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■オープニング本文 ●寒空に咲く華 吐き出す息が白い。 むき出しの顔や手に突き刺さるような冷気‥‥確実に秋から冬へと季節は移り変わり始めていた。 灰色の空からちらほらと風花――雪――がちらついてきている。 「彼女は‥‥元気でしょうか」 いつ、その姿を見たのかはあやふやだ。 乳母に背負われて見たのかもしれないし、輿の中から見たのかもしれない。 或いは、祭りの時だろうか――― そんな事を考えつつ、その少年、花菊亭・伊鶴は空に手を翳す。 降り続く白。 温かな手に触れては解ける、儚い雪。 「雪とは、綺麗なものですね」 笑みと共に侍従を振り返る‥‥その侍従、波鳥は厳しい顔で伊鶴を見ていた。 「ええ、ですが―――全てを覆い尽くすその雪はある種の脅威。早く中へ」 「もう少し、お願いします‥‥彼女にも、見せたいな―――」 言葉を交わしたのかすら、覚えていない。 ただ、まばゆく輝くその姿だけは覚えている。 「伊鶴、早く中へ入りなさい。書道の師範がお待ちだ」 書類を持ち、自室に向かう途中なのか姉である有為の声が飛んでくる。 「もう、そんな時間―――あの、姉上」 少しその語調の強さにたじろぐが、意を決して口を開く。 姉は何も言わず、ただ感情の見えない赤い二つの瞳が此方を見据える。 全てを見透かされる気がして、弱さを晒されるような気がして、恐怖めいたものを感じてしまう。 「姉上―――昔、出会った錦の鞠を持ったあの少女は‥‥」 誰でしょうかと聞く前に、姉の視線が鋭く刺さる。 「それは今、伊鶴には関係のないこと。家の為にならない―――早く勉学に戻りなさい」 素っ気無くそれだけを言うと、有為は足早に廊下を進んでいく。 恐らく、自室に戻ったのだろう。 「姉上―――波鳥、姉上は僕の事がお嫌いなのでしょうか?」 時期当主と言えども、伊鶴はまだまだ若かった。 彼にとって、まだ背負うものはあやふやで、大きく見えないものだった。 「いえ、そんな事はないかと‥‥有為様は有為様でお考えがあるのですよ」 そうだろうかと言う無言の問いかけに苦笑しつつ、波鳥は口を開く。 「わたくしめにお任せを、雪を渡すことは叶わずとも、花を渡すことならできましょう」 「花、ですか?」 伊鶴は首を捻る‥‥今は冬。 花々は眠り、春に向けて力を蓄えている筈―――一部の花を除いて。 「はい、ですが‥‥とても危険な、そう、竜の出る谷に咲く花です」 波鳥の視線に試すような、面白そうな光が宿る。 「教えてください、僕は、その花を彼女に捧げたい―――」 大してあったことも無い相手が気になると言うのはおかしなことだろうか? おぼろげな記憶でしかない相手を想うことは愚かだろうか? ただ、あの暖かな太陽のような笑みを渇望することは愚かだろうか? 伊鶴にとってはそれでも構わなかった。 「かしこまりました、手配はいたしましょう―――さあ、伊鶴様は勉学へ、開拓者ギルドに依頼を出しておきます」 波鳥の言葉にゆっくりと伊鶴は頷いたのだった。 ●君がいるから私がいる やや緊張した面持ちで伊鶴は立っていた。 お金の方は波鳥が工面してくれた‥‥後は開拓者の到着を待つのみ。 姉である有為には友達だと言っているが、それでも突き刺さるような視線が瞼に焼き付いていた。 「伊鶴様、開拓者の皆様がお越し下さいました」 「ありがとう、波鳥」 ゆっくりと障子が開かれて、開拓者の面々を見回した伊鶴は小さく息を吸って、口を開く。 「今回、皆さんに集まってもらったのは『君がいるから私がいる』という花言葉を持つ花を僕と一緒にとりに行ってもらうためです」 そう言って伊鶴は開拓者達に花の絵を見せる。 「ガラスのような透き通る花弁を持つ花で高い場所に咲く花のようです―――ですから、現地まで竜で向かいます。出来ましたら、その‥‥姉上や父上には内密に」 よろしくお願いします、そう言って、頬を染めた伊鶴は頭を下げた。 |
