世界でひとつのかんざし
マスター名:シーザー
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/01/04 15:43



■オープニング本文

「いいんですか? 旦那様‥‥あれ」
 ゑびす屋の手代が顔を顰めて指差した先には、お抱えの簪職人トウキが手ずから作ったという大きな看板があった。廃材で作った看板は店の出入り口横に立てかけてある。
「なぁに、誰も頼んでなんかきやしないよ。トウキさんは簪に関わることとなると見境がなくなるからね、頭からダメだと否定したって耳を貸すもんじゃない。いつまでたっても注文がこなけりゃ、気づくでしょう。自分が間違っていたとね。‥‥ああ、ほらほら。もっときつく絞ってから拭きなさい」
 拭き掃除の失敗を咎め、店の中へ戻っていく主人の背中をみつめる手代は大きな溜息を吐いた。
「そうだといいんですがね。どうもトウキさんは厄介事を持ち込んでくる性質のようだから、不安で仕方ないんですよ。大体あんな物騒な文字が躍る看板をゑびす屋の店先に置くこと自体、あたしゃ反対なのに」
 やれやれと首を振りながらも、主人の言いつけは守らないといけないジレンマに手代は鳩尾を擦った。また薬をもらいに行かないといけなくなりそうだ。
「なんだい、あれ。“殴打・冥土”って」
 はああああ‥‥と再度溜息を吐く。
「いいじゃないか。受注生産より洒落て聞こえるって言うんだから‥‥おうだぁめいど。素敵な響きだけどねぇ」
 それでも、こんな物騒な文字で簪の注文なんて入らないことを主人はわかっているから、呑気に笑えるのだ。
「旦那様は甘すぎですよ」
 帳場に腰を下ろす主人に向けて苦言を呈したが、好々爺はただにこやかに笑うだけだった。

 日中の好天気が嘘のように崩れ、夕刻には霙混じりの雨が降り出した。もう客は来ないだろうと、ゑびす屋も早々に店じまいを始めた。トウキ手作りの看板を持ち上げ、店の中へ仕舞おうとした時である。
「あの、その看板は」
 手代が振り返ると、着物の裾をぐっしょりと濡らした若い女性が傘を傾けて立っていた。
「これですか? 簪職人のトウキが請け負ってお客様の満足がいく簪を作るんですよ。――まさか、注文、ですか?」
 見たところ二十歳そこそこの女性が、注文と訊かれてビクリと肩を跳ねさせた。
 その後、トウキの住まいを聞かれた手代は懇切丁寧に道順まで教えてやった。女は深々と頭を下げて、雨で白く煙る街の中へ消えていった。

 その日を境にトウキは消息不明となった。

『嫁ぐ姉に似合う簪を作ってください。姉と義兄に会ってもらい、幸福になれる世界でひとつだけの簪を作ってください。そして義兄が簪を大切にできる人間ではないと判断された際には、遠慮なく折ってください。代金は折られた場合でもお支払いいたします』

 簪の注文書にしてはおかしな内容のメモが、トウキの作業机の上に置かれてあった。
 訪ねてほしい住所も書き添えられていて、ゑびす屋は人を雇って向かわせてみたが、「そんな人は来ていません」と苛立った親族から門前払いを食ったという。だがゑびす屋は、この家で間違ってはいないと踏んでいた。
 祝言の準備に追われていたせいか、苛立ち、なぜか殺気立っていた親族たち。さらに――豪族の屋敷には、人を隠す場所などいくらでもあるのだ。
 そう――嫁ぐ姉、と祝言の準備は共通しているのだし。
「やれやれ‥‥トウキさんはいつも何かをしでかしてくれますね」
 ゑびす屋は出かける支度を整えた。
「ちょっとギルドへ行ってくるよ」
 手代が後ろで、「やっぱり旦那様はトウキさんに甘い」と言っているのが聞こえた。
 ふふふと微苦笑を浮かべて、ゑびす屋は草履を履いた。


