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■オープニング本文 道明寺椿は、仄かに青く光る満月をぼんやりと眺めていた。慌ただしい屋敷内とは裏腹に、彼女がいる中庭は静かだった。濡れ縁へ浅く腰掛け、喉を反らす。泣きすぎて腫れた瞼が重くたて、見上げるのがひどく辛い。 「橙子姉さま‥‥」 呟いた名は、先刻息を引き取った二歳上の姉である。長く臥せっていた姉の腕は痩せ細り、強く握り締めたら枯れ枝みたいに呆気なく折れてしまいそうで、椿はただ唇を噛み締めるしかなかった。 手入れの行き届いた庭で虫がコロコロと愛らしい声で鳴いている。その音が、はたと止んだ。誰かが訪れたようだが、朦朧とした思考では警戒することもままならず、自分を邪魔だと思う連中ならばいっそ殺してくれればいいとさえ思った。 「姉さま」 月が滲み、涙がぽろりと零れ落ちた。 茂みから黒い影が現れた。誰かとも問わず、椿はひたすら涙する。砂を食む音が近づき、侵入者は椿の傍らへ腰を下ろした。 腿の上で握り締めた拳。腰に差した二振りの刀。ふわりと香る伽羅の匂いで、椿の涙腺は一気に壊れた。嗚咽が堪えられずに咽る。 「椿殿」 清廉な声に名を呼ばれ、椿は顔を伏せてまた泣いた。 「道明寺がこれ以上の混乱に陥らないよう、貴女が指揮を取らなければならないのに、いつまでも泣いていては示しがつきませんよ」 「‥‥姉を失ったばかりだというのに、ひどい言いようですね」 「相次いでご姉妹が亡くなられたことにはお悔やみ申し上げます。ですが――」 「わかっています」 椿は男の言葉を切り取るように遮った。彼の、秋月刑部の言いたいことはわかっている。姉の死が何者かの仕業であること――。 袖口で頬をぐいと拭い、秋月と向き合った。 刑部は睨むように、椿をみつめている。もの言いたげな虹彩が月の光を鋭く返していた。 「貴女はなにもわかっていない」 思い詰めた顔で告げる。 「なにをわかっていないと言うのですか? 秋月さまこそ、私のことを何一つわかっていらっしゃらない。こんな状況だというのに、慰めの言葉もかけてくださらないのは私への」 「敢えて口にしなくても、聡い椿殿なら理解してくださるはずと思っていますので」 姉を失ったばかりだからか、椿は自分の感情をうまく殺せない。普段の彼女なら、刑部が言っているように、不必要に言葉を求めたりはしない。それほど心が弱っているということなのだろう。 それも仕方のないことだった。 居合道で名を馳せた道明寺家に、今、家督争いが勃発しているのである。しかも、それは本家の血筋を絶やしかねない暴挙にまで発展していた。 椿に残されたのは、幼い弟と己の剣技のみ。もはや誰を信じていいのかさえわからない状態なのだ。 そんな時、愛しい男の優しい言葉を望んだところで罰はあたるまい。 「ですが」 刑部が悲しげに微笑み、そっと手を差し伸べた。まるで壊れ物にでも触れるように、恐々と椿の頬へと宛がわれた。 「泣いてばかりの椿殿を見て、泉下の橙子殿も悲しまれるでしょう。笑えとは言いません。せめて――泣き顔だけは誰にも見せず、隠してください」 青い月光の下。 二つの影が小さく寄り添った。 道明寺の屋敷の横に並び立つ秋月の家。夜半になると、裏門からの出入りが急に慌しくなる。 「父上はまた例の話をなさっておいでなのか」 刑部は溜息混じりに呟く。 主家の橙子が亡くなってから、父の様子が明らかに変わったのだ。道明寺には椿がいるというのに、二歳になったばかりの一之介を当主に据えるのだと、方々へ働きかけていた。今夜も、父の意向に同調した道明寺の分家や家臣らが集まり、怪しげな会合を開いている。 父、広高があれほどに頭が固い男だったろうかと、刑部は今でも首を捻る。椿が女だろうと、道明寺の跡を継ぐのに彼女ほどふさわしい人物は他にはいないと思っている。椿がどれほどの修練を積んできたかを知る刑部は、広高が彼女を疎んじる真意が計れない。 