|
■オープニング本文 ●香りを抱き 五月になると、桜も緑に染まりツツジが花開く。 仄暗い座敷牢へと漂う生命の緑に目を細めたのは、花菊亭・涙花(はなぎくてい・るいか) 花菊亭当主の妾の娘にして、罪を着た少女。 「鈴乃、この音色は、どこまで届くのかしら‥‥?」 手にしているのはブレスレット・ベル。 昔から慣れ親しんだ、琴や横笛とはまた違った、音色。 「届けたい場所が、ございますか?涙花様‥‥」 亡き母の墓参り、それから随分と涙花の表情は明るくなったと侍女の鈴乃は思う。 だが、この場所は狭く、暗い。 綺麗に手入れされた花、椿に、梅に、桜に――― その花達がどれ程美しくとも、自分で見に行き感じる事‥‥それが出来ないというのはどのような思いなのか。 花が美しければ、美しい程、鈴乃は願ってしまうのだ‥‥この少女を解放したいと。 「(奥方様が‥‥)」 或いは、この家の当主が、或いは‥‥。 「(伊鶴様がいなければ、涙花様の母上とて正妻になれたかもしれないものを―――)」 「あまり、考え事をしてはいけませんわ‥‥わたくしは、幸せなのです」 少なくとも、この思い出を、優しさを抱いて。 そう思い、目を閉じたところで足音が聞こえて涙花は目を開いた。 「涙花、ツツジを見に行きましょう、皆で!」 「お兄様?」 花菊亭の跡取り、花菊亭・伊鶴(はなぎくてい・いづる)が書簡を握りしめて声をかける。 涙花とは異母兄妹にあたる兄、有為程ではないが、時折土産物を持って来ては戻って行く。 「大丈夫です、姉上からも了承を頂きました‥‥でも、どうせだからもっと沢山呼ぼうと思って」 ●花に酔う 「ありがとうございました!」 時は少し前に遡る。 伊鶴は与えられた稽古を終え傷だらけの肌を手当てされながら空を仰いでいた。 「広いですよね、空‥‥今はツツジが見ごろでしょうか」 赤に桃に白に、咲き乱れる花を思い出せばあの方も見ているのだろうか、などと意識は遠くへ向かう。 「躑躅花(つつじばな) におふ君へと‥‥うーん」 中々いい詩が出来ない、と頭を悩ませている伊鶴に苦笑して手当てを終えた医者は失礼しますと頭を下げた。 「伊鶴様、ツツジの花を見に行ってみてはいかがでしょう?」 そう、口にしたのは波鳥、伊鶴の侍従である。 「出来れば、そうしたいのですが‥‥流石にこっ酷く叱られたばかりなので」 以前も桜を求めて、アヤカシに遭遇し、そのまま開拓者に助けられた伊鶴。 開拓者のフォローとお叱りを頂き、そのまま父と姉に怒られ―――と言うのは流石に伊鶴の記憶にも新しい。 「大丈夫ですよ、伊鶴様‥‥怒られる事はありません」 涼しい顔で言い切った波鳥に、何故、と顔を上げる伊鶴。 「但し、条件付きだ」 ほら、と姉である有為(ゆうい)から差し出された書簡が一つ。 「ええっと‥‥え、母上の?」 「私達の母上が開拓者だった事は覚えているだろう‥‥その友人、雪牙殿から、庭園を開いたから来て欲しいと誘いが来ている。生憎父上はお忙しい」 ああ、と納得して伊鶴は書簡を纏める‥‥自分たちの父の開拓者嫌いはよく知っていた。 母が亡くなってから、雪牙には伊鶴も数えるほどしか出会った事がない。 その中で何故、有為とのやり取りがあったのだろう―――と、考えてやめた。 「涙花も誘って欲しい、貸し切りのようだから」 「え、いいんですか?」 「伊鶴、お前はきちんと挨拶をして、当たり障りのないように。次期当主の自覚を持つよう」 喜ぶ弟にくぎを刺す姉、その横で波鳥は予定を書き足していく。 「ですよね―――でも、行きます!」 年齢よりも些か幼く感じる声で、言いきった伊鶴は有為の作成した依頼書に文字を書き足す。 『是非、相棒の皆さんと来て下さいね、様々なものを見せて欲しいです!あ、でも涙花も一緒の事は父上には内緒でお願いします』 |
