【籠女】よあけのばんに
マスター名:周利 芽乃香
シナリオ形態: シリーズ
EX :危険
難易度: 難しい
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/11/01 22:19



■オープニング本文

前回のリプレイを見る


『好きにするがええ』
 名張を束ねる長の声を、いまや藤次郎は脳裏にはっきりと聞いていた。
 藤次郎は――名張の中忍・笑狐は開拓者達に腹を割る覚悟を決めた。

●笑狐
 千寿楼で騒ぎが起こり、その間に密かな面会が2度行われた後の事。
 開拓者達と依頼人の青年は楼港外れの袋小路に居た。
『場所を、変えませんか?』
 そう言って藤次郎が誘ったのは、夜鷹も酔客も来そうにない人気のない場所だった。
 藤次郎と柊歌が面会している間に周辺警備を担当していた開拓者達も合流し、彼は己が知る限りの真実を語り始めた。

「俺は名張のシノビで、各地の情報収集を役割としています」
 変装技術に特化した彼は、自身の通り名を笑狐だと明かし、楼港で殺害された沼五郎は同じく名張の中忍であった事を告げた。
 沼五郎は――忍び仲間の通り名では泥鰌と言ったが――その土地に放った諜報員から情報を回収する任を負っていた。その彼が刺殺体で発見された事から今回の依頼は始まった。
 心臓を一突き。反撃の跡さえない、即死だった。
「泥鰌の手下を探すのは、俺一人でも難しくない話です。でも‥‥」
 笑狐は泥鰌殺害の手口が引っかかったのだと言う。
 泥鰌とて配下を従える名張の中忍だ。普通の人間相手でならそれなりに戦える程度の心得はある。にも関わらず、反撃の余裕すらなく一撃で屠られた――
「手練の仕業だと思いました。しかも志体持ちの」
 そうなると泥鰌と同等の戦闘力しか有さない笑狐では勝ち目はない。
 そこで彼は開拓者ギルドに依頼を出した――沼五郎と同郷の奉公人、藤次郎として。

「ああ、嘘はひとつだけです。お店者だって部分以外は殆ど本当ですよ」
 無論、本名もね。軽く付け加える気軽な口振りには、開拓者達への好意すら感じられた。

 自身の調査と依頼を通じて、笑狐は泥鰌殺害に関わった諜報員は千寿楼の柊歌だと断定する。
 柊歌は酒色の席で相対した客から情報を引き出すのを任とした遊女であった。
「こういうのを、うちではくのいち女郎、って言うんです。皆さんも、女郎屋でうっかり重要機密を漏らしちゃ危ないですよ」
 さらりと言ってのけ、柊歌が遊女寄りの忍びであり泥鰌を殺傷するだけの能力はないのだと言い添える。しかし未だ下手人は特定できておらず、柊歌に接触するにも何時下手人と出くわすか判らない状態であった事から、再び彼は開拓者達を頼った。
「まさか護衛を盾に着いて来られるとは思いませんでしたよ」
 二人きりで逢っていれば柊歌を殺していたであろうことをあっさり白状し、笑狐――藤次郎は、開拓者達に最後の依頼を出した。

「柊歌は名張を抜けたがっていたのでしょう。泥鰌にそれを頼み込み、その直後泥鰌は死んだ。抜け忍の始末に、手を貸してください」

●鶴と亀
 シノビの氏族が興した連合国、陰殻。うち、鈴鹿・名張・諏訪・北條を四大流派と言い、多くのシノビはこのいずれかの流れを汲んでいると言われている。
 四大流派それぞれに非情な特色を持つのだが、中でも名張は裏切り者は血縁だろうと決して許さない『外道の法』を鉄の掟としている流派だ。契約を重んじ、金さえ払えば親でも殺す、相手が約束を守る限りは決して裏切らない。
 柊歌の行動は、彼女が手を下したのでないにしろ、名張にとっては裏切り行為に他ならないのであった。

