【月露の瞳】〜紅甘露
マスター名:シーザー
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/02/22 19:55



■オープニング本文

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 黒塚へ入る街道。
 肥沃ではないこの土地へ訪れる者というと、鉱山から産出される貴石の買付けに来た業者が一般的である。最近では、神楽などの大きな街で黒塚の貴石が多く出回るようになったのも理由だろう。業者に混じって贔屓の彫金師を訪ね、直接依頼をしにやって来る女性も現れ始めていた。今回の被害者は彼女達であろうと刑部は推測する。
 目的を作らず、ふらりと立ち寄っただけの旅行者ならば、行き方知れずになったとしても不慮の事故と片付け易いのもあるだろう。仮に事故か事件かと疑惑が持たれても――。
「五色老ならば揉み消すことは容易い」
 だが、椿井早衣が自らの餌としてそういった旅行者を狙っているのならば、策は講じ易いとも考えた。
 椿井での探索結果を椿に報告する際、刑部は真実をすべて話すことを躊躇った。
 一時は憔悴仕切っていた椿ではあったが、現在ではすっかり元の彼女に戻り、黒塚を守るため、そして我が弟を守る為と奮起していた。だからこそ話せないと刑部は思う。
 当主はお飾りでいいとは言わないまでも、道明寺が動くにはまだ早い気がするのだ。
 早衣が真実アヤカシならば、確固たる証拠を掴まねばなるまい。椿井家でみつけた数々の物証も、ここまで本性を隠し通してきたアヤカシにかかかれば上手く誤魔化されてしまうやもしれぬ。
「だからこその囮だ。君たちに危ない任を背負わせてしまうが、頼む」
 椿井に不穏な空気ありとだけ告げ、一時的に借り受けた椿直属の護衛を囮役にして街道へ放った。
 女とはいえ武家に仕える身であるからと判断したことを、刑部は激しく後悔することになる。
「相手の力を見誤ったか」
 腸を引きずり出された無残な姿で、三人の護衛は街中に棄てられていた。
 刑部はやじうまに紛れ、宣戦布告とも取れるその惨状をみつめた。

 刑部がギルドへ依頼を出すのとほぼ同時期に、黒塚の端にある小さな集落から住人がすべて消えてしまう事件が起こった。
「守られるだけの存在ではダメなのです。自らの目で見つめ、耳で聞き、己の意思ですべてを選択せねばならないのです」
 護衛の死も集落の消滅も椿の耳に入り、彼女は刀を手にして屋敷を飛び出した。

 吐く息も白い真夜中に、ひたひたと道を歩く男がいる。手には提灯を下げていても、明かりが届くのはわずかばかり。物騒な事件が相次いでいるというのに、肝の座ったことである。
 明かりの先に、女物の着物の裾が現れた。男は立ち止まり、提灯を掲げる。
「女一人で夜道に立つなんて、薄っきみ悪い」
 思わず言い放ってはみたものの、袖で隠した女の双眸は妙に艶っぽい。その女がゆっくりと手を下し、艶然と笑った。
 ぼとりと地面に落ちた提灯に火が点いて、少しの間、影が長く引いた。絡み合うようにひとつになった黒い影から伸びる男の手は、空をぎゅっと掴むと、そのままだらりと垂れ下がった。
「若いから美味しいっていうわけではないのね。量はそれなりにあるけれど」
 口角から滴る紅い雫を舌で舐め取り、早衣はニイィっと笑った。



■参加者一覧
緋桜丸(ia0026
25歳・男・砂
小野 咬竜(ia0038
24歳・男・サ
樹邑 鴻(ia0483
21歳・男・泰
紫焔 遊羽(ia1017
21歳・女・巫
空(ia1704
33歳・男・砂
斎 朧(ia3446
18歳・女・巫
羽貫・周(ia5320
37歳・女・弓
すずり(ia5340
17歳・女・シ


