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■オープニング本文 ●五色の歌 薄暗い石で囲まれた部屋の中、有為は石に身体を凭せ掛けてその歌を口ずさんでいた。 「黄泉の嫁さ 白無垢で 赤い頬紅 青い肌 黒い髪が艶やかに 誰そ彼とて聞いたとて 答える口は ござりゃせぬ」 ずっと繰り返し歌う歌は、この街の子供が歌っていたわらべ歌、やる事が無く、閉じ込められるだけでは直ぐに参ってしまう。 小さく口ずさみながら――ぼんやりと意識を巡らせた。 祖父は、殺したい程自分を憎んでいた――それは、確かに事実、だが今更、引き返す訳にはいかなかった。 「お祖父様の遺志は、受け継がねばならぬ‥‥だが、広川院が邪魔だな」 今後、和解するのは難しすぎるだろう――互いの家は友好を結び、そしてどちらかが裏切り今に至る。 「――やはり母上の方とは和解をしておきたい」 協力を仰げそうな貴族、広川院と手を組んでいない者を記憶の底から引っ張り上げながら、目を伏せた。 広大な土地や収益、書類上は全て伊鶴の物だが――人の心までは操れない、もし、敵方の貴族と手を組めば‥‥? 「恐れている場合ではない、直ぐにでも手を打たねば‥‥使いと、馬車を出してくれ」 馬車が走る、相手を刺激しない為に、伴は少なく――だが、其れが命取りになった。 そして、今。 どうやら自分への恨みは深いらしい、粗末ですが、と差し出された社の巫女の接待を受け。 意識を無くし――今に至る、どうやら何処かに運び込まれたらしいが、何処なのかが見当もつかない。 伴を付けた筈だが、彼等とて生きてはいないだろう。 口外されてしまえば、此処で緩やかに殺す――と言う目的が成立しなくなる。 幾ら志体を持っているからと言って、飲まず食わずなら徐々に衰弱し、餓死するのは見えていた、いや、その前に窒息死か。 不可思議な‥‥甘ったるい臭いがするような気もする。 グルリ、グルリ、顔は判別できないが『誰か』が大鍋をかき混ぜているのが見えた――それと同時に、此れは自分の記憶だと言う事を判別する。 ――毒。 思い当たれば、毒霧を吸い込まぬように口元を押さえた。 村の周辺は予め、見ていたが確かこんなものは無かった筈――なら、地下かもしれない。 緩慢な動作で周辺を見まわし、ため息を吐く‥‥石を押してみるが、動く事は無く手を傷めるだけ。 どうやら、此方側から出る事は出来ないらしい――そして、話は冒頭に戻る。 ●雨、降りしきる 濡れ鼠になった女性が、開拓者ギルドを訪れる。 その息は上がり、何処か熱っぽく体調を崩しているのは解っていた――だが、それを気にも留めず彼女はすっぽりとかぶった布を解き口を開いた。 「主が捕らわれました。その救出を依頼したい、出来るだけ迅速に動ける方をお願いします」 女性、秋菊は凛とした声で告げる――警鐘は未だ、彼女の中に鳴り響いて。 一番の親友、そして一番の主‥‥あの時、その手を差しのべられてから、ずっと傍にいたのに。 後を追いかけ、身分を欺き聞いてみれば何処かに捕らわれ――詰めよっても、誰もそれ以上は口を開かず。 渡された手がかりを手に、秋菊は唇を噛みしめた‥‥試されているのか、馬鹿にされているのか。 人の命を弄ぶな、とはもう言えなかった‥‥付いていく、その意志を固めてからは。 ただ、降りしきる雨に希望がかすんだようで――願う、どうか、無事であられますように。 |
■参加者一覧
井伊 貴政(ia0213)
22歳・男・サ
佐久間 一(ia0503)
22歳・男・志
安達 圭介(ia5082)
27歳・男・巫
菊池 志郎(ia5584)
23歳・男・シ
雪切・透夜(ib0135)
16歳・男・騎
