【宵姫】雪解けを願い
マスター名:白銀 紅夜
シナリオ形態: ショート
EX
難易度: やや易
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/02/24 21:28



■オープニング本文

●煙る息
 2月、立春と言えどもまだまだ寒く、雪が世界を覆い隠す。
 言葉ですら、その雪の中に呑まれてしまいそうで――実際、飲みこんでくれればと願う。
「鈴乃――」
 目を隠されたとて、座敷牢に閉じ込められていたとて、分かる‥‥直感と言うのだろうか。
「姉上、は?」
 激しく怯えるような色を、鈴乃に見た気がして、花菊亭・涙花は震える唇を開く。
 何か、遭った‥‥それがひしひしと伝わり、ギュッと着物の裾を握った。
「わたくし、せめて外に出れないのなら――知りたいの」
 真実‥‥それは時に人を絶望へと陥れる、彼女の姉が、絶望の暗澹に飲みこまれたように。
 逡巡していた鈴乃であったが、やがて、意を決したように口を開いた。
「‥‥有為様は出生の際、母君が身ごもっていたややを殺め生まれた、その事に責任を感じておられるのです」
 ――命じたのが、有為の祖父である事は、告げず。
 策略の巡らされたこの、貴族の世界で涙花の心が軋まぬよう。
 座敷牢の中で、一生を終える‥‥花鳥風月、美しいものを目にし、そして感じて欲しいと鈴乃は思う。
 だが、それと同じくして、涙花が傷つくのが怖いのだ。
 ‥‥奇しくも、同じ事を思っていた人物が、この屋根の下にいる。

●凍える心
 深いため息を吐いた、初老の男。
 彼が花菊亭家当主、花菊亭・鵬由(はなぎくてい・ほうゆ)である。
 蝋燭が描く複雑な影、そして眉間刻まれた皺と、潰れた片目が彼を一層、老けて見せていた。
「篭りたる――」
 半紙が黒い墨を吸って文字を綴る。
『篭りたる 我が身あはれめ 往く鳥よ かひなには失き 霜枯れの妹』
 家に閉じ込められた私を、渡って行く鳥よどうか哀れんで下さい。
 愛した人は、冷たい霜に凍え、亡くなってもこの腕に抱く事は出来なかったのです――
 悲しげに、苦しげに乾いた唇が、歌を紡ぐ。
「どうか、あの子だけは――」
 男は目を閉じて、祈るように天を仰いだ‥‥浮かぶのは穏やかで優しい、金色の瞳。
「政略などに、巻き込まれぬよう‥‥」
 だが、それだけでは――あの美しい雪も、まばゆく輝く太陽も。
「父上‥‥」
 障子越しに、静かに声をかけたのは花菊亭家、長男にして跡取りである花菊亭・伊鶴(はなぎくてい・いづる)である。
「姉上の記憶も戻り、政務に復帰したいと‥‥後」
 逡巡の後、以前には見られなかった、強さを宿した瞳で、伊鶴は父を見た。
「詠まれた歌を‥‥拝聴しました。涙花は、外に出たいと――願っているのだと思います」
 屋内に咲かせた花は、太陽の光を浴びず‥‥屋外に咲いた花は、風や霜に襲われる。
 だが、風や霜が――花を強くし、実を付けまた、次の命へと繋ぐ。
「どうか、涙花ともう一度、お会いして下さいませんか?」
 涙花の思いを目覚めさせてくれた、開拓者の皆さんと‥‥。
『開?メ』の言葉に顔を曇らす父へ伊鶴は、誇らしげに口を開いた。
「僕も、沢山助けられました。志体の有る無しが、人の評価じゃないです!」
 沢山教えられた事、助けられた事、励まされ、褒められ、叱られ――伝える少年に、父は知る。
 知らぬ間に、育っていこうとしているのだと‥‥大きく羽を広げる、鶴のように。
「ああ、そうだな‥‥一度、だけなら」
 目がしらを抑えた父は、深く、頷いた。


■参加者一覧
佐久間 一(ia0503
22歳・男・志
礼野 真夢紀(ia1144
10歳・女・巫
水月(ia2566
10歳・女・吟
井伊 沙貴恵(ia8425
24歳・女・サ
リエット・ネーヴ(ia8814
14歳・女・シ
雪切・透夜(ib0135
16歳・男・騎
日和(ib0532
23歳・女・シ
紫焔 鹿之助(ib0888
16歳・男・志


