【黒塚】この手に残る物
マスター名:シーザー
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/01/20 22:01



■オープニング本文

 いつもと同じ朝がきた。
 窓の桟越しに見える景色は、灰色の空と葉がすべて落ちた庭木。時折やって来るカラスが気味の悪い声で鳴いては、表で遊ぶ子供等を驚かせていた。
「奥様」
 襖の向こうから、しわがれた老女の声がした。
「食事なら、今はいいですよ。食べたい気分ではないから」
 奥様と呼ばれた湖住輝夜は、病的に細い指先で掛け布団の端を摘まむと、頭からすっぽりと被ってしまった。
 曇天のせいか、夜が明けたようになく、それが殊更輝夜の気分を沈ませている。襖の向こうで沈黙が起きたが、それも束の間で、
「八尋様がせっかく昇進なさったのに、それを祝って差し上げようともしないなど、いちは情けのうございます」
 毅然とした声が、輝夜を叱咤した。
 だが輝夜は固く口を閉ざしたまま、いちへ反論しない。老女は続けた。
「本家直臣の中から、五色老へ抜擢されたのは、先代様の功績があってこそではございませんか。これまで五色老といえば道明寺の親族様内からしか選ばれぬというものを、椿様直々のご指示で湖住家が選ばれたのですぞ。どうぞ、お喜びなさいませ」
「“功績”? 死んだ後に得る名誉なんて、私には無価値でしかない。私に残された旦那様の唯一のものは、このスズだけ」
 輝夜は、布団の中ですやすやと猫らしからぬ寝息を立てる三毛猫の頭を撫でた。
 湖住の先代、智之は小幡邸で起こったアヤカシとの戦闘で命を落としたのだが、先陣切っての武功を椿に認められ、跡を継いだ八尋が緑青へと抜擢されたのである。――が、輝夜は夫を失ってから床に伏せるようになっていたから、異例の抜擢とも言える息子の昇進を喜べなかった。むしろ、より戦に近しいところへ連れて行かれたとさえ思っていた。
 許せなかった。
 野心などない八尋が緑青入りを承諾したのは、偏に当主絶対主義者だったからだが、それを見越してのお声掛かりだということが輝夜には殊更腹立たしいのだ。椿に利用されている――そうとしか思えなかった。
「私から離れないのはスズといちだけ」
 床の中で、スズをぎゅうと抱きすくめると、猫は苦しそうな声で鳴いた後、輝夜の腕の中からするりと逃げ出した。
「あ、スズ」
 三毛猫は呆れたような顔で振り返ったが、何かの気配を察し、背中の毛をぶわっと逆立てると瞳孔を細めて庭を睨んだ。尾が使い古しの竹箒みたいに太く膨らんでいた。
「シャーッ」
 歯を剥いて威嚇の声を上げ、庭の茂みに焦点を定めて上体を低く構えた。
 輝夜がとっさに手を出してスズを部屋へ引き戻そうとしたが、遅かった。跳躍した猫の尾の先すら掠ることもできず、輝夜の指は空を掻く。
「奥様!」
 がらりと襖が開く――スズが庭へ飛び降りる――それらが瞬く間に起きて。
「スズーッ!!」
 茂みからのそりと姿を現した異形の狼へ、猛然とスズは飛び掛った。二匹はもつれあうように庭を転がり、塀を乗り越えたスズを追うように狼も地を蹴る。
 輝夜は布団から飛び出し、裸足のままで庭へ飛び降りた。
「あの子‥‥スズを‥‥誰か、誰かアァァァッ――――ッッ」
 夫を亡くした女の絶叫を掻き消すように、数十羽に膨れ上がった一つ目カラスが一斉に鳴いた。
 


■参加者一覧
天津疾也(ia0019
20歳・男・志
北條 黯羽(ia0072
25歳・女・陰
犬神・彼方(ia0218
25歳・女・陰
ルオウ(ia2445
14歳・男・サ
斎 朧(ia3446
18歳・女・巫
菊池 志郎(ia5584
23歳・男・シ
雲母(ia6295
20歳・女・陰
藤吉 湊(ib4741
16歳・女・弓


