【HD】だっぴ。
マスター名:周利 芽乃香
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/11/28 01:26



■オープニング本文

 脱皮:だっぴ。一部の生物に於いて、成長過程で外皮が剥がれる現象。

●脱皮する龍
 神楽の港には様々なものが集まってくる。
 人、船荷、そして龍。
 港には開拓者ギルドが管理する朋友繋留用の厩舎が併設されている為、港を行き来するのは商売関係者だけにとどまらず、開拓者や朋友そのものも行き交う賑やかな場所であった。

 その日、梨佳(iz0052)は駿龍の銀河の世話に港へ来ていた。
 銀河は梨佳が所有する龍ではない。開拓者ギルドが世話をしている、人に慣れた龍だ。戦闘力に於いては開拓者が訓練を施した龍に比ぶべくもないが、騎龍の必要がある依頼などに貸し出す為の移動専用龍である。騎龍の心得がない梨佳も嫌がらずに乗せてくれる]順で気のいい龍だ。
「銀河ぁ、元気にしてましたか〜?」
 のほほんと、龍の好きそうな果物などを木桶に詰めて厩舎を訪れた梨佳は、目の前の初めて見る光景に我が目を疑った。
「‥‥ふぇ!?」
 銀河の背中が割れていた。
 ぱっくりと、蝉の羽化の如くヒビが入った銀河の背中が蠢いている。血は出ていないが、中から肉のようなものが見え隠れしているのが不気味だった。
 肝心の龍は虚ろな目をしており、まるで抜け殻のよう――
「銀河!銀河しっかりしてくださいーっ!!」

 ――そこで梨佳は目が覚めた。

 嗚呼、何と気味悪い夢だっただろう。
「まったくもう‥‥縁起でもないですよぅ」
 起きたばかりの寝惚けた頭を思いっきり振ってしゃっきりさせると、梨佳は下宿先を飛び出した。
 ギルドに向かう前に港へ寄りたかった。嫌な夢だったけれど、虫の知らせかもしれない――不安が梨佳を駆り立てていた。
「おはよー銀河、元気ですかぁ!」
 厩舎に駆け込むなり梨佳が見たものは、蹲った銀河が小刻みに震えている姿だった。そして――


※このシナリオはハロウィンドリーム・シナリオです。実際のWTRPGの世界観に一切関係はありません。


■参加者一覧
犬神・彼方(ia0218
25歳・女・陰
桔梗(ia0439
18歳・男・巫
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
橘 天花(ia1196
15歳・女・巫
ルオウ(ia2445
14歳・男・サ
菊池 志郎(ia5584
23歳・男・シ
鈴木 透子(ia5664
13歳・女・陰
からす(ia6525
13歳・女・弓
エーディット・メイヤー(ib3831
24歳・女・魔
ウィリアム・ハルゼー(ib4087
14歳・男・陰


■リプレイ本文

●だっぴの日。
 驚きのあまり、厩舎で固まっていた梨佳の背後で声がした。
「‥‥はぁ、はぁ、‥‥良かった、間に合いました!」
 息を切らせながら駆け込んできた橘天花(ia1196)は先客を見つけると当然のように「良かったですね☆」などと言った。
「梨佳ちゃんのお世話してる龍も脱皮の日なんですか?」
「脱皮‥‥の、日???」
 なんですか、それは。
 明らかに初耳ですと言わんばかりの顔で呆けている梨佳へ、天花は龍が脱皮する事、天花の駿龍・梅も今日が脱皮の日なのだと説明した。
「一年に一度なんですよ。折角の日なのに用意に手間取ってしまって‥‥あ、わたくし急いでいたのでした」
 荷を抱え直し、梅の厩舎へ向かいかけた天花は振り返って梨佳を誘った。
「お越しになりませんか?銀河さんは脱皮を始めたばかりのようですし、まだ時間が掛かりそうですよ」

