【浪漫】ときどき苛めて
マスター名:シーザー
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/07/18 22:05



■オープニング本文

 それはいつもと変わらない朝だった。
 母が拵えた味噌汁は具沢山で美味しく、祖母が漬けた自慢の漬物も歯ごたえしっかりとしていて飯がよく進んだ。
 食後の茶を一口含み、鼻腔に広がる茶葉の香りを楽しむと、
「久しぶりに晴れると気分がいいな、冬海」
 吉野武人は、居間の長椅子でぼんやりと庭を眺めている妹へ声をかけた。
「‥‥」
 だが妹からの返答はない。冬海がぼんやりとしていることはさして珍しいことでもないので、武人は気にする必要もないかと思った。妹の分の紅茶をトレーに乗せ、部屋続きの居間へと移る。
「なんだ、その本は‥‥。珍しい装丁だな」
 冬海が読書をしている姿など、ついぞ見たことがなかった武人は目を丸くした。しかも、私塾の図書室では見たことのない装丁をしている。
 布張りの表紙で、使われている生地はちりめんかと思われた。その中央に、題目らしき文字が箔押しされている。ずいぶんと変わった書体だなと武人は思った。最近の流行本はこういった造りなのかと、関心さえした。
 武人が好んで読むのは純文学か、古典と決まっていたので流行には疎かったのだ。
「どれ」
 それはただの好奇心だった。妹が呆けてしまうほど面白い読み物とは、いったいどんな内容なのかと。冒険活劇だろうか、それとも謎解きだろうか。
 冬海は、自分の膝の上から本を取り上げられても、まだぼうっとしている。呆けているというより、とろんとした瞳でどこか遠くを見ていた。
 武人は、一人掛けの椅子に腰を下ろしながら表紙をめくった。次のページが透けるほど薄いその紙に、見慣れた文字で題目が書き記されていた。
「“イケないしん”‥‥っ!!!!!!」
 部屋中に音が響くほどの勢いで表紙を閉じた。武人の視線がうろうろと落ち着きなく、居間の壁や天井を徘徊する。
(「なんだ。なんなんだ? 今のは。え? あれはそのつまり成人したオトナが読むべき的な内容を網羅した淫靡で卑猥な、それでいながら芸術的だと言い張る輩も多いと聞く噂の」)
 かなりの取り乱しようである。
「待て待て。俺の妹がそのような破廉恥なモノを読むはずがない。むしろ冬海が好む恋愛ものといえば男子と男子が‥‥ああ、どうしてそんなことがつるりと俺の口から出てくるんだ」
 久しく出なくなっていた爪を噛む癖が復活した武人が頭を抱えていると、冬海が兄を呼んだ。
「兄さま」
「なんだ」
 あえてぶっきらぼうに答えてみた。
「ときどき苛めて」
「は?」
「少しやさしく」
「なにを言っているんだ」
「酷く苛めて」
「ふ、冬海?!」
 武人は思わず椅子から立ち上がった。勢いのあまり、一人掛けの椅子が豪快な音を立てて床に転がる。
 ハート型を象った虹彩を煌めかせ、冬海が武人をみつめ、
「たっぷり愛して」
 うっとりと呟いた。
(「アレにはなにが書かれてあったんだ! いいや、それよりもだ。冬海を現実に引き戻すのが先決だ」)
 その為には、冬海がもっとも惹かれているだろう存在が欠かせない。悔しいが、自分では役不足なのだ。武人はそれを承知しているが故に、依頼するのが苦痛でならなかった。
 しかし、可愛い妹を破廉恥な夢の住人のままにしておくわけにはいかないのだ。
 武人は意を決した。
 彼が叩くのはもちろん――開拓者ギルドの扉である。
 依頼内容は――――
「現実(こちら)の世界の方がより幸福感を得られるのだと思える、あ、甘さ、たたたたた‥‥たっぷりな言葉が吐ける者を頼みたい」
 周囲の視線を意識しまくり、露出された肌のすべてを朱に染めて、吉野武人は頭を下げた。



