忘八の涙
マスター名:鷹羽柊架
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや難
参加人数: 5人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/08/07 19:53



■オープニング本文

 開拓者ギルドに一通の手紙が届いた。
 真魚が宛名を確認すると、繚咲の花魁の柳枝から。恋文か何かと思ったが、宛てる名前はギルドへとなっている。
 中身を読んでいくと、繚咲にある楼閣の忘八がとても悩んでいるという話。
 その忘八は理穴の身であり、年の離れた弟がいるそうだ。
 忘八が十の頃に幼女の姿にさせて遊女候補として親が売り、男と分かると凄惨な私刑を受けて、下働きとして生きていた。
 月日を経て、花街の中でも一二を争う見世を牛耳る忘八へとなった。
 ある日、忘八に会いたいと言ってきた男がいた。
 丁度その時、次の花魁の引き継ぎの打合せをしていた。その忘八が牛耳る楼閣に次の花魁がいる為、二店の忘八と花魁と次期花魁の四人で打ち合わせをする。
 取り次いだ若い者からその名を聞いた途端、忘八はいきり散らして帰らせた。
 柳枝は超越聴覚を発動させており、その名を聞き覚え、禿の一人に自分の見世に来るようにと男を連れ込ませた。
 その男は次期花魁の店の忘八の弟と言い出した。
 弟は理穴で跡取りのいない菓子屋に売られて菓子職人として生きてきた。
 いつか、兄に会いたいと思って。
 一時、弟が武天に行った際、人違いをされて殴られた。繚咲の忘八に恨みを持つ者と言っており、とてもよく似た男前でしぐさまでだから腹が立つと言われてとても驚いた。
 兄が生きていると思って会いに行きたいと繚咲へ向かった。
 それから何度か足を向けたが、当の兄は会いたくないの一点張り。理由すら教えてくれない。
 この忘八、へそを曲げて引き継ぎの話し合いも出来てないのだ。
 だが、柳枝が身を寄せる楼閣の忘八の話に寄れば、件の忘八がその昔、生き別れた弟に会いたいとこぼしていたという。
 このままでは身請けの期日もままならないので助けて下さいというもの。
 最後に愛しい人へ早く会いたいと言葉を締めて手紙は終わった。

「話にはききますが、花街は大変ですね」
 はーっと、真魚がため息をつくと、同僚受付員が真魚に声をかける。
 どうやら、お客さんが来たという。しかも声音が明るいのはイケメンがいたのだろうか。
 真魚が周囲を見回すと、四十路ぐらいだろう男が佇んでいた。
「まぁっ」
 つい、声が出る程の男前。それなりに年齢を重ねているのは分かるが、若い頃はさぞかし女性に持て囃されただろうと思われる。
「北花真魚さんですか?」
「はい」
 男が真魚の名を言えば、彼女は素直に頷いた。
「私は伊草と申します。理穴で菓子職人をしております」
「え‥‥」
 きょとんと目を瞬いた真魚だが、伊草はそのまま話を進める。
「この度、北花さんに依頼を申し立てに参りました。紹介状です」
 取り出したのは麻の花を模した花飾りをつけてある手紙だ。
 手紙の差出人は理穴の役人である羽柴麻貴だ。
 繚咲の忘八の話を柳枝の手紙で知った。伊草とは麻貴の義父である杉明が若い頃からの既知であったので、話を聞けば、やはり兄に会いたい気持ちがまだあるようだった。彼の気持ちに応えたく、開拓者の助力を請う内容。
「分りました。麻貴さんの紹介があればこの依頼承ります。でも、お兄さんに会うにはどうしますか?」
 じっと、真魚が伊草を見つめると彼はそっと首を振った。
「届けてほしいのです。私が作った菓子を、そして、作る場所を提供してほしいのです」
 穏やかに言う伊草だが、その真意や想いに気づいても真魚は従うしかない。彼女はギルド受付員であり、それ以上の言葉を続けられない。
「わかりました。開拓者を募ります」
 言いたい気持ちを抑えて真魚は依頼書を書き出した。


■参加者一覧
鷹来 雪(ia0736
21歳・女・巫
御樹青嵐(ia1669
23歳・男・陰
珠々(ia5322
10歳・女・シ
輝血(ia5431
18歳・女・シ
溟霆(ib0504
24歳・男・シ


