【血叛】間を幇ず
マスター名:周利 芽乃香
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: やや難
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/08/14 22:22



■オープニング本文

 絹の着流し 白足袋雪駄
 ちらり見えたる羽裏額裏 男芸者の心意気

●叛
 卍衆がひとり風魔弾正が『叛』を示して、ひと月ばかりが経っていた。
 陰殻は名張の里、一見貧農の村に見える其処の表向き寝起きに使っている小屋で、名張 猿幽斎(iz0113)は下忍の報告を聞いていた。
 吹き抜けの、雨水さえ凌げるのか疑問な襤褸家に、風の囁きが通り過ぎる。
「‥‥‥‥」
「‥‥弾正に、分があるようじゃの」
 ぽつり。猿幽斎は姿を消した下忍に語るでもなく独りごちた。
 先手を打った弾正側が多少優位に動いているようだ。何せ動機の強さが違う。叛は陰殻で認められた歴とした行為、実力なき者は死あるのみの掟であり王位簒奪は何ら咎められるものではない。
「叛、か‥‥業よ、の」
 王側に付くと思われた地奔十兵衛が弾正に就き、一線に復帰している。卍衆は分裂し、死亡と処理されていた十兵衛さえ蘇らせる此度の大事は開拓者をも巻き込んで、ひとつの大きなうねりとなり始めていた。

 猿幽斎は小屋を出た。枯れた田畑へ向かうのか、一見するそれは老いた貧農が足引き摺って畦道を歩いているように見えた。
「おささまー」
 西瓜畑で親の手伝いをしていた子供が声を上げて手を振っている。慌てて親が子供の頭を押さえつけて土下座するのを、良い良いとにこやかに制して猿幽斎は歩みを進める。
 親の反応を除けば、どこにでもある貧しい村の長閑な風景であった。
 ゆっくり、ゆっくり、猿幽斎は歩み続ける。里を一周するように見せかけて、少しずつ里の外れへと足を進める。
 やがて、日が翳り里の者達が猿幽斎の散歩を忘れた頃、彼は里外れの岩陰に立っていた。この下に、大水脈が存在するのはごく一部の人間にしか知らぬ事だ。
 中忍を呼ぶ。
「笑ン狐」
「長‥‥俺の通り名はショウコです、いい加減覚えてください」
 いつものように律儀な声が返って来たが、猿幽斎はどっちでもええやないかと構わず本題を切り出した。

「笑ン狐、楼港で開拓者から此度の叛の見解を聞いて来い」
「御意」

 実に端的な指令であった。
 陰殻の四大流派は属する氏族を動かすだけの大きな影響力を持っている。此度のような国を挙げての大事であれば尚の事で、おいそれと動けるものではない。
 さらに、名張を支える唯一の法は契約であった。金さえ払えば親兄弟も敵にして命を張り、どのような仕事も受けて完遂する外道の法が成り立つのは、契約遵守が最低限保障されているからだ。ゆえに契約に反した者、反する行為は何より許されざるものとなっている。逆に言えば、名張は守れない契約は交わさない。
「勝つのはどちらか、はたまた共倒れか‥‥」
 過日、猿幽斎は戦場を歩いた。卍衆の去就不明者の中には開拓者の説得に応じた者もいる。
 猿幽斎の許には下忍からの報告が適時届いていたが、猿幽斎はこれまでの叛とは何かが違っていると感じていた。契約を絶対視する名張が動くだけの確固たる判断材料が足りないのである。
 解っている。番狂わせは開拓者ギルドの存在だ。
 ギルド派遣の開拓者達の間でどのような情報が流れており、此度の叛をどのように見ているか――欠落部分は其処にあると猿幽斎は考えていた。

 猿幽斎の足元で、笑狐は畏まったまま待機している。
「なんじゃ、資金は出さんぞ?」
「え、そんな殺生な‥‥」
「何を阿呆な事言うとる。しっかりたかって来い」
 呑み代は開拓者持ちだと言外に言い置いて、猿幽斎は笑狐を送り出した。

