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■オープニング本文 天儀の大体の場所に於いて、瘴気は多少なりと存在し得るものである。 だから、多くの生物はそれをある程度を許容して生きていかねばならぬ。 害の少ない薄い場所で生を営み、高濃度の場所を忌避する――それが大多数が選択できる方法であった。 ●魔の森 高濃度の瘴気を抱え込んだ場所というのがある。 瘴気より出でて生命に害を為すアヤカシ共が集まる場所、アヤカシ共が蹂躙した場所、大アヤカシが支配する場所――開拓者ギルドと開拓者達の活躍で高位のアヤカシが討伐されている現在でも、未だ世界中には瘴気の集まる場所が依然として存在する。 北面、仁生から北西に位置する街道に巣食った魔の森も、そうした瘴気溜まりのひとつだ。 街から外れた郊外へと続く街道を利用する者は殆どおらず、街道先の村へも半月あれば歩いて行ける。何より魔の森が拡大しなかったのを幸いとして、北面国はこの瘴気溜まりを後回しに他の緊急事の対処を優先させ、そのまま現在へと至った。 志士隊の人員にも限りがある。だから当然の選択であったろう。しかし、これにより街と半隔絶の状態に陥った村がある事を忘れてはならない。 名を千代見村という――菊の生産で生計を立てている、小さな村だ。 ●菊の花弁 仁生にある七宝院邸。 一ノ姫の部屋で、姉妹が件の村について話をしていた。 「先月、中秋の頃に開拓者が、千代見村から観月団子を届けてくれたわ」 「まあ‥‥開拓者さまが」 几帳越しに聞く姉の声に喜色を感じて、七宝院 鞠子(iz0112)は嬉しげに微笑んだ。乳母と居候の猫又以外の人前には決して姿を現さぬ姉姫・七宝院 絢子(iz0053)に、他者と心通わすひとときがあった事が嬉しい。 「良うございましたね、お姉さま。村は菊の盛りの頃でしょうか‥‥」 首を傾げる鞠子の向こうで衣擦れの音がした。 几帳の向こう、首座では絢子が猫又のちくわを撫でている手を離し、傍らの文箱に触れた。ここには絢子の宝物が入っている。何を出すのだと覗き込むちくわをいなしつつ、絢子は文を手に取った。紙面に走る黒文字に目を遣って応える。 「中秋の折は、まだ一月少々先との事だったわ。稲穂が実りの頃を迎えつつあるとか」 今頃は刈り入れの時期でござりましょうと、几帳の間に座していた絢子の乳母・於竹が口を挟んだ。 刈り入れと言われても、屋敷育ちの絢子や鞠子には想像するのも難しい。千代見村へ行った事がある鞠子が、村の様子を思い出しながら於竹に尋ねた。 「広い田畑に植えた作物を、皆さまで収穫する‥‥のですか?」 「さようでござりまする。菊の栽培だけではござりませぬゆえ、村の者達は日々忙しゅうござりましょう」 「あんなに広いのに‥‥」 大変そう、と呟く鞠子には妙な実感が籠もっている。絢子は『刈り入れ』の想像の助けにと文箱から絵を取り出して眺めた。 (これを一人‥‥いえ、村の者達が‥‥?) 黄金の海である。さすがに一人で刈り取る訳ではなかろうが、限られた人間しか知らぬ絢子には大勢が一列になって作業している様子など想像できるはずもない。 「‥‥大変なのね」 引籠もりの一ノ姫様は、呆気に取られて呟いて――妹を呼んだ用件を思い出した。 「於竹、これを」 几帳の境に座している乳母に料紙を差し出す。絢子から受け取った於竹は、鞠子にそれを渡した。 繊維の跡が荒い、薄黄色の料紙であった。 「これが、菊花紙ですの?」 千代見村で試作している菊の花弁を漉き込んだ料紙だと覚った鞠子が尋ねると、絢子の代わりに於竹が頷いた。 「重陽の菊を花弁にして乾燥させ、村の郊外で採れるガンピを原料に漉いた紙に漉き込んだものにござりまする」 分厚くごつごつした質感の料紙はそれはそれで味があるものの、何処となく不自然さがあった。 