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■オープニング本文 ――ねぇ、レナート。大きくなったら、私をお嫁さんにしてくれなくちゃいけないのよ? ――わかってるよ、僕のポリーナ。君が望むなら。 ●思い出 ジルベリアの比較的南部の穏やかな土地に、その館はあった。 草原の一軒家とでも言えそうなそこは、大きめの池を見下ろすように建っており、ここ何年も手入れもされずにいたらしい。周囲には大人の腰の高さほどに草が生い茂っており、日が出ていてもどことなく鬱蒼とした雰囲気である。 ポリーナはほぼ二十年ぶりに訪れた館を見上げた。 事業家だった父親と夫を一度に亡くし、資産のほとんどを失ってしまった今、こんな荒れ放題の館でも残ったのは有難かった。幼い頃にはよく避暑のために遊びに来ていたのに、いつ頃から訪れなくなってしまったのか。 ぐるりと視線を転じ、ポリーナは光の反射する水面を見つめる。 昔、ここで男の子とよく遊んだ。何といったかしら……レナート? 輝く金髪で、いつも私のやりたいことをやらせてくれて、王子様のように守ってくれた。彼はどうしたのだったろう? 「おかあさま!」 池からの道を娘のジーナが元気良く駆け上がってくる。 「ジーナ。危ないから池には一人で行っちゃ駄目って言ったでしょう?」 「あのね、あのね、男の子に会ったのよ」 幼い子供特有のテンションの高さで、ジーナはポリーナの話を全く気に留めず自分の話を始める。 「男の子?」 「髪の毛がキラキラしてて、すっごくキレイなの。でも、ジーナが『キレイね』って言ったのに『君が望むなら』ってずっと言ってるのよ。変なの」 「まぁ、変わってるわね」 娘の話を聞きながらポリーナは何かが頭の中に浮かびそうになっていた。 「それからね、私のことポリーナって呼ぶのよ。おかあさま、あの子のこと、知ってるの?」 「……いいえ、知らないと思うわ」 「それでね、向こう側に連れて行ってくれるって。向こう側って、池の向こうかな? ジーナね、おかあさまに訊いてくるって帰ってきたの」 僕のポリーナ。君が望むなら。 不意に柔らかい子供の声が蘇った。 僕のポリーナ。危ないよ、ポリーナ。そっちは足が立たないよ。駄目だよ、ポリーナ。危ない、行っちゃ駄目――。 日が、翳る。 どうして忘れていたのだろう。あの時、私は彼を困らせようと池の奥へ入って行き、それで、どうなった? どうして私はここへ来なくなった? 輝くような笑顔でジーナがポリーナを見上げる。 「ねぇ、おかあさま。レナートと一緒に行ってもいい?」 ポリーナの脳裏で輝く金髪の少年が優しく微笑んでいた。 ●依頼 「アンデッドというよりは、死者の記憶を取り込んで獲物を捕捉する水妖魔の類でしょう」 数日後に使用人からギルドに依頼が出された。 「未亡人が幼い頃に遊んだ男の子の姿を模しているようです。その子は彼女を助けようとして池で溺れて死んだらしく、そのため彼女はヒステリックになり、どうしてもその館から離れないそうです。娘はとりあえず避難させました」 ギルド職員の女性が依頼票に目を落とす。 「以前からこの池にはアヤカシが出るのではないかと言われていましたが、誰も確証をつかむことのできないまま、放っておかれていたようですね。ずっとこの姿を保っていたのかどうかはわかりませんが、子供の姿は獲物を捕捉しやすいのかもしれません。退治する際には、この未亡人が無茶なことをしないよう、気をつけてください」 彼女はすっと視線を上げると、真摯な眼差しで言った。 「アヤカシ退治ですが、できることなら彼女の気持ちに寄り添う形で解決をしてあげてください。お願いします」 |
■参加者一覧
バロン(ia6062)
45歳・男・弓
ジナイーダ・クルトィフ(ib5753)
22歳・女・魔
Kyrie(ib5916)
23歳・男・陰
エルレーン(ib7455)
18歳・女・志
中書令(ib9408)
20歳・男・吟
ディラン・フォーガス(ib9718)
52歳・男・魔 |
