花巡り〜名残桜に逢いに
マスター名:周利 芽乃香
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや易
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/05/19 07:11



■オープニング本文

 山いただきに咲く花は、静かに佇み 誰を待つ――

●桜の碑
 北面の貴族、七宝院家には本家と傍家がある。
 今から数代前に地方豪族の娘を妻に娶って興したのが傍家の七宝院だ。
 血筋から来る家格は本家に遠く及ばず殿上の資格も有していないが、傍家には何処よりも確かな財力があった。
 祖先が残した土地財産は、今なお北面辺境に残されている。

 その日、七宝院 絢子(iz0053)は猫又が持ち帰った桜の枝を眺めていた。
 桜は枝を折ると弱ると言う。だから決して枯れぬ桜をと絢子は望んだ。猫又は生命力の強い桜樹から一枝分けて貰って戻って来たのだが――
「花の頃はもう、終わりなのね」
 誰にともなく呟いた。季節は初夏に近付いている。何処ももう葉桜になっている事だろう。
 絢子は通称を『翳姫』と称す。
 かすみひめ、つまり存在感の薄い姫という意味だ。最近では猫又とも会うようになったが、今も乳母以外の人間とは会おうとしない七宝院の一ノ姫は絶世の美女の呼び声高く、噂だけで求婚する者が後を絶たない。
 そんな状態に倦んで、絢子は自分の殻に閉じこもったまま今に至る。
 対して、妹姫は『曙姫』と称し、年の頃は十五、姉姫を歳若にした美少女だと専らの評判である。尤も妹姫――七宝院 鞠子(iz0112)は、志体を持たぬ身でありながら開拓者になりたいと願う一途な娘で、こちらも縁談には興味がない。
「‥‥於竹」
 絢子が呼んでほどなく、乳母が姿を現した。

「今年の花は、もう終わりかしら」
「はて、どうでござりましょうな」
 乳母は絢子の意図を推し測りながら答えた。表情や声の抑揚を見聞するに、いつも通りのように思えるが、何を望んでおられるのだろう。
 絢子は一言、呟いた。
「御山は」
「おお、御山の桜でござりましたか。今年は何処も開花が遅うござりましたから、未だ咲いているやもしれませぬな」
 御山の桜とは絢子の家が所有する山にある桜の古木だ。数代前に七宝院の若君が、御山を治める地方豪族の一人娘と恋に落ちて傍家が生まれたとされる。山桜ならば、まだ花が見られるかもしれない。
「鞠子の護衛を頼めれば良いけれど」
 御山の桜樹の根元には小さな碑が建てられているはずで、そこへ向かうのは妹姫だ。
 一昨年、鞠子は開拓者達を伴って御山へ参った。歌舞音曲の花宴を催し、古樹と碑の無聊を慰めたのだが、今は国内で魔の森が活発化している。絢子自身、魔の森絡みで気掛かりな村があるこの時世、ギルドで人を募ったところで開拓者が集まるとは考えにくかった。
 だが年頃の娘を一人山へ向かわせる訳にもいかないし、派手に人を募って物見遊山よと謗られるのも出かけた者達が気の毒であろう。
「於竹、今年は人数を控えて。あと、ちくわも護衛に加えて」
 絢子は開拓者ギルドへ出す使いの指示を始めた。


■参加者一覧
崔(ia0015
24歳・男・泰
柚乃(ia0638
17歳・女・巫
秋霜夜(ia0979
14歳・女・泰
礼野 真夢紀(ia1144
10歳・女・巫
玖堂 紫雨(ia8510
25歳・男・巫
リエット・ネーヴ(ia8814
14歳・女・シ
村雨 紫狼(ia9073
27歳・男・サ
ニノン(ia9578
16歳・女・巫
明王院 千覚(ib0351
17歳・女・巫
音羽屋 烏水(ib9423
16歳・男・吟