強いて言うなら紙質と花の組み合わせだろうか――菊花という花が持つ優美さや香りと紙質が合っていないというか。 「もう少し薄さや滑らかさが欲しいところね」 同じ事を感じていたのか絢子は几帳の向こうで言い、それと、と続ける。 文によると、村人達は花弁の活用法を模索中なのだと言う。 重陽の菊は着せ綿という縁起物に使われた菊の事で、真綿を被せて朝露を綿に含ませる為の花だ。香りは良いのだが観賞用に形ができておらず、また食用には適さない。 現在、千代見村では菊花紙と香袋に重陽の菊の花弁を用いている。袋の材料となる錦の端切れは絢子が仁生から送っているのだが、いかに大量の香袋や紙漉きをしたとて乾燥花弁の消費は少量、昨年の花弁を残したまま今年の重陽を終え、増えた乾燥花弁の使い道に頭を悩ませているのだとか。 「何か良い案はないかしら‥‥」 「あの‥‥わたくし、開拓者さま方をお誘いしてお伺いしても宜しゅうございましょうか?」 「行って、村人達と相談してくれる? では、於竹‥‥」 乳母に飛空船の手配を指示しかけた姉を制した鞠子は、陸路での往復を望んだ。 しかしながら千代見村へと続く街道は魔の森で封鎖されており、陸路を取るとなると半月は掛かってしまう。鞠子は当然のように言う。 「わたくしは魔の森経由で行きとうございます。大丈夫、開拓者の皆さまがご一緒ですもの」 「そんな、姫様は志体を‥‥」 お持ちではござりませぬぞと於竹が反対するより早く、絢子の膝で喉を鳴らしていたちくわが几帳の隙間から飛び出して、鞠子の膝に擦り寄り言った。 「開拓者だけでは不安か? なれば我も同行しよう。じゃが白蓮は連れて行くなよ?」 訓練を受けておらぬ忍犬の血統の愛犬は屋敷に残して行くと約束し、鞠子は魔の森を通過する事に決まった。 ●あの森を越えて 朝――乾燥した風が少々肌寒くはあるものの、日中の晴天は約束されているかのような澄んだ空だ。 北面の開拓者ギルドで、あなたは依頼人の名代となる護衛対象者を待っていた。 護衛対象は貴族の姫とその同行猫又、魔の森を経由し北西の村へと向かう。 これから始まる依頼は一泊二日の旅、傍らの相棒は旅に伴う大切なパートナーだ。行き帰りの護衛以外は好きにして構わないとの事なので、依頼人と現地に迷惑が掛からない限りは相棒と好きに過ごしてみるのも良いかもしれない。 半ば行楽気分で出発を待っていたあなたは、護衛対象の姫一行の到着で気を引き締めた。 志体はおろか身を守る術も持たぬ貴族の姫が、あまりにも無防備であどけなく見えたから―― |
■参加者一覧 / 崔(ia0015) / 奈々月纏(ia0456) / 柚乃(ia0638) / 礼野 真夢紀(ia1144) / ザザ・デュブルデュー(ib0034) / 御陰 桜(ib0271) / 玄間 北斗(ib0342) / 明王院 未楡(ib0349) / 明王院 千覚(ib0351) / 戸隠 菫(ib9794) / ルース・エリコット(ic0005) |
■リプレイ本文 ●都の外 屋敷はおろか都すら滅多に離れる事がない貴族の姫の一泊旅行。しかも此度は往復に魔の森を通過するという一般人には危険この上ない旅。 にも関わらず、当の二ノ姫には不安というものが全く感じられなかった。 「皆さま、此度はどうぞよろしくお願いいたします」 柔らかな声音に滲むのは、素直な人柄と開拓者達への信頼のみだ。 妹分と同じ年頃だろうか。玄間 北斗(ib0342)は忍犬の黒曜の傍に屈み込み、薄茶色の毛並みを抱き寄せ笑顔を向けた。 「たれたぬ忍者の玄ちゃんこと、玄間北斗なのだぁ〜 黒曜、姫様にご挨拶なのだぁ〜」 「まあ可愛い」 名を呼ばれた黒曜は、もっふりした尻を振り振り短い脚でご挨拶。 まるで毛玉がじゃれついているみたいだ。思わずしゃがみ込み黒曜に手を伸ばしてもふっている鞠子の腕から、猫又のちくわが飛び出した。 「何ぞ、犬が多うないか?」 わんこますたぁ・御陰 桜(ib0271)に訴えるが、桜も犬連れの一人だ。