【直姫】すれ違い
マスター名:白銀 紅夜
シナリオ形態: ショート
EX
難易度: やや難
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/01/13 01:04



■オープニング本文

●鋭角を描き
 雪が降り積もる、深々と。
 その中、花菊亭・有為(iz0034)は立っていた。
 この雪は全てを覆い隠すのだろう――美しいものも、醜いものも。

 ――何故、家の為に身を差し出さねばならないのか。

 何故、と人々は歴史の中で何度も繰り返しただろう、何故、何故――。
 だが、答えなどあるようでいて存在せず、問いかける言葉は宙に消え。
「お前が唯一の男児で、跡取りだからだ」
 正室である母は既に亡くなり、自分達の父も決して、身体が強い人ではない。
「年初め、隠れた父に代わって、当主としての役目を」
 既に、親しい貴族には伊鶴が『跡取り』と言う事は印象付けている。
 だが此れからは、交友関係も縛られ、当主としての立場を望まれるだろう――父の助力も少なくは無いだろうが、当主としての立場は伊鶴に譲ると言う。
「(……それに、母方の提示した事は、伊鶴が当主である事だ)」
 助力を得る為には、伊鶴を当主として立てなければならない――それが、仮初でも良い。
 まだ、根回しは終わっていないが、縁談の数も増えてくるだろう。
 だから――傷つかないうちに。

 ――思いの姫の事は、諦めろ。お前は、花菊亭家に相応しい正室を迎える。側室ならば構わないが。
 ……あの方の事は、忘れられません。僕は正室として迎えたい、あの方を守りたい、一緒にこの家を良くしたい。身分とは、それ程大切なのでしょうか?
 ――周囲に知らしめる必要がある。身分不相応な者を抱えれば、軽んじられる。貴族間での発言権を、やがては朝廷への発言権を持つ為に、身分は必要だ。

「秋菊」
「此処におります、有為様」
「この家は、落ちぶれて滅ぶべきなのだろうか――ならば、私が生まれた、意味は」
「有為様、貴女様が私にかけて下さった恩を、秋菊は忘れません。共に参ります、それが地の底であろうとも」

●凍える鶴
 花菊亭・伊鶴(iz0033)は、空から舞い降りる雪の中で、冷たい手を擦り合せた。
 吐く息は白く、淡く消えていく――儚い。
 傍に控えているのは、侍従の波鳥。
「僕の行動は、間違っていたのでしょうか?」
「伊鶴様は、姉君にも臆さず意見を言えるようになりました。――人生の間違いなど、ないのです」
 飛びだした伊鶴に、羽織をかけ波鳥はやんわりと口を開いた。
 誰にでも、譲れないものはある――どちらが間違いだとも、言い難い。
 だが、このままでは二人は二度と、心を通わせる事はないかもしれない。
 そして――きっと彼は受け入れてしまうだろう、これが、愛する人を守るためだと。
「忘れられず 幼き契り わが心 君忘れずば みゆ事願ふ」
(幼い契りが私には忘れられません、あなたも忘れていないのならまた会える事を願っていて下さい)
 出せなかった歌は、冷たい空気に消え。
 それよりも冷たく、凍えてしまう心を抱えて、伊鶴は低く呻いた。


■参加者一覧
佐久間 一(ia0503
22歳・男・志
菊池 志郎(ia5584
23歳・男・シ
井伊 沙貴恵(ia8425
24歳・女・サ
雪切・透夜(ib0135
16歳・男・騎
ジークリンデ(ib0258
20歳・女・魔
長谷部 円秀 (ib4529
24歳・男・泰


■リプレイ本文

●寄木細工の思い
 人は生きる上で様々な思想や信念を持つ。
 時として思想がぶつかり合い反発する事もあれば、逆にまるで前世からの盟友であるような錯覚を覚える事もある。
 だが、思いの丈が強すぎれば――。
 それは、自身を、そして他者を傷つける諸刃の剣となる。
「強き思いは時として、人の道を妨げてしまいます」
 依頼を受け、お二人と会うのは初めてですね、と氷のように透き通った笑みを浮かべたのは、ジークリンデ(ib0258)だ。
 考えに優劣は付けられぬ、誰が悪いのでなく、自分の真実の心に気づかせること。
「それが一番、大事なのではないでしょうか?」