■参加者一覧
井伊 貴政(ia0213
22歳・男・サ
樹邑 鴻(ia0483
21歳・男・泰
那木 照日(ia0623
16歳・男・サ
柚乃(ia0638
17歳・女・巫
御凪 祥(ia5285
23歳・男・志
輝血(ia5431
18歳・女・シ
設楽 万理(ia5443
22歳・女・弓
隠神(ia5645
19歳・男・シ


■リプレイ本文

 萱葺きの立派な家を前に会した開拓者達は、中から聞こえてくる忙しい物音や怒声にすら聞こえる声に苦笑を浮かべていた。
「トウキさんとは一度仕事でご一緒したことがありますし、行方不明と聞いては知らん顔出来ませんからね」
 トウキを知る井伊貴政(ia0213)が、酒の銘が入った前掛けをつけてぽつり。
 横では、事前に書き写しておいた簪の注文書の内容を再確認する樹邑鴻(ia0483)がブツブツと独り言を呟いていた。彼も祝い酒の納入業者を装っている。
「荒事じゃないといいんだが、婚礼といえば祝い事だしな。トウキさんも無事に見つけられるといいんだがな」
 ガシャンと何かが派手に割れる音が島田の家から聞こえ、困惑したように目尻を掻きながらトウキや鴻とは別の銘が入った前掛けをした御凪祥(ia5285)が言う。
「殴打・冥土‥‥響きはともかく、字面が如何ともしがたく物騒である事は気にならなかったのであろうか」
 呟く隠神(ia5645)に、トウキの性格を知る貴政が答える。
「それはムリだな。簪を作る以外の能力は皆無だと思っておいた方がいい」
 恐ろしい事を言うものだと、トウキを知らない者は思ったが、残念ながら貴政の言っている事は事実である。
「それなら早く行動した方がいいね」
 輝血(ia5431)は言ってすぐに踵を返した。聞き込み班はそれに習い、村の中へ散開した。
 潜入班は今しがた村に到着した酒屋のような顔で、島田の門を潜った。

 村の中央へやって来た聞き込み班は、島田御用達の酒屋や村民に話を聞こうとバラけた。集団で婚礼について訊ね歩くのは却って不信感を煽るだろう。
 那木照日(ia0623)は村に一つしかない酒屋を訪ねた。気前良く話してもらおうと、酒を一杯買う。容器を持っていなかったので店で飲むことになった。見ない顔だねと言いながら、縁の際まで酒を注いだぐい飲みを店主が差し出した。
 素性をどう隠していいか、言葉が咄嗟に出てこなかった照日は、「あわわ」と焦って着物の袖で口元を隠す。
「神楽への道中で、休息がてらに立ち寄ったんです」
「あぁ、そうかい」
 深く刻まれた皺をくちゃくちゃにしながら店主が笑う。
「あの、来る途中の大きなお宅が何だか賑やかでしたけど、お祝いか何か?」
 さりげに訊ねる。行きずりを称しているのだから、島田の婚礼を知っているのはマズイ。
「お嬢さんがこの度ご結婚なさるんですよ。村の皆は慶事だから喜んでますけどねぇ」
 何か含んだ物言いに聞こえた。照日は袖からメモを取り出し、質問をぶつけた。
 その頃、柚乃(ia0638)は村の女性が集まる場所へ行き、軽快な音色で笛を吹き、関心を引いていた。
「お祝いに来たのだけど‥‥」
 蘭の友人だと告げて、若い花嫁や婚礼について盛り上がっていた女性の陣中へ混ざる。
 花が咲いていたので聞き出し易い。
「島田の家に神楽から簪職人が呼ばれて来ていたみたいなんだけど、誰か見かけた人っている?」
 井戸端面子は申し合わせたように首を振った。
「そうかぁ。柚乃も作ってもらえないかって思ってたんだけど、いないんじゃ無理ね。ところで島田の人達って、どんな感じ?」
 質問が島田そのものに及ぶと、女性達の顔に怪訝の色が浮かんだ。柚乃は肩をそびやかし、
「蘭からに呼ばれたんだけど、正式な招待客じゃないの。そういう人間でも受け入れてくれる人達なのか、怖くって」
「それなら平気だよ。島田さんトコはみーんな人がいいからね。良すぎるくらいだけど‥‥あはは」
 島田の評判はいいみたいだ。次は石井智視について訊いてみよう。柚乃は腰を下ろした。