 笑狐が戦闘の仕度にと場を離れた暫くの間に、開拓者達は情報を共有し合った。
「下手人の件、柊歌さんは何もご存知ありませんでしたわ。ただ‥‥」
 心当たりはあるかもしれないと、柊歌は言ったのだという。
 そも柊歌は諜報目的で妓楼へ送られただけの女だ。酌をし枕を並べて客から得た話を仲介役である沼五郎に伝える、それだけの役割の女だ。やっている事は他の遊女達と全く変わらず、生活も遊女そのものだ。
 最近、柊歌は客に惚れたのだと言う。客もまた柊歌を気に入り、馴染みになってくれた。
 互いに似たような境遇だったのかもしれない。遊女と傭兵、天涯孤独で明日をも知れぬ苦界に身を置く者同士。いつしか遊女と客の間柄を越えて惹かれ合っていた。
 遊女の究極の幸せは身請けされる事だという。傭兵に柊歌を身請けするだけの金子が用意できるかはともかく、柊歌は彼との生活を夢見た。今すぐでなくていい、いつか二人で暮らせたらと。
 しかし、くのいち女郎の立場では身請けも年季明けも有り得ない。秘密を抱えた女は一生遊女として暮らさなければならないのだ。
 だから柊歌は沼五郎に相談した。抜けたいのだと相談し――沼五郎は死んだ。
「沼五郎さんの死因を、柊歌さんは藤次郎さんに知らされて初めて知ったそうです。そして自分の客かもしれないと」
 心臓を一突き、反撃の暇もない即死。余程の手練でなければできない仕業。
 笑狐が戻る前に名をと急かす仲間に、開拓者は言った。

「その客の名は安田源右衛門(iz0232)‥‥森藍可が屋敷で飼っている傭兵の鉾使いです」

●十三夜――待つ女
 もう間に合わないかもしれないと、柊歌は不安に打ち震えて欄干から姿を見せていた。
 階下では千寿楼の名物女郎の姿を一目見ようと野次馬達が集まっている。その中に、名張の手の者が混ざっているかもしれなかったが、柊歌にはもうどうでも良かった。
 沼五郎死亡の遠因は自分の足抜け希望にある――名張はそれを許さないだろう。
 裏切り者は地の果てまでも追いかけるのが名張の法だ。いずれ自分は討たれて果てるだろう。
 だが――その前に、一目逢って逝きたかった。

 一緒に見ようと約束した、十三夜の月。
 いまだ現れぬ夕焼けの、月の出る辺りに目を向けて、柊歌は祈った。
「源さん、早う迎えに来て‥‥」


■参加者一覧
崔(ia0015
24歳・男・泰
ラシュディア(ib0112
23歳・男・騎
マックス・ボードマン(ib5426
36歳・男・砲
神座真紀(ib6579
19歳・女・サ
キアラ(ib6609
21歳・女・ジ
イーラ(ib7620
28歳・男・砂