 頑な心は鎧
 傷つくのを恐れ強くあろうと思う心の現われ
 大切なのは心
 頑な強い心の内にある
 至純の心

 歌うように紡がれる彼女の言葉は、肩入れをせぬ傍観者的な立場からこそ、言える言葉だろう。
「伊鶴さんの気持ちも有為さんの気持ちもわかりますが……どちらも独りよがりになっているようにも思えます」
 同じく、どちらかと言えば、或いは常に傍観者的な立場を取る長谷部 円秀 (ib4529)は口を開く。
 肉親同士の衝突は何時の世も、存在するものではあるが――それは尤も悲しいものだろう、その悲しみすら、自分は持てないのだけれど。
「(私は天涯孤独の身……その悲しみすら)」
 力強さを感じさせる横顔に、憎しみにも似た影が宿る。
 ――嗚呼、今回の出来事に思うのは、同情か、それとも嫉妬か。

「どうして、こう、昔を思い出すのやら――……」
 灰色の空から深々と降り積もる雪、その雪を片手で受けとめて、雪切・透夜(ib0135)は苦笑とも、憐憫とも取れる表情で言葉を紡いだ。
 振り返る過去は、あまりに苦く、膿んだような痛みがある。
 それは、時折、冷酷に痛みを発して、存在を告げるのだ――忘れるな、忘れるな、と。
 その痛みを抱えているからこそ、繰り返してはいけない、強く思う。
「(まあいい、自分の事など些末。大事なことは、二人の仲を取り持つことだ)」
 雪の中に立つ女性は、冷酷な雪の女王の如し……開拓者の説得は、届くのだろうか。

「俺は、後から行きますね。有為さんと二人で、お話をしてみたいと思います」
 一緒に行きますか?と言う問いかけに、穏やかな表情でゆるり、首を横に振った菊池 志郎(ia5584)の番傘に積もる、雪がハラリと落ちた。
「では、自分達は伊鶴さんの説得へ……と言っても、話を聞くだけになりそうですが」
 相手の説得の為には、まず、相手を知らないと――佐久間 一(ia0503)は、ゆっくり振り返り、家紋の入った派手な牛車を目にして苦笑した。
 その横では、同じく家出少年である、花菊亭・伊鶴(iz0033)の説得に当たる井伊 沙貴恵(ia8425)が、頬に手を当てため息をついた。
「流石に、大ごとになると――帰り辛いわよねぇ」
 それでも、眼鏡の奥の瞳は優しげな色を湛えていた、絶対、連れて帰って下さいね、と侍女や侍従達が口を揃える。
 か弱い方ですから、と男を評価するには居た堪れない評価を口にしながらも、どうやら愛されているらしい。
「ええ、一緒に戻ってきますよ」
「うーん、伊鶴くんの評価がわかるわね。でも、牛車はいらないわ」
 歩きながら、話す事もあるでしょうし……井伊の言葉に頷いた、御者が、頭を下げて牛を操る。
 ノンビリとした動きで、牛が歩む、首をフリフリ、主人たちの思いなど知らず。
 さあ、大ごとになるまでに、行かなければ――佐久間と井伊は、顔を見合わせて苦笑した。

