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■オープニング本文 今日も少女は玄関先を清めている。 もっふもっふもっふ、もっふもっふもっふ―― ●職員見習いの娘 開拓者ギルドには様々な役務の職員が常駐している。 接客応対対応の受付職員、現地に向かい調査を行う依頼調役、警備員、そして――職員見習い。 梨佳(iz0052)は職員見習いの少女だ。 かれこれ五年近くになろうか――独立すべく故郷を出、口入屋と間違えてギルドの門を潜ったのが運命の始まり。 開拓者達の活動に、輝きに、彼女は魅了された。天儀にごく僅かしかいないとされる志体を持つ人々、開拓者。その彼らが冒険し時には戦いに赴く玄関口――それが開拓者ギルド。 この場所で働きたいと思った。しかしギルドは簡単に就業できるような場所ではない。さらに梨佳は神楽に知人どころか伝手のひとつも持ち合わせていなかった。だから梨佳は連日ギルドに押しかけて自主的に雑務を買って出る事にした。 己を売り込み身を粉にして働く梨佳を、初め職員達は眉を顰めて見ていたものだ。しかし一人、また一人と顔馴染みができ理解され、見習い職員として認められたのだった。 さて、見習い職員というのは正規職員の下に就いて業務を覚える。特定の正規職員から小遣いを貰って雑務をこなしつつ正規職員を目指すのだ。 梨佳にも教育係である正規職員がいた。名を桂夏という。 ほんの少し歳の離れた姉という風情の桂夏は、志体を持たずともこなせそうな街の便利屋依頼を多く受け持っていた。特に甘味屋『兎月庵』の女将お葛とは懇意にしており、梨佳も時折二人の茶話のお相伴に与ったものだ。 しかし――桂夏は、今、いない。 もっふもっふもっふ―― 奇妙な節を付けて箒を使う梨佳の背中が寂しげに見える。差し入れを持ってギルドを訪れたお葛が、努めて明るく声を掛けた。 「梨佳ちゃん、水饅頭を持ってきたわよ」 「わわ、ありがとですー!」 途端に華やいだ声を上げる梨佳だが、お葛には強がりに見えた。ここに置くのねと入り口近くに立て掛けられた七夕笹の前にある卓に包みを置いて、お葛は見事ねぇと笹竹を眺めた。 「梨佳ちゃんの故郷では七夕は葉月だったわね」 「はいです。だから今日まで残していたんですよ〜 最終日、たっくさん短冊書いてもらえるといいです!」 水饅頭は訪れた人々へのお茶請けに。そう言って梨佳は、お葛に茶を淹れようと奥へと下がっていった。 そんな後姿を見送って、お葛はむさい中年男と神経質そうな青年の顔を見比べて苦笑した。 「いやねぇ、二人とも、娘残して女房に先立たれた男やもめみたいな顔してるわよ?」 「‥‥‥‥」 不機嫌そうに若い方の男――職員の聡志が顔を背けた。彼は女子供の扱いが得意ではない。 もうひとり、心のあれこれは面倒くさい中年男――聡志の先輩職員である哲慈が、汗蒸した髪を無造作に掻き揚げて言った。途端に汗臭さが辺りに漂う。 「まァな、あのままじゃ梨佳が不憫でなァ」 「もう半年になるかしらね‥‥戻れなくて桂夏ちゃんも気が気でないでしょうに」 「だからよォ、俺らも梨佳の扱いをどうするか‥‥悩んでンだ」 教育係の正規職員、桂夏が正月の帰省から戻らない。連絡に拠れば実家の事情で中々厄介な事になっているらしく何時戻れるかわからないらしい。彼女が担当していた業務は他の職員に振り分けられて処理されているが、問題は見習い職員――つまりは梨佳の処遇であった。 そもそも見習い職員というのは、正規職員が自費で養育している徒弟のようなものだ。ギルド職員の内訳に入らないので大抵は放置される。伝手のない梨佳が中々職員見習いになれなかったのもそうした土壌があっての事で、逆に言えば梨佳が見習いになれたのは、経験の浅い桂夏を哲慈と聡志が補助するという形で桂夏が教育係になってくれたからであった。 