ルヴェル・ノール(ib0363)
30歳・男・魔
紫焔 鹿之助(ib0888)
16歳・男・志
蒼井 御子(ib4444)
11歳・女・吟 |
■リプレイ本文 ●籠の中の 体調の悪化に知らぬふりをして身体を起こした秋菊を、佐久間 一(ia0503)が片手で制した。 「必ず、助けます――全く、帰ったら説教ですかね」 そうですね、と難しい顔で首をひねる安達 圭介(ia5082)がため息を吐く。 「伴を控えての訪問‥‥相手を思っての行動だったのでしょうけど、慎重な直姫様らしくないとも思えるのは、まだあの方が不安定だからなのでしょうか」 「もしくは‥‥」 ‥‥自分を身代わりにするつもりだったのか。 言葉は不吉な音を持って地に落ちる、いつもの快活な表情とは違って暗澹とした瞳をした紫焔 鹿之助(ib0888)が呟いた。 「また家か。家、仇、怨恨、しがらみ‥‥鬱陶しい、馬鹿らしい、くだらない」 「落ちつきたまえ。有為を助けるのが先だろう」 「‥‥わかってるよ」 ルヴェル・ノール(ib0363)の言葉に、イライラと首を縦に降り紫焔が膝に爪を立てる――何か、変わった事は無かったかとの雪切・透夜(ib0135)の言葉に、秋菊は少し考え。 「いえ、ただ、酷く焦っている様子でした」 「何に、とかはわからないかな?」 ひょい、と顔を乗りだした蒼井 御子(ib4444)の問いかけに苦笑すると、ゆっくりと首を振る。 「問いかけてはみたのですが‥‥何も。あとは、いろは歌を」 「天儀の文化に精通している訳ではないが、それは聞いた事がある」 いろはにほへと ちりぬるをわか よたれそつねな らむうゐのおく やまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす 「私の考え方にも通ずるものがあるのでな。しかし、意図してか意図せずかは分らぬが、だが。――有為の奥山境越えて――本当に試練なのかもしれぬな‥‥有為よ」 ノールの言葉に、周囲を警戒していた井伊 貴政(ia0213)が飄々とした笑みを浮かべて言った、笑顔とは裏腹にその手は得物に添えられ一縷の隙も無い。 「どちらにせよ、最近会ってないし。ピンチだっていうなら尚更、駆けつけなきゃでしょ?」 「思い直したと思っていたのですが、有為さんを殺させるわけにはいきません‥‥大切な友人だと思っているだけじゃない。殺害まで行ってしまったら」 心は澱み歪み、前を向く事が出来なくなってしまう。 「必ず、救出します‥‥」 菊池 志郎(ia5584)の言葉に、安達も頷き返す。 「ええ、直姫様を連れ戻しましょう」 ゆっくりと降りては牛車が遠ざかるのを見送る。 「感情だけでは誰も救えない。その果ては、消えない後悔と自分への殺意だけ。俺とて――」 今は、耐えて下さい、雪切の言葉は初夏の風に散った。 ●何時何時出やる 人の多いところを担当するのは、井伊と安達、そして紫焔。 「お茶が美味しいですね」 「‥‥いいんでしょうか?」 茶屋で耳を澄ましながら、適当に注文すれば引きつった表情の安達が井伊へと問う。 「男三人で、何もしないと言うのも変でしょう。ああっと、鹿之助さんはまだ子供ですか?」 「てっ、大人ぶりやがって!」 蜜豆に口を運びつつ、周囲を見れば普通の町、という印象の他に何も言う事は無い‥‥村人はそれぞれに話に花を咲かせている。 『そう言えば、社のお方が随分憔悴なされて』 茶屋の娘が、華やかな笑顔を湛えた顔を覗かせ、熱い茶を入れ替えた。 変わった様子は無かった、襲ってくる様子も――勿論、襲われる様子も――あくまで穏やかな姿に違和感を覚えていつもより声を落とした口調で紫焔が口を開く。 「なぁ、これ‥‥有為の事、知ってんのか?」 