【初夢】みにまむ
マスター名:シーザー
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/01/17 20:03



■オープニング本文

※注意
 このシナリオはIF世界を舞台とした初夢シナリオです。
 WTRPGの世界観には一切関係ありませんのでご注意ください。


 時々、忘れた頃に見る夢がある。空を気持ちよく飛ぶ夢だ。ある時は空中高く飛び上がり、ある時は地面スレスレをフルスピードで飛行する。いつもは柔らかい風も、この時ばかりは激しい重圧となって顔面を押し返してくるのだ。目を開けたままだと乾燥してしまうから、細く瞼を閉じ、僅かな隙間から視界を覗く。
 くるくると回転する事も、わざと全身の力を抜いてきり揉み状態にして落下する事も思いのままだ。地面がぐんぐんと近づいてきても、今だ、と念じるだけで身体は上空へと転換し、ぐしゃりと潰れる事無く、もう一度空へと帰るのだ。
 頬を、小さな雲がいくつも触れては後方へと飛んでいく。なんて気持ちいいんだ、と眼下を見下ろせば小さな鳥居とそれを囲う鎮守の森が飛び込んできた。濃い緑と派手な朱色の鳥居が、妙にはっきりと見える。まるで誘っているようだ。
 百瀬光成は、にやりと不敵に口元を弛緩させ、頭を下へ向けた。滑空姿勢を取ると、一気に森へと落下した。合間に数羽の鴉の嘴に挟まれかけたが、かわすのは容易かった。
 森はすぐに目の前に現れた。ざぶん、と葉の海を抜け、鼻腔の中を緑の香りで一杯にしながら落ちるに任せていると、やがて件の神社に到着した。
 薄暗い森の中。頭上から差し込む幾筋もの陽光を浴びた鳥居は、神々しく見えた。夢の中とは言え空が飛べる光成にとって、その高さは苦もなく越えられるもので、当然、光成は飛び越えようとした。
 一度、地面に降り立ち、威風堂々とした鳥居を見上げる。
「俺ならやれる」
 鼻でふんと息を吐き、膝を折り曲げる。飛び越える行為に意味などない。ただ、目の前にそびえるものを自身の力で越えたいだけだった。たとえそれが夢の中なのだとわかっていても。
 光成は大きく跳躍し、背に感じる別の器官を思いきり動かした。風を切り、駿龍の如く疾風さで鳥居を越し、その天辺へと下り立とうとした時であった。
「うわっ」
 後少しのところで顔になにかが張り付いてきた。両手でねばつくそれを必死で剥ぎ取ると、今度は足が絡まった。
「なんだってんだよ、もう」
 苛々としながらも、足に絡む太いロープへと手を伸ばした。だが、ロープからは白い粘着物がどんどんと分泌され、さらに光成の足を固定していく。気持ちが悪い、と一人ごちながら、それでもたいした危機感を抱くことなく光成はロープを掴んだ。
「うげ」
 掴んだ右手に、べっとりと白く濁った液体が張り付いてきたのだ。屈んだ格好のまま、光成は動けなくなってしまった。どうにか右手をロープから離したが、その反動で上半身が大きく後ろへ反り返り――べったりと、背中がなにかにくっ付いてしまったのである。柔らかいそれは、跳ね返った光成の振動を上手い具合に周囲へ分散させ、やがてぴたりと止まった。
 しん、と静まり返った森の中。差し込む陽光の中を、きらきらと何かが反射して舞っているのが見えた。ごくり、と光成は唾を飲み込む。なんだか酷く嫌な予感がするのだ。まるで恐怖シーンが始まる前の、逃げ出したくなるほどのこの静けさのせいで、これは夢なんだと何度も光成は呟いた。
 ぎしり、と鈍い音が耳を襲ったのは次の瞬間だった。
 機械仕掛けの人形のように、不器用な動きで首を音のする方へ向けた。
 そこには、どこにでもいるある昆虫がいた。子供の頃、からかい半分で巣をつついた事もある。黄色と黒の縞模様のデカい腹、細く伸びた長い足。どこを見ているのかわからない四つの目は、今、確かに光成を見ていた。
 久方ぶりの餌を目の前に、女郎蜘蛛はニタリと笑い、舌なめずりをした。
「誰か助けてくれえええええええっ‥‥ッッ!!!」
 背中に生えたカゲロウにそれに似た薄い緑色の羽が、忙しくも虚しい羽音を立てる。
「そんなに怖がらないでいいのよ。痛いのは初めだけ、だ、か、ら」
「そっから先は食われるだけだろうがっ」
「ええ、いただきます♪」
 女郎蜘蛛は両手(とは本来呼ばないが)を合わせた。



