月が綺麗な夜だから
マスター名:周利 芽乃香
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: やや易
参加人数: 31人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/09/24 14:12



■オープニング本文

 誰かに、何処かで、そっと言ってみたい――月が綺麗ですね、と。

●神楽
 開拓者ギルドでは毎年この時期に持ち込まれる依頼がある。
「はいはーい、兎月庵のお仕事する方は、こっちですよ〜」
 書類を抱えた職員見習いの梨佳(iz0052)が小柄な背を伸ばして呼ぶと、幾人かの開拓者が集まってきた。
 ひいふうみい――餅屋の臨時雇いに応募した開拓者を書類と突き合わせて確認し、後ろで眠そうにしている正規職員に声を掛ける。
「哲慈さん、確認終わりましたです!」
 現在、兎月庵の臨時雇いは職員達が持ち回りで担当していた。今回は哲慈が受け持つようだ。
 ちゃっかり梨佳に点呼を任せていた哲慈は、梨佳から書類を受け取ると座敷にどっかと腰を下ろした。
「おーご苦労、んじゃ梨佳、お前ェ、ちっと付いてけ」
「はいです?」
 他の職員によっては目くじら立てて反対しそうな事を、哲慈がさらっと言ったので、梨佳は目を白黒させて問い返した。
 書類の担当者欄に梨佳の名を書き入れつつ、哲慈は事も無げに続けた。
「お前ェの賃金は俺が払ってやるから気にすんな」
 そういう問題ではない。
 掃除にお茶汲み――そうした見習いの仕事をほっぽって兎月庵へ行けとは如何なる了見か。戸惑う梨佳を他所に、哲慈は毎年日雇いに名を連ねている開拓者の一人を手招きした。
「あー、お前ェさん、悪ィがこいつも兎月庵へ連れてってやってくれ」
「梨佳も、か?」
「実地を知るのも大事だろ? つーか‥‥」
 呼ばれた吾庸(iz0205)も戸惑い気味だ。哲慈は彼にこそりと告げた。

 ――実際に見聞きした依頼の方が、受け持ちやすいと思わねェか?

 わかった、と吾庸は言葉少なに頷いた。振り返り、梨佳に声を掛ける。
「梨佳は兎月庵で働くのは初めてか? 何、難しい事はない。行こう」
 戸惑う少女を連れて、臨時雇い開拓者達は兎月庵へと向かった。

 *

 浪志組筆頭局長・森藍可の私邸では、六番隊隊長・安田 源右衛門(iz0232)が酒を煽っている。観月にちなんでの事ではない、いつもの事である。
「隊長、今日は月見ですぜ」
「見回りに行きゃあ御相伴に与れますよ」
 隊員達の誘いにも無感動で「そうか」と応える。
 御相伴も何も、源右衛門は日がな一日呑んだくれているので有り難くも何ともない。そも、全盲の彼には月が美しかろうが関係のない事であった。挙句、勝手にしろと隊員達に見回り許可を出して、彼は縁側でゴロ寝を決め込んだ。何やかや言って隊規を破るような奴らではないから、少なくとも藍可の立場を悪くするような狼藉を働く心配は無用だろう。
(於歌の小唄があれば、月見も楽しかろうな)
 普段着の帯に触れる。見えはしないが上質の手触りは花柳界の女が使う色鮮やかな丸帯のそれ、東房に住まわせている恋女房の持ち物だ。
 浪志隊の規約では、妻帯者は離れて暮らす事が義務付けられている。源右衛門は隊長権限で同居する事も可能であったが、妻には所在をおおっぴらにできない理由があった。会いに行こうにも、彼は藍可のもとを離れる事はできない。
 八方塞がりの男は、偏屈極まって日々酒を煽り――妻を偲ぶ。

●北面
 首都の仁生には、王である芹内禅之正をはじめとした志士や貴族達の屋敷が建ち並んでいる。
 今宵、七宝院邸では、今輝夜の誉れ高き美姫とその乳母が、御伽噺よろしく空を眺めていた。
「於竹‥‥月が綺麗、ね」
 しみじみと呟く姫君は七宝院 絢子(iz0053)、当家の一ノ姫である。
 その黒々とした長い髪を梳りつつ、乳母の於竹は「そうでござりまするな」いつものように穏やかに返し、空を見上げた。
 絢子の屋敷内での通称は翳姫――かすみひめ――である。翳の如き姫というのは、絢子が外出はおろか家族の前にすら姿を見せず日々を乳母のみと過ごしている事に起因していた。
 世間では今輝夜と賛美し絶世の美女であったという御伽噺の月の姫に擬える。噂を聞き妻にと求むるあまたの求婚者から連日文が届く。上辺のみの美辞麗句は絢子の心に届かず、寧ろ虚しさをこそ覚えて、絢子の心は閉じてゆく。
「月が、菊花のようでござりまするな」
 閉じた絢子の心に、そっと投げかけた。
 重陽の菊を切っ掛けに縁繋がった千代見村。貴族達からの文には関心を示さなかった絢子が、今唯一心を傾けている、小さな村。
 皆は息災かしらと大切な思い出を仕舞っている文箱に触れて呟いた絢子に、だから於竹は慈しみを込めて応えた。
「‥‥皆様、この月を御覧になっておられまするよ」

 *

 その頃、二ノ姫である七宝院 鞠子(iz0112)は仁生の志士屋敷が連なる場所にある、花椿隊の詰所を訪れていた。
 花椿隊は女性有志が集う非公式諸隊である。王のもとに集う志士達のような勇猛果敢な活躍はできないけれど、女性ならではの細やかな気遣いでの慈善活動が街の人々に受け入れられ、今では一種の花嫁修業に娘を遣る親もいる程だ。
 そんな女子諸隊の詰所では、昼間から観月の支度に余念がなかった。鞠子も夕方から詰所を訪れて節句の支度を手伝っている。
 ――と、厨から華やいだ声が聞こえて来た。
「ねえさま!」
 年少の子に呼ばれて振り返った鞠子の口元に、白く小さな団子が押し付けられる。
 もこ、と含んで噛めば優しい甘味が口中に広がった。
「おいしい? あたしがつくったの」
 反応を伺う少女に、美味ですわと微笑み掛ける。そうした遣り取りも楽しいものだ。

