑い出す。 この手のリアクションが久しぶりだったので嬉しかったようだ。 ささやかな前祝をして静かに夜を明かした。 朝から雲ひとつない見事なハレの日に恵まれる。 「熱で倒れない人が出ないと良いな」 空を見上げ呟くのは本日の主役の一人である溟霆だ。 「呑気な事を‥‥そろそろ迎えに行きますよ」 珠々に託されたお重を持った青嵐が声をかける。 「そうだね。二人は奥方の許可を貰ったのかな?」 笑みを浮かべつつ、溟霆が沙桐と柊真に声をかける。 「迎えに付いて行かなきゃ、怒られるよ」 「全くだ」 「それじゃ、迎えに行こうかな」 入り口には蓮誠が待ち構えていた。 そして、柳枝の荷物を運び出す為の荷車と牛車。 十数人の男達が花街へと向かう。 「会場で待ってるわ」 「行ってらっしゃいませ」 女性達が声をかけて男性陣を出迎えた。 花街の方では街をひっくり返したような大騒ぎ。 柳枝も夜明け前から準備を始めていた。 花街にとって花魁の身請けともなれば、騒ぎは大きくなる。前の晩からお祭り騒ぎとなり、皆の足も浮き立つ。 そんな隙に廓抜けをしようと目論む者もいたりするので意外と若い衆が大変だったりする。 なにやら下から歓声が聞こえた。「ご馳走様」などと聞こえるので、差し入れでも貰ったのだろうか。 「姐さん、お迎えが来んした」 空となった自分の部屋にぽつんといたのは白無垢に身を包んだ柳枝の姿。 母親が父親と一緒になる時、折梅と緑萼が贈った白無垢だった。 当時、天蓋の者が祝言を挙げる事について否定的だった事もあり、袖すら通したことがなかったという。 幼い頃、柳枝は母に自分が着ると言った。 夫である溟霆は「親孝行の為なら当然」と二つ返事で了解してくれた。 「ほんとに‥‥」 好き過ぎて、愛し過ぎて心から溢れる想いが止まらない。 下へ降りていくと、皆が見送ってくれる。 挨拶を済ませ、店の外へと向かうと、溟霆達がいた。 「行こう、今日からは永久に一緒だよ」 溟霆が手を差し伸べると彼は彼女にしか聞こえない声で「愛してる」と告白をした。 柳枝と呼ばれた遊女は彼の手を取り、「おさらばでありんす」とだけ言って牛車の中へ入っていった。 牛車なのだから、進みはとても遅い。 車の中、溟霆と柳枝は肩を寄せ合い、今日という日をかみ締めていた。 「とても‥‥綺麗だよ。きっと、ご両親も喜ぶと思う」 少し照れたような溟霆の誉め言葉に柳枝は嬉しそうだ。 「溟霆様、私の真名は、朱芽と申します」 「あかめ」 妻の真名をゆっくりと溟霆は繰り返す。 「新しい名を上げるって話だけど、「紅霞」っていうのはどうかな」 「こうか」 確認するように彼女が呟けば、子供のように笑顔を見せる。 「嬉しいっ。ありがとうございます、旦那様」 溟霆の胸に寄りかかり、柳枝だった女‥‥紅霞は礼を言う。 「僕の真名は‥‥」 小さな小さな声で溟霆が愛しい新妻に真名を伝えた。 ● 「皆、喜んでたねー」 「ええ、珠々さん、頑張っていましたから」 外を歩く沙桐と青嵐が話しているのは珠々が作ったお重の事。遊女達は皆とても喜んでいた。 「しかし、溟霆君が祝言か。あいつもいい目してるな」 呟く沙桐は嬉しそうだった。 柳枝は沙桐にとって幼なじみの一人だ。 「青嵐君、輝血ちゃんとはどうなの?」 「順調ですよ。そう思わなくては、彼女の隣にはいれません」 つんと、そっぽを向く青嵐に沙桐は微笑む。 「輝血ちゃん、綺麗になったね、って睨まないでよ。なんつか、生き生きしてる気がする。青嵐君のおかげかな」 「当然です」 沙桐の前だから少しだけ見栄を張ったが、本心は心配だった。 自分がそうであるのか。 「ちゃんと、隣にいるんだよ」 「わかってます」 当たり前のように青嵐は自分にしっかり言い聞かせた。 鷹来家本屋敷を周り、祝言の会場へと到着する。 女性陣達が男性陣と花嫁を迎え入れる。 先にでてきたのは新郎の溟霆だ。 「紹介するよ。妻の紅霞」 溟霆にさしのべられて出てきたのは繚咲の白無垢を来た美しい女性だった。 「紅霞です。何卒、宜しくお願いします」 もう花街をでたので、訛を隠すありんす言葉は必要ない。 少し発音が抜けきっていないところはご愛嬌。 「紅霞だな。よく頑張った」 真の名を夫以外には呼ばせないと言う配慮の為、緑萼がしっかりと彼女の新しい名を口にする。 「緑萼様、生かしてくださり、ありがとうございます」 滅多に誉めない緑萼の言葉に紅霞は泣きそうな気持ちになる。 「今日は泣く日ではない。溟霆殿と共に生きる誓いを果たす日だ。口角をあげ、笑顔となれ」 「はい」 溟霆に連れられて紅霞は式場へと入った。 