■参加者一覧
神凪 蒼司(ia0122
19歳・男・志
巴 渓(ia1334
25歳・女・泰
すずり(ia5340
17歳・女・シ
菊池 志郎(ia5584
23歳・男・シ
エルディン・バウアー(ib0066
28歳・男・魔
ジークリンデ(ib0258
20歳・女・魔
リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386
14歳・女・陰
エルレーン(ib7455
18歳・女・志


■リプレイ本文

 真冬の澄んだ風を全身で受けながら、菊池 志郎(ia5584)は滑空艇の天狼を軽やかに操り、空の散歩を楽しんでいた。いつも見る風景よりもずいぶんと大きなすべてのものが、大迫力で視界を流れていく。
 どこからか声が聞こえた。聞き覚えのあるその声を探して視線を下ろすと、志郎同様に異変を察知した開拓者仲間らが次々に森の中へと飛び込んでいくところであった。
「あれは、もしかして百瀬さん!? 大変です、すぐに助けに行かねば!」
 天狼をすぐに急降下させた。

「うわあ! ‥‥うぅ、ちっちゃいと何でもおっきく見えて怖いの‥‥で、でも、負けないんだから!」
 まるで飛行能力を備えたトカゲのような炎龍ラルの背で、エルレーン(ib7455)は思わず弱音を吐いた自分をすぐに鼓舞した。眼下には大きな蜘蛛の巣が張られた鳥居がある。そして、その巣には一人の青年が囚われの身となっていた。
 エルレーンは心眼を使い、周囲を窺う。自らの身体が小さくなっている以上、森に住む様々な生き物の相当数が敵に回るのだ。十分な警戒を行いつつ、ゆっくりと巣へ近づく。巣の主、女郎蜘蛛は目の前の活きのいい獲物に夢中でまだこちらには気づいていない。
 だが、青年との距離をじりじりと詰めているようだから、これは少々急がねばなるまい。
「蜘蛛さん蜘蛛さん! えっと、その人、かわいそうだから離してあげてよ! 食べ物なら、どっかから探して持ってきてあげるからぁ」
 ラルに少しの間だけホバリングしてもらい、蜘蛛へ声をかけてみた。たぶん無理だと思うが、一応説得を試みる。
「はあ? ヒト? なに言ってるの? ただの虫じゃない。それも肉の柔らかい羽化したての、ね」
 人間の柔らかな肉質は、羽化したてで美味ということか。やはり解放してくれる気はないようだ。
「ダイエットにクッキーどうぞ!」
 去り際に、蜘蛛の顔面めがけて焼き菓子を投げつけてやると、ちょうどいい具合に目の間で砕け散った。なにするのよ、と怒り狂う蜘蛛の声を遠くに聞きながら、エルレーンは一旦上昇した。
 入れ替わるように駿龍の漣と共に現れたすずり(ia5340)は、
(「光成さん食い意地が張ってて、いつも食べ物の事を考えてるから、罰が当たったんだね」)
 くすりと笑い、
「蜘蛛さん、そんなの食べたらお腹壊すよ?」
 言いながら、助けを待っているだろう百瀬光成にも声をかけた。
「光成さん、美味しくもぐもぐされそう?」
「‥‥あぁん? なんならすずりも一緒にもぐもぐもされてみねえかっ」
 よく知った顔が現れたので気持ちに余裕ができたのだろう。百瀬も軽口で応戦する。そこかしこに救援に来てくれた開拓者の面々をみつけ、表情が俄かに安堵で緩む。とは言え、危機的状況から回避できたわけではないのだから、油断は禁物だ。
「皆でちゃんと助けるからね」
 何か策があるように、意味深な笑みを浮かべ、すずりは巣から離れたのだった。
 二匹目の羽虫をキッと睨む女郎蜘蛛。その背後からゆらりと現れたのは、滑空艇を器用に操縦する志郎だ。
「その人は餌にしないで下さい!」
 三匹目まで同じことを言うものだから、蜘蛛は怒り心頭。
「久々の上玉を手放すとでも思う? 憎たらしいヤツらだね」
 三方向から飛んでくる小煩い羽虫に苛立ちが最高潮に達したようだ。黒と黄色の鮮やかな縞模様の足を激しく動かし、巣を大きく揺らし始めた。
「あばばっ」
 おかげで百瀬の身体に余計な糸までもが絡みつく。一旦、動きを阻害せねばと志郎は巣の下へ回り込み、対角へとすばやく移動。蜘蛛に気取られる前に気功波を撃ち込んでやる。宙に浮かんでいる網の目が、ビリビリとその衝撃波を蜘蛛へと伝えた。大きな揺れは不安定さを増し、蜘蛛の顔に「怒」の文字を浮かべさせた。彼女は、「お前らから先に食ってやんよ」と攻撃態勢に入ったのだった。