 月を臨む縁側には団子を盛った三方と神酒徳利、ススキを供えた少女達のさざめきと優しい目付役の御爺さま。
 今宵の月は何時にも増して美しく見えそうだ。

●陰殻
 里外れで名張の村長が月を見ていた。
 名月である。遠く、里の方ではささやかながら観月の宴が催されているのが家々の明かりで伺えた。
「笑ン狐、居るのであろ?」
「長、何度も言いますが、俺の通り名はショウコです」
 空を見上げたまま、名張 猿幽斎(iz0113)が直属の配下を呼ぶと、案の定、几帳面な訂正が返って来た。
「どうでもええ、付き合え」
 中秋という以外は、ごく普通の満月の夜でしかなかったが――偶には良いであろう。
 長しか知らぬ地下水脈の真上に位置する不思議の場所で、猿幽斎は秘蔵の酒を配下にも遣る。
 そんな優しい奇跡が起こるのも、満月が齎した不思議かもしれない。

●東房
 御山を賑わす蝉時雨に代わって、夜には虫の音が聞こえるようになってきた。
 箒を門前に立て掛けて、静波(iz0271)が心地よさげに伸びをする。
「やーっと、秋、ですねぇ‥‥」
 延石寺で何度となく季節の移り変わりを見てきた。
 山間に掛かる空は青く澄んでいて天候が崩れる様子はない。今年は良い観月を迎えられそうだ。

 夏の日差しが緩むと、御山はすぐに秋、そして極寒の冬へと変化してゆく。
 自然に翻弄され自然と共に生きてゆく人はまた、自然を享受して生きている。

 月が綺麗な夜だから――今宵、人々はそれぞれの場所で月を見るだろう。


■参加者一覧
/ 崔(ia0015) / 桔梗(ia0439) / 柚乃(ia0638) / 深山 千草(ia0889) / 秋霜夜(ia0979) / 礼野 真夢紀(ia1144) / ニノン(ia9578) / ラヴィ・ダリエ(ia9738) / 千代田清顕(ia9802) / ジルベール・ダリエ(ia9952) / エルディン・バウアー(ib0066) / イリア・サヴィン(ib0130) / リスティア・サヴィン(ib0242) / 御陰 桜(ib0271) / 明王院 千覚(ib0351) / 国乃木 めい(ib0352) / 朱華(ib1944) / 寿々丸(ib3788) / エレイン・F・クランツ(ib3909) / 宮鷺 カヅキ(ib4230) / 紅雅(ib4326) / 緋姫(ib4327) / 丈 平次郎(ib5866) / 神座真紀(ib6579) / ルシフェル=アルトロ(ib6763) / 柊 梓(ib7071) / イーラ(ib7620) / 戸隠 菫(ib9794) / 銀鏡(ic0007) / 白葵(ic0085) / 月城 煌(ic0173


■リプレイ本文

 月が綺麗な夜だから、今宵は誰かと眺めたい――

●名月の日
 天儀を彩る四季、殊に秋の満月は名月と称えられ人々に親しまれている。
 中秋は兎月庵でも掻き入れ時のひとつだ。
 手拭を姉さん被りにし割烹着姿の礼野 真夢紀(ia1144)は厨房担当、洗い場でせっせと食器や道具類を洗浄していた。
 単調な仕事のようだが、耳は暖簾越しに聞こえてくる店の様子へと向いている。
「団子一皿と白大福二個とお抹茶、あと、お持ち帰りで団子三包ですねー。お待ちくださいですよー」
 梨佳が注文を取っている。
 連れてこられた初めこそ何処かぎこちなかったが、接客はさすがにギルドで慣れているようだ。真夢紀がそんな事を考えていると、厨房の暖簾を捲って梨佳が顔を出す。
「団子一皿と白大福二個、お抹茶お願いしますです!」
 即座に兎月庵の親仁が動く。すばやく盛られた甘味の皿を盆に載せて、梨佳はすぐに厨房から姿を消した。
 代わりに下げられた汚れ物を洗い桶に突っ込んで、真夢紀はせっせと手を動かしながら考えた。
「あの、平吉さん」
 真夢紀は親仁を呼んだ。気難しい職人肌の親仁の顔色を伺いつつ提案する。
 秋とはいえ、まだまだ動くと暑いから――休憩に出す甘味は冷やし善哉にしませんか?

 *

 夜、延石寺の門前に明かりを灯していた静波は、背後に立つ師・水稲院の声に背筋を伸ばした。
「お務めご苦労様です」
 気配も感じさせず一体何時の間に。
 平生が粗忽なだけに振り返る一瞬すら戦々恐々、静波は振り返り――今度こそ蝋燭を取り落とした。
「え? ええええぇぇっ!?」
 門前の薄明かりの下、そこには水稲院ではなく静波本人が立っていたのだ!
 太い蝋燭の火が白い煙を立てて消えた。目の前の静波はくすくすと淑やかな笑い声を立てている――
「あわ、わわわ‥‥」
「全く見事な取り乱しようね‥‥修行不足じゃない?」
 笑う静波の肩に現れた玉狐天の聞き覚えある口調。そう、伊邪那――という事は。
「静波ちゃん、お久し振りです」
 変化を解いた柚乃(ia0638)が口元に袖押し当てて笑っていた。

「もう、新種のアヤカシかと思ったじゃないですかー」
「アヤカシ? そんなぁ」
「延石寺にアヤカシが出たら、それこそ大変だわよ」
 鐘撞堂に腰掛けて、二人と一匹は月を眺めていた。ちょっと高めの場所だから、月も一際大きく見えるような気がする。
 様々なクラスに転職し、開拓者としての技量を上げてきた柚乃は、今、武僧の修行中なのだとか。
「では修行次第で私も水稲院さまに‥‥」
「あれはジプシーのスキルですよー」
 残念。無邪気に笑う静波はごく普通の女の子だ。そんな他愛もない話をするのも楽しくて、柚乃は快さげに伸びをした。
「いい月ですね‥‥夜風も気持ちいい」
 月の下、お茶と甘味と友人と。
 団子にずんだを絡ませて、ぽいと静波の口へと放り込む。
「美味しい〜♪」
「あんたほんとに単純ねぇ」
 風情より食い気の静波に伊邪那が突っ込みを入れた。