桜の足元では白黒柴の忍犬・雪夜が尻尾を千切れんばかりに振っているし、その隣では闘鬼犬の桃が行儀よく座姿勢を維持している。明王院 千覚(ib0351)は又鬼犬のぽちを連れていたし、柚乃(ia0638)は又鬼犬の白房と――おや別の気配も。 桜はちくわを抱き上げて、わんこ達から庇ってやった。 「だって、雪夜も白房ちゃんも、白蓮ちゃんの兄弟犬なンだもの♪」 「あんっ♪」 甘えて声で応える雪夜はちくわの二本の尻尾に興味津々、待機状態を維持している白房も黒い耳先をぴこぴこ尻尾をぱたふぱたふさせて遊びたげだ。 言われてみれば白蓮に何となく似ているような気がする。尤も、忍犬としての訓練をしていない白蓮の方がずっと頼りなく見えるのだが。 「そう言えば、あやつも我の尻尾を追いかけるのが好きでな‥‥」 後脚で尻尾を抱え込んだちくわは届かないのを良い事に、わんこ達に威嚇してみせた――が、いきなり耳元をもっふりしたものが撫でたもので、調子に乗っていた猫又は途端に毛を逆立てる。 「あら、ちくわぶじゃない。お久〜☆」 柚乃の襟巻きの振りをしていた玉狐天の伊邪那が、ひょっこり顔を出して悪戯めかして笑っていた。 一行は早朝に仁生を発った。 道中の警戒は勿論の事、徒歩移動を敢行する鞠子の様子にも気を配って進む。 「今回はよろしゅーお願いするわ〜♪」 「纏さま、お久ゅうございます。こちらこそ‥‥まあ、ご結婚されましたのね!」 近づいて来た奈々月纏(ia0456)と以前逢った時は藤村姓だったから。嬉しい変化に少女の顔が綻ぶ。 (千代見村、と言うと、あの村か) 久々に顔を出したギルドで聞き覚えのある名を聞いたのも、何かの縁かもしれない。 かつて、かの村が壊滅の危機にあった際に駆けつけた者のひとり、ザザ・デュブルデュー(ib0034)は過去の記憶を手繰る。以前は空を駆って向かったが今回は陸路、魔の森は存続しているようだが、村はその後どうなったろう。 「へえ、あたしの探し物がこういう形になったんだ」 菊花紙の表面を指の腹でなぞりつつ、戸隠 菫(ib9794)が呟いた。観月の折に千代見村を訪れた際はとんぼ帰りだったから、復興途上の村で見つけたガンピと紙漉きの提案のその後に触れるのは初めてだ。 「ええ、菫さまがガンピとお知恵を授けてくださったおかげですわ」 「ふふ、役に立っているみたいで良かったなあ。ね、桐」 寡黙に佇む上級からくりの穂高 桐に水を向けた。千代見村が抱えている課題に桐の特技が役立ちそうな予感がする。 あれから三年、菫達の会話から伺うに、かの村は無事に復興への道を歩んでいるようだ。どのように面変わりしただろうか。 「様子を見に行こうイフィジェニィ、だがその前に一仕事だ」 ザザは甲龍の背を撫でて言った。 自らの足で進もうとしている鞠子が安心して歩めるように、辛い道のりも笑顔で進んで行けるように――そんな想いを抱きつつ、千覚は隣を歩く鞠子を見つめる。 (巫女では、護衛らしい護衛にはならないけど‥‥母様が一緒なら) たおやかで優しく柔和でいて芯の強い母。母なら千代見村の人達の力になってくれるに違いない。明王院 未楡(ib0349)は空龍の斬閃を曳き警戒に当たっている。 大きな荷は大型相棒に積載していた。殊に、礼野 真夢紀(ia1144)が霊騎の若葉に積ませた荷はかなりの嵩だ。 「農家の皆さんは今、稲刈りで忙しい時期ですから」 一行の一泊二日分の燃料や野営道具などに加えて、千代見村の人々にも振舞えるよう大量の食料や酒も運んでいる。さらに、猫又が二匹。 「ちくわおじちゃん、とんぼ〜」 田んぼの真ん中に突っ立っている案山子の周りを赤蜻蛉が飛んでいる。小雪が後脚立ちになって興味津々なのを他所に、ちくわは地味にへこんでいた。 猫又としては若い部類のちくわだが、子猫又の小雪にすれば年上に違いなく、雄猫又だからおじちゃんで間違ってはいない――のだが。 