■参加者一覧
井伊 貴政(ia0213)
22歳・男・サ
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
玲璃(ia1114)
17歳・男・吟
巴 渓(ia1334)
25歳・女・泰
四方山 連徳(ia1719)
17歳・女・陰
シエラ・ダグラス(ia4429)
20歳・女・砂
華雪輝夜(ia6374)
17歳・女・巫
辺理(ia8345)
19歳・女・弓 |
■リプレイ本文 ●龍より先に鶴が舞う 「幼い恋のお手伝いっていうのも、たまには良いかなぁと‥‥思いましてね」 そう言って井伊 貴政(ia0213)が言っては、外を見る。 外にチラつくのは雪と色を失った落葉、石と砂の風情ある、もしくは侘しい庭が見える所に依頼人である伊鶴の自室はあった。 「あの地も今頃は、こんな風に白に染まっている頃でしょうか‥‥」 無表情、否、やや顔を固くして呟いたのはシエラ・ダグラス(ia4429)。 次の瞬間に自嘲めいた表情に変わった彼女の過去を知る方法は今はない。 「切欠が何であれ―――」 頑張ってみるのは良いことだと付け足そうとした羅喉丸(ia0347)の声が幼い悲鳴によってかき消される。 「わぁ、お、落ち着いて、鵬伶雲――ほうれいうん――!」 「伊鶴様っ!」 「大丈夫ですか‥‥?」 辺理(ia8345)は吹っ飛んで砂に沈んだ伊鶴を見てそっと近寄る。 華雪輝夜(ia6374)は波鳥の淹れたお茶を飲みながら、淡々と花についての情報を語っていたが落下音についっと、顔を庭へと向けた。 「龍より先に鶴が飛んだな―――」 根性をたたきなおす必要があると呟いたのは巴 渓(ia1334)、既に出発の準備は終えている。 「巫女の玲璃と申します。よろしくお願いいたします」 今、気付いたと言わんばかりに飲んでいたお茶を置いては顔を上げ、伊鶴へと声をかけたのは玲璃(ia1114)、その笑顔に苦笑しつつ伊鶴はお願いしますと呟いた。 「そこで何をしている‥‥伊鶴、他の者達は?」 小さな足音と共に青いみつあみを揺らして冷たい瞳を向けたのは伊鶴の姉である有為。 「いえ、私達は‥‥」 自然と部屋の中へと視線が揺れる玲璃、その後ろからガシャガシャという金属の擦れる音と共にひょっこりと顔を出した四方山 連徳(ia1719)は独特の口調で言い切った。 「弟君がやる気になったらしいでござる、危ないと思ったら、拙者達が何とかするでござるよ!」 素晴らしくイイ笑顔で言い切った彼女、イ‥‥なんだったでござるか? と、内心で呟いているのだが勿論、その心を知る由もない有為、そして話についていけずにキョトンとしたままの伊鶴。 「家を守り、自らを鍛えるために、私達開拓者に訓練を頼んだのです‥‥伊鶴さんの勇気、認めてあげて下さい。お願いします」 辺理が未だ座り込んだままの伊鶴に手を貸しては四方山の言葉に補足する。 「貴公が口にした通り、伊鶴は花菊亭跡取り。龍を連れていかなければいけないような難所へ向かわせる訳にはいかない」 高い位置にある辺理の顔を見て即座に斬り捨てる有為にダグラスも有為の元へと向かう。 