「なら哲慈さんが引き取ればいいじゃないの」 「それは駄目です!」 お葛の言葉を聡志が即座に否定した。身なりも生活も気にしない自堕落そのものな哲慈に梨佳を任せては明日のギルドが心配だ。だからと言って聡志自身も梨佳の世話は躊躇われる。 「じゃァ聡志、お前ェが教育しろや」 「それも駄目です。私では梨佳に厳しくし過ぎてしまう」 「結局、桂夏が一番あいつと相性良かったンだよなァ‥‥」 「そうですね‥‥」 ――はぁ。 男二人が重い嘆息。つられてお葛も嘆息した。 ●葉月の星祭 そんな大人達を他所に、梨佳はお茶汲みに励んでいる。 「こんにちはー お疲れ様ですっ」 暑かったでしょう、お茶どうぞ。 誰分け隔てなく笑顔で茶を運び給仕している。桂夏の不在で職員の仕事を間近に見る機会はなくなってしまったけれど、まだ見習い職員なのだから、笑顔で、元気よく。 ありがとうと返してくれる開拓者の笑顔が嬉しい。梨佳は開拓者が持っている短冊を見て言った。 「そうそう、入り口の七夕さま、今日までなんです〜 良かったら願い事下げてってくださいね〜」 「じゃあそうさせて貰おうかな。これは万商店で貰ったのだけど‥‥これを下げても構わない?」 「もちろんですよ〜 大歓迎ですっ♪」 願い叶うといいですね〜 夜になったら笹竹を撤収して川へ流すのだと続け、ぺこりとお辞儀すると、梨佳は他の卓へ湯呑みを配りに行った。 |
■参加者一覧 / 桔梗(ia0439) / 玖堂 柚李葉(ia0859) / 玖堂 羽郁(ia0862) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 黎阿(ia5303) / 頼明(ia5323) / 由他郎(ia5334) / 玖堂 紫雨(ia8510) / リエット・ネーヴ(ia8814) / 御陰 桜(ib0271) / 明王院 浄炎(ib0347) / 明王院 未楡(ib0349) / シータル・ラートリー(ib4533) / 音羽屋 烏水(ib9423) / ジョハル(ib9784) / アリス・マーガトロイド(ic1645) |
■リプレイ本文 ●短冊 朝――夜勤と昼勤の職員達が入れ替わって暫くした頃、その鼻歌は聞こえ始める。 もっふもっふもっふ、もっふもっふもっふ。 今日も元気に、もっふもっふもっふ―― 奇妙な節回しに合わせて、しゃっしゃっと掃く音が混じる。 出所が判っているからなのか、すっかり耳慣れたからなのか――その独特な鼻歌を職員達は気にする事もない。ここは開拓者ギルド、個性的な開拓者達が出入りする場所。ちょっとやそっとの事で一々驚いていちゃギルドの職員は務まらないのだ。 「おはようございますです、お疲れ様でしたー!」 残業で遅くなった夜勤明けの職員を見送って、梨佳は塵をひとところに集めて取った。 朝の日差しがきらきらしている。今日も暑くなりそうだ。打ち水でもしようかと箒を隅っこに立て掛けていると、ふわりと薫物の香りがした。 「おはようございます、梨佳殿。朝からお疲れ様さまです」 薫る方向には微笑み浮かべたたおやかな美青年、その後ろに青年より年嵩で大柄な男性が影のように従っていた。 「あや、おはようございますです! 紫雨さんと‥‥」 小首を傾げた梨佳に、頼明(ia5323)は無言で会釈を返す。玖堂 紫雨(ia8510)が艶やかに笑んで補った。 「ああ、これは頼明。私の側近で愛人なのですよ」 「愛‥‥じん?」 冗談とも本気ともつかぬ紫雨の言葉。かくりと首を傾げたまま頼明を見上げるも、彼の表情に変化はない。 印象では紫雨より年嵩の三十路半ばといった風情の男であった。