【HD】声が聞きたくて
マスター名:シーザー
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/11/13 18:48



■オープニング本文

※このシナリオはハロウィンドリーム・シナリオです。実際のWTRPGの世界観に一切関係はありません


 ご主人様。
 ご主人様。
 
 起きてください、ご主人様。

 レイ・ランカンは聞きなれない呼び声をかすかに聞きながら、寝返りを打った。
 昨夜はとつぜんの雷雨に襲われ、大事を取って玉紅と共に手近な村へ降りるとそこで宿を取った。宿といっても龍である玉紅が宿泊できるはずもなく、泣く泣く別れて眠ることになったのだ。
「ご主人様ったら、あたし、とってもいい事を考えたんですっ。見てください、ねえご主人様ぁ」
 ゆっさゆさと全身を激しく揺さぶられてレイは目を覚ました。
 視界にあるのは、眠る前に見た安い宿の染みだらけの天井と、頭に大きな花飾りをつけた見慣れない少女だった。
「そ! そなたは誰だ。なぜ我の部屋にいるっ」
 寝台の上で、びょんと飛び起きたレイは少女を指差して詰問した。するといきなり少女は大粒の涙を流し始め、
「うきゅぅ。ご主人様はあたしがわからないんですかぁ?」
 凝った刺繍が施された泰独特の服を纏っている。――が、それだけではわからない。
「きっとまたご主人様は小さくて可愛らしい動物に心が移っているのですね。裏切り行為ですぅ。うきゅ」
 合間に聞こえる“うきゅ”という独特の発音には覚えがあった。
 だが、それはヒトではない。
 龍なのだが――
 そんなまさかと疑いつつも、レイは恐る恐る訊ねた。
「ユ、ユウ、ユウホンなのか?」
 玉紅かと訊ねたら、彼女は大きく頷いてレイに飛びついた。
「やっと通じ合えましたっ。これでもうご主人様は玉紅以外に気持ちは移ったりしませんね! うきゅっ」
「!」
 少女に抱きつかれ、宝玉の如く身を硬くさせるレイ。
「どうしました、ご主人様。いつものように顔を近づけて、鼻を擦ってはくださらないんですか?」
 それはそなたが龍だからだ、と言いたくても唇も硬直しているので伝えられない。しかも、この玉紅だと言い張る少女はレイよりも長身だった。
 自分よりも背の高い少女の腕に抱きしめられて、レイの、いろいろなプライドは朱春甘栗のように弾け飛んだ。
「待て待て玉紅。それよりも、宿の外にはそなただけではなく、他にもいたはずだが。彼らはどうしたのだ」
「うきゅ?」
 首を傾げると、玉紅の長い黒髪はさらりと敷布の上へ流れた。
「他の仲間もみんなあたしと同じ姿ですよ、ご主人様」
「みんな、だと?」
 はい、と玉紅がにこりと答えると、隣室から悲鳴が聞こえた。
 玉紅と同じように、主人に抱きついた龍や忍犬や‥‥もふらでもいたのだろう。
 頭を抱えるレイの腕を取り、玉紅ははしゃいだ声をあげた。
「いつもは身体が大きくて並んで街中を歩くことができませんが、これなら大丈夫ですよね! これ、玉紅の一番の願いだったんですから」
 ずれたレイの仮面を直すと、玉紅は力強く主人を引きずりながら部屋を後にした。腕力まで通常の女性並みになったというわけではないらしい。

 宿を出ると、そこは橙色に煌く摩訶不思議な祭が行われていた。
 親子のような恋人のような、不思議な二人組がいくつも出来ていて、村の中央広場を埋め尽くしている。
「とりあえず玉紅はなにがしたいのだ」
「歩きながらおしゃべりがしたいです。おしゃべりはキライですか、ご主人様」
「玉紅がしたいことをしよう。我は玉紅が喜んでくれることをしたい」
「うきゅ」
 初めて聞く相棒の声を愛しく感じながら、玉紅の手を取ったレイは賑やかな輪の中へと飛び込んだ。



■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067
17歳・女・巫
伊崎 紫音(ia1138
13歳・男・サ
キース・グレイン(ia1248
25歳・女・シ
神凪瑞姫(ia5328
20歳・女・シ
菊池 志郎(ia5584
23歳・男・シ
白藤(ib2527
22歳・女・弓