■リプレイ本文

 今にも雨が降り出しそうな曇天の下。集団消滅の村を訪れた一行は、人気のない集落へ足を踏み入れた。
「椿殿を発見次第、呼子で知らせる。聞きつけた側はすぐに駆けつけ合流‥‥」
 刑部は、笛を持つ同班の緋桜丸(ia0026)と別班の紫焔遊羽(ia1017)を順にみつめた。
「ところで刑部よ」
 物々しい口調で空(ia1704)が刑部をギロリと睨んだ。何が言いたいのか察した刑部は、無言で視線を返す。
「椿直属の護衛を囮役にして街道向かわせた挙句、敵にしてやられたらしいなぁ。で? 隠し通せると思って椿にはなんにも言わずじまいってぇのは、死んでから話そうとか思ってたクチか」
 空の言葉に空気が一変する。
「さても人の心とは不思議な物よ。誰が為を思うての行いが、結局はその者にとって不幸になることもある‥‥今あの娘に必要なのは納得じゃな。と、これは独り言じゃが」
 小野咬竜(ia0038)が目尻を掻きながら言った。
 辛辣な空の小言にも、咬竜の呟きにも刑部は答えない。沈思の表情で、静かに視線を逸らした。その先には咬竜の妻である遊羽――。愛する人を危険な場所へ伴わせることに、小野は不安を感じないのだろうか。刑部には理解できないことだった。
「まぁ、まずは敵を叩く。いいな?」
 椿と刑部の口論の為に取っておいたセリフを、思いがけないところで言う羽目になった緋桜丸は苦笑のまま友人の肩を叩いた。
 それじゃ、と九人は二手に別れた。

 暗さが増す中、斎朧(ia3446)が瘴索結界を張った。悪天候になれば、これほどありがたい術はない。
 不意打ちで主導権をアヤカシ側に奪われたくない樹邑鴻(ia0483)は、先頭を歩きながら結界とは別に目視による警戒を行っていた。道明寺椿の探索も兼ねているから、物陰等の気配や動きにも注意を払う。
「痕跡が多く残る箇所には潜伏の可能性が高いと思うから、より注意を払おう」
「そうですね‥‥微かに反応が見られるけれど。これがすべてだとは思えません」
 朧が目を細めて言う。
「数は?」
 ほぼ同時に緋桜丸と刑部が訊ねた。
「五」
 淡々と数字を告げる朧。
「確かにそれは少なすぎるね」
 すずり(ia5340)は腕を組み、通りの向こうをみつめた。時折牛が鳴く以外に、音というものが存在しない気味の悪い場所である。
「ここは風が強いのか?」
 しゃがみ込んでいた緋桜丸が、掴んだ砂を払いながら訊いた。石の粒の混じった砂が道を覆うのは黒塚の特徴でもある。
 強風に対応した処理がされていない家々を見渡した鴻が軽く首を振り、「地域的にそれはないんじゃないか?」と答えた。
「嵐が来たって話も、遊亀で耳に入らなかったしな。それなら連れ立ってどこかへ拉致されたわけでもなさそうだ。足跡もねえし、まさに忽然と、て事か」
 足跡もなければ引き摺られた後もない。ということは――。
「椿さんはこっちにはいないってことなのかな」
 すずりが残念そうに溜息を吐いた。
「アヤカシに先を越される前に椿をみつけださないと、マズイな」
 鴻が呟く。
(「護衛が放置されたというのは、挑発でしょうね。それをわかっていたからこそ、刑部さんも椿さんに情報を入れなかったのでしょうし」)
 椿にすべてを話さなかった刑部だが、朧はその事に一定の理解を示した。とはいえ、招いた結果は最悪の事態を引き起こしかねない。ふぅと溜息を吐きつつ、それは椿と無事再会してから告げればよいと思う朧だった。