「村人は関係していないのでしょうか?あの時も、首謀者は有為さんのお母様の周りの方だったような」 井伊が思考を巡らしながら、お茶を飲む――舌で確かめるようにしても、ただのお茶だった。 ――何も答えないと言っていた村人、どのように詰問したかまでは解らないが、知らないとすれば答えられないのも頷ける。 遠くから童歌が聞こえてくる――楽しげな少女。 「無邪気に笑う子がいるのに‥‥血に染めたくはないです」 ポツリ、と安達が呟いた言葉は確かに同意できなくも無かったが、立ちふさがるならその力で払いのける。 井伊はその言葉に頷く事は無かった。 「聞こえてくるな――ええっと」 紫焔がため息を落とし、歌を書きとめる――楽しげな少女は、ベニバナをクルクル回し。 黄泉の嫁さ 白無垢で 赤い頬紅 青い肌 黒い髪が艶やかに 誰そ彼とて聞いたとて 答える口は ござりゃせぬ 「んん?よみのよめさ‥‥ごめん。頭から聞かせて?」 少女の唄に興味を持ったのは蒼井、吟遊詩人なの、とハープを見せれば一緒に歌おうと手を引かれ。 「もー、仕方が無いなぁ!ええっとね――黄泉の嫁さ、白無垢で」 二人の少女が踊る、踊る、赤の頬紅、青い肌、黒い髪が艶やかに。 「この町特有の、童歌ですか?」 ベニバナの世話‥‥の、手伝いを成り行きでさせられながら佐久間は問いかける、虫を手で退けたり、悪い花をむしったり、肥料を蒔いても蒔き過ぎないように。 野良袴の格好が良かったのか悪かったのか、農作業には効率的だ。 「ぅん?」 「いえ、この町特有の、童歌なのか、と」 そうさねぇ――と、農夫は屈めた腰を伸ばして、周辺を見渡すと。 「わしゃ、休んでくるから其れが終わったら話してやるさ」 「〜〜〜〜っ!」 そんな時間は無いんですけど!とは言えずに、農作業に没頭する佐久間だった。 「昔から伝わっている歌でねぇ、なんでも流行病の時に作られた歌だってぇ話だ」 あんまり、はしゃぎ過ぎるんじゃないよ、と農夫の声の先には、蒼井と少女の姿、ベニバナを振り回しながらすっかり少女のペースに嵌まっている。 「病気のお嫁さんかぁ‥‥だから、黄泉?」 「もー、お嬢ちゃんったら。本当は結ばれたかった男の人と、結ばれずに死んじゃった女の人のコイを歌ってるんだよ!」 ぷっくりと頬を膨らませて、年下であろう少女は、ませた口調で私もこんなコイをすると言いきり。 「誰から、教えてもらったの?」 「おばーちゃん。もう、死んじゃったけど」 「あ、ごめん――」 咄嗟に謝った蒼井に、少女は笑って首を振り、蒼井の頭を撫でようと手を伸ばす。 「おっちょこちょい。でも、良い子良い子」 「いろは歌‥‥各色の上の文字、そして、五色の歌の色順に入れ替える」 手にしているのは、一つボタンをかけ間違えた服、そこに綴られた特殊ないろは歌。 えあやらよちい ひさまむたり青 もきけう白ぬは せ黄ふいそるに すめこのつ黒赤 んみえおねわへ してくなかと 『青の上は(い)赤の上は(に)黒の上は(る)白の上は(た)黄の上は(き)』 『五色の歌、(黄泉)(白無垢)(赤い頬紅)(青い肌)(黒い髪)――並べ替えて』 『答えは、きたにいる』 佐久間と蒼井は周囲を見回し、そして集合場所へと走る――辿りついた答え。 恐らく、他の開拓者も情報があれば答えに辿りついているだろう‥‥そのまま北の食料庫に向かっても良かったが。 「開け方が、分からない」 「今日は、旅人さんが多い日だねぇ‥‥美人に描けてるかい?」 「はい!」 人相書はやらないんだけれど――と思いつつも、穏やかそうな老女に捕まった、旅の絵描きに扮した雪切。 「織物が有名なのか――成程、それでベニバナがこんなに。