【宵姫】星月夜
マスター名:白銀 紅夜
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/07/15 21:17



■オープニング本文

●希望の星を
 7月は罪の生まれた日―――自分が生まれた日。
 花菊亭・涙花(はなぎくてい・るいか)は嗚咽を殺して涙を流す。

『手折る花にも、涙を流せる優しい子になって欲しい‥‥』

 そう言った、母はもういない‥‥犯した罪を償い、斬られたのだと聞いた。
 優しい母だった、側室であっても笑顔を絶やさない母だった―――涙花はそう思う。

『側室の娘、等と言って差別するのは変な話だわ。涙花も大事な娘よ』

 そう言って微笑んだ正室の義母も、優しい笑みをしていた‥‥開拓者として戦っていたのだという手は、固かったけれど温かい。
 だが、それも消えてしまった‥‥7月。
 文月とトばれ、七夕に願いをかけるのだと―――願いを文にして星へ。
 死んだ者が生き返るなんてもう、信じてはいないけれど‥‥天の川の端には会いたい人が待っている。
 笑顔を携えて、待っているのだろう、きっと。

●星の丘へ
 7月、願いを文に書いて星へと託す。
「涙花は、今日も泣いているだろうか」
 そう口にしたのはこの家の長女、花菊亭・有為(はなぎくてい・ゆうい)だ。
 独り言にも近い言葉に、そうですね、と秋菊は返事を返す‥‥過去の惨劇。
 そして花菊亭と言う家が涙花に背負わせた罪、命を奪う事も出来ず、かと言って手放す事も出来ず飼い殺し。
「いつか、私達は―――」
「有為様」
 やや強い語調の秋菊に、有為は口を噤んだ。
「随分お疲れなのでしょう‥‥活路を、見出せぬ程」
「そうかもしれない―――」
 父の逢瀬を遮り、敢えて襲わせる事で敵対する貴族、広川院の本家と分家を切り離した。
 その後始末‥‥分家へと甘い顔をして引き込む。
 だが、全て彼女が把握している訳ではない、分家の力など微々たるもの‥‥更に、踏みにじる陰惨な出来事が待ち受けているのだろう。
 この程度で疲れていてはいけない‥‥だが、気丈とはいえ全てを背負うにしては、彼女はまだ、酷く脆い。
「少し‥‥休憩しては如何ですか?」
 訝しげな有為に秋菊は続ける。
「大層綺麗に、星の見える丘があるそうです―――その丘に生える一本の笹」
「短冊でもつるせ、と‥‥私は、そう言ったものは信じないのだが」
「信じる、信じないのではなく、行う事が大切かと思います。それに、涙花様の御心も紛れるかと」
 秋菊は微笑み、出来れば私の代わりに、と短冊を渡す。
 受け取った有為は眼頭を押さえて皮肉な嗤いを浮かべた‥‥どうやら意地でも休ませるらしい、この腹心は。
「ああ‥‥私がいない間、伊鶴の補助を頼む。父上の目を欺かねばならんな」
「しかし、涙花様のお顔を御所様が見たのは―――」
 御所様‥‥当主である父、秋菊が言うとおり彼は長らく涙花の元を訪れていない筈だ、手元にある情報では。
「だが、隠さねばならない‥‥これ以上、涙花に重石を背負わせる訳にはいかないのだ」
 開拓者を毛嫌いする父が、知ればどう思うか‥‥花菊亭家の家紋のついた大紋を確認しつつ有為は小さく息をつく。
 この家を表す服が、ずっしり重みを増した気がした。


■参加者一覧
中原 鯉乃助(ia0420
24歳・男・泰
佐久間 一(ia0503
22歳・男・志
青嵐(ia0508
20歳・男・陰
リエット・ネーヴ(ia8814
14歳・女・シ
シャンテ・ラインハルト(ib0069
16歳・女・吟
雪切・透夜(ib0135
16歳・男・騎
ルヴェル・ノール(ib0363
30歳・男・魔
日和(ib0532
23歳・女・シ