■リプレイ本文

●優しい裏切り
 それはほんの僅かな――名張の中忍、笑狐が一旦場を離れている時間の事だった。

 遣る瀬無い表情で、神座真紀(ib6579)が、ぽつりと漏らした。
「柊歌さんは、ただ幸せになりたかっただけなんよね‥‥?」
 名張の里に生まれ落ち、物心付いた時には里の掟に染められていた柊歌。十数年、苦界を生き抜いて――惹かれ合う相手に漸く巡り逢った、ただの女。
「気に入らないね」
 マックス・ボードマン(ib5426)が、吐き捨てるように言った。運命に流されるまま掟に従うがままの名張の民達に対し、彼の反骨心に火が灯る。
「言われるがままに死なねばならんのかね、下っ端は」
「そんな事、そんな事あらへん! けど‥‥」
 氏族の掟か。人の心か。
 柊歌の女心も解らないではなかった。だが真紀は同時に神座家の次期当主、だからこそ彼女は相反する選択を前に苦悩していた。
「あたしは‥‥藤次郎さんの立場も解る。けど‥‥柊歌さんが明日を諦めんなら、彼女を救ってあげたい、と思うんよ」
 絞り出すように、彼女は言った。
「安田の旦那か‥‥」
 崔(ia0015)は安田源右衛門と共に、神楽を騒がす凶悪集団・蝮党の潜伏地のひとつであった飯屋・篝屋の制圧を為した事がある。手短に、源右衛門が全盲であり気配を読むに長けた傭兵だと仲間達へ説明する。
 五感のひとつを失している分、源右衛門は他の感覚が鋭い。己に向けられる殺気に本能で反応する彼に、盲人の護身よと侮って襲い掛かった所で沼五郎に勝機はあるまい。
「それじゃ藤次郎にも勝ち目はねえな」
 源右衛門と交戦させてはなるまいとイーラ(ib7620)は考える。柊歌を名張の掟から助けたいとは思うが、それは藤次郎誅殺と同義ではない。
「せめて、藤次郎さんの顔を潰さないようにできれば‥‥」
 どちらの命も取らず、どちらの顔も立てられる道を。
 ラシュディア(ib0112)だけではない、この場にいる全員の意思でもあった。
 柊歌を救うという事は、藤次郎の依頼を反古にするという選択にほかならない。しかし開拓者達は藤次郎の口を封じようとは考えていなかった。そして誰一人、藤次郎を笑狐と――掟に縛られた忍びの名で呼ぶ者も居なかったのだ。

 やがて仕度を済ませた藤次郎が戻って来た。
「皆さんの返事を聞かせて貰っても構いませんか?」
 やや緊張気味に返事を促すのは彼自身も不安を感じているのだろう。全員から応の返事を聞いて、明らかに藤次郎は安堵して見えた。
 柊歌抹殺の障害になるのは未だ判明せぬ下手人だ。手がかりを探しに向かうと言い残しラシュディアが街へ消えた。俺も行くかと崔が別方向に姿を消す。
「少々派手にやりすぎたかもしれん、開拓者‥‥ことに異国の者は目を付けられているようだ」
 柊歌面会の機会を作る為に騒いだ一件に触れて、表立って千寿楼に出入りできない立場なんだとマックスは渋い顔。話に乗った真紀が雑談を促した。
「そやね、今すぐ動くのは拙いやろね‥‥なあ藤次郎さん、斥候が戻って来るまで、少し話せぇへん?」
 実は崔とラシュディアが別行動している間の時間稼ぎである。藤次郎を足止めしている間に、二人は柊歌の本心を聞きだすべく千寿楼へ潜入しているはずだ。
 何ですかと好意的に向けられた視線に、真紀は話し始める。
「あたしの一族はアヤカシ退治が生業で、あたしはいずれその当主になる者や。そやから藤次郎さんの考えや立場も解るつもりや。掟は一族を纏めるもの、破る者がおったら、そこから綻びるからなぁ」
「ええ、厳し過ぎると言われがちな名張の法ですが、法がなければ無法者の集まりですからね」
 軽口を叩く余裕も出てきたらしい、微笑を浮かべて藤次郎は会話に応じている。
「ただ‥‥あたしらと会った時の柊歌さんの様子、あの柊歌さんが名張の不利になるような事するとは思えんけどなぁ」
「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。俺が言えるのは、このまま柊歌を見過ごすのは示しが付かない‥‥ま、要は見せしめなんでしょうね。皆さんからすれば」
 掟を守る為に非情を貫く事も必要――氏族の掟の下に動いている中忍は淡々と言った。
「厄介なもんやね‥‥ま、請けた以上はきっちりやるで」
「ええ、頼みますよ」
「沼五郎さんは柊歌とはどれくらい一緒にいたんでしょう?」
「さあ‥‥沼五郎さんは古株、柊歌は十年近く女郎をやってますからね、数年は一緒にいたんじゃないですか?」
 キアラ(ib6609)の問いに困惑する藤次郎。沼五郎――泥鰌が楼港内で諜報員達の束ねをしていたのは知っているが、彼の配下までは知らないので推測するしかないのだろう。軽く礼を言って、キアラは思いを巡らせる。
(沼五郎さんは、もしかして‥‥)
 全ては自身の想像に過ぎなかった。
 だからキアラは藤次郎に悟られないよう己の思索を胸に仕舞う。もし真実であったとしたら、尚更気付かれてはならないと思った。

