【黒羽】ご指南奉る!
マスター名:シーザー
シナリオ形態: ショート
無料
難易度: やや易
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2009/07/15 20:58



■オープニング本文

 明け方まで降り続いた雨が止み、黒く重い雲の合間から日が差し込んでくる。
「強引になんですか?!」
 左腕をがっちり掴まれ、引き摺られるように門の中へ連れ込まれているのは開拓者ギルドの職員だった。
 運悪く、黒羽の屋敷前を通りかかった際にとっ捕まってしまったのだ。もう一本先の筋へ入ればよかったと後悔したが、後の祭りだ。前回の依頼の時に顔見知りになったからといって、これは強引過ぎる。職員はさも嫌そうに唇をへの字に曲げて嘆息した。
「正式に依頼する前にね、見ておいて欲しいのよ。現状を」
 まるで竹箒かなにかのように、職員をぞんざいに扱いながらも、黒羽夜那的には頼み込んでいるつもりのようだ。
「依頼なら、後でギルドへ来たくだされば」
「ちゃんと手続きは踏むけど、まずは見て。お願い‥‥どれだけ切羽詰っているかがわかるから!」
 これ以上ゴネてみても、夜那に掴んだ手を離す気がないのは見て取れた。職員の男は溜息混じりに、「やれやれ」と呟いた。
「しようがありませんね。貴重な時間を無駄にするわけにはいきませんから、さっそく見せていただきましょう」
 無理やり連れ込んだのは悪いと思うけれど、なんて横柄な態度なんだろうと夜那の顔が憮然とする。それでも、早くどうにかして欲しいのは確かだから、
「じゃあ、道場の方へ」
 近くの縁側から直接上がり、道場へ続く廊下の先を指した。
「時間‥‥ほんとうにないの? お茶ぐらい出すよ」
「結構です。お構いなく‥‥」
 職員は、廊下の床から天井までをぐるりと見渡し、
「掃除が行き届いていない屋敷で出されるお茶など‥‥質が知れますし」
「!」
 夜那の口がぱかっと開く。文句を言いたそうにパクパクと口を開閉させたが、途中でやめた。
 その安物の茶を、さらに薄めて飲んでいる私はいったい‥‥――。

 道場から子供たちの威勢のいい声が聞こえてきた。
 自然、夜那の表情が笑んでいく。
 日替わりで近隣の子供たちに剣術を教えているのだが、今は師範として百瀬光成が夜那の代わりに指導をしている。
「稽古の邪魔になるから、こっそりね」
 そう言って、板戸を僅かばかり開けた。すると途端に賑やかな音が飛び出してくる。

「そうだ、いいぞ! そんな感じでバァァンッて行くんだ。――よっし、五助、上出来だ。おいおい、庄一郎。そうじゃねえ。バァァンって突っ込むんだよ、バァァンてよ!」
「バァァンてどんな感じだよ、みつ兄ちゃん」
 息を弾ませながら、師範(みつ兄ちゃんと呼んではいるが)に訊ねる庄一郎。母親は評判の常盤津の師匠である。
「わかんねえか? ッバァァンだよ。この、ッ、っていう溜めが大事なんだけど、まだお前らには無理だから簡単な“バァァン”をやれって言ってんだけどなあ」
「わかんねーよ!」
 素振りの手を止めて、庄一郎の横へ並んだ籠かきの倅、弥吉は小柄ながら責めるような目で光成を見た。
 紅一点の絹も、おずおずとやってきて、「うちもわかんない」と言った。
「簡単だろ? だって五助はできんだぞ?」
 そう振られた一番の年長である五助は、首を傾げながら答えた。
「できてるみたいだけど、なんでできるのかはわからない」
「はあぁぁ?」
 光成は脱力したように座り込んだ。あぐらを掻いて唸り始める。
「バーーンって斬り込むだろ? でもって向こうが横からズバッてくる。それをこう刀を捻って受けて、ざらっと流して巻き返して‥‥で、ドウリャって跳ね上げたら勝てる。その第一歩の踏み込みのバァァンなのになあ」
 頭を掻き毟ってはあれこれ呟いているが、やはり子供たちは首を捻るばかり。
 稽古は、素振りとこのかかり稽古から一向に進まない。