 じゃり、と砂を思いきり踏み込んだ遊羽は唇を尖らせていた。
「刑部さんも刑部さんやでな、何も知らされぬまま動かされるなぞ。傀儡のようで嫌に決まっとるやろうし‥‥」
 幼い容姿だが、中身は成熟したオトナの女性である遊羽にとって、刑部の思いやりは寂しさを感じさせるものだった。椿が自分と同じような寂しがりの甘えん坊かどうかは別としても、秘密ばかり持たれては寂しいと思うはずだ。
「椿も椿だがな、ムカついたから一人で来ましたってガキかよ、オイ。それで罠にかかって死んだら今までのが全部水の泡じゃねぇか」
 空は呆れとも怒りとも取れる厳しい表情で吐き捨てた。
「まぁ、罠がありゃぁ罠ごと喰い破ってやるがな。捨て置く訳にもいかんだろうよ」
 ちらりと刑部へ視線を走らせた空だったが、無表情のまま前を向く無愛想な男に短く舌打ちした。
 刑部の横で難しい顔をしているのは羽貫・周(ia5320)である。
(「今回の件は皆も言っているように罠、か? それとも発覚したならばもはや隠れる必要はないということだろうか」)
「‥‥? 刑部、そなた」
 握り込んだ刑部の手が震えている事に、周が気づいた。よくよく観察してみれば、刑部の顔は強張っているし、冷静を装っている事も見て取れた。まずは彼の大切な存在を庇護する事が先決で、苦言を呈すのはそれからで良いと周は微苦笑を浮かべながら息を吐いた。
「小野殿」
「何じゃ、刑部」
 敵襲の不意打ちを用心する中、飄々と咬竜が返す。
「遊羽殿とは夫婦だとお聞きしましたが」
 初対面の人間にしていい質問かわからずに、刑部はそこで言葉を切った。
「危地に立たすとは何事じゃ、と思うておるのだろう」
「‥‥俺にはできません。椿殿が俺の隣にいて、まして殺し合いの戦場に立つなど。小野殿はなぜ平気なのですか。遊羽殿にもしもの事があったらどうするんです」
「夫婦の絆を口で説明しろとはまさに難解じゃな」
「夫婦の絆‥‥ですか」
 叶わない夢物語である。尚更わかりませんね、と刑部は呟いた。
 ――――やぁぁッッ!!
 どこからか叫び声が聞こえた。女性の声である。
「椿殿ッ」
 刑部が真っ先に駆け出した。声は通りの裏から断続的に聞こえてくる。遊羽はすばやく笛を取り出し、轟かせた。

 飛び掛ってきた一体に斬撃を喰らわせ、椿の手を掴んだ刑部が仲間の元へ走った。一撃くらいでは死なない屍鬼はむくりと起き上がり、後を追ってくる。
 追いついた空と咬竜がすかさず攻撃へ転じた。サムライと志士の斬撃を同時に受けたアヤカシは、腐った躰を四方に飛び散らせ絶命した。
「気持ちは判らなくもないが‥‥状況は冷静に分析すべきだよ」
 刑部に連れられて来た椿に対し、周は安堵の表情で注意を促した。
「秋月さま‥‥」
 刑部に会えたことがよほど嬉しかったのか、危地の中を少し脱しただけの現状にも関わらず椿は笑みを零した。
「人に迷惑をかけておいて笑うとは何事ですか」
 きつい口調の刑部が叱りつける。
「刑部。そこは迷惑と言わず、心配をかけてと言うべきだよ」
 諭すように周が諌めたものの、刑部が素直に言い換えるわけがなかった。ぐっと喉を鳴らして押し黙る始末。
「居ても立ってもいられなくて、勝手な振る舞いをしてごめんなさい」
「“居ても立ってもいられない”? それは言い訳じゃ。己の力量を過信し細切れにされるのは勝手じゃが、お前がそうして野垂れ死んだら、お前の護りたかった物はどうなるのじゃろうな」
 こちらに背を向けたまま戻って来た咬竜が言い放つ。
 椿は素直に、「ごめんなさい」と再度謝った。
「生きておったからこそ言える小言よ。二度めはあるまい?」
 返事の代わりに、椿はニコリと笑い頷いた。
 妻と共に戦場を駆ける男の度量の深さを前に、己の狭量を恥じる刑部だった。
「来るよ」
 緊迫した周の声に促され見遣ると、アヤカシ共が徐々に距離を縮めていた。だが、別の方角――緋桜丸や鴻らの更に後方――からも屍鬼が近づいている事に、彼らはまだ気づいてはいなかった。