■参加者一覧
エグム・マキナ(ia9693
27歳・男・弓
千代田清顕(ia9802
28歳・男・シ
エルディン・バウアー(ib0066
28歳・男・魔
央 由樹(ib2477
25歳・男・シ
羽喰 琥珀(ib3263
12歳・男・志
ルシフェル=アルトロ(ib6763
23歳・男・砂
ミカエル=アルトロ(ib6764
23歳・男・砂
クロウ・カルガギラ(ib6817
19歳・男・砂


■リプレイ本文

「可哀想に前より痩せたね。ちゃんとご飯食べてるのかい? 体が心配だな」
 千代田清顕(ia9802)は、腕の中で人形のように動かない吉野冬海へ微苦笑を浮かべて訊いた。
 自室に備えてある、普段使用しているだろう猫足の椅子へ、冬海をそろりと下ろす。
 想像していたものと少し趣が違うのは、エグム・マキナ(ia9693)の希望で部屋の内装などに若干の手が加わったせいなのだろうと千代田は納得し、自分と二人きりは危険だと言って同行してきた央由樹(ib2477)へ目配せをした。
 椅子に腰を下ろした冬海の頬は薔薇色に染まっている。いったい何を夢見ているのか、陶然と瞳を艶めかせていた。由樹は微笑に染まる人形の前へ跪く。
「違う世界に浸るのもええけど、戻ってこなアカンやろ? 皆が、皆以上に俺が冬海に戻ってきてほしいと思っとる‥‥俺の声が冬海の心に届かんのはやっぱ悲しい。俺はいつもの冬海が好きやし‥‥俺をちゃんと見てほしいんや。せやから、なあ‥‥戻ってきてくれ」
 冬海を見上げる由樹の瞳は、山間でぽつりと咲く野萱草のように寂しげだった。甘さは皆無だが、実直である分、直情的でもあった。
 そっと伸ばした先の冬海の指先が、少しだけ反応したように思えたが、動いたと思ったのはそれきりで、独楽鼠のように愛らしくくるくると動く彼女の虹彩に褐色の青年は映らなかった。小さく、短い溜息と共に千代田と交代する。
 先程跪いた由樹とは逆に、千代田は椅子の肘掛に浅く腰をかけた。男らしく節くれた長い指を冬海の髪へと滑り込ませる。窓越しの明かりで赤茶に光る少女の髪を指先で愛でながら、
「ねえ聞いてるかい? 夢の世界に行ってる君もふにゃふにゃの子猫みたいで可愛いけど、こっちを見てくれなきゃ寂しいよ」
 事後の囁きめいた千代田の声色に、冬海が反応する。虹彩に濃い色味が戻り、まるで覚醒を思わせた。砂糖をたっぷり入れた紅茶を一口含んだ後の、至福の微笑を浮かべ、あまつさえ千代田へこうべを預ける仕草まで見せた。
「‥‥苛められたいなら、今ここで俺が苛めてあげるよ。優しくね」
 冬海の背を左手で支え、上半身を傾けさせた。支えのない頭はがくりと上向き、細い喉元が晒される。吸い寄せられるように、小さいけれど確かに脈打つ首筋へ千代田は顔を寄せた。
「千代田! お前何する気や‥‥それで冬海の目ぇが覚めるとは思われへんな。さっさと離れろ」
 由樹の凄みの効いた一喝が入った。
「邪魔するなら君には手加減しないよ」
 その言葉はまるで人を誑かすアヤカシさながらであるが、
「アホ抜かせ、離れろ言うんが聞こえへんかったか。お前がその気なら俺も手加減せえへん」
 食ってかかる由樹をするりするりとかわしながら、それでいて腕の冬海はけして放さない千代田。本気らしい由樹の抵抗さえも――
「な、待っ‥‥千代‥‥っ! (「思てたんと違う――!?」)」
 左腕には口唇に朱が差し始めた冬海を、右腕には愛らしくも小憎らしい由樹を手にほくそ笑む千代田であった。

 余談だが、この時。冬海の部屋のドアは少しだけ開いていた。
(「確かに冬海を目覚めさせるには良い選択なんだと思うが‥‥なぜだ。胸がもやもやする」)