■リプレイ本文

●深雪を往く
 深く積もった雪が音を吸い込むように、凛とした静けさを醸し出している。深雪を踏みしめる音は何処か深く、雪切・透夜(ib0135)は遠目に見える花菊亭家の家紋を視界に入れ、白い息を吐いた。
「涙花に逢うのも久しぶりか、元気にしているといいんだけど」
 穏やかに口にする雪切の横で、寒さにも関わらずピンと背筋を伸ばし、年相応の笑顔を見せるは紫焔 鹿之助(ib0888)である。
「うおー、積もってんな、雪、雪」
 木々から落ちた雪などを払って、中に入ればワクワクと待ち切れず、荷物を積み込む花菊亭・伊鶴の姿――おにぎりのにーさん久しぶり、と序でに、と付け足されて伊鶴は苦笑めいた笑みを浮かべ、視線を厨房へと向けた。
「やっぱり、つまみに行くと怒られますよね――」
「天義酒を熱燗で出せるよう薬缶とお酒入れる容器とお猪口、緑茶も一応お願いします」
 侍女と和気あいあいと話をしながら、天儀酒と薬缶を貰い厨房を借りて最後の準備を終えた礼野 真夢紀(ia1144)は顔を覗かせる。
「うん、準備は出来たかな」
 周辺の警戒へ、とふらりと消えた日和(ib0532)と入れ替わるようにして訪れたのは佐久間 一(ia0503)だ。
 ソリを伴い、荷物を乗せてはくるりと首を動かし、次を、と差し出す礼野の荷物を乗せていく。
「皆座れるよう厚めの敷物、下に敷くござ、念の為毛布、それと七輪2つに炭♪」
「準備万端ですね‥‥わだかまりを捨てて、楽しくいきたいものです」
 そうですね――と、頷いた礼野は姉達に思い馳せ笑みを浮かべると、モコモコになった涙花へ視線を移す。
「家族は仲がいいのが、一番ですの」
「お久しぶりだねぇ。涙花ね〜♪今日は目一杯、遊ぼう!」
 ギュッと、涙花に抱きついたのはリエット・ネーヴ(ia8814)だ、満面の笑みと共に紡がれる彼女の言葉に、些かこわばっていた涙花の表情も緩む。
「温かそうにしてもらったじゃない、此れなら大丈夫かな?」
 良い子良い子ねーと、最近頑張っているらしい伊鶴の頭を撫でて『子供じゃないです!』と言う言葉を軽くあしらい、井伊 沙貴恵(ia8425)が飄々と笑う。
「ほれ、首うーって引っ込めてみな。暖かいぜ」
 まふらぁって言うんだぜ、とジルベリアの防寒具の説明をしながら、紫焔が涙花の首にマフラーを巻く――にっと笑った少年へ、不思議そうに涙花は瞬いて、気持ち良さそうに笑う。
 
 深く、憂慮するような足音に涙花が不意に顔をあげ、そして――対面したのは彼女の父、そして花菊亭家元当主、花菊亭・鵬由。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
 白い着物に薄青で雪が描かれた着物を纏った水月(ia2566)が、ペコリと頭を下げてゆっくりと瞬いた。
 母譲りの綺麗な髪と瞳が、雪の照り返しで幻想的な光を放つ。
「宜しくお願いするじぇ♪」
 ネーヴが続いて頭を下げ、そして笑みを浮かべる――抱きついたままの涙花の表情が少しこわばったのを見て、大丈夫とばかりにその手を握った。
「雪切です、時期的なものもありますし‥‥ご家族で召しあがって下さい」
 チョコレートを店で包んで貰ったのだ、と雪切が口にして包みを渡す‥‥驚いたように包みを見ていた鵬由は、ああ、と頷いて受け取り、そうか、と何度も繰り返す。
「家族‥‥涙花、よければ」
 彼女の父は、涙花を家族だと思っている――その気持ちが伝わって息を吐いた伊鶴、まごつきながらも、大丈夫、と井伊に慰められるように肩をたたかれ、息を吸って口を開く。
「いきましょうか、父上――涙花も、皆さんと一緒に」
「そうだな‥‥開拓者、も、いや――そうか、一緒に‥‥」
 ネーヴに抱きつかれ、礼野のもふら〜もついでとばかりに巻かれて嬉しそうに笑う涙花が視線の先に‥‥眼を閉じ父は、静かに頷く。
「準備も出来ています、ソリに乗って下さい」
 大丈夫ですよ、と佐久間がソリを示してゆっくりと動き出す――フラリ、と戻って来た日和が加わり、そして巡回とまた何処かへ。
「関わろうとしなければ接点なんて少しもなくて‥‥きっとそうやって、忘れていくんだろうなぁ」
 人知れず呟かれたため息にも似た、憂慮は淡く白に溶け、空に散る。