だが、紅を取ると言う話も」 「ああ、昔はベニバナの残りかすでお洒落をしたもんさ」 ノールの言葉に、機嫌良さそうに呟いては老女は遠くを見る――社のある方角。 「そちらに、何かあるんでしょうか?」 ふらり、と現れた菊池に驚く様子も無く、老女はそうだね、と微笑した。 可愛い、孫なんだけれど――最近様子がおかしくて、と寂しげな表情を見せて、そして、目を閉じた。 「大切な何かが、誰かに壊された時。どうするかい、旅人さん?」 「――感情だけでは、何も救えない。俺は‥‥」 真っ先に口を開いた雪切は、これ以上を言い淀んで口を閉ざす‥‥老女は未だ、優しげに3人を見つめていた。 そこには憎悪などは感じられない、一抹の寂しさ。 「よぉく、覚えておきな。子供がね、親よりも先に死ぬのは、とても不幸な事なんだよ」 その瞳は、全てを見透かしたような――穏やかな色が宿っていた。 ――社、静謐とした境内。 「来ると、思っていました。此処に辿りつくと」 歩く度に鳴り響くのは、綺麗な鈴の音‥‥その瞳は閉じられ開く事は適わないのだと、その巫女は言った。 「単刀直入に聞きます、今回の、首謀者は」 「私です」 尤も早く乗り込んだ菊池が、社の巫女に問いかける‥‥どこか、確証染みたものがあった。 「私達を、試していた――その認識で十分か?」 黒衣を纏う魔術師に、社の巫女はええ、と微笑んだ。 その微笑は優しげでありながら狂気を滲ませ、そして驚くほど安らかに、口にする。 「私達は、まだ、思いこんでいるんです。彼女を殺せば、失った彼女が戻って来ると――そして、貴方達が『失ったとしたら』復讐を繰り返さずにいられるか。知りたいんですよ」 「知りたいが為に、このような事を起こしたと言うのなら――貴様等は彼女の祖父にも劣ると思うが」 す、と凍りつくような瞳で巫女を見た雪切が、一切の温かみを排除した声音で告げた‥‥憎むが故に、同じ物に成り下がるとしたら。 それはあまりに、救いようの無い御伽噺だ――憎悪であれ、陰謀であれ、やる事は同じ、有為の祖父――そこまでは窺い知れないが。 「私は所詮、異国の旅人に過ぎぬ」 パチパチと何処からか音がする、その不快な音と焼け焦げる臭いは、鼻腔の中に漂い死角と嗅覚を遮る。 「此れは、試し。本当に助けたいと望むのなら――歌を、囚われ人の名前を誰かが答えれば、扉は開きます。此処で、死を望むのならそれも構いませんが」 「‥‥決して有為さんの憎しみを彼女にぶつけても、傷は癒されません」 菊池が、軽く周囲を探り、最も火から遠く足場の安定した場所へ二人を誘導する――ガラリ、と崩れていく社。 狂気に触れた笑い声がずっと響き渡る、燃え盛る炎は狂気を呼ぶのだろうか――笑い声はやがて嗚咽に変わり、細く小さく。 「馬鹿な子」 すれ違う――老女が炎を見つめ、呟く――そして、中へ。 北、食料庫――少し前に時を遡り。 「印象だけで言うよ?開ける時に中の人に『名前』を聞いて貰える?」 ――誰そ彼とて聞いたとて、答える口はござりゃせぬ。 答える口があると、いいのだけれど‥‥呟いた不安は、良くない方向で的中したのか、それとも中には誰もいないのか。 「いや、心眼には反応してる。中にねーさんはいる――そして、ちゃんと生きてる。おい、姉さん、大丈夫か!」 心眼で中を探れば、確かに返ってくる生命反応、だが、その反応はゆっくりと小さくなっていくように思えた。 「周辺に、気になる人物もいないようです――自分達以外は、無人ですね」 佐久間の言葉に頷いて、じっくりと眺める開拓者達。 「属性攻撃で、開く扉でしょうか?姉上から聞きましたが」 井伊も首をひねりながら、思い付いた方法を巡らせる‥‥あーっ!と頭を抱えていた紫焔がいきなり吠えた。 