●思い患い
 お茶会の用意を、と口を開いたのはジークリンデだ。
「(美味しいお茶は、気持ちを落ち着かせてくれますし)」
 伊鶴が帰って来る時も、口実にすれば帰ってきやすいだろう。
 ジルベリア風の習慣に、侍女は瞬いたが直ぐに頷き厨房へと引っ込んだ。
「はじめまして、有為様。私は、ジークリンデ・フランメ・ケリンと申します」
 ドレスのすそを軽く上げ、頭を下げたジークリンデの艶やかな銀髪がふわり、と揺れた。
 その品のある動きに、高貴な身分の女性である事を、有為は理解する。
「はじめまして。長谷部 円秀です」
 続いて挨拶を述べた長谷部に、武人としての内面の強さを感じ、ほう、と有為は口を開いた。
 決して、武に明るいとは言い難いが、それなりに強い、人物であれば屋敷にもいる。
 見る事のみ、であれば――彼女とて場数を踏んでいた。
「お久しぶりです、有為さん」
「ああ、雪切とは久しいな。改めて、花菊亭・有為――現当主、鵬由の嫡女にあたる」
「侍女の秋菊です」
 挨拶が終われば、すぐさま開拓者達は、説得へとかかる。
 この、苛烈な女性の性格を見れば、長々と世間話をしても、意味がないように思えた。
「有為さんが、家を大切にしている事も……その立場の重みも、分かっているつもりです」
 初めに口火を切ったのは雪切だ、有為がどれ程、家の為に尽力したか、そして――伊鶴の頑張りも見ていたからこそ、彼は口を開く。
「ただ、伊鶴さんも、家族や想い人の為に、奮闘してきました……今回も、想い人と家の間で、揺れているんだと思います」
 無言で続きを促す有為、それを感じとって雪切はある提案を口にする。
「伊鶴さんの思い人を、有為さんの母親の家に養子縁組をしてもらって結婚する――と言うのはどうでしょうか?」
 この点については、長谷部も同じ意見らしい。
「確か、問題は家柄ですよね。それならば、問題ない家の養子に入ればかなり解決できるかと」
「僕は、有為さんの母親の家に養子縁組をしてもらって結婚する、と言うのを考えています」
 当主不在で終わるよりも、妥当でしょう、と言いきれば、有為は暫し、考え込む。
 ――志体を持っていると言う、強み。
 そして家の格は、母方の方が下、現当主である父の場合は土地が目当てだったが――それも、近いうちに伊鶴のものとなるであろう。
 それは、母方に養子縁組をしてまで、欲するべきものか。
 ……それに、側室に殺された正室の娘、縁起が悪い。

 彼女は気付かない――その頑なな意志が、何時しか人間をただの手駒として見てしまっている事に。

 自然と眉根を寄せる有為に、ジークリンデが侍女の運んできた緑茶の香りを楽しみながら、口を開く。
「有為様にとって、伊鶴様は、どんな方ですか?そして、家の事は――?」
「――伊鶴は、大切な、跡取りだ。家については……今は落ちぶれいているが、この先、私が花菊亭家を再興して見せる。その為の砦だ」
 長谷部の中で、湯呑みがパリン、と哀しい音を立てて割れた。
「有為さんが、家の再興を第一にしているのは理解しました。しかし、それは家族を犠牲にしても達成しなければならないのかと疑問に思います」
 自分が得る事の出来ない家族、天涯孤独の身であるからこそ――彼には理解出来なかった。
 家族よりも、家の復興を願う、有為の想い。
「家の前に家族があるのではないか、家族が家を構成するのではないか。家族という強い繋がりを、何故に自ら蔑ろにするのか」
 疑問に思います、と強い語調で続けた彼の瞳には、羨ましさ、或いは憎しみに近い光が宿っていた。
 決して掴みかかるでもなく、怒鳴るでも無い……粗ぶる心は、自身の強靭な精神力で抑えつけ、長谷部は伝える。
「私に家族はいません、だから、家族がいる有為さんが羨ましいです。それを蔑ろにしかけている有為さんが許せない」
 仲直りして下さい、と続けたのは、羨ましさからか、それとも同情からか……彼にも把握しきれてはいないのかもしれない。
 感情と言うものは理性のたがを軽く取り払い、行動に移す。
 殺気は感じないものの、鋭い感情を警戒してか秋菊は有為を守る位置に立ったが、有為は表情を変えず長谷部へ視線を向ける。
 その瞳は、妙に冷静で何処か、憐憫すら含んでいた。
「――妬ましいか?」
 挑発に似た問いかけ、二人の瞳に激しい感情が宿る前に、ジークリンデが口を開いた。
 鈴の鳴るような声で、あくまで穏やかに。
「小さい頃の夢や、小さい頃の家族への思い、楽しかったこと、嬉しかったこと――思い出せませんか?」
 唐突な問いかけに、有為は瞬いた後、遠くを見るような瞳をして、そして目を閉じた。
「……私は、お祖父様に喜んで欲しいのだ」
 父は家庭を見ず、外の女を欲し、母は伊鶴にかかりきりの中で――祖父だけが、拠り所だった自分。
 だから、お祖父様の夢を成し遂げたいのだ、続けた言葉と、その過去を握りつぶしてしまいたいと言うようにきつく、握り固める拳。
「(有為さんの、お祖父さんは……)」
 雪切が想いだすのは、彼女が知った、祖父が母方へ告げた言葉――女ならば、殺してしまえと。
「それでも、お祖父様が私にくださった居場所は、変わらないのだ」
「……その為に、今、生きている方を失っても、ですか?」
 長谷部の問いかけに、有為は困ったように笑い、そして目を伏せた。
「――甘えだと、幻想と知っても、動けないのは何故だろうな」