■リプレイ本文

 暖かな橙色の灯りに包まれて、はしゃいだ笑いと歓声に満ちた広場の上を――時が静かに流れていく。

 菊地志郎(ia5584)は、上機嫌な顔で鼻歌混じりに広場の石畳を跳ねていた。その少し後ろを壮年の男が従い歩いている。神経質なまでに整った袴姿から滲み出る厳しい雰囲気は、サムライのように見えた。そのほとんどを白髪に変えた灰青色の髪が小さく揺れ、足が止まった。
 ついて来るはずの駿龍――今は人形を取っている隠逸の足音が止んだ事に気づいた志郎が振り返ると、老兵は連なる提灯をじっとみつめていた。
 自分達のいる不思議な空間に戸惑っている風には見えない。ましていつもの龍から、志郎と同様の姿形へと変化してしまっていることにもさしたる感慨を受けているようには見えなかった。
 祭で賑わう広場の向こうは、靄がかかって見通せない。志郎は隠逸の横へ駆け戻ると肩を並べた。
「不思議な光に溢れたお祭ですね」
「‥‥」
 ちらりと盗み見た藍色の目に、鮮やかな色彩の祭りが映りこんでいた。右目には縦に伸びる傷跡があるけれど、左と同じ風景が右目にも映るのだろうかと志郎は思った。
 志郎の視線に気づいた隠逸は顔を動かさぬまま左目だけをこちらに向け、いつもの気難しい表情を少しばかり和らげた。その小さな変化と心の声は志郎にしかわからない。
「はい、南瓜を顔に見立ててくり抜いた提灯、面白いですよね。ジルベリアから伝わったそうですよ」
 首を傾げ、前方を指差した志郎が足を踏み出すと、隠逸もまた歩き出した。
 相変わらず見上げるほどの位置に隠逸の顔はあるのだが、いつもと違う感情が胸を覆う。彼の顔を見ては目を逸らし、また見ては逸らすを繰り返しながら、志郎は延々と続く屋台の前を歩いた。
 照れ隠しのように、
「ジルベリアの食べ物も売っていますね。先生、鶏の香草焼きと南瓜のパイ、どちらがいいですか?」
 急いたように財布を懐から取り出して訊ねた。
 隠逸はただ黙って視線を返すだけである。
「鶏ですね、買ってきます」
 声に出さずとも、隠逸の考えを志郎は理解できた。
 持てるだけの鶏を買って戻った志郎は、広場を見通せる高台へ移動した。吹き抜ける風の心地よさと香ばしい鶏を隠逸と共に味わう。
 はむ、と鶏にかぶりついた志郎の口端に油がほんの少し付いたが志郎は構わず、
「不思議ですね‥‥。先生と話したいことがたくさんあった筈なのに、実際にこうなると一緒にいるだけで満足なんです」
「‥‥そうか」
 隠逸の低い声が柔らかな笑顔と一緒に志郎へと降ってくる。節くれだった指が伸びて、志郎の口角に付いた油を拭うと、志郎は真っ赤な顔で「子供みたいだ」と俯いた。その視界にイチャつく見知った顔をみつけた。レイと玉紅と思われる美貌の女性だった。
(「レイさんにとって玉紅が一番なように、俺にとっても先生が一番です」)
 普段あまり激しい感情を露にしない志郎だが、珍しく対抗意識が働いたようで、顔を跳ね上げるとぐっと掌を握り込み、呪文のように隠逸の素晴らしさを唱え出したのだった――けれど小声なところが志郎らしい。