 よく解らないまま天花の誘いに導かれて梅の厩舎へ向かう途中、あちこちで開拓者を見かけたが何の変哲もない開拓者と朋友の姿に見える。
 たとえば酒々井統真(ia0893)。梨佳が休日に見かける際は大抵人妖を連れている統真だが、今日も人妖を連れている。黒髪が綺麗な‥‥?
 いつもの金髪の子じゃないですねと、挨拶がてら梨佳は名を尋ねた。雪白(すずしろ)というそうで、黒髪黒瞳が白い肌に映えて大層見目麗しい娘さんだ。
「龍、脱皮て‥‥?」
 統真は首を捻った。脱皮の日で忙しいのだと二人は言うが――それが当然だった、っけ?
「ふーん、脱皮かぁ。懐かしいね、かくいうボクも脱皮してこうなって‥‥」
「雪白さんも脱皮した事があるですね!」
 妙に馴染んで来ている梨佳と雪白との遣り取りを聞いていると、そういうものだったかという気がしてくる。違う気もするけど、まあいいか。
 考えを放棄した統真は雪白をまじまじと見つめた。
「雪白、お前、龍が脱皮した‥‥んだよな?」
 そうだけど?と統真の目線まで浮遊した雪白、何を当たり前の事を改まってと言わんばかりに統真の顔を覗き込んだ。
「ん?龍に比べて小さ過ぎる?‥‥やだなぁ。皮を脱いで出てくるんだから、元から小さくなって当然じゃないか」
「そういうもんなのか?」
 統真の脳裏では入子箱が龍の形をして浮かんでいたが、どうにもそれが雪白とは結び付き難い。
 なのに雪白は首肯して説くのだ。
「繰り返せばどんどん小さくなる、道理だろう?」
 やっぱりよくわからないが、統真はとりあえず順応しておく事にした――と、その時。
『うあーーー!ど、ど、どうしたんだよっ、ロートっ!?』
 港に、いきなり聞き覚えのある叫び声が挙がった。
 他の龍がどんな脱皮をするのか見てみたい。知人の慌てた声に多少の可笑しみを覚えつつ、統真は雪白を連れてルオウの龍が繋留されている厩舎へ急いだ。

 炎龍・ロートケーニッヒの厩舎前で、ルオウ(ia2445)が泡食っていた。おろおろとルオウらしからぬ様子でうろたえている前では、彼の炎龍の形が変わりつつあった。
 ぼろぼろと鱗が落ちてゆく。剥げた箇所から覗く身体が痛々しい――こともなかった。鱗の下から現れたのも、また鱗だ。
「ロート!?怪我してんのか!?」
 やって来た統真に脱皮と教えられるまでは、殆ど泣き出さんばかりに心配していたルオウである。脱皮と知ってもまだ「はいそうですか」と納得できるものでもなく、とにかくロートケーニッヒの様子が落ち着くまで見届けようと腹を括った。
「うちの龍の時はどうだっけなあ‥‥龍にも色々あるんだな」
 皮を脱いでどんどん小さくなって行ったという雪白の姿に目を遣り、統真が呟く。何気に初めて見るような気がするのは内緒だ。
 脱皮の先輩(?)達に見守られ、ロートケーニッヒは一枚また一枚と古い鱗を落としていった。
 中から現れたのは――
「新ロート?」
 寸分違わぬロートケーニッヒだった。
 足元に散らばる鱗だけが変化を示している。先程までの異様な事態が夢のようだ。
「ロート、だな。世の中、不思議が一杯だなー」
「だろう?」
 ルオウと統真は顔見合わせて素直に納得している。
 そこへ犬神・彼方(ia0218)が妙齢の女性を連れてやって来た。見慣れぬ女性だが親しげにも見える姿に、すわ浮気かと軽口叩けば「馬鹿言うな」の突っ込みが入った。
「俺ぇと似てねぇか?母上そっくりに脱皮しちまったぁ黒狗だぁね」
 まったく‥‥と、彼方は溜息ひとつ。
「まぁ、どんな姿になろぉが黒狗は黒狗だ‥‥って、思ってぇたんだがなぁ」
 よりによって出てきた姿が亡母そっくりとは。
(「そりゃぁ黒狗は特に俺には甘かったぁけどさ、過保護なまでに‥‥親、みたいにさ‥‥」)
 渋い顔をしている彼方の隣で、黒狗だった女性は優しげに佇んでいる。心配性の母親の視線で彼方を見つめ、口を開いた。
「私の彼方を想う気持ちが、この姿になったのでしょう」
「声ぇまで似てやがる」
 ますます複雑な表情をしている彼方に、折角この姿になったのだからと黒狗は彼方に寄り添い、甘えて欲しいと促した。
 は!?と面食らう彼方。
「‥‥い、いい年したぁ野郎が甘えるもんじゃぁないだろ!?」
「そんな‥‥」
 男として生きているが彼方は歴とした女性である。龍時は犬神の長を護る使命を負う黒狗だが、今の彼女は娘を気遣う母親そのもの。母親は哀しげに目を伏せた。
「‥‥って‥‥むぅ‥‥母上の顔でぇそんな哀しそうな顔されたら、どうしたぁらいいかわからなくなるじゃねぇか‥‥」
 心底困り果てた様子の彼方に、統真は親孝行を勧めてみた。黒狗に否やはなく寧ろ嬉しそうで、面食らいながらも腹を括った彼方は黒狗を連れて拠点へ帰って行った。
「本当に色々なんだなー脱皮って」
 ルオウは感心してロートケーニッヒの背を撫でる。そうだなと首肯した統真、気になる事があるようで。
「脱皮した後の能力ってどうなってるんだろうな?ルオウ、ちょっと実戦してみないか?」
「面白そうだな!けどその前に何か食いに行かねー?脱皮でロートが腹空かせてそうだし」
 じゃあそうするかと、少年達も港を後にした。