(「……さすがに、これは予想しませんでしたね」)
 わずかな覚醒だけで終わった千代田、由樹組に代わって冬海の前へ立ったのはエグムである。
 さて――エグムの表情が一変した。
 青玉色の双眸からいっさいの温もりが消えた。
「イケませんね? キミには未だ早いですよ? それとも」
 エグム独特の丁寧な口調がかえって怖ろしく感じる。そこに甘さはなく、嗜虐を好む危険な香りさえ孕んでいた。
 けれど、エグムは引くことはなかった。彼女を引き戻すのが仕事なのだから――。
 腰を折り、端正な顔を冬海へ近づけ、口元だけで笑う。
「将来の予習をしたいのでしょうか? それなら――私がお相手しまししょうか」
 濡れそぼつ赤い実のような唇の上を、エグムの指がなぞる。
 ぴくり、と冬海の眦がひくついた。すぐにエグムは彼女の頤を摘んで確認する。しかし、冬海の長い睫は作り物めいた頬へ影を落とすばかりだった。
 眉を顰め、自らの策も失敗だったかしらと懸念したエグムだが、その頬には確かな生気が戻りつつあるのだった。
 そこへ武人が入ってきた。
「ここはもう医者へ頼るのが良策なんだろうか。あのような破廉恥な本を読んだりするから」
 武人の言う破廉恥な本というのは、エグムが見ることを拒んだ例の書物の事だった。
 窓辺に立ったエグムは、少し風を入れましょうと言いながら硝子窓を開けた。夏らしい熱を含んだ風が部屋いっぱいに広がる。
「妹御の部屋に手配りいただいて感謝いたします。私塾という曖昧な表現であったのに、よくここまで似せてくださいました」
「そういってもらえると俺も嬉しい」
 エグムは、武人の気配りを褒めることで冬海から気を逸らせる事に成功した。部屋に冬海だけを残し、エグムは武人を連れて退室した。
 開放された窓をちらりと見遣り、「後は任せましたよ」と小さく呟き扉を閉めた。
 閉じたドアの向こうでは、
「さあ、迎えに来ましたよ、冬海殿」
 金色に輝く青年が、白磁の人形の手へキスを落としていた。


 聖職者が住まうだけあって、教会の客間とはいえ質素であった。それでも冬海の為に小さな茶会をエルディン・バウアー(ib0066)は開いた。
 彼の頬がずっと赤いのは例の本を読んだからである。冬海を夢の住人へと仕立てた原因を探る為――これは興味本位などではないのです、と慌てて神に懺悔するエルディン。
「冬海をイメージしたお茶、淹れんだろ?」
 動けない冬海を支える為に従者を装って同行していた羽喰琥珀(ib3263)が憮然と声をかける。
 そうでした、と厨房へ消える神父を尻目に琥珀の様子も変わる。
 柔らかなクッションを背もたれにして、やはりぼんやりとどこか遠くをみつめる冬海へ、ずい、と一輪の薔薇の花を差し出した。
「これ、一輪だけだけど、冬海姉様に似合う花だと思って。気にいってくれるかな?」
 棘をひとつ一つ取ったらしく、琥珀の指は傷だらけだった。いつもの冬海なら、ここで琥珀の傷を気遣い、差し出された薔薇を受け取ってはにかむのだが――朝露に濡れた野苺の唇と、熟れた桃のようにほんのりとピンク色に染まった頬だけで、未だ冬海が物言わぬ人形である事に変わりはない。
「冬海姉様、前に俺の事『いつも応援するから』っていってくれたのに‥‥」
 琥珀の両手が、遠慮もなしに冬海の頬を包み、
「もう、俺を見ちゃくれないの?」
 肉厚の耳をシュンと下げ、黄金に光る瞳で上目遣いにみつめた。冬海の返事を待ったが、彼女は夢の中に現れる、誰とも知らない人物と楽しんでいるように見えた。
 琥珀は一度俯いて、そして面を上げた。瞳に強い火を灯し、
「愛して欲しいなら、沢山愛してあげる。もし苛めて欲しいなら‥‥――優しく、でも泣くほど苛めてあげる。やめてっていっても、やめてあげない」
 突き放す口調ながら、どこか楽しんでいる声が冬海の耳殻をくすぐる。
 彼にもこんな色香が備わっていたのか、と紅茶を運んできた神父は目を瞠った。
 置き人形のようだった冬海がゆるりと顔を動かし、耳元で囁いた琥珀をみつめる。
 その瞳にはまだ別の誰かが映っているようだったが、それでも琥珀は喜んだ。
 テーブルへ茶器とアップルタルトを置いたエルディンが、片目を瞑りながら、次は私の番ですと微笑む。琥珀は口吻を尖らせたが、すぐに席を譲った。そんな琥珀を追う仕草を見せた冬海の横へ腰を下ろしたエルディンは、
「貴女の喜ぶ顔が私の喜び、今日は私のためにいつものように愛らしい笑顔を見せていただけませんか」
 向かい合わせるように座り直し、左手は自らの胸へ宛がい、右手は琥珀を目で追う冬海の頬へと添えた。
 貴女をイメージしたお茶です、とオリジナルブレンドのハーブティーを指してみたが、戻ってきた冬海の視線はどこか覚束ない。声だけを認識し、その主を探しているといった風である。
 まったくの無反応であった吉野邸での彼女を思えば、これは良い傾向だった。
「教会は初めてですか?」
 せっかく淹れた紅茶が台無しにはなるが致し方ない。それでも神父の表情は晴れやかである。もう一度冬海を抱き上げ、客間を出た。礼拝堂に始まり、司祭室、懺悔室、香堂と案内した。大人しく抱かれるままだった冬海だが、エルディンには少々不思議な反応を見せた。
 野苺の唇が何度も同じ言葉を象るのだ。エルディンは興味をそそられて耳を近づけた。
「神父さま‥‥奉仕の愛‥‥神父さま、奉仕の愛」
 思わず、ぐっと喉を詰まらせたエルディンだったが、奉仕作業もまた神父の仕事であるから間違ってはいない。エルディンは例の本を読破しているので、正当な解釈ができないのだ。悲しいことに――ではそれを逆手に取ろうとエルディンは思った。
「私に奉仕させたいのですか、冬海殿。ではどうぞ、その愛らしい口でお願いしてみてください」