「他の龍も、人間になっているんですね」
 少女かと見紛う容貌の少年、伊崎紫音(ia1138)が感心したように呟いた。
 紫音の傍らには、揃いの巫女服に身を包む幼い女の子が佇んでいた。肩で切り揃えられた人形みたいに愛らしい少女は、紫音の手を強く握り締めていて、祭客とすれ違う度にオドオドと紫音の後ろへ身を隠した。
「はぐれてはいけないから、絶対に手を離しちゃダメだよ?」
 幼女へ姿を変えた炎龍の紫と握り合う自分の手へ、片方の手を添えながら紫音が言うと、紫は切り揃えられた髪を上下に揺らして頷いた。
 安心したように目を細めて紫音は笑った。扇ぐように頭上を飾る提灯群を見渡した後、
「綺麗ですね。ゆっくり、見て回りましょうか」
「うん」
 大きく頷く紫を促すように、紫音は手を引いて祭りの喧騒へと足を向けた。
 トテトテ、とついて歩く危うい紫の為に人の多い場所は避けて歩く。頭ひとつ分しか違わない背丈だが、せがまれる度に彼女を持ち上げ(見かけは少女のようだがやはり紫音は男の子である)人垣の向こうで行われている大道芸を見せたりしていた。
「ん? 紫、どうしたんですか?」
「あれ。れーとゆー」
 紫が指差した先で、泰拳士のレイと人間に姿を変えた玉紅が睦まじく歩いていた。見方を変えればレイが玉紅に引き摺られているだけとも言うが。
 あまりに真剣な表情で二人をみつめる紫に、
「羨ましい?」
 この問いに紫はきょとんとした顔を向けた。刹那、花が咲くように少女が笑った。
「紫は、しおとお話できて、すごく嬉しい」
 陶器の人形みたいに色白の頬をほんのりと赤らめて、紫が答えた。
「新しい髪飾り‥‥探してみましょうか」
 艶やかな紫の髪の上で揺れる羽根飾りを指先で軽く弾いた。
「紫が喜んでくれると、ボクも嬉しいです」
 真新しい髪飾りをつけて、はにかみながら喜ぶ本来の姿が頭に浮かんだ。炎龍の大きな頭蓋に乗る小さな羽根飾り。ギャップがあり過ぎる姿も紫音には愛しく思えるだけだった。
「紫、おそろいが良いな」
「え、ボクもつけるんですか?」
 不可思議な空間で垣間見た白昼夢の中で、姉妹のように揃いの髪飾りをつけて笑いあう紫音と紫。姉妹のようだと露店の店主に言われて訂正することもあったが、良いお兄さんだと誉められたおかげでとても気分がいい。
 握り合った手を大きく振りながら、互いの顔を見合い、リンゴを砂糖で固めた甘酸っぱい菓子を頬張る。
 ――と。紫の足がとつぜん止まった。
 齧りかけのリンゴをにょきっと突き出して、
「すごく楽しかった。しお、ありがとう」
 まるで消えてしまうみたいに言った。ギクリとした紫音だが、握った手の温もりは確かにそこにある。
 楽しい時間はまだこれからなのだ。たとえ姿がどうであろうと――抱っこをせがむ紫に応え――ぎゅっと今は小さなその身体を抱き締めた。

「ご主人さま。あちらのお二方‥‥なんだか見ているだけで胸がうきゅぅってなるんですが。覗きに行きませんか!」
「おい、玉紅っ。そんな出歯亀みたいなこと」
 泰拳士としての実力は高いはずなのに、玉紅の細腕に軽々と持っていかれるレイの体躯。向かうのは初々しくも甘酸っぱい空気を醸し出している一組のカップル――?