 一方、梅の厩舎へやって来た天花と梨佳。天花は慣れた様子で、荷を解くと中から着替えを出している。
 厩舎内で蹲っていた梅の背には亀裂が走り、裂け目から何かが現れ始めていた。夢に見たのと同じ光景に梨佳は身を竦めた。
「わたくしの梅もそろそろみたいです‥‥あ、出てきました!」
 ぴし、と一際大きく裂けた背から、少女が頭を覗かせた。天花そっくりの少女は初冬の風に素肌の肩を振るわせる――全裸だった。
「一年振りですね、天華。今日も会えて嬉しいです。はい、着替え」
 風邪を引かないうちにと手渡す天花。
 呆気に取られて眺めている梨佳へ、天花は改めて「双子の妹の天華です」紹介した。
「双子、の‥‥妹、さん?」
「‥‥え?何を今更。性別が同じ双子が生まれたら、片方が龍になるのは当たり前じゃないですか」
 梨佳は一般常識(?)を説く天花のペースに流されっ放しだ。龍から出てきた妹に、天花は龍の間に胸が大きくなったのではなどと話しかけつつ素早く衣服を着せ付けると「では」街へと去って行った。
「銀河の中にも、あたしの双子の妹か、おねーさんが‥‥?」
 確かめに戻りかけた梨佳が見た光景は、およそ彼女の想像を超えているものばかりであった――

●色々様々
 空を飛ぶ大亀。
 甲羅に白い羽を生やし優雅に空を泳ぐ大亀は『ジルベリアソラガメ』だ。種名ではなくて固有の名前、脱皮前はジルベリアヨロイリュウと名乗っていた甲龍が、今は雲海をゆく。
「ソラガメ、あそこに空魚がいるですよ〜♪」
 翼の生え際にエーディット・メイヤー(ib3831)が治まっていた。甲羅の上にクッションを固定し、毛布を膝に掛けて居心地良さそうにしがみ付いている。
 ――居心地良過ぎるのか、エーデットは空中散歩のまま眠り始めた。
 あわあわ地上で焦っている梨佳を他所にエーディットが降って来る様子はない。ジルベリアソラガメも主を落とさないように飛んでいるし、エーディットも落ちない騎亀方法を心得ているようだ。いよいよ本格的に眠くなってきたらしいエーディット、毛布を敷きなおして亀ベッドにすると眠ったまま高度を上げていった。
 ウィリアム・ハルゼー(ib4087)が空をゆく姿は更に奇妙だ。人型アヤカシに喰われているようなそれは、半透明の触手がウィリアムに絡んでいるようにしか見えぬ。アヤカシめいたそれこそ、元・駿龍のヘルダイバーであった。
 龍の時には喋れなかったヘルダイバーだが、今や人語も解する優秀な触手に生まれ変わっていた。
「細かいことは気にしないでください。これでもれっきとした龍ですから」
 意外と礼儀正しいアヤカシ――もとい脱皮龍だった。己が身にウィリアムを絡ませ固定した状態で飛んでいる。ウィリアムが操縦しているのだろうが、他所目には美少女が攫われているように見えた。尚、ウィリアムは男の娘であって少女ではない。
「ふむ‥‥飛行性能に問題は無しと‥‥立派な急降下爆撃機として活躍が期待できるな」
 可愛い顔に似合わぬ物騒な事をのたまいつつ、ウィリアムはヘルダイバーに何故その姿なのかと問うた。
 その姿――彼の御主人様そっくり+触手+すらいむ。
「ハルゼー様の御主人様がしょくしゅ。大好きっ娘で、すらいむ。べっとりなのは全世界が知らんと欲す…ではなく全世界が知っていることです」
「だな」
 彼らの間では、そういう事らしかった。

