遠い夜空に想いを馳せて
マスター名:周利 芽乃香
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: やや易
参加人数: 47人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/09/24 04:02



■オープニング本文

 我ら月より来たりし者。
 いつかこの身朽ちた後に、月へと還る者なり――

●月を眺めるということ
 その日、吾庸(iz0205)は神楽の街にある餅屋、兎月庵を訪れていた。尤も、彼の用事は観月の繁忙期に雇われた手伝い依頼ではない。特注していた供え菓子を受け取りにやって来たのだ。
「獣人さんのお供え用? ああ、注文の吾庸さんね」
 女将のお葛は彼の名に合点すると奥へ包みを取りに行く。ほどなく小さな包みを持って戻って来た。
「済まないな。あまり作らぬものだろう」
 代金を手渡しながら吾庸が気楽に話しかけると、お葛は却って良い経験になったと亭主が感謝していたと頭を下げた。
「獣人のお客様も増えてきましたもの。これからきっと、沢山作るようになりますよ」
 そう言って貰えると頼んだ方も気が楽だ、と吾庸は改めて礼を述べると兎月庵を後にした。

 天儀に住まう獣人を神威人と呼ぶ。その多く――およそ六〜七割くらいだろうか――は遭都に与えられた自治区、鎮守の森を内包した小さな領国に代々暮らしており、神威領から外へ出る事は殆どない。一部の神威人達は管理下に置かれる事を厭って神威領を離れ、隠れ里を開いたり他儀へ渡ったりした。
 吾庸は祖先の代に人里離れた地へ移り住んだ、隠れ里出身の神威人である。
 自然多き森の恩恵を受けて生活していた隠れ里の神威人達だが、昨今は魔の森や瘴気の拡大の影響もあり、昔ほど自然の恵みは得られなくなってしまった。偶々志体持ちの働き手であった吾庸は、里の暮らしの為に妻子を里へ残したまま神楽にやって来た、所謂出稼ぎ開拓者なのであった。

 さて、吾庸は兎月庵を出た後、飛脚屋へ寄って荷の配送手続きをした。
「山田の村長宅へ預けておいてくれ。菓子が入っている、扱いには気をつけて欲しい」
 村長宅へは話を通してある。最寄の村まで送った荷を里の者が受け取りにやって来る、ここ何回か繰り返している仕送りだ。
 荷の重さや包みの脆さを確認していた受付が尋ねた。
「お菓子ですか? そう言えばお月見でしたね、お団子でしょうか」
「まあ、そんなものだ」
 神威人の観月について、店先で講釈垂れる趣味などない吾庸は適当に相槌を打って飛脚屋を出た。

 神威人は月を崇め敬う風習を持つ。
「我ら月より来たりし者‥‥か」
 幼い頃に聞いた御伽噺だ。

 月に浮かぶ影は我らが祖先。月におわす女神様を護りお仕えしている勇者の姿。
 獣人達は地上での生を終えると、魂は月へと還る。
 ゆめ誇りを忘れるなかれ、我らは神に仕えし者の末裔なり――

 吾庸とて御伽噺を真っ向から信じている訳ではない。しかし、この御伽噺は神威人にとっては大切な意味を持っていた。
 月の最も美しい夜に、ご先祖様が戻って来る――天儀人の『盆』にあたる意味合いも含んでいるのだ。
 だから吾庸は今日、里へ供物と仕送りを一緒に送ったという訳だった。

 さて、用事は済んだ。
 今夜は一年で最も月が美しい日、神威人にとっては重要な意味を持つ日。
 里へは帰らなかったが、月を見上げて物思いに耽るのも悪くない。
 吾庸は薄闇の中を歩き始めた。


■参加者一覧
/ 水鏡 絵梨乃(ia0191) / 井伊 貴政(ia0213) / 桔梗(ia0439) / 奈々月纏(ia0456) / 柚乃(ia0638) / 玖堂 柚李葉(ia0859) / 玖堂 羽郁(ia0862) / 秋霜夜(ia0979) / 奈々月琉央(ia1012) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 周太郎(ia2935) / 倉城 紬(ia5229) / 黎阿(ia5303) / 海神・閃(ia5305) / 由他郎(ia5334) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / 霧咲 水奏(ia9145) / ラヴィ・ダリエ(ia9738) / 千代田清顕(ia9802) / ジルベール・ダリエ(ia9952) / エルディン・バウアー(ib0066) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / 御陰 桜(ib0271) / 明王院 未楡(ib0349) / 明王院 千覚(ib0351) / 不破 颯(ib0495) / 无(ib1198) / 西光寺 百合(ib2997) / 牧羊犬(ib3162) / 針野(ib3728) / 鉄龍(ib3794) / 蒼井 御子(ib4444) / シータル・ラートリー(ib4533) / シーラ・シャトールノー(ib5285) / 葛籠・遊生(ib5458) / 扶桑 鈴(ib5920) / 黒木 桜(ib6086) / 泡雪(ib6239) / アムルタート(ib6632) / 春風 たんぽぽ(ib6888) / 羽紫 稚空(ib6914) / シフォニア・L・ロール(ib7113) / 和亜伊(ib7459) / 煌星 珊瑚(ib7518) / 卍海渡卍(ib7656) / 魔想 愛(ib7690