「あそこにいるのは皆私達と同じ開拓者と朋友なのだろうか」
 呟いたのは神凪瑞姫(ia5328)で、その横でちんまりと座っている漆色の髪に黒い肌、銀に光る両目を瞬かせた少年は何度も顔色を窺うように瑞姫へと視線を送っていた。
 黒疾風は主と同じ言葉で話せた瞬間のことを思い返す。
 目覚めた場所はいつもと同じ床の上だった。主と同じ忍装束に紺の首巻という出で立ちに感動したことも、黒疾風はよく覚えていた。嬉しさの余り、思わず瑞姫の寝床へ突進したら、恐ろしい形相で刀を首筋に突きつけられた。すかさず苦無で防御した黒疾風だったが、主の一連の動作に惚れ惚れしたていたら僅かに斬りつけられてしまった。
「何やつ! 名を名乗れ」
 逆手に持った業物が鈍く光る中、その刀身に紫の瞳を映しながら瑞姫は気圧すように問うた。
「おっ、おいらは黒疾風ですよ」
 歯が浮くような嫌な音を立てて刃が交差する。
「信じて貰えないかもしれないけど、おいらは、忍犬の黒疾風です」
 黒目にうっすらと涙を浮かべて訴える黒疾風。瑞姫はその瞳を覗き込み、偽りなしと判断するや刀を納めたものの、状況がわからず溜息を吐いた。
 すると宿の外から大きな歓声があがった。窓を覗く。
 宿から見える広場では橙色に染まる不思議な祭が催されていた。階下も賑やかだ。泊り客達も祭を見ようと勇んで飛び出して行っているようだ。
「どうします‥‥主様」
 駆け寄ってきた黒疾風が、両目を真ん丸にして訊いてくる。
「外出ませんか。おいら達以外行きましたよ」
 泣きそうな顔で訴えていた先ほどと百八十度変わり、真剣な面持ちで祭に誘う。
 瑞姫は微苦笑を浮かべた。
「人の多いところは好かんのだが、そこまで言うのなら」
 表情の少ない主を補うように、黒疾風はその顔を綻ばせた。
 楽しいはずの祭の中、黒疾風の頬が膨らみ始めた。
「どうしていつも辛そうなんですか」
 同じ高さの目線で風景が見られる――それが嬉しい黒疾風は、主の表情に不満を募らせた。そしていつも思っていた事を口にする。
「笑顔なんて、この頃見た事無いですよそれに‥‥」
「何が分かるお前に!!」
 少年は、瑞姫が自分が感じていたようにはこの出来事を喜んでくれていないのかと胸を痛めた。その悲しみは心に刺さっていた棘を抜いた。
 いつも寂しそうにしている主の妹君を思うと、黒疾風の胸は更に締め付けられた。里の掟に縛られる必要はないのに、と。
 項垂れた相棒をみつめ、瑞姫はため息をついてその場を離れた。
 彼女はすぐに戻ってきた。両手には豪快な肉塊が突き刺さっている山賊焼きが握られている。
「その‥‥、なんだ。すまぬ分かっていた事だというのに‥‥口に合うか分からないが、どうだ」
 申し訳なさそうに、そして頬を赤く染めながら串を差し出した。
「その顔が見たかったんですよ。」
 黒疾風は笑った。表情の乏しい主の代わりに、自分はもっと思いを伝えていこうと思った。それが少しでも、主の支えになればいいとも願った。

 何かを削る音で目を覚ましたキース・グレイン(ia1248)は、丸椅子に腰掛けて生木の先を小刀で尖らせている男をぼんやりとみつめた。
 むくり、と起き上がり口を開いたが、どう声をかけて良いかわからずに結局閉じてしまった。
「む? 目が覚めたか。しかしよく眠ったな」
 薄手の迷彩柄はロングコートで、裾が床についてしまっていた。木の削り粕は彼の足元で山と積まれている。
 人の部屋へ無断侵入の不届き者にキースが一瞥をくれてやると、
「ここの泊り客は皆、広場でやっている祭に行ったみたいだぜ」
 ニコニコと機嫌よく笑顔を返した。
「どうして俺の名前を知ってる」
「それはほら‥‥」
 男は黙って小刀を鞘にしまった。
 キースはその所作をつぶさに見た。攻撃に転じられた場合を想定して、あらゆる対処を練る。が、それは次の瞬間、粉砕された。
「俺がグレイブだからだ」
 グレイブと名乗った迷彩服の男は、得意そうに笑って頷いた。
 緑褐色の髪、暗緑色の瞳。屈強だが、明らかに人間の身体をしている眼前の男を、甲龍のグレイブだと言われて信じられるだろうか。
 数秒の沈黙の時が流れた。
「そうだな。その傷は確かにグレイブのものだな」
 男の左目には縦に縦断する、袈裟掛けの鮮やかな傷跡があった。それをキースが見間違えるはずがない。
「祭に行ってみたければ付き合うが、任せる」
 顎をくいと窓へ向かせ、キースの返事を待った。
 彼女が社交性に欠けていることはグレイブも気にしていた。これを機会に、表ではしゃぐ開拓者仲間の輪に進んで入れば、とも思った。
「グレイブはなにがしたい?」
「俺はキースがしたいと思ったことに従うだけだな」
「俺はグレイブの好きなことをしたいんだが、なにがしたい」
「だから俺はキースの」
「いやいやだからグレイブの」
 寝台の上と丸椅子の間で奇妙な譲り合いが続く。
 キースの小さな呟きにグレイブが答えた。
「お茶でも淹れてくる」
 時間にも命のやり取りにも束縛されず、グレイブと過ごしたいとキースが言った。
 大きなマグカップから白い湯気を立てながら戻ってきたグレイブは、寝台の上で自分を呼ぶキースの傍らへ腰を下ろした。カップを渡しながら、窓から見える空をみつめた。
 つられてキースも見上げた。
 寝台のバネが深く沈み、顔を戻すとグレイブが横になっていた。布団の感触を堪能するように指先を何度も滑らせている。グレイブはやがて小さな寝息を立てた。
「零したらどうする」
 言いながら相棒の手からカップを取り上げた。
 襟足で留めた緑褐色の髪に触れてみる。何の反応も返さないグレイブにキースは薄く笑った。寝つきがいいのは龍の時と変わらない。
「意外に可愛いんだな」
 ぼそりと呟いたが、その真下で眠るグレイブは、実は密かに思った。
(「キースの好きにさせようと思ったら、なにやら愛玩動物のような扱いだな」)
 遠くで音楽が鳴り響いた。祭はきっと佳境に入ったのだろう。