■リプレイ本文

 神楽の都の開拓者ギルドにて集まった開拓者達に伊草は深々と頭を下げた。
「今回は宜しくお願いします」
「幼い頃の辛さは心に残りやすいものです」
 穏やかに話しかけるのは御樹青嵐(ia1669)だった。
 灯心が娘として女装されて売られた話を聞き、何か思い当たる点があったようで。
「さぁ、行こうか」
 愛しい人のお願いともあり、溟霆(ib0504)はもう先を見据えていた。
 武天が領地、繚咲へ‥‥


 繚咲も夏を迎えて、豪農地帯の高砂は蛙と蝉の鳴き声が響き、稲も青々しく伸びていた。
 向かった場所は高砂領主の屋敷。
 現在、屋敷の主である大理は鷹来の本屋敷に行っており、不在だったようだ。
「皆様が来られた事はもう繋ぎに走らせております。終わりましたら、時期に皆様に顔見せ致すでしょう」
 鷹来雪(ia0736)が少々残念そうな表情を見せた為、シノビ衆の長は和やかに声をかけた。
 台所へと案内されると菓子作りに必要な器具が用意され、綺麗に掃除をされている。
「皆さん、どうぞ」
 屋敷の台所で何を作るか相談を始めたところ、珠々(ia5322)から提案が出た。
「お餅だけ持っていったら、絶対にばれると思います」
 いくら菓子職人の伊草とはいえ、家の手仕事で作った物と分れば灯心は口にしないと珠々は思うからだ。
「ですから、色々と種類があれば分らないと思うのです」
「珠々君の案に賛成だよ。僕は聞き込みに行こうかな」
 ゆっくり頷いたのは溟霆。彼の視線は青嵐に向けられる。
「大丈夫ですよ、彼女ならば、遊女さん達が嫉妬するほど私を美しくする自身があると言い出してしまいそうですから」
 洒落にもならない事を言い出した青嵐に男性陣達より同情の眼差しを受ける。
「沙桐君は奥方の許可を貰わないとね」
 戯言を詠う溟霆に雪は思案していたようではっとなる。
「沙桐様にできる事があればお力になってほしいです」
 溟霆ににっこり微笑む雪。
 沙桐が行ってくるよと告げると、雪は旦那様に向き直る。少しだけ沙桐を見つめたが、恥ずかしくなったように顔を俯かせてしまう。
「‥‥ご用事が終わったら、早く帰ってきてくださると嬉しいです‥‥」
「すぐ戻るねっ」
 可愛い新妻の手をとり、沙桐が嬉しそうに応えた。
「らぶらぶしんこんさん。なのです」
 珠々の目を気にしたのか、二人は照れてしまい、沙桐はいそいそと花街へと向かった。


 花街組が外に行っている間、珠々と雪は伊草から話を聞いていた。
「他にも思い出の味ってありませんか?」
「私達は此隅より北にある村に住んでました。貧しい農家で何とか食うだけはできてました」
 徐に伊草が自分の生まれを話し出した。
「自我を持った頃には兄と共に両親の仕事を手伝っていました。お菓子なんて食べた記憶がないほどです」
 農民で裕福な暮らしをしているのはあまり聞かない。
「お菓子をはじめて食べたのは、母が年貢に詰める米を少し減らして作ってくれた餅でした。味噌や砂糖もそんなに手に入りやすいわけではなかったのですが、とても美味かったのを覚えてます」
 菓子職人として様々な菓子を食べてきただろう伊草が微笑む。
「兄が売られるその前の年、長期間、雨が降らなかったことがありました‥‥農家達を纏める庄屋から見捨てられたのでしょう」
「え‥‥」
 目を丸くする雪に伊草は寂しそうに微笑む。
「緑萼様は‥‥」
 雪の記憶の中には作物が取れなくて食べるものもなく、困った民達に備蓄を開けた緑萼を思い出していた。
「庄屋や領主、皆が緑萼のような者ばかりじゃないからな」
 察したように声を出したのは屋敷の主、大理だ。
「大理様‥‥」
「民を預かる同じ者として、恥ずかしい話ではあるがな」
 皮肉めいたように笑う大理だが、すぐに「立ち話してもこの暑さはきついだろう。中に入れ」と会話を変えた。
「溟霆様達の情報を待った方がいいみたいですね‥‥」
 雪が呟くとふと、花街といえば‥‥と思い出す。
「どうかしたのか?」
「柳枝様はどんな方かなと」
 気づいた大理の問いかけに雪が先ほど胸の中に仕舞い込んだ疑問を口にした途端、大理は視線をそらした。
「大理様‥‥?」
「悪い奴ではない‥‥女子供には面倒見がいいし‥‥雪殿の人柄ならば、きっと仲良くなれるであろう」
 しどろもどろな所はあったが、最後の部分は自信があるように聞こえたので、雪はほっとして笑顔となった。