■参加者一覧
青嵐(ia0508)
20歳・男・陰
乃木亜(ia1245)
20歳・女・志
倉城 紬(ia5229)
20歳・女・巫
からす(ia6525)
13歳・女・弓
井伊 沙貴恵(ia8425)
24歳・女・サ
雪切・透夜(ib0135)
16歳・男・騎
琥龍 蒼羅(ib0214)
18歳・男・シ
ルヴェル・ノール(ib0363)
30歳・男・魔 |
■リプレイ本文 ●秘密の園へ 内緒の依頼の為、花菊亭家で落ち合う事になった開拓者達。 「お誘いありがとうございますね。初めまして、今回は宜しくお願いします♪」 伊鶴へ向かって会釈、そして涙花へ向かってしゃがんで、口にしたのは倉城 紬(ia5229)だ。 よろしくお願いします、と口にした伊鶴と少しはにかむ涙花。 穏やかな笑顔を浮かべる倉城に頭を下げる。 「ツツジの花言葉は恋の喜び、初恋、強い正義感―――嗚呼、まさに伊鶴殿だな」 不意に呟いたからす(ia6525)にえっ?と真っ赤になる伊鶴、そうねぇと頷いた井伊 沙貴恵(ia8425)は同じく頷いた。 「今日は、花菊亭の当主としてしっかりやらなくちゃね?まあ、出来るだけお姉さんがフォローしてあげるから」 井伊に頭を撫でられる伊鶴を見て、涙花がクスクスと笑みを零す。 「涙花さんの外出はお忍びということですし‥‥」 そう言って乃木亜(ia1245)が差し出したのは市女笠、そして簡素な単衣だ。 動きやすいように作られたその衣服を見て、涙花は目を輝かせる―――重い衣服を引きずる自分の姿を見て、乃木亜を見た。 「着ても、よろしいかしら‥‥」 「はい、大丈夫ですよ―――」 その為に持ってきたと口にすれば、どうやって着替えたものかと首を傾げる涙花の着替えを手伝う為に場所を移す。 「おかしく、ありませんか?」 「大丈夫ですよ、よくお似合いです」 少し大きいでしょうか、と口を開いた乃木亜に涙花は小さく首を振る。 「あなたが伊鶴か‥‥私はルヴェル・ノール(ib0363)だ。まあ、宜しく頼む(いささか頼りなさげだが優しそうではある)有為とは大分違った感じだな‥‥」 落ち着いた雰囲気のノールに気圧されたのか、ビシッと背筋を伸ばす伊鶴。 「僕は花菊亭・伊鶴です。姉上と印象が違うとは、よく言われますが―――勿論、姉弟ですよ!」 ノールの複雑な心中も気付かず、妹の‥‥と、紹介しかけて、アッサリと戻ってきた涙花が頭を下げた。 「こんにちは」 「涙花も久しぶりだ。今回も同行させて貰うよ」 落ち込んでいるらしい伊鶴に「賑やかな方ですね」と雪切・透夜(ib0135)が笑みを零す。 「決して、悪いことではない‥‥だから、頭を上げた方がいい」 琥龍 蒼羅(ib0214)も口にしては自分の名を名乗る。 二人に茶化されるでもなく的確なフォローをされてしまい、ですよね、と頷くしかない彼の頭をポンっと井伊が撫でた。 「この子は‥‥怪我をなさっているのですか?」 首を下に下げていた甲龍、嵐帝を見ていた涙花が呟く。 