 暫くして斥候の崔が戻って来た。
「今夜は馴染みの客が来るらしい。仕度を済ませた後は禿を下がらせて一人で客を待っている」
 ま、十三夜だもんなと崔、俺もお姉チャンと月見酒したかったぜと冗談めかして藤次郎の苦笑を誘い、寛いだ様子で眼鏡を外した。
「笑い事じゃねえぜ、風流にかこつけりゃ上手く口説けそうなんだがなあ‥‥」
 いつもは連戦連敗でなどとぼやきつつ、外した眼鏡を袖口で拭いている。

『柊歌は、生きたいと願った』

 崔が仕掛けた符丁は開拓者達に正確に伝わっていた。
「そろそろ行こうか。崔、綺麗処でなくて悪いが付き合ってくれないか」
「しゃあねえな、千寿楼で暴れた外人サンの護衛といきますか」
 下手人も柊歌を出せと騒いだ異儀の男に目を付けているかもしれない、ここは別行動にした方が藤次郎と接触させずに済むだろう――などと尤もらしい理由をでっち上げて、マックスと崔は連れ立って飲み屋通りへ姿を消した。
「では私も‥‥この姿では人目に付きますし準備してから合流します」
 キアラはそう言って、ひとり場を発つ。
 残された藤次郎は、イーラと真紀と共に夜の帳が下りる頃を静かに待った。

●籠女の想い
 時は少し遡る。合流した崔とラシュディアは、千寿楼に再び潜入していた。
 柊歌が欄干から姿を現しているらしく外が騒がしい。目くらましには丁度良かったが、その柊歌と密かに逢うのが目的だ。急に声を掛けて騒がれては潜入の意味がない為、慎重に声を掛ける機会を待つ。
 暫し後――何気なく振り返った柊歌は諦念の表情を浮かべ、まるで他人事のように淡々と二人へ問うた。
「戻って来たんやね。あたしはどうなるのん?」
 諦めきった青い顔、彼女はどんな運命をも受け入れる覚悟を済ませていたのだが――

「柊歌さんは、どうしたい?」
「え?」
 ラシュディアの問いかけに、殺しに来たものとばかり思っていた柊歌は面食らった。彼の意図を飲み込めずにいる柊歌へ崔が言い添える。
「氏族の掟と人の情‥‥両方の言い分が解る以上、あんたの気持ちも無視出来ね」
 掟に殉ずるか情に殉ずるか。選ぶのはお前だと眼鏡の奥の瞳が問うていた。
 ラシュディアは、柊歌の意思確認と彼女の意思による行動を守る為に動く事を告げて、再び問いかける。
「掟に従って死を受け入れるか、想い人を巻き込むリスクは高いけど生き延びる事に掛けてみるか‥‥貴女の望みを叶えられるよう、俺達は死力を尽くすよ」
「あんたら‥‥」
 信じても、良いのだろうか。
 躊躇う柊歌へラシュディアが激を重ねる。
「やっと貴女の人生が始まろうとしてるんだ。きついだろうけど、頑張ってみないか‥‥なんてね。決めるのは貴女だ、貴女の望みは‥‥何?」
「俺らも永劫救えるわけじゃねえ、今を凌ぐくらいしかできねえが未来への切っ掛けは作れるはずだ」
 二人の目が温かかった。
「あたしは‥‥」
 柊歌は願った。
 千寿楼の妓女でも名張の間者でもなく、ひとりの女として安田源右衛門に添いたい――と。

