【浪漫茶房】最後の茶会
マスター名:シーザー
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 14人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/10/12 19:58



■開拓者活動絵巻
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東端






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■オープニング本文

 吉野冬海は、天高く雲ひとつない秋の空を自室からぼんやりと眺めていた。
(「兄さまだけでは萌えは補給できませんわね」)
 彼女の手元には一冊のノートが開いている。

『武人総受け本』

 そんなタイトルが踊るページには様々な“かっぷりんぐ”で翻弄される兄、武人の姿が書かれていた。
 生ものはデリケートな分野だが、
(「兄さまですもの。へいきへいき」)
 所詮バレなければいいという、妹ならではの傲慢さだ。仮にバレても、「兄さま、ごめんなさい。だって冬海の兄さまはとても格好いいから、たくさんの人の愛されて欲しかったの」とでも涙を浮かべて言えば許してくれる。
 すっかりあざとく育ってしまった冬海は、九月で十五歳だ。
 もっとたくさんのシチュエーションで、いろんなかっぷりんぐが見てみたいと思う年頃へ突入したという事。
「……ふぅ」
 悩める少女の溜息が、切なさを含んで秋風に溶けた。

 吉野武人は、探していた本がようやく手に入り、上機嫌だった。庭には気に入りの木製の長椅子があり、そこでゆっくりと読書するのが武人の一番の楽しみなのだ。
 わざわざ玄関からではなく、庭に通じる裏木戸から帰宅したのもその為なのだが、ちょうど長椅子に腰を下ろしたところで二階の窓が開いた事に気付いた。見れば、妹の冬海が物憂げな顔で空を眺めている。
(「どうしたんだ、冬海のヤツ。――最近は熱心に勉強していると感心していたんだが……あまり根を詰めるのも良くないからな。なにかいい息抜きは……っ! そうだ。そろそろ冬海の誕生日だったな。今年もなにか企画するか」)
 よもや、その熱心な勉強の成果が自分をモデルにした薄い本だとは思いも寄らない武人は、可愛い妹の疲れと憂いを払うための誕生会を考えるのだった。
 長椅子に腰を下ろし、あれこれと思案する。
(「冬海が喜びそうなこと、と言えば……うぐぐぐぐ。いや、それはさすがに協力は得られないだろうな。だが、アイツはそういうのが好きだからなあ」)
 冬海が好むことと言えばひとつしかない。
 思い悩むこともない。
(「かといって、男ばかりというのも華がない。……冬海はいいかもしれないが、俺的には……はっ! これは冬海の誕生会だから俺の欲求はどうでもいい。うーん、やはり同性同伴で、という表現だと怪しまれなくていいかな」)
 十分怪しいとは思うが、妹を溺愛する武人に正常な判断が下せるはずもなかった。
 読みたくてたまらない本を、もう一度紙袋に戻し、腰をあげる。
「経費はまあ、お祖母さまに頼めば安心だな。人数も……できれば多めがいい。となると場所は応接間だけというわけにはいかなくなるな……ん? お祖母さま」
「おや、武人。貴方はほんとうにその椅子が好きね」
 木戸を潜って庭へ顔を出したのは祖母の房江だった。武人は先まで考えていた冬海の誕生会の話を祖母に聞かせた。
「冬海の誕生会は華やかなものがいいわね。必要なものがあれば何でも言ってちょうだい。お祖母さまが揃えてあげるから。ところで武人? 貴方、妹ばかりに目を向けているけれど、好きな女の子とかはいないのかしら。少し心配よ」
 協力を得ると同時に変な勘繰りを入れられた。武人はぎくりとする自分の心臓を押さえつつ、
「いますよ、そのくらい」
 などと誤魔化してみたが、果たして房江に通用したかは不明だ。
「応接間が手狭なら、前みたいに庭も使うといいわよ。うちの庭も、それなりに手入れしているのだから見栄えもいいし」
「そうさせていただきます。ではお祖母さま、いつものように依頼を出してきますから――いってきます」
 かくして冬海に内緒で進行していく誕生会の企画なのだが、果たして“健全”となるかは参加者次第である。