「ほらね。見ての通りなの」
「なるほど‥‥」
 板戸の隙間から顔を離し、得心がいったように職員は何度も頷いた。
「これはさすがに子供たちが気の毒ですね」
「子供たちはね、まだいいの。問題なのは、せっかく戻ってきてくれた門下生の方なのよ」
 夜那は大仰に首を振り、職員の同情を買おうとしたが、彼は至極真面目な顔で、
「では依頼というのは、あの師範の指導力を上げることですね」
 まったく取り合わなかった。
「うん、そういうこと」
「ギルドを使わなくても解決する方法はあります。彼を解雇すればいいんです」
 真っ当な意見であるが、それは夜那の性格には当てはまらない。
「光成を家に入れた時に、一生かかわっていく覚悟はしてるのよ。だから途中で放り出すような真似はしたくない」
 若き道場主の言葉に、職員はしばらく逡巡し、口を開いた。
「わかりました。これから戻って書類は私が調えておきましょう。時間がある時にでもギルドを訪ねてきてください」
「やった!」
 夜那は両手を叩いて喜んだ。
「期待してるからね! たいして払えないけどっ」
 面倒臭そうに廊下を戻っていく職員の背中に、思いきり手を振って見送る夜那だった。



■参加者一覧
恵皇(ia0150
25歳・男・泰
紅(ia0165
20歳・女・志
水火神・未央(ia0331
21歳・女・志
小伝良 虎太郎(ia0375
18歳・男・泰
四条 司(ia0673
23歳・男・志
花脊 義忠(ia0776
24歳・男・サ
榊 志乃(ia0809
25歳・女・志
時任 一真(ia1316
41歳・男・サ


■リプレイ本文


「結局、厄介なのを背負い込む形になったわけだな」
 恵皇(ia0150)は、ガシガシと頭を掻きながら苦笑した。
「まあね」
 黒羽夜那は斜を見下ろしながら、微苦笑を浮かべ呟く。
「おいら達に任せとけば大丈夫だかんな!」
 なにやらチビッコが元気良く声を張り上げた。巨木の中のつくしに見える。偉丈夫ばかりだから尚更だ。
「む。おいらこれでもれっきとした泰拳士だぞ」
 ぷくんと膨れっ面になった少年は、小伝良虎太郎(ia0375)と名乗った。
 さあさ、どうぞと一行が道場に案内されると、すでに稽古は始まっていた。
「ッバァァンッだぞぉ!?」
 場内に響く百瀬光成の声は、枯れて裏返っていた。
 四条司(ia0673)の眦が、ぴくりと引き攣る。
「ッバァァンでわかるわけないでしょう」
 眉間に人差し指を当て、呆れたように嘆息する。
「四条殿‥‥。“ッ”がおわかりですか」
 苦々しい表情の四条の横へ立ったのは榊志乃(ia0809)である。光成と良く似た装束だが、女性である分華やかさがあった。
「まず百瀬に問いたいことがある」
 紅(ia0165)の顔は、夜那の依頼を受けた面々の中では一番険しい。
「稽古を止めることになるが、構わないだろうか」
「もちろん、いいわよ。どの道、アイツに指南してもらわないとならないんだからね」
 言って夜那は両手を派手に打ち鳴らした。
 素振りの子供たちや、稽古中の門下生の面々が手を休めてこちらを向く。
 壁にずらりと並んだ開拓者達を見て、表情をぱっと明るくさせたのは他ならぬ光成だった。子供と門下生を反対側の壁へと下がらせ、自分は見知った顔の元へと走ってくる。
「おおい! ひさしぶりだなっ。あ? こっちは初めましてだなー」
 初見になる榊や虎太郎、水火神、花脊へ懐こい笑顔を向ける光成に、紅からさっそく剣術の目的を問われた。
「ひ、み、つ」
 光成は、むふん、と奇天烈な笑みを浮かべて答えた。紅は無表情のまま鯉口を切る。
「だーはっはっは! 百瀬殿、それじゃあ話が終わっちまう。まあ、擬音バンバン使われても俺はわかるからいいんだけどな」
 豪快に自分の足を叩きながら笑い、紅の肩をポンと叩くサムライの花脊義忠(ia0776)。擬音だけで通じ合えるとは、彼も天才肌なのかもしれない。どことなく同じ匂いがしないでもないと、脳天気な光成は鼻をひくつかせる。
「だな。いっそ“バァァン”の型ってことでやっちまったらどうだ?」
 恵皇は、更に上をいく発言をぶちまけた。
「おお!! わかるか? わかるんだなっ。俺は嬉しいぜぃ」
 理解者を得てはしゃぐ光成の尻に、ブンブンと回転する犬のしっぽが見えた。顔を突き合わせ、「でぃししし」と笑う。
「はい、そこの三人さん。それじゃあダメだってこともわかっているよね?」
 やんわりと割って入ったのは柔軟材的開拓者、時任一真(ia1316)である。
「あれ? 一人足らなくないか?」
 恵皇に言われ、皆の視線が場内を縦横に這う。
「そういえば‥‥」
 黒羽を訪ねた時には、きちんと八人揃っていたはずだ。ところが一人不足がいる。紅が面を上げ、道場の戸口へ顔を向けた時である。
「たのもー! ‥‥あれ〜? もしかして違いましたかぁ?」
 水火神・未央(ia0331)は取次ぎを乞うとすぐに、間違いに気が付いた。天然素材の彼女は、ドタドタと走って現れて、
「門は開いていたので叩いていませんからぁ」
 髪を耳へかけながらにこりと笑う。閉まっていたら叩くつもりだったのかと、居合わせた一同は思った。