 *

「よう、久し振りに酒でも‥‥って、うらぶれてんなぁ」
 徳利片手に森邸を訪れたイーラ(ib7620)は源右衛門の堕落振りに苦笑した。
 今夜はもうこっちにしとけと銚子と徳利を置き換えると、甘い匂いを嗅いだ源右衛門がうらめしげな顔を上げた。
「甘酒か」
「日がな呑んだくれてるって、カミさんに報告されたくねぇだろ?」
 意に介する様子もなくイーラは取り上げた徳利から直呑みして美味ぇと笑う。
「折角のイイ酒も、お前さん、旨く呑んでるようには見えねぇぞ?」
 まぁな、と源右衛門は杯を置いた。自嘲気味に、呑むくらいしかする事がないのでなと唇を歪める。
「俺はこのまま朽ちるのだと‥‥最近そう思う」
「何だそりゃ」
「俺は傭兵だ。街の見回り隊長ではなく戦地で首級を挙げるのが仕事だ。だが今はもう、昔のようには戦えん」
 立場があった。雇い主の娘には浪志隊筆頭局長の、己には六番隊隊長の肩書きが付いて回る。好き勝手に暴れられる時代は終わったのだ。
 まあ難儀だわなとイーラが肩を竦めていると、表に訪問者の気配がした。
「なぁんや、イーラさんも来とったん?」
 大きな重箱を抱えた神座真紀(ib6579)が、しゃんとした足取りで庭先に現れた。
 どどんと重箱を縁側に置いて、真紀は明るく切り出した。
「久し振りやね、元気やった? 今日はお願いがあって来たんやけど‥‥」
 報酬はこれなと重箱を開けると旨そうな匂いがした。真紀お手製の弁当だ。
「主に酒に合うもん見繕って来てん、どない?」
「酒は今止められているが、話は聞こう」
 こいつに。冗談めかして指差され、イーラも軽口で返した。
「気にすんな、お前さんの分は俺が呑んでやる」

 真紀の頼みは三味線の稽古をみて欲しいというものだった。
「安田さんやったら於歌さんの三味知っとるから、悪い所を指摘して貰えると思てな」
 実のところ建前だ。街で六番隊の隊士から話を聞いて、放っておけなかったのだ。
「断る理由はない。何か聞かせてくれ」
 名妓の秘密を知る三人の密かな宴が始まった。
 真紀の歌は見事なもので、肴は旨いし途中からは禁酒も有耶無耶になって、源右衛門は久々に心地よく酔った。
 酔いの回ったイーラが源右衛門に真顔で迫る。
「なぁ、俺はさ、思うんだがね‥‥離れちゃいても、だ。同じ月を見上げてるだろう惚れた女と想いが通じてるってのは、幸せでなくて何だ?」
「あ、ああ、そうだな‥‥」
 源右衛門が押されている。我に返ったイーラは苦笑して酒を煽った。
「‥‥なんてのは、独り者の僻みにしか聞こえねぇか。ははは」
 やべっ、あいつの事思い浮かべちまった――

 *

 雛壇から見下ろす喧騒は、己には無縁の出来事のように見えた。
 陰殻――故郷に一時帰省した若長は不機嫌を隠す様子もない。慌てて部下が銚子を持って近づいて来たが、千代田清顕(ia9802)は無言で制して上座を降りた。

 長などというものは所詮飾り物に過ぎぬ。伝統だ掟だと縛りだけが残り、形骸化してゆく。
(今夜も、去年も‥‥月を眺めて君の事を想ったな‥‥)
 夜空に浮かぶ名月は、今年も変わらず美しかった。
 何も言わず開拓者を辞め姿を消した恋人の面影を、清顕は冴え冴えと澄んだ満月に見る。
 彼女にとって、己はもう過去の人間なのかもしれない――だけど。

 あの春の日、君の豊かな髪には、青い髪紐が揺れていた。

 月よ、笑うがいい。
 髪紐ひとつに望みを託す俺の心を、未だ忘れえぬ餓鬼の俺を。
「長、何処へ」
 宴を抜けた清顕を追って部下が咎めたが、彼は気にする様子もない。
「彼女を石鏡で見たって情報があってね」
「またそのような‥‥」
 部下の呆れた声を背に、清顕は歩き出した。

●千代の想い
 眼下に広がる黄金の海。米どころ北面上空で、前方の滑空艇へ炎龍のアグニからエレイン・F・クランツ(ib3909)が叫んだ。
「すみれさーん、ボクちょっと寄り道して行くねー」
 振り返った戸隠 菫(ib9794)へ向かってエレインは瘴気が集まった地上を指し示す。そこには千代見村と他の地とを隔てている魔の森があるのだ。
 滑空艇の伊吹から親指を立てた菫の姿を確認し、エレインはアグニを降下させてゆく。その姿を見送り、菫は村へと急いだ。
 村を一周、村中央の広い場所へ着陸する頃には開拓者の到着に気付いた村人達が集まってきていた。もう一人訪問者がある事を告げ、伊吹から荷を下ろした菫は村人に菓子や酒などの手土産を渡しつつ、訪問の目的を話す。
「あのね、今日は観月だから‥‥」
 月を観に来た――のではなく、菫は団子を作りに来たのだと言う。戸惑う村人達に菫は続けた。
「千代見村の人達からの思いを、絢子姫に届けたくて」
 ああ、と村人達は納得し、破顔した。
 七宝院の姫様は、村人達にとって大切な存在だ。商いの上得意であると同時に、折々に使いを寄越してくれる恩人でもある。快く場所を提供してくれた長の家の厨で、菫は村の女達と月見団子を作り始めた。
 団子を茹でる匂い、小豆を煮る匂い――魔の森方向から徒歩でやって来たエレインとアグニが村に入ると、温かく優しい香りが漂ってきた。
「ああ、羊の開拓者様! お待ちしておりましたぞ」
 近づく村の男達の中から長が前に出て迎えた。あれから三年、あの時の恩は忘れるはずもない。
「村長さん、久し振り! 元気そうで良かったー」
 村人達は皆息災、菫はと聞けば女達と絢子に届ける観月の設えを拵えていると言う。エレイン様はお泊りでと歓迎する気満々の長達に、彼はごめんねと困惑気味に応えた。
「ボクも日暮れには仁生へ戻るつもり。翳姫様に千代見村の様子をお伝えしたくて来たんだ」
「左様でしたか‥‥最近は菊の加工も行っておりましてな、花を漉き入れた紙や花弁の香り袋なども作っております」
 建物はすっかり修復され、田畑も整えられている。民家に立て掛けられた干板が紙漉きのそれだろう。農作物も被害はなさそうだ。客人の短期訪問を残念がる村人達は朗らかで大らかで、この村が落ち着きを取り戻している事を示していた。
「綺麗だね‥‥この村を守れた事、ボク誇りに思うよ」
 そうだ、翳姫にこの景色を描いてゆこう。得手な方とは言えないが、今のこの気持ちを紙に写したい。
 菫がススキを採りに外へ出た時、エレインは村の男達の近況などを聞きながら、せっせと絵筆を動かしていた。