しかし一見二十代半ばにしか見える紫雨がとうに知命を過ぎているのだから、彼もまた見た目よりも年嵩なのやもしれぬ。 梨佳の反応を楽しんでいるのか、紫雨は側近の男を見上げて黒尽くめの袖に触れた。 「丁度良い、我々も短冊に願い事を書こうじゃないか、頼明」 「‥‥私も、書くのか? 判った‥‥そんな目で見るな‥‥」 困惑する頼明を他所に、紫雨は辺りに香りと色気を振りまきつつ懐から短冊を取り出すと笹竹そばの台に置いてある文箱から筆を手に取った。さらさらと書き上げ、目立つ場所に下げる。 「『早く孫の顔が見たい』です‥‥?」 「最近、息子が嫁御寮を迎えましてね」 それはおめでとうございますと寿ぐ梨佳達に背を向けて、頼明は短冊に『主が少しでも歳相応の振舞いをしてほしい』と記すと、こっそりと隅の方へ吊るした。 「‥‥‥‥‥‥‥‥紫雨‥‥」 振り返れば、ものすごく目立つ場所に見慣れた達筆の文字が下がっていた。実年齢五十二歳、実に年甲斐もない――思わず嘆息が漏れる。 「うん? どうした頼明。何か、言いたい事があるのか?」 「‥‥いや、何でもない‥‥」 心底嘆息した側近に、知命の主はにんまりと妖しい笑みを浮かべた。とても初孫を望む爺のようには見えない、ぞっとするほどの美しさだ。 「ふふ‥‥双子の内のどちらかが見つかれば‥‥面白いな♪」 「‥‥またそんな事を‥‥」 困惑する側近を従え、紫雨は爽やかな笑顔と香りを残してギルドを出て行った。 暑さ和らぐ爽やかな香りに後押しされてか、午前のギルドは滞りなく進んだ。途中、お葛が水饅頭を差し入れに訪れたので、梨佳は茶器が載った盆を抱えて人々の間をまわる。入り口に見慣れた桜色の髪を見つけて声を掛けた。 「桜さーん」 にこにこと空席に案内しようとする梨佳をやんわり制して、御陰 桜(ib0271)は「ちょっと寄っただけだから」と微笑んだ。 「今日笹竹を流しちゃうみたいだから寄ったの♪ 桃達が表で待ってるからもう行くけど、後で運ぶの手伝いに来るわね♪」 「ありがとです♪ 訓練の途中でしたか? 頑張ってくださいです〜 桃さん雪夜さんお元気ですか?」 外へ顔を出そうとする梨佳に桜はふふりと微笑って「夜まで内緒」人差し指を艶やかな唇に当てた。忍犬達との再会を楽しみに梨佳が桜を見送ると、入れ替わりにやって来たのは音羽屋 烏水(ib9423)。 「ひと月の間に、随分と短冊も増えたのぅ」 すっかり立派になった笹竹を見遣って言った。烏水が思うに、それだけ皆が為したい願いが多いという事でもある。 「ですねー 夕方には、叶いますようにって川へ流しに行くですよ〜」 「なれば、わしもひとつ書くとするか」 短冊握り締め、烏水は願い事を考え始めた。そうこうしている内に昼時の鐘が鳴り、職員達は交代で昼食に出始める。梨佳は烏水の側に水饅頭と茶を置くと、職員達が使っていた消耗品の備品棚を整頓し始めた。 そこへ風のように現れる赤い風車――もとい浴衣姿の襟後ろに赤い風車を括り付けた、リエット・ネーヴ(ia8814)だ。びしっとポーズを決めたリエットを見た梨佳の手から、未記載の事務料紙がばらばらと落ちた。 「う? だいじょぶ? 梨佳ねー?」 ちょこちょこ寄ってって拾ってやる。慌てて料紙を掻き集め、梨佳はこくこくと頷いた。 「へーきですよ、ありがとです‥‥???」 「う? 首の風車? これはねぇ、風を受けると面白いからつけてるじょ!」 解るような解らないような。 梨佳の反応を他所に、リエットはぐるりとギルド内を見渡して、ぶつぶつ呟きながら考え込んでいる烏水の様子で合点がいった風に頷いた。 「そか。今日って七夕だったっけ♪ 曇ったって事は、今年もちゃんと出逢えてるねぃ♪」 曇りは織女が恥ずかしがって空を隠しているからなのだと言って、リエットはぴょっこり跳ねたアホ毛を楽しそうに揺らしながら筆と短冊を手に取った。