■リプレイ本文

●始まりの音
 人形を動かしながら、口を開いたのは青嵐(ia0508)否、腹話術なのだが‥‥その言葉には説得力があった。
「声真似の基本ですけど『話し方、声のトーン』を近づければそれなりに分からないものですよ?」
 涙花の変わり身となるリエット・ネーヴ(ia8814)への助言、ピースサインを出してネーヴは笑う。
「わかったよ、青嵐にーちゃん!」
 顔を包む包帯には血のように赤い染料、そして笠で顔を隠したネーヴが中へと導かれる。
 入れ替わる為、顔を隠す‥‥ネーヴはその包帯の下にも傷の化粧を施していた。
 あまりに怪しい姿に、門番が問いかけるがルヴェル・ノール(ib0363)が紫の瞳で見、静かに口を開いた。
「傷を負っている。女性だ‥‥何度も確認は失礼ではないか?」
 ノールの言葉に門番も押し黙るが、責任感からか、追及を続ける‥‥有為も口添えするが、当主の言葉に敵う筈も無く。
 堂々と包帯を取って顔を改めたネーヴの顔に、顎にかけての刀傷。
 明るければ嘘だと気付かれたかもしれないが、空は茜色。
 門番も一礼して無礼を詫び、一行は中へと入った。
「ご苦労なこった‥‥にしても、七夕かぁ。ガキの頃以来のような気もするが、たまにゃあいいな」
 そう言って空を見上げたのは中原 鯉乃助(ia0420)年に一度の逢瀬、天の川に隔てられた二人を鳥が運ぶと言う。
「自分が当主殿の側に残る‥‥と、お伝え願えますか?」
 佐久間 一(ia0503)の言葉に首肯した有為は侍女である秋菊に言付ける、続いて問いかけられた裏口、に関しては珍しく彼女の口角が吊りあがった。
「ああ、勿論‥‥私と、伊鶴と、そして、祖父の秘密だが」
 涙花には代えられないと、示したのは細く小柄な子供が通れるような狭い道。
 巡回として周囲を見回っていた日和(ib0532)そして屋敷の地図を借りた雪切・透夜(ib0135)は改めて裏口を確認する。
 ネーヴなら、通れるだろう‥‥彼女は小柄であるし、何よりシノビとして身も軽い。
「侍女の方も協力してくれるそうですよ、良かったです」
 雪切の言葉に続くように、涙花の頭をわしゃわしゃ撫でて日和が言った。
「久しぶりに会うけど、涙花は元気にしていたか?」
 その言葉に涙花が笑みを浮かべて首肯する、思った事や感じた事を嬉しそうに。
 心なしか、以前に会った時よりも日和の表情も柔らかい。
「どうせならば、有為様をお迎えに上がった使いの者、ということにしておきましょうか」
 最後の詰め、とばかりに作戦を練るのはシャンテ・ラインハルト(ib0069)である。
「当主様のご予定などは、ご存知ですか?」
 続いて、青嵐の言葉‥‥両者へ頷き、有為は乾いた笑みを浮かべた。
「‥‥涙花と父上がお会いしたのは、もう随分と昔の話だ」
 白い包帯を涙花に手早く巻いていく、日和とネーヴ。
「涙花さんの長い髪は纏めて違和感があるなら、服の下に入れても良さそうです」
 こう言うのは男だと出来ませんからね、と頬を掻きながら口にする雪切は背を向けて視界に入れないように気を付ける。
「それにしても、目隠し‥‥全く、可哀想な話だぜ」
 目を隠すのだと、ネーヴの変装の為に持ってきた花菊亭家紋の入った目隠しを見て中原は苦い思いを抱く。
 自主的に籠っている事に『させられて』いるが、やはり気分のいいものでは無かった。
 涙花の侍女である鈴乃の表情が、縋るような表情へと変化する、開きかけた口を制したのは涙花だった。
「鈴乃、頼みますの。あ、あの、変じゃないですか?」
「涙花ねーちゃん、バッチリだよ!」
 ネーヴの言葉、そしてラインハルトは口笛を。
 一つの旋律が心を安らげ、心の底からの笑顔は深く人の心に響く。