 相変わらず空を眺める冬海はぼんやりしていた。
(「酒池肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉……りん♪」)
「ふふふ」
 ふいに笑顔が零れた。
「また皆さまにお会いしたいものです」


■参加者一覧
/ 緋桜丸(ia0026) / 六条 雪巳(ia0179) / 佐上 久野都(ia0826) / 鳳・陽媛(ia0920) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 千代田清顕(ia9802) / エルディン・バウアー(ib0066) / 央 由樹(ib2477) / 羽喰 琥珀(ib3263) / ミリート・ティナーファ(ib3308) / ルシフェル=アルトロ(ib6763) / ミカエル=アルトロ(ib6764) / クロウ・カルガギラ(ib6817) / イーラ(ib7620


■リプレイ本文

「がお〜☆ ミリートだよ。冬海ちゃん、お誕生日おめでとう。久し振りだけど、元気みたいだね♪」
 ふんわりしたリボンでラッピングされた箱の中身は星型のチョコレート。
「ありがとう」
 冬海はミリート・ティナーファ(ib3308)からプレゼントを受け取ると、控えるように立っているイーラ(ib7620)へ顔を向けた。
「よろしゅうございますね」
 執事服に身を包み、いつもの緩めの笑顔とは少し違う、きりりとした微笑で答えた。
「全て私にお任せ下さい、お嬢様」
 今日は一日冬海の執事なのだそうだ。
 庭に並ぶ丸テーブルへ慌しく料理や菓子を並べているのは礼野 真夢紀(ia1144)。冬海の視線に気付くと、こちらへ向けてぺこりとお辞儀をする。彼女からのプレゼントは朝一番に貰っていて、一つはテーブルの真ん中に飾られている見事な薔薇の花束で、もう一つは濃いピンク色の薔薇酒だった。
 酒を嗜める年頃になった冬海は、早く飲みたそうにウズウズしている。
 準備は万端というわけではなかったが、次々に訪れるゲスト達を待たせるわけにもいかず、すでに開演している状態であった。
 真夢紀手作りの薔薇の花弁の砂糖漬けにチョコケーキ。泡立てた生クリームが添えられたチョコケーキはすでに切り取られたている。もちろん主賓の口に入ったのだが。ミリート手作り軽食も並ぶ。サラダ、カナッペ、卵料理、香りの良いジルべリア料理がメインだが、普段あまり食べない冬海や武人は大満足だった。応接室にあるテーブルには簡単に摘めるように、御握りなども揃っている。
 これらはすべて前日からミリートが準備したものである。
「15歳って事はそろそろ縁談とかも来る頃かな。て事はもうこんな風に多数の男達と交流するってのも難しくなるのかもなあ…何か寂しいな」
 言いながら持参した紙袋を開けたクロウ・カルガギラ(ib6817)は、柔らかな光沢のマフラーを取り出して冬海の首に巻いてみた。薄紫色に染められたマフラーは、冬海を少しばかり大人びてみせる。
「寒い日はこれで暖かくして出かけるといいよ。――みんな、これでまずは乾杯しないか」
 クロウから葡萄酒を受け取ったイーラが、ゲストの元を訪れて次々にグラスを満たしていく。
 言葉が欲しそうに全員の視線が冬海を見るが、肝心の主賓は真っ赤な顔で「どうぞ」とクロウに丸投げする始末。
 恭しく頭を下げると、グラスを掲げた。 
「ふふ。それでは――乾杯!」
 グラス同士が弾ける音が響く中、
「周りは知人同士ばかりで少し寂しいが、そこはお嬢ちゃんに俺の心の隙間を埋めてもらおうか」
 ずいと目の前に差し出された色とりどりの花束に冬海が驚いていると、緋桜丸(ia0026)の指がこつんと額をこづく。
「はい?」
 冬海が見上げると、影が落ちた。額に唇が触れたのだと気付いた時には、
「ハッピーバースデイ」とウィンク混じりに囁く緋桜丸がいた。
「またあとでな、お嬢さん」
 満面の笑みを残しつつ、緋桜丸は武人の視線から逃げるように立ち去った。
「誕生日おめでとう。冬海。久し振りやな…あんまり顔出せなんくてすまんかったな。お詫びも込めて、プレゼントは奮発したで。着けても、ええかな? しかし見ない内にべっぴんさんになって…うん。やっぱ似合うな。つい見惚れてしまう」
 久しぶりに会う央 由樹(ib2477)は、照れくさいのか。咳払いをひとつして銀のティアラを冬海の髪に乗せた。少し斜めになってしまったが、却って愛嬌があって可愛い。
 由樹の後ろからひょいと顔を覗かせのは千代田清顕(ia9802)。掌に載せた小箱の蓋を開けると、薔薇を象った精緻な細工の紅水晶の帯留めが入っていた。
「紅水晶は女の子のお守り。君に幸せをもたらしてくれるように」
「千代田さん…ありが…とう。由樹さんも…っ」
「泣くのは早いよ」
「せやで。茶会の本番はこっからや」
 また何か小劇場を見せてくれるのだろうか。早々に滲み出した涙を拭こうとすると、左右からハンカチが差し出された。凝った刺繍で縁取られたハンカチはクロウで、珍しい風合いのハンカチはイーラだ。冬海は泣き笑いで二枚のハンカチを受け取った。