 まず手合わせ役の者と試合を行い、その間の百瀬を観察、分析し、指南書として作成する運びとなった。
「少々難儀な事ではありますが力になりましょう。では手合わせを――」
 凛と胸を張り、木刀を構える榊。邪魔になるからと一つに結わえた銀の髪は、ひと房も揺れない。
 彼らが集まった理由を聞かされた光成は、初めこそ渋ったが、やはり強者と剣を交えるのは素直に嬉しいようで、対手の前に立つ彼の双眸は爛々とした光を放っていた。
「んじゃ、さっそく――!」
 八双に構え直し、じわりじわりと切っ先を左下へと下げる。――と。
「それはなんの型でしょうか?」
 突如、榊が訊ねた。光成は、へ? という表情で見返した。
「何の型って」
 言い澱む光成に、榊は畳み掛けるように問う。
「ただ剣を交えるだけでは無意味です。あちらで指南書を作成される方々の一助にもならなければなりません」
「‥‥えっと。これは地の利を生かす時に使う型で、名前はド」
「ドオリャッとかは却下です」
 すかさず突っ込まれ、光成は「ド」の発音を唇で象ったまま、硬直した。理解者である恵皇と花脊を見ると、二人は俯いて肩を揺らしていた。くつくつと笑っている。
「致し方ありません。ひとつひとつ剣技を打ち出す度に、細かくお聞きしましょう」
「う」
 光成の唇が、今度は「う」の形になった。
 榊の冷静な剣と事細かな質問の応酬で、光成は激しく疲弊した。叩きのめされた方がいっそ楽かもしれない。
「無事師範になったか。まずはおめでとう」
 二番手の紅が、眉一つ動かさずに光成の前へ立った。なぜか祝辞の弁に威圧感が篭もっている。
「きゅうけ」
 い、と一休みを願い出ようとしたが、紅は取り付く島もなく、「手合わせといこう」と言ってすぐに正眼に構えた。
「話を聞いてくんないかな」
「弟子達が見ている前で、みっともない事を言うな。剣術の目的もろくに言わないのでは、身体に聞くしかなかろう」
 生真面目な紅らしい発言である。
 光成は木刀を脇に抱え、頭をぽりぽりと掻いた。
「俺の剣術は実戦重視の型だ。だから、あんまり綺麗じゃねえし」
「それだけ聞けば十分だ。行くぞ‥‥――!」
 欲しい答えを得たからか、紅の攻めに迷いは無い。だが、それはけして光成を打ち倒す攻撃ではなかった。紅の打ち込みに対し、木刀の峯を当て滑らせていく光成。一手先を読んで誘う紅。まるで二人で舞う剣舞のようだった。
 弾む息で肩を揺らす紅が、指南書作成の面子へ顔を向ける。
「後ほど、今の一打一打の説明を私がしよう。‥‥百瀬さん」
 紅が、木刀を杖代わりにして息を整える光成へ声をかけた。汗が滲む彼女の眦が攣り上がる。
「杖代わりなど言語道断」
 紅の足払いで光成が転げた。戒めながら涼しい表情で下がる紅と入れ替わるように、四条が道場の中央――転げたままの光成の前へ立った。
 端正な彼の顔が、いつになく険しい。
「百瀬さんの剣筋を門下生達に見せるのが最大の目的ですが、油断していると足元‥‥掬いますからね」
 やれやれと面倒臭そうに光成が立ち上がる。
 門下生の為と言われれば我慢もするが、なんだか、やっぱり、性に合わない。
「しょっぱなから掬ってくれてかまわねーよっ」
 言って光成は姿勢をぐっと下げた。前後に足を大きく広げ、木刀はやや右下に構える。
 対して四条は左前の真半身。長槍などに似た変則的な構えで、剣尖は光成の喉下を突き狙う。
 指南書係から、「本気で打ち合うなよー。目で追えないからなー」というゆる〜い声が掛かったが、互いに負けん気の強い二人には聞こえていない。
 すり足で間合いを縮める光成と、一定の距離から踏み込ませない四条の攻防が数分続いたが、光成が大きく右足で床を打ち鳴らした事で均衡は破れた。
 小手を中心に受けにまわって見せる四条。紅同様、擬音をやたら使って説明していた型を呼び込み、一手、一手を鋭く観察する。
 だが、勝負事ではないそれは終わりそうに無く(互いの体力が続けばいつまでも続きそうな勢いだった)殿の花脊が強引に割って入った。
「百瀬殿よ。俺との体力は残してくれてるか?」
 闊達に笑う男を見て、ボロ雑巾だった光成の表情が新品の手拭いみたいに明るくなる。四条と礼を合わせた後、改めて花脊に向き直った。
「アンタとは初見だけど、楽しく剣を交えられそうだ」
「実戦重視ってことは、だ。まさに感覚がものを言うな。――まあ、日々の鍛錬の積み重ねも大事じゃあるが」
 花脊がニヤリと笑いながら、右手は腰の位置に据えた木刀へ、するりと向かう。
 光成の構えを見て、さっそく「それは何て名の型だ」と問う。
「俺はビューンって言ってるけどな!」
 榊の時のように考えるのは止した。頭を働かせようとすると手が止まるのだ。戦場でそんな事になれば命はない。
 花脊の問いにうまく答えられるか不安ではあるが、そこはほれ‥‥――。
「後は身体で感じて理解してくれよ!!」
 攻めるように右足を踏み込み、花脊の出鼻を挫く。切り払う花脊が次の一打へ向けて、腰を入れた。木刀の切っ先が気合いで揺らぐ。
 噛み合わない攻守は奇妙な律動となって、光成を苛つかせた。
 囲碁や将棋に定石があるように、剣にもそれは存在する。花脊はあえてそれを打たず、より実戦に近い戦法を取っていたのだ。
 光成が得意としているバアァァンやらドオリャッの型が、上手く嵌まらない。焦りは攻めを雑にする。
「‥‥フッ」
 目を伏せ、花脊が鼻で笑う。刹那、光成の形相が変わった。どこからか、プツンと緒の切れる音がした。
「デゥリイィィヤァァァッ!!」
 最早異国の言葉では?
 基本の型式から外れた不恰好の踏み込みを易々とかわし、空を突く光成の右手首を花脊は素早く掴んだ。
「キレて集中できりゃいいけどな」
 ぐいと引き寄せた光成を叱責。続けて流れるような仕草でその身体をぐるりと回転させた。
「はっはっは! ちょいと頭冷やしとけ!」
 言って花脊は手を離す。光成、壁にまっしぐら。
 ドッゴオォォォン‥‥‥‥――――
 人型にこそ壁は抜けなかったが、ずるりと倒れた光成の顔面に、それは見事な板目の痕が付いていた。