●想い煩う
 白く雪が降り積もった丘に、伊鶴と波鳥は腰かけていた。
「涙花、喜ぶだろうな――」
「その前に、風邪をひいちゃうわよ」
 顔を覗かせた井伊に、驚いて目を見開く伊鶴、わぁ!と、上げた声に、失礼しちゃうわ、とクールな美しさをもつ女は笑った。
 ふわり、掻き揚げた黒髪が風になびく――ジークリンデが聞きだした、居場所、そこにやはり、伊鶴と波鳥の二人はいた。
「あけましておめでとう。久しぶりですね」
 苦笑しながら近づく佐久間に、お久しぶりです、と慌てて立ち上がった伊鶴と、その横で頭を深く下げる波鳥。
「伊鶴様、私は暫し、下がっております」
 主人の意を察したのか、下がった波鳥を見送り、さて、と二人の開拓者は伊鶴に視線を移す。
 何を言われても大丈夫なように、と心構えでもしているのだろうか?
 いつも、穏やかな表情を浮かべている少年にしては、硬い表情だった――うっすらと警戒心を感じる事も出来る。
 聞く耳があるか、それが、この状況を打破するのに大切なものだろう。
 幾ら、説得しても伊鶴自身に、聞く耳が無ければ、意味など無いのだから。
「(頑固な所は親譲り……という事ですかね)」
 少し、元気がないかな?と思いながら佐久間も隣に腰を下ろす。
 それに倣って、井伊も腰を下ろそうとした時に、わぁ、とまた声を上げる伊鶴。
 慌てて羽織りを雪の下に敷いて、彼女の座る場所を設けた――何度も声を上げる事はないんじゃない、と思いつつも、背伸びした気遣いが嬉しくて、井伊も笑みを浮かべる。
「ありがとう、伊鶴くん」
「あ、はい!当然ですから――で、あの」
 喧嘩した事、バレてますよね、と自分の足元を見ながら、口を開く。
 まるで、幼い子供のような仕草だ――怒られると思っているのか、確かに飛びだしたと言う事は、褒められる事ではないが。
 少しの間、からかってみたい気もするが、どんどん落ち込んでは可哀相だ、とばかりに佐久間がまず、口を開いた。
「……きっと良い人なのでしょうね」
 その言葉に、ピク、と反応する姿は、正に恋する少年。
 話をし易い環境を、と敢えて伊鶴の方を見ず、彼は耳を傾ける。
「は、はい!凄く、守ってあげたくなる方なんです。僕の隣で、微笑んでいて欲しい」
 とても小さな時に、約束したんですよ、そう言って伊鶴は笑う。
 きっと、その誓いが永遠に有効だと信じているのだろう……一途な、そして周囲を見る事のない瞳。
「しかし、今、婚約の話を進めるのは些か、急ぎ過ぎではないですか?」
 首を傾げる伊鶴に、ふわり、と揺れる雪を見ながら佐久間は口を開く。
「話を進めれば、お互いに不幸になるかもしれません。家族の間に溝ができるのも避けられないでしょう――それは、貴方も望まない筈です」
 その言葉に、伊鶴はコクリ、と頷いた。
 その奔放さ故に、無茶な事を行ってきた少年ではあるが、決して家が嫌いと言う訳ではない。
 板ばさみで、揺れているのだろう、自分が出来るのは、些細な事かもしれないけれど。
「ならば、そういった政治的な結婚を必要としない位に、花菊亭を大きくしてから娶れば良いじゃないですか」
 佐久間の出した結論は、無謀とも言えるような乱暴な理論だった――策を弄する訳ではない。
 ただ、単純に貫く拳の方が、時には強い事もある……だが、それは途中で潰える可能性も大きい。
 結婚と言う策略を用いず、家を復興させる――恩恵に惹かれて集まる輩も多ければ、妬みにより、牙を向く輩も多いだろう。
「それまでは他の縁談を断り続ける、と――ずいぶん乱暴な理論ですがね」
 その事は、口にした佐久間自身も理解している、だが、今まで関わって来たこの少年の気質を考えれば、諦めろと言うのも、捨ててしまえと言うのも難しいような気がした。
 先の険しさを思い描いたのか……もしかしたら、希望だけしか見えていないのかもしれない。
 だが、伊鶴は笑顔を浮かべる。
「そうですね……それなら、姉上も納得してくれる、かな?」
 万事解決ですね、と想い人のところへ、と立ち上がった伊鶴を、待って、と井伊が引き留める。
「じゃあ、私からは少し厳しい事を――境遇に反発して、家を飛び出した私が偉そうに言えた義理じゃないけど」
 茶目っ気を利かせて、笑みを浮かべた井伊に、とんでもないです、と律儀に返事が返って来た。
 これならば、聞いてくれそうだ……井伊は、はぁ、と息を吹きかけて赤くなってきた指先を温めつつ、覚悟はある?と問いかける。
「伊鶴くんの望む形を求めるのも、個人的には良いと思うけれど、その為にはそれ相応の『覚悟』が必要だと思うわ」
 多かれ少なかれ、変化が生じる時にはそれなりの代償を必要とする。
 傷つく事も少なくはない――痛みは鋭く、心の弱い所を容赦なく抉っていく。
 大切な、想い人が傷つくかもしれない、それを守っていけるのか――。