 自分が企画した茶会で女子がいるとはいえ、冬海を男性陣に囲まれてハラハラしている武人は、自身も標的になっているとは知らなかったのである。だから無防備な背中を突如襲われても仕方がないのだ。
「武人の獣耳可愛いっ」
 スポッと獣耳カチューシャを装着された武人が、なんだこれ、と外そうと両手を上げたところでするりと背後から抱きつかれた。
「ぎゃっ」
 可愛くもなんともない悲鳴を上げ、背中から回された腕を払おうとすると、脇から屈託のない笑顔の羽喰 琥珀(ib3263)が顔を覗かせた。
 とらのぬいぐるみと薔薇の花を手にした冬海が、指をさして笑っている。コイツ、と思っても所詮は一般人。琥珀に腕力で勝てるわけがない。毛艶のいいしっぽをパタパタ振りながら、
「せっかく冬海姉様喜んでるのに、振り払ったら悲しむだろーなー」
 冬海には喜んでもらいたい。だが妹のアレを果たして喜んでいると取って良いものか。
「あれは…っ…うわ、近っ」
 喜んでいるのかと訊こうと振り返ると、すぐ目の前に琥珀の顔があり、武人は仰天する。至近距離で見る琥珀の金の瞳は、どこか飴色のようでしっとりと艶やかな色合いだった。
「俺の顔になんか付いてるか? へへ、それとも見惚れてた?」
 ずっしりと体重をかけて縋りついて来る琥珀に、武人は困惑を隠せない。小さな男の子に懐かれているのだと思えばいいのだが、そういう子供が自分に見惚れていたかなどと言うはずもない。
 琥珀がくるりと後ろから前へ移動する。やはり武人への密着度は高いままだ。
「懐いてるだけ、だよな」
「…そう思ってるのは武人だけだよ。それだけじゃないって証拠を見せ付けたら、納得してくれる?」
 武人は唇を引き絞り、無言になる。証拠とはなんだ。
「あのね」
 背伸びをして武人の耳元へ顔を近づけた。何事かを象った唇が閉じられるや、武人の耳朶が真っ赤に染まる。十二歳の少年に翻弄される武人だった。