 小店が幾つか並んだ通りを歩く輝血は、村全体の祝賀ムードと島田の温度差に疑問を抱いていた。
「さっき小耳に挟んだんだけど、何か大きな婚礼があるみたいね」
 店の前を掃き掃除していた少女に声をかけた。
「あれだけ有力な家だと結婚も色々大変だろうね」
 少女は掃除の手を止める事無く、
「みち、よくわかんない」
「‥‥しまっ、声かける相手間違えた」
「村の皆は雛さんの婚礼だから喜んでいるんですがねぇ‥‥」
 暖簾を潜り、出てきたのは店主。村は祝っているというが、その先をどう続けるのだろうか。
「何か問題でも?」
「‥‥花婿さんの事。よく知らないからねぇ」
「この村の人じゃないの」
「流れモンて話だよぉ」
 それが蘭と石井智視との確執か。視線を斜に落とした後、輝血はトウキについても訊ねてみたが、有力な話は聞けなかった。
 輝血がいた通りの裏道を歩いているのは設楽万理(ia5443)。ぴょこんぴょこんとスキップを踏みながら呟く。
「簪かぁ、いいわねぇ。無事トウキさんを救出できたら私も一本作って貰おうかしらね。殴打・冥土でね」
 とりあえず、と右手を額のところで翳して飲食店を探し、手頃な店に飛び込んだ。
「こんにちは♪」
 にこーっと微笑み、祝言と花婿について訊ねた。

 どうしよう――蘭は、自分の勘違いで神楽から連れてきてしまった簪職人のことを思った。彼は今、義兄に捕らわれている。人質だ。助ける術が浮かばずに爪を噛んだ。
「おや、これは麗しい妹君ではないですか」
「! 石井っ」
 氷雨が降った日。ゑびす屋の前で見せた弱さなど微塵も感じさせない鋭い眼光で、男を睨みつけた。
「義兄を呼び捨てですか? 酷いですね」
 婚礼前だからと無造作に束ねていただけの髪を切り揃え、清潔感たっぷりの入り婿登場。だがその性根は少しも澄んではいなかった。
「まあいいです。私が島田の家督を譲り受ければ妹の貴女なんて、適当な所へ嫁にでも出して差し上げますから。今はただ黙って祝言が過ぎるのを待てばいい。そうでなければ、貴女が連れてきた簪職人の命の保証はできませんよ?」
「ふざけないで! 彼はまったくの部外者じゃないの。どこに隠したのよ。早く解放してあげてっ」
 感情のままに智視へ掴みかかる蘭。ふいに背後から声がかかる。目の前で智視がニィっと嘲笑った。
「父さん、母さん」
 現れたのは蘭の両親だった。慶事を前に何をしているのかと咎められた蘭は、義兄の胸元から両手を離し、皆この男に騙されているのだと言ってみたが無駄だった。
「ただの嫉妬です。仲のいい姉を私に取られてしまうのが寂しいようで、ねえ?」
 薄ら笑いを浮かべる智視の顔を凝視できず、蘭は逃げるように駆け出した。
 