 甲高い呼子の音が別班の耳に届き、現場へ到着するとそこには十体の屍鬼がぞろりと並んでいた。内二体は空と咬竜の足元で黒い塊と化していた。
 十体が責めあぐねているのは周の矢を怖れての事のようだ。射形を崩すことなく構えた周が、更に威嚇の矢を放つと、アヤカシ共はザザッと数メートル後退した。
「遅れを取ったか」
 緋桜丸が駆け寄り、柄に手をかけた。
「なぁに、ここからが美味しいトコだよ」
 空がニイと笑う。
「後方からもアヤカシが!」
 朧が叫んだ。眉を顰めた表情から、自ずと数は知れるというもの。椿井以上の数が集結しているのだろう。
「椿さん、こっち」
 すずりに手を引かれ、椿は輪の中央へ移動した。
「一人でこんな場所へ来て。ほら、物騒だよ?」
 明るい物言いに椿は救われた気になった。
「私からのお説教は後でたっぷりとしてさしあげますから」
 反対側に立った朧からもお小言を食らうらしいが、それも生きていたからこそ――。
「足手まといにならないよう、適宜指示をお願いします。そのすべてに従いますから」
 刑部に言いたい事は山のようにあったが、それは後回しだ。
「後方のヤツらと同時に遣り合うのは正直キツイな。まずは目の前のアイツらから潰しちまおう」
 援護重視策を取る鴻は、連携攻撃に繋がる事を期待して飛び出した。
 気を集中させた拳をアヤカシめがけて叩きつける。耳近くまで避けた口をめいっぱい広げた屍鬼は、体を大きくよろめかせた。刹那、咬竜の野太刀が空気を切り裂いた。大振りにすら見える太刀筋だが、極めて怜悧。断末魔の叫びをあげる暇もないまま、アヤカシは肉塊となる。
 続いて緋桜丸が近接攻撃を仕掛け、脇差のカウンターで息の根を止めた。周の連環弓は、姑息にも背後より緋桜丸を狙っていた屍鬼を貫通。息も乱さない周が薄く笑った。
 開拓者達は次々とアヤカシを斬り捨てていった。一度で死なぬなら二度でも三度でも。腕が、足が痺れても気力の続く限り攻め手を緩めなかった。やがて――。
 ぽつ。ぽつぽつ。ぽつぽつぽつ‥‥。
 曇天は一気に雨空へと変わり、大粒の雨を落とし始めた。土砂降りの中、後方のアヤカシが姿を見せた。煙る雨のせいで目視だと正確な数がわからない。誰もが自然と朧を見た。だが、朧は仲間の誰とも目を合わせなかった。合わせられなかったのだ。
「椿さん。アレが‥‥椿井早衣?」
 朧の視線の先を追った。
 この時すでに前衛組のほとんどが手傷を負っていた。重傷ではなかった為に治療を後回しにしたのだ。
「たぶん早衣さまだと」
 そうだと言い切れる自信がない。淡い桜色の中振袖を揺らしながら、きれいに結い上げられた黒水晶の髪。雪のように白い肌に朱色の口唇。その美貌は、近づくにつれて皆に怖気を立たせるのに十分だった。
 ぐっしょりと水をたっぷりと含んだ着物は重いだろうに、そんな素振りも見せず彼女は軽やかに歩いてくる。
「違う」
 あれは早衣さまじゃない!
 椿が顔を引き攣らせた。同時に周の弦が大きく鳴った。
 すずりの手裏剣が、朧の浄炎が立て続けに美貌の女を襲う。それをひらりひらりとかわす早衣。まるで幼子と戯れているように見える。
「貴女は誰!? 早衣さまをどうしたのですかっ」
 怒鳴るような問いに女は嘲るような声で笑い、「味なんてもう忘れたわ」と答えた。
 怒りに任せて飛び出そうとする椿を、刑部が背で押し留める。その横を空が駆けて行った。
 女の正面へ出る――女の意識が前方へ向けられるのと同時に半歩左へ寄った空は、間合いを詰めるように一気に駆けた。空が放った一閃は確かに女の胴を真っ二つにしたはずだった。だが、そこには一滴の血も落ちてはいない。