「ユリアさん、綺麗に着こなしてるね」 沙桐がユリアに声をかける。ユリアは落ち着いた優しい色味の今様色の色留袖だった。豊かに長い髪も綺麗に結われており、赤がとても似合う清廉な美しい奥様という様子だった。 「あら、奥方には声をかけず?」 くすっと微笑むユリアに沙桐は「俺のお嫁さんは何時だって可愛い。雪ちゃんに先に言ってるし」と言い出した。 「旦那様にはよく誉めてもらってます」 「あら、ごちそうさま♪」 少し頬を染めた雪が言えば、ユリアは幸せそうな雪と沙桐に安心する。 三々九度を終えた後、溟霆は紅霞の両親に声をかけた。 やっぱり、母親の香陽は嬉し泣きをしていた。 「婿様、本当に、本当にありがとうございます‥‥」 「これからですよ。幸せにします」 「我らにできる事があれば言ってくだされ」 泣き崩れる香陽に溟霆が言えば、彼女は何度も頷いた。可愛い盛りの娘を苦界に出させた責任が二人にどれだけの衝撃があったのか計り知れない。 非情の世界にあるシノビでも、非情になりきれない者もいるのだ。 天蓋の者達に家族を愛したっていいというのを教えた折梅がいなければ溟霆は今、こうして紅霞と夫婦の誓いを立てる事はないだろうと思う。 「引率のおにーさん、おめでとう。おねーさんとお幸せに」 「ありがとうございます」 リーズが紅霞に花を手渡すと、花嫁は嬉しそうに微笑む。 「今日は着物姿かい。よく似合ってるよ」 「雪さんと折梅お婆ちゃんにやってもらったんだ」 「溟霆様、遅咲きの甘茶を貰いました」 紅霞が嬉しそうに溟霆に言えば、リーズは目を見張る。 「あま、ちゃ?」 「昔、尊い人が生まれた時、その花をお茶にして祝ったという話があるんだよ。今日は紅霞が生まれ変わった日でもあるから、いい贈り物だよ」 「よかった!」 実は、リーズは摘んだ花の正体を教えてもらえなかった。皆、「溟霆さんも花嫁さんも知識があるからきっと教えてくれる」と言われた。 摘みたかった花じゃなかったけど、リーズは喜んでもらえたのがとても嬉しかった。 幸せな新郎新婦を見て、珠々は麻貴を見つめる。 「おかあさん、綺麗な花嫁衣裳着ません?」 麻貴はそっと珠々を抱きしめる。 「火宵達の事が終われば、必ずな‥‥」 母の腕の中で珠々はそれが何を示すのか気づいた。 「ぜったいですよ‥‥」 珠々はそっと目を閉じる。 少し離れていた輝血の隣に座ったのは青嵐だ。 「迎えの付き人お疲れ」 少しぶっきらぼうに輝血が言えば、青嵐にお酌をする。 「ありがとうございます。花街は朝からとても賑やかでしたよ」 「花魁が出るからね、見栄張って派手にやらなきゃね。紅霞‥…だっけ? 花魁の名に違わずの姿だね」 「溟霆も見惚れていましたよ」 しれっと青嵐が言えば、離れたところから溟霆のじとりとした視線を受ける。 「おや、聞かれてましたか」 くすくす笑う青嵐に輝血は「からかうのも程ほどに」と杯の酒を飲む。 「隣にいるということは並大抵の事じゃ出来ない事もありますね」 ぽつりと青嵐が呟くと輝血は秀麗な青嵐の横顔を見つめていると、青嵐の黒い瞳が輝血を見据える。 青嵐に真正面から見つめられ、輝血は少しだけ目を見張る。 「それでも、私は輝血さんの隣に居続けます」 静かに、しっかりと輝血の奥底に響く青嵐の言葉に輝血は一瞬だけ呼吸を止めてしまったのに気づかなかった。 雪は紅霞と会話を交わしていた。 気難しい所があると聞いていたが、雪にとても優しく、これから神楽の都に住むので、いろいろと教えてほしいと紅霞より言われた。 またお友達が出来そうな予感に雪はとても嬉しく思っていた。 「紅霞と仲良くしてね。紅霞に何か言われたら庇ってね」 「まぁ、旦那様。紅霞様はそのような方ではありませんわ」 沙桐と話していた雪だったが、この時期は沙桐と麻貴の誕生日でもある。 他の人達からも祝いの言葉を貰っていた。 「私から、贈り物がまだでしたね」 「え?」 きょとんとする沙桐に雪が耳打ちをする。 「え」 目を瞬く沙桐だが、時が止まりかけたかのようにゆっくりと雪の方を見やる。 「俺、絶対に守るから」 「私だって、柔ではありませんよ。これから、私も強くなっていきます」 真摯に見つめる旦那様に雪は微笑む。 「一緒に迎えようね。女の子が良いかな、男の子が良いかな」 「双子が良いです」 待ちきれない様子の旦那様に雪は可愛らしいと想いつつ、未来を馳せる。 シノビの耳には自然と聞こえてしまう。 「目出度い事が重なるのはいいことだね、紅霞」 「ええ」 嬉しそうに新しい夫婦は手を重ね、微笑みあった。 |