●幇間
 北面国の飛び地、楼港。
 軍事都市の側面を見せるこの街の表の顔は、五行国の東北部という複雑な場所にある北面領であるが、その裏側、色と欲に塗れた歓楽街の側面を仕切っているのは陰殻国の慕容王である。
 シノビ達の御家騒動は国内だけには留まるまい。かつて楼港にて起こった賭仕合の例もあるから、何処かで血生臭い変事が起こっているやもしれぬ。
 あなたがこの地を訪れたのはそうした警戒があったのかもしれないし、単に色街で遊びたかっただけかもしれない。
 とにかくあなたは楼港を訪れていて――突然、声を掛けられた。

「おや、あなたは開拓者さまでございますね?」

 目鼻立ちの整った、小奇麗な男だ。
「いやいや、そうご謙遜なさらず。隠してらしても滲み出る、その志体をお持ちの輝き、実にご立派です」
 丁寧な口調で相手を持ち上げる世辞の数々、伊達っ振りが映える羽織着流しの姿は幇間――いわゆる太鼓持ちという奴だ。
 さぞ遊び慣れているのだろう、派手な額裏をちらりと見せて、ぱちりぱちりと扇子を開け閉めしながら男は擦り寄ってきた。
「いえね、あたし最近この辺りの賑やかしをさせていただいておりますケチな野太鼓でしてね、どうにもお足がございません。これからパーッと行かれるんでしょ? あたしもお供に加えていただけませんかねぇ?」
 酒代をたかる気だ。場合に拠っては揚げ代まで払わされかねない。足早に立ち去ろうとするあなたの後を、しつこく付き纏ってくる。
「大層羽振りが良さそうなご様子、最近あちこちでご活躍なんでしょ? 武勇伝、聞かせてくださいなあ」
 馴れ馴れしい言葉遣いにイラっとしたが此処は花街、大っぴらに無碍にするのも野暮というものだ。金魚の糞をくっ付けたまま、あなたはつかつか歩き続ける。
「ねえねえ開拓者さま‥‥」
 余程蹴飛ばしてやろうかと思ったが、気の良さそうなにこにこ顔を見ていると怒る気も失せてきた。
 遂に諦めたあなたが歩みを緩めて幇間に振り返ると、彼は上機嫌で扇子を閉じて言った。
「へへ、ありがとうございます。で、どちらへ? あたし良い妓を知っておりますよ? それともお酒になさいますかねえ?」


■参加者一覧
崔(ia0015
24歳・男・泰
千見寺 葎(ia5851
20歳・女・シ
羽流矢(ib0428
19歳・男・シ
ケロリーナ(ib2037
15歳・女・巫
マックス・ボードマン(ib5426
36歳・男・砲
パロワン(ic0703
13歳・男・陰