その言葉に青嵐(ia0508)が口を開いた、強面の為、恐れたのだろうか? 「もう、治ったものですが‥‥怖いですか?」 涙花はその言葉に首を振って続ける―――ただ、痛くはないのでしょうか、と。 「痛かったのかもしれませんが‥‥それでも、やりたい事があったのでしょう」 曖昧にぼかした言葉、それを悟ったのか否か涙花は母子のようですね、と微笑む。 「そろそろ行こうか―――あまり此処にいては、内緒で抜け出した意味も無くなる。一応、表向きは護衛だ。何かあれば報告せよ」 からすが土偶ゴーレムである、地衝に命を下す。 「御意」 重い音を鳴らしながら歩く地衝は、厳めしい表情を崩さず輪の外を歩く。 「これなら、悪党も近づけまい‥‥目立ってしまうのは仕方が無いが」 呟いたからすが涙花の方へ視線を向ける。 「大丈夫ですよ、しっかりと隠れています」 お忍び用の笠を楽しそうに揺らす涙花を見て、乃木亜が大丈夫、と頷いた。 「あ、皆さん此処です!」 少し歩き、山の中を入ったところに目的地はあった。 「30分は歩いたな、きっと‥‥」 元気に駆けて行く伊鶴を見ながらノールがボソリと呟き、走らないようにと注意を促す。 「興味があるのはいいのですが―――」 頭の中に浮かぶのは『好奇心猫を殺す』の言葉だったりするのだが、青嵐が行程に思い馳せた。 ‥‥目的地に着く前から、お土産にと呟く伊鶴を制する方が涙花の護衛よりも大変だと言うのはいかがなものか。 全員が気を付けていなければ、恐らくはぐれていたに違いない。 「得物は持っているようだから大丈夫だとは思うが‥‥攫われそうだな」 琥龍の呟きに確かに、と頷く一同。 順路、と書かれた立て札を読みながら中へと進んでいく。 「迷路何て言うオチにならないか‥‥心配です」 雪切の呟きに、流石にそれは―――と思いつつも開拓者達も笑顔が引きつる。 「まあ、いざとなったら申し訳ないけど龍で飛行させて貰うとして―――ご用の方は、と書いてあるわね」 任せよ、と静かに首をもたげたのは彼女の相棒、駿龍の政恵だ。 じろっと視線を受けて伊鶴が肩をすくめた。 木で出来た小屋、その前に広がるのはため池、菖蒲が咲いては風が吹き水面を揺らす。 小屋の横にご用の方は此方へと書いてある。 「涙花さん、大丈夫ですか?」 ため息をついてぼんやりしている涙花に、倉城が問いかける。 今は笠を取って、舞傘「梅」を借りて日除けにしているその頬は、少しだけ紅潮しているように見えた。 「はい、ただ、とても広くて」 驚きましたと口にするのを聞けばそうですね、倉城の表情も笑みへと変わった。 「楽しみですね」 笑いあう少女達、何処か華やぐ場に顔を出した壮年の男。 「あ‥‥雪牙殿、この度はお招き頂きありがとうございます。残念ながら父上は多忙の為、代わりに参りました。花菊亭次期当主、花菊亭・伊鶴です」 拙いながらも言い終えた伊鶴を見れば、ホッと息を吐いて大丈夫とばかりに井伊が伊鶴へ片目を瞑る。 「(‥‥でも、わざわざ覚え書きを用意するなんて有為ちゃんも心配性ね)」 クスクスと笑う井伊、保護者として見張らなければと決意する主の横で政恵の視線はやはり厳しかった。 ●穏やかな時を 「お世話になります‥‥」 ペコりと頭を下げて乃木亜は口にする、彼女で全員、庭園の前でいるのも何だからと招かれるまま開拓者達も中へと入る。 「そう言えば、此処は龍を入れても構わないのですか?