●白の世界で
「まずかまくら作りません?風強いと調理厳しいです」
 礼野の提案に、勿論とばかりに開拓者達は動きだす‥‥まずは大きいかまくら、涙花や伊鶴、鵬由が過ごせるように大きめの。
「涙花、一緒に作ろっか。まだ雪に慣れてないだろうし、簡単なのからね」
 雪切に言われ、かまくら、と繰り返した涙花はせっせと、雪を運び固めていく‥‥横でネーヴが楽しそうに手形をペタリ。
「僕の手形だじぇ〜♪」
「‥‥‥‥♪」
 横に、ペタリ、と水月も手形を作ってみる――何だかくすぐったいような、楽しさが伝線したのか皆でペタリ。
 白い紅葉、もみじにしては大きな手も。
「残念ながら力仕事は、苦手じゃないのよね」
 軽々と雪を集め、そして積み上げてはしっかりと固めていく井伊、その端で伊鶴が四苦八苦と積み上げていた。
「井伊さん、ち、力負けします!」
「伊鶴さん、代わりますよ」
 佐久間がさり気なくフォローにまわって、頑丈なかまくらが一つ‥‥中は広めで何処か温かい。
 内部から剥がれおちた雪を押し付けるようにして、中を確保していく――ひやり、と指の先が冷たく痺れていく。
「涙花、大丈夫かい?‥‥っと、危ねぇ危ねぇ」
 ツルっと滑りかけた涙花の背中に廻って支え、コクリと頷くのを確認してゆっくりと立たせ、また作って行く。
「鵬由父も、遊ぼ遊ぼ♪‥‥ねぇ〜?」
「わ、私は――」
 開拓者の視線を浴びて、そして最後に涙花を見て、ふむ‥‥と一つ頷いた鵬由はせっせとかまくらの表面を押し、固めていく。
 出来あがったかまくらは、大きなかまくらと小さなかまくら‥‥堂々と飾られた手の痕。
「栗入り善哉に入れるお餅持ってきましたよー、焼きお握りも出来ますしー、甘酒はこっち、お酒は14歳以上から」
 外でパチパチと七輪の中に、揺れる炎は礼野の火種が灯した光‥‥お腹をすかせた伊鶴がワクワクと善哉を心待ちにしていた。
「ホッとする食べ物って、いいですね」
 料理は相変わらずなんです、と苦笑する雪切に小さく笑い返しお握りもお料理ですと胸を張る。
 そのまま、十分に冷えてしまった手を温めようとした涙花の手を取り、少し悪戯めいた表情を浮かべる日和。
「涙花」
 そっと、忍びよるのは佐久間の背中‥‥せっせとかまくらを作った彼は、七輪に使う炭を運んでいる。
 あ、と気付いたような礼野‥‥日和と目が合えば意を察したのか、そして小さく微笑み、ナイショの表情。
「はうぁ?!」
 首筋にピトっと付けられた冷たい手に、鳥肌を立たせ『何するんですか――?!』と紡ごうとした彼はツルっと足を滑らせて雪にうずもれる。
「うん、いい感じ‥‥お、甘い」
 本人は涼しい顔で善哉を食べつつ、大笑い――クスクスと笑いが漏れて、いつの間にか周りに広がった。
「面白いじぇ〜僕も!」
 クルリとネーヴが視線を移せば、出来たかまくらを見て結構汗かきますね、と満足そうな伊鶴が視界に入る‥‥此処は、やらないではいられない。
 気付いた井伊だが、知らない顔で――けれど何処か悪戯っぽく微笑み、そして、ネーヴの手がピト。
「はわわわぁっ!」
 佐久間と同じく盛大な反応を返した伊鶴、ツルっと足を滑らせて何故か、前方にこける‥‥教えて下さいよーっ!と抗議の声が雪の中から上がるがそんな事はお構いなしに。
「はい、お二人特等席で温まって下さいですの」
「善哉――」
 どうぞ、と水月に言われ、佐久間と伊鶴は仲良く七輪の特等席を手に入れ、善哉と甘酒を手に『まあ、いいか』の表情。
「う〜ん」
 その横で日和は甘酒を片手に、苦い顔‥‥どうやら此方は口には合わなかったらしい。
「お茶もありますよ」
「あ、ありがとう」
 礼野に差し出されたお茶を受け取り、日和が口を付ける――香ばしい匂いに嬉しそうに目を細め一口。
「うん、美味しい」
 直ぐに舌に馴染んだお茶は、どこか凝り固まった心をほぐしてくれるような、気がした。