若輩者の自分が諌めることなどできはしないが、意見を言うくらいは許されるだろう。重い腰を上げ、刑部は父達が集まる奥の部屋へ向かった。 そこで思いがけない計画を知る。 広高は直下の家臣でありながら、主家の娘である椿を暗殺しようというのだ。 「あれは誰だ‥‥?」 襖越しに聞いた父親の声に生気はなく、だが、並々ならぬ欲望を含んでいた。 隙間から覗き見た連中の顔も、揃って土気色に染まっており、その目は枯木の室のように虚ろで背筋に冷たいものを走らせた。 しかし、そんなことよりもこの計画を椿に知らせることの方が先決である。 刑部は息を潜めて踵を返した。――が。 「そこにおるのは刑部か」 広高の声だった。奥歯を噛み締め、刑部は鯉口を切る。 襖が開くのと同時に、刑部は鞘走らせた。 夜半、人目を忍んで椿の元を刑部が訪れた。刀傷を肩に負った刑部は、近い内に手錬れの者を護衛に寄越すので、常にその者を傍へ置くようにとだけ告げた。 「よろしいですね? くれぐれも無茶はなさいませぬように」 焦がれる男の顔を見て、頬を緩ませていた椿の顔が怪訝に曇る。 「秋月さま、あの」 差し出した手は刑部に触れることはなかった。 伸びた指先から逃れるように身を引き、刑部は周囲へ視線を走らせる。 「では、これで」 刑部には詳細を伝える気はない。探索は密やかに行われるべきものであるし、今はまず椿の暗殺阻止を優先すべき事である。 血が滲む肩を押さえながら、頭を下げ、刑部は部屋を退出した。 数日後。 道明寺家を訪れたのは、刑部と同じギルドに所属している開拓者達だった。 そんな折、鉱山のひとつが崩落した。幸い死者は出なかったものの、多数の負傷者を出した。 山の恩恵を受ける身だからと言って、椿は彼らを見舞いに屋敷を後にする。もちろん、自分の命が狙われているのは承知の上での行動である。 元来、気の強い椿は、 「死者がいなかったから良いではなく、ケガをした彼らを見舞うのも道明寺の仕事です。日頃の感謝の気持ちを直接伝えることに、なんの異議がありますか」 きっぱりと言いきり、引き留める臣下を説き伏せた。 |
■参加者一覧
緋桜丸(ia0026)
25歳・男・砂
八嶋 双伍(ia2195)
23歳・男・陰
蛇丸(ia2533)
16歳・男・泰
斎 朧(ia3446)
18歳・女・巫
椿 幻之条(ia3498)
22歳・男・陰
すずり(ia5340)
17歳・女・シ
叢雲・なりな(ia7729)
13歳・女・シ
神咲 輪(ia8063)
21歳・女・シ |
■リプレイ本文 空は快晴。仕事抜きに考えれば最高の日和だった。 「それじゃ行きましょうか、お前さま?」 椿幻之条(ia3498)は言いながら、緋桜丸(ia0026)に腕を絡ませた。ついでに指も絡ませてみる。 男だとわかってはいても挙措のひとつひとつが艶かしい。緋桜丸は思わず視線を逸らして赤くなる。 「出来ればお嬢さんが‥‥いや、何でもない」 パタパタと顔を扇ぐ扇子の動きも忙しなく、少し離れて先を行く道明寺椿と他の仲間たちへ視線を移した。袂に隠した武器の重みを確かめながら、付かず離れずの距離を保ち、続く。 護衛の人数が少なく見えるのは、シノビのすずり(ia5340)となりな(ia7729)が先行しているせいである。 椿たちが到着する半刻以上も前に、すずりとなりなは施設を訪れていた。薬品臭さを感じながら、対応に出てきた職員の女性へ、 「椿様はもう間もなく到着なさいます」 すずりが告げる。笑顔のままで周囲に気を巡らせた。なりなも同様である。 「この度の事故、椿様はとても心配しておられます」 職員は深々と頭を下げ、どうぞ中でお待ちをと言った。 「被害に遭われた方々の状態を報告致しますので、少し院内を拝見させていただきますね」 すずりとなりなは草履を脱いだ。 往路では何事もなく、無事施設に到着した。だが、その静けさが却って恐ろしくもあり、開拓者の面々を緊張させた。 