不慮の事故でも、綺麗な庭園は壊したくないのですが‥‥」 青嵐の問いかけに、勿論と雪牙は頷いた。 「ああ、大型の相棒も入れるように造ってある」 成程、と頷き中を見れば、十分広い―――特に派手に動かなければ大丈夫だろう。 「よろしくお願いします‥‥私からも。園内で食事してもいいでしょうか、後、敷物が敷けない場所などはありますか?」 倉城の言葉に、雪牙は首を振る。 「無い、人為的に壊す事がなけりゃ、後は気を遣わんで構わん」 良かった、と倉城が頷く。 「素晴らしい庭園ですね。今はツツジが見ごろとの事。ゆっくり楽しませて頂きます」 大勢で押し掛けて申し訳ない、と口にして名を名乗るノールに雪牙が大きな体躯を震わせて笑う。 「まあ、流石にもふら大暴走になると止められる気がしないが、楽しんでもらえると幸いだ」 もふら500匹は入れると言い切った雪牙に、来る時があるのだろうか、と少し気になるノールだった。 お茶席の準備、とせっせと支度を始めるのはからすと倉城。 「この辺りはどうでしょうか‥‥?」 「もう少し、中に入ってもいいかもしれないね」 紅の敷物が広げられる、新緑が木陰を作っており吹く風も水場を挟んでいる為か、他の場所より涼しい。 「地衝、もう少し右」 敷物を広げるのを手伝っている2mの土偶、地衝は声を上げた。 「主殿、是非拙者にお任せを‥‥主殿は是非散策を」 「二人でやった方が早い」 正論である、だが、取りつく島も無い‥‥微笑ましい主従のやり取りに倉城は笑みを零す。 「あ、すみません‥‥赤翁です」 倉城の相棒、炎龍の赤翁は仕方がない、と言った様子で頭を下げた。 「からすだ、見事な赤だね」 堂々とした風体と綺麗な赤、称賛を口にしたからすをゆっくり眺めた赤翁は、満足そうに低い声で鳴く。 「梅昆布茶も、柚子入りの漬物もあるので‥‥」 好物なんです、と倉城が口を添える、満足した老龍は目を細めてゆっくりと寝そべるのだった。 伊鶴より先に解放された、涙花が乃木亜、雪切と一緒に出てくる。 「(大丈夫ですね‥‥怪しいものは特に)」 時折、心眼で生命の気配を確認しながら、乃木亜は纏う衣服の下の武器を確かめた。 危ない場所と言う訳ではないけれど、気を抜く事は出来なかった。 「涙花さん、疲れていませんか?」 雪切の言葉に涙花が頷く‥‥いつもより身体が軽い。 「藍玉、悪戯しないで」 構って貰えない乃木亜の相棒、ミヅチの藍玉、乃木亜の方をチラリと見るとまた、ため池でパシャパシャと水遊び。 「綺麗な、名前ですわ。凄く大切にされてるんですのね、藍玉様、の事」 「ええ‥‥そうですね、大事な、存在です」 ピィピィと藍玉が鳴く、どうやら喜ばしい言葉に反応したらしい。 全身で喜ぶような姿は愛らしい‥‥幼子が母を慕うように、一つの曇りも無い。 「雪切様の、相棒は‥‥乃木亜様と違ってるのですね」 甲龍、鶫に視線を移して涙花は口にした。 「ええ、大人しくていい子ですよ〜♪」 続けて、少し悪戯っぽく、乗ってみますか?と問いかけられて涙花は困ったように眉尻を下げた。 「乗りたいですけれど‥‥」 迷惑をかける訳には、と口にした涙花に乃木亜は頷く―――出来れば、沢山の思い出を作って欲しい。 「私達が、いますから―――沢山、楽しんで下さい」 乃木亜の言葉に続けて背中に乗るだけです、と雪切は続ける。 