■リプレイ本文

 無意識というのは怖いもので、咄嗟の行動には真実が潜んでいる。
 笑狐はつい目に付いた開拓者へ声を掛けた――のだが。

●民意
(‥‥つぅかマジか! 勘弁してくれ‥‥)
 声掛けられて崔(ia0015)は内心頭を抱えた。現在卍衆相手にひと暴れして遁走、潜伏中の身である。
「もし、開拓者さま‥‥?」
 そりゃぁ、完成した暗器を裏千畳の姐さんに見せに根来寺まで行った帰りだが。付けられた覚えもないし、そもそも志体持ちにすら見えない格好をしている訳だが。何故判る。
(‥‥こいつ、俺を知ってる奴か?)
 そう言えば、以前に楼港で死んだシノビが雑役に変装していたっけと思い出す。もしかするとこの幇間もそうしたシノビなのかもしれない。
 常より昼行灯を決め込んでいる本音の読めない男は、早々に誤魔化して去るに限ると判断した。
「飯食う間だけだぞ?」
 あ、幇間が喜んでる。犬みたいな奴だ。
 何処か放っておけない幇間を連れて、安い定食屋に足を向けた。奥の席を確保して「今日の」と注文する。何が出て来るかは店次第だ。
「‥‥で、野太鼓サン? は酒でいいんだっけか」
「あ、いいえ‥‥同じもの、を」
 派手な身形の割には遠慮がちな幇間だ。崔は、すぐに届いた鰯の梅煮で丼飯をかっ食らい始めた。
 呆気に取られていた幇間は、我に返って旨そうに食べ始めた。とても勘当された放蕩息子崩れには見えないなと考えていると、飯を嚥下した幇間が口を開いた。
「最近、陰殻が大変だそうですね」
「叛? ‥‥余所者だし、叛なんぞ知った事じゃねえな」
 そんなぁ、と拍子抜けする幇間に、まあまあと崔は沢庵を齧って茶を啜った。
 掟が何より大事で他は二の次だという陰殻のお国柄は理解しているつもりだし理屈も分かると前置きして、崔は言う。
「だが、余所者の俺らにすりゃあ、王位争いと街の破壊は別モンだ、無関係な人間巻き込んでるようにしか映らね」
 民は承知の上か? と崔は幇間をちらと見た。
 楼港へ出向している者は現役だろう、しかし国内に残っている非戦闘員はシノビではない、民なのだ。
 しかも、と崔が続ける。
「どの陣営がそれを仕組んだものかを開拓者は知ってる。その主が王座に就いた場合は‥‥大方は想像つくだろ?」

 ――今の関係を失くす羽目にならなけりゃいいんだがな――

「ともかく、だ。兄サン、開拓者にゃ荒くれも多いから、大概にな?」

●方法
 忠告に従い、次は幼さ残る少年に声を掛けてみる。パロワン(ic0703)がすんなり認めたもので幇間は安堵した。
「で、何が聞きたいの? 口外しないなら少しくらいは話してあげるよ」
 思う所あって、彼は敢えて秘密を漏らすかの素振りを見せて幇間の興味を引いた。楼港の裏を仕切るのは陰殻国の慕容王、情報操作も彼の計算の内というもの。
「やあ、暑い日にはこれですねえ。からだにも良うございます」
 未成年相手に酒色という訳にもいかず、茶店で冷ました甘酒が入った湯呑みを両手に包み、幇間は綺麗な顔立ちに笑みを刻んだ。
 この顔に裏があると思うのは殺伐とした気分になるが、パロワンは気にせず幇間に問いかける。
「それで。年端も行かないぼくの武勇伝が聞きたいの?」
「年若くして楼港を闊歩するほどのお人ですもの、さぞ有能なんでございましょ?」
 にこにこと持ち上げた。甘酒を一口啜り「楼港へは何用で?」素とも計算とも取れる様子で聞いてきた。
 すり寄って来る幇間に「内緒だよ」と勿体つけて、パロワンは楼港に内包する陰殻の将来を見に来たのだと小声で言った。
「こんなに華やかな街の裏側を支配しているのは、あの貧しい陰殻だって噂だからね」
 ぼくの生家は商家でね、とパロワン。荒地に作物は育たず、貴重な民を他国へ輸出しているという陰殻の未来は限界に来ている、と語る。
「今でこそ統制や手数や技量で相対してるのだろうけど、先々は飛空船を大量に運用するまでの経済力を持たないと、このまま追い詰められてしまうだろうね」
「ほう、坊ちゃんは算盤にお詳しいので‥‥?」
「貧しさから向上する為には、勢い良く大規模に投資して環境一新するしかないだろうね」
 幇間の理解が追いつかぬ話だった。主に伝えるべくひたすら丸暗記に努める。

