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■オープニング本文 ●窮地 白い雲が流れるその下で怒号が飛び交う。金属が打ち合う音、獣じみた唸り声――風になびく草葉へと放射状に飛び散る鮮血。 「囲まれた!!」 歩哨の志士が、そう叫びながらアヤカシの身体を両断する。二つに分かれた瘴気の塊が、鈍い音を立てて地面に転がった。やがてそれは黒い染みになり、消えた。 だが、斬り捨てても、斬り殺してもアヤカシ共は沸いて出てくる。キリがない。仲間が一人、またひとりと斃れていく。 それを間近に見ていながら、なにも出来ない己の不甲斐無さに誰もが唇を噛んだ。口中に広がる血の味は己のものではない。八つ裂きにされ、死んだ仲間の血の味だ。 「持ち堪えろっ。必ず救援は来る。それまで何としても持ち堪えるんだ!」 早駆のシノビにすべてを託し、緑茂へ走らせた。 仲間は必ず――来る! 息が弾むのは熾烈な戦いのせいだ。肺が苦しいのは‥‥。 「‥‥ガハッ‥‥ッ」 目の前が赤く染まる。気づくと空を仰いでいた。地面が揺れ、啼いている。 大丈夫だ。 仲間は、必ず、来る。 思考の糸は薄く削がれ、共に行軍してきた友人の叫びは無情の理の中、ブツリと切断された。 ●火急 緑茂軍への支援物資を積み終えた一行は、すぐに出立へと取り掛かった。 俄かに活気付く緑茂の里。方々から入る情報から、楽観的な状況でないことは皆知っていた。だが、そうだからといってうな垂れていては見える未来も見えやしない。 出来ることをすればいいのだ。その一端を担えることが、里の者には喜びだった。 そこへ突如として入った火急の報せ。 援軍の一員としてその場に居合わせた秋月刑部も、他の開拓者達と同様に緊張の面持ちで伝令の様子を見ていた。アヤカシが勢力を増している今、どこで何が起きても不思議ではない。 「援軍の別働隊が、アヤカシに襲われて窮地に立たされてるらしいぞ」 秋月と同じ志士が、伝令のシノビから聞いた話を教えてくれた。 「救援を求めているのか」 「そうみたいだけど‥‥もうムリなんじゃないか? 今頃は全滅してるだろ」 肩を竦め、そう話す志士を思わず睨みつけていた。男は眉を潜めて苦笑する。 「全方位囲まれて襲われたって話だぞ? 時間も経ってるし」 「だからといって救援を無視するのはどうかと思う」 秋月はそう言い置いて、足拵えを始めた。 「え! お前、まさか行くのか?」 「ああ」 引き留める男の手を払い、秋月は答えた。 「その援軍の中に友人がいるかもしれない。もしそうだとしたら、俺は友を見殺しにしたことになる。それだけは絶対に避けたい」 くるりと踵を返す。緑茂軍へ向かう仲間達とは逆の方へと向かう秋月。 「一人じゃどうにもできないだろ!?」 男が背後で叫ぶ。 だからどうだというのだ。 秋月は、ふ、と口元を緩めた。 「戦いたければ一緒に来ればいい」 ただし――、恐ろしく先の見えない戦いではあるけれど。 皮肉たっぷりの笑みを湛えて振り返ると、驚いたことに同行しようという気概を見せた者が他にもいたのだ。 どうやら二人のやりとりを聞いていたらしい。 「物好きだな」 口幅ったくて言葉にはできないが、なんとも頼もしい限りだと思う秋月だった。 |
■参加者一覧
川那辺 由愛(ia0068)
24歳・女・陰
水鏡 絵梨乃(ia0191)
20歳・女・泰
蘭 志狼(ia0805)
29歳・男・サ
桐(ia1102)
14歳・男・巫
輝夜(ia1150)
15歳・女・サ
ジンベエ(ia3656)
26歳・男・サ