■リプレイ本文

 嫌な雲が黒塚の空を覆っている。
 依頼人である輝夜はショックのあまり引き篭もっていたが、「貴女様の大切なスズを救いに行かれる方を見送りせぬとは恥でございましょう」といちに叱責され、真っ青な顔で玄関先へと姿を現した。戸を掴み支えなければ立っていられないようで、戸を掴む指さえも目に見えて震えているのがわかる。
「心配すんなよ!必ず連れ戻してくるからさ!」
 ルオウ(ia2445)は大きく胸を叩いて見せた。不安がないかと言えば嘘になる。だが疑ってはならないのだ。それを少しでも表へ出せば、弱りきった女性の心を壊してしまう。
 ルオウは努めて笑顔を見せた。
「でも出来れば、飼い主からの使いって判るようになんか匂いのついたもんないかな? そういうのあった方が安心させられると思うし」
 そう言うと、いちは一旦奥へ戻ると、「これは奥様とスズがいつも遊んでいるおもちゃです」と中から鈴の音が聞こえる拳大の鞠を持って出てきた。
 ルオウは無くさないように大事に胸元へそれを仕舞い込み、一礼して家を出た。表では仲間達が遠くで霞む山を指差し、話し合っていた。

 一行は、黒塚を取り囲む塀から出ると、すでに聞いていたスズとアヤカシが駆けていった方角に的を絞り、索敵を開始する。
「猫といえど、大事なぁ奴を助けようとする心意気はぁ立派なもんだ‥‥だから、今度ぉは俺達がその猫を助ける番だぁな」
 索敵の為、弦をかき鳴らしている雲母(ia6295)から少し離れた場所で、犬神・彼方(ia0218)が紫煙を吐き出し、呟いた。
 前方には、葉が落ちたおかげで寂しい限りの森が灰色に煙るように佇んでいた。
 居住区からずいぶんと外れ、人の気配のない周囲はどことなく不気味である。
「あれま、忠犬ちゅうのはよく聞くが忠猫っちゅうのは珍しい話やな。とはいえ相手が悪すぎるわ。さっさと助けんとやばいやろうな」
 額のところで手を翳し、両目を眇めて森をみつめる天津疾也(ia0019)は、僅かに口元を歪めた。
 策敵していた雲母の眉尻が、ぴくりと上がる。顎をしゃくり、前方の森やや右手を指し示した。
「およそだが、こちらの方角だ。進めばおのずと鴉共の姿も見えるだろう」
 一斉にみなの視線が先をみつめた。確かに何者も目視はできないが、雲母の策敵能力を鑑みれば間違いはあるまい。
 互いの顔を見合わせると、まずは対一つ目鴉の班が先行した。天津を先頭に雲母、互いに息も届くかという距離で斎朧(ia3446)と藤吉湊(ib4741)が並走する。
「アヤカシの居るトコにゃ猫、猫の居るトコにゃアヤカシが居る」
 ぽつりと呟いた嫁、北條黯羽(ia0072)を犬神が横目で見遣り、「そうだぁなぁ」と答えた。
 二人の脳裏には相対する猫と妖狼、樹上よりそれを見張るあざとい一つ目鴉の群れが浮かぶ。
 葉が一枚ひらりと舞った刹那、二人は同時に地を蹴った。小さな砂煙を残して。
 二番手に飛び出したかに見えた犬神と黯羽だが、二人より少し前に駆け出した男が二人居る。スズ保護に燃えるルオウと菊地志郎(ia5584)だった。
 足音を忍ばせつつ、雲母が指した位置へ急いだが、溢れる殺気ばかりは押さえられなかった。敵との距離が近づけば存在は知れるだろうことは百も承知。ルオウの胸中を占めていたのは、必ず連れ帰ると約束した時に見せた輝夜の縋りつく目だった。懐にしまったスズのおもちゃを握り締め、草の茂る前方を睨んだ。
 更に位置特定の為に超越聴覚を施しながら、志郎は駆けていた。アヤカシの生臭い息の音も、スズの小さな唸り声も漏らさず聞くつもりだ。もいろん上空への視認作業も怠らない。
 開拓者が山中へ飛び込んでから、程なく。事態は動いた。