 そんな様子を覗き見る男がいた。エグムの策謀に気づき、教会を探し当てて忍び込んだ武人である。
(「――んあっ?!」)
 武人の衝撃はいかばかりか。
 柔らかな日差しのように冬海を抱擁し、愛を語る――もちろん冬海を現実に戻す為である――エルディンが今回の依頼を引き受けた開拓者の中でもっとも危険人物かと思っていると、そこへ颯爽と登場してきたのは、武人自身初めてだと断言できる程の見目麗しい二人のエルフの青年だった。
「フユウミ、可愛いっ!」
 と、頬をぐりぐりと摺り寄せるのはルシフェル=アルトロ(ib6763)。
「ルー‥‥。お前何してるんだ‥‥」
 すかさず彼を足蹴にしたのはミカエル=アルトロ(ib6764)だった。
「いい雰囲気が台無しです」
 ルシフェルから冬海を取り返すと、次はミカエルに倍の力で奪い取られた。
「こっち来いよ‥‥二人より‥‥夢よりお前の全部をたっぷり愛して‥‥苛めてやるから」
 神父と二人の美麗な青年の間を往復する内に、冬海がぐったりとし始め、エルディンは降参したようにソファから立ち上がった。
 その隙を見計い、ルシフェルは冬海を抱え上げて懺悔室へと駆け込んだ。
 一瞬の出来事である。
(「やっぱり二人きりになりたいじゃん?」)
 一向に悪びれていないルシファーだった。
 狭い懺悔室の中では否応でも密着度は増す。涼しげな縹色に、桜色に染め抜いた千鳥が散らされた正絹の着物で着飾った等身大のお人形――冬海の抱き寄せて可愛がるルシファーのそれは本当に人形を愛でるものだった。
「やっぱりフユウミは可愛いね。ふわふわしててお菓子みたいで」
 ふっくらとした唇をつつき、
「柔らかそうだし甘そう」
 つんと尖った鼻の頭を舌でぺろりと舐め上げた。これには夢の住人冬海も予想できなかったようで、「ん」と反応を見せる。
 この様子にルシファーは気を良くし、
「ねぇねぇ、夢の世界より俺がもっと楽しい事教えてあげるよ?」
 冬海の両手を強く握り締め、屈託のない笑顔のまま、けれど少し深いくちづけを少女の手へと落とす。
 だが反応もここまでだった。一歩前進してはゆっくりと後退する。その繰り返しだった。
 ルシファーは奥の手のようにミカエルとの関係を相談してみる。もちろん覚醒していない冬海からの回答なんぞは期待していない。相談内容で覚醒を試みるのだ。
「ミカちゃんって俺に優しくない〜。でも、蹴られても、それがミカちゃんの愛情表現なら大歓迎だよ〜。血の濃さが絆の太さなんだ。だからミカちゃんが望むならいくらでも俺は耐えられるのに、そうすると引いちゃうんだ、ミカちゃんは。わざとなのかな〜、意地悪だよね〜」
 冬海が好みそうな禁断の愛辺りを狙ったのだが、果たして結果はいかに。