北風 冬子(ia5371)
18歳・女・シ
野乃原・那美(ia5377)
15歳・女・シ |
■リプレイ本文 曇天の中、駆け戻る馬を見送りながら、同時に飛び出していく輝夜(ia1150)へ一瞥をくれる川那辺由愛(ia0068)と野乃原・那美(ia5377)。 囮として隊を離れた輝夜だが、孤高過ぎる行動に二人の表情は険しい。 「二律背反だな」 ポツリと秋月刑部(iz0041)は漏らした。 「ここからは囮班と本隊と別れることにしよう」 刑部は小さく頷きながら、仲間の顔を順に見た。 「包囲の引き剥がしに取り掛かろうかね」 般若面のジンベエ(ia3656)がゆらりと動く。刑部とすれ違い様、「生きて戻るのが最終目的だ」と意味ありげに呟いた。 同じく囮班のシノビ、北風冬子(ia5371)がジンベエに続く。 「少しでも多く助けられるよう頑張るよ!」 見送る本隊へ向けて、拳を突き出した。 「期待して待ってるよ」 古酒を持つ手を上げ、ニッコリと笑う水鏡絵梨乃(ia0191)は、そのまま蓋を取ると、美味そうに喉を鳴らして飲み干した。 「ん?」 駆け出したジンベエの方角が輝夜と同じであることに、蘭志狼(ia0805)が僅かに驚きの色を見せた。 だが、志狼は口角をくいと上げ、不遜な微笑を浮かべる。 「出来るだけの事をせず諦めるのは愚か者の言い訳だ」 その言葉の真意を訊ねたいと、ふと思った刑部だったが、言い終えて振り返った志狼の双眸が紅蓮のように燃えているのを見て訊くのを止めた。 「‥‥行くぞ」 体勢を低くし、本隊の面々は血生臭い焦土へと向かう。 ●囮 輝夜は自身の予定通りに、咆哮を敵包囲網を正面にして放つと瞬時に背を向けた。視界の端で確認出来た敵数は鬼1体と剣狼が三頭だった。想定外の少なさに輝夜が苦々しく唇を噛む。それでも追っ手はすでにこちらを標的に走り出していた。 「止むを得ん」 数は少なくとも包囲網突破の一助にはなろう。輝夜は森の中へ紛れるように駆けた。 その輝夜の位置より後方を、ジンベエと冬子が追従する。四体のアヤカシを眼前で視認しつつ、ジンベエは懐の撒菱に手を忍ばせた。指先で尖端を弄り、背後についた冬子へ視線を向ける。 「分散が目的だ。常にアヤカシを引きつけておかねばなるまいよ」 言いつつ、ジンベエが撒菱を撒いた。 「勝手に戻ってもらっては囮として困るからな」 ふ、と不敵に笑う。 冬子は疾駆する狼の様子を剣呑とした顔で見ながら、 「誘導と牽制の微妙な駆け引きも試したいしね。絶対に向こうには戻させない!」 囮の成否で本隊の負担が変わる。少しであろうと敵数は削っておきたい。ジンベエと冬子は更に速度を上げた。 ●本隊 行動開始 囮班が駆け出して数分後。包囲網の一角から、アヤカシが何かを追うように離れていくのが見えた。視認できたのは鬼が一体と剣狼が、‥‥三。思っていた程の数ではなかった。 「咆哮がうまくいかなかったんでしょうか」 医療要員の桐(ia1102)が訊ねる。 「ふふふ。大丈夫だよ、桐には絶対に手は出させないから♪」 那美が腰に差した胡蝶刀を軽く弾いて見せると、桐は安堵したように頬を弛緩させた。 「ジンベエと北風も囮になってくれている。俺達は敵中突破で仲間を救うのみだ」 すっくと立ち上がり、最前衛の志狼と刑部が真っ先に駆け出す。アヤカシ共は自分達が囲んでいる開拓者を襲う事に夢中になり過ぎて、背後の志狼達には気づいていない。 囮に釣られたのが僅かでも、出来た隙は見逃さない。 「僭越ながら助太刀させて貰う! これよりアヤカシの壁を崩す為、この声ッ、聞こえていたならば、しばしの後退を乞う!」 