「お時間が来るまでこちらでお待ちください」 白衣に身を包んだ職員が廊下の先を指差した。 「ありがとう」 僅かに髪の先を発光させる椿が恐縮しながら答えた。斎朧(ia3446)の加護結界の名残である。楽の巫女と自己紹介した神咲輪(ia8063)が先を歩き、 「入院なさっている方々の慰めに、笛と琵琶を披露したいと思います」 警護とは悟られないように満面の笑みを浮かべ、さりげなく職員と椿との間に割って入る。その背後では見回りへと散開する仲間の姿があった。 一足先に中庭へ出た八嶋双伍(ia2195)は、いつもと変わらない朗らかな微笑で庭の幼子達を眺めつつ、こっそりと人魂を空へ放った。小鳥に姿を変えると、上空から刺客の探索を開始する。 「さて、と。探索しつつ情報収集といきましょうか。――事故や刑部さんのお父上と仲が良い人の話など、色々聞けると嬉しいんですがね」 呟いて庭の中央で屯している集団へ向かう。その表情が俄かに険しくなった。上空の人魂が刺客を捉えたようだ。 双伍とは別に見回りをしていた蛇丸(ia2533)は、見晴らしがいい玄関上の二階部分へ向かっていた。大振りのグレートソードを背負い、ひょいと窓から屋根へと移る。 上空では双伍が放った小鳥型の人魂がくるくると忙しなく飛んでいた。その様子から何事かを感じ取った蛇丸は、ごくりと唾を嚥下して息を潜める。盗み見ると、黒装束に身を包んだ刺客が矢を番えて庭を狙っていた。 姿を確認するや、蛇丸の周囲が揺らいだ。双眸に火を灯し、どっと踊り出る。石瓦の一枚がずれたが気にせずそのまま刺客へと飛び掛った。 気配を察した狙撃手が振り返りざま矢を放つ。宙で身体を反転させて避け、飛苦無で応戦した。計画の概要を聞き出す為、捕縛を試みる蛇丸はわざと急所を外す。腿に突き刺さった苦無を素早く引き抜いた刺客は蛇丸を待ち受け、己の血に濡れた苦無を飛ばした。 蛇丸は着地と同時に抜刀し、そのまま横一文字に振り抜く。間合いを考え、死なない程度の手傷を負わせることに成功した、が――刺客は自らの口から暗殺計画が漏れる事を防ぐ為、蛇丸が駆け寄る前に自らの首を掻き斬った。 どさりと倒れる刺客を一瞥し、蛇丸は舌打ちした。 「端から死ぬ覚悟か」 当然といえば当然である。 一部始終を見ていた人魂からこの状況は伝わっているはずだが、蛇丸は空を見上げ、肩を竦めて見せた。 同様に人魂を使って院内の天井裏や物陰を探索していた幻之条は、残念ながら収穫を得ることが出来なかった。 一方、崩落事故に巻き込まれた者が多く収容されている大部屋に、緋桜丸の姿があった。情報収集を目的に腰痛での入院患者を装う。 「いや〜、腰の使いすぎで」 軽口を叩きつつ、素知らぬ顔で労働者に混ざる。 「死者が出なかったのは不幸中の幸いだなぁ」 木製の丸椅子を引き寄せながら、さりげなく病室の中を見渡す。刺客が患者の中に紛れ込んでいる可能性は否定できない。 「だが、仕事が途切れるってのは収入が減るってことだから大変だろう」 彼らがもっとも不安に思うだろう話題を振ってみたが、意外な答えが返ってきて緋桜丸は目を丸くした。 「紫根の小幡さまが補償してくれるから、その心配はないよ」 「紫根の小幡、さま?」 「おや、アンタは黒塚のモンじゃないのか」 そう言って総髪の男が説明を始めた。紫根とはこの黒塚に存在する五色老と呼ばれる氏族の一つであり、今回の採掘は小幡からの依頼によるのだそうだ。神職の小幡は事故の責任を取り、崩落事故に関わった作業員全ての補償を行っているという。 「小幡‥‥ねぇ」 緋桜丸は目を眇め、顎先を擦った。 中庭にいる双伍の収集状況にも変化があった。 道明寺重臣の秋月家当主の交流を深く知る者はなかったが、温厚と評判の広高が声を荒げているのを聞いたことがあるというのだ。 「お屋敷の中からだったんで、何があったのかは知りやしませんがね。秋月さまは温厚で気さくなお方なのに、あの時ばかりは自分の耳を疑ったくらい恐ろしい声を上げていなすったよ」 しわがれた老婆の声はそれとわかる程に悲しんでいた。 