 半歩左へ寄った空と対角線上に女は立っていた。雨で少しだけ髪を乱し、白い肌に張りつけさせて、
「若い女の血もいいけれど、男の血も美味しそうねえ。でも、味わうのは又の機会にするわ。こんな雨じゃせっかくのご馳走も薄味になって不味いもの」
 ころころと笑った。
 そして仲間の屍を踏み躙りながら、銀糸の中を消えて行った。
「追う?」
 すずりは言いながら駆け出していた。だが、深追いは危険だとの声で引き戻すことにした――!
「ぅあっ!」
 咄嗟に身を翻したものの、切っ先が背を抉っていた。雨の中に鮮血が混じる。
「忠輝殿」
 刑部が呟く。
「コイツばかりは確実に仕留めておかねえとってヤツか?」
 緋桜丸が、ズイと前に出る。
「何であれ、目の前の敵は倒す」
 忠輝の背面へ回り込み、脊髄めがけて気功拳を放った。同時に遊羽が神楽舞を舞う。その心中は複雑であったのだが、今は傷心に浸っている場合ではない。
 咬竜は忠輝の意識が鴻へ向いているのを確認すると、背後から足を捌き、体勢を崩させた。
 雨音にかき消されるような鈍い音が僅かに響いた。零距離からの一閃をまともに食らった咬竜は、驚いたように目を剥き、
「チッ。ぬかったわ」
 わき腹を押さえ、舌打ちしながら飛び退いた。攻撃の手を緩めまいと刑部が代わって飛び出すが、残りの屍鬼が盾となり忠輝に斬撃が届かない。
「うっとうしい」
 いつのまに剣をぬいたのか。吐き捨てるように言った空の足元に、ボトボトとアヤカシの成れの果てが落ちてくる。
 周の連環弓からすずりの手裏剣。そして朧の浄炎という連携も繰り出し、忠輝の足を縫いとめた。
 忌々しげに吼える忠輝の前へ躍り出る鴻。手数の多さに忠輝が苛立ちを見せ始めた。動けぬように矢と手裏剣が飛び、浄化の炎が身を焦がす。思うように刀が振れない事が殊更歯痒いようだ。
 ふっと攻撃の手が緩んだように思えた瞬間、忠輝の足は大きく開き、間合いを詰めた。
 灰色の世界の中で火花が散った。
 自らが持つ二刀で忠輝の一撃を受け流した緋桜丸は、間髪いれずに刃を突き刺した。
「緋剣零式‥‥迅影‥‥! ぐっ」
 忠輝に柄頭を打ち下ろされて額を割られながらも、緋桜丸は不適に笑った。
 無防備な背に鴻の気功拳を叩き込まれ、忠輝が膝を折る。屍鬼同様に腐れた臓腑を斬り口から溢れさせながら、野太刀を一文字に振り抜く忠輝。後退った咬竜だが、すぐさま間合いを詰めると剣先を延髄へ突き刺した。
 ゴボッ
 アヤカシは黒い体液を吐き戻しながら、それでも刀を離そうとはしない。
 肉を斬る鈍い音。骨がへし折れる音が同時に起こる。
 左右から挟むように居合いで斬り抜けた空と刑部の後ろで、忠輝はようやく人としての生を終えた。

 雨は一向に止む気配を見せなかった。
 残りのアヤカシをすべて始末した刑部達は、手近な家へ入り、暖を取ることにした。傷を負った者はここで簡単な治療を行い、雨が止むのを待った。
 朧やすずり、周の傍らで静かに休む椿をみつめながら、刑部は仲間や友人の叱咤を思い返した。
 やはりすべてを話すべきか。果たしてそれで大人しくしていてくれるのだろうか。
 椿殿にはただそこで、凛と笑っていて欲しいのだ。道明寺の、黒塚の光として――。
 だから、けして。
 刑部の瞳に一組の夫婦が映る。共に戦場を駆けるなど、無理なのだ。その代わり、すべての痛みや汚れの一切を引き受けることで、この想いを昇華させよう。
 だが忘れてはならない。早衣の――アヤカシの耳障りな高笑いがこびりついていることを。あの女を野放しにしている事を忘れてはならないのだ。