「私達が花を取りに行くという課題を与えました、勿論、道中の護衛はしっかりとさせていただきます」 その言葉を引き継いで、華雪が口を開いた。 「‥‥勉学や鍛錬だけでなく‥‥経験することも‥‥大事だと思う‥‥やる気を出して頑張ろうとしているのなら‥‥私は協力してあげたい」 「経験を積まなければ、強くなれない、鍛錬と同じように」 自分の朋友である頑鉄の調子を確かめながら、羅喉丸が呟いた。 他の面々も既に出発準備は整えている。 「やる時はやる男、井伊 貴政がしっかりと護衛させてもらいましょうかねぇ」 ただ、やらない時はやらない男と付け足して飄々と言った井伊の姿‥‥やがて、全員を見回し最後に伊鶴を見た有為は口を開く。 「日暮れまでには戻るように」 そう言って遠ざかる足音に一つの難関は越えたと一瞬ホッとする開拓者達だったがその表情は次の瞬間に一転する。 今からが本番。 「さあ、行くぜ」 そう言って巴が拳を握った。 ●身を切る風は 「―――皆さんありがとうございます、あのままだと僕は絶対喋ってました」 龍を駆り空を駆ける八人の開拓者とその依頼人。 吐く息は白く、寒さは身体に染みてくるがそれは緊張感を高める一つの要素。 「それも依頼の一つですから」 夏香と名をつけた駿龍で前方を飛ぶ玲璃が黒髪をなびかせながらゆっくりと口にする。 「前見てないとぶつかるぞ」 サイクロンを駆る巴に後ろから忠告されてはいっと背を伸ばした伊鶴を見てニヤリ。 「でも、後ろも割りと、気をつけなければいけないかもしれませんねぇ」 井伊の言葉にええっ―――と呟いては後ろを振り向きかけてバランスを崩しかける伊鶴。 「パティ!」 咄嗟に横を飛んでいたダグラスが駿龍、パトリシアに命じては落ちかかった伊鶴に手を伸ばす。 「あ、ありがとうございます‥‥」 大丈夫ですと苦笑するその姿に大丈夫だろうかと全員の意見が一致する。 「それにしても‥‥よほどその人のこと…大切なんですね‥‥」 駿龍、月影に騎乗した華雪が不意に呟く。 険しい崖の上に咲く、ガラスの花弁のような花。 古い文献に少し出てきただけの花、その花言葉は『君がいるから私がいる』秘める誓いに似た言葉に幾つの命が散ったのか。 書に綴られた内容を思い出して小さな息をついた華雪に不思議そうに伊鶴は首を傾げる。 ありがちな熱情、そう言ってしまえば終わりだがそれが原動力となる事を知っている羅喉丸が近づきすぎた龍の距離を離す。 「そろそろ‥‥目的地付近のよう、ですね」 駿龍、万里に騎乗し最前列を飛んでいた辺理が口を開く。 いつしか崖の連なる場所、尖った岩が立ち並び、底知れぬ闇を湛えた場所へと差し掛かっていた。 「大丈夫ですか、伊鶴さん?」 井伊の言葉にガクガクと首を振りながら伊鶴は頷く。 「しっかりしてくれよ、お前が行くんだろ?」 叱咤激励、とばかりに言った巴にこれも頷く。 若干不安を覚えるものの、目的の足場が遠めに見えてくれば開拓者一同、ゆっくりと龍を降下させていく。 「さあ、降りるでござるよ、きしゃー丸、降下でござる」 予め足に縄をつけた炎龍、きしゃー丸が四方山の言葉に一つ鳴いてはゆっくりと足場に近づいて縄を足らす。 そのまま留まっているように言えば、スルスルと鎧をつけているにしては身軽な動作で四方山は降りていく。 それを追って、羅喉丸が降りて、足場の確認。 注意深く見ては、軽く積もった雪を払う‥‥氷を砕いて滑ると思われる危険要素は排除した。 「降りても大丈夫だ」 その言葉に頷いて、伊鶴が続く。 下は奈落、落ちれば命はない‥‥どこか頼りない足取りを四方山が支える。 「滑ったら駄目でござるよ」 サイクロンに乗ったままの巴がその様子を見つつ、声をあげる。 