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■オープニング本文 ●棺の美女 酷く暗い日だった。 灰色を通り越し、黒くさえ思える程の雲が空を埋め尽くしている。 まるで瘴気の様だ、と自分の想像に身震いしながら墨をする。 シャーコ、シャーコ、と硯と墨が擦れ合う、蛇の威嚇音にも似た音が響き渡る。 既に受け付けは終わり、不寝番が時折徘徊しては彼、喜多野・速風(iz0217)の姿を見とめて苦笑を浮かべた。 それに手を挙げ、陽気に笑い返しながら彼はミミズののたくったような字で、一つの文章を作りあげる。 『遺体運びの人物募集。口の堅い人物にお願いしたい』 此れについては、彼が長屋の大家であるジジイに頼まれたのが原因だった。 勿論、家賃の延長が条件である。 彼、大家のジジイは交友範囲が広く、どうやら友人の奉公先の娘さんが、病で亡くなったらしい。 だが、没落貴族であり平民と変わらぬ暮らし、否、平民よりも貧しい暮らしである娘の葬儀も覚束ない。 そこで、速風と言うコキ使える人物が浮かんだのだ――その奉公人と共に、娘の遺体を運び、簡単な埋葬をして欲しい。 (「親類縁者もいない、最後の貴族ってぇ奴かえ?」) 落ちぶれた割には……口止め料込みではあるが、破格の報酬を出され、速風は是も否も無く頷いたのだった。 「よ、と」 『遺体安置の場で、依頼人の行う事に一切関係を持たない事。それを成功とする』 依頼人がもごもごと口を動かしながら、やがて一つの言葉を紡いだ。 「若いってェのは、罪でさァ。全ては死に、帰結するんでさァ。死は、誰にももたらされた幸福ですぜ」 死を振りまわしながら、愛おしげに依頼人は口を開いた……ねっとりと棺を回しながら。 歯の少ない口が開き、唾液が一本の糸となって見えた。 「あんさん方、死についてェ、どんな見解をお持ちでしょうかねェ」 |
■参加者一覧
孔雀(ia4056)
31歳・男・陰
ガルフ・ガルグウォード(ia5417)
20歳・男・シ
鈴木 透子(ia5664)
13歳・女・陰
和奏(ia8807)
17歳・男・志
リエット・ネーヴ(ia8814)
14歳・女・シ
誘霧(ib3311)
15歳・女・サ
エイン・セル(ib6121)
28歳・男・砲
高尾(ib8693)
24歳・女・シ |
■リプレイ本文 ●奇怪 灰色の雲は、分厚く広がり雨粒を吐きだしていた。 「買うのは忍びないだろぃ、どうせ、依頼人に貸すんだろ?」 「ああ、ありがとな」 喜多野・速風(iz0217)の差し出した番傘を有り難く借りた、ガルフ・ガルグウォード(ia5417)は、赤の番傘を依頼人に差し出した。 もごもごと口が動き、存分に間を奪い、聞こえ辛い声で依頼人は礼を言う。 「あの、ご遺体の顔を拝んでもいいかな――ちゃんと、見送りたいから」 手に真っ白な梔子を手にした誘霧(ib3311)は、棺を撫でまわす依頼人へと声をかける。 依頼人がすぅと目を見開き、真っ白な梔子に視線を奪われ、誘霧へと移った。 何を紡ぐでも無く、動き続ける口から、何かを発せられた様子は無いが――頷き、何度か伸ばし、ひっこめ、そして決意したかのように拳が震え、棺の蓋を外そうと手をかける。 「手伝うじぇ!」 空を見上げていたリエット・ネーヴ(ia8814)が、金髪を揺らしながら棺の蓋を手にした。 誘霧の手伝いもあり、棺の蓋はゆっくりと外れて大地に置かれた。 「んまァ、美は現象。生命の象徴――死しても尚、輝き続ける美の力!」 死して尚、否、死した故に穏やかな、何ものをも拒まぬ美しさを漂わせる遺体を見、孔雀(ia4056)が天を仰いだ。 見える場所はまだ、腐敗が始まっていないのか温そうな白い肌をしていた。 降り続く雨粒を身体に受け、嗚呼、神よ! と彼は口を開く。 「これは美しすぎたアタシに科せた試練…! 完璧すぎる故の奢り、精神の緩みに対する戒め! そして更なる期待!」 新たな美と言う境地へ至れ、と分厚い雲を掻き分けて神の荘厳な声が、確かに彼には聞こえた。 悪くは無い、まあ、美しいと言える娘へ視線を移し、そして孔雀は頷き言った。 「まあ美しいわ、アンタは。