 柊歌の護衛にラシュディアを残し、崔は仲間達の所へと戻って行った。
(沼五郎サンは裏切り者として柊歌を始末しなかった‥‥心変わりの元を消す事で、密かに彼女を護ろうとしたのかもな‥‥)
 掟と情の板挟みで沼五郎も苦悩したのだろうかと、道すがら死んだ中年男に思いを馳せて空を見上げる。
 秋空に、月が昇りかけていた。

●傭兵の覚悟
 時を戻して藤次郎周辺である。
 帰還した崔により符丁を合わせた開拓者達は、それぞれの行動を開始した。

 準備と称して場を離れたキアラは、その足でマックスを追った。二人と合流し、此度の色男、安田源右衛門を探し始める。
 源右衛門は神楽の森藍可邸に居候をしている身だが、柊歌が十三夜の約束をしたと言っていたから、千寿楼周辺に現れると考えて良いだろう。唯一源右衛門の顔を知っている崔を伴い、三人は人混みを探す。
「鉾使いでしたね」
 沼五郎を殺害したと思われる得物を今日も持ち歩いているかもしれないと、キアラは人混みのアタマより上を探し――見つけた。

「安田の旦那」
 声を掛けた崔の方向へ源右衛門は首を向けた。くん、と鼻をうごめかし記憶を辿ると「仲間、か」覚えある香の匂いに呟いた。さすが鼻が利くなと崔は香袋を納めた辺りに手を触れる。
 三人は緊急事態だと人混みの中で源右衛門を囲み、手早く小声で事情を説明した。

「‥‥柊歌は陰殻の出だったのか」
 柊歌に課せられた任と彼女の選択、そこから発生した一連の出来事を経て彼女が氏族に抹殺されようとしている現状を聞いて、源右衛門は黙り込んだ。
 何処か自分と似ている気がしていた。だがそれは遊女という寄る辺ない境遇によるものかと思っていた。
 まさか、妓楼の籠の上に氏族の檻も被せられていたとは――
 わざわざ知らせに接触したのは正直なところ気に食わない依頼だからだとマックスは続けた。
「依頼されたのは此処にいる三人ほか開拓者だ。依頼人の素性は明かせないし危害を加えさせる訳にもいかないが‥‥で、安田さんどうするね?」
「此処の三人だけじゃねえ、皆助けたいと思って動いてる。やれるだけやってみねえか」
「貴方に何かしろ、とは申しません。話したのは私達のエゴに過ぎません。聞いて貰えただけでも感謝します。けれど‥‥柊歌は、恐らくは自身で叶わぬ夢と想いながらも諦められず、覚悟して足抜けを打ち明けた‥‥その気持ちは如何ばかりだった事でしょうか」
 三人の真摯な言葉を源右衛門は反芻していた。
 嘘は吐いていないだろう。だが柊歌の進退を決定できるほど、自分と彼らは接点がない。
 そんな源右衛門の逡巡を押したのはマックスの一言だった。
「その気があるなら、こっちも希望に添うよう動いてみせるがね。その後の事は責任持てないが、それは安田さんが決める事だ」
 開拓者として依頼人は守らねばならないが、むざむざ柊歌を殺させもしない。相反する行動の裏に潜む強い反骨心、語気に理不尽への憤りが微かに混じっていた。
「‥‥いいだろう。その話、俺にも一枚噛ませてくれ」
 惚れた女を護り抜く為に、源右衛門は楼港を巻き込む大芝居の舞台に乗る覚悟を決めた。