迷いなく短冊に墨を走らせる。 「天儀一の三味線弾きに‥‥いや、自身の事だけ書いてどうする‥‥やや、なんと素早い」 後から来て、さらっと書いたリエットの願い事は『僕の大好きな人達が、大事にならない様に』、それを見た梨佳が首を傾げて言った。 「大事にならない‥‥です?」 「だいじ、おおごと、だじぇ♪」 「なるほどのぅ‥‥やはり願いは祈りであるべきじゃな」 合点がいったと頷いた烏水は、短冊に黒々と『我が友が怪我なく過ごせること願う 音羽屋烏水』と記す。ときに、と梨佳へと振り返り問うた。 「ギルドの片隅で三味線を弾かせてもらいたいんじゃが、どうじゃろう?」 「三味線ですか? 構わないと思うですよー?」 他の職員達からも快諾を得て、烏水は大部屋の壁に陣取った。べべんと撥を振るうとリエットが楽しげにくるくる回る。暫く風車を回して舞っていたかと思うと、彼女はダッシュでギルドを飛び出してった。 「じゃ、あたしお昼して来ますねー」 烏水に一礼して梨佳は控え室へと下がる。今日の昼食は下宿先の女将が作ってくれた弁当だ。租借しながら、聞こえてくる音色に心和ませる。 届いていた。心から笑って欲しいという烏水の思いやりの音色は、梨佳のみならずギルド内をも優しく満たしていた。 ●願い 外は雲が空を覆っている。夏の日差しを遮ってはいるものの湿った空気が内外を満たす、蒸し暑い午後になった。 そこへ現れたのは、さらりと浴衣を着こなしているものの右半身を布で厚く覆い顔も仮面で隠しているエルフの青年。暑気払いの温茶を運んでいた梨佳はジョハル(ib9784)の前で、彼を見上げて問うた。 「えと、冷えた麦茶もあるですよ?」 頭ひとつ分以上見上げて首をかしげている少女を、ジョハルは青の隻眼を細めて見下ろした。 負うた古傷が元で、左眼もぼんやりとしている。だが梨佳の声音、彼女がジョハルを気遣っている様子は充分伝わってきた。 義理の娘と同じ年頃だろうか。確か見習い職員で、今は―― 「もうすぐおやつの時間だろう? 頑張っているご褒美だよ」 往診先で貰った饅頭と水飴を手渡して、青の瞳を優しく細める。もう片方の手でぽふりと梨佳の頭に掌を乗せると、彼女が嬉しそうにはにかんでいるのが伝わってきた。 「ありがとです〜♪」 麦茶持って来るですねと離れてゆく梨佳の後姿は、ジョハルの視界からすぐに霞掛かった。彼女の境遇は他の職員経由で聞いている。義娘と同年代だけに尚更不憫さが募った。 入口に立て掛けてあった笹竹は梨佳の発案だったか。懐から短冊を取り出し、ジョハルは我が身に残された僅かな時を思う。敢えて名を書かず、一日でも長く大切な人達と共にあれるようにと願いを込めた。 「お待たせしましたですよ〜」 ジョハルに麦茶を運んできた梨佳が外へ視線を向けると、桔梗(ia0439)が急ぎ足で遣ってくるのが見えた。両腕に西瓜と玉蜀黍を抱えている。 「桔梗さーん」 盆を抱えたまま桔梗が到着するのを待っている。いらっしゃいですと小首を傾げて見上げた彼はすっかり大人びていて、隣に並ぶと六寸ほども背が違った。 「いま、子供達の昼寝時間、だから」 そう言って出された差し入れの玉蜀黍は茹でてあって、受け取るとほわりと甘い香りがした。 「ありがとです♪ みんなで食べましょねー」 切り分ける為に一旦奥へ下がった梨佳は、ほどなくそそくさと戻ってきた。 桔梗は、老巫女が近隣の子らに手習いなどを教えている小さな神社を手伝っている。後継として子らにも懐かれ慌しい日々を過ごしていた。僅かな時間を縫って逢いに来てくれた事が梨佳にはとても嬉しくて、色々とお話ししたくて、桔梗に茶を勧めながら尋ねる。 「ばばさま、お元気ですか?」 老巫女の事、やんちゃ盛りの子らの事――神社の様子に耳を傾けている梨佳はとても幸せそうで、眩しい笑顔で。