●理由
 チリチリと燃える炎で天儀酒を温めつつ、何処か固い表情の涙花の父、鵬由へ視線を移すのは紫焔。
「‥‥あんだよ」
 戸惑いに、何故ここにいる、と否定するような小さな棘を感じて声をあげる。
「手前、名は紫焔鹿之助と申します。家も親も無くなっちまった路傍の一剣客すけど、自惚れでなきゃああんたの涙花たぁそれなりに親しい。だからっつうか、聞きてぇんだ」
 雰囲気を感じ、さり気なく雪像遊びへと涙花を連れ出していくネーヴ、水月が最初に作って見せたのは雪うさぎ。
「大きい子、小さい子、たれ耳さん‥‥みんな可愛いの」
「これ、目に使えるんじゃないか?」
 赤い南天を差し出し、可愛いな、と心の中で呟き日和はふ、と紫焔と鵬由の話に耳をすませる。

「座敷牢の事か――」

 まだ、難しいかもしれないが、と前置きした鵬由の言葉に苛立ちを覚えるが、そこは堪えて黙って頷き先を促す。
「…まゆはお姉様達大好きです。守られたり庇われてばかりですけど、だからこそ色々学んで、姉様達の力になりたいって思って開拓者になりました」
 礼野が、焼きおにぎりを差し出しながら、更に続ける‥‥思いに年齢など関係は無い。
「想いというのは言葉にしないと伝わりません。だから、思った事感じた事を文にして送ってます。家族だから言わなくてもわかる、なんて事はありません」
 家族と言うものを愛しむ、だからこそ、と言葉を繋げる。
「家族だからこそ、話して自分の考えを解ってもらいたいですの」
「――愛した人の形見、それを傷つけさせない為‥‥だ」
 間違っていたのか、ただ、傷つけるだけだったのか‥‥決して誰にも傷つけられることの無いように、そして、自分の手を離れてしまわないように。
 その花弁が、霜に降られて傷つかないように――決して、枯れる事の無いように、枯れるなら何も知らないまま、そのままで。
「始めは、私の父との約束だった‥‥存在を伏せる代わりに殺させはしないと。だが、外に出れば妾の子として扱われる」
 無理に曲げてしまった関係は、直そうとすればそのまま見過ごした時間と同じく、もしくはそれ以上に痛みと時間を伴う。
「あまりに、純粋な瞳に――」
 容易く枯れる花を見た、と‥‥愚かだろう、と自嘲めいた笑みを見せ、まるでそれは一時前の自分のようで。
 日和は紅の瞳にやや、苦渋の色を滲ませ雪像の表面を撫でながら――雪に聞かせるように続ける。
「初めて涙花と会ったとき、大人みたいな顔して笑う子だなって思ったよ」
 視線の先、水月やネーヴと雪うさぎを作りながら、雪切の雪像の頭を撫でながら笑う涙花。
「大切なものは閉じ込めれば安心するけど‥‥私は傍で一緒に笑い合えたほうがいいな」
 失う事に怯えて立ち止まるのは少し前、ただ二度と失くさないよう傍で誓う今――そう、今だからこそこの言葉は続ける事ができる。
「だって、涙花はああやって笑ってたほうが似合うだろ?」
「涙花、雪だるま作ってみますか?」
「はいですの!」
 小さく丸めた雪玉に、雪をペタリとくっつけて、固めて‥‥それは紛れも無く、父の知らない娘の笑み。
「涙花は、はは、可愛いかんなぁ」
 顔が溶けてるぜ、なんて軽口を挟みつつ紫焔が続ける――今より少しでも多く外の世界で暮らせるなら、自分はあの子を護る刀の一本にすらなる。
「自分には出来なかった家族との交流、出来るなら成さしめてやりたいっすよ」
「姉弟妹にとっては唯一の親だし、今までにしてきた事は消えないけれど、少しずつでもお互いの心が触れ合えるようになれば、とは切に願うわ」
 私にも、弟がいるのよ――と、井伊がほっこり温まった伊鶴の肩を叩いて笑う。
「そのための協力は吝かではないわ。今からでも遅くはないはずよ」
 自分の父親を思い出す‥‥やり込めた後に出奔した過去、互いがやり直したいと思っているのなら、と続ける。
 踏み込み過ぎない程度の、ドライな言葉にそうか、と鵬由は繰り返し――目を細め物想いに浸る。