「おじちゃん、みてみて〜」 じわじわとへこむ。尻尾をぶんぶんして喜んでいる小雪にすげなくするのも大人気ないし、かと言って愛想よく反応できるほど猫又出来ていないから、ちくわは複雑な心境だ。 「‥‥ま、気にすんな。おじちゃん」 「!!」 音もなく近づいた崔(ia0015)に肩ポンされたちくわがニャッと飛び上がる。 道々、人妖の道明と一緒に植物を鑑賞しつつ歩いていた纏がちくわを抱き上げた。 「ちくわさんも見るか? めっちゃ綺麗やで〜」 「ほぅ‥‥♪」 抱っこした恰好で軽く屈んで野の草を見せると、ちくわは満足気な声を上げた。野の草に機嫌を直したのではない。その辺は立派なおっさん猫又である。 既に市街を離れ街道へと出ていた。 「まりこさま、だいじょぶ?」 「ええ、平気ですわ。ありがとうございます」 隣を歩いていたぽちが、鞠子を見上げて尋ねると、仔犬のような仕草に元気を貰った鞠子が笑顔を返す。 姫に疲労が伺えたなら開拓者達は休憩なり相棒への騎乗なりさせる準備でいたが、彼女はまだ歩き続けている。時折休憩を挟みながら一行は秋の景色を楽しみながら進む。 ――と、斥候していた北斗が戻って来て言った。 「疲れたら、たぬきさんがおぶってあげるのだぁ〜」 「玄ちゃんったら‥‥」 少女達が笑い出す。 北斗がにこにこしながら離れてゆくと、遠慮がちな口笛の音色が聞こえて来た。稲穂の垂れる北面の街道沿いに実りの喜びをそっと謳う軽やかな音色。 (あら‥‥) (鞠子様) 振り向こうとした鞠子を千覚が目で制した。 まだ視線を向けてはいけない。人見知りの吟遊詩人の緊張が漸く解れてきたところなのだから、ね。 心の赴くまま口笛を吹き始めたルース・エリコット(ic0005)の周りを、羽妖精のイクリールがくるりくるりと舞っている。それはさながら山の幸を司る精霊のようで。 からりと晴れた空の下を、一行は和やかに魔の森へと近づいてゆく。 「秋ゆーよりも、冬に近いやろか? 風が冷たいわ〜♪」 「もうすぐ、山も真っ赤に染まりましょうか」 「紅葉狩りもいいですね」 他愛ない談笑に興じつつも、開拓者達は警戒を怠らない。そろそろ安全な道は終わろうとしていた。 ●瘴気溜まる場所 魔の森の手前で、一行は最後の小休止を取った。 瘴気への負担を考えると、鞠子は魔の森は長く留まらぬ方がいい。ここから先は一気に抜ける。 真夢紀が作った甘薯の蒸しパンで一息入れていた鞠子に、桃が言った。 「大丈夫ですよ鞠子様。私達が付いています」 人語を話せる者も、そうでない者も想いは同じ。桃の言葉に応じるように忍犬達がひと吼えする。 ザザと未楡がイフィジェニィ、斬閃、道明を連れて露払いに向かう。安心させるようにザザが言った。 「魔の森に道なんてないからね、あたしは一足先にイフィジェニィと草を踏みしめておくよ」 「鞠子様は皆さんとおいでくださいね。纏さん、道明さんをお借りしますよ」 「勿論や♪ 道明、頼むで〜」 纏にくっ付いていた人妖の幼子が、地の底から発したような低い低い声で応じた。 「我輩に任せておくがいい」 周囲の警戒、そして戦闘時の回復担当として道明の存在は心強い。 別働でザザ達が森へ入って暫し、出立の支度を終えた一行も魔の森へと足を踏み入れた。 鞠子が袖で口元を押さえた。早々に、濃い瘴気に中てられたようだ。 「頑張るのはいいが、そろそろ夜行に乗ってった方がいんじゃね?」 瘴気の中を徒歩敢行するのは身体の負担にもなろう。後方で空龍の夜行を曳いていた崔が騎乗を促す。搬送を見越して出立時に夜行に積んだ荷は自身で負うていた。 青い顔で龍上の人となった鞠子に、北斗がそっと毛布を掛けた。 「たぬきさんが一緒だから心配ないのだぁ〜」 「ええ‥‥皆さまと一緒ですもの、大丈夫、ですわ‥‥」 「鞠子、少し眠っておけ」 懸命に微笑もうとする鞠子の膝に乗ったちくわが言った。