「とりあえず、わかった箇所だけでいいから作ってしまおう」
 恵皇と時任が、榊との一戦から順繰りに解説をつけていく。
「覚書ということで“実戦”と入れておくと良い気がします」
 水火神が予防線を張るべく、二頁めを指差した。こうしておけば、少々表現が乱暴でも説明がつく。
「おいらは挿絵を描くよ。腰を落とした時の膝とか腕の筋肉とか、バッチリ観察したからな。それだと一目でわかるじゃん?」
 虎太郎が生き生きと絵筆を走らせて行く。
「上手いもんだなあ」
 見るからに不器用そうな恵皇が、感心したように覗き込む。
 仕上がった挿絵の注釈を入れるのは、実際に手合わせした榊、紅らの役目。細かな指示と共に、差し入れる箇所を指差す。
「ふむふむ。なるほどなー。んで? 具体的にこれはどういう場面で使うのかな」
 虎太郎は、墨痕塗れの顔を光成へ向け、返答を待った。
「へ?」
 へ、とは何事か。と四条の肘が光成の鳩尾にめり込んだ。
「し、四条‥‥なんか酸っぱいモンが上がってきたぞ?」
「いいから、百瀬さんも手伝うっ」と手厳しい。
 ヨレヨレと四つん這いでやって来た百瀬が、虎太郎の画に見入って、ああそれはと食指を立てて説明を始めた。
「乱戦になった時に使うんだよ、それ」
「ちゃんと説明ができるじゃないか。それなら使う場面毎に型を分けて、解説文を入れるって方法で進めりゃいいな」
 時任が、ふむと唇を結んでじっと手元を見た。なにか閃いたようで、筆がすらすらと進んでいく。
「あれれ。ここの型はどうだったっけ」
 虎太郎の筆がとつぜん止まった。眉間に皺を寄せ、唇を尖らせている。
「誰とやった時のだ?」
 光成は着物の裾を叩きながら立ち上がった。手合わせした面子も同様に準備する。
「俺って泰拳士だからさ、剣術とは基本的に使う筋肉が違うみたいなんだよ。体重の乗せ方なんだけど‥‥」
 そう言って虎太郎は手振り身振りを交えて、理解の範疇を超えていた剣士の体捌きや足運びについて訊ねた。
 挿絵を描くにあたって、その質問には花脊と時任が答え、実際に光成と剣を交えた紅、四条、榊は志士としての目線で答えた。その間、光成はカラクリ人形のように、型の姿勢を取ったまま辛抱強く立っていた。