「‥‥で、この絵なんだけど‥‥」
 夕刻、七宝院邸の門前で二人が佇んでいる。
 ススキを添えた風呂敷包みを抱えた菫は一緒に使用人に渡せばいいのではと首を傾げるのだが、エレインは何やら誰ぞ人待ち顔で。
「何となく‥‥通りかかりそうな、気がするんだ」
 茫洋とした男の顔を思い浮かべつつ、曖昧な応えをするエレイン。
 結局、二人は門前に現れた於竹に千代見村からの土産を手渡して帰路に着いたのだが――

 夜が更けて、絢子と於竹は中秋の月を眺めていた。多くの人の想いがこもった供物を月に捧げ、この日ばかりは御簾を上げて空を見上げる。
 三方に盛った残りの団子を小皿に取り分け漉し餡を掛けたものを勧め、於竹は「良うござりましたな」優しく絢子に囁いた。
「この月、きっと皆様も御覧になっておられましょう」
 ええ、と頷いた絢子が無意識に手元の文箱へと触れた、その時。
「‥‥あ」
 絢子は思わず目を閉じた。笛の音が微かに聞こえてくる。
 高く、低く、叙情豊かに――そっと瞼を閉じて耳を傾けたくなる、優しげで慈しみを感じる音色であった。
「姫様‥‥?」
 聞こえていないらしき老いた乳母を制して絢子は心を研ぎ澄ます。
 閉じた瞳に移るのは、煌々と光る満月の下で遊ぶ黄金の鳳凰――
「ええ、とても‥‥月が、綺麗ね」
 誰にともなく、絢子は呟き微笑した。

 同じ頃、七宝院邸の前では崔(ia0015)が月を眺めていた。
「‥‥菊の姫サンも月、眺めてっかな‥‥痛ッて! こら月光!」
 雌の上級迅鷹が嘴で髪をしきりに引っ張るのを宥めて、彼は懐から横笛を取り出した。
「勘ぐるなよ月光? 他意はねえぞっ!」
 本当? とジト目で月光が見ているような気もするが、とりあえず髪への攻撃は止んだので崔は笛を口元へ近づけた。
(笛吹くのいつ振りだかな‥‥指は鈍っちゃいねえ筈だが)
 そっと息を吹き込めば、澄んだ音が鳴った。大丈夫、感覚は忘れちゃいないようだ。
 開拓者となって随分経つ。その間、崔は笛に触れるのを避けてきた。決して綺麗事だけでは済まない開拓者の立場は己の手を汚す事もある。笛は正直で、息を通して己の心も音にしてしまうから――封印していたのは、そんな後ろめたさがあったのかもしれない。
 それでも今夜は奏でたかった。翳姫が、いつか自身の目で千代見村の菊畑を見られるように、願いを込めて。
「‥‥さて、帰るか」
 静かに奏で終えた崔は月光を夜空へ放つ。月明かりの下、彼は精霊門へ向かって歩き始めた。

●満つ月を、あなたと
 昼は涼しい河原も、夜ともなれば秋の気配を運んできた。
「月に団子ってのは定番じゃが‥‥」
 隣の朋を見遣り、銀鏡(ic0007)は手にした煙管をくるりと回した。
「儂はやはりコレかの」
「ははっ、おまえらしいな。団子も良いけどよ、月見酒もいいもんだぜ?」
 酒徳利を振って月城 煌(ic0173)は目を細め、月を見上げた。
 こうして誰かと月を見るのは、いつ以来だろう――
「丸い月に、美味しい団子‥‥それに旨い煙と、隣におぬしじゃ‥‥良い夜じゃの」
 のんびりと空を見上げて銀鏡が呟いた。

 適当に見繕った酒、団子を肴に男達は月を見る。
 水面を渡る風は少し寒いくらいで、隣り合う二人が触れ合っている場所だけがほんのりと暖かい。
「‥‥おぬしは月を見て、また何を想うかのぉ‥‥?」
 視線は空へと向けたまま、銀鏡が問うた。
 ちらと反応を伺えば、煌はもう死にたいなんて言い出さないさと返した。
「だが‥‥ま、想い出しはするわな」
 もうこの世にはいない、かつて愛した人の事を。
 悪びれもせずにさらりと言うもので、銀鏡は軽く口を尖らせる。
「なぁんじゃ‥‥儂が居るのに、この浮気者め」
「浮気者って‥‥恋仲みてぇな事、言うのな」
 取り出した煙管を一服、昇りゆく煙越しに月を見上げて微笑んだ。

 ――と、煌の視界が暗転した。

「‥‥おぬしは、困るかも知れんの‥‥」
 口移しに紫煙を横取りして、銀鏡がくつりと笑った。
「儂は横に居る御人で手一杯じゃからの。余計な事考えた挙句に拗ねて逃げられては堪らん」
 悪戯めかして微笑う。
「‥‥逃げやしねぇよ。約束しただろ?」
 煌はにっと笑って返した。
 おまえが嫌だっつても、何度でも、逢いに行ってやる――