■リプレイ本文

●十五夜のギルドにて
 ギルドの窓辺にススキが活けられていた。
「あら? 紬さんも依頼でしたの?」
 依頼の報告に訪れていたシータル・ラートリー(ib4533)は、窓辺でススキを眺める友人、倉城 紬(ia5229)を見つけて「変わった生け花ですわね」と声を掛けた。
「ススキ‥‥そう言えば、今日は十五夜ですね」
「十五夜?」
 天儀の季節行事にはまだ疎いシータルが鸚鵡返しに尋ねると、この時期『月見』なる催しがあるのだという。
「まあ!? 天儀には月を奉る作法もありますのね?」
「では、お月見をしましょうか? ギルドの片隅をお借りして♪」
 故郷には月に関する行事はなかったから、シータルは興味津々だ。観月に団子は付き物、濃い目のお茶でいただきましょうと紬はいそいそ仕度し始めた。

「思った以上に時間掛かっちゃったわねぇ‥‥月が出るまでに終わって良かったわ♪」
 迷い猫探しに出ていた御陰 桜(ib0271)がギルドに駆け込んできた。完遂報告を済ませると、梨佳を探して手を振り合図する。
「梨佳ちゃん、お団子貰ったんだけど一緒に食べない♪ 依頼人さんに月見団子のお裾分けを貰ったの♪」
 わーい、と喜んだ梨佳は奥へ引っ込むと盆一杯に湯呑みを乗せて戻って来た。
「梨佳さん、こんばんは。お仕事お疲れ様です」
 姉妹のような二人が、声を揃えて観月に。友人の拠点へお呼ばれしている母と一緒に作った観月菓子は明王院 千覚(ib0351)から、実家の姉達が送ってくれた秋の実りに七草添えた設いは礼野 真夢紀(ia1144)からの差し入れだ。
「わぁ、うさぎさんのお団子に、お芋に無花果、梨も美味しそうですね〜」
「七々夜ちゃんもご一緒できればよかったのですけど‥‥取り分けておきますから、後で分けてあげてくださいね」
 目を輝かせた梨佳に千覚はそう言って、茶の髪に付けた兎耳をぴょこんと揺らした。梨佳は、お供え菓子も千覚の兎耳も気になる様子。
「そう言えば兎さん見たがっていたって聞きましたよ」
 真夢紀は荷からうさぎのぬいぐるみを取り出すと、梨佳に差し出した。
 なかなか引けないギルド籤のうさぬいを間近で見られて、ぬいぐるみ好きが幸せそうに笑っていると、通りかかった无(ib1198)が合点がいったと納得していた。
「尾無狐も子供らも空を見上げていた理由が漸く解りましたよ、なるほど今夜は十五夜か」
「そですよ〜 お月様見てお団子食べる日ですよ」
 梨佳の補足は少し違う気がしなくもないが、无はギルドに着くまでに夜空を見上げる人が多かった事、勤務先の図書館で月や空に関する史料の閲覧希望が多かった事などを語る。
「皆さん、気になるんですね〜」
 ふむふむと頷く梨佳に見習い昇格おめでとうと伝えて、无は観月の仲間に加わった。既に差し入れも酒類も充分に集まっており、和やかな宴が始まっている。
「晴れて良かったね」
 海神・閃(ia5305)は近くの甘味屋さんで買ってきた団子を手に、月の美しさに見惚れている。仕事は楽しいかと問われて、梨佳は満面の笑みで応えた。
(‥‥籠もりすぎたか。昔は月見と言うと行きたいと思ったものなのだがな)
 まったり月見酒を楽しみつつ、无はギルドの窓から月を眺める。内勤続きで暦の感覚もなくなったかと自らを省みるも、こうして宴に行き合わせるのも面白い偶然であった。

「月見って、聞いたから。こっちは、留守番七々夜に、ご褒美」
 お重の蓋を開ければ、中にはお月様のような淡い黄色の月見団子。裏漉ししたサツマイモを練りこんだ団子の一際大きな栗入りは、おうちで待ってるあの子の分。桔梗(ia0439)の手土産に、梨佳は大喜びした。
 丁度仕事上がりの見習い職員は、桔梗と一緒に月を見る。
「美味しそうなお月様ですよね〜」
 空を見上げる梨佳が嬉しそうに団子を頬張るのを眺めつつ、桔梗は、ひとつひとつ想いを大切に言葉に乗せた。
「太陽は、高いところから、俺達皆に元気をくれるけど‥‥月は、側に居て、慰めたり、見ててくれる気がしないか?」
 食い気で月を見ていた梨佳は、きょとんと桔梗の顔を見た。ほんのり頬染めた彼は、言葉をひとつひとつ愛おしむように話す。梨佳はそんな桔梗の誠実さが好きだから、じっと次の言葉を待った。
「‥‥俺、梨佳は、いつも、太陽みたいだって思ってた」
「あたしが‥‥太陽、です?」
「うん。俺に、元気をくれる、太陽」
 今もそれは変わらないのだけれど、と桔梗。
 だけど今は――
「今は、月みたいに。離れてるときでも、側に、居てくれる‥‥みたいな、気持ちになったり、する」
 そう言って、桔梗は梨佳を見つめた。
 ほわ、と嬉しそうに笑んだ梨佳は「なら‥‥あたしのお月様は桔梗さんです♪」言ってから少し照れた。
「桔梗さんが居てくれるから、あたし頑張れるです。一緒に居ない時でも‥‥何処かで桔梗さんが頑張ってるって思ったら、あたしも頑張れるです」
「えと。‥‥‥‥ありがと」
「あたしこそ、ありがとです」
 いつも見守っていてくれる人。共に成長しようと支えあえる人。月に喩えて、二人は互いの存在に感謝したのだった。