●ヤクソク
 部屋を出る前、心眼で周囲を確認する佐久間、出来るのならば人には会いたくは無い、例え有為の客人として招かれていても。
 何より、彼は以前当主に顔を見られている‥‥直ぐに開拓者だとバレてしまうだろう。
 時折、速足で歩く人々がいる、だが抜け道は大丈夫だ。
「とりあえず、おいらは有為の護衛依頼受けたって事にしとくか」
 有為の護衛なら、おかしくは無い―――当主は開拓者を毛嫌いしているようだが、有為に目を向けてしまえば涙花へ追求は及ばない。
 ネーヴと入れ替えになった涙花は、牛車の外で固い表情をしていた。
「大丈夫だ、成功させる為に私達がいる」
 ノールの穏やかな言葉に、涙花も首肯し前を見る。
「開けろ」
「有為様‥‥少々お待ちを!」
 外へと向かう為、有為が顔を出して口を開くが、頭が固い門番。
 引きとめ、当主を呼びに一人が走る。
やがて出て来た当主は、疲れたような顔で有為を見、周囲を見た。
 中原を見て、開拓者と理解したらしい。
「有為、何処へ行くつもりだ。お前まで開拓者と―――」
 最後の呟きは酷く掠れ聞きとりづらい、当主としての『命令』を突きつけようと口を開きかけた当主、そんなピリピリした空気を軽やかな口笛が和らげた。
 発生源はラインハルト、表情こそ人形のように涼やかなものの纏う雰囲気は木漏れ日のように柔らかい。
「有為様を‥‥お迎えにあがりました」
 チラリと見せるのは手に持つ龍笛、軽やかに流れる口笛は透き通った音を奏でる。
「楽師か?」
「ああ、で、おいらは護衛、安心しな」
 中原の言葉に、警戒していた当主は目を閉じ、ため息を吐いた。
「父上、私は花菊亭家の人間です、そして、私の血もまた、花菊亭家の人間のものです」
 大紋に描かれた花菊亭家の家紋に触れて有為は、笑みと共に告げる。
「他家の姫に、招かれただけです。楽師等もいれば華やぐかと」
「人形師の青嵐です」
 此れはどうやら、道楽の一団となったようで、腹話術で話して会話してみせた青嵐にアッサリ当主は頷いた。
「遅くならないように、早く帰って来い」
「どうなるかと思いましたが‥‥」
 警戒されない為、とやや見えづらい場所へ立っていた佐久間が口を開く、声を落とした言葉に返ってくる返事。
「あ、あの‥‥」
 隠れているネーヴへと声をかける涙花、その心情を察してネーヴは向日葵の笑みを浮かべ、涙花をギュッと抱きしめた。
「一緒には行けないけど、現地で逢おう♪必ず行く!」
 牛車はゆっくりと門を通過する、角を曲がったところで牛車内に乗り込んだ涙花。
「リエット、うまく抜けて来れるかな‥‥」
 日和の言葉に、同調しつつ一行は丘へ、向かう。

 一方、花菊亭家。
「涙花ねーちゃん、有為ねーちゃん、大丈夫かなぁ」
 入れ替わったネーヴは、侍女である鈴乃を相手に話していた。
 手には家紋の描かれた、目隠し用の布‥‥こんなものを付けているのかぁと広げたり、透かしてみたり。
「はい‥‥恐らくは、涙花様の顔を御所様―――ご当主が見たのも、数年前ですから」
 寂しげに嗤う鈴乃の瞳にはどこか諦めのような色、なのに悲しげだった。
「‥‥数年前、寂しくないのかな?」
 ネーヴが思い出したのは記憶の中の母親の事、とてもよく笑う母‥‥首を振り鈴乃は遠くへと視線を移す。
「涙花様の瞳は、罪を思い起こさせるのでしょう‥‥そろそろ、大丈夫だと思いますよ」
「わかった、侍女のねーちゃん、ありがとー!」
 気になる言葉もあるものの、今は抜けだすことを、そして絶対に行くと言う約束を果たすことを。
「人よ。名を問う無かれ、日中に遊び夕刻に消えるそれが子供の定めなのだっ!」
 細い抜け道をすり抜け、卓越した聴覚や視覚を駆使し人目を避けては、目的地へ。