 ――万商会等から投資を募り、開墾や家内製手工業に力を入れるべき――

 それは今の陰殻には実現不可能かもしれない。
 しかし開拓者の中には、こうした案を持っている者もいるのだという事を、笑狐は記憶に留めたのだった。

●国民性
 隠す事ではないとはいえ、少し驚きましたと千見寺 葎(ia5851)に言われ、幇間は再び冷汗を掻いた。
「貴方のように華やかでもないのに、見分けるこつでもお有りで?」
「いえいえ、貴方さまの整ったお顔立ち、只者とは思えません。それでつい開拓者さまとお見受けした次第でございます」
 慌てて言い繕った世辞ではあったが、正真正銘涼やかな美少年――を装った男装の麗人だ。
 葎もまた里の者と逢う為に楼港入りしていたものだから、この場は事を荒立てずに合わせておこうと受け流す事にした。幇間に警戒心は残るものの、自身が不用意にさえならなければ襤褸は出るまい。
「僕のことはどうぞ嘉指と。貴方は‥‥?」
「カザシさまですね。あたしの事はヤカンとお呼びくださいまし」

「やあ、あたしは運が良かった。嘉指さまとお会いできたのですから‥‥ささ、どうぞ、この巡り会わせを祝して、まずは一献」
「‥‥ああ、お構いなく。野干さんも好きにやってください」
 酒家の別室で、形だけ酌を受けて、軽く唇を湿らせる。
 では遠慮なくと手酌で呑み始めた幇間が、叛の話題を出すのは時間の問題だった。
「ときに嘉指さま、陰殻で、ひと戦あったとか‥‥?」
「‥‥此度の叛ですか」
 野干さんは早耳ですねと困惑した笑みを浮かべ、葎は幇間の顔を見る。
「それで‥‥どの程度、お話が回っているのですか?」
「いえね、王様が代替わりするとか、その程度なんですが‥‥本当はどうなんです?」
 まるで噂の真相を興味本位で尋ねているかのようなさりげなさで話を振って来る。十中八九、陰殻の者であろうが、派閥に関しては測りかねた。
 だから葎は語れる範囲で己を語る。

「僕は陰殻の生まれ育ち、叛は叛に過ぎない」
 しかし開拓者の全てが陰殻の掟や叛に理解を示している訳ではなく、違和感を覚える開拓者も存在するし、様々な考えが存在する。
 お家騒動を避ける者、策謀する影に奔走する者、ギルドと開拓者との明確な契約がない以上、民を守る事を最優先する者――開拓者は、それぞれが各自の考えと信念を持って行動する者達。
「それも僕は好きですよ」
「それで‥‥嘉指さまは何に肩入れなさるのです?」
 幇間の問いに、葎は涼やかな瞳を向けた。

 ――慕容王様のお傍に、同郷は半々。そういうこと、です――

 王派、血盟派どちらとも取れる反応に、幇間は首を傾げた。
「開拓者ですが僕は、氏族から離れていない身なんです」
 掟も理解できるし、叛に拠る簒奪で民を豊かにと掲げられれば其方に期待もする。しかし弾正の理想論に全面的な賛成はしかねるし、かと言って今後も叛で王位が動く状態が良いとも考え難い。
 色々な考えを理解できるからこそ、葎は立場を決めかねていた。それは陰殻に生まれ育ったからこその苦悩かもしれなかった。

 過酷な環境、生きる事だけで精一杯の貧しい国――陰殻。国家として纏まる為に、他国とは異なる価値観が存在するのは否めない。
 そんな事を考えていたからだろうか、幇間が次に声を掛けたのもまた、陰殻出身の開拓者であった。

「へぇ、こんな丸腰同然の服装でも判っちまうのか」
 兄さんこそ大したお眼鏡だと羽流矢(ib0428)に言われ、幇間は同じ過ちを繰り返した事に気付いた。慌てて始めた苦しい言い訳を、羽流矢は面白そうに眺めている。
 場所が場所だけに間者の類は少なからず紛れているだろうとは思っていたが――
「俺はさ、ちょっと噂話を聞きに、ね。兄さんの方がその手のコトは詳しいだろう? 良い所を知らないかい?」
 動揺しているのが見て取れて、さりげなく水を向けてやると、これ幸いと幇間がそそくさ店へと案内し始めたもので、羽流矢は可笑しくて仕方ない。