「じゃあ、是非、お願いします‥‥」 少しサービスとばかりに翼を広げて見せる鶫、その翼を見ながら藍玉が寂しそうにパシャパシャと水を浴びた。 「飛べなくても、藍玉は、大切な存在ですよ」 乃木亜の言葉に、藍玉はピィピィと嬉しそうに鳴いた。 少し時は遡って‥‥ 「えーっと、僕、何故来たのでしょうか?」 「当主代理だった筈ですよ?」 青嵐がクスクスと笑いながら言うが、これでは助けてもらえそうにない。 目の前には、竹刀を持った雪牙―――何故だか昔の開拓者時代に話が飛び火し、そのままひ弱な伊鶴に火の粉が降りかかったらしい。 「伊鶴君、無理はしなくていいんだからね?」 心配そうな井伊の言葉に、折角ですからと伊鶴は返答する、が‥‥体躯のいい雪牙を見て。 「手伝って‥‥貰えませんよねぇ」 「私は陰陽師ですからね、商売道具は此方ですから」 楽しげに笑う青嵐の手の中で人形が動く、嗚呼―――と視線が来たノールが口にした。 「生憎、この杖が商売道具だ」 二人とも、決してやれない訳ではない‥‥だが、敢えてやる気はなさそうである。 勿論だ、伊鶴の修練なのだから―――怯えている割に、退く気も無い。 弱い踏み込み、かわされる伊鶴を見て井伊がボソリ。 「頑張る姿に思いの君も‥‥」 女心は女性が、良く分かっていらっしゃいます。 「行きますっ!‥‥虎児に入らずんば何とやら!」 「(それは虎穴‥‥)」 妙な気合の入った伊鶴を見ながら、開拓者達は互いに苦笑したのだった。 ●暫しの休息を 「大した事が無いようで幸いです」 倉城に手当てされながら、すみませんと伊鶴は肩をすくめた。 「藍玉、癒しの水を‥‥」 ピィと鳴いて水を差し出すのは乃木亜の相棒、藍玉。 「やり過ぎたかしら?」 「いえ、あの方を守れるように強くなりたいので。それに師範以外と手合わせするのは初めてですから」 まだまだ頑張れます‥‥と付け足した伊鶴へからすが声をかける。 「頑張るのはいいが、些か無謀のようだ―――涙花殿が心配している」 チラリ、と視線を向ければその言葉の通り、涙花が顔を青くしていた。 「顔が蒼白ですが、大丈夫ですか?」 雪切に勧められ乃木亜に支えられつつ敷物の上に座った涙花が呟く。 「痛そう、です‥‥」 「程々にした方が、良いようだな。涙花もあまり心配しなくても構わない‥‥直ぐに治るだろう」 琥龍に言われてコクリと頷く。 「流石に怪我をされては堪らない‥‥一途なのは、よく分かったが」 思いの君、が先に出てしまう伊鶴を眺めつつしっかり釘をさすノール。 「(家の次期当主という事であれば、良い事かどうか―――)」 勿論です、と姿勢を正す伊鶴の手当てを終えて、倉城が昼食にしましょう、と口にした。 「どうぞ♪お口に合えばいいのですが‥‥」 彼女の持った弁当箱から、梅干、昆布、おかか、鮭の俵おにぎりが顔を覗かせ美味しそう、と伊鶴が目を輝かせる。 「あの、此れ‥‥は?」 具の種類を聞かれているのかと口を開いた倉城、それに首を振って‥‥ご飯ですよね、と首を傾げる涙花。 その様子に、えっ?と開拓者達も固まった。 「―――おにぎりですよ♪」 どうやら知らないらしい、と把握してそっと倉城はおにぎりを差し出す。 「美味しい、ですわ‥‥」 家が料亭の為か、一流の腕を持つ彼女の作ったおにぎりは口に含むと程良くご飯が解けて舌になじむ。 「僕も持ってきました」 おにぎりを差し出す雪切、三角に握られたご飯も丁度具合がいい。 