■リプレイ本文

●御山へ
 人里離れた山道を、軽装の一団が登っていた。
 今日の遠出は、七宝院家の二ノ姫とゆかりの開拓者達が、北面辺境の山へ名残桜を探しに向かう観桜の遊山だ。山道自体は然して険しくはないが、滅多に人が入らない場所だけに歩きやすいとは言い難い。
 先行して駆け上ってゆく忍犬達の尻尾を目で追い、秋霜夜(ia0979)は霞へ呼びかけた。
「千覚さんちのぽちさんと一緒にね〜」
 逸れないようにと声を掛ければ、元気な応えが戻って来る。仔犬のようなふわもこ加減のぽちが転がるように後を追うのを微笑ましく眺め、明王院 千覚(ib0351)は列の中程を歩く鞠子に視線を向けた。
(ご先祖様の碑が奉られた桜詣で‥‥ですか)
 御山は、先祖代々の墓所にも等しい神聖な場所なのだろう。
 年末年始と北面を襲った災厄、魔の森の一件で騒がしい折だからこそ、詣でる事に意味があると思う。
「鞠子ちゃん、お久しぶりですね。ちくわぶちゃんも」
 歩きなれぬ道で気丈に足を動かす鞠子に並んで、にっこり声を掛ける柚乃(ia0638)の肩元からするりと現われる襟巻きもどき。
「あら、ちくわぶじゃない。ごきげんよう」
「我はちくわぶでない、ち・く・わ・だ!」
「あらあら、ちくわは元気ね」
 柚乃へは愛想良く流していた癖に、管狐の伊邪那には力いっぱい修正する当家居候の猫又に、鞠子が的外れな感心の仕方をしていると、突然ちくわはギャッと鳴いて静かになった。
「ちくわ?」
「う! ちくわ発見っ♪」
 猟師の罠にでも掛かったのかと騒然となる中、藪の中から出て来たのは力任せにちくわを抱っこしたリエット・ネーヴ(ia8814)。
 リエットは呆気に取られた皆などお構いなしだ。満面の笑みを浮かべて猫又を抱き締めている。
 それだけなら何とも微笑ましいのだが――
「リエットさま‥‥お首に‥‥」
 襟巻きよろしく蛇を首に巻いていた。
 しかもその蛇が鎌首もたげてちくわの鼻先をちろちろ舐めていたりするものだから、猫又は全身の毛を逆立てている。
「う? 蛇革マフラーだじぇ?」
 天然物だと尻尾を振り回すが、リエットこそ天然の野生児と言えるだろう。
 這う這うの体で抜け出したちくわを礼野 真夢紀(ia1144)が拾い上げる。いまだ耳を寝かせたまま毛を逆立てたままのちくわを抱き上げて山を登り続ける真夢紀の懐から、仔猫又の小雪がちょこんと顔を出して止めの一言。
「おじちゃん、だいじょうぶ?」
「‥‥‥‥」
「今のは効いたな」
「ああ、キツイよな」
 最後尾で周囲の状況を確認しながら進んでいた崔(ia0015)と、同行者達の荷を率先して持っていた村雨 紫狼(ia9073)が同情気味に呟いた。
 先行した霞達が伝って行った先に目を遣り、霜夜は歓声を上げた。
「わぁ‥‥あの白く見えるのが、お目当ての桜なんですね?」
 ほろほろと、白い花弁を散らしてはいたが未だ満開の山桜が頂上に見える。
 視界に入る目的地に元気付けられて、一行は山道を登りきったのだった。

●山の碑
 山頂に到着した一行を出迎えたのは少し開けた場所に佇む古樹の姿――柚乃は息を呑んだ。
「これが、御山の春の姿‥‥」
 秋の頃、紅葉に訪れた時の事を彼女はよく覚えている。燃えんばかりの赤や黄色は冬を目前にして生命を燃やしているかのようだったが、春の姿はほのぼのと暖かく、それでいて儚げだ。
 白い桜越しに空を見上げれば優しく花弁が舞っている。
 それはまるで雲が千切れて風に遊んでいるかのようで――
「ここにはまだ居ってくれたか」
 ニノン・サジュマン(ia9578)は目を細めた。
 葉桜の時期は、いつも親しい友に去られるような気持ちになる。春のほんのひととき滞在する桜という名の旧友が、一日延ばしで出立を待ってくれたかのような――
 再会の嬉しさ懐かしさにそっと手を差し伸べると、懐の竹筒から出て来た管狐の花林糖が、ニノンの腕伝いに桜樹を見上げて感嘆の息を吐いた。
「包容力のある花だ。ここに居ると、竹筒の中に居るのと似た気持ちになる」
 仄かな桜の香りを嗅ぐかのように、くんくんと鼻先を蠢かす。艶やかでもふもふな銀の毛並みと相まって小型犬のようだ。
 つい目を奪われた鞠子に犬ではないぞと言い置いて、精霊だと主張する花林糖。
「私は誇り高き精霊。愛玩動物と一緒にしないでくれ」
「はい、精霊さまですわね」
 何処か愛嬌があるその仕草に、くすくすと応える鞠子である。