「ほら、下見るなよ!」 「あ、はい、気をつけま―――!」 濡れた足場に靴が滑る、バランスを崩した伊鶴‥‥ 「きしゃー丸、近づくでござる!」 「サイクロン!」 間一髪、二人の支えがなければ今頃伊鶴はこの場所にいなかったであろう‥‥二匹の龍に、そして二人の開拓者に護られるようにして伊鶴はなんとか膝を付く。 立派な家紋のついた大紋や袴は汚れて足にへばりついていた。 「気をつけろ―――命がなければ意味がない」 眉を顰めて厳しい顔をした羅喉丸の言葉にゆっくりと伊鶴は頷いた。 ●啼く龍、駆る龍 その頃、残りの開拓者達は各々の龍を駆って炎龍を翻弄するのに力を注いでいた。 龍は貴重なケモノ‥‥傷つけてはならない。 威嚇の声をあげて接近する炎龍に一番早く反応したのはダグラスの乗ったパトリシア。 回避してはその爪で攻撃しようと素早さを活かして戦おうとする‥‥手綱を引っ張るダグラス。 「ここに喧嘩しに来たんじゃないのよ。堪えなさい!」 「鬼ごっこのはじまりですねぇ」 ニヤリと笑った井伊、帝釈がそれに合わせるように声を出す。 素早さは互角、だが、井伊を乗せている分、帝釈は不利。 だが‥‥その一人と一匹は野生の一匹に勝る。 「急降下、帝釈!」 ガクリと下がる帝釈に追いすがる野生の炎龍、周りは見えていない‥‥その横を駆けるのは玲璃の夏香。 いきなり現れた相手に混乱したのか炎龍の標的が代わる。 帝釈から、夏香へ。 「夏香、全力移動!」 獲物を定めた炎龍は咆哮する、まさかの挟み撃ちに一瞬狼狽した玲璃だがすぐに指示を出す。 「今日だけ許します、思う存分おちょくってやりなさい!」 辺理の言葉に万里が嬉しそうに声をあげる。 心なしかその瞳には楽しげな色すら浮かんでいるように見えた。 挟まれた玲璃と夏香が降下するのに合わせてフェイントをかける―――ひるむ炎龍、上に逃れた辺理と万里、そして帝釈がキックのフェイント。 「‥‥大丈夫、どんな怪我でも私が治すから‥‥だから‥‥頑張って‥‥」 上空で回避を行うのは月影に乗った華雪。 落ち着いた声音で宥めながら、絡めるように回避する。 炎龍の爪をギリギリで交わしては、また、戻ってくる―――決して近づけないように。 祈りを込めたような華雪の言葉に、月影が小さく啼いた。 「パティ、助太刀なさい!」 キビキビとタグラスが指示を飛ばす。 パトリシアは小さく啼いて月影の元へと駆ける。 空を舞う五名とその朋友、そして野生の炎龍が五匹。 「援軍は、無いようですね―――」 玲璃の言葉にそのようだと頷く井伊。 「皆さんは―――」 そう言って視線を移した辺理の横を抜いていく炎龍が一匹。 「万里、追って!」 その後ろを、万里が追う‥‥交戦中のダグラス、華雪、玲璃、井伊。 「帝釈、反撃ですよ!」 今まで翻弄してきた帝釈がキックを炎龍へ放つ。 そして追うために井伊は動こうとして、留まった。 一緒に引き付けているのは玲璃が騎乗する夏香、そしてダグラスの騎乗するパトリシア。 引き付けているのは二匹‥‥このまま、向かうよりも引き付けた方が危険は少ない。 井伊と同じような事を華雪も考えていた。 だが、少々一匹を相手にするには危険‥‥ 「頑張って‥‥」 祈るように呟いた華雪に月影が応える、挟まれる所を、抜けていく駿龍。 「パティ、引き続き、高速回避よ―――!」 ●硝子の花をその手に 「もう、少しです―――」 手を精一杯伸ばす伊鶴、それを守るように立つ開拓者二名。 「非常に不味いでござる」 四方山が眼を凝らして敵襲を告げる。 「サイクロン、行くぞ!」 向かう巴とサイクロン。 