「こうなりゃ、外からぶち壊すしか‥‥」 「お、落ちついて下さい――俺達が下手にやって、直姫様に何かあったら」 解術を試してみます、と印を組んだ安達は、跳ね返されるような違和感を感じてその手を止める。 ――誰が何をかけているのか、決して知識量は少ない方ではない安達にすら、この類の術は理解が及ばない。 「名を誇れ。自らの名乗りを上げ、意志を示せ!」 蒼井の霊鎧の歌が、強い精霊力を発して奏でられる――届かないかもしれない、が、何かせずにはいられなかった。 「でも、歌が呪なら、そこから外れる事にはきっと、意味がある筈」 「もう一度、解術の法を試してみます――」 安達が印を紡ごうとした時、遠くから反応を感じて、佐久間が警戒を促す――同時に現れたのは、走って来た菊池と雪切、そしてノールの3人。 「遅くなってすみません。‥‥名前を、中の人は、花菊亭・有為です!」 ●後ろの正面 滑らかな石がゆっくりと開いていく――遠くで、変わらず童歌は聞こえていた。 ぐったりと身体を横たえた有為は、意識が混濁しているのか呼びかけに返事は無い。 紫焔が裂いた布で清水を含ませ、毒をこれ以上吸わないようにと処置を行う、そして井伊と二人で肩を貸し、そのまま周囲に視線を巡らせた。 「さって、戦いに来たわけじゃなし、今の内に、後はにげるよーっ!」 再生されし平穏を奏でながら、蒼井と佐久間の二人が、大丈夫だと頷いて走り出す。 安全なところまで――開拓者達は駆けだした。 すれ違いながら、遅くなった理由とそして首謀者の話の情報を共有する‥‥首謀者が一人だとして、此処がバレてしまえば、また襲いに来る『誰か』がいるかもしれない。 ――結局、開拓者達が止まったのは合流地点、秋菊の牛車と待ち合わせている場所だった。 安達の解毒と神風恩寵、そしてノールのプリスターが効いたのか、直ぐに有為は目を覚ました。 「馬鹿野郎、何で大した護衛も付けずにこんなとこに来たんだよ!」 ガッと、肩を掴んだ紫焔に、も、もう少し穏やかに――と安達が付けたした。 「相手を逆なでする訳にはいかない。伊鶴が矢面に立つより自分が、と思ったのは偽りではないが――このような答えでいいか?」 淡々とした言葉に、更に紫焔が逆上し、まあまあ、と安達が諌める。 「秋菊さんも心配していましたよ。急いで帰ってあげませんと」 「――秋菊には、すまない事をした」 「すまないで済んで、良かったです」 「皮肉か?」 佐久間が笑顔でチクリ、と毒を放てば苦虫をかみつぶしたような表情で有為は答える。 「皆、心配してたんだよ」 蒼井が笑顔で、紡いでいた歌を止め、話しかけた。 「有為さん、心配したんですよ‥‥」 熱い抱擁でも――と腕を伸ばした井伊の自慢の赤い鎧にガッ、と有為の草履の痕が付いた。 「慎め、私は花菊亭家長女、直姫だぞ」 「容赦無いなぁ‥‥でも、それだけ心配だったのは本当ですよ。無事でいて貰わないと『直姫』と言うのなら」 ニッコリ笑った井伊に、全く、とノールがため息をついた。 「このような形で死なれると、困るのだよ」 「俺とかさぁ、俺だってねーさんが死んだら悲しいって」 「少しは、御身を大切にして下さい。大事と思う方の為に」 紫焔と雪切の言葉に、善処すると仏頂面で言い返し。 「浅き夢見じ 酔ひもせず。有為よ、夢は怖いか?」 諳んじた言葉、問いかけたノールに、有為は少し遠い目をして歌に心情を綴る。 「徒花よ 仇に変わりし 我が身なら 散華に倣う 菊と白鶴」 (実を結ばぬ自分が仇に変わるのなら 散華の様にこの身を尊き身に明け渡し 家と弟を見守りましょう) 「戯言だ、今回の働きには感謝する」 有為は、夜になり輝きだした星を見、そして口にした。 助けに来てくれて、ありがとう。 ――焼けおちた社、寄りそう母子の骸、ゆらり、灰が舞う。 |