安心して頂戴、お墓までちゃんと運んであげるわ」 約束よ、と言ったのは単に身体を張った天啓――少なくとも彼にとっては――に対する礼であり、そこに同情や憐憫等と言うものは存在しない。 「相変わらず、喧しい奴だねぇ。ロクな人間がいやしないよ」 忍眼で周囲を確認しながら、高尾(ib8693)は心底不快そうに顔を歪めた。 降り続く雨は気配を隠し、何処からアヤカシが襲ってくるかは判らない。 墓所に至る道へは食屍鬼の亜種なども確認されているが、万が一粘液状のアヤカシが存在した場合、発見は困難を極めるだろう。 とは言え、楽に破格の報酬がもらえることには違いない……上手くいけば、ただ、棺を運び埋葬するだけで済む。 金銭を無上のものとする高尾からすれば、とても『オイシイ』依頼だった。 (「変わった依頼ですね……」) 先程から棺を撫でまわす依頼人の手を見、鈴木 透子(ia5664)は心の中で呟いた。 手を合わせ、一礼して死者への弔いの情を示す。 その間、ずぅーと、地図を眺めていた和奏(ia8807)が、その人形のようなかんばせを棺に向け、依頼人へ向けた。 墓地への道は全て記憶しているので、今更確かめる必要は無いのだが……そう言えば、花も必要なのだろうか、と首を傾げる。 「花は――必要ですか?」 依頼人が口を開く様子は無かったが、その視線が誘霧の手にした梔子へ向けられ、そして首を振った。 どうやら、必要は無いらしい。 「……棺をォ、荷車で運ぶのかァ?」 酷く聞き取り辛い声で、依頼人が言った。 開拓者達が200文ずつ出し合って開拓者ギルドから借りた荷車は、華美ではないが頑強な作りをしており、少しの攻撃ならびくともしない、と倉庫番は言っていた。 だが、依頼人はエイン・セル(ib6121)の運んできた荷車を見、そして荷物ではァ、なくてもォ? と問いかける。 「借用出来るもので、此れが一番安全だった。棺を手で運ぶのは、敵に襲われた時に不利になる」 水気を嫌う火薬達に練力を纏わせ、耐水防御を施したセルが付き放したような、少しばかり乱暴とも言える口調で言った。 依頼人は首を傾げている、万が一、断られでもしたら棺をあくせくして運ばねばなるまい。 高尾は内心、舌打ちをしながら出来るだけ優しい、猫なで声で言った。 「一番棺に、故人にとって良い手段なんだよ」 理解したのか、そうでないのか。 だが、ネーヴが大丈夫? と問いかける言葉に首肯した事を見ると、どうやら理解出来ない訳ではないらしい。 誘霧とネーヴが、荷車に棺を積み込み、ガルグウォードが手にした茣蓙やら荒縄で棺を固定していく。 何しろ、腐敗が始まってしまっているので少しの揺れで、変形してしまう。 水平になるように気を付けながら、十分に時間をかけて固定された棺を少し揺すり、動かない事を確かめる。 「行きましょうか。夜になると、危険ですから」 鈴木が静かに口にした。 夜盗の類が出ないとも限らない、副葬品を狙った盗賊の類は簡単に追い払えるが敵と出くわしたい訳ではない。 「ああ、そうだな。そろそろ出立しようか――」 何を思うのか、悲哀の色がガルグウォードの横顔にはにじみ出ていた。 ぼぅ、としていた依頼人だったが、荷車に乗り棺が濡れないようにと真っ赤な番傘を広げた。 依頼人が差している筈なのに、番傘の方が華やかで依頼人が霞んでいる。 懐中時計「ド・マリニー」で瘴気や精霊力を見ながら、セルが荷車を曳き始め。 和奏や、ガルグウォードが先頭に立って、周囲を警戒し敵襲に備えた。 ●死の観念 ぬかるむ荷車を曳きながら、或いは押しながら、開拓者達は進む。 手裏剣を手で遊び、時折流れるような動作で手から放てば、眼突烏が断末魔の悲鳴を上げて墜ちる。 真っ直ぐに飛ぶ手裏剣と、真っ直ぐな瞳で敵に挑んだガルグウォードが、すれ違いざまに手裏剣を手に持ったまま突きさした。 瞬風波を放った和奏の刀が、雨に濡れて妖しく煌めく。 表情を変えぬまま、目の前の食屍鬼を葬った彼は、カチ、と音を立てて刀を鞘に納める。 「――他には、敵はいなさそうです」 心眼「集」を使い、周辺に意識を向けるが――特に怪しい影は無い。 「だな……っと、依頼人達は大丈夫か」 よぉ、っと――声をかけながらガルグウォードが後ろをついてくる荷車へ視線を向けた。 