一呼吸置いて投擲された焙烙玉は、放物線を描いてアヤカシの只中に落ちた。 ――炸裂ッ 爆風を物ともせず疾走する絵梨乃は、アヤカシの壁へ気功波を打つ。鬼が唸り声を上げて振り返る。その足元で数匹の剣狼が向き直り、戦闘態勢を取った。一部の攻撃対象がこちらへ転換したことで、内側の負担は軽くなるはずである。 志狼は頭上で羅漢を大きく回し、振り下ろすと穂先を突き出し槍構を取った。 「刑部ッ、行くぞ! 蘭志狼、推して参るーッ‥‥!」 覇気を放ち、地面を蹴る。 刑部は鯉口を切ったまま、志狼の背を追い、敵包囲網へ突入した。 治療を全面に行う桐を庇う為、那美と由愛、絵梨乃は三方を抑えながら、アヤカシの中へ飛び込んだ二人を凝視する。 志狼と刑部は背中合わせに立つと、気合一閃。 「貴様らは所詮瘴気の凝り‥‥狼は味方を見棄てんぞ!」 飛び掛ってきた剣狼の腹をめがけ、低く構えた位置から槍を突き上げた。柄を握る手に伝わる感触が、瘴気の塊に一撃くれてやった実感を沸かせた。 「‥‥っセイ」 通常と違う型、上段に構えた剣を斬り下ろす刑部。叩き斬っても沸いてくる剣狼の向こうに人影が見えた。 「蘭さん、向こうに誰かいますッ」 「どうにか抵抗しているようだが、このままでは持たんな。道を広げよう!」 二人の位置からさほどに離れていない場所で、剣狼の集団に襲われている開拓者をみつけた。累々と横たわる骸の中で片腹を押さえ、闇雲に剣を振るう様子から重傷であろうと推測する。 志狼が先に動いた。長槍を真横に倒し、牙を剥く野狼を悉く押し戻した。僅かに遅れた刑部は剣を片手に持ち替え、上下に振り分けた打突で狼を牽制する。 アヤカシの壁に経路が出来上がっていく。 「それじゃあ作戦開始といこうか♪ とにかく速さが全てだし、ささっと助けちゃおう♪」 那美が先行し、続いて由愛と絵梨乃、桐が救護に向かう。 槍と剣を振るうサムライと志士の間を抜けると、桐の目に一人のサムライが飛び込んできた。鎧の一部が噛み千切られ、足元には血溜りさえある。 (「瀕死と言える傷‥‥早く行かなければ‥‥ッ」) 桐には、力尽き倒れ行くその姿しかなく、夢中で駆け寄る少年には自分が狙われている事に気づいていなかった。 「あっぶないよぉ♪」 楽しげな声とは裏腹に、ニ振りの胡蝶刀が剣狼の四肢を刻んだ。地を駆ける脚を失った狼は地面の上でバタバタと足掻いている。 「アイツ、桐に飛び掛ってたんだよ♪ ふふ。他にもいっぱいいるね」 意識を手放しそうなサムライを呼び戻す為、必死に神風恩寵を詠唱する桐を護る那美。ニ刀を逆手に持ち舞い上がる木葉を纏うと、襲い来る狼の群れへ――。 由愛はぐるりと周囲を見渡した。まだ戦っている者を確認し、 「助けに来たわよ! ここからはお互いに力を合わせて脱出だからね!」 声を張り上げた。腕を大きく振り上げ、よく見えるように「こちらへ来い」と合図する。 そのまま呪殺符を三枚指に挟み、神鏡を模したカマイタチを呼び出した。 「怨念よ、形と成れ。さぁ、派手に行くわよ!」 地面を踏み鳴らして向かっていた鬼の膝が、ざっくりと切り裂かれた。鬼が片膝をつく。 円盤状の刃は鬼の膝を切り裂いた後、失速することなく剣狼を仕留めた。 由愛とは別方向に向かっていた絵梨乃は、前線で戦うサムライに庇われている巫女の元にいた。 「薬草と包帯、あるが使うか?」 一応声を掛けて肩を叩いたのだが、神経が限界まで磨り減っていたらしく、振り返った巫女は救援が来たと知るや泣き出した。 絵梨乃の姿をみつけ、サムライが戻ってきた。深手はないようだが到る所から出血している。 