 先に動いたのは一つ目鴉の方だった。見張り役の一羽が鳴いて知らせると、樹上に止まっていた仲間が一斉に飛び立つ。常に動いている標的を正確に撃ち落すのは厄介だが、黙って手を拱いている程こちらは気長ではない。
 瞬時に敵数を把握し、連携させじと群れの只中に天津が飛び込んだ。斥候役の一羽が滑空してくる。腰を落とし、鯉口を切って天津は身構えた。血のように赤い目が滑るように近づいてきたところを切り払う。鋭角的に突っ込んで来た鴉はその一撃によって斬り伏せられたが、天津の頬に一筋の流血を残した。
「ちぃとはやるようやが、惜しいなぁ」
 親指を傷口に押し当てるようにして血を拭った。
 無遠慮に、その天津の頭上を掠めた衝撃波は、ただ一直線に空へと伸び、滞空して様子を窺っていた鴉を薙ぎ払った。口笛を吹きながら天津が振り返ると、事も無げに二羽の鴉を粉砕した雲母が立っている。闇色の瘴気が、雲のようにたゆたい、やがて消滅した。
「とっとと殲滅するぞ」
 雲母の視線の先を追うと、妖狼と相対する犬神、黯羽がいる。二人はなにかを庇うように立っていた。
 視線を移動させると、彼らと同じ方向を向いた志郎が、暁を逆手に構えて立っていた。そのすぐ後ろ――志郎の膝辺りで見え隠れする、焔のように赤い髪はルオウだ。彼が身を屈ませているということは、下の茂みにスズが身を潜ませているといったところか。
 これらを瞬時に把握し、対鴉班は一刻も早い殲滅の必須を頷いた。
「あちらは犬神さん夫妻にお任せして‥‥清浄の炎で空を焼き払います」
 薄く開いた瞼の下で、朧の紫水晶の瞳が凄烈な光を宿してアヤカシを睨めつけた。張り付いた笑顔が一層怖い。
 呪を詠唱し、フロストクイーンを掲げ上げる。白銀の髪はゆらゆらと陽炎のように揺れ、やがて弾けるように炎が噴き出した。まるでそこに道でもあるように、浄炎の焔は滑るように宙を這い登り、鴉を焼き殺す。
 スズ確保の報は未だ入らない。
 だが開拓者達は実に落ち着いて、一手一手、一撃一撃を確実に敵へと命中させて片付けていく。
 空を飛び交う一つ目鴉の狙いを定め、湊が矢を番える。片目を瞑り、鏃を向けて鴉を追った。ここだ、と思った瞬間、視界に赤い髪が入る。瞬時に五文銭を使って精度を上げた。そこに一切の迷いはない。
「弱いもの苛めはあかんよ! 相手はこっちやで!」
 思わず湊が吼える。
 その声に、大剣を背から生やしたような妖狼が耳を数度ヒクつかせた。落ち着いても見える様子だが、鋭く放たれた黯羽の斬撃符を回避するために大きく後方へ跳び退った際には、裂けた大口から涎と思われる粘液をだらりと垂れさせ、おぞましさも倍増になる。
「こっちもぉ犬の名前を背負ってるんでぇね。狼アヤカシなんぞに負けらんないんだぁよ」
 皮肉たっぷりの微笑を浮かべた犬神が、咆哮で敵の注意を己へと向けさせる。黯羽の先手ですでにヤツの頭は怒りに支配され、力の差に気づけないでいた。
 図体の大きさがそのまま強さと成り得れば、巨躯を誇る妖狼は相当のものだが。
 知能もやはりヒトに及ばず。食い意地の張ったバケモノ故に、目の前に現れた人間達は大層美味そうに見えただろう。
 確かに小さな三毛猫なんぞよりも、目の前の男女の方が喰い出がある。それはけして間違ってはいないが、如何せん相手が悪すぎた。
 勝てる――食えると踏んだか。
 犬神の後ろへ下がった黯羽へ妖狼が飛びかかる。臭い涎を撒き散らしながら、牙を剥く狼。噛み砕かれることはなかったが、右前足の打撃を黯羽は喰らう。大きく湾曲した爪が、彼女の二の腕から肉を抉り取ったのだ。
 バタタ、と落ち葉の上へ激しく流血する黯羽。
「そぉう来たかい、こぉのゲス野郎ぉ」
 狼の着地点を先読みした犬神の十字槍が、待ち受けるようにして得物の足を斬り落とす。地面に転がったの右前足だった。仕舞えずに固まった爪の先には黯羽の肉片が付着したままである。
「ただぁじゃ、死なせねぇよぉ」
 目に見えるほどの殺気が、犬神の全身を包んだ。
 それに気づいた朧は、黯羽の負傷を知り、駆け寄った。