 聞き込み組といえば、沙桐と青嵐は柳枝が身を寄せている楼閣へと向かった。
 そこでは二人を待ち構えたかのように暇な遊女や禿が押し寄せてきた。中には高級遊女に分けられる散茶級の遊女すらいる。
「きゃー沙桐様!」
「御樹様‥‥! 相も変わらず美しゅう肌でありんす」
「奥方様はいいのでありんすか?」
 囲まれるように質問攻め。
「奥方の許可を貰って来たんだ‥‥」
 困りつつも笑顔を作る沙桐の返答に「雪様、粋!」「芯が強ぅ方でありんす‥‥っ!」「沙桐様、粋な奥様を裏切ってはいけんせん」などと言われてしまう。
 どうやら、沙桐の奥方の話は広まっているようだ。好感度も中々高い。
 楼主が騒ぎを聞きつけると、遊女達は部屋に戻った。
「灯心さんの件で参りました」
 青嵐が言えば、楼主はとりあえずどうぞと自分の部屋に招く。
「灯心さんの意地を何とか解す事が重要と思いまして」
 青嵐が言えば、楼主は頷く。
「あいつは私の店に来る時は鹿の子を持ってくるんです。で、自分もここで食べていくんですよ」
「求肥をくるんだ餡玉に蜜煮の豆をつけた菓子ですね」
「昔、私と喧嘩した事もありましてね、仲直りに持ってきたんですよ。それから長い間、頑張ってました」
 楼主が言えば、青嵐達は店を出て、目的の楼閣へと向かった。

 目をごまかしつつ、溟霆は飲み屋街へと足を向ける。
 自身の耳に飛び込むのは太夫である柳枝の引き取りの期日が延びている噂だった。
 愛しい彼女の為に叶えてあげたいと溟霆は思う。
「あいつを可愛がっていた姐さんがいる菓子屋が向こうにある」
 飲み屋のおやじがそう言っていた。
 花街は色を売る街であるが、そこでは生活が存在しており、街として必要な店舗が存在している。
 その店舗の女将さんは元遊女で、年季が明けても行くところもないという理由でここに住まわせてもらったらしい。
 元は新造級を辿った経緯で学もそろばんも出来る為、先代より譲り受けて人を雇い、菓子屋を盛り立てている。
「兄さん、何にしますか?」
 そう尋ねられて、忘八が好きなものと尋ねてみた。
「‥‥兄さん、開拓者ってやつかい?」
 小さな声で女将さんが言えば、溟霆は「ご明察です」と頷いた。自分の事は伏せて、今回の事情を伝える。
「前にあの子の弟が来たって話を聞いてね‥‥ああ、あたしは、この事は言わないよ」
「お心遣い、痛み入ります」
「あの子が男だって分って、親も逃げちまった後でね‥‥しょうがないから、店の男衆として随分頑張っていたよ。十年で金を払いきったさ」
「弟君の話は?」
「よく、べそをかいては弟に会いたいと言っていたさ。けど、入った以上はこの中で生きた方がいいこともあるからね」
 女将さんが遠い目をするのは花街出身と聞き、女は売られた経緯もあり、同情的なものもあるが、男はそうは行かない。どんな理由でも女を食いものにしてきた人でなしなのだから。
「あたしが金つばが好きでね。あげると泣き顔の目を一生懸命こすって笑おうとするんだよ」
 懐かしそうに女将さんは微笑んだ。