 今夜はギルドでお月見だと聞いて、シーラ・シャトールノー(ib5285)は差し入れ持参でギルドを訪れた。
 料理人であり菓子職人でもあるシーラが用意したのは、天儀風の甘味ではなく異国風の菓子だ。月にちなんで丸く固めた冷菓と月見団子に見立てた甘い甘い焼き菓子にはカモミールティーを添えて、それらを勧めていると、何処からともなくハープの音色が聞こえて来るのに気がついた。
「あら、何処からかしら‥‥」
 耳を澄ませば屋根からだ。
 屋根の上では蒼井 御子(ib4444)がハープを弾いていた。
 何故屋根なのか、どうして登ろうとしたのか。
「もちろん、月が綺麗だったから、だよっ」
 答えは単純明白、何せこの為にギルドを訪れたくらいなのだ。
 御子の家から眺めるよりもずっと月に近い場所から見られる開拓者ギルドの屋根は、思った通り家よりずっと綺麗に見えた。
 ジルベリア留学から天儀へ、旅暮らしで覚えた祈りの曲を順に奏でる。
 御子は今の自分が弾ける曲を月におわす女神様と彼女を守護するご先祖様達に捧げて祈りとし、天儀滞在を許してくれた里の家族達への感謝とした。
「‥‥ありがとう。だけど今は帰れないよ‥‥来年こそは、かな」
 未だ外の世界でやり残した事が沢山ある――それをやり遂げるまでは、まだ。

 一仕事終えた慰労の酒宴は二人きりで。
 泡雪(ib6239)が用意して来た酒肴の唐揚げを、水鏡 絵梨乃(ia0191)はひと齧り。うん、美味しい。そのまま泡雪の口元へ持ってった。
「はい、あーん」
「‥‥え、絵梨乃様!?」
 絵梨乃にもたれかかって月を見ていた泡雪だが、さすがに食べさせて貰うのは恥ずかしいが、相手が絵梨乃なのが嬉しくもあり。
「うう‥‥‥‥いただき、ます‥‥」
 ぱくり。大いに照れながら、それでも泡雪は唐揚げを口にした。
 照れる様子も絵梨乃にはご馳走だ。泡雪の表情を肴に古酒を口に含む。ゆっくり嚥下しながら、彼女は自然に泡雪の肩に腕を回した。
「絵梨乃様‥‥」
 絵梨乃は泡雪に顔を近づけて――彼女の唇に人差し指で、つ、と触れた。
「続きは家に帰ってから‥‥な」
 絵梨乃の微笑が、この続きは更に甘くなるだろう事を予感させて。他者を寄せ付けない甘々の雰囲気を醸し出す二人は、のんびりと観月を楽しんでいた。

●月の兎たち
 柚乃(ia0638)は一人で出掛けるのが好きだ。
 屋敷という自身を囲むしがらみから離れ、人混みのない場所で過ごすひとときは、心が落ち着く。
 だけど柚乃は罪悪感を感じてしまうのだ。ほかの人ならどうという事はない一人歩きも、柚乃がすると心配する兄達が、家人達がいる。
(私、いけない事をしているのでしょうか‥‥)
 男ばかりの末娘、柚乃は兄達の顔を思い浮かべてしょんぼりした――と、そこへ彼女の着物を引く者が。
「柚乃、柚乃、団子もふ」
 藤色もふらの八曜丸が付いて来ていた。団子だんごと繰り返す八曜丸が示す先には兎月庵を出た吾庸が。
「月見団子、買って行きましょうか♪」
 吾庸と入れ違いに柚乃は兎月庵の暖簾を潜った。月夜の下、彼と再会するのはもう少し後の話である。

 さて、夜になり閉店後の兎月庵では、手伝いに来ていた開拓者達が居残って観月の宴を催していた。
「皆さんお疲れ様でした〜」
 毎度の事で最早何度目の手伝いか分からなくなってきた井伊 貴政(ia0213)が団子とお茶を盆に載せて庭へ出てみると。
「‥‥‥‥」
 女の子の話相手が欲しかったんですがねぇと、へらり笑って屋根を見上げた。月を見上げる兎の獣人にお茶如何ですかと声掛けて、屋根へ上がった。
「満月ってこんなに明るいんだな」
 先客の和亜伊(ib7459)は、独り占めしたかったんだけどなと冗談めかして貴政を迎えた。
「そんな事言わないでくださいよ〜 見てくださいよ下の状況」
 苦笑して、貴政は地上を示す。
 長く連れ添った平吉お葛の夫婦もいれば、新婚夫婦もおり、親友と水入らずのひとときを過ごす者――この状況で貴政を下へ追いやるのはさすがに酷というものか。
 仕方ないなと場所を開けてやって、和亜伊は「家族か‥‥」ふと呟いた。
「田舎の皆は元気かな」
「おや、ご家族は息災で?」
 妹がいると聞いて俄然熱心になる貴政は置いといて、和亜伊は愛読書を広げた。拠点の厨房で焼いてきたクッキー片手に読みふける。
 干渉は最低限にして、男達は月明かりの下で思い思いの時間を過ごしていた。