(「…男性同士が絡んでいるのいやに熱い視線で眺めてる…」)
 小皿に料理を取り分けていた真夢紀の目が、兄と琥珀とのじゃれ合いをみつめている冬海を捉えた。あの目の色は“同士”ではないか。
 すでに山盛りの皿へさらに盛り付け、冬海の元へ向かった。
(「…あの本…まゆも購入した薄い本? 好きな物語の主役と友人ネタにした話」)
 釘付けなのは、冬海が肌身離さず持ち歩いている薄い本だった。
 どこから取っても雪崩が置きそうなカナッペの皿を差し出した真夢紀が訊ねる。
「この話好きなんですか?」
「大好きです」
 何やら同じ趣味嗜好の匂いでもしたのか。冬海と真夢紀は一冊の本を間に会話を弾ませていた。
「それはな〜に?」
 ひょこりと顔を出したミリートが、冬海の膝上で広げられているページに視線を落とすと、ボンッ とばかりに火がついたように顔を赤く染めた。
「ひゃあ〜…すごいものをみちゃった〜」
「はい、どうぞ」
 クロウの差し出した絞りたて生ジュースを一息に飲み干して息をつく。
 本来なら執事役のイーラがここでジュースを出すべきなのだが――彼を見ると、どこか別の場所へ意識が向いているらしい。イーラの視線は誰かを探しているようだった。
 視線は鳳・陽媛(ia0920)と談笑している六条 雪巳(ia0179)と佐上 久野都(ia0826)のどちらかに注がれていた。

「陽媛。せっかくだから冬海さんやいっしょにいる彼女達と話でもしておいで」
「…はい、兄さん」
 義兄と離れることを躊躇いながらも言いつけを守る陽媛。
「陽媛の見えるここにずっといてあげるから」
 微笑みながらリボンの位置をさりげなく直す兄に、陽媛はくったくのない微笑を返して冬海達の所へ駆けていく。
 その後姿を見送ると、六条の元へ歩み寄り、
「義妹を悲しませる事はできない。けれど手は視線は追ってしまうんだよ…ねぇ雪巳…。相変わらず綺麗な髪をしているね」
 秋の陽光を玻璃のように照り返す六条の髪をひと房摘み、薄く笑みを象った唇を寄せる。
「私、は…」
 堪えた笑いは一層の妖しさを湛えている。
「…何だか楽しそうですね?」
 髪を摘まれたままだというのに、六条はくすくすと笑った。
「ずいぶんと余裕だね、雪巳」
 拗ねたように軽く唇を尖らせ、指先に絡ませた六条の髪を弄ぶ。
 佐上に髪を弄ばれているのも気にせず、六条は首を傾げた。
「私がこうして雪巳の髪にくちづけを落しているのに、少しも顔色を変えない」
 指に絡ませた銀の髪に深く唇を寄せ、その吐息の温もりが冷めないまま佐上は毛先で六条の鼻先をくすぐった。
 少し子供じみたその仕草に、六条は目を瞬かせながら自分の髪を払うと、その手を佐上に掴まれた。
「久野都さん?」
 目を瞠って訊ねる六条の細い首が陽に晒される。ぐいと強く引き寄せられた反動で、自然と上向きになった六条の顔を佐上が覗きこむ。腰に宛がわれた、意外に逞しい佐上の腕が六条の上半身を拘束する。
 じっと無言でみつめてくる佐上に、六条が苦笑を浮かべて首を傾がせた。と同時に佐上も良く似た微苦笑を浮かべる。
 細い二つに影に、小さくふわりとした影が重なった。
「…兄さん」
 見ると、そこには陽媛が全身を細かく震わせて立っていた。エプロンドレスをぎゅっと握り締めている。
「陽媛…どうした? ほら顔を見せてごらん。兄の眼は情欲に染まっているかい?」
 右手を義妹へと差し出すと、陽媛は素直に佐上の傍へと歩み寄った。兄の言葉に従うように顔を上げ、その両目をみつめた。知的な色がゆらゆらと揺れている。陽媛の好きな兄そのものを象った紫の双眸。僅かであってもその瞳を独占した六条に妬けてしまった事が恥ずかしくて、見る間に涙が溢れてくる。
 その後ろでは、申し訳なさそうに顔を見合わせる真夢紀と冬海がいた。
「楽しいけれど 線引きと程度は必要だね」
 溢れそうになっていた涙を指先で押しとどめ、そのまま陽媛の頭へ手を乗せると優しく撫でた。
 六条もまた兄のような思いで、ベソをかく陽媛をみつめる。
 そんな柔らかな笑みを浮かべる六条へ、熱を含んだ視線が注がれていた。
 冬海が気付く。
 押し黙るイーラは眩しそうに目を細め、一心に六条をみつめていた。
「もしかして六条さんに?」
「一介の執事に過ぎませんので…」
 突然声を掛けられたイーラは、平静を装い何事もなかったように冬海へ向き直る。
「あちらで武人さまがお困りの様子ですが、気になりませんか?」
 執事風の言葉遣いも板につき、ゆるりと持ち上げられた白手袋の指が、つ、と指した先では千代田に肩を抱かれて身体を硬直させている兄の姿があった。