『こんなはずではなかった……』

 それでは、済まされないのだ。
 冷たいようであるが、甘やかすだけでは成長しない……それを良く分かっているからこそ、彼女は敢えて辛い現実を突きつける。
「想い人を正妻に迎えるとしたら、有為ちゃんの言うように家の格が落ちてしまうかも知れないわね」
「家の格、それは、そんなに大事な物なのでしょうか?」
「今は、そう思うかもしれないけれど。今、こうして仕えてくれる人がいて、大きな家を持って。そうやって暮らせるのも、家の格や歴史のお陰ね」
 理解しているのか、していないのか――それでも、理解してくれると信じて、ゆっくりと彼女は続ける。
「家の者全てが相応の評価を受けるでしょう、有為ちゃんの願いも虚しくなるでしょう。お嫁さんに対する目も相応のものになるでしょうし、そうなったら伊鶴くんが、責任を持って治めなくちゃいけないわ」
 それが出来るのか、と。
 今まで守られて来た少年には、あまりに難しい事なのかもしれない。
 傷つく前に――そう、有為は言ったという。
 どちらの痛みを心配しているのかは、わからないが……だが、痛みを恐れて遠ざけるよりも、井伊は伊鶴を信じる方に賭ける事にした。
「おそらく、零以下からの出発になるかも知れない。それでも『やってやるんだ』って覚悟がある?」
 暫く、伊鶴は逡巡しているようだった。
 何度も何度も、口の中で言われた事を反芻し、少し考えて、また、反芻する。
「僕は、辛いのも、哀しいのも嫌です。でも、あの方の事も諦めたくないし、姉上や、涙花が悲しむのも嫌です」
 座敷牢に閉じ込められたまま、一生を過ごす筈だった妹の涙花、彼女と父が和解した時の喜び。
 色々なわだかまりがあって、それでも、母方が協力してくれる、と結論が出た時の喜び。
 そして、記憶を失くしてしまった時の、有為の居た堪れない姿。
 ――二つの家の合間で、消えてしまった命や、人の道を外れてしまった命。
「でも、皆がいるから……それに、井伊さんや、佐久間さんも応援してくれる――んですよね?」
 満面の笑顔で言い切った少年に、佐久間と井伊は顔を見合わせる。
「そうですね、伊鶴さんが頑張るなら。家族と愛する人。両方を取るのは難しい…が、やってやれない事は無いはずです」
 死ぬ気になれば、大体の事は出来ますよ――と佐久間の言葉に、伊鶴の視線が綺麗に手入れされた佐久間の刀に落ちる。
 彼等は、開拓者だ……死地へと向かう可能性も高く、自分達よりも危険に遭う可能性が高い。
「私は応援するわよ。でも、自信がないなら他の道を考えた方がよいかも知れないわね」
 井伊の手元にも、得物は握られていて――伊鶴は開拓者として、二人の出来事を想像してみようとしたが、上手くは行かず。
 それでも、二人が心強い味方である事は理解できる。
 バタン、雪の上に倒れるように仰向けに寝転んだ伊鶴は、驚いた二人の表情をしっかり見てから、不意に起きあがる。
「どうしたの、伊鶴君?」
「具合が――?」
 いつの間にか、隣に控える波鳥を見、そして、彼は口を開いた。
「皆さんがいるって考えると、何でも出来そうな気がして。皆さんが頑張ってるのに、僕が逃げちゃ、駄目ですよね」
 聞いてくれて、本当に嬉しかったのだと、彼は語る。
 きっと、自分達じゃ、意固地になってしまうから――。
「じゃあ、帰りましょうか」
 佐久間の言葉に、少年は頷いた……そして、願うのだ。
『僕も頑張りますから、皆さんも、絶対に帰ってきて下さいね』