 そんな屋根の下――
 温かな茶を一口啜り、霧咲 水奏(ia9145)は最愛の夫を見つめた。
「周殿‥‥こうして二人のんびりと月を見上げる事など、久しぶりに御座いまするなぁ」
「そいや、結婚してから初めてか、こうやって静かに過ごすのは」
 うーん、と伸びをして夫――霧咲 周太郎(ia2935)は祝言以降色々立て続けにあったもんなと振り返る。
「‥‥あれこれと、やらなきゃならん事が多かったよなぁ‥‥合戦もそうだしよ」
 ようやっと休めるなと暢気に団子を齧っている周太郎に、水奏は「それはそうと」と様子を伺う素振りをみせた。
「もう、合戦でのお怪我は治りましたかな?」
 傷を負うた胸の辺りに、そっと触れる。合戦の怪我は内緒にしていた周太郎、妻の心配にすまんと謝り水奏を抱き寄せた。
「今はほら、平気だよ、ほら」
「‥‥それなら良かった」
 抱き寄せられるまま周太郎の胸に身を寄せて、水奏は静かに瞳を閉じる。
 そっと、呟いた。
「水想い、我が身落とした月欠けに、咲く花二つ紫羅欄花。寄り添い咲くは胡蝶草‥‥」
「‥‥久しぶりだな、それも」
 愛しげに、周太郎は身を寄せる水奏の耳元に囁く。
「一面の曼珠沙華も眠った、胡蝶草達のように、俺達も2人でずっと踊ろう」
 今少し、二人静かに過ごした後で――

 餅屋の入口では新婚夫婦が店主夫婦に報告中。
「え、えっと‥‥う、ウチと琉央。晴れて夫婦になったんよ」
「お二人の様にいつまでも過ごしていこうって思ってます」
 お葛の祝福に耳まで真っ赤になった奈々月纏(ia0456)の横で挨拶する奈々月琉央(ia1012)。
 夫婦になるにあたり新たな姓を取得した二人は、これからどんな家庭を築いてゆくだろう。以前より落ち着いた感のある琉央に頼もしさを感じつつ、平吉は寡黙に頷いた。
「ところで女将さん‥‥豆茶は出してはりますか?」
 冬に飲んだ甘い味わいを、纏が尋ねた。材料はあるから作りましょうかと、お葛は厨房に消えてゆく。顔を真っ赤にしたまま、纏は琉央を誘った。
「あんなー ウチな‥‥琉央と月見したいんやけど、ええよね?」
 勿論そのつもりで、仕事中に絶景スポットをリサーチ済の琉央である。
 暫し後、二人は仲良く豆茶を啜りつつ月を見上げる。
「か、かんにんな? ウチ、よそ見しててん! 琉央、先にどーぞ」
 つ、と皿に伸ばした手が触れ合っただけで纏はあわあわ。琉央は微笑むと、触れ合った手を握ってもう片方で団子を摘みあげた。
「ほら、口開けて‥‥」
 握った手はこのままでいよう。これからも離さないと誓いながら。

 こっちこっち! 溌剌と親友の手を引き月見の場所を取る葛籠・遊生(ib5458)。垂れた黒耳に尻尾、犬系の神威人だ。手を引かれている大人しやかな少女も獣人、こちらは茶色の丸耳に細長い尻尾をした扶桑 鈴(ib5920)だ。
「わあ‥‥すっごいきれい‥‥! 鈴ちゃん、お月様とっても綺麗だよ!」
 遊生が説明風に話すのは、鈴が明暗を判別できる程度の視力だからだ。浮き立つ遊生の声音が鈴に月の美しさを伝えてくれる。
「ん、と‥‥おひとつ‥‥?」
 満月をはっきりと見る事はできなかったが、鈴は充分に楽しかった。毛先が黒い茶色のオコジョ尻尾をぱたたとさせて、遊生に御酌をしてあげる。やっぱり月見酒だよねと、遊生は顔輝かせて杯を受けた。
「えへへ、来られて良かったね。一緒に見られて嬉しいっ」
 嬉しい感情そのまま言葉に出せば、鈴も控えめに口元を綻ばせる。揺れる尻尾が彼女の喜びを如実に示していた。
「私、も‥‥嬉し‥‥い‥‥」
 おずおずと心からの想いを伝える。
 記憶を無くした鈴にとって、これは初めての月見だった。自身の事も含めて分からない事は沢山あるけれど、今の想いは大切な記憶になる。
(これからも‥‥今日みたいに楽しく過ごせると良いな‥‥)
 光を感じる方向へ、鈴は願いを託したのだった。