泥をはね飛ばしながら、荷車は近づいてくる。 「ンフゥ〜、雨に濡れるアタシも一段とセクシィ」 弱い自然光に輝き、仄白く映る我が身の姿に孔雀は恍惚の笑みを浮かべた。 荷車は、セルと速風が曳き、誘霧とネーヴは後ろから押し、鈴木が人魂で周囲を確認する。 先行している和奏と、ガルグウォードが安全を確かめているので、後ろからの奇襲に注意をすればいい。 故に、高尾や鈴木は背面を気にしていた……降り続く雨の切れ間、一瞬音が消えたような錯覚。 その不思議な瞬間に、依頼人は、言った。 「あんさん方はァ、若い。若いってェのは、沢山の罪を犯しますねェ。わたしもォ、沢山の娘ェ、泣かしたもんでさァ」 いきなり雨脚が強くなり、バタバタと番傘に雨粒が叩きつけられる。 「死はァ、幸福でさァ」 (「……なら、こんなに醜く老いぼれる前に、とっとと死んだらいいのにさ」) 一瞬、殺意が胸を焦がすがその炎はまるで氷のように冷めたものだった。 (「修羅のように、生が得難い物だからこそ尊く感じるのか。人間のように、当たり前に与えられているから価値を感じないか」) 生きる為に泥水を啜り、何でもやってきた高尾が無意識に修羅の証である角に触れた。 雨にしっとりと濡れて、少女のように泣き叫んでしまいたかったが……そんな感情の奔流を制する術を、いつの間にか知っていた。 「死が幸福なのかは、わからない。……が、俺は、小銭目当てに銃をとった親不孝だが」 背に縛りつけてあるマスケットへ視線を向け、そしてセルはその込められた弾丸の意味を、思い起こす。 その弾丸は、何かを葬る為のものだ――マスケットは武器、それ以上にはならない。 「が、大切な何かを守り通せた誇りをもらえる時、笑って死ねるだろう」 「扱う者のォ、心はァ、大切ですねェ……生きる者だけの、生きる、不幸でさァ」 「先のことを考えなくても良いから救い、ですか?」 鈴木は、自分の師匠の言葉――『もう終りだなんて気休め、続くから困るんだから……』――と言う言葉を思い出していた。 苦笑交じりに吐きだされた師匠の言葉の真意は、未だ分からない――が、死を悼むのも陰陽師の仕事。 師匠の顔はおぼろげにしか浮かばず、情景だけがせり上がってきた……随分と、逸れて久しい。 「いいんや、死はァ、公平でェ。拒まない、醜いじゃろぅ、わし、なぁ、わし。わしよ、わし、醜いじゃろぅ、そうじゃろぅ」 皺と長年磨りこまれた垢で塗れた顔をぐぃ、と鈴木に近づけて依頼人は言った。 バシャン、と赤い番傘が赤黒い手から離れ、ぬかるんだ地面にたたきつけられる。 依頼人の口からは、黴のような、不快な臭いがしていた。 少しばかり驚き、鈴木は後ろに下がったが彼女のプロ意識は、依頼人に不快な思いをさせまいと努めて冷静に振舞う選ぶ。 「死はァ、醜い」 「えっと、落ちついて、ね」 誘霧が依頼人の肩に触れ、荷車へと座るように促した――触れられた肩が緊張に跳ねあがり、依頼人よりも誘霧の方が驚いてしまう。 「死は終着点ではなく通過点。私にとって死は『離別と安息』で、輪廻転生の小休止だと思ってる」 死者本人の価値観によるんじゃないかな、と首を傾げながら誘霧は続けた。 銀髪が濡れ、清らかに輝きながら肩を滑る。 「死にたくない人だって居る、よ。同じ幸福なら死によって得るより、生きて感じる方を私は望む、かな」 「嗚呼、生きる、生きるとォ。嗚呼、生きる。老い先短い爺に、生きる」 「――『未来がない』なんて言葉は、この世界から消えてしまった人達が言う言葉だ。生きてれば、未来はあるんだ」 ひぃ、と曲がってしまった背を逸らせて笑う依頼人へ視線を向け、また、荷車を曳きセルは口にした。 「えっとね。あのね――」 何か言いたい気がするのに、言えなくてもどかしくて、ネーヴの表情が悔しそうに変わる。 パチパチと大きな目を瞬かせ、拳を握った、時折、えーっと、や、うーん、と声が漏れた。 「死の幸福とは、人生の苦に対する解放を意味しているのかしら? そうねぇ、苦から逃れる為の欲望は果てが無く、己の老いた肉体の苦を取り除く術も無い」 醜い依頼人へ鏡越しに視線を向け、孔雀は口を開いた。 