●雪原の風
「う!ちょっと寒くなってきたし、少し休憩しよっか♪僕ら用事思い出したのっ!」
 不意に殺気を感じたネーヴが、さり気なく涙花をかまくらへ‥‥一つ頷き、雪切が彼女を庇うようにして中へ入ったのを見届ける。
「ご当主も、さあ、どうぞ」
 超越聴覚で警戒をしていた日和が、早駆で駆けると火遁で追い払う――決して見せないように立ち位置を変え、そして業物で斬り捨てた。
「悪い人、ばかりじゃないですよ」
 色々な人もいますけど、と刀を手にかまくらの前で立ちふさがる伊鶴の姿に、鵬由は知る、決して繋ぎとめておけるものなど無いと。
 子は、親の手を離れても育つのだ――。

「丘の上から、雪原を見てみませんか?」
 戦いの痕を消し去って、戻って来た佐久間が涙花へ口を開く‥‥ずっと、そこは寒いけれど温かく沢山服を着こんで。
 サクサクと雪を踏みしめる音に、ソリが雪の上を滑る音――その上で、ワクワクと跳ねる鼓動を抑え涙花は先を見据える。
 吹きつける風は確かに厳しかったけれど、そこには、何時か訪れる春の香りを含んでいた。
「照り返しは、大丈夫?」
「はい、大丈夫ですの」
 井伊の気遣いに、コクリと頷いてはパタパタと風に揺れる一枚の布‥‥以前なら外界と彼女自身を隔てる壁。
 今は、一枚の布でしかなかった事を知る――思うよりずっと、障害は軽く、何より傍に寄りそってくれる誰かがいた。
「此処です――」
 白い雪原に、まばゆい光が落ちる‥‥いつの間にか中天に達していた太陽は、恵みの光を惜しみなく注ぎ照らしていた。
 遠くに、見えるのはかまくらと、雪像と、そして沢山の雪うさぎ。
「凄く、綺麗ですの――真っ白に、輝いて」
「雪、雪‥‥一面の真っ白が大好きです」
 不意に雪切が、郷愁にも似た切なさを含んだ瞳で雪を見降ろし口を開く――何もかも染め上げるその白。
 その中で一人、取り残されたような切なさと、駆けだしたいような興奮。
「全部覆って何もかも染めて。其処を駆けたりして――」
「きっと、優しい揺り籠なのですわね」
 冬眠していた動物は、その雪が溶けて春を待つ‥‥決して先に起きてしまわないように、この冷たさがなければ飢えて果てる。
「雪解けを願い、ってね――どうやら、他の人も来たみたいよ」
「意外と根性あるじゃねぇっすか」
「父上、大丈夫ですか?」
 鵬由に付き添い傍についていた紫焔と伊鶴、そして礼野‥‥後ろを守っていた日和がヒラリと手を上げた。
 冷気を纏った風が、火照った頬を撫でて流れていく。
「風の音‥‥降る雪が肌に触れる感触。どうですか?」
「とっても、素敵ですの――この冷たさも、知る事が出来て」
 ただ、嬉しいと告げる‥‥広げたスケッチブックに雪切は筆を走らせ、一つ一つの思い出を刻んでいく。
 いつまでも見ていたいけれど――ふるふると、身体を震わせた涙花の頬を挟んでネーヴが笑う。
「頬、冷たくなってる。戻って温まるじぇ♪」
「もう少し、見ていたいですの‥‥」
 駄目かしら、と遠慮がちに口にした言葉に、首を横に振ってそっと寄り添う――ネーヴの反対側に寄りそうのは水月。
 コクコクと頷いて、一緒にいましょう、と無言で告げる‥‥大切そうに愛でる視線は、鵬由からの視線か。
 家族の触れ合い――それは、憧れていたもので、優しい視線が切なくて温かい。
 そっと、繋いだ手はひんやりしていたけれど、それでも家族と言う存在の中に自分がいるような気がした。
「そろそろ、戻るか――冷えちまっただろ?」
 マフラーをもう一度、巻きなおしてやりながら紫焔が笑う‥‥広がる雪原を降りるのは勿体無かったけれど此れ以上は身体を壊してしまうかもしれない。
「じゃあ、ゆっくりと下りましょうか」
 ソリでゆっくりと下って行く佐久間、その首筋に雪玉が押しあてられて彼はまた、ひゃぁ!と声を上げた。
「隙ありって奴かな」
「何するんですかー!」
 ケラケラと笑う日和と、抗議の声をあげる佐久間の姿にクスクスと笑みがこぼれる。
「僕はいいですからね?!」
 サッと身を引いてネーヴの視線から逃れようとする伊鶴だったが、首筋にピタリ。
 振り返れば、汗をかいたでしょうし冷やしてあげようと‥‥と、アッサリ言う井伊がいてまたも声をあげた。