 自分よりもずっと小柄な少年――けれど、自分よりもずっと力強い手に引かれながら、祭で賑わう広場を歩く柊沢霞澄(ia0067)は、初めこそ戸惑いの表情を見せていたが、今ではすっかり少年のペースになっていた。
 厚手の上着は解れひとつなく、少し丈が短いように見えた袴もよく見れば少年の激しい動きにあわせて誂えたようだった。
「紅焔、紅焔。もう少しゆっくり歩いてくれる?」
 見た目は十歳くらいの男の子だが、中身は気性の荒い炎龍、紅焔。凛々しい顔のそこここに残る小さな傷は、彼が仲間と争ってできたものだった。喧嘩の理由を紅焔はけして口にしないから、解決の方法を共に探ることができない霞澄はいつも困り果てていた。
 仲間に入りたい、けれどその一歩が踏み出せないでいる紅焔。喧嘩せずに済む言葉はいくつもこの世に存在しているのに、無口でぶっきらぼうというだけで損をしていた。
 不器用な子だとわかっているからこそ、霞澄は彼が不憫でならなかった。
 だから、この不思議な秋の祭に参加して楽しい思い出を残したいと思う。せっかく――。
「言葉がかわせるのに」
 冷たい秋の風が、びゅうと霞澄の銀髪を吹き上げた。
 振り返る紅焔は固く唇を結んだまま、じっと霞澄を凝視する。周囲では賑やかな楽の音が跳ね回り、光と音が洪水のように溢れていた。
「!」
 紅焔が、ぎゅっと強く手を握り締めてきた。その顔は怒っているようにも見えたが、霞澄にはその奥で震える小さな龍の子を感じた。
「だいじょうぶ。私も一人でいるのは寂しいから‥‥安心していいよ。紅焔、もう一人なんかじゃないよ。――私が一緒にいてあげる」
 祝詞のように、やさしく厳かに告げる。
「そんなに強く握らなくても、私はけして紅焔を離したりしないから。‥‥折角だからお小遣いも奮発してあげるね‥‥。何か食べたい? 輪投げはどう? 富くじは何が当るかな」
 今度は霞澄が少年の手を引く番だ。
 さっき通り過ぎたところで大道芸をやっていたと思い出し、霞澄は踵を返した。紅焔は黙ってそれに従った。
 ジルベリアから渡ってきたのだろうか。初めて目にする不思議な芸に夢中になった。こっそりと盗み見た紅焔の目が、イキイキと光っているのが嬉しかった。それ知ることで、霞澄の胸は幸せで満たされた。
 繋いだ手を離すことなく、霞澄は紅焔を連れ回し、広場の端から端まですべてを回った。
 なんだかその距離が心地いいと思う霞澄は、足を止め、紅焔を呼び止めた。
 年の割りに大人びた造作の紅焔を見て、思わず格好いいなと霞澄は呟いた。
 紅焔は意味がわからず困惑した様子でこちらをみつめる。
「私一人では人の輪の中に入る勇気が持てないから‥‥だから手は離さないでね。臆病な私を守って――」
 他の朋友仲間から紅龍が悪く思われていないか、気になることはあったが――今はともかく幸せに浸りたいと思う霞澄と‥‥紅焔だった。