 街なかよりもずっと秋の気配を感じる場所で、温もりがまたひとつ増えた。

 *

 七々夜を抱えて梨佳が郊外のもふら牧場へやって来た。
「神父様どこですかね〜」
 エルディン・バウアー(ib0066)は何処だろう――あ、もふら溜まりに嵌ってる。自称助祭のもふらさま、パウロに抱きついたまま、にこにこしていた。
「パウロさん、何だかありがたさが増してるです?」
 すごいもふらになったと聞いて目を輝かせた梨佳の腕から七々夜が飛び出した。
「なー!」
「七々夜〜、久し振りでふ〜!」
 ぼよんぼよんと毛を寄せて再会の喜びを表現中。間に入ったらさぞや気持ちよさそうな――と思ったら、エルディンが腰を屈めて挟まれていた。
「梨佳殿もやってみますか?」
 勿論!
 もふもふに埋もれながら梨佳がエルディンの話を聞くに、この度結婚する事になったそうで。
「あの神父様が!? お相手は一体!?」
「あのって何ですか‥‥助祭ですよ、梨佳殿とも面識あるでしょう?」
「僕じゃないでふよ? 僕にはフィアンセがいるでふ」
 混ぜっ返すパウロはさておき、彼は義妹でもある助祭の告白を受け、生涯の伴侶とする事を決めたのだと言う。
「式は戦いが終わってからになりますが‥‥教会で、夫婦もふら饅頭も配りますから梨佳殿も来てくださいね」
 めでたい参列に否やはないが、危険な戦いと聞いているだけに梨佳は心配が隠せない。それに、これって何とかって言いません?
 梨佳の心中いざ知らず、エルディンは聖職者スマイルで応えた。
「大丈夫、皆笑顔で帰ってきますよ。私は未来を切り開く為に戦いに赴くのですから、ね?」

 *

 それから梨佳は海を臨む古民家へ。
「七々夜も連れて来たですよ〜」
 ちっちゃなもふらさま連れの訪問に、お社の子供達は大喜びだ。梨佳は桔梗(ia0439)の側に行き「お招きありがとです♪」嬉しそうに笑った。
 居間で老巫女のばばさまと談笑していた深山 千草(ia0889)が、供え盆を持って振り返る。
「いらっしゃい梨佳ちゃん、お腹に余裕はあるかしら?」
「ぺっこぺこです!」
 無邪気な返事に、ばばさまが吹き出した。

「沢山作ったから、遠慮せず、食べて」
「たべてたべて」
「みんなでつくったんだぁ」
 月見団子に揚げ菓子、里芋の出汁煮、山の幸――桔梗や子供達に見守られて一口。優しい甘さの団子が一日の緊張を解いてゆく。出汁煮はほっこり懐かしい味。
 子供達は団子に引き寄せられてく白大福に夢中だ。賑やかな様子を和やかに見つめつつ、桔梗は梨佳を縁側へと誘った。
「みんな元気ですね〜」
「うん、元気一杯。子供達と過ごすのは、忙しいし、楽しい」
 孤独な生い立ちゆえに厄介者扱いされて育った幼い日々。誰にも構われず笑顔も向けられなかったあの頃。
 しかし今は。
「俺の名前を呼んでくれて、笑ってくれる人が増えたのが、嬉しい。凄く」
 毎日が充実しているのだろう、桔梗の表情がまたひとつ大人びて見えて梨佳は火照った顔を伏せる。
(‥‥触れたい)
 その思考に、桔梗自身が戸惑った。
 己に笑顔をくれた皆に等しく同じだけの真心を返したい、なのに梨佳の事だけは目で追い思いを巡らせてしまって。
「‥‥えと、お茶、淹れて来‥‥」
 立ち上がりかけた桔梗の手に梨佳の手が重なる。顔を上げた梨佳は桔梗をまっすぐ見つめて微笑った。
「桔梗さんの嬉しいが増えるように、あたしも笑顔でいたいです」
 お社の子供達のように無邪気ではいられないけれど、ばばさまや千草さんのような思慮深さはないけれど――貴方が嬉しい事ならば、いつでも笑顔でいられるように生きたい。
 ほんの少しだけ大人びた少女に、桔梗は心から言った。
「‥‥梨佳と見る月も、梨佳の笑顔も、特別に、綺麗だって思う」

 おやまあ若いねぇと、ばばさまは微笑ましげに縁側の二人を見、千草へと視線を向けた。
「私? 世話の焼き甲斐がある子達で一杯だもの、嬉しいわ」
 いつか母になるものだと信じて疑わなかった昔、その夢は果たされなかったけれど、今は大勢の子らがいる。
「桔梗くんはそろそろ子供って歳じゃないかしら‥‥どうなのかしらね」
 最後のは、縁側の二人に向けられた言葉だ。
 千草としては梨佳にいつでも嫁においでと言いたい所だが、二人の仲は千草の目には分かり難い。
 ばばさまは急須に薬缶の湯を移しつつ、のんびりと言った。
「ゆっくりと、時間を掛けて育まれるものもあるからの」
「そうね、お月様みたいに、見守っていましょうか」
 今宵、天儀を照らしている月のように。

 *

 ――おとーさん、お月さま、いっしょ、見てもいいです、か?

「本当に綺麗だな。今日の月は」
 壁にもたれ窓の桟に腕を預け、空を見上げる大きなからだ。
 確か、月が好きだったな――丈 平次郎(ib5866)は窓際にちょこんと座った娘に話しかける。
 こくり頷いた柊 梓(ib7071)は、小さな包みを取り出した。
「おもち、持ってきた、です」
 膝の上に乗せたそれは、月餅だ。今宵の月のようにまぁるい形の中には餡がぎっしりと詰まっている泰国の観月に因む菓子だ。
「お国、違うです、けど、お月さま、見るとき、食べるおもち、聞いた、です」
 一緒に食べようと月餅を差し出す小さな手。
 ありがとうと受け取って、平次郎も傍らに置いていた包みを引き寄せた。大きな掌に載せ包みをほどきつつ、彼は確かめるように問うた。
「大福も好き、だったよな‥‥? この店の大福は俺も好きなんだ」
「だいふく、あるです、か?」
 ぱあっと梓があどけない笑みを浮かべた。