 婀娜っぽい女将が営む小料理屋は、訳あり男達の四方山話も見て見ぬ振りをしてくれる、気の利いた場所だ。
 まずは腹ごしらえだと羽流矢は酢の物と惣菜、一合の酒を注文し、酒の追加を頼もうとした幇間の袖を軽く抑えて言った。
「俺はあまり呑まない口でね」
「そりゃあ残念ですねえ‥‥」
 酢の物と一緒に出た切干の煮物に箸を付けて酒を一口。「開拓者か‥‥」独白めいた切り出しで話し始めた。
「陰殻の騒動は勿論知れ渡ってる。ただでさえ他国がきな臭いこの時期、そもそも人同士の争いを多くの開拓者は好まない。叛そのものを止めさせたい奴もいるだろうさ」
 あくまで開拓者として、羽流矢は語る。彼自身は陰殻の出で生まれ育った里との縁も切れてはなかったが、それを幇間に語ってやる義理はない。
「だが、アヤカシの影がちらついてるらしくてね。利用しようとする奴がいないとも限らないから、どのみち関わらない訳にはいかないって訳さ」
「それで‥‥旦那は如何動かれますので?」
 さてな、と羽流矢ははぐらかした。肴を平らげ酒を飲み干した彼は、懐から財布を出して卓へ自分が食った分の代金を置いた。
「じゃぁ、俺は先に失礼するよ。兄さんも達者でな」
「へ?」
 お邪魔さん美味かったよと女将に声掛けて、暖簾を捲った羽流矢は振り返ると口端上げて幇間に言った。
「‥‥話の駄賃に奢らされないだけマシと思いな?」

●連鎖
 奢らせ損ねて花街を彷徨っていた幇間は、涙ぐんでいる少女を見つけて目が離せなくなっていた。
 ケロリーナ(ib2037)である。開拓者の中でも要人との接点が多い彼女は慕容王とも知己であった。王の命運は今や風前の灯、心配で気掛かりで、思うだけで涙が滲む。
(どぉしたら殺し合いの連鎖をとめられるのか考えなきゃですの〜)
「お嬢さん、何か悲しい事が‥‥?」
 ケロリーナの大きな瞳が幇間を見つめた。この人は誰だろう。
 つい呼び止めてしまった幇間の方も、少女に幇間という職種を説明するのが憚られて、適当に曖昧な説明で誤魔化すことにした。
「ええと、あたし此処の案内人をしております幇間というものです」
「ジルベリアからきた、けろりーな、ですの。おはなし、きいてくださいます?」
 ドレスの裾をちょこんと摘み、優雅に膝を折ってご挨拶。愛らしいお辞儀に幇間も「これはご丁寧に」と頭を下げた。

 甘味処で冷やし汁粉が運ばれるまでの僅かな時間。
 問いかけるまでもなく逆に幇間は問いかけられた。
「えっと‥‥幇間おじさまは、陰殻とゆう国に、どんなイメージを持ってますの?」
「陰殻、ですか‥‥今はお家騒動で大変そうですねえ」
「それだけですの?」
「あとは大変土地が痩せている国と聞いた事がございますねえ」
 先に遭遇した開拓者達を思い出して答えると、ケロリーナはそうなのと頷いた。
「陰殻は、シノビを各地に派遣して何とか生活を成り立たせている感じに思うですの」
 彼女の認識は間違ってはいない。陰殻の主要商品が人である事は幇間自身がよく知っている。では何故この少女は泣いていたのだろう。
 給仕が運んできた冷やし汁粉の白玉を掬い上げ、ケロリーナは俯いたまま言った。
「陰殻には陰殻のやり方があるのかもしれないですけど‥‥誰かが殺し合いの連鎖を止めないと、枯れ果てちゃう気がするですの」