●それぞれの棲家で
 用事を済ませて拠点へ戻る途中、和奏(ia8807)はふと空を見上げた。
(‥‥あ、秋、なんですね)
 夜空に掛かる満月、耳を澄ませば虫の声。今更ながら秋の気配を感じて、彼は家路を急ぐ。
 この日、各地の拠点で観月を楽しむ者達も多かった。

 月には兎が棲むと言う。
 兎耳着けてウサギに扮した秋霜夜(ia0979)、普段から初心者歓迎拠点の世話役さん的存在の彼女だが、更に今宵は観月のお客様をおもてなしするべく奔走している。
「本日は、ご招待いただいて‥‥ありがとうございます」
「いらっしゃいませー 今日くらい、家事を忘れてごゆっくりどうぞです」
 旧知の明王院 未楡(ib0349)訪問に、笑顔で迎えると観月席へ案内。既に開拓者が多く集まっており、初心者歓迎拠点の間口の広さを伺わせる。手土産にと重箱差出して、未楡は「良い虫の音ですね」と微笑んだ。
「お月様が綺麗ー お団子のつまみ食いを我慢して良かったですっ♪」
 合間に空を見上げ、霜夜が晴れ祈願をした甲斐があったと喜んでいると、エルディン・バウアー(ib0066)が大皿持って現れた。
「お団子できましたよー」
「エルディンせんせは、お菓子作りの才能もあったのですね?」
 尊敬の眼差しで迎える弟子・霜夜。えへんと胸を張り、エルディンは自慢の大作を披露した。
「どうです、もふら団子とウサギ団子。これぞもふ愛、可愛いでしょう?」
 皆の評判も上々だ。
 しかし、問題は実食時に発生した。可愛過ぎて、齧るのが可哀想で、食べられない。
「おお神よ、可愛すぎる団子と、それを作った私をお許しください‥‥!」
 苦渋の表情を浮かべ、エルディンは団子を丸呑みした!
「せんせ!? ‥‥ていっ!!」
 喉を詰まらせ悶絶するエルディンの背をとんっと叩き、蘇生させる霜夜。そんな、危うく大惨事になりかける一幕もあったりして。

 初めて訪れた妻の拠点の縁側で、由他郎(ia5334)は黎阿(ia5303)に天儀酒を勧めて月を見る。
「‥‥好きだろう? きみは」
 杯はひとつ。注がれるがまま肩に凭れかかり杯を空けていた黎阿だったが、夫を見上げて杯を差し出した。
「由他郎。一杯くらい付き合って」
 全く呑めない訳でもないし偶には我侭言っても構わないわよねと、由他郎にも勧める。殆ど呑まないクチだし、黎阿が気持ちよく飲んでいれば満足な由他郎だったが、可愛い我侭にはほんの一口だけ付き合う事にする。
「綺麗な月、美味しいお酒‥‥そして隣には由他郎‥‥ほかに望む事は何もないわ」
 満足気な妻の肩に、由他郎はショールをそっと巻いた。
「何?」
「少し、遅くなったが‥‥誕生日おめでとう」
 夜じゃ薄布の色は判らんなと苦笑する夫に、そんな所も貴方らしいわと笑う妻。ありがとう、と呟いた妻の体を引き寄せて、由他郎はそっと唇を重ねた。

 東屋は本日臨時休業だ。
 針野(ib3728)は経営する休憩所の縁側で恋人の鉄龍(ib3794)と月見酒。看板犬の八作と人妖の矢薙丸・しづるは奥で休ませて、二人きり水入らずだ。
「あー、月がきれいっさねえ」
「風情があっていいな」
 揃いの浴衣を着て、注しつ注されつ。
 故郷の祖母から教わった針野の月見団子は甘さ控えめで、酒の味を邪魔しない粋な作りだ。
「ん、美味しいな」
「口に合うて良かったんよ」
 にこにこと針野は言って、みたらしにした団子を口へ運ぶ。
 この笑顔を護りたいと鉄龍は思った。恋人として、彼女を幸せにしてみせると心に誓い杯を空ける。
「‥‥鉄龍さん?」
 暫くして鉄龍が寡黙を通り越して静か過ぎると思いきや、彼は座したまま舟を漕いでいた。
 風邪を引いてしまわぬよう羽織を掛けてやって――針野はちょっぴり悪戯心を起こした。
「えいっ」
 背後から羽織ごと腕に包み込む。
 おかげで彼は起きてしまったけれど、針野は構わずぎゅっと抱き締めた。
「‥‥たまには甘えたい事もあるんよ?」

 大きな屋敷も今日ばかりは二人きりだ。
 当主たる父も、対たる姉も不在の屋敷は、玖堂 羽郁(ia0862)と佐伯 柚李葉(ia0859)だけのものだった。
 料理上手の恋人が作った月見団子を掌に載せて、暫くじっと鑑賞していた柚李葉は、やがて大切に口へ運んだ。
「うん、美味しい‥‥羽郁、えと、あの‥‥」
 物言いたげな柚李葉に羽郁は緊張した。
 この前、自身の真名を教えたのだ。真名を教えるという事は相手に絶対的信頼を寄せている事を意味する。
 秘するべき名だからこそ柚李葉は躊躇うのだろう。だが柚李葉にこそ呼んで欲しい。
 羽郁は柚李葉が言葉を紡ぐのを気長に待った。こうして一緒にいて、お菓子を食べたり時々手を繋いだりするのが、この時間が何より愛しいから、待つ事は苦ではない。
 やがて、小さくもはっきりした声で柚李葉は言った。
「かげざね」
 羽郁の本質を表す真名、満月の下で呼んでみたかった。彼の大事な、もうひとつの名を。
「‥‥‥‥」
 返事しようとして羽郁は言葉を飲み込んだ。感極まって言葉を詰まらせた彼は、返事の代わりに柚李葉を力強く抱き締めた。
(お月様、見守ってくれてありがとう‥‥今の気持ちは満月です)
 逡巡を経て得た幸福に、柚李葉は感謝した。