 背の荷を下ろしてもらい、もふらのいろは丸が身を震わせた。押さえつけられていた毛並みが一気に空気を含んで璃寛茶の鬣も柔らに膨れる。
 もふーと伸びを一回して、いろは丸は傍らの音羽屋 烏水(ib9423)に振り返る。
「良い景色もふ。某と一句、詠んでみるもふか?」
「詠草料紙じゃな、持って来ておるよ」
 荷から料紙を出していろは丸に差し出せば、ゆったりと呻吟を始める。
 毛氈を広げた上に並べられてゆく御馳走の数々は、どれも皆開拓者達の心尽くしだ。
「糠秋刀魚も、いい?」
 七輪で湯を沸かしている千覚に協力を仰ぎ、真夢紀は持参の弁当や甘味を並べ始める。三方代わりの大杯を抱えて霜夜が待っているのは真夢紀特製三食団子。
「蓬と、桜と、白は兎さんにしちゃいました」
 愛らしいお供え団子を大杯に盛り碑へと運ぶと、崔が桜花を漬け込んだ酒を碑に供えて黙祷していた。
「あ、桜に因んだお酒ですねっ」
 ちょっと場所を開けて貰って一緒に大杯を据える霜夜。荷解きの手伝いに向かった崔を見送り、振り返った先に映る鞠子は何を捧げるのだろうと思いを巡らせる。
 鞠子の従者達は毛氈の上へ十二弦の筝を設置していた。
 自然、その周囲が楽師達の集う場所となる。空に近い山頂で奏でる音は、さぞ気持ちの良いものだろう。
 一句捻ろうと頭を巡らすいろは丸に背を向けて、烏水は三味線の弦を締め直してひと掻き。
 ぺぺん、と弾いた三味の音に、歌舞音曲をよくする者達が集まる。舞や笛、琵琶も奏でる柚乃に、奉納舞をお許し願えるならばと控えめに申し出る玖堂 紫雨(ia8510)。
 紫雨は巫覡氏族の――先代当主だ。
「当主代行を務めております」
 そう言って微笑する彼は如何見ても二十台半ばの若さなのだが、現当主の父親なのだというから見た目で判断してはいけない。
「ご当主さまのお兄さま‥‥?」
「いえ、父なのですよ鞠子殿」
 やんわり訂正する紫雨に、それは失礼をと恐縮する鞠子。
 いつまでも若々しいのは良い事じゃとニノンは宴の仕度を進めながら言うと、紫雨は花椿にも縁がある一族の少年の近況を伝える。
「そうそう、甥が娘と顔を見せたいと申しておりました」
 昨秋、年上の妻との間に子を成したのだとか。
 人の父となった少年への祝辞が溢れる中、ちくわは紫雨が連れの猫又・月児にこっそり尋ねていた。
「甥の娘から見て、紫雨は爺になるのか?」
 さてなと月児は老獪に笑んでみせた。