「きっと、とても大変な事があったんでしょう」 双伍は慰めるように老婆の背を擦り、玻璃越しに漆黒の瞳を鈍く光らせた。 その頃の椿と二人の従者は――。 主の上着を整える素振りで加護結界をかけた朧が、顔色の悪い椿を案じていた。 「皆がついてますから、大丈夫ですよ」 「ご迷惑をおかけします」 不安を打ち消すように背筋を伸し、謝辞を述べた。凛と前を向いた椿の手は微かに震えていて、神咲が励ますように握り締めた。 遅れて応接室に入る。どうぞおかけになってと言われ、三人は離れることなく長椅子に腰を下ろした。やがて職員が茶を持って戻ってきた。 「お疲れでしょう。椿さまがみえられると聞いて急いで取り寄せた秦のお茶です。どうぞ」 茶器の中で白い花がふわりと浮いている。香りもいい。だが椿の脳裏には、道中で幻之条から釘を刺された事を思い出していた。 (「施設内で出された飲食物は口にしないように、って言ってらしたわね」) ためらっていると、 「どうかなさいましたか?」 訊ねられ、これでは却って怪しまれるのではないかと椿は思った。庇護するように左右に座る開拓者を見遣り、 「せっかくですから」 花茶に手を伸ばした。朧と神咲が仰天する空気を感じながら、唇を湿らす程度で済ませて茶器を卓へ戻すと椿の様子が急変した。平静を装っているが額には汗が滲み、血の気を失った指先は痙攣している。 ――毒。 「席を外してもよろしいですか? 椿さまがお花を摘みに行きたいようですので」 椿の肩を支えながら朧が言う。案内いたしましょうという職員を笑顔で制し、二人は静かに退室した。朧は施設から椿を連れ出して、その場で吐き戻させた。解毒が出来ずに唇を噛む朧へ、椿が微苦笑を浮かべる。 「平気よ。幻之条さんから水を頂いているの。それで洗浄をするから、そんな表情をしないで」 それでも、水を飲んでは嘔吐を繰り返す椿の姿を直視するのは辛かった。 元々湿らす程度の微量だったからか、胃の内容物をすべて出してしまうと後を引き摺ることもなく、二人は応接室へ戻った。だがそこには神咲だけがいて、聞けば職員は椿たちが出て行くとすぐに退室したのだと言う。 「毒殺が失敗だとわかれば中庭でも襲われる可能性は高いわね。用心しないと」 と朧。 「そうね。楽を披露する事にしているけど、彼女の傍からけして離れないわ」 覚悟の上での今回の慰問。とはいえ、むざむざ死なせるわけにはいかない。神咲と朧は互いに見合わせて頷いた。 予定通りに椿は中庭へ向かった。応接室での一件を院側が知れば、この慰問は中止となるはずなのにならなかった。つまり、 「あの職員の女は刺客の一人だった、というわけねぇ」 すずりから話を聞かされた幻之条は、中庭の一角にある椅子に腰掛け呟いた。 「ま、あたしの言いつけを少しだけ守ったってトコだけは誉めてあげるわ。つ、ば、き、ちゃん♪」 「それじゃ、ボクとなりなは対角状に立って見張ってるから」 すずりは新米シノビのなりなに庭の角を指差して見せ、それから散開した。 駆け出す彼女らを見送り、幻之条はその美貌を険しく変えた。 庭の中央にある小さな広場で笛を披露する神咲。何も知らない患者達は、情緒溢れるメロディに耳を傾けていた。神咲のやや後ろで椿は椅子に腰掛けている。朧がぴたりと脇で控えていた。 曲が終わると、患者たち――特に子供たちが一斉に駆け寄ってきた。集団は神咲だけではなく、彼女を連れてきた椿にも押し寄せる。 中庭の端からすずりが叫んだ。その声に促されて患者の中へ視線を這わせ、刺客を探す。同時に朧が椿を集団から離すべく後ろへ飛び退いた。 「椿さん! 早く、こっちへ!」 「は、はい」 はしゃぐ子供たちや患者の中で、鈍く光るものが見えた。 武術に通じている椿ではあったが、多くの子供たちの中で刺客だけを捌く技能はない。自分を狙う苦無の存在をはっきりと認めながら、息を飲むしかなかった。 「そこまでだ」 椿の眼前に広い背が現れた。