 失った記憶を取り戻し、実子が幸せを得た以上、いつ死んでも構わないと思っていた。だが――
「おとーさん」
 今は、一途に慕ってくれるもうひとりの娘がいる。兎の耳をした小さな娘。
 ぽつり、ぽつりと梓は心の内を明かす。
「家族、いる人、とても、羨ましかった、です」
 実の両親を失い、ひとりぼっちで孤独と差別に耐えてきた、健気な娘。平次郎に心を開いてくれた、いじらしい娘。
「今、は、とっても、幸せ、です‥‥」
 ふに、と照れた内気な娘がただただ愛おしくて、もう少しだけ長く生きてみようと思う。
 梓、と平次郎は娘の名を呼んだ。
「来年も、ここで月を見よう。姉達も誘って、一緒に見よう‥‥約束だ」

 ――この、かけがえのない娘と共に。

●観月の宴
 花椿隊詰所では朝から娘達が入れ替わり立ち替わり、観月の支度で姦しい。夕方になって開拓者達と鞠子も訪れ、場は更に華やかさを増した。
「姫、本当にお久し振りじゃな。息災じゃったかの」
「ほんに、お久ゅうございます」
 懐かしさと嬉しさを湛えたニノン・サジュマン(ia9578)の手を取り、再会を喜ぶ鞠子の足元では白蓮が尻尾を振っている。
「ほら、雪夜の兄弟達も来てるわよ♪」
 御陰 桜(ib0271)が雪夜をそっと離すと、黒毛白眉の若犬は千切れんばかりに尻尾を振って白蓮に近づいていった。その甘えん坊な鳴き声は仔犬の頃から変わらない。
 日頃傍にいる時は幼犬らしさが抜けないと感じていたのだが、孫の又鬼犬という先達を見ている影響かもしれぬと、国乃木 めい(ib0352)は傍に控えている山水を撫でて思う。だけど、行っていいよと放てば黒白の毛並みが幼さを残す若犬は鉄砲玉。ほら、兄弟犬達とじゃれあう様子は年相応。
 兄弟犬との再会に大喜びの雫が興奮気味に秋霜夜(ia0979)を見上げている。
「雫も行っていいですよー あ、お庭に薔薇を植えたんですね?」
 放たれて早々、秋咲きの薔薇に興味が移った雫がクンクンと匂いを嗅いでいる――あ、鼻先に棘が触れた。びくっと身を引く様子がおかしくて、花椿の娘達がくすくす笑う。大丈夫と鼻先へ手を近づければ、平気と言うかのように指先をぺろりと舐めた。

「あなたは、行きませんの?」
「ここでみてるの」
 ぽちの傍にしゃがみ込み何気なく話しかけた鞠子は、まさか返事が戻って来ようとは思わなかったらしい。
 神楽でも似たような反応を見た気がして、つい桜は思い出し笑いを漏らした。
「ぽちちゃんは喋れる又鬼犬なのよ」
「まあ‥‥そうですの」
「うん」
 見た目は白蓮以上に幼げなのに、既に立派な成犬でしかも上位の忍犬であるという。
 鞠子の隣でしなやかに膝を揃えて屈んだ桜の今日の装いは、柴犬柄の浴衣だ。
「ちょっと子供っぽい気もするけど、可愛いし偶にはイイわよね♪」
 生地だけ見れば子供じみているかもしれないが、桜の仕草が艶めいているので少しも幼さは感じない。ぽちと並んで忍犬達を眺めながら、桜は鞠子とわんこ談義。
「一緒に留守番シてるプラムちゃんが言うには、雪夜は番犬として頑張ってくれてるみたい」
「まあ、お利口ですのね! 白蓮はちくわの尻尾を追うのが好きで‥‥甘やかし過ぎるのかしら」
「雪夜も訓練で体を動かすのは好きだけど技の練習は興味ナイみたい」
「みんなまだ遊びたい盛りですよねー」
 供え盆に月餅を盛っていた霜夜が口を添える。胡桃入りの餡は甘くて美味しいですよと、残りの月餅を娘達に割り分けた。
 香ばしさ漂う黒い飲み物が入った湯呑みを盆に載せ、明王院 千覚(ib0351)が厨から顔を出す。開拓者の間では万商店で馴染みの飲み物だ。
「いかがですか? アル=カマルのお茶をお持ちしました」
「テュルク・カフヴェスィ、いいですねー 甘いものに合いますよね♪」
「お好みで水飴を足してくださいね」
 リンゴのタルトを切り分ける千覚、皿のクッキーと共に彼女のお手製だ。最近、若女将修行の一環で姉に教わっているのだとか。
 離れ離れで逢えない間も、皆それぞれに前へと進んでいる。苦しい事も辛い事もあろう、だがこうして嬉しい報告をし合える事が鞠子には嬉しかった。
「ニノンさまは、最近いかがお過ごしですの‥‥?」
「ん、わしか? わしはな‥‥や、姫の方こそ益々良いお顔になられたようじゃ」
 水を向けるとニノンは僅かに固まった。風の噂に花椿隊の活動も誇らしく聞いていたと嬉しげに語る彼女の頬が、気のせいか微かに染まっているような――?
 娘達の語らいは、酉を告げる鐘の音を合図に一旦お開きとなった。
「ほれ、明るい内に帰る子はそろそろ支度しなさい。残る子は親御殿に言うて来たかの?」
 門限のある少女達は帰宅し、居残り組は楽器を出したり夜食を仕上げたりと支度の続きに取り掛かる。
 やがて、雲ひとつない夜の空に、丸く輝く名月がその姿を現した。