 四冊の指南書が出来た。
 一冊は、光成本人が指導の際に使用するもの。四条と恵皇の二人が作成した。二冊目は年かさの者――門下生用に解説が書かれたもの。比較的説明文が多く、挿絵は少ない。榊と時任が担当した。
 三冊目は子供用である。挿絵が多く、頁の右上には光成の“バアァァン”なども書き記していた。どのみち、今すぐ光成の指導方法が変わることがないのなら、ちらとでも書いておけば理解も早かろう。双方の歩み寄りの一冊だ。こちらは虎太郎渾身の挿絵と、花脊のわかりやすい説明文により至極の出来となっている。
 四冊目。これは夜那専用の一冊だ。指導に熱中するあまり、擬音を多用し始めた光成の言葉を理解する為の指南書である。
「百瀬語録、とでも名付けるか」とは、この一冊に携わった紅の言である。
「今日の指南書作りで、百瀬様の指導力が上がったと期待します」
 水火神が担当したのは夜那用の一冊だったが、細やかな心配りの解説文は丁寧で、勘所を鋭く突いた良い一冊となった。
 門下生の一人が、書写の為に持ち帰りを願い出た。
「どんどん、使ってくれ。それと‥‥俺がこういうのもアレだが、指導者としての百瀬君と一緒に成長する気概で学んでいって欲しいと思うよ。――や、なんか照れ臭いな。こういうのはね。でも、彼が強いのは確かだから」
 汗の滲む小鼻の横を掻きながら、時任が照れ臭そうに言う。
 門下生が持って帰るとなると、子供達も黙ってはいない。我も我もと手を挙げて虎太郎と花脊に迫った。
「大事に使えよな!」
「早く技量が追いつくといいなあ、ガキンチョ共っ」
 花脊の大きな掌が、子供の頭を撫で上げる。こう素直に喜ばれては、胸の奥がくすぐったい。
「後は反復練習あるのみですね」
 にこりと笑った四条の尻から、怪しげな尾が見えた気がした光成は目を擦りつつ、
「もうちょっと俺も考えながら指導するわ」
 反省の色を見せた。
「喉が渇いたでしょー。お茶を用意したから、ジャンジャン飲んでいってねー」
 盆に湯飲みを乗せて夜那がやって来た。彼女なりの労いの気持ちだとわかってはいるが。
 茶を一口含んだ開拓者達は――――。
(「味、薄っ!!」)
 香り無く、目を細めて見たら緑に見えなくもない幽けき色の茶だったが、身体と頭を使った後ではそれなりに美味く感じるのだから、人の感覚とはなんとも便利なものである。
 ズズズッ‥‥ぐびっ。
 皆、思うことは同じで、口にするのも同じだった。
「美味しいですー」
 抑揚のない棒読みではあったけれど。
 自分専用の一冊「百瀬語録」を神棚に捧げている夜那を見ると、やはり真実は言えないと思う一同であった。

 門下生の掛け声が、蝉時雨の夏空を抜けていく。
「バアァァンッ!!」
 ――――え?
 黒羽道場の土塀の前で足を止める一つの影。振り仰いだ先の道場から、覇気のある声が聞こえてくる。開拓者は薄く微笑み、やがて闊達な笑い声を上げて歩き去った。