 目に映る光景を理解しがたく頭を抱え始めていた梨佳を、空から呼ぶ声がした。
「あ、桔梗さーん!」
 駿龍で空を駆ける桔梗(ia0439)の姿に、梨佳は漸く安堵した。良かった、脱皮なんて、ない。
 否、駿龍の風音は脱皮して駿龍になったのだった。港に降り立った風音と桔梗は奇しくも今日脱皮したのだと語る。
 脱皮して鱗の傷が無くなったと桔梗は嬉しそうに語り、抜け殻をまだ厩舎に置いているのだと言った。
 誘われるまま抜け殻と対面に行ってみると、風音の抜け殻は龍そのものでとても硬い。抜け殻の中に潜って話しかける桔梗が龍になったみたいだ。
「風音さん、大きくなったんですね〜」
 抜け殻より一回り大きくなった風音を見て、梨佳が言った。腹が減ったのか、風音は抜け殻を鼻先でこつこつつついて桔梗に食事をねだっている。
「おなか、すいた?」
 抜け殻から出てきた桔梗があれこれ食物を用意してやると、相当空腹だったのか出されるがまま風音は齧り始めた。
「あれ?風音さん‥‥大きくなってますぅ?」
 食べれば食べる程、風音の身体が徐々に大きくなっていた。食べるものがなくなっても、呼吸の度に風音は大きくなってゆく。遂に厩舎には治まりきれなくなった風音の背に乗り、桔梗は大空へと去って行った。

 一人残された梨佳は再び港を歩き出した。
 今日はあちこちで脱皮が行われているようだが、その形式は様々で龍から出てくるものも色々らしい。
 菊池志郎(ia5584)の朋友がいる厩舎を覗いてみると、ちょうど駿龍の隠逸が脱皮中だった。
「そのお年で脱皮してさらなる成長目指す向上心には敬服しますが、ご自分の体力のことも考えてください。先生、どこですかー!?」
 動かなくなった隠逸の皮の切れ目に顔を寄せて声を掛けた志郎は、次の瞬間、新生隠逸の脚蹴りを喰らって仰け反っていた。
「先生!?」
 鼻先を押さえて再び切れ目を覗き込めば、隠逸が随分小さな姿になっている。手乗りよりやや大きい位だろうか、抜け殻から比べれば相当小さくなったものだ。
「先生、随分と可愛らしくなってしまって‥‥痛いです」
 可愛らしい、の部分に多少の萌えが滲んでいたかもしれぬ、不機嫌そうにひと鳴きした隠逸は再び志郎を足蹴にした。鳴き声や性格は全く変化ないようだ。街を見たいとばかりに袖を引っ張られ、志郎もまた港の外へ出て行った。
 ほかに脱皮中の龍はいないかと覗きまわっていると、からす(ia6525)と出会った。
「おや、龍が脱皮するのを知らなかったのかね」
 翼があって空を飛び炎を吐く事を覗けば爬虫類ではないかとからす。いやそれだけ違えば大違いだと梨佳が突っ込むはずもなく、すっかり信じて納得している。
「そっかぁ、はちゅーるいなんですよね」
「そうそう。一皮剥けた、という言葉もあるではないか」
 頷くからす、今日は駿龍の鬼鴉が脱皮予定だそうで。
 いつもの事ながら落ち着いた風情で脱皮に臨むからすは、毎度の事ながら茶席を設けている。勧められるまま、お茶を手に鬼鴉の脱皮を見守る事にした。
 白色透明の繭状の中で、鬼鴉がもがいている。鬼鴉が繭を吐いたのではなく、その繭こそが抜け殻であった。切れ目も裂け目も見当たらぬ繭の中で懸命に出口を探す鬼鴉、透けて見えるのは駿龍の姿だが、出てくる時には何になっているだろう。
 やがて、抜け殻の口にあたる部分から鬼鴉は出てきた。小さな駿龍になって。
「おはよう、鬼鴉」
 脱皮前と変わらぬ鋭い目付きで応えを返した鬼鴉は、新しい身体を確認するかのように身づくろいをした。いつもの鬼鴉であれば昼寝でもしそうだが――
「頑張るんだよ」
 元々この大きさだったとは言え、いまや自身の何倍もの大きさでもある抜け殻をもしゃもしゃ食べ始めた鬼鴉に、からすは声を掛けて言った。
「一日掛けて繭を食べるのだ。さて、鬼鴉はそっとしておいて見回りに行こうか」

