月夜に忍び寄る影
マスター名:白河ゆう 
シナリオ形態: ショート
EX :危険
難易度: やや難
参加人数: 5人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/11/01 22:09



■オープニング本文

 仲良く川の字、いや州の字に寝ていた。
 いやいや、そんな行儀の良い寝相ではない。例える字の面も無い。
 長屋の一間に布団を敷き詰めて、子守り奉公の話も本決まりになった長女と二親の間にてんでに転がり潜る幼い年子達。

 その日真夜中に玉吉が目を醒ましたのは、偶然であった。
 夕餉のお菜で喉が乾いたから。
 妹のミキが嫌いな大根の味噌漬けを、母の目を盗みひょいと自分の口に入れ。その後で水をがぶがぶと飲み過ぎた。
 これで布団を濡らそうものなら、こっぴどく叱られる。父と母とアキ姉とユキ姉と、少なくとも四発は拳骨を喰らう。
 自分の腹の上に乗っかっていたユキ姉の脚を除けて、忍び足でそっと障子を開けた。建て付けが悪く、音を立てないにはコツが要る。
(ああ、綺麗なお月さんだなぁー。こないだの丸いお月さんの日みたいに母ちゃんが団子作ってくれればいいのに)
 長屋の奥にある共同厠まで歩くにも怖くない、明るい月の光。
 障子を閉めようとした恭平の目に何か黒い影が蠢くのが映った。
 五人の鼻と口に吸い込まれてゆく何か。
 ごしごしと目を擦っても何も居ない。雲の影かな。
 その時はそう思っただけであった。
 雲ひとつない晴れた夜だったとは、後に聞いた別の者の証言である。
 玉吉は気がつかなかったし、長屋は寝静まって誰も起きていなかった。
 棟上式でもあればとっぷり宵も過ぎてから酒臭い息で帰ってくる通い大工の勝おじさんも、早く帰ってきていたし。

 だから、厠から戻るなり当たり前の日常のように。温い布団に潜り込んだ。
 遊び仲間には恥ずかしくて秘密だが、やっぱりまだ母にくっついて寝るのが一番好きだ。安心して眠れる。

 何も変わらない朝。昨夜の残り飯を湯漬けに働き前の腹ごしらえをする父と一緒の全員揃った朝餉。
 一変したそれは鼠取りの毒を飲んだかのごとき騒ぎだったという。

 転げ叫び、阿鼻叫喚。
 一人無事な玉吉も何が何だか判らず惑い泣き叫ぶ。
 喉をかきむしり舌を突き出し。部屋中に撒き散らされた吐瀉物。
 最初に駆けつけた隣家のおかみさんは思い出しただけで身震いして蒼い顔をする。
 消化も始まらぬ朝餉と血反吐に混じり、黒い蟲がわらわらと。
 吐いても、吐いても。
 全身を痙攣させ事切れるまで、蟲が体内よりおぞましく湧き続けたのだ。

 誰も、手を付けられなかった。
 惨たる死体が転がり。蟲が床中を埋め尽くして蠢く光景の只中に、ただひたすら泣きじゃくる玉吉にさえも近付けず。
 血相変えた近隣の住人に番屋から引っ張って来られた月番の町役人も、覗くなりげえげえと吐いた。
 無理心中の訳もない。怪異である。きっとアヤカシの仕業だ。
「おい、そこの。開拓者を呼んでこいっ!」
 亡骸を清める事も運ぶ事もできなかった。ただ騒ぎだけが増す。

 時間と共に蟲は幻影のごとく、すぅと一斉に薄れて消えた。
 跡に残るは虚ろな瞳を開き苦悶の顔で紫に腫れた舌を垂らした大人と子供。
 消えぬ反吐の臭い。

 狭い路地にざわめく人垣を割って、開拓者が駆けつけた時。
 取り残された玉吉はまだその中で泣いていた。


■参加者一覧
川那辺 由愛(ia0068
24歳・女・陰
菊池 志郎(ia5584
23歳・男・シ
和奏(ia8807
17歳・男・志
アルマ・ムリフェイン(ib3629
17歳・男・吟
エルレーン(ib7455
18歳・女・志