●寄木細工のその中身
 弟の方はアッサリと、気持ちの整理を付けたようだが――姉の方はそう簡単には、いかないらしい。
「お久しぶりです、有為さん」
「ああ――」
 顔を覗かせた菊池に、心在らずの様子で有為はいた。
 既に、茶器は下げられて、縁側で彼女は降り往く雪を眺めていた。
 その横顔に、深い苦悩を読み取り、菊池はゆっくりと番傘を畳むと、失礼します、と縁側に座る有為の隣に腰かけた。
「悩みは尽きぬものですが、もう少しだけ、伊鶴さんを待って頂けないでしょうか?」
 今回の出来事は、現当主である彼女達の父の奇行を受けての行動だったのだろうが――あまりにも、性急すぎると言えよう。
 元より、手段を選ばない人物である、とは認識していたが急ぎ過ぎている。
「このまま、相応しい家柄の方を伊鶴さんの正室に迎えたとしても、夫婦が心を通わせることはまずないでしょう」
 菊池が語るのは、過去の再来……有為の存在理由を揺るがす事となった事実、夫に疎まれる妻と、冷え切った両者の関係。
 ――互いが、政治的な手札としてしか、認識されない未来。
 それでも、それは貴族の、或いは自分達の中で『当たり前』の未来で、そこに疑問を挟む余地は全くない。
「確かに、今のまま伊鶴と別の家の姫を結びつけても、両者の仲は冷えたままかもしれない……だが、早く手を打たなければ」
 今の家も、家族も、全てを失う可能性があると、彼女は語る。
「思いの他、私達の敵は多いのだ。此れもお祖父様の業、ならば花菊亭家の業だろう」
「――だからこそ、有為さんと伊鶴さんが今、仲互いしてはいけないのではないでしょうか?」
 大切な存在を守る為に、苦労は厭わないでしょう――。
 その言葉に、確かに、と彼女は微笑んだようだった……遠く、見ているのは幼い時の自分達であろうか?
「……伊鶴さんにより肩入れをしているわけではありません。ただ、今無理に想いを断たせたら、彼はあなたにずっと、わだかまりを持ったままになってしまう」
「だろうな――だが、それでも」
「俺は、有為さんに一人でも多くの理解者が増えてほしいんです。伊鶴さんや涙花さんだけでなく、あなたにも幸せになってもらいたい――だから、味方を減らすような、自らを傷つけるようなことはしてほしくないのです」
 そう言えば、と先程、長谷部の言った言葉を思い返す。

『家族を大切にしてください。でないと、貴女が悲しすぎます』

 彼女には、理解出来ないでいた――何故、赤の他人である開拓者達が、此処まで自分達を理解しようとするのかを。
「私には、自分の幸せがわからないのだ」
 振り返ってみれば、何時の間にか1+1が、2であるように、頑なな意志と共に結び付けられた自身の幸福。
「今から、見つけても遅くないと思います……それに、今、有為さんが一人で頑張るよりも、伊鶴さんと、皆さんと協力して、と言う方が全員、納得出来る筈です」
 無力な自分の手に視線を落とし、有為は思考を巡らす。
 今、急ぎ過ぎているのは自覚している――だが、祖父の思いを捨てられない。
 しかし、伊鶴にも傷ついて欲しくはなくて、だから、思いが膨れる前に諦めろと。
 全てを守れるような、強い人間になると。
 そう、決めていたはずなのに、守りたいものは手からこぼれおちて、知らないうちに傷ついていく。