 島田家の勝手口に並ぶ三台の荷車には、酒樽や壺が積まれていた。勝手口から顔を覗かせた島田の縁者と思われる女性が、自分達では決められないと答えた。
「規模は小さいながら、天儀・泰・ジルベリア各国の酒を取り扱っております。お疑いならば、ひとつ試飲でも」
 穏神は各国の名前入りの封がされている徳利を掲げた。
 同様に酒の業者を装っている鴻と御凪もしのぎを削るように、うちのも試飲してくれと台所へ入り込んだ。
「これをきっかけにご贔屓にしてもらえれば、いい土産になるってモンでさぁ」
 両手をニギニギと揉み手しながら上がり込む鴻。その後ろを、「すいませんねすいませんね」と腰を屈めた御凪が通り過ぎる。
 三人が屋敷の中へ入ったのを確認して、貴政は乾物業者に化けて島田の戸を叩いた。
「不足があればどうです?」
 貴政が広げて見せた乾物はすべて海のもので、農作物しか手配できていなかった賄いは、すぐに台所へ向かうよう言った。
 酒屋が来ていますと言われ、現れた主人の相手をとりあえず鴻と御凪に任せて穏神はこっそりと庭へ回る。庭には見事な杉の木があり、目印には好都合だった。塀の高さも問題はなく、仲間を引き込むには十分である。
 庭をそのまま進む。ここへやってくる間に耳にした内情を反芻した。祝言に反対しているのはトウキに協力を要請した蘭と親族だけで、両親は歓迎していること。
「む‥‥。申し訳ない、少し迷ってしまったのですが」
 庭木の手入れをしている若い衆へ声をかけた。人の良さそうな青年に、「何だかおかしな空気ですね」と前置きして、世間話のひとつといった具合で内情を聞きだした。
 台所では残った鴻達が主人と接触していた。娘のめでたい祝言だから当り前であるが、かなり上機嫌である。酒も利き酒どころか、全部買うから置いていけという豪胆ぶりだ。
「父さん」
 それとは正反対の不機嫌さでやって来たのは、周囲の反応から察するに、蘭と思われた。二人は業者の前であるにも関わらず口論を始め、気の短いお嬢さんは足を踏み鳴らして踵を返した。その内容から、彼女が激しくこの婚姻に反対している事が窺えた。
「それじゃ、酒樽を奥へ運ばせてもらいましょうかね」
 気まずそうな顔で笑って見せ、二人は逃げるように主人の前を去った。

 蘭が一人になるのを待った。だが、家中が準備におおわらわである為に、始終誰かがうろついていた。これでは時間だけが無駄に過ぎて行く。業者がものを訊ねる様を演じて蘭に近づいた。
 見知らぬ男に声をかけられて、一瞬驚いた顔をした蘭だったが、簪の注文書の写しを見せると合点がいったようで胸を押さえて微笑んだ。
「よかった。あの、大変なんです。神楽でお願いした方‥‥ただの簪職人だったんですよ」
「そうですね。簪作りしか出来ない人です」
「それで彼は今どこに?」
 鴻と御凪が矢継ぎ早に話す。
「あの男に隠されてしまいました。どこにいるのか、私にもわからないんです」
「ところで」
 同時に口にした鴻と御凪は視線を絡ませた後、
「石井智視って男は本当にお姉さんに相応しくない?」
 蘭は憎憎しげな吐息を吐いた。
「当然よ。あの男の正体は島田の財産を狙ってるだけの結婚詐欺師なんだからっ」
 結婚詐欺師だと、蘭は吐き捨てるように二度言った。
「‥‥要は、婿が嫁に相応しくない野郎だったら殴ってくれって事か?」
 大きく頷く蘭に、「じゃ、互いに協力し合うってことでいいか」と御凪が提案し、依頼主は快諾した。
 その後、穏神と合流し、蘭の協力の下。三人はひとまず夜になるのを蔵の一つで待った。