 かくも美しいエルフの顔を美麗に曇らせたミカエルは、懺悔室の前で策を練っていた。
(「あいつ‥‥。─―禁断に反応するのか‥‥?」)
 残念そうに姿を現したルシファーの胸倉を掴み、
「“独占欲はおれにもある。なに、たった一度のキスだけで許してやるさ”」
 脳裏に、ここは教会なのだがなという思いが走ったが構わずルシファーを引き寄せた。これは吉野冬海という少女を夢の世界から救う、重要な依頼遂行なのだと大義名分を掲げつつ、ミカエルは弟のそれに――
 数秒間の沈黙の後。
「‥‥っ。これで満足か‥‥?!」
 ミカエルが見た冬海は、恍惚の表情を浮かべていた。目の前で思わず手を振ってみた。左右に振れる手を目が追っている。覚醒したのだ。
 双子は高々と掲げた互いの右手と左手を合せて喜んだ。これで任務完了である。
 しかし、喜んだのも束の間。冬海はまざまざと見せられた禁断の愛を引っさげて、夢の国へと戻っていたのだ。
 一同、暗い表情で教会を出発した。
 途中、川原に差し掛かったところで太陽が沈み始めた。燃え上がるような橙色に、皆が目を細めた時である。
「俺と一緒に来てくれ!」
 息を切らして一行の前へ飛び出したのは、クロウ・カルガギラ(ib6817)だった。
 またしても連れ出される妹を追い縋る武人を尻目に、クロウは冬海を軽々と抱き上げて駆け出した。
 後ろは振り返らず、目指すは昼間に目星をつけておいた展望台だ。
 展望台といっても沈む夕日を遮るもののない、小高い丘である。
「この景色を君に見せたかったんだ!」
 頭上の空はすでに藍色に色を変えており、無数の星が瞬いていた。下方へ向かう程に猩々緋、紅緋、橙のグラデーションで夕空が染まる。
 冬海を草原に座らせ、倒れないように彼女の背へ回りクロウは腰を下ろした。大きく足を広げた中に、冬海をちょこんと座らせている。背中越しに抱き締めると、クロウは盛大な溜息を吐いた。
「馬鹿な真似をしてすまない。でも、俺みたいな男が冬海さんに近付くには、こうでもするしかなかったんだ」
 勢いに任せた自らの行為を恥じたように言ったが、
「冬海さんの笑顔が、俺以外の見も知らない相手にしか向けられないなんて、俺は嫌なんだ。だから冬海さん、帰ってきてくれ。そして、俺を見てくれ!」
 されど溢れる情熱は抑えられないのだと、冬海の肩を強く抱いた。無論芝居であるが。
 肩に額を押し当て、切なげに、且つ熱の含んだ言葉をクロウは吐く。
「冬海さんの笑顔を見た時、砂漠の夜を優しく照らす月のようだと思ったよ」
「‥‥えと」
「ん?」
 クロウは顔を少し浮かせた。視線を斜めに移す。そこには耳まで真っ赤に染めた冬海の顔があった。
「目‥‥醒めて、た?」
 冬海はこくりと頷いて、じつは教会の中で気づいていました、と打ち明けた。
 夜の帳が下りてきて、二人の姿が影絵のようになっていたが、恥ずかしさのあまり俯いているシルエットはなんとも微笑ましいものであった。