「あ、勿論お店のものです、僕、料理出来ないので」 アッサリ、と言い切った雪切にあら、と井伊が微笑む。 「料理の出来る男の子は素敵だと思うけれど―――」 チラリ、と伊鶴を見れば見事に食いついていた。 「‥‥どうすれば料理が上手くなりますか?」 手にもったおにぎりを握り直し、とでも言うのか手をベタベタにしている伊鶴に青嵐が苦笑する。 「手ぬぐいをどうぞ、それに、一夜にして身に付くものではないですよ」 「伊鶴殿には伊鶴殿の良いところがあるだろう。お茶を飲むといい、落ち着く」 からすに促されて、肩をすくめる。 「この子は、お肉の方がいいのでしょうか?」 涙花の視線の先に、忍犬のディランを見てノールが口を開く。 「そうだな、だがあまり与えすぎるのも良くない」 毛繕いして何?と言わんばかりにノールを見るディラン。 「名前はディラン、忍犬だな‥‥シノビとして訓練されている」 飼い主と飼い犬ではなく、別の絆で結ばれた二人。 「涙花は平気か?」 平気そうな様子に、改めて是の言葉を聞けばついていてあげなさい、とディランを促す。 勿論、とばかりに静かに寄り添う姿は漆黒の騎士のようだった。 「賢そうな目ですね」 青嵐の言葉に、ああ、と頷いてノールがお茶を一口。 「まだ、出会ったばかりだが」 「黒の毛並みも綺麗だな」 動物が好きだ、とからすが口にしてお茶をまた、作る。 「主殿、拙者は?」 「地衝‥‥逆に何処に毛があるのかを教えてもらえるか?」 軽快なやり取りに、一同に笑いがこぼれる。 「んん〜、やっぱり自然は良いものです。お昼寝とかにも気持ちよさそう。こういうお庭とかって落ち着いてていいですね」 「骨休め、に丁度いいですね‥‥おや、嵐帝」 香草を噛んで香りをお楽しみ中の嵐帝、何処か満足そうだが勝手に齧るような性格ではない‥‥首を傾げた青嵐の視界にしきりに頷く雪牙が映る。 すみませんと口にした青嵐に、雪牙は首を振った。 「いや、興味を示していたようだからね‥‥いいと言ったのは俺だ」 笑みと共に来た雪牙はドカリ、と敷物の上に腰を下ろした。 「お邪魔するぞ」 既にお邪魔しているのだが、勿論と返してからすがお茶を立てる。 「いやぁ、庭園はどうだ。少し工夫して迷路のようにしてみたのだが」 拘りはそこなのか、と言いたいものの涼やかに切り返す。 「とても良い庭園です‥‥来た甲斐がありました」 打って変わって、声を顰めからすは口にする。 特に気を付けたい伊鶴と涙花は小豆桜餅を片手にハグハグ、食べていた。 「この庭園の件、有為殿へは如何な思惑で?」 気を悪くしないか、と気にしていた彼女だがそれは一笑にふせられる。 「あっちの嬢ちゃんが何を考えているかはわからん、が‥‥」 遠い目をする雪牙、そのまま声を落として続けた。 「好いた女の、大事な忘れ形見―――可愛いものだ、小さい時から面倒見ていれば特に」 「深く詮索するつもりはないのですが‥‥家が、涙花に害を与えると」 気にしていたらしい、ノールの不意の呟きに遠い目をした壮年の男は目を閉じた。 「そうならないように‥‥」 ●風は歌う 片付けを終えた開拓者達、涙花、伊鶴のお守を任された者と思い思いに過ごす者。 「地衝」 『御意』 「何も言ってないが」 『拙者に昇るのでござろう』 「流石」 高所の景色もまた良し、からすは風に吹かれながら遠くから鳴り響くベルの音に合わせて、横笛を奏でる。 