●千寿楼事変
 その日、楼港の表通りは大騒ぎになっていた。
 昼見世の折、千寿楼の張見世で無礼を尽くして出入り禁止になった異儀の男が、夕方に再び現れたと言うのだ。しかも夜見世の賑わいに乗じて名物妓女の柊歌姐さんをかどわかし、姿を晦ませたのだと言う。
 役人達の捜索で、千寿楼近くの船着場で引きずられた跡と激しい抵抗の痕跡、夥しい血痕が発見された。非力の妓女が大の男に敵うはずもない、致命傷を負ったのは柊歌であろうと推測された。川に流されたか発見されたのは衣服のみで死体は挙がらず仕舞いだったが、血痕量から生存は絶望的と判断されている。尚、下手人はいまだ逃走中。
 番屋の見立てでは、大方船で移動しようとした所を柊歌に抵抗され、殺害して逃走したのだろうという事だ。結局男は見つからず仕舞いだったという。

 ギルドの信用は護らなければならない。
 今宵の偽りを一生背負う覚悟で、イーラは藤次郎に併走していた。心情的には柊歌に与したいが藤次郎は自分達を信じて依頼を掛けた。その信頼には応えねばならない。だから今宵の嘘は墓場まで持って行く。
 途中で崔と合流した彼らは、柊歌が出てくるのを待った。
 やがて、男達に拘束された女が裏口に現れた。即座に飛び出しかけた藤次郎を、イーラは落ち着いて制止した。
「焦っちゃならねえ。ここで殺すと人目に付く」
「あたし達も足が付くのは困るねん、場所移動しよか」
 一行は物陰に身を潜めつつ、かどわかし一味の後を尾けて行った。
 辿り着いた先は船着場だった。抵抗する柊歌を羽交い絞めにしたラシュディアが岸辺へ引きずってゆく。彼らから離れたのはマックスか。
「火縄銃を使うつもりだな」
 逆光で顔までは見えなかったが十三夜に照らされた妓女の影は撓やかで美しく、刃物で切り刻むのは無粋かもしれぬ。それに火縄銃なら確実に急所を狙えるだろうと、イーラは説明気味に言葉を載せた。
 ラシュディアが女から離れた。途端、懸命に駆け出そうとする柊歌だが、着衣の裾が縺れて走れない――次の瞬間。

 どんっ。

 重い音と火薬の臭いが立ち込めた。
 柊歌の頭が大きくのけぞる。足元を縺れさせたまま、まるで舞っているかのように、名妓と謳われた女は川底へ転落した。
「落ちたか!」
「止めを刺して来る!」
 言いざま、イーラは川へ飛び込んだ。

 川下で源右衛門に迎えられた柊歌は用意されていた衣服を身に纏って小さく震えていた。
 背を包む源右衛門の腕から伝わる体温が生きていると実感させてくれる。
「籠の外はどうだい」
「ありがとう、一度外を見てみとうなったんよ」
 脱いだ衣装を川へ流しイーラに帯を手渡して、柊歌は微笑みかけた。
 その帯に崔の血を塗り付け藤次郎の許へ戻ると、イーラは死体を流してしまったと報告する。
「済まねえ、川の流れに追いつけなかった。だがあの様子じゃ助かるまい」
 血痕が滲む帯を差し出され、藤次郎は有難う御座いましたと開拓者達へ深々と辞儀をして――此度の一件は幕を閉じたのであった。

●後ろの正面
 陰殻は名張。丸裸の田畑が寒々しい晩秋に二人きり。村の長が若者と世間話をしていた。

「ほう、開拓者に華を、の」
「いえ、そんな事は‥‥!」
 猿幽斎の指摘に笑狐は平伏して畏まった。
 確かに、開拓者達の説得に乗せられて死体検分を怠った自身の仕事は不完全だ。しかし開拓者の攻撃、あの血痕では柊歌は助かるまい、否だからこそ。
 混乱する笑狐の頭上を、しわがれ声が降って来る。
「‥‥まァ、ええじゃろ」
 ほっとしたのも束の間、笑狐は己の責を償わされる事となる。
 さすがに命までは取られなかったが新たな任を帯びた藤次郎の行く末――それがどんな結末を迎えるか、今はまだ誰もわからない。