「演技演技。固くならないでよ」
 武人の髪についた落ち葉を取り払うと、千代田はその手をそのまま肩へ回して抱き寄せた。困惑した顔で千代田を見上げると、
「よく見ると鼻と口が冬海さんに似てるね」
 息がかかるほどの至近距離で武人の顔を覗き込む。
「確かに兄妹ですから、似ていて当然だと思いますが」
 恥ずかしさを隠すように憮然と答える武人。
「妹さんの困った趣味につきあってあげるとか、武人さんはいいお兄さんだね」
「べ、べつにこれぐらい普通でしょう」
「そうかなあ。…ねえ。もっと喜ばせてみる?」
 千代田が唇を耳に寄せる。トーンを抑えた囁きは武人の平常心を木っ端微塵に粉砕した。
「千代田の言う事は真に受けるな」
 すっかり固まってしまった武人を、千代田の拘束から解放してやりながら由樹が言う。
 へらりとした緩い笑顔の千代田を睨みつけ、
「武人が困っとるやろ」
「それだけ?」
「武人にそういうのを押し付けんなや。無理やから」
「無理かどうかをどうして君が決めてしまうんだい」
「…とにかく、武人は駄目や。武人、あっち行こか」
 状況が飲み込めていない武人の手を引き、千代田の前から立ち去ろうとする由樹が何かをぼそりと呟いた。
(「俺以外の奴にちょっかいだすな!」)
(「妬いてるのかい? 俺に? それとも武人さんに?」)
 千代田の力強い腕が由樹の手首を掴む。
「っ妬いてなんか…」
 掴まれた手首を振り払う由樹だが、千代田がそれを許すはずもなく。さらに強く握り締められた由樹は眉を潜めた。
(「もっと近づきなよ」)
 千代田の声が忍ぶように耳殻を揺らす。答えを待たずに千代田は由樹を抱き寄せた。
(「は…!? ち、調子乗んな!」)
 必死に抵抗する由樹は、武人の手は掴んだままだった。
「や、あの、痴話喧嘩に、俺を巻き込まないで欲しい、です」
 武人の情けない言葉が制するも、
「痴話喧嘩やないっ」
「これは喧嘩じゃないよ。由樹くんが可愛い我が侭を言っているだけだから」
 ノロケ? 武人は開いた口が塞がらなかった。
「俺も妬いていいかな。二人共、手。恋人繋ぎだよ」
「こ、これはちゃうねん。咄嗟に」
「咄嗟に恋人繋ぎしちゃうんだ。じゃあ、咄嗟の出来事って事で…シテみるかい?」
「「――!」」
 声にならない悲鳴をあげた二人の頭を、千代田はぐりぐりと撫で回した。
 最後に、ポンッと叩き、
「お疲れ」
 何事もなかった顔で踵を返し、テーブルの上のグラスを手に取り、
「武人さん、狙われているよ」
 ぱちりとウィンクをしてみせる。
「は?」
 意味がわからず首を傾げていると、背中に衝撃が起きる。体当たりの主は純白のタキシードに身を包んだルシフェル=アルトロ(ib6763)だった。
「お招き、ありがと〜!」
 背後から抱きすくめられ、「ん〜っ」と耳朶に鼻先を擦るようなキスをされた。
「…っ!」
 ルシフェルにキスされた耳を両手で押さえ込み、へたりとその場に座り込む。
 がくりと肩を落した武人に、揃いのタキシード姿でミカエル=アルトロ(ib6764)が言う。
「兄貴をからかうか、ルーといちゃいちゃか…どうする?」
 ルシフェルは一頻り笑い終えると、
「んー…可哀想だからいいや。それよりミカちゃんとケーキ食べる。あと、ミリートが作ってたカナッペも食べたい」
 ルシフェルが両手を広げると、ミカエルはそのままを抱き締める。兄弟でそこまでするだろうか。だがその疑問を挟む余地はない。
 給仕役も兼ねるイーラのトレーから、切り分けられたケーキの乗った皿を取り、手づかみでパクリと一口。口の周りも指もクリームだらけだ。
「その手でスーツを触るなよ」
 ミカエルは思わず上半身を仰け反らした。
「はい。俺のケーキ、食えるよね?」
 ルシフェルが差し出したのはクリーム塗れの指だ。
「それをケーキだと言うのか?」
 呆れたように笑うミカエルは、それでもルシフェルの指を舐める。
「口の周りはどうするんだ」
「んー」
 眉を潜めて逡巡する仕草のルシフェルだが、すぐに子供のような笑みを零しながら、
「何? 口移しの方が良いって〜? 仕方ないな〜」
「誰も言ってないだろう」
「ダメ、じゃないよね」
 首に両腕を絡ませたルシフェルは、ミカエルの顔に至近距離まで近づく。
「困ったヤツだな」
 ――――。