 燕尾服のように下方へと細くのびる後翅、レースの薄褐色の前翅を軽やかに羽ばたかせ、森の散歩を楽しんでいたジークリンデ(ib0258)は、上空の騒々しさに眉を顰めた。肩にちょこんと乗っている管狐のムニンは、しきりに首を傾げている。
 見上げると、何やら蜘蛛の巣に捕らわれてしまった仲間を助けるべく、奔走している姿があった。四方を飛び交う様子に只ならぬ事態と気づく。
「 ゆっくり世界を堪能している暇はないようです。さっさと救出すると致しましょう」
 ムニンを小鳥へ変化させ、その背へとジークリンデは飛び乗った。向かうのは鳥居の上だ。それでも一風変わったこの世界を楽しむ余裕はあるようで、ジークリンデは氷青色の瞳を優雅に細め、木漏れ日を掌に掬いながら笑む。

 鳥居の上空を大きく旋回していた神凪 蒼司(ia0122)は、ぐるぐると喉を鳴らす紫月の首筋を二三度軽く叩き、
「共に戦うのは久しぶりだな‥‥至らぬ主だが、宜しく頼む」
 と大きく擦る。力強いそれがまるで阿吽の合図のように紫月に伝わり、炎龍は一気に下降を開始した。件の女郎蜘蛛を百瀬から引き離す為、神凪は攻撃の先陣を切る。
 周囲を警戒しつつの下降途中、神凪は一匹の蜘蛛の存在に気づいた。女郎蜘蛛にばかり気を取られていると手痛い思いをし兼ねない、そんな相手だった。ソイツはグルグルと投げ縄のように糸を器用に振り回し、女郎蜘蛛の巣の周りを飛び交っているエルレーンや志郎を狙っている。傍目に見て、距離があるように思えたが勝算があるのだろう。一心不乱に救出劇を繰り広げている開拓者仲間を狙っていた。
 一先ず女郎蜘蛛は彼らに任せ、神凪は投げ縄に興じる変わった蜘蛛の牽制に向かう。入れ替わるように、燦々と射し込む陽光に混じり、三対の羽を優雅に羽ばたかせながらやたらキラキラと輝く、目にまったく優しくない光の塊が現れた。
 蜂蜜色の髪が優雅になびく頭上には、見たことも無い輪が浮かんでいる。
「蜘蛛の巣にかかった哀れな子羊を助けましょう」
 胸の前で両手を組み、よく通る声で宣言した。
 壮麗な姿のせいか、百瀬は一瞬あの世からのお迎えかと思ったが、相も変わらず身体中は粘っこい糸の感触に塗れていたので現実であると理解する。となると後はとにかく助けてもらうまでだ。コメツキバッタのように頭を下げまくり、
「お迎えかと思って縮み上がったぜ。主に下半身が」
「哀れな下半身を助けましょう」
 セリフのせいか、せっかくの荘厳な印象が薄れた。
「まずはその糸から切り離さねばなりませんね」
 エルディン・バウアー(ib0066)は何事もなかったように話を進めていった。
 神の御使いの横で控える忠迅鷹ケルプの傍らへ、緋色のロングヘアーが近寄る。ハインケルの背からリーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)がひとつの提案をした。
「蜘蛛の糸はブリザーストームで粘性を抑えて切りやすくするわ。安全に焼き切れるならその方が早かったんだけど‥‥」
 なるほど、とエルディンは手を打った。そして二人は互いの顔をみつめ、ゆるりと視線を蜘蛛へ移す。
「アレはアムルリープで落とす!」
 二人は食指を付きつけ、引導を渡す。
「では私はこれで」
 言うやジークリンデは両手を合わせ、詠唱を進ませながら徐々に掌に空間を開けていく。やがてそこには灰色の球体が出現した。重力を無視した球体は、ふわりふわりと巣を支える支柱へと飛んで行った。
 その球体に触れたものは何であれ、消滅する。ジークリンデは慎重に操り、無事支柱二本を消し去ることに成功した。
 一本目では変化は現れなかったが、二本目が切れたことで巣のバランスが大きく崩れた。その異変に主が気づかないわけがなく、だが、それが百瀬奪還作戦のひとつとも気づかず、ひたすら巣を守るべく攻撃に転じたのだった。
「人の家を壊すんじゃないわよ!」
 それも道理だが致し方あるまい。
 牽制組がすかさず蜘蛛の足を止める為、迎撃に入る。
 漣から鳥居へと飛び移ったすずりの手から、いくつかの手裏剣が投擲され、糸が弾む。志郎の空気撃によって足元を掬われた蜘蛛は、苛立ちを隠そうともせずに突き進んできた。その頭上を黒い影がよぎる。去り際に抜刀した神凪の阿見が、斑模様の蜘蛛の背を薄く裂いた。左手だけで見事龍を操った神凪は、この空腹の女郎蜘蛛にも致命傷を与えるつもりはないようだ。繰り返される連携攻撃に、さしもの女郎蜘蛛も防御体勢に入る。
 そして――鳥居近くまで伸びた枝では、こっそりと神凪をみつめる一匹の虫がいた。先まで開拓者らを狙っていた投げ縄の蜘蛛だ。蹂躙できるほどの圧倒的強さを持ちながら、命を奪わなかった神凪の男気にどうやら惚れたらしい。
「貴方の為にセーター編んでます」
 蜘蛛とて乙女。粘る糸でのセーターは、見る間に仕上がっていく。
「なんだ? 寒気が」
 神凪の呟きに、紫月はぽわりと小さな炎を吐いて主を暖めようとしたのだが、原因はまったく別のところにあるのだった。
 