半死半生で千代見村に辿り着いても村人達を心配させるだけだから、鞠子は頷いて目を閉じる。 「ウチらも居るし、へーきやよ♪」 纏がそっと囁いた。同時に片手を挙げて、物陰に何らかの存在を察知した事を仲間に知らせる。 ここは魔の森、纏が心眼「集」で察知した存在はほぼ確実にアヤカシの類であろう。 (ど、どこにいる‥‥んだろ、う‥‥) 見つけなければ。 夜行の後ろに就いていたルースが耳を済ませた。斜向かいの前方でも超越聴覚を柚乃と桜が行使し気配を探る――いた。 「! え、と!」 ルースと柚乃が同じ方向に気が付いた。 手振り交じりで場所を示すルースにひとつ頷いた柚乃が、そっと気を溜め歌声に変換する。 「‥‥あ」 人の心を穏やかにする歌声、だがそれはアヤカシ共にとっては刃。高位の吟遊詩人のスキルを用いた武僧は、己が唇に人差し指を当ててにっこり。 鞠子には何事もないように振舞おうと、ルースは柚乃の調べを口笛で奏で始めた。 「皆さまのおかげですわね‥‥何だか‥‥森に入ったばかりの時よりも、具合が良くなった心地がいたしますわ」 「そう、良かった!」 目を瞑ったままの鞠子が言うのを、菫が朗らかに応じた。 桐とともに横からの奇襲に備えている菫の手は、触れた夜行を通じて瘴気濃度を下げる結界を張っているのだ。 足を掬う草も茂みから飛び出してくる虫も、ここでは瘴気より出でたアヤカシにほかならぬ。誰もが鞠子に気取られぬよう、アヤカシの排除に動いていた。 先頭を歩く北斗が時折車手裏剣を飛ばして、動く者どもの急襲を未然に防ぐ。纏が探査し皆で視認警戒し、負傷者は千覚が即座に治療して。一行の通過前に別働隊が数を減らして行っていた事もあり、一行はそう困難な戦闘にもつれ込む事もなく黙々とアヤカシ共を屠って進んだ。 目を瞑っていても、アヤカシの気配は感じ取れずとも、開拓者達の心遣いは伝わってくる。 「わたくし‥‥皆さまに護っていただいて、ここを通っておりますのね」 一人では到底通過できなかったと心底痛感しつつ、鞠子は龍の背上で呟いた。 ●実りの村 魔の森を抜けると、出口で別働のザザ達が待っていた。 「道明殿、悪いね。助かったよ、纏殿もありがとう」 「いや、造作もない事じゃ」 先駆けで負った手傷の治療を済ませた道明は上背に似つかわしくない低い声で応じた。森から出てきた纏を発見するや、礼儀正しく一礼して主の許に戻った。 楚々と立って待っていた未楡が迎える。 「皆さん、お疲れ様でした。お疲れではありませんか?」 「わたくしは大丈夫です、皆さまは‥‥?」 北斗の手を借りて夜行から降りた鞠子が問うと彼はのほほんと笑って平気だと応えた。皆、同じ思いだ。今はただ鞠子の無事通過が喜ばしい。 小休止して体勢を立て直し、一行は千代見村へと入った。 村の共有地の広場に相棒達を係留待機させ、村長宅へ訪問の挨拶に向かう。 見渡す限りの黄金、そして香り。 各家の前に花弁を干した戸板が立てられている。鼻腔をくすぐる菊の香りの出所だ。 一ノ姫の名代で訪れた二ノ姫と開拓者達を、村の皆は喜んで迎えた。 「残った菊の利用法を考えてるって聞いて、な」 崔の口切りに村長が頷いた。 折角保存可能にした乾燥花弁だ、使い道の相談は夜に行おうという事になって一同は一旦解散する事となった。 「みなさーん、ご飯ですよー」 広場で真夢紀が待っている。挨拶を済ませたら弁当だとは言っていたが、煮炊きの準備もしているようだ。 「お仕事中の皆さんも、お昼まだの方はどうぞー!」 稲穂の間に見え隠れする村人達へ向かって声を上げる。なるほど、昼食は旅人達だけではない訳だ。 若葉の背に積んできた弁当は栗ご飯のおにぎりを中心に温かい汁物を添えて。巫女の十八番、氷霊結で鮮度も申し分ない。 「やあ、御相伴に与っても良いんですか」 「助かりますなあ」 野良手を拭き拭き、村人達が集まってきた。真夢紀は当然ですと胸を張る。農業の盛んな地方で生を受けた彼女は、野良仕事が如何に大変かを知っている。