だから桔梗は、この笑顔を見守りたいと思う。 「‥‥えと。梨佳」 「何です?」 桔梗は梨佳をじっと見つめて言った。 「‥‥待ってて」 今は心配とか寂しさとか、もしかしたら焦りもあるかもしれないけれど。今までがそうだったみたいに、今日が未来の梨佳にとって大事な日だと思うから。 「‥‥いつか、梨佳、言ったよな。待っててくれるかって。待ってる。待ってるし、俺は、側に居るから‥‥居たい、から」 「桔梗さん‥‥」 梨佳の目が潤んだ。それなりに強がって頑張っていたのだろう。優しい言葉が心に染みて、素の心が顕わになったかのような涙だった。 本当は――梨佳と桔梗は同い年のはずだ。だから梨佳には彼がとても大人びて見えるというのに、桔梗は待ってて欲しいと言う。本当に待っていて欲しいのは梨佳の方だというのに。 「ありがと、です‥‥」 桔梗が去った後、笹竹には『誰かの笑顔を守れる人になれますように』と書かれた短冊が揺れていた。 くしくしと袖で目尻を拭っている梨佳の頭に、優しい温もりが載った。 「頑張っている子には必ず良い事があるよ」 一部始終をそっと見守っていたジョハルの優しい掌だった。 万商店で支給品を受け取った帰りだろうか、アリス・マーガトロイド(ic1645)が家内安全のお守りを握って短冊に願い事を書いている。願い事は家内安全ですかと声を掛けようとした梨佳は、からころと軽やかな下駄の音に気をとられて入口を振り返る。 「‥‥あの、とても明るい金髪の子が、来ませんでしたか?」 浴衣姿の帯うしろに団扇を挿した、シータル・ラートリー(ib4533)が慌てた様子で飛び込んできた。 「あや、シータルさん、どしたですか?」 「人を探していて‥‥ええと特徴ですか? よく動く子で‥‥あ、今は着物の襟に赤い風車を挿してますわ♪」 赤い風車、それって―― 烏水が弦をべべんと弾いて言った。 「リエットなら万商店へ行くと言っておったぞい」 「‥‥あら。入れ違いでしたのね。ありがとうございます♪」 そのまま入口で回れ右しかけたシータルへ、梨佳は冷えた麦茶が入った湯呑みを差し出して、七夕笹最終日なのだと勧めた。 「短冊‥‥なるほど」 少し悩んだ後『お兄様がいつも無事で帰ってきますように』と書いたシータルは、祈りを込めるかのように短冊をぎゅっと抱き締めてから笹竹へと吊るす。からころとギルドを遠ざかってゆく下駄の音を見送った烏水は、三味線を背負い直し、兎月庵へ行こうかのぅと腰を上げた。 楽の音が途絶えた後も、開拓者の訪問と差し入れは途絶えない。 「梨佳ちゃん、久し振りー さっきまで三味線の演奏が聴けたんだって?」 どうやら兎月庵で烏水と出会ったらしい。買い物帰りにギルドへ寄ったのだと、玖堂 羽郁(ia0862)は兎月庵の白大福を梨佳に手渡しながら言った。 「はいです。羽郁さんは今日も柚李葉さんとお出かけですか?」 にこにこと返す梨佳は恋人達の逢瀬と思っているようだ。だから玖堂 柚李葉(ia0859)は、ほんのちょっぴり控えめに、だけどもこの上なく幸せそうに頬を染めて、言った。 「あのね、私お嫁入りしたの」 「!! おめでとうございますなのですよ!」 祝言を挙げていた二人に慌てて大声で祝いを述べる梨佳。初めて出逢った頃は二つほどしか歳の差がなかったはずなのに、暫く会わなかった柚李葉はすっかり大人びて、益々美しくなっている。 「‥‥大丈夫? 冷たいお絞りを使うと少しスッキリするかも」 何だか頑張りすぎているように見えて、柚李葉は梨佳にそっと触れ、何時もありがとうと囁いた。梨佳を伴い奥へと入り、ほどなく氷冷結で冷やしたお絞りを積んだ盆を持って現れた。お絞りだけでなく、冷菓や麦茶を冷やす分も氷を沢山作って貰ったらしい。 「柚李葉さんありがとですよ! 