 そんな鳥居上での喧騒を聞きつけた地上の虫達は、おこぼれに預かろうとあちらこちらから集まってきていた。一匹でも落ちてきたらこちらのもの、という所なのだろう。やんやの喝采をあげている蟻もいれば、自ら手を下さんとばかりに朱色の柱へと足をかける虫もいた。たくさんの足を整然と揃えて進む赤い頭のムカデだ。
「おおっと。そういうわけにはいかないなあ」
 重々しい足音に続いて響く声。集まった虫が揃って振り返ると、硬質な光を返す一体のアーマーが立っていた。歴戦の証か、アーマーが纏うマントは酷くボロボロだった。
 上空での救出作戦をジャマさせまいと、巴 渓(ia1334)は自らが操縦するアーマーの出力を最大限にし、砂利混じりの地を蹴った。龍や滑空艇程には空中戦向きではないが、この程度の虫けらを蹴散らすのには何ら問題ない。
「出ろおおおっ! ゴッドカイザァァァッ!!」
 まずは厄介なムカデから撃退しようか。ゴッドカイザーは落ち葉や砂を巻き上げながら、鳥居にしがみつく長虫へと突進した。額と胸に埋め込まれた宝珠が緑翠色に輝く。
「さあ、害虫駆除の時間だ!」
 重厚なボディながら、縦横無尽に迅速に動いてはムカデの攻撃をかわし、鳥居から引き摺り下ろす。逃げ惑う黒蟻には目もくれず、
「死にたくなくば逃げよ! だが、意志ある者は挑んで来い!! 俺とカイザーが受けて立ァァッつ!」
 虫に崇高な志はなかろう。ただ純粋な食欲のみだと思われるのだが。
「ワシの牙で粉々にしてくれるわっ」
 一度は地面に叩き落とされたムカデだったが、巴的志があったかどうかは別として、無謀にも真っ向勝負を挑んできた。というか、ムカデにはそれしかなかった。
「カイザァァットマホォォクッ!! 」
 覇王神騎の豪腕から放たれたギガントアックスは、見事ムカデに的中した。
「おーぼーえーてーいーろーッ」
 後方へ逃げる事が出来ないムカデは、前進しながら捨て台詞を吐いた。その戦いを見守っていた他の虫たちも命惜しさに散り散りに逃げ出した。地上は巴とゴッドカイザーによって鎮圧されたのである。