そして、農業が人の食を支えている重要な産業のひとつであるという事も。 「あたし達がお弁当を食べられるのも稲穂が垂れるおかげです。しっかり食べてくださいね」 重箱弁当や汁物の盆を、オートマトンのしらさぎが甲斐甲斐しく給仕してまわる。 くるくると立ち働きながら村人達に話しかける少女は、まるで小さな女将さんのよう。 一泊二日の期間、村人達の負担にならぬように真夢紀は開拓者の食事は全て賄う心積もりでいた。大人数分を調理する都合上、このまま広場で各食の調理も行う事にする。 「夕方は芋煮鍋にしますねー お酒は夜に」 「やや、ありがたい。ではもうひと頑張り、しますかな」 「ありがとうございます、ご馳走様でした」 昼食を掻き込んだ村人達が、黄金の海へと戻ってゆく。後片付けを済ませたら、開拓者と相棒達は自由時間だ。 桜は、わんこ達と気侭に村を歩いてみる。 「桃、雪夜、おいで♪」 「はいっ」「あんっ♪」 同時に返事した二頭それぞれの違いが見えて面白い。 真面目な桃は訓練の延長とばかりに桜に付いて歩くし、甘えん坊の雪夜は畦から飛び出したバッタを追いかけて駆け回る。 「あんまりイジメちゃダメよ〜」 呼べば戻って来るから桜は雪夜を自由に遊ばせて、桃にも遊んでおいでと促すのだが、桃が桜の傍でと応えるのは最早お約束だ。 「じゃあ、美味しい秋の味覚でも探しに行こっか?」 「秋の味覚‥‥ですか?」 大真面目に栗や茸の匂いを思い出そうとし始めた桃に桜は笑って、洗濯物を取り込んでいる民家の女の姿を示す。 地元の人に尋ねてみよう。未知の美味が見つかるかも――秋の味覚は結構身近にあるものだ。 イフィジェニィと村の上空を散策していたザザは、村のあちこちが赤く染まっているのに気付いた。 「柿か‥‥甘いのかな、渋いのかな」 年により柿の結実には波があるという。という事は、今年は大豊作という事か。 あの頃は柿の木を眺める余裕もなかった。ただただ魔の森から湧き出るアヤカシ共を食い止めて村人らを逃がすので手一杯だった。 「あれから三年か‥‥」 アヤカシを足止めし、死傷者を出さずに村人全員を無事に避難させたあの日。あの時見た村の損壊も、険しい表情も、今はない。 「傷跡は癒えているようであるな、皆笑顔だ」 稲刈りに精を出す者、洗濯物を抱えたまま桜と話している女、日向でうつらうつらしている老人に、子をあやす母―― 良かった、と思う。皆が笑顔で、その笑顔を守れた事に。 「ああ、騎士はその為に存在するんだよ、本来。な、イフィジェニィ」 命を奪う為に騎士がいるのではない。守るべきものがあるから騎士が存在するのだ。 猫又が一匹、猫又が二匹、猫又が三匹――え、神仙猫!? 「わしは謎のご隠居さまじゃ」 どこから来たものやら、赤いリボンをした白い神仙猫が村の子達に囲まれていた。 「「すげー、猫が喋ってる!」」 「神仙猫と言うのじゃよ」 「かみさまなの?」 幼子の問いに、温和な様子のご隠居さまは「そうじゃのう‥‥」目を細めた。 もちろん野良の神仙猫などではない。柚乃が術で変化した姿である。 「そこの猫又よりは偉いかの?」 日向で背中をあぶっていたちくわをちょいと示す。子供達の視線が三毛の猫又に向いた。愛想無しのちくわはしゃっと威嚇すると手近な木に登ってしまう。 「己で謎のとか言うか」 枝の上から斜に構えて二股尻尾を振るちくわに、ご隠居さまの赤いリボンが突っ込んだ。 「お黙りなさいな、ちくわぶ」 「ちくわぶ? 変な名前〜」 「違うぞ、我はちくわで、ちくわぶでは‥‥! そもそもちくわも人が付けた名で‥‥」 誰も聞いちゃいなかった。子供達の興味は赤いリボンに移っている。 「謎のご隠居さますげー リボンも喋るんだ!」 「ほっほっほ、これは付喪神の一種でな。道具を長い間大切に扱うと命が宿るのじゃよ」 「「へぇ〜」」 勿論、本当は付喪神ではなくてリボンに視認させた伊邪那なのだけれど、子供達は素直に信じて物を大切にしようと言い合っている。