水饅頭も、もっと美味しくなるです♪」 「皆さんもどうぞ」 どういたしましてと柔らかく笑んで、御新造さんは寛いでいた旦那様の傍に腰を下ろした。働き者の妻に羽郁は西瓜を取ってやる。 「これすごく甘いよ、柚李葉も食べなよ」 すうっと喉を通ってゆく西瓜の水気と甘み。目を細める柚李葉に羽郁は優しく笑んだ。 そこへ礼野 真夢紀(ia1144)が上級からくりのしらさぎを伴って現れた。 「連日暑いですので差し入れですのぉ」 表に台車を止めてある。夏の巫女の本領発揮、台車には氷が浮かんだ盥や食器類が積んであった。 「冷やし善哉で〜す‥‥わ〜水饅頭あるんですねぇ、いっただっきま〜す」 依頼確認ついでに差し入れを持ってきたはずが、食べるの大好きな真夢紀だけに目を輝かせて水饅頭をぱくり。差し上げたりいただいたりの分け合いっこも楽しいものだ。暑さ厳しい時期には尚の事嬉しい差し入れ、温くならない内にどうぞと盥を下ろし、しらさぎに給仕を任せる。 お絞りで果汁が付いた手を拭い、羽郁はまったりと妻に問うた。 「避暑は何処がいいかな? 義母上も誘ってさ‥‥」 「お義母さんを呼んでいいの? 行けるのなら渓流近くや‥‥高原が良いかな」 それなら良い場所に山荘があると羽郁は応え、善哉の椀を持ち上げた。甘味の中にほんのり塩気を感じる、汗掻く季節に嬉しい一杯だ。 「そういや今年の里の夏祭り‥‥段取り、判らないとこある? 大丈夫?」 新妻が困っていないかと細やかな気配りを見せる。柚李葉は微笑した。 「玖堂のお家の事はまだ解らない事が多いけど、皆さん本当に気遣ってくれるから」 大丈夫。色々覚える事は多いけれど、羽郁の半身であり当主でもある義姉の傍で色々教わって、玖堂の嫁として頑張ってゆける。 一息入れた二人は各々短冊に願い事を書いて吊るした。何やら目立つ場所に羽郁が見慣れた筆跡がぶら下がっているような気がしなくもないが―― (こ、これは柚李葉には見えないとこに除けとこう‥‥) 「羽郁?」 「な、なんでもないよ」 ほんのり赤くなった羽郁に柚李葉は首を傾げた。 新婚夫婦が仲良く短冊を吊るしているのを見て、しらさぎが食いしん坊の主の袖を、ちょいちょいと引っ張って言った。 「ネガイゴト、つるそ?」 水饅頭をつるんと飲み込み、真夢紀はふと思う。ちょこちょこ依頼確認に訪れてはいるが、ここの笹竹、結構長い事立て掛けてやいないだろうか。 「七夕笹、今日川に流しちゃうです。良かったら書いてってくださいな〜」 梨佳に言われて思い出す。そう言えば彼女が生まれ育った地域では葉月に七夕を行うとか―― 「じゃあ、お願い事書こうか」 しらさぎに一枚渡し、真夢紀は二枚の短冊に『お姉様が今年も大病しませんように』『ちぃ姉様の怪我が少なくすみますように』と書いた。 「ネガイゴト、ネガイゴト‥‥」 「自分のお願いは自分で何とかするから、自分じゃどうしようもないお願い事書くの」 しらさぎが一生懸命考えているもので、真夢紀はほんのちょっぴり助け舟。こくりと頷いたしらさぎは梨佳の為に願いを掛けた。 「おや、これは‥‥」 短冊に『桂夏さんはやくかえってきますように』と書いてある。しらさぎが願った短冊を見た聡志は真顔で考えた。 「このままではいけませんね‥‥」 梨佳の為にも桂夏の為にも、そして二人を心配する開拓者達の為にも。 ●星祭 夕方になって忍犬達の訓練を終えた桜がギルドに戻ってみると、梨佳の仕事上がりにはまだ半時ばかり残っていた。 「少し早かったかしらね♪」 「おかえりなさいです♪」 梨佳がいそいそとやってきて茶を淹れる。桜は忍犬達に待機を命じて、楽しげに午後の出来事を語る梨佳の話に耳を傾け待つ事にした。 笹竹には『楽しく過ごせますように♪』と書いた桜の短冊と、その隣に大きさが違う足跡ふたつを押した短冊が仲良く並んでいる。