 澄んだ水が溢れ出る噴水の傍で、玉紅とレイはこそこそと身を隠していた。盛大に祭が行われている街中と違って、幾分静かな場所だった。
「あのお二方はとてもいい雰囲気ですね、ご主人さまっ」
 弾む声を必死に抑えながら玉紅が言う。
 仲間の行動を影から覗いてばかりの行動に胸を痛めながらも、人間の姿に身を変えてまで傍にいる玉紅が可愛くて、レイの口元はだらしなく脂下がっていた。
 
 白藤(ib2527)は、複雑な思いで目の前でかしずく青年のつむじを見ていた。青年の両手は優しく白藤の足を擦っている。
「まだ痛みますか?」
 さらりと流れる紅碧の髪が、ふいに面を上げた。菫青色の双眸が心配そうに白藤を捕らえる。
 鉄紺色の着流しを纏い、ずっと笑顔だった顔に不安の色を滲ませている青年は、白藤の親友であり相棒の駿龍、菫青である。依頼を無事終えて宿に泊まったまでは普段通りだったのに、朝、とつぜん部屋を訪れたのはかつての恋人と同じ顔をした菫青がだった。
 思わず、「出たあぁぁ!」と叫んだことを思い出し、白藤は赤面する。周囲の開拓者達にも同様の現象が起きていると聞き、楽しまなければ損だと割り切った今はそれなりに楽しんでいた。
 町で開催されている不思議な祭を見に出かけたのはいいが、はしゃぎ過ぎたのか。ごった返す人波に揉まれている内に足を痛めてしまったのである。
「ちゃんと俺が前を歩いてガードしていたのに、この主ときたら」
 はぁ、とこれ見よがしな溜息を菫青が吐いた。
 赤らめた顔を着物の袖口で覆い隠しながら、
「雲みたいなお菓子が売っていたんだもの。菫青といっしょに食べたらきっと美味しいと思ったから」
「それで駆け出して人の波を渡りきれずにバランスを? いっそ、連中をぜんぶ吹き飛ばしてくれと命じてくれれば、跡形もなくきれいさっぱりと消し去ってあげるのに」
 さらりと恐ろしいことを口にした菫青に、赤から青へと顔色を変えた白藤が言う。
「黒い! 天然黒だ‥‥なんで黒いの?!」
 菫青が笑顔を静かに曇らせた。
 灰色だろうと黒だろうと、白藤を守るのに手段など選んでいられるか。そんな表情だった。
 ふっ、と白藤が笑った。月明かりに浮かぶ宵待ち草のように、凛と笑う。
 菫青の手が、僅かに主へと伸びたがすぐに引き戻された。気づけば祭は終焉を迎えている。橙色の提灯が、ぽつぽつとその明かりを消していく。
 二人を包んだのは静けさと、中空の月。
「あの人と俺を重ねてもらえば、彼氏として振舞います」
 白藤はふるふると首を振った。
「あの人はあの人であって菫青‥‥貴方とは違う。顔は似ててもね?」
 自分の未練が菫青を彼の姿にさせたのだろうか。吐き出した言葉は、そのまま自身へも向けられた。
「彼がどんな開拓者になりたかったか分からないけれど‥‥遺志は引き継ぎたい。─―今は護るべき弟‥‥友人も、もちろん相棒もいるから、もっと強くならないと!」
 名前と同じ菫青色の瞳を伏せた菫青は、触れた主の足先へ視線を落としたまま、
「主とこうやって話ができ、想いを聞けた事は何より幸せです」
 青い月光が彼の顔に影を差した。
 今、貴女を守っているのが俺であること。それが誇らしい――菫青の口唇はゆっくりとそう象った。

 宿へ戻る道すがら、へとへとに疲れたレイが手近なベンチに腰を下ろすと、我が物顔で玉紅が横へ座り、レイの太腿へ頭を乗せた。
「こ、こら玉紅!」
「うきゅ。龍の姿では絶対にできないから今やっておくんですぅ」
 そう言われてしまっては無下にもできず、レイはそのまま膝枕をしてやる。
 艶やかな長い髪を撫でると、玉紅は嬉しそうに「うきゅ」と鳴いた。
 方々で思い思いに過ごしている仲間の姿を見てきたレイは、奇妙奇天烈で胸が温かくなる今夜のことをけして忘れるものかと思う。
 同じ夢に酔いしれた龍も人間も、皆そう思った。