●星降る丘
 一行は丘へと辿りついていた。
 一本の笹は真っ直ぐに天を向き、その青々とした葉を広げている。
 息をするのも忘れそうな程圧倒的な星の数、それでも涙花は陰鬱な表情で。
「涙花‥‥」
 当事者でもある有為は、何を言うべきか困ったような表情で声をかける‥‥続かない言葉。
 小さく笑った雪切が、そんな有為の頬に竹水筒を当てる。
「ふふ、あんまり肩肘張らないでくださいな。ただのお茶ですが、これでも飲んですっきりしてくださいませ」
 にっこり笑う姿に、ああ、と受け取り一口。
「涙花も‥‥」
 癖のように舌を刺す刺激等が無いか、確認しては自嘲し有為は涙花へと勧めた。
「雪切様、頂きますね」
 美味しいと微笑む涙花の頭をぽふっと撫でて雪切が笑う。
「‥‥透夜で構いませんよ。それに、様もいりません。偉くもなんともないですから。それよりも、友達には笑ってて欲しい、かな」
 友達、と繰り返す涙花はやがて嬉しそうに、笑みを浮かべた。
「寒くないか?」
 ノールの言葉に、少し、と返す涙花―――涼しい風もいつも厚着の涙花には少し寒いのだろう。
「上に羽織る物を持ってきた‥‥有為は必要か?」
 大きめの羽織りを着て、少し珍しげな涙花を見つつノールが有為へと問いかける。
 涙花に渡すつもりだったのか、大紋を脱ぎかけていた有為は大丈夫だと、返事を返した。
「焦るな。大事な事であるならばなおの事、な。今は休め」
 相変わらず固い表情を見て、諭すようなノールの言葉に有為は息を吐き、苦笑する。
「‥‥そうだな」
 小さな軽い音、開拓者達が振り向き各々の得物を構える‥‥咄嗟の行動だったが相手を見て笑みを浮かべ構えを解いた。
「お待たせ。ありがとー♪」
 ギュッと涙花へ抱きつくネーヴ、此れで全員、涙花の表情も明るく改めて空を見上げる。
 呑みこまれそうな星空は、今は輝いて見えた。