喉まで出かかった秋月刑部の名前を飲み込む。 刺客の腕を掴み、後ろ手に捻じり上げているのは腰痛で患者に紛れていた緋桜丸だった。 「お嬢さんがそんな物騒なモンを振り回しちゃあ、いけないねぇ」 刺客はくのいちだった。さすが女性には優しくを信条にしている緋桜丸である。こんな時でも「お嬢さん」と言えるのだから男前だ。 だが、そんな紳士の拘束から器用に逃れた刺客は、すかさず緋桜丸の鳩尾へ膝蹴りを食らわして、状況もわからずに集まってきた患者の中へ姿を消した。 中庭での騒ぎの真相を知った施設側は、椿の慰問中止を決めた。このままでは責任が取れないということなのだろう。 医長との談話についても未定のままで、椿と開拓者たちは応接室に控えていた。 まず口を開いたのは緋桜丸だった。 「黒塚の事について俺たちは良く知らない。だが、普通、こういった事故に巻き込まれて仕事を失った人間ていうのはもっと‥‥独特の空気を纏っているもんだ。だが、直接話してみてそれがないのが不思議だった。聞けば補償してくれてるから大丈夫なんだと――ここじゃ、それが当たり前なのか? その、五色老ってのはいったいどんな存在なんだ」 「今回の崩落事故が起きた、鉱山での採掘依頼をしたのが紫根の小幡だからでしょう。五色老ならすべて善行するわけじゃありません。小幡は神職だから特別なんです」 「その‥‥五色老って、なに?」 蛇丸が怪訝な顔で訊いた。血筋と序列最優先の中で理不尽な扱いを受けて育った彼には、椿が置かれている現状が他人事には思えなかった。この五色老という存在が、彼女を追い込んでいるのだとしたら――。そう考えただけで反吐が出そうになる。 「五色老は道明寺の分家一門です。本家を支えるのが表向きの立場なのですが――」 「僕の方は秋月家関連を訊ねてみました」 眼鏡をくいと直しながら、双伍が次に口を開いた。 「さすがに鉱山で就労されていた方々ばかりなので、秋月家当主の交流を知るわけもなくですね。ただ、温厚で知られていた広高氏が声を荒げていたのを聞いた、という方がいらっしゃいました。これは噂ではなく事実聞かれた方の話なので確かですよ」 「秋月当主の広高殿に関しては、本家へまったく姿を見せていないのが現状です。以前から、本家重臣たちと五色老は不仲でしたけど、今ではそれを隠す事無く争っていて――弟を道明寺の時期当主に推す広高殿が出仕しないのも当たり前と言えば当たり前ですが」 椿は、そう言うと俯いてしまった。部屋の中に重い空気が流れる。 扉を叩く音がして、顔を覗かせた本物の施設職員から、医長との談話も中止になったと告げられた。 それなら明るい内に帰路に就こうと、彼らは早々に施設を後にした。 往路の時と同じく、すずりとなりなが先行する。 「何事もないことを祈るよ」 じゃ、と手を挙げてシノビ二人組は駆け出した。 「私‥‥まだ、はっきりと周囲で起こっている事を理解していないけれど。ただ黙って命を狙われるなんてまっぴらです。私が習ってきた武は何の為か、それも含めてきちんと考えます。そうでなければ――」 椿が視線を寄越した相手は、緋桜丸。もちろんその後ろ姿に重ねて見ているのは別の男性だけれど。 一行が病院を出てから一刻程経過した所で、“若旦那”の足が止まった。前方で戦闘が始まっているらしい。独楽鼠のように駆け回って応戦しているすずりとなりなの姿が確認できる。 街道の脇から踊り出た物々しい装備の連中を見遣り、緋桜丸が言う。 「野郎に優しくする気はないな」 その横へ蛇丸が立った。後ろに幻乃条と双伍も並ぶ。朧と神咲は椿を挟むように立ち、迎撃体勢を取った。 「家に帰るまでが護衛です。なんてね」 細く長い食指を立て幻乃条がニッコリ。 最後の大仕事を前に、皆の顔はなぜか笑っていた。病院では暴れたりなかったようだ。 散、の掛け声と共に白刃が煌いた。 残念ながら、刺客を生け捕りにすること叶わず――と報告を受けた刑部だったが、例え僅かでも前進の手応えを感じ、喜んだ。 |