●小さな合戦
 冷え切った身体を温めるように、かまくらに入って七輪に手をかざす――七輪の中の小さな火を求めて身体を寄せ合う。
「まだまだ善哉ありますの」
 アツアツの善哉を口にしながら、美味しいと口々に交わしてはホッコリした甘い栗を口に含む。
 冷えた身体を内側から温めてくれる、指先から痺れるように温かさが伝わってきて寒さにこわばった顔も笑顔に。
「幸せの元」
 栗をはむはむと食んで呟いた水月にそうですねぇ、と雪切も返す――ほっとしますね、と付け足して和やかな一時を楽しむ。
「でも、大鍋に3杯――」
 ソリの殆どの荷物が善哉じゃ‥‥とポソリと口にした伊鶴に、フリフリ首を振って、大丈夫と言うようにコクン、と頷く水月。
「大丈夫‥‥残ったらわたしが責任もって全部引き受けるから任せて」
「え、動物に分け与えるとか――」
 流石に、動物は冬眠しているんじゃないかな、と口にした先で次々お腹の中へ入って行く善哉。
「ま、負けられませんよ、皆さん!」
 何となく負けられないと箸を握って伊鶴が口を開く――ええーっと、言いつつもどんどん食べさせられる佐久間。
 遠慮します‥‥と言いかけた雪切も同じように被害に遭った。
「にーさん、善哉も好きなんだな」
「皆と食べるのが楽しいんですよ!」
 紫焔が食べる横で、伊鶴も消費していく‥‥だが、最後にグッタリと疲れた男性陣の中で平然と水月が食べ続けていたり。
「もう、食べ過ぎは良くないですの」
 薬湯です、と礼野が薬缶に入れて持ってきた薬湯を差し出し、苦さに顔をしかめながら飲んでいく。
「‥‥ごちそうさまでした」
 一番食べたのはやっぱり、水月で――美味しかったですね、とばかりに笑顔。
「えとね。あのね‥‥次、何して遊ぼーか♪」
 お腹がいっぱいになれば、腹ごなしとばかりにネーヴがどんな遊びがいいかな、と指折り数えて首を傾げる。
「雪合戦、してみたいですの」
 思いもよらない提案に、どうしようと視線を交わすが思いっきり手加減で‥‥と提案されれば、たまには、と首肯する。
「で、こうなるんですよね‥‥」
「お兄様、投げますわね」
「頑張れ、お兄ちゃん」
 頑張って、と井伊が甘酒を片手にニッコリ――嗚呼、と助けを求めても誰もが笑顔で見守っていた。
「投げるじぇー♪」
「白猫さん♪」
 水月の呪縛符が伊鶴を阻害する、本気で来てる――と戦慄すればヨタヨタと頼りない涙花の雪玉がポスッと当たる。
「み、皆さん、僕だけじゃ倒れますってー!」
「伊鶴さん、スケッチブックを盾にしないで下さい!」
 雪切が巻き込まれ、ついでとばかりに佐久間が巻き込まれ‥‥。
「よし、男の意地見せてやるぜ!」
 任せろとばかりに紫焔が突っ込んで行く、勿論、涙花には手加減して――沢山の雪に塗れて遊ぶ光景を見ながら鵬由が熱燗を傾ける。
 その瞳は紛れも無く、親が子供を愛しむ瞳‥‥薫製を炙って口に入れ、鵬由へ差し出した日和が少し苦笑めいた笑みを浮かべて、口にした。
「涙花が外を望むなら、手助けしたい」
 どんな事が出来るかは分からないけれど、と続けて――手を振る涙花に手を上げて返す。
「日和様、お父様!」
 当たりました、と興奮気味な声に頷いて次は自分も、と雪玉を作って行く。
「いい、友人を持ったものだ」
 どんな相手を友人と呼ぶのか、振り返ればそれは自分にすら分からない事で‥‥鵬由は喉を焼く天儀酒を飲み思う。
 ――せめて、霜枯れの花にならないように。