「肉体の死は無、解放の幸福と自由を感じる為の主体が無ければ意味を成さない――なんて考えもあるけど、精霊なんてのがいる世界、死後もまだまだ楽しめるかもしれないわねぇ」 別料金で手厚く葬ってあげましょうか、と蠱惑的な笑みを浮かべる。 「この世がァ、死後も続くってェのはァ、苦痛でさァ」 「その肉体を捨てても、そう言えるかしら?」 その言葉に、依頼人は更に顔に皺を作った……どうやら、彼なりに微笑んでいるらしい。 どす黒い歯茎がむき出しになり、人間と言うよりも不格好な置物のように見える。 「俺は、死を『節目』と、思ってる。どんな最後・感情であるにしろ、生者に必ず何かを残し、変えてゆくから」 動きださない荷車を心配して駆けよって来たガルグウォードが、赤い番傘を拾いあげ依頼人へと口を開いた。 「……なあ、不躾だが権蔵さんは何故『死』を幸福だと思うんだい?」 その言葉は、ほんの少し……ほんの少しだけ、震えていた。 依頼人は雨も気にせず、ぽかん、と口を空けたままだったがやがて――。 「わしゃぁ、醜い。老いも、醜いがァ、死は……平等でさァ。ほら、お嬢さんをォ見てごらんなさァ」 閉じられた棺の蓋が開く事は無く、勿論ながら、故人の顔を今、拝む事は出来ない。 誰も、棺の蓋を取ろう、とは言わなかった。 「有り難ァい、慈愛の塊でさァ」 ●楽園 「もう少しで、墓所……ですが。穴掘りはするんですか?」 騒ぎをものともせず、人形のような顔を向けた和奏は、少しだけ首を傾げた。 くしゃりくしゃりと、依頼人が顔を歪めるのに気付いたのだ。 「ああ、安置させるだけだぜぃ。爺さん、故人を気にかけて貰って嬉しいんだろぃ」 答えない依頼人の代わりに、速風が答えを返す。 無難な回答だが、果たしてそうなのだろうか――と首をひねる和奏だが、そうであってもなくても変わらない。 寒々とした墓所、否、まるで人工の遺跡のような石に覆われた場所だった。 分厚い石の扉がつけられており、半地下の形式になっている。 速風から聞いた話では、代々に伝わる故人の墓所なのだと言う。 食屍鬼を排除し、鈴木が墓所に散らかった黄ばんだ骨を端に寄せた。 「やりたい奴がやっとくれ、あたしはやらないよ」 「はいはーい、任せて!」 「うん、私も頑張るよ!」 高尾の言葉に、ネーヴと誘霧が棺を荷車からゆっくりと下ろす――安置された棺に付いた雨粒をガルグウォードが手ぬぐいで拭いた。 (「梔子、口無し――ちょっと、皮肉かな」) 誘霧が梔子を供え、手を合わせる。 ガルグウォードが、汚れてしまった墓所内を掃き清める。 骨と肉と埃、そして死者の為に摘み取られた生きた花達の残骸。 どうやら、此れで依頼は達成したようだ――が、依頼人は報酬を渡すと、何処にそんな力があるのだと言わんばかりの力で、墓所の扉を開く。 ――ゆっくり、墓所の扉は閉じて、そして。 静かに墓所の壁を這う、蟲が一匹――否、陰陽術で造られた式であった。 誰も依頼人の行為を止める者は、いない。 孔雀の式は、単なる覗き見の為でしか無い……式の映すもの、それは。 粘土を握り込んで潰したような、醜怪な老人が棺の蓋を開ける。 何も言わぬ遺体からは、甘い乳の臭いと、熟成した肉の臭いがしていた。 ――否、それは腐臭とも言えよう、薄く青ざめた髪の生え際に、随分と躊躇った後、老人はかさついた唇を寄せる。 目玉がぐりん、と動き黄ばんだ白目と灰色に曇った黒目がカッ、と見開かれる。 老人は生え際の臭いを吸うているようだった、証拠に肺が膨らんだりしぼんだりと動いている。 清らかに清められた物言わぬ娘に、絡みつく老人のシミの浮いた皮膚。 だが、娘は何も知らず、目を閉じたまま動かない――かさついた唇を跳ねのける事も、疎ましげに眉を顰める事も無い。 ただ、受け入れいている……喜色も嫌悪も何も『無い』儘に、その肉体を横たえていた。 跳ねのける事は無い、拒む事は無い、拒絶される心配もない。 ――だが、それ以上、肉体を暴くようなことを老人はしなかった。 二度、三度、息を大きく吸って、そして満足げに老人は娘の遺体の足元に座りこみ、そして何時までも、そうしていた。 ……それが、孔雀の口から伝えられた老人の行動である。 そして、その老人を見る事は――無いだろう、今日も、明日も、その次も、ずぅーっと。 そう、この娘の『死』は、完成された『老人の楽園』なのだ。 |