●月下の舞
 広い神社に巫女が一人で住んでいる――黒木神社はそういう所だ。一人で暮らすには広すぎるから、黒木 桜(ib6086)は神社を多くの人に広く開放している。そんな桜の人柄に惹かれて集まる開拓者も多い。

 桜の言葉を借りれば『無駄に広い』厨房では、二人の少女が料理の腕を振るっている。
 そろそろ飯が炊ける頃なのだろう、湯気と共に米の甘い香りが漂う中、金の髪の少女が空の大鍋を抱えて家主に尋ねた。
「桜さーん、このお鍋借りてもいいですか?」
 今日はお客様も多いから、皆で食べられるものをと、春風 たんぽぽ(ib6888)は最近他儀から伝えられまだ天儀では珍しい一皿料理を作っている。肉や野菜を煮込んで香辛料を効かせたその料理は寝かせれば味わいを増すから、沢山作って作り過ぎる事もない。それに今日来られなかった友達だっているのだから、他の料理もお土産に持ち帰ってもらえばいい。
「あとはお惣菜と‥‥桜さんは唐揚げですか?」
 揚げ物に集中していた桜は、小さく頷いて少し赤くなった。唐揚げとピーチパイ、しっかり用意するのは恋人の好物だから。月見団子のついでに汁粉も作って、二人は縁側へ料理を運んだ。

 一足先に観月かと思いきや、縁側では符が飛び交っていた。
「ゲッ! お前っ、あぶねーじゃねぇか!」
「悪かったね、怪我は桜に治してもらいな!」
 かろうじて避けた羽紫 稚空(ib6914)が非難すると、加害者(?)はアッサリした返事。煌星 珊瑚(ib7518)は新たな符を構え、手合わせの相手を――稚空ではなくシフォニア・L・ロール(ib7113)を――見据えた。
「次、行くよ!」
「‥‥おっと! 危ないな。余所見はいけないよ、お嬢ちゃん」
 余裕のシフォニア、八方飛び交う珊瑚の符を避けて息を荒らげる気配もない。素早い足捌きで、珊瑚の照準さえ狂わせる。
「どれ‥‥今度はお返しでもしようかな」
「‥‥!!」
 言いざま、シフォニアは珊瑚に肉薄した。ほんの一瞬の事で、顔を近づけられた珊瑚は身動きもできないでいる。
「おや、キスでもされると思ったかい?」
 ぴしっ。珊瑚の額にデコピン一発。
 参りましたと珊瑚、今度は稚空に剣の稽古を付けて貰おうと――
「うん美味い! さすが桜だな!」
 揚げたて唐揚げを頬張る稚空が縁側にいた。
 ここまでだなとシフォニア、たんぽぽと桜を労って食事に加わる。じゃあ、と珊瑚も梅酒の栓を開けた。

 たんぽぽの煮物を口に含んだ珊瑚が満面の笑みを浮かべた。
「美味しい! よく味が染みてて、お酒にもよく合うね」
 酒が進むよと結構な勢いで呑んでいる。稚空も蒸留酒を煽りながら唐揚げを頬張っているが一向に酔う気配がない。たんぽぽが勧めた皿に箸を付け、稚空が褒めた。
「春風、美味いじゃないか」
「私だって料理できるんです!」
 桜中心に世界が回っている稚空の褒め言葉は何処かオマケ感があって、たんぽぽはつい頬をぷーっと膨らませて強がってみせる。
「たんぽぽも桜も、二人とも料理上手で羨ましいよ」
 私は料理ができないからねと珊瑚は年上らしいフォローを入れて、年齢不詳だから酒は呑まないと嘯くシフォニアは汁粉の椀を手にまったりと。
「本当に綺麗なお月様です」
「月もいいですけど、星の輝きも忘れてしまっては困りますよ〜」
 桜の隣で、星も食べるのも好きなんですと、たんぽぽは可愛らしく照れていた。

「坊や、一曲願えないかな」
「ヴァイオリンか? シフォニアはビオラやれよ。桜、折角だから踊れよ」
 桜の手を引いて立たせて、稚空は扇を開く恋人を庭へと導いた。照れる桜をじっと見つめる稚空は本当に彼女しか見えていない。
「ほんと、稚空さんは‥‥」
 拗ねるたんぽぽを宥めて、珊瑚は彼女の耳元に囁く。恋は盲目、生温かく見守ってやろうじゃないか、と。
 しかしながら意外な特技があったものだ。
「へ〜 あんた達にこんな芸があったなんてね、驚いたよ」
 月下に弦楽器は良く似合う。その日の月は尚更美しく見えた。