 ――人が。

 はむ、と白玉を口に入れて暫くは無言の時間が過ぎた。
 ぽつりぽつりと彼女は心の内を語る。
 陰殻にとって人こそが宝であるのに使い捨てられ無為に喪われていく矛盾、殺害で喪う優秀な人材とそれを育成するのに要した時間や労力――それに、戦いの後に残るものは。
「怨恨を残して連鎖するのはダメですの」
 そんなのやっぱり哀しい。
 ケロリーナの目尻に再び涙がじわりと浮かんだ。幇間が差し出した懐紙で涙を拭いて、彼女は健気に微笑んだ。
「んと、お話、聞いてくれてありがとですの」
 

●陰殻
 開拓者に尋ねれば尋ねるほど、自国の特殊さを感じずにはいられなくなっていた。
 そんな迷いを抱いて答えを求めた先に――意外な人物がいた。

「もし」
 声を掛けるとマックス・ボードマン(ib5426)が振り返った。彼が妓楼・千寿楼で出入り禁止になっている事情をよく知るだけに、笑狐は楼港に居る彼が心配だ。
「太鼓持ちか。そうだな‥‥落ち着いた店がいい。綺麗どころが居ないのも寂しいが、煩くされるのも好きじゃない」
(遊びに来られたんですか‥‥)
「何かおかしな事を私は言ったかね?」
「い、いえ‥‥では穴場へとご案内いたしましょう」
 正体を隠している今、もっと堅い人だと思っていたものでとは言えなくて、初対面を装い笑狐は裏筋へと入って行った。

 大きくはないが小奇麗な店だ。少し薹は立っているものの小股の切れ上がった姐さんに酌されて二人は酒を酌み交わす。
「陰殻を、どのような国と思われます?」
「叛か‥‥そういう決まりもあるのだろう」
 言葉少なにマックスは答えた。そんな譲位方法は聞いた事がないが、それが陰殻の法であれば余所者の彼は素直に納得するほかない。
「しかし‥‥絶対的な『力』が王たる証の国で、乱を起こす者達の常套句を聞くとは思わなかったな」
 新しい国を作る。君側の奸を討つ。
 弾正が挙げた理想であるが、他国では大義名分であったとしても陰殻み於いては意外に聞こえると彼は言う。
「まあ、私は部外者だから、どちらの肩を持つ謂れも無いが‥‥」
 そう言って空いた杯を姐さんに持たせて酌してやる。くいと呑み干す姉さんの隣で肴を摘みつつ、彼は言った。

 ――陰殻の人々は明日から「シノビをやめろ」と言われて「はい分かりました」と言えるのかな?――

●名張
「私の目には到底そうは見えないがねと結んだ彼に、俺は返す言葉がありませんでした」
 笑狐は語り終え、猿幽斎の反応を待った。

 叛は叛。力ある者が他者を制するのが陰殻の法であり陰殻国民の常識。
 しかし他国はそうではないし、開拓者の多くは違和感を覚えている。
「開拓者とは今後も付き合って行かねばならぬしの‥‥」
 考えた末に猿幽斎はひとつの指針を出した。

 *

 後日、名張の長として猿幽斎は慕容王に与する事を表明する。
「なんぞありましたら儂が王になりますがな、王は好きになされ。まだまだ若い者の壁にくらいはなりますよって」
 冗談とも野心とも判断しかねる軽口ひとつで、名張の流れを汲むシノビ達が一斉に王派で動いた。

 叛の阻止は王への忠誠ではなく民の為。
 此度の叛は民を疲弊させるだけに過ぎぬと判断し、民を惑わさぬ為に叛の成就を阻止せんが為の選択であった。
 時折、猿幽斎は思うのだ――真に恐るるべきは開拓者達であると。