『お前は男児でないのだから、せめて花菊亭に有利な存在であるように』
『はい、お祖父様』

 自らの名前に、込められた思いは――全て花菊亭の為、ひいては伊鶴の為。
 なのに、何故、彼等は自分の幸福を願うのか。
「開拓者と言う人種は、不思議だな。少なくとも、貴公達は」
 唐突に不思議呼ばわりされて、菊池は瞬いた……不思議も何も、知っている人物が苦境に陥っていれば、手助けしたくなるだけで。
 はぁ――と、気の抜けたように返事をするしかない彼を余所に、有為は座っていた縁側から立ち上がる。
「とりあえずは礼を言おう。――まだ、お祖父様のやり方も、完全に棄ててしまう事は出来ないが」
 眉根を寄せて、怖いのだ、と有為は語る……頑なに生きてきたからこそ、変化に弱い。
 耐え忍ぶ事は出来ても、上手く立ち回る事が出来ない――何時の間にか、そう、変わっていた自分。
 迷いをまだ、その表情に見たものの、これなら大丈夫だろう、と菊池も判断して番傘の雪を払う。
 冷たい風に晒された所為か、指先が赤くかじかんでいた。
「では、屋敷の厨房と、涙花さんをお借りしても宜しいでしょうか?」
 伊鶴さんも、帰ってきた時にはきっとお腹を空かせてますよ……その言葉に、少し笑みを見せて、有為は頷く。
「そうだな、帰って――ああ、泣いていないといいのだが」
 そう言えば、と続いた言葉に、菊池と、雪切、ジークリンデ、そして長谷部も有為に視線を移した。
「伊鶴と涙花が、笑っている場所が欲しかったんだ、私は」
 だから――父が、罪を犯した義母が、憎くて仕方がないのだ、何故か、晴れやかに、彼女は嗤う。

●思うところはあれど
「お久しぶりですの。お二方ははじめまして」
 琴を片付けた、花菊亭・涙花(iz0065)は現れた開拓者達に、笑みを向けた。
「元気だった、涙花?」
「はい、雪切様も元気そうで、良かったです」
 ペコリ、頭を下げれば全て理解していたのか、ぽてぽてと厨房の方へと向かい始める。
 まだ、外を知らない涙花に、雪切が話すのは、ジルベリアのクリスマスや、雪渓の美しさ。
 新しいスケッチブックに追加された、樹氷の不思議さ。
「涙花様、開拓者の皆さん、ご飯が炊けましたよ」
 厨房では慌ただしく、ご飯が炊かれて、焼き魚が香ばしく焼きあがる。
「ハート型などは、可愛らしいかしら」
 およそ、お握り作りなどやった事のないであろうジークリンデであるが、可愛らしいハート型のお握りを作り、ご満悦だ。
 その横では、相変わらず料理が上達しない雪切が、何度目かのお握りを粉砕していた。
「雪切様、優しく、ギュッとするといいですの」
 手をくの字にして……と、以前覚えたおにぎり作りのコツを、口にしてみて。
「うん、そうなんだけどね――その、ギュっと言う力加減がわからなくて」
 微笑ましいやり取りにクスクスと笑みを零しながら、菊池と長谷部が手際よく鮭を焼いていく。
「この包丁、良く切れますね……」
 趣味が料理、と言うだけあって包丁にもしみじみと語りかける長谷部の姿は、先程、激しい感情を以って有為に対峙した人物とは、到底思えない。
 あら?と首を傾げたジークリンデが、その手を覗きこんだ……当然ながら、破片で傷ついた手である。
 使った魔法は、レ・リカル――白の恩恵が傷を癒す。
 心の傷も、こうして魔法で治れば、楽になれるのだろうか。
「ああ、ありがとうございます」
「痛いの痛いの、飛んでいけー、ですの」
 きゅ、と長谷部の手に涙花がハンカチーフを巻きつける、当人曰く、応急処置の勉強も頑張っているらしい。
 後は――伊鶴と、佐久間、そして井伊の帰りを待つだけだ。