●桜下の宴
 設えが整い、めいめいが思い思いの場所に落ち着いて、花見の宴が始まった。
「姫の名に因んで作ってみたのじゃ」
「まあ‥‥可愛い」
 そう言ってニノンが蓋を開けた箱からは紅色も鮮やかな燻製鮭の手毬寿司。塩漬け桜花をあしらったものもあり、何とも華やかで愛らしい。
「竹輪の磯辺揚げも作ってきたぞ」
 細かくした梅干が彩り美しい磯辺揚げは竹輪、同じ名の猫又が寄越せとばかりにニノンに擦り寄って来るのを、花林糖が横から茶々入れる。
「どれ、猫ならニャーと鳴いてみたまえ」
「高飛車ギツネが。カリントウをやらぬぞ」
「‥‥それは勘弁してくれたまえ」
 楽しみの茶菓子を盾にニノンにはたかれた花林糖、慎ましく引き下がって彼女に従う。
 黄色と緑の対比が鮮やかな菜の花入りの玉子焼きはほろ苦さと卵の甘味が絶妙で、里芋や根菜の煮物は何処か懐かしさを感じさせた。
「美味いよー 実家の母ちゃん思い出すぜー」
 独り身の紫狼が有難がってぱくつくもので、紫狼謹製土偶ロイドのアイリスは半ば本気で作り方を覚えて帰りたくなったようだ。
「だってさ、最近マスターったら他の女の子にデレデレして!」
 遺跡に入り浸ってガイドの女の子に鼻の下を伸ばしてるし、此処へ到着するまでの間も下心丸出しで荷物持ちなんてしてるし――等々、アイリスの繰言は続くが、当の紫狼は何処吹く風だ。
「‥‥っの、ばかマスター!!」
「のわっ!!」
 呑まずに絡みが入ったアイリスは一声紫狼に非難の声を挙げると、彼に取り分けてやっていた菜の皿を押し付けてソッポを向いた。
「‥‥やっぱり、人間じゃないから振り向いてもらえないのかな‥‥?」
 小さな小さな呟きは、アイリスの胸の中でいつまでも反芻している。
 真夢紀が弁当箱に詰めてきた定番の鶏の唐揚げ、筍の煮物に蕗の佃煮、早生のエンドウを豆御飯のおにぎりにしたもの――春らしい料理の数々が皆の目と舌を楽しませている。
 御酒が回されると、肴に丁度良いのが糠秋刀魚。程よく炙られた秋刀魚は脂が乗っていて御飯にもよく合う。
「御酒を召し上がらない方は、椀物もありますよ」
 茶や汁物を拵えて甲斐甲斐しく給仕しながら、千覚は七輪の番もこなしていた。つまみやすい大きさのおにぎりのいくつかを、七輪の網で炙って、焼きおにぎりにしているのだ。
 醤油の焦げる香ばしい匂いに烏水が目を輝かせた。
「おおっ、おむすびも美味いが焼きおむすびも良きかな♪」
「目に青葉‥‥鼻、焼きむすび‥‥違うもふ」
 いろは丸? と烏水が相棒を振り返れば、未だ呻吟中だ。
 真面目に吟じているようだが食物の誘惑は抗いがたいものらしく――ふるふる鬣を震わせてやり直すも、どうしても食べ物に行き着いてしまう様子。
「一句出来たもふ。『目に青葉 名残桜に 柏餅』」
 結局、食い気で〆る事にしたようだ。

 御馳走の後は柚乃の茶席で一服。天儀風からジルベリア風まで、皆が用意した甘味も充実している。
 作ったのは息子ですがと紫雨が切り分けるパウンドケーキは干無花果が入ったもの、料理上手の彼を知る者も多く味は保障付きだ。
「スコーンは桜と蓬です?」
「甘夏の甘煮は如何?」
 色々な楽しみ方ができそうだ。
 真夢紀が時間を掛けて丹念に作った甘煮や苺ジャム、洋の甘味は勿論の事、和の甘味も充実している。七輪で餅を炙ったものには、黄粉と樹糖で甘味を付けたり醤油で香ばしく仕上げて。
「甘いの駄目な人用に、お煎餅と木の実と裂きイカもありますよ」
 至れり尽くせり用意された数々に、口寂しい者は誰もいない。
 くちくなって駿龍のシャートモアに抱きついたままうとうとしているリエットの向こうで忍犬達がじゃれ合っている。
 切り分けた月餅を碑にお供えして合掌していた千覚は、ころころ転がるように霞と追いかけっこしているぽちを和やかに見つめた。
 摘み易い大きさに切り分けた月餅には人間関係円満の想いが籠められている。忍犬達の戯れを眺めて談笑している鞠子に、ニノンが耳打ち。
「‥‥して、筒井筒のお方とはその後どうなのじゃ?」
 別に下世話な好奇心ではないぞと言い置くニノンへ微笑で返して、鞠子は茶を一口含んだ。
 鞠子の横顔、その髪には未だ硝子細工の簪が飾られており、それが誰からの贈り物であるかをニノンは知っている。
「先日、歌会に参加いたしましたの」
 応えなのか世間話なのか、ごく何気ない様子で鞠子は話し始めると、同席していたらしいと続けた。
「らしい、とな?」
「はい、お顔拝見は叶いませんでしたの」
 言葉に割に憔悴の影が見えないのは、同じ場所に居合わせた事自体を僥倖と捉えているからに違いない。ほんの僅かの縁さえも、この娘には得がたいものなのだろう。一途なまでの健気さを、ニノンは愛おしく思う。
「ねえ鞠子ちゃん、鞠子ちゃんの好きな人はどんな人?」
「それ俺も聞きた‥‥ぐえぇっ」
 鞠子に想い人がいると知ったアイリスが前のめり気味に尋ねて来た。一緒になって興味津々聞き耳を立てる紫狼はハイキックで蹴り飛ばす。
「ばかマスターはあっち行けーっ!! ‥‥あ!? べ、べつにボクがマスターを好きだっていうんじゃないんだからね!」
「‥‥‥‥」
 慌てて補足するアイリスの頬が赤い――ような気がする。実に精巧な土偶ロイドの身体は、本人の自覚以上に雄弁に心境を物語っていた。
 お星様になった紫狼の軌跡を若干引き気味に見送った鞠子は、何事もなかったかのようにアイリスに向き合うと「心根のお優しいかたですわ」と応えた。
「優しい人?」
「ええ、優し過ぎるほどにお優しいかた」
 誰に対しても優しく思い遣り深い人――鞠子はそう言って微笑んだ。
 優しさは時として残酷にもなり得る。思い出は想う限りいつまでも生き続けて、想う者の心を占める。
「ニノンさま?」
 気付くと、鞠子が己を覗き込んでいた。
 ただ一途な恋を胸に、人一倍頑張っているこの姫が笑顔でいてくれればいいと願う。誰より鞠子の幸せを願いつつ、ニノンはさりげなく話を変えた。
「どれ、久し振りに姫の演奏を聴きたいものじゃ」
「おお、わしも三味を合わせようぞぃ」
「舞や笛でしたら‥‥一応琵琶も所持してますがっ」
 筝を引き寄せた鞠子に応じる楽師達、では奉納舞をと徐に立つ紫雨に場を空けて即席の舞台が出来上がった。
 山神へ祝詞を挙げてのひとさし、空へ昇りゆく音曲の調べと共に祈りを捧げる。