●友達の‥‥?
 神楽郊外にあるジルベリア風建築のカフェは美味い料理と中庭が自慢だ。
 ジルベリア出身の夫婦が二人で切り盛りしている店の窓から眺める中庭は今、夏の名残の凌霄花が咲いている。

「‥‥あ、あのね、『友達の』話なんだけどね?」
 やけに強調して、西光寺 百合(ib2997)はラヴィ(ia9738)に耳打ちした。
 こそこそ。ふむふむ。
「まぁ‥‥姿を見るだけでドキドキしてしまうお方が‥‥それは恋ですわね!」
「そういうのって何で‥‥えっ! 恋!?」
 すばり言われて百合は大慌て、慌てた拍子に大きな声で復唱してしまって、急いで口を手で塞いだ。
 そんな女の子二人を店主のジルベール(ia9952)は微笑ましげに眺めて、のほほんと言った。
「女の子ってホンマお喋り好きやなー ラヴィ‥‥あんなに一生懸命喋ってカワエエなぁ」
「‥‥百合さんも可愛いと思うけど」
 暢気に妻を褒めたものだから、千代田清顕(ia9802)はついムッとして、百合に肩入れした。意外な言葉に思わず清顕の顔をまじまじ見るジルベール。
「清顕さん? 何なに? 今何てゆーた?」
 興味津々、少年のように目を輝かせて尋ねて来る飲み友達に、隠し事は無駄な努力だ。清顕はあっさり観念して――せめてもの意趣返しにラヴィ謹製月見団子をジルベールの口に放り込んだ。
「‥‥ん、んぐぐ。やっぱラヴィの団子は美味いなぁ」
「‥‥‥‥まだ付き合ってないよ」
 むっすりと白状する清顕。依頼を通じて知り合った彼女とは出かけた事もあるし小隊の仲間でもあるが、アプローチしてもいまいち本気にして貰えていない。
「へー、清顕さんが百合さんをなあ‥‥」

 清顕の言い分はともかく、真実はすれ違いという事もあるもので、百合もまた清顕に片思いしていた。
「‥‥勇気‥‥出せるのかなぁ‥‥わた‥‥いえ、友・達・がっ」
 あくまで恋愛に悩む友達を心配する私を演ずる百合に、ラヴィは疑うでもなく突っ込むでもなく素直に応援した。
 だってこれは、ラヴィが通って来た道だから。周囲の反対を押し切って迷惑を掛けてしまったけれど、今ジルベールといられる事が幸せだから。
「勇気を出せずにあの時離ればなれになっていたら‥‥きっと後悔しましたもの」
 だから、お友達にも伝えてくださいませね? 頑張って、と。

 お友達は――百合は頑張った。清顕の申し出を受けて一緒にカフェを出て行った。
「あの二人、上手くいったらエエな」
 清顕と百合を見送って、ジルベールはラヴィに言った。事の次第を知り、ラヴィもまた、二人の恋路の成就を願う。
「ジルベールさま♪ 恋っていいですねぇ♪」
「そうやな、恋ってエエよね。俺はずうっとラヴィに恋してるで。会ってから今までずっと」
 赤くなった妻の手を取り二階で月見しようと誘う。ラヴィが眠ってしまっても、ずっと傍にいるからと約束して。

 そして、すれ違いの二人はというと。
 百合は懸命に勇気を出そうとしていたが、泣きそうになって顔を伏せていた。
(‥‥どうしよう。顔見れない‥‥何話したらいいのかな)
 一方、清顕は気軽な話題をと忍犬の話を始めたが、他愛ない話をしていても、百合が気に掛かる。
「月夜はモクレンが吠えて困るんだ」
 もし本当に月の女神がいるなら、こんな女じゃないだろうか――話題は犬の事だが意識は彼女に向いていた。
(どうすれば、女神のような彼女に俺の気持ちを信じてもらえるだろうか)
 月明かりの下、顔を伏せたままの百合の姿が鮮明に見える。それが辛かった。
 その時、俯いたまま百合が言った。
「‥‥月、キレイね」
 百合さんの方がずっと綺麗だと言いたいのを堪えて、清顕は何か言いたげな彼女の言葉を待った。
「あ、あのね‥‥ラミア、この間、川でモクレンと遊んだの、楽しかったみたい。だから‥‥その‥‥」
 ――また、何処かに行きませんか。
 清顕は微笑った。嬉しそうに微笑った。そして約束した――じゃあ今度、紅葉狩りにでも行こうか、と。