「「綺麗‥‥」」
 これまで月を見上げた事は何度もあるけれど、今宵の月は格別だ。忍犬達も誰かに命じられたかのように神妙な顔をして一斉に空を見上げている。
「ほんに‥‥晴れて良うございました」
「そら、はれたら、あえるの?」
「それは七夕ですよ、ぽち」
「七夕と言えば‥‥そうそう、お月様に想いが募る人のお顔が映るかもですね」
 途端に真剣な眼差しで月を凝視する娘達。
 塗りの椀を載せた盆を手に現れたニノンが、「皆、乙女じゃのう」微笑ましげに呟いて笑った。
「女子に冷えと日焼けは大敵じゃぞ? お汁粉を召し上がらぬか?」
 月見団子を浮かべた汁粉は、まるで空を椀の中に再現したかのようだ。一口啜ると温かな甘味が口内を満たして、胸の中がほっこりした。
 目付役の御爺様は糠秋刀魚を肴に御酒で身体を温めている。名家の御息女達を見守る心労もお有りだろうに、その視線は慈愛に満ちている。ぽってりと味のある湯呑みを手に、めいは孫のような娘達に目を細め、言った。
「良い、ところですね‥‥」
「そうでしょう、自慢の孫達ですぞ」
 誇らしげに、そう目付役は言ったものだ。
 縁側で月を見ていた鞠子の隣に腰掛けて、ニノンも汁粉の椀を取る。そうして椀に向かったままごく自然に切り出した。
「さて、さっきの続きじゃがの‥‥姫、わしは好きな殿方が出来たようじゃ」
 目を見開いた鞠子に振り向くでないと目で制して、ニノンは「人生何があるか分からぬのう」しみじみと言った。
「姫と今こうして共に月を見るのも、思えば不思議な縁じゃ」
 鞠子が開拓者ギルドに関わる機会がなければ、この縁は決して結ばれなかった。北面の女子有志が花椿隊を結成しなければ、こうして同年代の同姓が集まる機会もなかったはずだ。
 この先、色々な事が起こるだろう。だけど今この思い出は決して忘れまい。
「‥‥時々こうして集まって、月を眺めたいものじゃな」
 呟いたニノンの肩に身を寄せて、鞠子は「ええ、本当に」しみじみと応えたのだった。

●中秋の誓い
 ――俺、結婚しようと思ってる。
 改まった様子で朱華(ib1944)が発した爆弾発言に、色邑亭の兄姉弟達は騒然となった。
 誰と? とは問わない。何故なら正座した朱華の後ろで白葵(ic0085)が落ち着かない様子をしているからだ。
「白葵さんとなら、俺は家族を作りたいと思った」
 だから祝福して欲しい。
 男気溢れる報告だが、実際は大騒動だ。
「結婚!? あなた達、付き合ってどの位なの? 簡単に決めるようなものではないのよ? それに朱華、あんた相手のご両親にはご挨拶したの!?」
 弟の胸倉を掴まんばかりに立て続けに問い掛け続ける緋姫(ib4327)から白葵を庇うので精一杯。
 冷や汗を掻いていた朱華は紅雅(ib4326)の仲裁で救われた。
「‥‥姫。あまり、やんやと言うものではないですよ?」
「だって‥‥あ、あら違うのよ? うちの馬鹿弟が悪いだけでね、貴女には何も不満はないのよ?」
 一瞬押し黙った緋姫だが、不安にさせてしまったのではと白葵にあれこれ気を遣うものだから、ちっとも騒動は治まらない。
「白‥‥おとーやんもおかーやんも‥‥おらへん‥‥から‥‥」
「まあ、ごめんなさい! これからは私達が家族よ? 何でも相談してね?」
 気は強そうだが心根は優しい人らしい。おずおずと顔をあげ、白葵は緋姫を見上げた。
「白‥‥ずっと一人っ子やってん‥‥お姉ちゃんって、呼んでもえぇやろか‥‥?」
「ええ、貴女は私の妹よ!」
 姉妹誕生!
 呆気に取られて眺めていた寿々丸(ib3788)は、頭を捻って考える。
「兄様のお嫁様ならば‥‥んーと、えーと‥‥白の姉様、でするなぁ!」
 すっきり! 嬉しそうに尻尾を振って「姉様、姉様」と喜んでいる。
 一人っ子白葵は目をぱちくり。
「姉‥‥様‥‥?」
 嗚呼、なんて甘美な響き。一度に兄姉と弟までもができた黒猫娘は嬉しそうに尻尾を振っている。
 白葵にそっと近づいて、紅雅は感謝を告げる。
「ありがとう、迷っていた朱華の手を取ってくれて。はー君、護るべき人を見つける事ができて、おめでとう」
 これで私も心置きなく隠居できますねと紅雅が言うものだから、緋姫はならそんな事をと溜息を吐いた。

 今宵は中秋、馬に蹴られぬよう二人と三人は離れて座る。
「兄様がにこにこしてるのが嬉しゅうございまする。これで、お月様を見ても悲しい顔はしませんなぁ」
 結婚しても兄は兄、朱華にそう言って貰って安心した寿々丸は嬉しそう。
 これから忙しくなりますわねぇと嬉しそうに微笑む緋姫、決して紅雅に隠居させる気など、ない。
「はー君も、立派な大人ですね‥‥」
 感慨深げに紅雅は呟いた。

 月の下、二人だけの世界だ。
「‥‥こうやって、二人でいるのが‥‥幸せ、だ‥‥しろあ、おい‥‥」
 まだ呼び捨ては慣れなくて、どこかぎこちない。
 白葵は朱華の腕に抱きついた。
「白も、朱華さんの事‥‥ちゃんと幸せにするよってな?」
 婚約者の手を包み込み、朱華は彼女に誓う。
「俺は‥‥幸せにしたいなんて言わない。幸せにするんじゃなくて、二人で幸せになりたい」
 二人で歩む人生は、今まさに始まったばかりだ。

 *

 夕闇に染まる街を足早に歩く。
 急いで帰った家に明かりが灯っているのを見て、イリア・サヴィン(ib0130)は口元を緩めた。温かな光は待っていてくれる人がいるという証だ。
「ティア、ただいま」
 愛しい人の名を呼べば、妻の顔が幸せに綻んだ。
 喜びに、自然と顔が綻んでしまう。リスティア・サヴィン(ib0242)は幸せを感じつつ夫を出迎えた。
「おかえりなさい」