「あまり大きな声では言えないのですが…少しよろしいですか?」
 エルディン・バウアー(ib0066)は断りを入れると緋桜丸の耳元へ唇を寄せた。
「なんだ?」
 少し身長差がある緋桜丸が、首を傾げて距離を縮めた。
「冬海殿に本を差し上げたいのですが、普通の既刊本よりもオリジナリティのあるものが良いと思いまして。それで緋桜丸殿にモデルになっていただきたく」
「モデル? 俺がか? やった事ないぞ、そんなもの」
 あまりの驚きっぷりは、グラスを持っていた方の手を振らせて葡萄酒をぶちまける程だった。
「いえいえ、演技をお願いしているのではないんですよ」
「じゃあ…何をすればいいんだ」
「いろいろ教えてくださるだけでいいんです、緋桜丸殿の事」
「俺の事だァ? それを話すだけでいいのか? ずいぶんと簡単だな」
 エルディンがくすりと笑う。
「で? まずは何から話そうか」
「そうですね。お腹。お腹を見せてください」
「は?」
「上着の上からでも筋肉質である事がわかるのですが、筋肉と言っても千差万別。個人差がありますからね。緋桜丸殿の筋肉のつき方がどういったものなのか、見せていただきたい」
「??? 俺の腹を見るのか?」
「はい」
 エルディンの笑顔は布教の時より輝いていた。
「まあ、お嬢さんがそれで喜ぶ内容の本になるっていうんなら、脱ぐけど」
 素直にシャツをめくり、腹筋を晒す緋桜丸。周囲のどよめきには気付かない。
「素晴らしいですよ、緋桜丸殿。六つに綺麗に割れた腹直筋。シャープな腹斜筋。彫刻のように計算された美です。更に言うなら、ところどころに残る傷痕が乙女心をくすぐります」
 跪き、ガン見してくるエルディンの額を押さえ、
「あんまり顔を近づけるな。さっきから息がかかって…恥ずかしいぞ」
「これは失礼」
 この笑顔もとびきりだ。
「こうして見上げていると、緋桜丸殿の赤い髪が陽に透けてガラス細工のようですね。影になっているので表情はわかりませんが、今、緋桜丸殿は私をどのような顔で見下ろしているのでしょうか。気になります」
「どんな…って。別に普通だが」
「普通、ですか。それは残念」
 言いながら立ち上がる。
 たったこれだけの会話から、エルディンは冬海好みの薄い本を、更に短時間で書き上げて製本するという神がかった偉業を成し遂げるのであった。