 男性陣が戻ってくると、雪と珠々は目を見張った。
 沙桐から渡されたのは奥方様と黒猫様へのお菓子の数々。
「これは如何されたのですか?」
「遊女の姐さん達から二人にって」
「まぁ!」
「ご馳走様です」
 上菓子や羹類などなどの詰め合わせ。
 その一方で伊草は兄の苦労話に涙を零しそうであった。
「渡す算段は立てて貰ったよ。後は僕達がどうにかするし」
「はい‥‥」
 目じりの涙を拭いて伊草はうなずいた。
「お買い物をしましょう!」
 声をかけたのは珠々だ。
「材料が必要なのです」
 やる気に満ちている珠々に伊草はお願いしますと言った。
 高砂の街で雪と珠々、伊草が買い物に出かける。
「あらあら、奥様、こんにちは」
「黒猫さんも食べて行っておくれ」
 雪や珠々は高砂でも顔なじみとなりつつある。
 目的のものを買い終えると、結構な量になったが、軽々と持ち上げるのは珠々と雪。
 志体を持つものは女性でも常人より強い力を持つ。
 慌てて止める伊草であったが、二人は難なく持ち上げる。
「皆様にも食べていただきたいですね」
 嬉しそうに微笑む雪に珠々ははいっ、と力強く頷いた。


 料理が出来るもの達で菓子作りが始まる。
 時間も昼を過ぎている為、和菓子を作る時間も考慮して届けるのは明日と決めた。
 料理は門外漢だという事で、台所から席を外そうとした溟霆だが、緑萼が来たという事で、呼び出しがきた。
「溟霆殿、柳枝の件で遅れてしまい、申し訳ない」
「事は大きなものと分っているので」
 義理堅く言葉を述べる緑萼に溟霆は穏やかに伝えた。
「して、盆前に柳枝を出させようと思うが、問題は」
「ありません。祝言も挙げられたらと」
 きっぱり告げる溟霆に緑萼が目元を和ませる。
「麻貴も君の祝言に駆けつける気でいたので助かる」
 それから溟霆は緑萼と大理とで柳枝が花街を出る日の打ち合わせをはじめる。

 火を使うため、熱気に当てられた雪が白い額に浮かばせた汗を拭う。
「雪さん、水分は取ってくださいね」
 周囲を見ていた青嵐が雪を気遣う。時折、青嵐は伊草から指示を受けつつ、彼は炊いた小豆を餡にする為、沸騰している小豆が鍋に焦げ付かないように鍋肌から木べらを当てて混ぜ続けている。
 料理上手の青嵐であるが、玄人の指導の下、更に絶品菓子が出来上がると珠々も雪も確信せざるを得ない。
「珠々様も水を‥‥」
 水を飲み終えた雪が湯飲みに水を注ぎ、珠々に渡そうとするが、彼女の表情は平然としている。
「‥‥はい」
 しかし、首から下は汗がびっしょりであり、捲くった腕は熱が篭っており火照っている。
 塩を含み、水を煽る。
「喜んでほしいものですね」
「ええ、食べてくれる事を祈りましょう」
 雪が伊草の方を見やれば、彼は米を磨り潰していた。
 下準備が出来れば、鹿の子作りをはじめる。
「栗が間に合えば栗で包んでもいいですよ」
「栗も美味しそうですね」
「こんどつくりましょう」
 今回の種類は黒豆、鶯豆、えんどう豆の三種。
 金つばはシンプルな粒餡だ。
 それに衣を着けて鉄板で焼く。
 最後は伊草が作る餅だ。
 磨り潰した餅を香ばしく焼き、砂糖と味噌で合わせたたれを用意する。
 一度たれにつけてからもう一度焼く。
 ふんわりと香ばしい味噌と甘い香りが広がる。
「とても美味しそうです」
 甘辛い香りは食欲をそそる。
 単調な料理なのに何故か懐かしさも伝わるようだと雪は微笑む。
「食べてもらえる事を祈るばかりですね」
 珠々も伊草の手さばきを見つめつつ、祈る。