「過ぎて行く季節は、戻らないが」 「ツツジは、環境さえ整えば八百年から千年は生きる樹だそうですよ‥‥私は春の花としては此方の方が好きですね、力強さに惹かれます」 「うーん。でも、どちらも捨てがたくて‥‥ツツジの花も、桜の花もあの方に似合うと」 伊鶴の言葉に青嵐が鷹揚に頷く。 「静かな華やかさなら、桜を。力強い命ならツツジを‥‥花のように美しい君、と言う言葉があるそうですしね。相談なら、聞きますよ?」 真っ赤になった伊鶴が、ガクガクと首を縦に振る。 「あの方を思い出すと気持ちが温かくなるんです―――盲目なのかもしれないけれど、気持ちに嘘は、吐けませんから」 拙い言葉に老婆心かと思いつつも口を開く。 「ツツジは、種類によってはその蜜に毒を隠すそうですし‥‥ああ、深い意味はありませんよ?」 「どちらが、毒なのでしょうか‥‥毒を有する花と、それを摘み取る方と」 不意に呟いた少年は、酷く悲しい目をしていた。 「涙花ちゃんにはちょっと日差しが強いかしら?でも、花を愛でるには天日の下が一番綺麗だから。ま、日陰に咲く綺麗な花もあるけれどね」 片目を瞑って笑みを浮かべる井伊、休憩の間に日傘がそっとそっと差し出される。 「ありがとうございます‥‥」 あ、と口にした涙花がベルを鳴らした。 「少し、頑張ってみましたの」 上手くなった、と拙い演奏を始める涙花に横笛の音が重なる。 どうせなら、と琥龍がリュートを奏で庭園に訪れる音楽の風。 「風は世界を巡る‥‥。想いも音色も乗せて、な」 真上を飛んでいく琥龍の相棒、陽淵。 緑に影を作っては、また風を切っていく――― 「過ぎた昨日を悔やみ嘆く事は誰にでも出来る‥‥だが訪れる明日を変える事が出来るのは、変える意志を持つ者だけだ」 「嘆いて、痛みを感じるから同じ痛みを持つ人を助けたいと―――そう言う考えもあります」 ね、と微笑む乃木亜、皆、日々何かに立ち向かって生きている。 「‥‥私の、思いは―――お父上、お姉様、お兄様、そしてお母様、皆と」 皆と、共にいられるでしょうか? 演奏を止めた涙花は、小さく呟く。 「少なくとも、僕達は出会ってこうして楽しんで、変わったと思いますよ」 一日が、と笑みを零す雪切に涙花も頷く。 「演奏を聞かせてもらったので、お返しに‥‥遺跡や自然とか、そういうの描いて回るの好きなのですよ。今度は添削が入らないのが有難い限り」 雪切が暫く考えては、そうだ、と手を打った。 「涙花さん、モデルは如何です?」 「あ、でも」 どうしよう、と困った様子の涙花だが、やがて皆を見まわして口にする。 「皆様と、一緒のところを描いて頂けたら‥‥」 「あまり遅くなると、家も心配するだろう」 そろそろ、楽しい時間も終わり―――時間に気を付けていた琥龍が気付いて声を上げた。 「あ‥‥っと、その前に」 並んで下さい、と雪切が口にする。 ズラリと並んだ開拓者とその相棒、真ん中に伊鶴と涙花‥‥軽く形を描いて雪切は頷いた。 「うん、後は仕上げます‥‥また」 次の機会に、と口にして彼は帳面を閉じる―――また。 それは次への言の葉。 「いつかまた、皆様と」 小さな希望を持てば、少女には狭い座敷牢。 「失くしたくないけれど、欲しいなんて‥‥わがままですわね」 私、と涙花は呟く。 「涙花様、願いを持つのが人です」 露のような希望を、胸に抱いて―――侍女である鈴乃は涙花から語られる思い出に、静かに涙を流すのだった。 |