 はしゃぎ過ぎたせいか、少し疲れてしまった冬海。同じ趣味の真夢紀と話すのはとても楽しいし、恋に悩む様が手に取るようにわかる陽媛を傍で見ているのも楽しかった。
 真夢紀は、どこまでが本気なのかわからない千代田と由樹の小劇場の続きを間近で眺めていた。恐らく、只のじゃれ合いなのだが、萌えフィルターを通せば可愛い痴話喧嘩になる。
 いつのまにかミリートと緋桜丸が音楽を奏でていた。長椅子に腰を下ろして旋律にゆったり身を委ねていると、
「これからの一年、冬海さんにとって実りあるものであるよう、お祈りしています」
 六条はシックに包装された花霞の白粉を差し出した。
「お付して宜しいですか? お嬢さん」
 耳飾を付け終えた佐上は、「楽しんで頂けましたか」と囁いた。その後ろから顔を覗かせた陽媛が「お誕生日、おめでとう」と照れ臭そうにぽつり。
「ありがとうございます」
 礼を言うと、冬海は陽媛を手招きした。耳を寄せる陽媛へ「お兄さまを独占できるのは妹の特権ですよ」
 陽媛は何も答えない。その複雑な表情を見て「ずっと傍にいられる権利です」と告げる。
 ずっと傍にいられる事実は変わらないのだと言いたかっただけなのだ。
「フユウミ、プレゼントだ。今日は楽しめたか?」とミカエル。
「フユウミ、生まれてきた事と出会えた事に感謝」
 ミカエルの掌には小さな紅玉の髪留めが、ルシフェルの掌には瑠璃のついた組紐が乗っている。
「私の誕生石。ありがとうルシフェルさん。ミカエルさん」
「俺とミカちゃんから、愛を込めて…ね?」
 二人の顔が近づいて、柔らかくて温かい唇が頬に触れた。
「!」
 武人が言葉にならない声を発しながら二人を妹から引き剥がす。冬海の傍にいたクロウが「まあまあ」と間に入るが、武人の気は納まらない。だが、そんな事でミカエル、ルシフェル兄弟が大人しく引き下がるわけもなく。
「タケトの嫉妬は可愛い」
 ルシフェルの唇が武人を襲う。
「さすがです!」
 流れるような所作でキスに持っていく辺りのスキルに、冬海は心底感動する。ミカエルはひたすら笑いを堪えているのだが。
「間に合いました」
 そう言ってエルディンが差し出したのは、彼自作の本との事だった。

【Rosa Kirche】
表紙は布張りで、開くと一ページ目にタイトルの入った羊皮紙が出てくる。
めくると、十字を屋根に戴いた教会が影絵のように描かれ、その右下に小さく、エルディン・バウアーのサインが見える。
一行目。

『嗚呼。今宵も私は翻弄されるのだろうか。
温かく、しっとりと汗ばんだ掌で。
熱の篭った吐息と、切なさを含んだテノールの声に。
嗚呼。今宵も私は啼かされるのだろうか。
声が枯れるほどに。
身体中の血が沸騰するほどに。

嗚呼。嗚呼。嗚呼。嗚呼。
愛に応えない私の唇を塞ぎに、毎夜訪れる緋色の罪。
その緋は私の中の大罪を暴き、狂態へと導く。緋の男。
緋桜丸…。』

 この独白から始まる物語は、桃色の十字架を掲げた教会で神の教えを説く神父とその村に住む侍、緋桜丸との情熱的な恋物語であった。
「俺の名前がしっかり入ってるじゃねえか! そんならこっちの神父ってぇのはお前じゃねーのか。こうしてやるっ」
 冬海の手から本を一旦取り上げ、神父という文字の横にエルディンの名前を緋桜丸が書き込む。
「なんて事をォ」
「お望みとあれば泣かしてやるよ。許してくださいって言うまでなっ」
「そんな事言いませんよっ」
「そう言われちゃあ、絶対泣かせてやりたいって思うのが男だろ」
「私も男です」
「こういうのがいいんだろ?」
「…もぅ」
 大の男が本を巡ってじゃれ合っている――としか見えない光景に、
「緋エル。これでしばらくは卵かけご飯だけで生きてゆけます」
「まるで脅迫のような愛。けれど次第に芽生えてゆく恋。愛を説く神父にその情熱は許されず」
 冬海と真夢紀は恍惚とした顔で言った。横にいるミリートは終始「?」を浮かべている。
「それでも一度火が点いた身体はもう!」
 感極まった二人は拳を突き上げて叫んだ。
「うん。卵かけご飯も美味しいけど、ちゃんと野菜も摂ろうね」
 冬海と真夢紀の頭を軽くぽふぽふと叩く冷静なクロウ。
「ひえる?」
 どこが冷えるのだろうかと首を傾げた武人に、冬海が親切心から答えを教える。
「緋桜丸さんがエルディンさんを」
「お兄ちゃんは冬海の口から聞きたくないです」
 ちょっと涙目になる武人だった。