■リプレイ本文 ● 館に通されると、簡単な食事が用意されていた。 「あまり、満足なものはないのですけれど」 傍目から見てもやつれた印象の女主人が弁解するように言った。それでも食卓には手軽につまめるようなパンやスープなど、一通りは用意されていた。 「いや、わしらは仕事で来たのでしてな。過ぎたもてなしは結構」 バロン(ia6062)が幾分無愛想にポリーナに告げる。少し困ったように微笑んで、ポリーナは開拓者達に再度食事を勧めた。 「お食事が終わりましたら……池までご案内しますわ」 ポリーナの言葉に、一同はさっと目配せしあう。彼女を連れて行くのは危険だが、どうしたものかと皆思いあぐねていた。 「今回の事は、死者の記憶を取り込んだアヤカシの仕業です」 Kyrie(ib5916)が柔らかに響く声で穏やかに告げた。 「……わかって、います」 硬い声でポリーナが答える。その強張った表情が、彼女の言葉を裏切っていた。 「貴女が怪我をしたらレナートが悲しむ。窓から見ていて」 ジナイーダ・クルトィフ(ib5753)は優しく、そっとポリーナの腕を叩いて言った。だがポリーナは固まったままだ。中書令(ib9408)はその様子を見ておもむろに琵琶「青山」を取り出し、それを爪弾く。 「レナートさんはちゃんといますよ。ポリーナさんの心の中に。ですから、それを穢すアヤカシはポリーナさんの前で退治すべきです」 中書令が琵琶の音色に負けず穏やかに、だがきっぱりと言った。 沈黙が降りる。 「……見たくないもの、……見ちゃ、いけない、ものも、見ちゃうかもしれない」 訥々とエルレーン(ib7455)が話し出した。 「でも……どうしても、そう、したいのなら……」 できる限りポリーナの希望には沿ってあげたい。 それが開拓者達が考えていることだった。 ふっとディラン・フォーガス(ib9718)が微笑んで、ポリーナに向き直る。 「訊きづらいことを訊くが……死者の記憶を利用する、ということは、遺体はまだ池にあるのだろうか」 「いえ……私の記憶では、きちんと葬儀もあげていますし、棺には……遺体、が、あったと思います」 かなり言いづらそうに、遺体、と口にしたポリーナに、バロンがおもむろに口を開く。 「あれはアヤカシに過ぎないが、あれが抱える貴女の幼馴染の記憶は今も、貴女の言葉を待っているのだろう。……彼はきっと苦しんでおる。もう、休ませてやったらどうかね」 再度、わかっています、と告げるポリーナの表情はやはり硬いままだった。 ● 池まではすぐだった。 案内をするはずのポリーナは、ジナイーダが危険だと言い張ったため結局一番後ろについている。その横にはジナイーダが寄り添って彼女を守っていた。 ゆらゆらと揺れる松明の灯りが暗い水面に反射し、状況が違えば幻想的でさえある。 無言でKyrieが瘴索結界を張り巡らせると、エルレーンが黒鳥剣を抜いて数歩前に出た。他の者もそれぞれの武器を構える。 ばきり。ぐしゃり。 何かを踏み潰すような大きな音がしたかと思うと、結界が瘴気の存在をKyrieに告げる。 闇の中でも何故か輝くような金髪の少年がふいと現れた。 「レナート……!」 開拓者達から少し距離を置いていたポリーナが息をのむ。その手が小刻みに震え始めた。 そんなポリーナの腕を強くつかみ、レナートの姿をしたアヤカシから目を離さずジナイーダが口を開く。 「……似てるのは見掛けだけ、でしょ? レナートを利用する、卑劣な奴よ」 言葉なくポリーナはジナイーダを見つめ、視線を少年に戻した。 エルレーンが素早く少年の間合いに入り込み、音もなくその諸刃の剣で切りつけた。腕に独特の重みがかかる。だが確かに手ごたえはあったはずなのに、少年はうっすらと微笑んでいた。 エルレーンがわずかに目を見開くと少年は輝くような微笑を浮かべる。 「僕のポリーナ」 少年の笑顔にまずいと思ったときには、もうエルレーンの視界は色の洪水でぐにゃりと歪んでいた。 少年がエルレーンに手をのばす。 Kyrieが印を組んで解術の法を唱えると、エルレーンの体が淡い光に包まれた。彼女の歪んだ世界が徐々に元に戻る。だがアヤカシの手はすぐそこだ。 「下がれ!」 ディランは咄嗟に叫ぶと、祈念の書から激しい吹雪を呼び出し少年にぶつけた。怒り狂った雪の嵐が『レナートの姿をしたもの』にまとわりつく。ブリザーストームで吹雪にのまれてなお、少年は手をエルレーンにのばそうとしていたが、その手の先には既に彼女はいなかった。 「気分は?」 Kyrieが言葉少なにエルレーンに尋ねる。 「だい、じょうぶ」 頭を一振りし、エルレーンが剣を構えなおした。 