 今日この日を照らす、春の陽射しの如く麗かな日々が、世に拡がるように。
 地上を覆う哀しみを希望の光が覆い包み込むように。

 奉納舞を観る皆に一様に過ぎる想いは平和への願いだ。
(きっと乗り越えて行きます)
 此度の災厄は人々を絶望に追いやりはしたけれど必ずや乗り越えてみせる。志体の有無は関係ない。鞠子や北面の人達、そしてこの地に暮らす全ての生ける者達――人々の和を以て乗り越えてゆくのだと、千覚は改めて心に誓う。
 やがて柚乃も加わって華やかさを増した舞に興を誘われた霜夜が楽に加わって、代わる代わる演奏を繰り返す――そんな様子を、崔が少し離れた所からまったりと写生していた。
 取り分けた弁当や茶菓子を脇に置き、のんびりと絵筆を走らせる画伯の格好はと言うと。
「随分と可愛らしい格好だな、崔」
「‥‥仕方なかろ」
 ちくわの言葉に、ツインテールの二十四歳男性が返した。
 別に崔にそういう趣味がある訳でなく、一人と一匹の何とも言えない空気などお構いなしの一羽が小鳥の如き無邪気さで遊んでいる。
「膝に載せる訳にゃいかねえんでな」
 迅鷹の月光専用止まり木になっている崔の膝には画板が乗っていた。用紙の代わりに月光を絵具で染めても意味はない。時々強く髪を引っ張られて痛ェなどと言いながら、崔は紙に皆が楽しむ光景を写し取る――
「‥‥‥‥」
「言いたい事あんなら言ってもいいぞ? 自覚あるから」
 画板を覗き込んだちくわが個性的な絵だなと感想を述べる、そんな微妙な雰囲気など何処吹く風で月光は崔の肩から肩へ渡っては、つんつんちょいちょい茶の髪を弄んでいる。
 こうして思い思いに場所を取って花弁を含む風に身を任せていると、山の一部になったような心地さえする。
「‥‥勿体ねぇよな」
 ぽつり、崔が漏らした。聞きとがめて何がだと尋ねるちくわに「なんでもない」と返す。
 この場にいない、もうひとりの依頼人。
(人前に出るには、まだ戸惑いがあるんだろうが‥‥)
 菊の縁の一ノ姫は未だ外界を知らない――目の前に広がるこの景色も、人々の笑いさざめきも。
「さて、と。散歩でもして来っか」
 髪を高く結い上げたまま、崔は月光と散策に出かけて行った。

●想いあらわす
 山神への奉納舞を終え、楽の手を止めた鞠子は碑の前に立っていた。
「鞠子さまも、桜木に思いを届けられる為になにか持ってらしたのですよね?」
 供える場所を開けようと気を遣う霜夜に、それには及びませんわと微笑んだ鞠子は、ちくわが咥えて来た桜樹の枝を手に取った。
「それは‥‥」
「ちくわが探して来た、生命力溢れる桜の枝にございます」
 両手で捧げ持ち、鞠子は一首吟じた。