忍犬の桃と桃の弟分雪夜のものだ。 「桃さんと雪夜さん、何をお願いしたんでしょうね〜」 「ふふ、あとで聞いてみる?」 梨佳の呟きに、桜は思わせぶりにふふりと微笑った。 ――半時後。 「みなさーん。七夕のお願いはお済みですか〜 そろそろ流しに行きますよ〜!」 仕事を終えた梨佳が短冊受付終了を宣言すると、何人かの開拓者達が撤収を手伝いに集まってくれた。 一月の間願いを預かり続けた笹竹はずっしりと重い。たわんだ笹竹の支柱や固定を外す力仕事は明王院 浄炎(ib0347)や由他郎(ia5334)が黙々と作業してくれている。 文箱を片付け始めた梨佳に、明王院 未楡(ib0349)は短冊を取り出し尋ねた。 「願い事、一杯集まりましたね。梨佳ちゃんは、お願い事しましたか?」 「‥‥あ!」 どうやら自分の事は後回しにしていたらしい。未楡は優しく微笑んで、短冊を梨佳へと手渡した。 「私は浄炎さんと一緒のお願いなので余ってしまって‥‥良かったら、梨佳ちゃんや七々夜ちゃんのお願い事に使ってくださいね」 ね、と示した未楡の願い事は、夫と連名の『亡者達の安らかな眠りが妨げられる事無きことを。そして、生者に安寧と安息の日々が続く事を』の文言。明王院夫妻らしい、願い事であった。 郊外にあるもふら牧場まで徒歩。 前方でわっさわっさと揺れている浄炎が担いだ笹竹を眺め、黎阿(ia5303)は夫の腕を取った。 「ふふ。こうして出掛けるの久し振りかもね」 艶めいた声で囁き腕を絡ませる。黄昏空はいつしか晴れていた。見上げ、夜の散歩を夫婦で楽しむ。 「ねえ、由他郎はなんて書いたの?」 「願い事か? ‥‥五穀豊穣、と」 意外な単語が出てきたもので、黎阿は由他郎を見上げた。真顔で由他郎は補足する。 「天候ばかりは人の手ではどうにもならん。天候が良ければ獣も肥えるし山の果実も甘く実る。腹いっぱい食えるに越した事はない」 「らしいわね」 あまりに実直な夫の願いに、黎阿はころころと笑った。 由他郎にだって他に願いはある。だが彼が思うに、妻や周囲の人々の安寧は自分が守るべきもので、アヤカシの殲滅も自身の尽力で為すべきものだから。 「‥‥晴れてきたな」 昼間は見えぬかとも思っていた一番星が、輝いていた。 もふら牧場では、食いしん坊のもふもふ達とその世話係のヒデがお出迎え。 「さくらんぼさんもふ!」 「「もふ! もふもふ!!」」 目ざとく桜を見つけたもふらさまが転がるように寄ってゆく。何だか食べ物と混同されているような気がしなくもないが、もふらさまは桜を覚えていたようだ。初めて此処に来た雪夜は、もふもふ集団の迫力に押されつつも興味津々千切れんばかりに尻尾を振っている。 「久し振りー♪ 元気だった?」 「げんきもふ!」 ちょっと大きくなった? などと言いつつ、桜は以前取った足型をもふらさまの足元に置いてみる。もふもふ。毛深くてよく判らない。 「ちょっと、あんよ見せてね♪」 もふもふしながら前足をちょいと上げて貰って肉球チェック、ほんの少し大きくなったような――? 「今晩は、梨佳様」 初めて聞く声に、梨佳はきょろきょろ辺りを見回した。牧場のもふらさまだろうか、それにしては話し方がもふらさまらしからぬ様子だが―― 「あんっ♪」 雪夜が梨佳の膝にこつんと頭を当てた。見下ろすと雪夜の隣にいる忍犬が「私です」と言った。 「桃、さん‥‥? わぁ、喋ってるです!!」 「犬が喋った!!」 梨佳とヒデはびっくり。桃さん何で喋ってるですかと心配気な梨佳に、柚李葉が更なる高みへと進化した三次進化相棒の闘鬼犬の存在を説明した。 「という事は‥‥桃さんすごいですおめでとうです!!」 心配から一転、手放しで喜ぶ梨佳に真面目な桃は照れた様子で「ありがとうございます」丁寧な口調で返して尻尾を振った。 