 一方、少し時は遡って。
「微笑みの温かさ、と言うんでしょうか。すっごく素敵な方なんですよ」
 十分に回復した伊鶴は、喜々として惚気話を語っていた。
 主に、被害に遭っているのは佐久間で、井伊は何処か楽しそうだ……女性と言うものは、好いた惚れたの話が好き、ではあるが。
「素敵な方なんですね――」
 最早、相槌をところどころ打つしか、選択は残されていない。
「僕を支えようと、あの方も頑張っている、と聞いて。僕も、頑張らなきゃって」
 本当、父上を見習って、あの方を攫おうかと思いました――なんて、聞き捨てならない言葉まで含まれている。
 曖昧に頷きながら、最早苦笑しか出て来ない佐久間に、お疲れ様です、と言うように波鳥が視線を移した。
「でも、皆さんが聞いてくれて、良かったです」
 一人だって思うと、辛いですよね、と笑った伊鶴に、そうね、と井伊は相槌を返して。
「有為ちゃんの事も、守れるようにならなきゃね」
「――はい!」
 ふらり、家の前まで戻って来てみれば、何処か所在なさそうに立っている有為がいて。
 苛立っているのか、何度も石畳を足で叩いている。
「…………」
「――さて、伊鶴くん。逃げないでお話ししましょうね」
 くるり、と背中を向けた伊鶴にため息をつきつつ、井伊が口を開いた。
「う、そうですね……姉上、僕、頑張りますから」
「中に入りなさい。冷えただろう――貴公達も、ご苦労。涙花達が、食事を作っているようだ」
 伊鶴の言葉に、あくまで尊大に返したのは姉としての矜持か、それとも素直になれない性格ゆえか。
 佐久間と井伊、苦笑を零して、伊鶴を促し、中へと入る……食欲を誘う匂いが、鼻孔をくすぐった。

 沢山のお握りが、食卓に並べられている。
 食事を別々にする習慣を付けると、次第に話も出来なくなるから――そう言って、全員で食事をとるように促した菊池。
 それに異を唱える理由はなく、ただ、気まずさが辺りを包みこむが。
「このお握り、涙花と頑張って作ったんですよ」
「ハートの形のは、私が作らせて頂きました」
 雪切とジークリンデが口火を切り、やがて、伊鶴がお握りに手を伸ばす。
「美味しい!あ、僕の好きな鮭」
「良かったですね――有為さんも、どうぞ」
 お握りを口いっぱいに頬張る伊鶴を、諌めようと口を開きかける有為だが、その前に佐久間に薦められてお握りに手を伸ばす。
「――美味しい」
「良かったですの」
「じゃあ、頂きましょうか」
 お茶を持ってきた、菊池が皆を促して、全員でお握りを口にする。
 優しく、そして懐かしい味をしていた。

「弟君の反抗は成長の証であり、喜ばしきこと。徳行を積み重ねれば自ずと人は集まり家は興せるでしょう」
 ジークリンデと、有為が北面の情勢について難しい顔で話し合う。
「道を拓き夢を為すのは、有為様であり伊鶴様です」
「ああ、その点については、父や分家とも話し合っての判断になるな」
 完全に、その妄執は取り除かれてはいない――だが、少々頭の冷えたらしい有為は、軽く息をついて目を閉じる。
「有為ちゃん、眉間にしわが寄っちゃうわよ」
 ここ、と井伊に眉間を突かれて、慌てて瞬いた有為、流石にしわがよるのは嫌なようだ。
「涙花に提案なんだけど、僕の友人の拠点に、遊びに来る?」
 どうかな、と誘った雪切に、楽しそうに涙花が頷いた。

●今は只、きみを……
 時は過ぎ去り、帰って行った開拓者を見送って、伊鶴が文をしたためる。
『降り積もる 雪ふみ通い 夢路にて きみに逢わんと 思い煩う』
(夢路の中でも、雪と言う障害は私の文―踏み―を止めようとしますが、あなたに逢おうと苦しみあがくのです)
「今まで、出せなかった文ですが――どうか、貴方に届きますように」
 出せなかった文を収めている文箱、これはもう、一杯になってしまっている。
「花菊亭家の、跡取りとして、貴女に」
 桃色の硝子細工の簪を贈り物に、文を添えて、伊鶴は想いの君へと送るように命じるのだった。