『春薫る うららいざなう花巡り 想い導け たづの御許へ』

 数代前の七宝院家当主が、この碑を建てたのだと言う。
 名家の若君と地方豪族の娘の婚姻により派生した七宝院傍家、そもこの御山は娘方の家の所有地だったものであった。
 身分違いの恋を象徴する碑の前で、鞠子は己の気持ちを山神に捧げる。嘘偽りない素直な想いを吟じ、己への誓願とする。
「貴族の若君と地方豪族の娘の恋か‥‥ふむ、何処ぞで聞いた話だな? 紫雨」
 月児が紫雨に微笑いかけた。意味ありげな微笑に一同の視線が紫雨に向かう中、当の紫雨はやんわりと月児を窘める。
「月児、年寄りの昔話などつまらぬだろう」
「ご迷惑でなければ聞かせてくださいませんか」
 鞠子に水を向けられて、紫雨は亡き妻との思い出を語った。理穴の地方豪族の娘と相愛になり、困難を乗り越え漸く妻に迎えた若き日の紫雨。
「両家の大反対を乗り越え、祝言を挙げた時は、流石の我も感動したものよ」
 代々の当主を見守る老猫又は、紫雨の話をそう結んだ。
 しかしながら歴史は繰り返すもの。
 紫雨が一生一度の妻を見つけたように、彼の息子もまた生涯愛し抜く伴侶を見つけるだろう。
「ボク、鞠子ちゃん達が羨ましいよ‥‥」
 人同士であれば、いつかは出逢う事もあるだろう。愛し合う事も叶うだろう。
 でも――種を越えて、は。
 胸の奥の宝珠にヒビが入ったような痛み。内部から引き裂かれるような痛みにアイリスは切なく耐える。
(ボクが人間なら‥‥ううん、せめてお姉ちゃんみたいに素直なら)
 港で定期メンテナンス中の天真爛漫な姉土偶を思い出し、アイリスは溜息を漏らした。

●名残桜の思い出を
 数日後。猫又は七宝院の一ノ姫とその乳母に、御山の話を話していた。

 山桜が満開だった事、皆が用意した御馳走の数々、山神への奉納舞――

「皆、楽しんだのね。良かったわ」
 如何にちくわが語ろうと絢子や於竹の想像には限度がある。さらりと感想を述べた絢子に、ちくわは前脚で文箱を押し出した。
「それでな、土産を預かっておる」
「土産?」
 何だろうか、桜樹の枝を収めた返礼が山神から来た訳でもあるまい。
 何やら愉しげな様子のちくわを怪訝に見ながら文箱を開けると、画紙が入っている。広げてみると――
「‥‥まあ」
 ほんの一言の感嘆には笑みが含まれていた。
 くすくす。やがて鈴を転がす声に変わる。於竹は久方振りに絢子の笑い声を聞いた。
「姫様?」
「本当に‥‥皆、楽しんだのね。解るわ‥‥とても」
 於竹にも見えるよう広げてみせた画紙に描かれていたのは、花見の光景。
 実に味のある絵画であった。お世辞にも決して上手いとは言えないのだが雰囲気は良く出ていたし、何より絢子に場を伝えようという気持ちがよく現われていた。
「ほほ、これはこれは‥‥」
「この三毛はちくわね? この装束は鞠子かしら? こちらはどなた‥‥?」
 ちくわが語った花見の報告が、絢子の中で初めて情景と結び付き興味へと繋がっていた。絵には桜の花弁で押し花が施されている。満開の山桜を表現した押し花が、実物も見事だったろうと思わずにはいられない。
 矢継ぎ早に尋ねられ、ちくわは再度花見話を繰り返す事となったが、二度目の話は最初よりもずっと身近で楽しく感じられるものであった。

 満開の山桜の下、御馳走を囲んで春を楽しむ人々。やがて歌舞音曲は山神へ捧げる祝詞となって空へ昇る。

 絵物語とは異なる生き生きとした描写は、実際に足を向けたちくわの語りもあって絢子の心を打ち続ける。
 何度目かの話を請うた後、絢子はふと気付いた。この邸にはもう一人、語り手がいるという事に。
「於竹」
 呼ばれた乳母は続いた言葉に驚いた。誰とも会おうとしない一ノ姫が、二ノ姫との会見を望んだのだから。

 その日――鞠子は初めて姉と面会を果たしたのだった。