 祝言の準備もほとんど終わった島田家が、宵闇の静寂の中へ吸い込まれたのは月が大方東へ傾いた頃だった。
 穏神が付けた印を頼りに忍び込んだ設楽達は、蘭の手引きで仲間が待つ蔵へ急いだ。面倒事へ巻き込んだ挙句、人質となってどこかへ監禁されているトウキを救出する為に、蘭は協力を惜しまないと言った。
 まずは村で集めてきた情報の擦り合わせである。はわわ、と言いながら照日が口を開いた。
「村の人は花婿の事をよく知らないから、是とも非ともないみたい。花婿さんて、村の男の人じゃないのね」
「島田の人達を悪く言う人は誰もいなかったよ。祝言そのものは慶事だから村中でお祝いするのは当り前だけど、婿の素性がよくわからないから、柚乃が聞いた人達はなんだか微妙な反応っていう感じ」
「それはあたしもおんなじだ。輝血が聞いてきたのとほぼ一緒だね。村がお祝いムードなのは雛さんの慶事だからに尽きるみたい」
「私が聞いた店では、少しだけお婿さんの話が聞けましたよ。いろんな国を放浪しながら絵を描いてる絵師らしいってことと、それでこの村に滞在している最中に雛さんと恋仲になったって」
 唯一、智視についての情報を得ていた設楽だったが、蘭から財産目当ての結婚詐欺師だと聞かされている鴻と御凪は呆れ顔で溜息を吐いた。
「ここまで聞いてしまえば‥‥トウキさんは荒事屋と勘違いされたって事でいいな」
 貴政が言う。
「人質という立場であるなら、即命を落とす心配はないだろうから、先に婿の正体をはっきりさせて突きつけてやろう。監視や探りは俺が請け負ってもいい」
 御凪は言いながら立ち上がった。何かよからぬ事をしでかそうという輩は闇に紛れて事を起こすものだ。
「証拠なんていうものがあれば手っ取り早いんだけど‥‥そういうのはないのかしら」と設楽。
「証拠はないです。でも絵師だなんて言ってるけど、へたくそだし。蔵の中へ勝手に入り込んで物色してるし」
「でも‥‥花婿さんの正体がよろしくないものだったとしても、これから真面目にしようと思っているのかもしれないし、本気で雛さんを愛しているんなら」
 縁組を壊すのに気が引けたのか、柚乃が嘴を挟んだ。
「それならトウキさんを人質に取るわけないよな」
 貴政の言葉に誰もが口を閉じた。
「それにしても、トウキは自分が人質になっているという自覚はあるのかな?」
 輝血が唇を尖らせながら呟いた。
「なんとなく騒がない理由はわかる」
 やはり一度でも彼と接触したことのある貴政にはわかるようだ。
「婿さんはいつも蔵へ忍び込むの?」
 それならば今夜にでも現場を押さえてしまえばいい。そうなればどう言い繕っても無駄なのだ。
 もちろんですと答えた蘭に案内され、皆は智視がもっとも忍び込むという奥の蔵へ向かった。

 相手がただの男であれば、少々脅すだけで事はすんなり運ぶ。金目の物を物色していた男を縛り上げ、百戦錬磨の志士やサムライが少しばかり闘気を纏って睨みつければ、根性なしはおもらし寸前ですべてを白状した。
「よくそんな根性で他人の家の財産を狙えたものだ」
 潜入を本業とする穏神が吐き捨てる。 
 憤死しそうなくらいに怒り心頭の両親を筆頭に、婚約者である雛と親戚連中がずらりと居並ぶ前に突き出された智視は、シュンと項垂れたまま顔を上げようとしない。
 代わりに殴ってやろうか? と御凪が言ってみたが、雛は裏切られた事が余程ショックだったようで、
「人の手は借りません」
 と拳を握り、本気のタコ殴り。荒事屋へ仕事を依頼しようとした蘭の姉だけのことはあると、開拓者達は思った。
 智視が言った通り、トウキは母屋の屋根裏にいたのだが――智視から与えられた紙と筆で一日中、簪の図案を描いていたようである。紙が不足した時には壁にも描いたらしく、図案とアイデアが書き散らかされていた。
「あれ、貴方は井伊さんではないですか。どうしたんですか?」
 鼻の頭に墨をつけた脳天気簪職人は、まさか自分が人質となって監禁されていたとは思わず、まして荒事家業の仕事師にまで間違われていたなどと夢夢思わっていない。
 空が明るくなってから、鼻の穴にちり紙を詰め、顔を腫らした詐欺師が自警団に連行されていくのを見送ると、開拓者達も神楽へ向けて出発した。
 ゴトンゴトンと跳ねる荷車に乗せられたトウキは、(ただ図案を描いていただけなのに)疲れたらしく、うとうとし始めた。
「ねぇ、トウキ。あの漢字はやめた方がいいよ? 平仮名にすればいいと思う」
 忠告する輝血に対し、
「あら、私はそれで一本作ってもらえないかしらと思っているのに」と設楽が話に加わる。
 いや――。
 普通に簪を作っていればいいよ、と他の誰もが思った。
 荷車を引く御凪に貴政、それと穏神の三人は特に強く思うのだった。