巴は手のひらに気を集中させ、片手で手綱を操りながら牽制する。 ギリギリに近づいて、炎龍のファング。 本能的に、弱い者を知っているのか、或いは花の守りとでも言うのか‥‥向かうのは手を伸ばす伊鶴の元。 「来い、頑鉄!」 伊鶴を守るように羅喉丸が立ち、塞ぐ。 それを守る頑鉄、鉄壁の守りの如く揺らがぬその姿。 「牽制でござるよ!」 四方山が大龍符で威嚇する、大きな姿にひるんだ炎龍の前に立ちはだかる頑鉄、後ろからサイクロン。 狙うのは、少し離れた場所にいた伊鶴の龍である、鵬伶雲‥‥目前に迫る爪。 「鵬伶雲、飛んで、高く、避けて!」 言葉のままに、避ける‥‥それは、本能で動いたのかもしれない。 上空にいる方が有利、避けずに攻撃を望む事はない‥‥それでも、嬉しそうに伊鶴の表情は輝いた。 「頑張りどころだ‥‥」 「バッチリ応援するでござるよ」 羅喉丸の言葉、そして四方山の言葉に頷く。 「‥‥こちらは任せろ」 言いたいことは様々、だが、巴は依頼の遂行を優先した。 鵬伶雲に当てないように気孔波を放つ。 徐々に、徐々に、引き離していく。 三匹の龍に諦めたのか、炎龍は身を翻す‥‥速く、速く、逃げるように野生の炎龍は飛んだ―――サイクロンがそれを追っていく。 「やった、届きました!あの方に、渡す花です―――っ!」 やや細い指が硝子のように透き通る花弁を持った花を取る。 せめて、少しでも長く生きるようにと根元を引っかいた伊鶴の指先は冷たく凍えていたが、早く帰ろうと浮かれている。 「皆さん、行きましょう!」 「あんまり走ると危ないでござ―――」 悪夢再びとばかりに滑っていく伊鶴、最悪の事態が開拓者達の瞼に浮かぶ。 「きしゃー丸!」 「頑鉄!」 四方山と羅喉丸が叫ぶ、間に合えと呟いて、手を伸ばすが届かない。 そもそも、花をしっかりと抱いた伊鶴は手を伸ばす事をしなかった―――大切な花を守るように。 「‥‥痛い、わ、わわわあっ!」 否、ただ単に、落ちたことに気付いていないのか。 落下していく伊鶴を追うために四方山と羅喉丸は騎乗して降下していく。 「鵬伶雲‥‥助けて!」 必死に伊鶴は叫ぶが、届くはずもなくゆっくりと彼の龍は空を飛ぶ。 まるで、野生に戻ったかのように。 「荒縄に掴まるでござる!」 必死に手を伸ばす、が、頭から落下していく身体は言うことを聞かない。 「間に合え!」 羅喉丸が叫び、開拓者達も一気に戻ってくる―――此処で死なせるには後気味が悪すぎた。 「パティ、速く!」 ダグラスの叫びと共に、横では華雪が祈るように何かを呟いた。 万里を操りながら辺理が手綱を強く握り締める。 玲璃がもう少し頑張ってと夏香を急がせ―――帝釈に乗った井伊が珍しく慌てた表情を浮かべた。 「―――神楽舞で!」 玲璃が叫ぶが、届かない、既に距離は離れていく一方だった。 岩に叩きつけられるのだろうか、志体を持っているとは言えこの高さでは――― 「大切な花を、届けたいのでしょう!」 ダグラスが叫ぶ、その言葉に、ハッとしたように伊鶴が眼を見開いた。 咄嗟に刀を抜いて、突き立てる―――不安定な動きで突き刺さらない、が、落下する速度は落ちていく――― 「鵬伶雲‥‥来い!」 その横を抜いていく影、まるで、命令を待っていたと言いたげな涼しげな表情を浮かべた駿龍は花を抱いて刀にぶら下がる主の下に下った。 ●人外魔境にさよならを 「大切な方が、いるなら‥‥生きなければ、なりません」 華雪が淡々と紡ぐ、無表情だけに整った顔は尚恐ろしく、雪に住まう雪女のよう。 ただ、その怒りには確かな人の血が通っていたけれども。 萎縮していく伊鶴を苦笑しながら見た辺理が矢をつがえる。 