「おいしいうちに届けてくださいね、約束ですよ」
 そう言って風呂敷に包まれたお重を溟霆に手渡したのは珠々だ。
「わかったよ」
 静かに男性陣が珠々と雪の願いを受け、再び花街に向かう。
 件の忘八がいる店に入れば、忘八が慌てて出てきた。
「これは沙桐様」
「ちょっと、お茶でもどうかなって。美味しい甘味持ってきたからさ」
 にっこり笑顔の領主に忘八こと灯心は慌てて中へと勧める。
 四人のお茶を用意させ、人払いをすると、青嵐が菓子が入ったお重を差し出すと、灯心は蓋を開ける。
 まだ温かいそれは灯心を驚かせるに十分なもの。
「その餅、美味しかったですよ。どうぞ、ご賞味を」
 青嵐が言えば、灯心は恐る恐る餅を口にする。まだ温かい餅はかりっと歯ざわりがよく、味噌と砂糖の香りが嗅覚を刺激する。
「‥‥あいつですか」
「貴方の事は調べさせて頂きました」
 溟霆が静かに告げる。
「‥‥会いたいと言っていたんですね」
「ええ」
 灯心の言葉に青嵐が頷く。
「‥‥楼主がどのような人間か存じてますか‥‥」
「八つの人の心を亡くした者」
「そうです。従業員全員に店の流儀を伝え、裏切るものには制裁を与える。人ではない畜生以下の存在です」
 灯心の声は震えていた。
「あいつの事を私も調べました。理穴で貴族に目を掛けて貰える立派な菓子職人じゃねぇですか‥‥」
「それでも、貴方に会いたがっております」
「俺みてぇな人でなしが縁者にいると知られちゃ、あいつの地位が揺らぎます‥‥」
「会いたいと思わないのですか。弟さんに」
 俯く灯心に青嵐が揺さぶるように声音を強める。
「‥‥会い、てぇ‥‥です。あいつ、の‥‥っ、今後を‥‥守るため‥‥俺は、会っちゃ‥‥ならねぇ‥‥会ったことを、誰かに知られちゃ‥‥ならねぇんです‥‥」
 搾り出すように呟いた灯心は涙を堪え切れず、鼻をすすり、泣いていた。零れた涙が止まらずに膝を濡らしている。
 そこにいるのは冷酷無比の忘八の姿ではない。
 生き分かれた弟の今後を祈り続ける兄の姿だった。


 結果を伝えると、珠々と雪はしょんぼりしていたが、伊草は開拓者達に頭を下げていた。
「ありがとうございます」
 その目には涙を浮かべて。
「花街の男達は花街にから出て、素性が分れば世間は人以下の対応をするし、因縁がある奴は刺される事だってある」
 大理が言えば、退出する為立ち上がる。
 雪が止めようとすると彼は自分がいると使用人達が緊張して美味い菓子が味わえないので本屋敷に行ってしまった。
「食べて、私を思ってくれただけでもありがたいです」
 穏やかに微笑む伊草に青嵐はそっと目を閉じる。
「柳枝様の事、恙無く進められるといいのですが‥‥」
 雪が心配するのは柳枝の件だ。
「あの後、話を纏めました。三日後に引継ぎをするようです。それから出る支度をするそうです」
 青嵐が答えると雪と珠々は嬉しそうだった。
「溟霆様も喜びますね」
「葉月は大忙しだね」
 沙桐がぱくりと餅にかぶりつく。

 一方、溟霆は柳枝の下を訪れ、久々の逢瀬をかみ締めていた。
 腕の中の柳枝は愛しく、夏の暑い夜を忘れてしまう。
「闇霧様」
 腕の中の柳枝が顔を上げる。
「どうかした?」
「祝言を挙げる際‥‥母の白無垢を着たいであんす」
 柳枝が訳を話せば、その頃、繚咲ではシノビが祝言を挙げるなんてとんでもないと言われる時期もあり、柳枝はそれを着て母の親孝行としたいと考えていた。
「それと、繚咲の花街の掟で遊女は花街を抜けない限り、真の名を口にしてはならない掟がありんす」
 そういえば、本名を教えてもらってないと溟霆も記憶を辿る。
「よければ、廓を出た折に溟霆様に新しいわっちに名を授けてほしいでありんす」
 突拍子もない言葉に溟霆は目を見張る。
「勿論、わっちの真の名は出た時に教えんす。真の名のままでよければ、そのまま呼んでくんなまし」
 答えは、祝言の時にと、柳枝はそっと溟霆の唇を閉ざした。