「綺麗なところね」 沢山のもふらさまがお世話されている場所だけあって、此処の空気は清浄に満ちている。黎阿は由他郎と腕を組みなおした。 気になっているかしら。知りたがっているかしら。 短冊に託した願いを、夫にはまだ秘密にしている。どうしても知りたそうなら話そうと思って見上げるも、由他郎の表情はいつも通りで。 「‥‥どうした?」 「ん? 別に」 ふふっと笑って抱きついた。 そんな皆の様子を微笑ましく眺めつつ、未楡と浄炎は宴の支度に余念がない。願い事一杯の笹竹が皆の祈りと共に天へ届けられる事を願いつつ、きんと冷えた器に盛られた冷菓を取り出すと、器の下には氷が敷き詰められていて。未楡が自身の営む民宿で娘と共に用意した手作りの持て成しだ。 「皆さん、冷たいお飲み物とお菓子はいかがですか?」 「それはありがたい」 熱冷めやらぬ大地、火照った皆の身体に冷えた麦茶が心地いい。果物の甘みを好む由他郎の喉を、ほんのり甘くつるんとした喉越しの寒天が通ってゆく。 水羊羹もありますよと未楡が言い終わらぬ内に、もふらさま達も、もふもふもふもふ寄って来て。 「「おかしもふ!」」 「「「くださいもふー」」」 「はいはい、順番を守れる良い子にあげましょうね。お友達を押し退ける子は、め〜ですよ」 さすが大勢の子らの母たる未楡、穏やかで優しいその言葉に、もふらさま達は素直に大人しく貰えるのを待っている。未楡は良い子達ですねと微笑んで、もふらさま達にも順番にお裾分け。 その間に浄炎は川岸へと笹竹を運んでいた。 初めて会った頃から然して見た目が変わらない梨佳だが、随分長い間ギルドで働いていると思う。一時は見習い昇格と聞いた事もあったが―― 今この時が安らぎになっていればと願う。浄炎は振り返り、妻のもと皆に囲まれて笑顔を見せている、もふらまみれの梨佳を見遣って、そう思った。 笹竹流しの準備が整い、皆は川辺に集まっていた。水面を渡って吹いてくる風がひんやりと心地よい。 ふるりと小さく震えた新妻に寒くないかと寄り添って、羽郁は川に浮かべられた笹竹を見送る。 柚李葉は寄り添う夫のぬくもりを感じていた。『旦那様と両家の家族や皆が健康で笑顔で居られます様に』と願った彼女と同様、羽郁もまた『妻と家族がもっと幸せになりますように』と願ってくれている。 互いに互いの幸福を祈る幸せ。もしあとひとつ願う事が許されるなら―― (数年後には三人で見送れますように) 小さな命の誕生を、願う。 そして羽郁も、また。父の願いはともかく、新しい家族を伴っての再訪を願って柚李葉の肩を抱き寄せた。 明王院夫妻は、共に静かに目を閉じて世の平穏を祈る。 今を生きる人々の為に命を懸けた者達や今の世を残してくれた祖霊達への感謝を――そして今を生きる全ての人々の幸せを。 「みんなが幸せでありますように‥‥」 静かに瞑想を終え、浄炎は梨佳を見た。未楡が梨佳に願いは決まったかと尋ねると、梨佳は頷いて短冊を下げた。 「ほう‥‥『みんなと一緒に頑張れる人であれますように』か」 「梨佳ちゃんの誓いなのね♪」 浄炎と桜はそう言って、梨佳が短冊を結びつけたのを確認すると、そっと笹竹を押し出した。 皆の願いを乗せて、笹竹が川を下ってゆく。川を下り海を渡り、そして天へと還ってゆく。 「君の願い事を聞いてなかったな」 「さあ、なんだと思う?」 由他郎の問いを黎阿は軽くはぐらかす。彼女自身まだ迷いのある願い事だったから、由他郎がそれ以上追求しないのを幸い伏せてみる。 目立たぬ場所に取り付けた『そろそろ子供が欲しいかも?』の願いが成就するのは何時の事になるだろう。 (由他郎が望むなら別だけど‥‥) お互いにまだ若い、もう少しの間二人きりの時を過ごすのも良いかも――天へと運ばれてゆく願いを見送りながら、黎阿は由他郎の腕の中でそう思った。 |