その時、中書令が琵琶で透明感のある美しい音色を奏でた。 天鵞絨の逢引が開拓者達をビロードのような心地よさで包む。途端に開拓者達は目の前が晴れ渡るように意識がクリアになった。ディランは魔導書を支えながら、器用に中書令に向かって親指を立ててみせる。中書令はふふと微かに笑って更に大きく奏で始めた。 だが少年は全く演奏に頓着せず、一歩一歩近づいてくる。その笑顔に陰りは見えない。 一筋の矢が鋭く少年のもとへ飛んでいった。その肩に吸い込まれるように見えた矢は、その実かなりの衝撃を伴っていたらしく、少年は数歩後ろによろめく。 「……無痛覚、という訳でもないようだな」 顔をゆがめて矢を引き抜く少年を見てバロンがぼそっとつぶやき、六節を使い素早く次の矢をつがえ、会で攻撃力を高めてアヤカシを射る。 「君が望むなら」 今度は太ももを射抜かれた少年は、それでも矢を引き抜くとやはり笑顔で近づいてくる。おそらくその『笑顔』に魅了や幻覚の効果があるのだろうが、知覚と抵抗が高まっている開拓者達には効果がなかった。 (少年の苦しむ姿を見るのは辛いだろう) ディランがホーリーアローを放ちながら、ポリーナの胸のうちを思いやり独り言ちる。 「……長引かせずに決着をつけたいな」 その声が聞こえたのか、エルレーンが再び少年の懐に飛び込むと捻るように剣を突き上げた。だが笑顔を警戒しすぎて僅かに手ごたえがあったのみ。ぎりと歯をくいしばって、アヤカシの手の届かない位置まで再度後退する。 「もうやめて!」 突然ポリーナが叫びだすと、ジナイーダの腕をすごい力で振り払い、レナートに向かって走り出した。 「ポリーナ!」 「危ない!」 Kyrieが素早く飛び出しポリーナを抱きとめる。 「早まったことはいけません!」 「お願い、私も連れて行って!」 泣き叫ぶポリーナの声に全員が一瞬気を取られた後、澄んだ声が皆の耳に届く。 「駄目だよ、ポリーナ。危ない」 輝く笑顔にポリーナが凍りつく。 わずかに躊躇った後、中書令が前に出て叫ぶ。 「下がってください!」 少年に重低音を叩きつけ、重力の爆音で動きを縛る。 バロンの放った月涙の矢が、緑の軌跡を描き少年だけを目掛けて二本、三本と飛んでいく。 中書令が素早く下がると、そこには紅焔桜で能力を上げたエルレーン。 「……終わらせて、あげるっ!」 円月の美しい弧を描き、黒鳥剣が少年を切り裂く。 少年がくず折れる間もなく、瘴気が空に散っていった。 Kyrieの腕の中で呆然と瘴気を凝視するポリーナの視界を遮るように、バロンが彼女の前に立つ。 「許しは請わん。恨めよ」 流れる自身の涙に気づかないように、ポリーナがバロンを虚ろに見上げた。 「……鎮魂の儀式をさせていただいてもいいですか?」 ポリーナの頭上からKyrieの柔らかい声が聞こえた。 「私は巫女です。彼の魂を安らかに眠らせてあげましょう」 ポリーナは声を上げて泣き出した。あの子供の時に戻ったかのように。 ● 翌朝、ジナイーダは早くから館の周りを歩き回っていた。 「あ、この花も……」 腕には既に抱えきれないほどの、色とりどりの花が抱えられている。 ポリーナのため。レナートのため。想いを込めて花を摘む。 やがて館から一人、二人と現れて、鎮魂の儀が始まった。 Kyrieが厳かに詔を詠唱し、つつがなく儀式は進んでいく。儀式の終わりにジナイーダは摘んできた花を池に撒いた。赤やピンクの花が水面を流れていく。 (あの親娘を見守ってね) ジナイーダは、今はもうここに安らかに眠るであろうレナートに心の中で手を合わせた。 「おかあさま!」 儀式も終わる頃、館から可愛らしい声が駆けてくる。 「ジーナ」 ポリーナは驚いたように走ってくる娘を受け止めた。アヤカシが退治されたことを知って、使用人が迎えに行ったのだろう。 「おかあさま、お花いっぱい! どうしたの?」 無邪気に尋ねるジーナを抱き締めてポリーナは目を閉じる。 蘇るのはその鮮やかな金色。 「貴女の元には確かに幸せが在るのだと、そう思える事が、何よりの償いで供養だと、私は思うわ」 優しいジナイーダの声音に、ポリーナは腕の中の愛しい娘を見つめて静かに涙を流した。 母として。 ――ねぇ、レナート。ずっとずっと私の傍にいてね。 ――ずっと傍にいるよ。僕のポリーナ。君が望むなら。 |