「救援かたじけない!」 「これを使え。多少だが、傷の治りが良くなる筈だ」 薬草の入った袋と包帯を放った。 「何から何まですまない」 サムライの刀は痛みが激しくボロボロである。それがこの戦闘の熾烈さを物語っていた。 「向こうで応急手当してもらえるから、まずはそこまでの辛抱だ。――出来るな?」 酔拳を発動させた絵梨乃の足元が若干覚束なくなるが、背拳も同時に乗せ万全の戦闘態勢だ。ちらりと視線を背後にやり、涙を拭う巫女へもう一度声をかけた。 「辛い状況ではあるが、皆で力を合わせれば何とかなる」 ニッと笑った顔は、やはり二十歳の女性らしく華やいでいた。刹那、鬼が棍棒を打ち下ろしてきた。 「ボクの本気‥‥。止められないよ‥‥ハァァッ!」 鬼の一撃を寸ででかわし、その腕を掴む。巻き込むように大きく跳躍して頚椎へ足刀を食らわせ、重心を崩した鬼の顔面へ踵で蹴り込んだ。 絵梨乃が鬼を足止めしている間に、サムライと巫女は桐達の元へと向かった。 ●戦線離脱 応急処置を終えた桐達救護班の姿が見えた。 「‥‥はぁはぁ‥‥ッッ」 安堵のせいか、刑部の息が一気に跳ね上がる。 「刑部、ここからが本当の踏ん張りどころだ。命があれば、桐がなんとかしてくれる」 さすがの志狼も胸を波立たせていた。白銀の髪には血がこびり付いている。刑部は小さく二度頷き、視線を前方へと向けた。 本当にどこから沸いてくるのか。一頭斬り殺せば、それが三頭にも五頭にもなって戻ってくる気がした。だがそれも後少しの辛抱である。 傷ついた仲間を連れた桐達を、怒涛のように追う鬼や剣狼の数の多さに志狼と刑部は悚然とした。 ――が。 「ウオオオォォッッ」 鼓舞するように志狼が咆哮する。今、己が立っている場所がどれほどの危地であるか承知の上である。それでも吼えずにはいられなかったのだ。 空に向かい、叫ぶサムライの背後で離脱を終了する桐と開拓者達。そして彼らの護衛に回った絵梨乃が、親指を立てて艶然と笑い駆けて行く。 「参る」 上段の構えで迎え撃つ刑部。 背中合わせに立ち、共に前線で迎撃するのは由愛と那美だ。 「小さくたって、ぜんぜん平気なんだから!」 素早く符を指に挟み、突き出す由愛。 「ふふん♪ 無事依頼が終わったら大きくする手伝いしようか♪」 二センチ背が高いことが自慢なのか。笑いながら軽口と共に素早く攻撃する。砂を蹴り飛び掛ってきた狼の身体から、血の代わりに大量の黒い瘴気が噴出した。 「ゾクゾクしちゃう♪」 「えぇい! どうせあたしは年齢の割に小さいわよっ!!!」 様々な憤りを怨念に変えて斬撃符へと乗せる。 振り仰いだ志狼の眼前に踊り出る剣狼の足元を掬い上げ、石突で突く。ギャインと悲鳴を上げた狼に長槍の二手目が襲い、肉を突き破る鈍い音が響いた。 「温い、その程度かッ」 覇気に魅入られたアヤカシ共は、四人にジリジリとにじり寄った。 志狼の咆哮にアヤカシが引き寄せられたおかげで、撤退を無事終えた救護班。それでも安全だと言いきれるわけではない。仲間が繰り出す撃砕の音がまだ間近に聞こえるのだ。 「少々傷に響くと思うが、我慢してくれ」 絵梨乃が肩を貸しているのは、現場での治療を終えたが重傷に変わりはないサムライだった。その後に桐がついていた。横並びに巫女や弓術士がいる。それぞれ手当は済んでいるものの、志狼や由愛と一緒に戦えるほどには回復していない。 「森の中に入ってしまえばなんとかなる」 「そうですね、皆さん。後少しですから、頑張りましょう」 桐は小刻みに震える巫女の手を引いて励ました。 