こんな誤解も悪くはない。 「謎のご隠居さま、お話して?」 「お歌うたって?」 すっかり馴染んだご隠居さまは子供達に引っ張りだこだ。 白房を撫でながらその様子を眺めていた鞠子は、隅っこにこっそりと座っているルースに気が付いた。驚かせないように、茶菓子を持って、そーっと近づく。 「ルースさま♪」 びくっ。少女は一瞬身を震わせる。相手が鞠子と気付いて表情を緩めた。茶菓子をどうぞと差し出せば、満面の笑みを浮かべる。 「わ、わはー♪ あ、ありが‥‥とう、です」 年相応の笑顔に良かったと微笑んで、鞠子はお隣よろしいですかと並んで座った。 「行きの口笛、とても素敵でしたわ。ルースさまは吟遊詩人さまですのね」 鞠子は親しみを感じているようだ。心の底から幸せそうに甘味を味わっているルースに、色々と尋ねかける。 「ルースさまのお得意は、楽器ですの? それともお歌でしょうか?」 「う、歌‥‥です」 真っ赤になって答えるルースに、鞠子は目を細めて笑んだ。 「お聞きしとうございます。あの、わたくし琵琶を荷に入れて参りましたの‥‥よろしければ合わせていただけませんか?」 「は、はい!? び、琵琶‥‥と、私の歌‥‥声、です?」 ええ、と鞠子は微笑んだ。大丈夫、自信を持ってと言っているような、優しい微笑み。 琵琶を持って来た鞠子の近くに座り、ルースは弦の調子を整える姫の演奏が始まるのを、どきどきしながら待った。 「行きにルースさまが口笛で奏でてくださいました調べを‥‥」 そう言って、記憶を辿って撥を打ち始めた。 実り多き秋の風景をその声に宿してルースが歌う。音色に合わせるのに集中していると、ふよふよと野に遊んでいたイクリールが戻って来て、二人の間をくるりくるりと舞い始めた。 初めは遠慮がちに歌っていたルースの声が、だんだんと張りを帯びてくる。きっとそれは吟遊詩人――楽を愛する者の本能。 「あ、あり‥‥がとう‥‥ござい、まし‥‥た♪」 「こちらこそ。ルースさまもイクリールさまもありがとうございます。とても楽しゅうございました」 合奏を終え、三人は気持ちよく笑いあったのだった。 ●特産品会議 その夜、開拓者達は村人達と村長宅の囲炉裏を囲んだ。議題は菊花紙の更なる改良と、乾燥花弁を使った新たな特産品の提案である。 「菊花を漉き込んでいなければ、こうした質感の紙もありますけれど‥‥」 店で使うには少々厚みがあるかもと未楡。小料理屋兼民宿の女将としては、菊という季節感を生かすならもう少し薄さが欲しいところだと言う。 「文を書くにはもう少し厚さがない方が、使いやすいと思います」 「ん〜、紙漉きの材料の繊維を、もっと細かくしたら良いんじゃない?」 桜が言った。材料を変えるか製法を変えるか、それが問題だ。昼間に村の紙漉き工程を見学した菫が、考え考え言った。 「そうだねえ‥‥今は漉いた紙を戸板に張って乾かしてるよね。漉いた後の水切りを工夫してみるのはどうだろう?」 「水切り、ですか?」 「うん‥‥上手くできるか、こう‥‥ね、重しを乗せて絞るとか、おコテの大きなもので一気に水分を飛ばすとか‥‥」 菫は囲炉裏に挿してあった焼き鏝を持ち上げて言った。 焼き鏝は布の皺を伸ばしたり裁縫で標付けに用いる道具である。紙の面積に使うには小さいから、大きく重い焼き鏝が作れれば――という訳だ。 「鍛冶屋に相談してみっか」 でかい焼き鏝なら何とかなるだろ、と崔。製紙道具の開発は、ひとまず仁生へ持ち帰る事となった。 続いて乾燥花弁を使った試作である。 「食用には適さないという事でしたね。お茶として飲む分には?」 そう言って、未楡は湯呑みに花弁を一掴み入れ湯を注ぐ。乾燥時以上に強い芳香が立った。 「結構、香りが強いのですね‥‥」 湯呑みに鼻を近づけた千覚が言った。朝露に移った香りを綿に移すほどだから、花弁自体の香りも相当強い。