「お待ちっ」
 女郎蜘蛛の糸が一直線に飛んでくる。その先には金の御使いがいた。だがその攻撃はフュージョンしたケルプによって傷一つ付けることなく、徒労に終わる。糸は弾き返され、空しく巣にかかる。
「もう、神父様ったら私がついていないとダメなんだから。ハッ‥‥別にくっつきたかったわけじゃないんだからね、勘違いしないでよね」
 憎まれ口さえ愛しい。神父は返す返すも愛らしい彼女になにも答えず、ひたすら「うんうん」と頷いているだけだった。
 エルディンとリーゼロッテの詠唱が終わるまで、神凪、すずりが女郎蜘蛛を引きつける。
 邪魔者は少し離れた位置で、仲間と空中戦もどきを繰り返している。その間にエルディンの甘い詠唱は終わりを迎え、共に紡がれていたリーゼロッテの詠唱が鈴のひと鳴りのように終わった。百瀬の周囲を張り巡らされていた糸に氷が走り、パキリパキリと乾いた音が上がる。
「ラル‥‥!」
 エルレーンの声が響く。炎龍ラルを逆さに飛ばせ、すらりと蒼天花を抜き放った。刀身が紅蓮に燃えている。落下防止に手首に絡ませた手綱が鈍く軋むが構わず飛ぶ。
 ラルが飛び退った後、蜘蛛の糸は粉々に粉砕された。
「うわっ」
 糸を絡ませたまま、百瀬の身体は一気に地上へ向かって落下を始めた。
 ジークリンデの指示でムニンが駆けつけたが、一度はぺたりと柔らかなムニンの背中にくっ付いたものの、百瀬はポヨンと糸を引きながら跳ねた。
「百瀬さん!」
 慌てて百瀬の手を掴んだ志郎の掌には、べっとりと糸のネバネバが――
「あ゛あ゛っっ」
 気持ちの悪い感触に耐え、必死で百瀬を支える志郎だが、落下速度は落ちない。すずりと漣が加勢に訪れ、もう片方の腕を掴むものの、
「なんだかヌルヌルベタベタ‥‥」
 と眉を顰める。確かに気持ちのいい感触ではない。
 そこへ、可愛らしい笑い声が飛び込む。ハインケルの黒い翼の間からリーゼロッテの緋色の髪が覗き、
「ほら、加速魔術かけてあげるからさっさと安全なとこまで逃げるわよ〜」
 加速していく百瀬と志郎を追う金と白銀の塊。リーゼロッテの補助魔法で俊敏さが増したエルディンとケルプだ。地上まで後少し、というところで百瀬を抱き上げる。彼に絡まる糸に注意を払いながら、優しく腕に抱く。これが美しい女性ならば、と思ったかどうかは定かではないが。
 抱き上げられている百瀬としては、男心が微妙にズキリと痛い。右手は志郎と握り合っているし、左手はすずりに支えられている。そしてエルディンに預けきっているその様はまるで「姫」のようだった。
「なんかいろいろ傷つく。助けてもらっといてなんだけど‥‥俺、これでいいのか的な気持ち」
 頭上では諦めきれない女郎蜘蛛が地団太を踏んで悔しがっている。
「蜘蛛さん、獲物取っちゃってごめんね。次はもっと美味しそうなのがかかると良いね」
 すずりは鳥居を見上げて叫ぶ。巣が穴ぼこだらけになってしまったのは気の毒だが、仕方ない。と両手で拝んで謝った。