新たな開拓者の出現で、アヤカシはいつのまにか散り散りになっていた。救助班の離脱が完全に終了したと見て、那美が早駆で合流する。更に早駆で森の中を疾駆して、安全であると合図を送った。それを受けた救助班と開拓者達はアヤカシの集団と徐々に距離を広げていく。 「次は俺達の番だな」 「これが時間稼ぎになればいいけどね」 由愛は残る力をすべて使い、地縛霊の罠を設置した。 「俺は先に行って合流しておこう」 刑部が踵を返し、駆け出した。続いて由愛、那美が続く。直後、罠が炸裂。大百足に蹴散らされるアヤカシへ地断撃がトドメを刺す。轟音と土煙の中、吹き飛ばされる数多の黒い影。 不敵な笑みを浮かべ、志狼は仲間の後を追った。 ●囮として 遠くで爆発音に似た音が上がった。本隊との距離も十分取れた位置に囮班はいる。ジンベエと冬子の右前方、距離にしておよそ五十メートル離れた先を輝夜は走っていた。隼人を用いて、絶えず追いつかれないようにしているようだ。 「時間と先程の爆発音から察するに、向こうは撤退を始めたと思ってよいだろう」 ジンベエは、ごそりと懐に隠し持った残りの撒菱を取り出した。右後ろへ顔を向け、追従する冬子に撒菱を撒く仕草をして見せる。 「んっ、わかったよ!」 鬼はまだ後方にいる。厄介なのは足の速い剣狼だった。こちらが撤退するには、やはりこの三頭を始末するしかない。永遠に走り続けられるほど、体力が無尽蔵にあるわけではないのだ。 ジンベエが減速して狼の前へ移動し、撒菱を撒いた。間髪入れずに一頭が踏み抜き、地面へ大きく転倒する。スピードに乗っていたせいで、しなやかな体躯は二度三度と叩きつけられていた。残り二匹は転がる仲間を飛び越して、追ってくる。 冬子が足を止めた。振り返り様――。 「!」 打剣が剣狼の眉間を捉えた。減速する間もない狼に、回避する術はない。とんぼを切るように空中で回転し、舌はだらしなく揺れている。 「まずは一頭‥‥と」 力なく落下する剣狼へ向け、長巻を構えるジンベエ。横薙ぎに払い、狼の四肢を截断。 続いて冬子が風魔手裏剣を投擲し、打剣で微塵に刻む。 「まずいねぇ」 残りの二匹を捌きながら、鬼の様子を窺っていたジンベエが眉を潜めた。鬼の矛先が輝夜一人に絞られたようなのだ。輝夜の能力は高いだろうが、如何せん対手は鬼だ。一人きりで戦うには荷が勝ちすぎている。 徐にジンベエが吼えた。 「ジンベエさん?!」 冬子が驚くのも無理はない。本隊は撤退を開始したのだし、剣狼もここで仕留めた。残る鬼とは十分な距離を取ってから本隊と合流、というのが自然な流れのはずである。 だがジンベエは何食わぬ顔で、 「捨て置くわけにはいくまいよ。なに戦うつもりはない。少しの間の時間稼ぎだ。冬子は本隊に合流しても構わんよ」などと言う。 「何て事言うかね、ジンベエさんは! ギリギリの十歩手前までなら付き合うよ!」 冬子の返事を聞き、ニヤリと笑う。面が笑うわけではないが、何故かそう見えてしまうのだ。 鬼の足がこちらへ向いた。 「一撃離脱でいく」 「了解!」 芝居の見せ場のように、一陣の風が吹き抜けた。 ●撤退離脱終了 落ち着いて治療ができる場所まで後退できた本隊と開拓者達。 珠のような汗を流しながら、桐が懸命に治療を施す。傷を癒されながら、彼らは仲間の亡骸を野ざらしにしたことを悔い、咽び泣いた。 「明日は我が身が骸となるかもしれない世だ。背を預けて危地に立つ時、信頼なくして剣は振るえない」 沈思し、刑部が吐いた台詞の向こうでは、帰還した囮班を出迎える絵梨乃や那美、由愛のはしゃぐ声がした。 刑部が振り返る。 そこに女剣士の姿はなかった。 |