飲用の可否もだが、飲めたとしても好みが分かれるかもしれない。 「お姉さまは着せ綿を布団に設えていらっしゃるくらいですから‥‥」 「確かに良い香りですものね」 「じゃあさ、身に付けるのが作れるんだし、付けないのもいんじゃね?」 香袋は作ってるんだろ、と崔。錦の小袋を手に取って続けた。 「柚子や菖蒲がアリなら、風呂に入れる菊の香袋とかもいけると思うんだが」 抽出しやすいように外袋は綿晒、何度も使いまわすようなものではないから数も捌ける。 「それでしたら湯屋や民宿に卸してはどうでしょう」 未楡の提案で商品化が俄然現実味を帯びてきた。 更に、香りを生かした製品案が菫から挙げられる。後ろに控えていた桐から長方形の木片を受け取って言った。 「菊花の型を桐ちゃんが彫ってくれたんだ。折角香りが良いのだもの、お香にしたらどうかな?」 板状の木片には繊細な菊花が彫られていた。香の材料を練り、型に入れて乾燥させれば美しい菊花の香ができるに違いない。 「お香として形を作るのに必要なのは粘りのある樹皮なんだけど、村の近くにイヌグスとかタブノキって樹はあるかな?」 「黒い実のなる樹かい?」 「そうそうそれ。粉にして練って型に入れて固めるんだ」 作ってみたい、場にいた村人達は皆そう思った。自然と声に熱が籠もる。 「菊は花弁のまま練った方がいいかねえ」 「いや、粉に挽いた方がいいのでは?」 「香りを抽出して香水にするのは‥‥?」 口々に語っていた声は、未楡の呟きでぴたりと止まった。曰く、油脂に香りを吸着させたり、酒精と一緒に蒸留させたりして香りを抽出するのだと言う。 「なるほど‥‥そのまま香水にしたり、練り込んだりもできますな」 「材料を揃えて色々と試してみるかね」 囲炉裏を囲んで和気藹々と、皆の話が夜半まで続く。 用足しに出るような気楽さで、崔はこそりと外に出た。手には菊湯の湯呑みと湯が入った手桶を持っている。 ちくわを探していると、小雪と一緒に鼠を追うていたらしい猫又が蔵の窓から現れた。いい笑顔で手招きして、ちくわを盥の中へと導く。 「猫盥だとか言うなよ?」 「言うか」 軽口を叩きつつ崔が桶の湯を盥に注ぎ込んだので、ちくわは即座に盥の外へ逃げた。 「何をする!」 「いや、実験をだな‥‥お前も姫サンの為なら本望だろ?」 「我は贄か!」 いやそこまでは要求してない。 毛を逆立ててフーシャーするちくわは置いといて、崔は湯を張った盥の中へ湯呑みの中身を注ぎいれた。途端に菊の芳香が立ち上る。 「つー事で、だ。菊風呂の実験台になってくれ」 しれっと。ぎゃあぎゃあ抵抗するちくわの前脚を握って湯に浸けた。 翌日、ちくわは大層良い香りを漂わせていた。漬かったのは前脚の肉球だけなのに、すごい効果だ。 「ちくわおじちゃん、菊くさーい」 小雪の言葉であからさまにへこんだちくわを他所に、崔が浴用香袋の試作品を鞠子に手渡した。 「ちくわで試したが悪くねえと思う。翳姫サンにも試してもらってくれ」 くれぐれも白蓮では試さないようにと注意する。 「ちくわがあの調子だからな、犬にゃ可哀想だ」 「我は可哀想でないのか!」 懸命に毛繕いしていたちくわが吼えた。強い残り香を除いて菊湯自体は気持ちよかったようなので、大して可哀想でもない。それに普通の猫ならともかくちくわは猫又。体調を崩す事もないだろう。 「ありがとうございます。お姉さまは菊の香りがお好きですもの、きっと気に入ってくださいますわ」 「それとな? 渡す際、直接姉様の顔を見て話したいって伝えてみれば、どうだ?」 鞠子はきょとんとした。その驚きように却って崔の方が面食う。 「折角の姉妹だ、甘えても良くね?」 両親とも顔を合わさず几帳越しに話すという一ノ姫。 その素顔を知るのは乳母と猫又だけだという状況を、絢子の周囲は普通だと受け入れているのだろうか――しかし、崔の言葉が鞠子にひとつの楔を打ち込んだ事は間違いないだろう。 |