 一方――。
 茂みの中で、スズは全身の毛を立て、目の前に現れるものすべてを威嚇した。小さな虫にすら過剰に反応している。興奮の度を越え、すっかり我を失っていた。
 ルオウは身近に猫股がいる経験上、昂ぶった猫へうかつに手を出せばどうなるかを知っていた。もちろん危害を加えてくることは想定内であるが、今もっとも恐ろしいのはパニックを起こしたスズが、戦闘中の最中へ飛び出されることだった。
 それは絶対に避けなければならない。ならいっそ、自身の腕を差し出し、噛ませておけばいい。ルオウは背水心を持ってスズの前で膝をついた。
 不動で全身を硬質化させる。
「スズだろ? 俺は味方だ! 助けるから頑張れ!」
 大声は厳禁だ。却って興奮させてしまう。ルオウは静かに、必死に声をかける。
 襟元から預かってきたスズのおもちゃを取り出し、伝わると信じて説得を繰り返した。コートをそろりと脱ぎながら敵意がないことを訴える。膝で擦り寄って徐々に距離を縮め、スズの澄んだ翡翠色の瞳が間近になった時、コートで彼女の全身を一気に包んだ。
 小さな牙が二本、腕に食い込んだが痛みはない。それは不動のおかげだが、無事に保護できた喜びが一番の理由だとルオウは思った。
「スズは無事でしたか?!」
 問う志郎に、茂みから枯葉まみれで出て来たルオウは、「元気も元気!」と明朗な声で返した。そのままルオウはスズを胸に、退避する。
 その頭上へ黒い嘴が突き刺さらんと襲い掛かった。伏せて、と志郎が叫び、疾駆する。スズを守るように背を丸くさせ、ルオウが前方へ転がった。一つ目鴉の嘴が緋色の髪を掠めた旋回して上昇しようとした刹那、
「いけないですよね、本当に」
 一人ごちる志郎の言葉は鴉の上から降り注いだ。
 クァ、と奇妙な声を発してすぐ、アヤカシの黒光りする羽がそこら中に散らばった。タタタ‥‥ッと軽やかな音を立てて、志郎が投げて寄越した手裏剣は、一つ目鴉の全身を切り裂くと、志郎の対角線上に立つ枯木の幹へと刺さった。
 着地した志郎の頭上で、派手な爆音が起こる。雲母のバーストアローが遠慮なく大木の先端ごと鴉をふっ飛ばした音だった。
「あの猫を届けんといかんのでな。さっさと刀の錆になってくれや」
 天津の大きな声も届き、言い終えると同時に放たれた雷鳴剣が、志郎とルオウのいるこちらへ向かい、低空飛行していた一羽を叩き斬った。

 黯羽の呪縛符で動きを封じられた妖狼は、ドス黒い瘴気を傷口から立ち上らせながら、対峙する開拓者へと咆哮した。
 少なくはない手傷のひとつから流れる血を手の甲で拭いながら、狼の退路へ立つ犬神。その顔は不敵に歪む。
「トドメはぁ鬼切でぇ一気にやっちまおうかぁな」
 槍をくるりと回転させ、背に隠すようにして地を蹴る。覇の一撃を地面すれすれの位置から繰り出した。犬神の腕が振り上げられた時には、狼の身体は動くことも叶わず。すでに黯羽の呪縛符の効力は消えていた――つまり――
 ずるりと躰の中央がズレ、左右へと離れると地面へ倒れた。

 このアヤカシ退治は見廻り組に知られてしまったが、輝夜の事情には同情される部分も多く、問責されることはなかった。
「なんとも大人しくしてほしいなぁ」
 雲母の手には次々と新しい噛み傷が出来上がる。未だ興奮冷め遣らないスズが、強さこそ徐々に弱まっていくけれども、雲母の指やら甲やらをガブガブガブガブ‥‥と噛んでいた。
 生きて戻ってきてくれた。その喜びは大きく、縁側から庭にいるスズをみつめる輝夜の顔色は、完全とまではいかないが良くなっていた。
 志郎がおずおずと輝夜の側に腰を下ろした。
「今回のことでもうおわかりと思いますが、スズもいちさんも心配しています。だから、貴女のことを守りたいと思っている人達の為に、どうかお気持ちを強く持ってくださいね」
 少なからず黒塚と関わったことがある志郎は、複雑な思いに駆られた。彼女の夫が死んだあの戦闘には、自分も最前線で戦っていたのだ。
「輝夜さんの気持ちは、きっと上の方にも伝わりますよ」
 彼女の表情が一瞬沈んだように見えたが、それ以上は言わなかった。同じように黒塚に関わった朧が、今ごろ道明寺を訪ねているはずだ。誤解は疑念を生み、深い恨みへと摩り替わるだろう。それを避ける為に朧は椿の元へ走ったのだ。
 落ち着いたらしいスズが、自分の低位置である輝夜の膝の上へ駆け戻って来た。すっかり落ち着いた様子の彼女は毛づくろいを始める。それを愛しそうに眺める輝夜。
「久しぶりに実家に戻ってみるかな〜」
 そう呟いたのは湊だった。
 理穴出身の彼女には、今回の依頼が他人事のようには思えなかったのだ。だいじなものを守る、その一点が彼女を突き動かしたのである。
 黒塚は理穴寄りだから帰られないこともない。ふふっと笑った湊はぴょんと縁側を飛び降り、ぐうっと伸びをした。
 それでもまだ、空は曇天で晴れてはいなかった。