■リプレイ本文

 息を止めていても胸の悪くなるような現場。
 亡骸に合わせた手もそこそこに。泣きじゃくる玉吉へと駆け寄り、汚れるのも構わず膝をつく菊池 志郎(ia5584)。
(‥‥可哀想に。とにかくこの子を何処か別の場所に移さなくては)
「空いてる部屋か、無ければ近くの番屋へ」
「聞いて参ります」
 振り返る志郎。框を上がりかけていた和奏(ia8807)が身を翻す。
「空き部屋は無いそうで。番屋まで下引さんが案内してくれるそうです」
「ではそこに移しましょう。大丈夫、怖くないとこに行きますからね」
 いかにも人畜無害という優しい容姿。穏やかな笑みを向けて目線を併せて語りかけ。こくりと頷く頭を撫で。
 自分の陣羽織を玉吉に掛けて包み、小さな身体を軽々と抱き上げる。
 まだしゃくりながらしがみつかれ、乱れる襟。
「案内お願い致します」
 まだ小僧に毛が生えた程度という若い下引に導かれ、そっと喧騒から逃れる。
 和奏が流水のような身体捌きで、素早く道を開けさせて。人気の無い番屋へと辿り着いた。
(お一人で怖かったでしょうね‥‥)
 傍にずっと付いてやっている志郎と、場を整える和奏。温厚な二人の年長者に世話を焼かれ恐慌から戻ってくる玉吉。
「抱っこ代わりましょうか?」
「ん、どっちのお兄さんがいいでしょうか。それとも座布団の方が落ち着きますか」
 志郎の膝の上から動かない。しがみついた手が強張ってそのままなのに手を乗せて。
 自然に離れるまでこうしていてあげよう。
「あなただけでも無事で良かったです‥‥」
 まだその言葉はよく呑み込めないかもしれない。でも後で思い出した時に。
 自分だけが生き残った事に苛まされたりしないで欲しい。
「和奏さん、飴湯か何か置いてますかね。無かったら白湯でも良いのですが、何か温かい物を」
「近所から貰ってきましょう。ここには何も無いようですし」
 その間に着物を新しい物に着せ替えて、と。汚れているし、散々泣いて涙で湿っている。
(この子の身体には異変は無いようですね)
 泣き疲れてぼんやりと、志郎に着替えさせられるがままに。終わるとまた縋りついた。
 先程までよりは強張りは取れている。
「お持ち致しました。えっと‥‥私は長屋の方に戻っていましょうか。後何か」
「あちらの方が人手必要ですしね。ここは俺だけで何とかなりますよ」
 飴湯をゆっくりと飲ませ落ち着くのを待って。玉吉の身の回りに起きた出来事をひとつひとつ聞いてゆく。
 急かさずに。前後とりとめなく彼が思い出した事から、順々に。
「喉が渇いて夜中に起きて厠へ行ったのですか。それはよくやる事?」
「おねしょしたらゲンコツされるもん。うん、よくやる」
「ご両親もお姉さんも妹さんもぐっすり眠ってたんですね。誰も気付かなかった?」
「うん、ばれないように出た。姉ちゃん達はけとばさなきゃ起きない」
 たまにお酒臭い勝おじさんが帰ってくるとこにかちあうけど、その日は誰も会わなかった。
 障子を閉める時に見た影の話は詳しく聞いた。
(鼻と口に吸い込まれるように‥‥)
 玉吉を怯えさせないように、それが怪しいとは言わない。よほどの偶然でなければ雲の影とは思えない。
 厠から戻った時も変わった様子はなく。家族は熟睡していた。
 布団を片付けるよと母に起こされるまで玉吉も再び眠りにつき。朝餉が始まるまでの日常。
「ありがとう‥‥絶対にアヤカシを退治しますからね」
 話をするうちに眠気が差してきた玉吉を寝かせ。自分の代わりにと羽織を掛けてやる。
 すやすやと寝息を立て始めたのを見届けてから、静かに腰を上げ。
 番人にずっと傍で見ているよう頼み。長屋へと足を向ける。途中薬屋に寄り。
(同じ状況を再現したら。今宵アヤカシは現れるでしょうか‥‥)