●遠い夜空に想いを馳せて
 一方、用事を済ませた吾庸は神楽の街を当て所なく散策していた。

 開拓者が増えたとて、街には未だ獣人の数は少ない。同族の姿を見かけて、牧羊犬(ib3162)は思わず彼の後を尾けてゆく。
 黒い耳を持つ獣人のようだが、狼だろうか犬だろうか。
 ぴんと立った耳に太めの尻尾、牧羊犬は犬の獣人だ。その名から連想される犬種のように鍛え抜かれた凛々しい体躯の彼女はシノビとしても優秀で、吾庸は気付く様子もなく前を行く。
 獣人であれば満月は等しく重要なもの、きっと神威装束の青年も観月場所を探しているのだろう。
 そう思って天儀酒片手に牧羊犬が尾けていると、穏やかな声が彼に声を掛けた。
「どうして月は人を引寄せるのでしょう‥‥吾庸さん、こんばんは」
 声の方向に振り向いた同族の名が吾庸というのだと知る。同時に、彼が向いた方向から女が現れた。
「ああ、アルーシュか。先日はありがとう」
 こんな夜更けに一人歩きかと尋ねる吾庸に、アルーシュ・リトナ(ib0119)は静かに月が見たいのだと言った。
「場所は、お決まりですか? もし良ければ‥‥探しませんか?」
 月の下、静かに物思いに耽られる場所がいい。河原か、出来れば林の中のぽっかり開けた場所を――
 思い当たる場所がないか思案に入り、一瞬口篭った二人の前に加わった新たな声の主は幼い姿にそぐわぬ落ち着きを持ったひと。
「水辺なら心当たりがある」
 柚乃と八曜丸と一緒に夜の街を散策していたからす(ia6525)は、何となしに様子を伺っていた牧羊犬にも気付いていて、一緒にどうだと誘った。

 からすの導きで着いた場所は人の気配のない池で、清い水に棲む生き物達を除けば彼らのほかに人が居ない、所謂穴場だった。
「街にも、こんな場所があるのだな」
 落ち着くのか、吾庸の表情が柔らかい。何処に居ようと、月は変わらず分け隔てなく下界を照らす。
 早くに人の世界に根を下ろした牧羊犬にとって、獣人の里は記憶の彼方にあるものだ。だが、到着した緑多き岸辺は初めての場所なのに懐かしささえ感じる。
「今年も‥‥良い月に御座いますね」
 しみじみと、牧羊犬が言った。
 月見団子に月餅、それから里芋の煮物。
「どれも月に見立てた供物だ」
 獣人のそれとは違うかもしれないが、人間もまた月を愛で月を敬う。からすは水辺の岩に腰を下ろすと、花瓶にススキを飾り供物を並べる。異国の玻璃杯に御酒を注ぎ、掲げて空を映す。
 月を直接見ないのは、風雅ゆえか、あるいは月に敬意を表してか――
「月の光は冷たく、優しく、妖しく‥‥清く‥‥」
 歌うように、言葉を選ぶように――アルーシュが呟いた。陽の光は恵みを齎すというのに、月の光は何故こんなに多様なのでしょうねと続ける。
「吾庸さん」
「何だ」
 先日と何かが違う、さばさばしたものを感じて、吾庸はアルーシュに向き直った。月光がさせる禊だろうか、アルーシュは問わず語りに告白する。
「私の好きな人は、私を月のようだと喩えました。見守り闇夜を照らす月‥‥」
 だけど自分はそんなに綺麗な人間じゃない。月は清浄であると同時に狂気を誘う神秘の光――アルーシュはそう吐き出して、祈るように瞳を伏せた。
 どうか清濁併せ持ち揺れ動くこの心が‥‥雲すら輝く今宵の清き光少しでも漱がれますように。
 彼女の苦しみを分かち合う事は出来なかったが、吾庸は黙って聞いていた。

「吾庸様の郷は、どのような場所で御座いましたか」
 私の郷は隠れ里の一つに御座いました――と、梅干を肴に天儀酒をちびちびやっていた牧羊犬が語るのは白い花の思い出。
「仔細は覚えておりませぬが‥‥月夜の晩に一夜限り花開く白い花は、それは美しいもので御座いました」
 満月の下、この時ばかりと花開く大輪の花――聞いていた皆の心にも美しく咲き綻ぶ。微笑んで、吾庸は己の故郷を語った。
「俺の里は険しい山にある。獣を狩り山の恵みを得て暮らしていた。秋になるとな、木の実を集めて菓子を作るのだ」
 加熱で甘みを増す栗や芋、それらを用いて作る菓子は子供達にとって何よりの楽しみで、吾庸も子供の頃は率先して栗拾いに行ったものだと微笑う。
 作った菓子は月に捧げて先祖を偲んだ。月に還った魂に想いを馳せて。
「我ら月より来たりし者‥‥婆様の御伽噺が楽しみでな。何せ菓子が付いて来た」
「何処の郷も、お子は無邪気なもので御座いますね」
 他愛無い思い出話に相槌打って、牧羊犬は月を見上げた。
「欠けの無い月は豊穣の象徴だ」
 月の女神は月を浄化し豊かな土地を作ったと人の世では伝えられているのだと、からす。偶然か、あるいは必然か――こうした関連もまた興味深いもので。
 想い人を心に浮かべ歌うアルーシュの歌声が月下に朗々と響く中、柚乃は心静かに月を見上げていた。
「八曜丸との出会いがなかったら、今の私はいなかったのね‥‥」
 屋敷の中しか知らなかった柚乃に外の世界を教えてくれた、もふらさま。
 彼女の人生を変えた最初の出会いがなければ、今こうして八曜丸や開拓者達と月を眺める事もなかっただろう。
 少し肌寒くなって、柚乃は八曜丸を抱き寄せた。もこもこ毛並みが心地良い。
「‥‥ありがとう」
 私と出逢ってくれて。私に新しい世界を見せてくれて――