●深々と降る雪は
「片付けましょうか‥‥。火鉢で黙って一緒に暖まるも良いでしょう、親と一緒に居るだけで子供は嬉しいものですよ?」
 中天を過ぎ、そろそろ夕刻となれば楽しい雪遊びも終盤で‥‥何処となく暗闇が押し寄せてきた世界は、眩し過ぎる太陽の下では口に出来ない言葉とて口に出来る。
 片付け、を理由にさり気なく外を出た開拓者達は、片付ける傍らで耳をすませた。
 後は家族の問題だから、と‥‥後を選ぶのは花菊亭家の人間で、けれど、万が一泣くのなら、誰かがいないと倒れてしまいそうだから。
 ――あまりに、脆いもので、この雪のように。

「涙花、分かっては貰えないかもしれない。だが‥‥私は、お前もお前の母親も、愛している」
 これからも、と続けた言葉は掠れていた――否定も、罵声も受け止めるだけの器量が無い事は理解している。
 だからこそ、恐れ、逃げていた‥‥傷つきたくはない、傷つけたくも無い。
「外は、優しいものだけでは無い。私が涙花、お前の母を傷つけた事は紛れもない事実だ――だからこそ、お前だけは守りたい」
 先に、旅立つ事が無いように‥‥手に届かなくなるのは、あまりに怖く。
「私は‥‥愚かな親だ、いや、親ですらないのかもしれない」
 シンと静まった静寂の中、震える声がたどたどしくも意志を告げようと空気を揺さぶる。
「愚か、なのかもしれません。けれど、愚かでも、お父様が大切な気持ちは変わりませんの」
 すぅ、と息を吸って息を整え、涙花は更に言い募った。
「お父様、わたくしのお父様は、お父様だけですもの」
 愛しさ故に、愚かな振る舞いをしてしまうと言うのなら‥‥誰が賢く在れるのだろうか。
 本当に、愚かだと言う事はいけない事なのだろうか――今までの出来事が無かった事に出来る訳ではない。
 寂しく一人で凍えた日、目を隠し全てを閉ざされたその日‥‥あの時にむせび泣いた自分はまだ、心の奥底で燻ぶっていて。
 怒鳴り散らしたい思いも、傷つけたい怒りも‥‥けれど、その怒りが自然と治まってしまうのは父の痛みを感じたからなのかもしれない。
 傷つける矛先は、ただ相手を失って――今まで傷ついていた自分を見つける。
 涙と共に流れた思いは、次々と溢れて、鋭い言葉となって傷つけた。
「‥‥貴方が憎いです。でも、わたくしは、お父様とお母様の娘。お姉様とお兄様の妹」
 憎くて、そして愛おしい――まだ、わだかまりが全て消えたわけではないけれど。
 赦しを乞うような、すすり泣く声が絶え間なく響き、父と娘は、ただ涙を零した。