「蟲、いや‥‥アヤカシ‥‥また」
 想いを振り払うように、強く頭を横に振るアルマ・ムリフェイン(ib3629)。長い白銀の髪が頬に絡む。
「ごめんなさい、気にしないで。その時、蟲を一緒に吐き出していたんだね」
 思い出すのも嫌だろうけど。どうしても解決の為には聞いておかないとならないんだ。
 隣家のおかみさんを自分の部屋に戻らせて、背中を優しく擦り気持ちを慰めながら発見当時の状況を詳しく。
 外の喧騒から隔離するように、障子はしっかりと閉めて。
「玉吉ちゃんと家族の為だから、ね」
 開拓者が来た時には既に消えていた蟲。とっさに気配を探ったが、もう痕跡はぼんやりとした物。
 瘴気は残っているが、それがアヤカシだったのか何かの術で出現した物だったのか判別はできない。
 確かなのは今アヤカシはこの界隈に、居ない。捉えられる姿では。
(僕達が来る直前まで蟲は居た。姿を消したのではなく消滅したと考えていいんだろうか)
 転げ回りながら、確かに蟲は嘔吐物と一緒に身体の内より出ていた。
「この頃変わった事とか無かった?知らない物や人を見かけたとか。珍しい出来事が起きたとか」
「特に何も‥‥アキちゃんの奉公先が決まって少しは苦労が減るねぇなんてくらいで、子沢山で大変だったから」
「その奉公先って、おかみさん聞いてる?」
「二町先の醤油屋さんだよ、赤ん坊が生まれたばっかりでさ」
 アキが妹弟達をおぶったり手を引いたりしながらお使いに来てたのを関心だねぇって見てたらしくて。
「醤油屋さんね」
 そこも聞き込みにいかなきゃと手帳に記し。
 そう、志郎ちゃんに渡そうと思っていたのだけれど。玉吉を連れ出す彼に声を掛けそびれた。
(あの子、泣き止んだかな‥‥ひどい、ひどいよね)
 薄い板一枚で仕切られた安普請。声を潜めず会話すれば全部筒抜けなので隣家の様子はよく知っている。
 前夜も変わった事はない。普通の暮らしであった。
「喧嘩もよくしてたけど元気な仲のいい子達だったよ、ほんと」
 着物の袖でぐいと涙を拭うおかみさん。話してるうちに少し落ち着いただろうか。
 もっと声を掛けていてあげたいが、他にもあちこち聞き込みに回らなければならない。
 町役人も最初の取り乱しから立ち直っていたが、彼女以上の事は何も知らない。

 醤油屋まで足を伸ばしたが収穫は無く。
「長屋の皆さんの聞き込みは全部終わったわ。あと夜は外に出ないように注意もね」
 気落ちした表情のエルレーン(ib7455)。状況を思えば思う程に、辛さが込み上げる。
 まだ苦悶の姿のまま冷たくなってゆく亡骸を直に仔細に見たから尚更に。
 宵っ張りの住人は少なく、朝早い生業の者は長屋に戻ってきたらこの話で衝撃を受けていた。
 夜どうしても外に出なければならないという者は居なかったので、解決までは気をつけて貰おう。