「楽しいですか?」
 膝に乗せた籠から焼き菓子を取り、頬張りながら真夢紀が冬海へ訊く。
「楽しくって美味しくって、すごく嬉しいです」
 冬海も同じ焼き菓子を口に放り込み、笑った。
「あはは。クロウさんは優しいですね」
 真夢紀に促されて見ると、ハープを演奏中のミリートの口元へ、せっせとお菓子を運ぶクロウがいた。食べやすい大きさに砕いたクッキーをミリートの口へポイと放り込む。その度にミリートの耳としっぽは嬉しげにピョコンと跳ねた。
「真夢紀さんも楽しんでいただいていますか?」
「もちろんです。本から飛び出したようなシーンがあちらこちらで展開されるなんて、貴重です」
「そうですよね」
 笑う冬海の前にぬっと手が差し出される。ゆっくりと開いていく指。
「素敵な恋がみつかりますように」
 イーラの掌にはハート型の鏃をしたお守りがあった。恋のお守りだ。冬海はそれを取り、握り込む。
「素敵な方に巡り合いますように…それとイーラさんの恋する演技は上手過ぎてドキッとしました」
 

 少し寂しげに紅葉が風に揺れる庭。冬海はぼんやりと夕焼けに染まる空を、一人、長椅子に腰掛けて眺めていた。
 楽しい時間は終わるのが早い、とセンチメンタルな気持ちになる。
「もういっこプレゼントがあるんだ」
 琥珀の声に顔を戻すと、彼は木戸を指差していた。見ると、茶会では見なかった女性が絵筆や丸めた紙を持って近づいてくる。
「琥珀さんからのご依頼で参りました。今日の佳き日を写し取る為に」
 女性は神楽でも人気の絵師なのだそうだ。今日の為に琥珀が呼んでくれたのだという。
 長椅子には主賓の冬海を筆頭に、女子組ミリートと真夢紀が座る。もう一人いる女子――陽媛はというと、しっかり義兄の隣に陣取り、佐上を挟んで並ぶ六条と同じように、とてもいい笑顔を浮かべていた。冬海のすぐ後ろに陣取るのはミカエルとルシフェル兄弟で、椅子の背凭れに両手を置き、得意げな顔で笑っている。
 背中にものさしでも差し込んでいるのかと思うくらいの姿勢の良さで、直立不動の由樹。頬を引き攣らせ、左右で相好を崩している男二人を時折睨みつけては威嚇している。
 絵師からは見えない由樹の背中で、千代田の指とエルディンの指が陣取り合戦の真っ最中であった。必死に平静を装うとする由樹をからかっているだけなのだが。
 茶会初参加の緋桜丸はそんな様子を笑って見ていた。
 そこで長椅子の辺りからざわりと声が上がる。
 ミリートの前にクロウが、真夢紀の前にはイーラが跪いていた。そしてセンターポジション――冬海の前にはどっかりと胡坐をかいて座る琥珀がいた。肩越しに冬海の手をせがんで掴むと、「ニシシッ」と笑う。

 吉野冬海。大人の階段を上るにはまだ少し時間が必要な少女。甘い言葉を囁いてくれる相手は、意外に近くにいるのかもしれないのだが、それに気付くのは神のみぞ知る。