放たれる矢、迫ってきた炎龍の直ぐ横、岸壁ではじける。 大きな音に、開拓者達も怒りの矛先を収めては撤退の準備を始める。 あまり長居するのは得策ではない、少なくとも、人間の領域ではない―――手綱を握りしめ、辺理を先頭にして切り立った崖の上を飛んでいく。 「ああっ!」 また、何か起こったのか―――開拓者達は思ったが、大声を上げたのは伊鶴ではなく、四方山だった。 「そうだ、伊鶴どのだったでござる」 なんだ、そんなことかと言いたげに苦笑して何処となく柔らかくなった雰囲気の開拓者達、だが、約一名その上に立ちこめたのは暗雲。 「四方山様‥‥忘れていたんですね、僕の名前」 「忘れられたくなけりゃ、もっと名前負けしないようにしな」 巴の厳しい言葉に、頷きながら手元の花に視線を落とす。 「でも、無事でよかったです」 玲璃がそう言って、小さく息を吐いた。 愛故の殉職者など、出したくはない。 「そうですねぇ、悲しむ方もいるので」 井伊も飄々とした表情で頷く、その顔に浮かんでいた焦りはとっくに影を潜めて今はいつもの表情だ。 過ぎれば、また一つ話の種になる。 勿論それは、心の整理がついた時、ではあるが。 「急ぎましょう、雪粒が大きくなってきています」 ダグラスの言葉に、開拓者と伊鶴は頷いて龍を駆るスピードを速める。 何時しか見慣れた町並みが戻ってきたとき、既に雪は身体を芯まで冷やす程になっていた。 ●花に託すのは‥‥? バタバタと屋敷内を走り回る侍従達。 「と、此れくらいでしょうか―――皆様お疲れさまでした。夏香もお疲れ様です」 雪を払ってやりながら玲璃が労いの言葉を述べる。 「軟弱もやし坊主を卒業でござるよ、伊鶴どの」 ベシベシと伊鶴の背中を叩きながら四方山が楽しげに笑う。 「花を贈るときは、句や文と共に贈るといいですよ」 そっと耳打ちするのは恋愛段持ちなのだろうか、井伊である。 辺理は伊鶴の思い人に思い馳せつつ、その透き通る花弁に視線を向けた‥‥人の恋路を応援するのは楽しいもの、少なくとも彼女にとっては。 「頑張って欲しいものです‥‥ね」 「上手く花を渡せるといいが、まあ心配する事もないか。一歩目を踏み出せたのなら、二歩目も踏み出せるはずだしな」 羅喉丸は頷き、頑張れと心の中で声援を送った。 「花はいつ、渡しに向かわれるのですか―――?」 華雪が静かに問いかける‥‥勿論、彼女は見に行くつもりであったが。 「内緒です、波鳥、花瓶を―――」 そう言って波鳥の用意した花瓶に花を生けた伊鶴、一人一人に礼の言葉を言いつつ句の書かれた懐紙に包んだ報酬を渡す。 「皆さん、ありがとうございました―――また、何かあったら皆さんにお願いしたいです」 そう言って微笑んだ彼の頬を巴が殴る。 「巴様―――?」 「伊鶴様っ!」 波鳥が悲鳴をあげるが、それを片手で制する伊鶴。 「何故殴られたか、自分で考えな!」 微笑みを湛えたままの伊鶴に苛立ちを感じながら吐き捨てる。 「傷は、ありませんか?」 玲璃の言葉に、ゆっくりと頷く伊鶴。 「大丈夫です‥‥僕は、蔵に金を蓄えて、沢山の侍従をつき従えて政にかかわるのが幸せだとは、思いません。今ある、幸せに、気付きたいと思うのです」 惰弱だと思われるかもしれないけれど、と付け足す伊鶴にそうですねぇと井伊が呟いた。 「出来る範囲の事を頑張るのも大事ですけどねぇ、お姉さんにも気をつけてあげるといいと思いますよ」 いい男の役目ですと飄々と言ってのける。 「はい、頑張ります―――僕は、この家も皆も、大好きですから」 そう言ってありがとうございますと、伊鶴はまた、頭を下げたのだった。 |