 連れ立って港を巡る。そろそろ大体の脱皮は終わったようで、あちこちから驚きや喜び、嘆きの声が聞こえて来た。
「おはよう、皆」
 新しく生まれ変わった龍達に声を掛け、厩舎を回る――と、港に不似合いな香りが漂ってきた。
「お出汁の匂いです?」
「そうだね、鍋かな」
 行ってみると、鈴木透子(ia5664)が寄せ鍋をしていた。
 白身魚にエビ、イカ、ハマグリ。海鮮食材に加え鶏肉も準備。野菜も勿論たっぷりで、白菜、長ネギ、生椎茸、えのきに春菊とにんじん。加工品も抜かりなく、豆腐と葛切り、お麩まである。出汁は昆布と鰹節、薄口醤油で味を調えた完璧な寄せ鍋だ。
「わぁ‥‥こんにちはー美味しそうですねぇ。脱皮のお祝いですか?」
「駿龍の蝉丸の成れの果てですよ」
 誰かと鍋を囲むのだと思った梨佳が尋ねると、透子は大真面目に言った――

●鍋
「脱皮して‥‥お鍋になっちゃったですか!?」
「ええ。これは食べるしかないですよね」
 ほら、と示されたのはカボスと七味唐辛子。徳利に入っているのはポン酢のようで、薬味やタレ類まで蝉丸の中に入っていたらしい。
 しかし龍を食べてしまって良いものだろうか。心配気にからすを伺うと、何事もないように言ってのけた。
「そのうち元に戻るさ。たとえ食べてしまっても‥‥ね」
 腹の中で元に戻ると大変な事になるだろうが、今は新鮮な具材を無駄にしない事の方が大切ではなかろうか。躊躇って腐らせてしまっては鍋具になった蝉丸も浮かばれまい。
 開拓者二人の肝は据わっていた。何より寄せ鍋は旨そうだった。くつくつ煮えて来た鍋から立ち上る湯気、急に吹いて来た潮風に身を竦ませた梨佳はお相伴に与る事にした。
「ところがですね、お箸と取り椀がないのです」
 取手まで付いて面影がないですがこの鍋が頭蓋骨だった部分でしょう、この燃料は多分脂肪で‥‥などと解説してゆく透子は「ほら食器がないでしょう」そう言って慌てる様子もなく続けた。
「煮えてしまう前に借りてきましょう」
 かくして、港で宴会鍋が始まったのであった――