 生ける者は誰も居なくなった薄暗い部屋。障子越しに隔離された騒ぎ。
「‥‥随分と派手にやってくれたわね」
 顔色を微塵も変えずに、亡骸に手を触れる川那辺 由愛(ia0068)。
 唇に指を掛け、出現させた百足を胃の腑へと潜り込ませる。
(感触を全て私に伝えなさい)
 蟲毒だろうか、いや喰い荒らされてもいる。爛れる中に無数の細かな噛み跡。
 五人が五人とも同じだ。消化物は少なくとも形あるのは朝食べたと思われるものだけ。
「朝餉の最中にいきなり活動を始めたという感じかしら」
 その前からだったらとても食事など始められたはずもない。
「朝餉に当たるような物も無いし、蟲が混入していればあの子だけ無事というのも」
 陰陽師が学ぶ物に毒蟲を使うというそのものな術があるが。
 あれはいきなり体内に発生させる事はできない。それに一瞬で消える。
 七転八倒し、近所の者が駆けつけ、先程まで見えていたというのは騒ぎの中で確かに耳にした。
 蟲そのものがアヤカシだったのか、何らかのアヤカシが放った術なのか。
「人間にできる事じゃない‥‥か」
 爪を噛みそうになって、はたとそれが亡骸に触れていたものと留まる。
「いずれにしても。貴方達の無念は必ず晴らしてあげる。貴方達の苦痛は全てあたしが貰ってあげる」
 己の内に此処に残る全ての想いを取り込むつもりで、畳に掌を置く。瘴気が由愛に吸われてゆく。
 苦悶に歪んだ表情を指で緩め。穏やかな表情にし、瞳を閉ざさせ。
 ただ黙々と一人、彼らの身を清める作業に移った。
 再び障子を大きく開け放ち。外の光が日常の生気に溢れて眩しい。
「丁重に頼むわね」
 運び出されてゆく亡骸。送る由愛の瞳は長い前髪に隠れ誰からも見えないが。
 沸々と滾る怒りが紅も鮮やかに浮かんでいた。


「昨夜一帯が寝静まってから、一度でも障子を開けた家は無いそうです」
 聞き込みに回っていた和奏からの報告。
 故人の人柄から様々な事情まで深く尋ねて歩いたが、これといってアヤカシに目を付けられそうな点も無い。
 明らかな違いはただひとつ。アヤカシがするりと入り込む隙が、玉吉の家にだけあった。
 生活の事情はこの辺りの者、だいたい似通っている。米もお菜も調味料も皆分け合って使っていて。
「どちらから来ても他の家の前を通りますし。たまたま物色してたら、開いたのが玉吉さんの家だったのでしょうか」
 肌寒くなった季節。戸を開け放して寝るような家はこの辺りには少なくとも存在しなかった。
「障子一枚破れない。潜れない。志郎が聞いた黒い影ってのが本体っぽいわね」
「蟲なら入れる隙間はいくらでもありますしね」
 今宵も現れてくれるなら。部屋をできうる限り清め、畳や壁に染み付いた汚れは落ちないが。
 家族の匂いがするような煎餅布団を敷き詰め。志郎が薬を飲み横たわる。
 神経が昂ぶっていて眠れる気はしなかった。やられた人は熟睡していた、それを再現する為に。
「隠れる場所も、無いわね。布団の中で待機するしかないかしら」
 符を握り締めて待機する由愛。和奏も刀を手に同じようにし。
 エルレーンとアルマは外で警戒に当たった。

 ――実験は失敗に終わった。いや成功したとも言える。
 片は瞬時についた。警戒していた所に障子を開けるより前に現れたアヤカシの気配。
 エルレーンの心眼も、アルマの結界も確かにそれを捉えた。
 志郎を狙って漂い寄ったアヤカシを由愛が一撃の元に屠り。
 一匹だけであった。人の眠る気配を察する能力があるのか。眠っていた人数と同じだけ。
 破れかぶれに蟲を撒き散らしたが。外から与えられる毒は開拓者の強靭な肉体を苛むほどの物ではなかった。
 もし体内に侵入されたとしても、勝てたのではないか。苦悶しながら勝てたのではないか。
 他家に眠る気配にありつこうとまごついていた一匹をアルマの撃った術が弾き。
 後は気配を感じさせたが、追う前に遠く消えた。
 拡散した瘴気。薄く、薄く。夜気と一体となって。

 それからアヤカシは幾度待っても現れなかった。
 もうここには二度と奴らは現れない、と思いたい。

「‥‥」
 不快な苛立ち。ぶつけようのない怒り。
 叩いた安普請の板が外れてしまった。洩れ入る白い月明かり。
 エルレーンの胸には違う景色が浮かぶ。
 アヤカシさえ、アヤカシさえ‥‥居なければ。
 家族の愛で溢れていた温かい場所が。
 同じように無惨に奪われた、過去が彼女の胸に浮かんでいた――。