 赤く雪を染める太陽を見ながら、そっと抜け出してきた伊鶴が目を大きくする。
 ガリガリと紫焔が、どんなのだっけなーと言いつつ目の吊りあがった、所謂『でふぉるめ』雪像を見て、ああ、と嬉しそうに声を上げた。
「うわぁ、似てます‥‥姉上ですよねー」
 怖いんですよ、怒ると――とケラケラ笑う伊鶴の横で、へぇ、と声を上げた井伊がにんまり眼鏡の奥の瞳を猫のように細めて。
「いいのかしら?」
 姉は弟が心配なものよ、とため息をついては大丈夫かしら、と花菊亭家の長女へ思い馳せる。
 ついでに、とばかりについでが増えて――開拓者達による花菊亭家の面々と、そして開拓者達、途中から雪像では無く雪へのお絵かきだ。
 冷や汗に苦笑を浮かべた佐久間に、お弁当を持った礼野、水月は小さな猫と一緒にいて――井伊が優しい眼差しで。
 ネーヴは楽しそうにピースをして、雪切がスケッチブックを広げ、日和はどこか戸惑った表情で手をあげながら、紫焔は勇ましく手を振りあげている。
 父である鵬由は固い表情、涙花は微笑み、長女の有為はしかめっ面。
「やっぱり、にーさんは泣きっ面かな」
 ニヤっと笑った紫焔に抗議しつつ、指で描いていた伊鶴が紫焔の顔にお返しとばかりに涙を描いて。
 次々と増えていく落書きに指先を赤くした二人は、仲良く七輪の近くへ。
 ――やがて、地平線の彼方に太陽が沈む頃、ソリへ乗り込み開拓者と鵬由、涙花、そして伊鶴は雪原を後にする。
「形に残る記念というのは結構大事なんですよ。例えささやかであっても、それがあれば楽しいことも思い返せますもの。やっぱりね、家族は笑っていられるのが一番だと思うから‥‥」
 彼の絵に描かれている人物は皆、笑って楽しげにしている――沢山の思い出を刻んだスケッチブックはそれ以上に描き手の思い出が込められているのだろう。
「――ありがとう」
 礼を口にした、鵬由は年月の刻まれた顔に優しげな笑みを浮かべる‥‥苦悩を刻んでいた頃には分からなかったが、生来彼は優しげな顔立ちをしていた。
「これから、多くの痛みが涙花を襲うかもしれない。だが、その時は――貴殿達が希望になって欲しいと思う」
 願いにも似た、親の言葉にコクリ、と涙花は頷いて微笑んだ。
「また――また、皆さんと」
 一人一人の手を握り、そして、繰り返す‥‥今までは隔てられていた『貴族』と言う社会へ入ると言う事。
 けれど、それは自分が選んだ事だから――そう、微笑んで。
「また、遊んで欲しいですの‥‥」
 ゆっくりと迎えに出会い、三人は家へと帰る‥‥開拓者達も迎えの者に連れられてギルドへと戻って行くのだった。

 ――2月下旬。
 花菊亭家子女の存在は、緩やかに浸透していった。
 但し、側室である、涙花の母が、正室である有為と伊鶴の母を殺した事――その事実は伏せられたまま。
 涙花の存在は、養女として迎えられる事になる‥‥実母の存在は闇の中。
 真実は時として人を酷く傷つける‥‥家名だけではなく、今だ尚、恨みの声は有為、そして伊鶴の母方に残ったまま。
「決して、涙花が害されないように――だが」
「父上、此れが最善なのです」
 全員で食べる朝餉に、はしゃぐ少女の姿‥‥決してその花が、手折られてしまわぬように。
 父の言葉に、長女は鋭く放ち下座へと戻る――当主の朝餉に同伴するなど、型破りではるが。
「皆で食べると、美味しいですの」
 微笑む、少女はまだ無垢なまま――外では白い雪が太陽に照らされ溶けていく。

「冬椿 落つる花冠よ 赤く在れ 手づるにならひ 夢路を歩かむ‥‥」
 椿のように落ちてしまったあなたが、赤く在るのなら。
 その縁を辿って夢路を通いましょう‥‥その道だけは、誰にも害されないのだから。

 降る雪に、赤い椿に、愛しの君を見て、そして、彼は微笑む‥‥父として、そして当主として向きあう為に。