 さて、場所を移して港を出た開拓者と朋友達の後を追ってみよう。
 黒狗を連れて戻った彼方を出迎えた一家の面々の反応は様々だったが、彼方は家族達を制して縁側へ向かった。人払いをして、黒狗と二人きりで過ごす事にする。
「黒狗、あんたぁにゃ、俺の眠りの番を任せるよ‥‥きちんと守っとけよ?」
 母親より龍に対してのそれは彼方の照れ隠しだろうか、黒狗をわしゃ撫でした彼方は彼女を縁側に座らせるとごろりと横になった。黒狗の膝に頭を乗せて目を閉じる。
「‥‥俺ぇが生まれて十五になるまで‥‥あまり会えなかったけど、たまに会えた時は髪を梳いてくれたり‥‥膝枕してくれたりしたっけぇな‥‥」
 寝言に似せて、ぽつりぽつりと呟く。
 優しかった母上。今はもう逢えないけれど、彼方には今も変わらず大切な家族がいる。
(「おやすみな‥‥黒狗」)
 額を撫でる黒狗に母の安らぎを感じつつ――彼方は意識を手放した。

 街へ出た志郎は隠逸を肩に載せて通りを歩いていた。
「先生、意外と重いですね‥‥痛いです」
 ずっしり重い隠逸に蹴りを入れられつつ神楽の街を歩いていた。
 脱皮前の隠逸なら街中を連れ歩くなどできない相談だったから、色々と珍しげな場所を見繕っては案内してみる。
「先生、ここが芝居小屋ですよ。少し覗いてみましょうか」
 入場できずとも外からでも様子は伺える。華やかな舞台の賑わい、市場の活気――人が行きかう様子が新鮮なようで、志郎の肩に隠逸の脚が時折食い込んだのは隠逸なりの興奮だったのだろう。
「先生、野良犬とかと喧嘩はしないでくださいねー」
 負けはしないだろうが争い事は避けたいもの、八百屋で果物を求めた志郎は人気の少ない広場へ出て一休みした。
 大きさは違うが食事する様子は今まで通りの隠逸だ。
 肩乗り隠逸だと背に乗って空を飛ぶ事はできないけれど、こうして一緒に街を歩く事ができるのは嬉しく思っていた。
 別の通りで露店を冷やかしていた天花と天華は、歩き疲れた足を茶屋で休めていた。
「どうです天華、この前見つけたばかりなんですよ」
 美味しいと喜んで食べている妹に微笑みかけ、天花も団子の串を取った。娘達の話は尽きぬ。双子に生まれた定めとはいえ、こうしていられるのもあと僅か――港に干して来た龍の抜け殻は気持ちよく乾燥しているだろうか。
「年に一日だけの二人で歩ける日‥‥晴れてくれたのは、精霊様のお陰ですね」
 天華、ありがとう。今日は楽しかったですと天花は少し寂しげに微笑った。
 もうすぐ天花が梅の身体に戻る。これからの一年は天華が『外側』の開拓者だ。
 おやすみなさい天花。天華は眠り始めた姉を見届けて帰路に就いたのだった。

 息をする度にも大きくなってしまう巨龍、風音の背に乗って桔梗は雲の合間を飛んでいた。
 高い空でも揺れもせず寒さも感じない。広く広くなった風音の背はとても安心できる場所――だが、風音は頚を巡らせて桔梗に言った。
「龍族の伝承に地の果ての儀がある。巨龍が棲んでいるとか‥‥私はそこを目指さなくてはいけないような気がする」
「巨龍の、儀」
 問い返す桔梗に風音はそうだと返し、その前にすべき事があると言った。
「翼を伸ばせば、どうにか、お前を天儀の大地に届けられるかも知れない」
「嫌、だ。俺も一緒に行く。風音が居れば、寂しくない。風音も‥‥少しは、寂しくない?」
 天儀で出逢った大切なもの。心に温かなものをくれた人達。一人は寂しい、でもだからこそ一緒にいたい。
 桔梗は風音の首に抱きつくように身を傾けた。寄り添い、共に行こうと誓う。
 巨龍と少年は夜と昼を越えて、伝説の儀を目指し何処までも飛び続けた。

 空の散歩を楽しんでいたエーディットは市場に降り立っていた。
「ソラガメは草食でしょうか〜」
 野菜を求めたエーディット、厩舎へ戻って他の脱皮済龍も交えて食事をと厩舎へ向かったのだが、透子達の姿はなかった。代わりにいたのは龍三匹。
「鍋を火にかけたまま、皆さんどこへ〜」
「‥‥こういう仕組みですか」
 龍は透子の声で言った!

 蝉丸鍋を食した三人の運命や如何に――結末は神のみぞ知る、かもしれない。