 二人は三月前に挙式したばかりだ。長く一人暮らしが続いたから、まだ待つのも待たせるのもまだ少し慣れないけれど、共に寄り添い合える事が何より嬉しい。
「良い知らせがあった」
 リスティアが心を込めて用意した料理に手を伸ばしつつ、イリアはポケットから手紙を取り出してリスティアに見せた。手紙はジルベリアの実家からのもので、アヤカシ被害に遭って半身が不自由になっていた父の足が少し動くようになった事、リハビリを再開した事などが綴られていた。
「孫が生まれたら絶対に会いに行きたいからって‥‥歩けなくても俺達が出向くのに」
「そうね‥‥お父様、本当に良かったわ」
 リスティアはほんのり顔を赤らめて頷いた。まだ三月、孫の誕生は早い気がするが義父が前向きに頑張っているのは喜ばしい事だ。
「そうだ、ティア。今日は月がすごく綺麗だ。後で庭に出て見ないか」
 夕食後、イリアはリスティアの手を引いて外へ出た。空には満月がぽっかりと、まだ造られていない庭を照らしている。
「庭に木を植えようか‥‥その、結婚記念に」
 今は一本。子が生まれたらまた一本。
 イリアの提案をリスティアは頬染めて聞いていた。アヤカシ相手には気丈な彼女も、夫の前では初々しい新妻だ。
 幸せ過ぎて怖いくらいだ。だからこそ、この幸せを永遠に守り続けたい。
(私は、この人をずっと愛していくわ)
 リスティアは夫に寄り添い月に誓った。

 *

 恋人が呼んでいる。
「カヅキ、カヅキ。こっち、おいで〜」
 風呂上りで団扇を使っていた宮鷺 カヅキ(ib4230)が縁側に行くと、ルシフェル=アルトロ(ib6763)が自分の膝を指しながら呼んでいた。
「ルーさん、そこ?」
 しきりにアピールするルシフェルの膝へ、そろりと乗っかる。つーかまえたっと彼はカヅキを緩く抱きかかえた。
「また大きな戦あるらしいし〜 今、カヅキをいっぱい補充しとく〜」
 後から肩越しに顎を乗せて緩い声音で話す恋人の言葉に、カヅキはぽつりと呟いた。

「‥‥これを嵐の前の静けさと言うのでしょうか‥‥」

 過酷な人生を歩んできたカヅキには今の平穏は過ぎたものだ。ずっと一人で、孤独と共に生きてきた彼女は未だ誰かと場を共にする事には慣れていない。
 だからルシフェルはカヅキが消えてしまわないよう、ぎゅっと抱きしめて耳元に囁いた。
「‥‥カヅキの帰る場所は『此処』ね。俺の帰る場所も『此処』にするから」
「それでは簡単に死ねませんね‥‥」
 命など紙片ほどの重さもないと思っていた時期があった。なのに今の重さは、その頃とは違う。
 死なせないよとルシフェルはカヅキを抱きしめたまま言った。
「俺は、カヅキと一緒に居たいから」
 彼女の本名を囁いて、ルシフェルはカヅキにそっと口付けた。

 永遠なんて贅沢は望まない、せめて生きている限り、一緒に――俺の道標の君。

「さて、と‥‥そろそろ寝ようか。寒くなってきたし、一緒に寝る?」
「!?」
 固まるカヅキに悪戯っぽく笑いかけるルシフェル、彼らがどうなったかは――二人だけの秘密。

 *

 神楽の都の郊外に、そのカフェはある。
 ジルベリア出身の夫婦が営むこの店は、シェフ兼パティシエの妻が作る料理と四季折々に目を楽しませてくれる中庭が自慢の場所。
 一階がカフェで二階は夫婦の住居スペースになっていた。

 閉店後、遅めの夕食を摂った二人は、食後のお茶を飲んでいた。
「今日も忙しかったですね」
 月見に因んだ限定スイーツを供して本日もカフェは大層賑わったのだが、その多忙の中しっかり家内用の月見団子も作ってしまうのがラヴィ(ia9738)のすごい所だ。
 三方に見立てて十五個並べた団子、崩すのが勿体無いなと微笑いつつ、ジルベール(ia9952)は天辺の一個を摘んだ。
「さすがやな、美味いわ」
「ふふっ、ジルベールさまったら♪」
 美味しそうに食べてくれるのが何よりの賞賛だ。ラヴィはくすぐったそうに照れ笑いをしていたが、ふと何か思い出したらしく慌てて立ち上がった。
「ジルベールさま、ちょっと待っていて下さいね」
 ぱたぱたと別室へと姿を消した。
 特に怪訝とも思わずに、ジルベールは棚から手近な一本を取り出すと中庭と月を肴に一人酒を始めた。
「あいつら、今頃何しとるやろな‥‥」
 昨年まで共に観月を楽しんだ友人達へと想い
を馳せる。それぞれの人生を選択した今、彼らは何処でこの月を見ているのだろう。
「俺も、決めなあかんよな」
 別室の扉が開いた事に気付かぬままジルベールは呟いた。そっと近づくラヴィの気配も覚らず、彼は遠く離れた友人に語りかけるように独りごちる。
「俺、ラヴィの実家行って筋通して来るわ。じゃないとずっとこのままや。それに、殺されん程度の経験も積んだつもりやし‥‥」
「ジルベールさま?」
 駆け落ちの末に天儀で所帯を持った夫は、妻の声に驚いて振り返った。

 ラヴィはウェディングドレスを纏っていた。
「ラヴィ、それ‥‥すごく、綺麗や。でも‥‥何で?」
 かつて準備はしたものの、家族に認めてもらうまで式は待っていて欲しいと望んだ彼女だ。冗談で花嫁衣裳を纏うはずがない。
「‥‥あのね、ジルベールさま」
 手にしたヴェールの下から手紙を取り出す。
 厳しい封緘は彼女の実家の紋章に間違いない。それは彼女の家の問題が解決した事を伝える手紙だった。

「こんな事もあるんやな‥‥世の中わからんもんや」
 さっきまで筋を通すのと気合を入れていただけに、反動が凄まじい。
 一気に力が抜けてへなりと座り込んだジルベールの手に、ラヴィは神妙な様子でヴェールを持たせた。
「‥‥子供でちっちゃなラヴィだけど、たくさんたくさんお待たせしてしまったけれど‥‥」
「ラヴィ?」

 ――お嫁さんに貰ってくれますか?

「今までもこれからも、ラヴィは俺の花嫁さんやし、俺は生涯ラヴィのもんや」
 ラヴィがいれば何も要らない――ずっと、傍に。

 花婿は花嫁にヴェールを着せ、誓いのキスを交わす。
 参列者のいない結婚式の立会いは今宵の月。
 一年で最も美しい空の下、二人は永遠の愛を誓い合ったのだった。