 地上は巴のおかげで安全に休むことができた。遠くから虫達がちらちらと視線を寄越してくるが、さすがに襲うことは躊躇われるようだ。小さくとも龍、小さくともアーマー、小さくとも‥‥管狐?
「はふぅ‥‥」
 やれやれとラルの背から飛び降りたエルレーンは、茶会の準備を始めているジークリンデを横目にポケットをまさぐった。蜘蛛に投げつけたクッキーの残りがあればと思ったのだが、出てきたのは半壊クッキーと全壊粉々パウダークッキーで、
「小腹空いちゃった‥‥ちょっぴりだけど、ハイ。ラル、半分こ」
 ラルがエルレーンの掌に残ったクッキーの粉をぺろりと舐めた。嬉しそうに、何度もその大きな舌を主の掌へ押し当て、綺麗に平らげたのだった。
 茶会が激しく気になる様子の百瀬から、粘った糸を剥がすのに一苦労しているのは志郎とエルディンである。志郎に至っては手を握り合った状態でくっ付いているので、思うように剥がせない。
 天狼を見遣るが、沈黙だけが返る。
「‥‥」
「いや、うん。大丈夫だから」
 ゴシゴシと濡れ手拭いを必死に動かす志郎。だが全身ネバネバだらけの百瀬に比べれば、手が握り合ってしまったくらい――
「年明け早々大変な目に遭いましたね‥‥大丈夫ですか?」
 気遣いの男、志郎なのだった。
「やはり蜘蛛は蜘蛛でしたねえ」
 残念そうな呟きが聞こえ、百瀬が「まあ、蜘蛛は蜘蛛だな」と当り前の反応を示す。
 澄んだ青色の瞳を悲しそうに潤ませて、
「蜘蛛が絶世の美女だったら良かったと思いません?」
「確かにスタイルは抜群だろうなあ」
 百瀬の脳内ではボン・キュ・ボンッな女郎蜘蛛が浮かんでいるのだろう。先まで喰われそうになっていたくせに、ニヤニヤといやらしい笑いを顔一杯に浮かべている。
「それだったら一度くらい食べられてもいいかもしれません」
「エ、エルディンさん」
 微苦笑の志郎が柔らかく嗜めるていると、突然ケルプがエルディンに体当たりを食らわしてきた。しかも体重をかけてぐいぐいと押しやってくる。
「ケルプ? どうしました」
「だって」
 まさに嘴を尖らせたケルプは、すずりを羽で指差した。見るとすずりは満面の笑顔である。
「エルディンさん見てたら、何だか鳥が食べたくなってきたよ。光成さん、助けてあげたんだから、鳥鍋でも奢ってよ」
 漣を引き連れ、鳥鍋を食わせろと言いながら近づいてくる。支払いは百瀬に要求しているようだが、鍋の具は果たして――?
「別に私が食べられそうになってるからじゃないからね。貴方が食べられそうだから、守ってあげようとしているの。感謝してよね」
 確かにエルディンには純白の羽が三対ある。毛は薄そうなので、そのまま茹でればすぐにも食べられるかもしれないし、味にヘンな癖もなさそうだからどんなタレでも箸が進むだろう。
「茶会と食事会をいっしょに」
「ダメに決まっているでしょう!」
 同時に叫んだのは志郎と具、もといエルディンだ。
 少し離れた場所では、茸のテーブルと落ち葉のカップに注がれた蜂蜜で、すでに茶会は開かれていた。神凪は紫月の傍らに腰を下ろし、先に蜜を楽しんでいた。疲れた身体に沁みる極上の甘さである。二つめのカップは紫月のもので、神凪の手からしか何も口にしない紫月に、時折蜜を近づけて喉へ流し込んでやる。
 巴は豪快にカップを両手に持ち、「ぷっはぁ!」と酒を煽る勢いで飲み干していた。アルコール分がないことが悔やまれるだろう。幹を背に座しているゴッドカイザーに傷はひとつもなく、木々の合間から覗く空を見上げていた。
「そこ! 何をやってるの? せっかくの蜂蜜、こういう時ぐらいしか味わえないんだから」
 なみなみに注いだ蜜に舌鼓を打っていたリーゼロッテが、百瀬や志郎、そしてすずりとエルディンを手招きする。すぐに相棒の顔を認め、声を立てて笑った。
「何て顔しているの、ハインケル」
 木の葉の皿から顔を上げたハインケルの嘴は、蜜で黄金色に光っていた。ぺろりと器用に舌で舐め取り、ついでにリーゼロッテの口元についた蜜も舐めてやる主思いの鷲獅鳥だった。
「百瀬様のお気に入りの場所は?」
 蝶の羽根を羽ばたかせ、飛んできたジークリンデが訊ねる。
「お気に入り? 二度とお目にかかれないこの目の前の世界すべてだな」
 百瀬は薄緑色の羽をふるんと震わせて、頭上を見上げた。小さすぎる体は捕食系の虫の格好の餌食になってしまうが、その際どさもまた楽しいと思う。
 無論、救いの手が差し伸べられることが大前提なのではあるのだが。
 乾杯の音頭が幾度となく取られた。
 合わさった小さな葉のカップから芳しい蜜が溢れ出し、射し込む天使の階に照らされて、キラキラと眩く輝いた。

「すべての洋服に羽用の穴を開けなければいけないかと思いましたが、夢で良かったのか悲しかったのか」
 機会があれば羽をお持ちだった方々の背中を見せてもらいましょう――
 際どい呟きが聞こえたかどうか。
 小さなくしゃみが、ほら、あちらから‥‥――