●願いを川に
「やっぱり、七夕って言ったら短冊書いておかなきゃな」
 おいらも書いてきた、と中原が用意した短冊を見せる。
「七夕‥‥なんだ、それは?」
 知らないらしい日和は、当然短冊など用意している筈も無く。
「あ、此れを使うと良いですよ。これに願い事を書くんです」
 雪切が短冊を差し出す、絵を描いたりする為持っていたのかもしれない。
「盆の一種だったか‥‥先祖の霊を祭ると聞いた」
 ノールの言葉を青嵐が引き継ぐ。
「牽牛と、織女が一年に一度会える日ですね。あの星が牽牛星、あちらが織女星‥‥逢瀬にあやかり願い事を書くのかもしれません」
 成程、と頷きつつ日和がひたすらに書き続けた言葉は『大切な人たちを守れますように』
「私が大切なのは、今だけだから‥‥」
 何処か頑なな表情に、涙花は思う。
「(‥‥真っ直ぐな瞳ですのに、何処か露のようですわ)」
「涙花に会えたのも今だからな‥‥」
 悲しい顔はして欲しくは無い、と笑って涙花の頭を撫でる‥‥一足先に丘の上へと寝転がった。
 佐久間が短冊へ書いたのは『大切な人を護れる人間であれますように』と言う願い―――自分への戒め、そして明日の目標。
「お、中々良い事書いてるな。おいらは『みんなが幸せになれるように』だ。自分の事しか考えねぇってのは、いい男失格だからな」
 中原が佐久間の結びつけた短冊を見て、ニヤリ‥‥大切なものを、何かを守る為に。
「私は『誰もがほんの少しずつ、幸せになれます様に』かな」
 ネーヴの横で雪切も短冊を吊るす、『今より、もっと力をつけたい』と―――その横にはデフォルメされた涙花と有為の絵、手をつないで幸せそうだ。
「姉上、とっても可愛らしいです‥‥」
「言葉とは異なる暖かさってあると思うんですよね。一種のおまじないかな」
 クスクス笑う涙花に、嬉しそうな雪切。
 何とも言えない表情の有為‥‥いつか、その絵のように手を繋ぐことが出来れば。
「立場などがあるのは分かりますが、此処で聞き耳を立てる者、部下もいないでしょう?不安も不快も不満も不服も、吐き出せば多少楽にはなります」
 渋面の有為に青嵐が声をかける、唐突に何を、と言う表情の有為に青嵐は続けた。
「負担を軽減出来れば、と。弟と妹がいるものとしての、共感、でしょうかね?」
 人は共感する生き物だと誰かの言葉を思い出しつつ、有為は口を開く。
「不満など無い‥‥好きなようにやっている。だが‥‥涙花は、あの子に全て私達は、罪を」
 頑なに口を閉ざす有為、ノールが小さく呟く―――決して、聞こえないように。
「罪だと‥‥?罪など何処にあるというのだ。其処に在るのは罪なき罰だけではないのか?」
 憤りは全て冷静な表情の下に、押し籠めて。
「少なくとも私には理解できぬ‥‥」
 目の前の少女は楽しそうに、ラインハルトの曲を聞いている。
「とても、素敵な曲ですの」
 大きな笛を操り、ラインハルトは続ける‥‥涙を止める曲は奏でられないけれど、と。
「協奏、しましょうか」
 涙花の手首に付けているブレスレット・ベルに気付いて、ラインハルトが続ける。
「よろしいの、ですか?」
 勿論、と返ってきた返事に、楽しそうに奏で始める。
「泣いてばかりではない‥‥泣いて、そして泣くだけ泣いたら前を向けるように」
 それは、彼女自身に言い聞かせた言葉なのかもしれない―――けれども。
「思いを継いでいくことが、遺されたものの役目‥‥」
 そう言う気持ちなのだと告げた、ラインハルトは悲しくも穏やかで。
「わたくしも―――母上と、義母上の、思いを」
 失わない者などいない、それでも痛みを感じてしまう‥‥喪失にはまだ、慣れる事など出来なくて。
「あの空の向こうには、二人がいるのだと」
「寂しい、ですか?」
 ラインハルトの言葉に、涙花は首肯した。
「でも‥‥此処に、大切な方がいます」
 少しずつ、変わっていく‥‥生き物がゆっくりと成長していくように。
「諦観を知恵とし、許容者を賢者とするか。なれば、抗う愚者でいい。諦める訳にはいかないんだよ」
 ラインハルトと涙花の奏でる旋律に合わせるように、雪切が呟く。
「万物流転‥‥不変な物など在りはしない。なればこそ『現在』に留まること無く、より良き『未来』を望め」
 ノールも続ける、徐々に、動いていく歯車。
「知ってるかい?鯉ってのはなぁ、試練を乗り越えて龍になるんだぜ」
 中原が涙花と有為の肩をポンッと叩いて笑う。
「わたくしも、龍になれるでしょうか‥‥」
 涙花の言葉に、未来の龍が言った。
「ああ、きっとな」
 もう、何も知らないままではいられない‥‥何処へ向かうのかはわからない。
「‥‥此れ以上、涙花を犠牲にしたくは無い」
 有為の呟き、佐久間が振り返り穏やかに紡いだ。
「何かを得る為に、何かを犠牲にしなければならないのか。‥‥否、であると信じたい」
「そうだな」
 両者を得る事は、一つを得るよりも辛く苦しいのだろう。
「そろそろ、帰ろうか」
 侍女、秋菊の短冊を結びつけ有為は口を開く。
 強くなっていく風が、短冊を翻す‥‥書かれた言葉は『自分らしい自分で在られるように』
「(形にさえならない想いを握り潰す。‥‥叶わないなら、それでいい、想いは叶わなくていい)」
 最後に歩き始めた日和が、独り呟いた。
「(ただ、傍に‥‥)」

 翌日。
 結局気付かなかった父を思い出し、涙花はふと呟いた。
「わたくしが、いないとされる事は本当に、罰となるのでしょうか?」
 約十年、座敷牢の中で過ごした日々の中で、初めて明確になった疑問だった。