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■オープニング本文 居なくなった猫又を探して欲しい。名は『チャトラ』。 ただその依頼書だけを見ると、単純な家出捜索かのようにも思えた。 まぁ特徴でも聞こうじゃないか、好物が判れば餌で釣る事もできるしね。 待ち合わせの店に現れたのは、くたびれた風貌の志士。 自分達と同じく神楽の都に住まう開拓者だ。年嵩は四十を越えたばかりか。 名を下河原 庸介(しもがわら ようすけ)という。 「ご足労掛けて申し訳ない」 第一声そう詫びた依頼主が話した事情とは。 ただ気まぐれに家を出ただけなら別に探す必要もない。 いや、どうしても気になるのなら自分で探せばいい事。 金を払い、同業者にわざわざ頼み込むような用ではない。 「前から言っていた日が来たんだろう、と。でもただ待っているのは‥‥」 ●寝物語 チャトラの名の通り、少し濃い色合いをした虎縞の毛並み。利発そうな緑色の瞳。 肉付きはやや薄い感じがしないでもないが健康、よく飯を食い、よく眠る。 名付け親は庸介ではなく、彼が港で引き合わされた時に自ら名乗っていた。 「気に入ってるかと言えば別にそういうつもりもない。前の主殿が呼んでいたからそのまま使っているだけだ」 別にお前が呼びたい名前があれば変えても構わぬのだぞ、と逸らされた視線。 人と絆を結ぶのは初めてではない。幾人目の相棒になるだろうか。 名も知らぬ山野で多くの兄弟と生まれ、分別も付かぬうちに猟師に捕らえられ売り払われた。 猫又は市場価値が高く、偶然遭った猟師にしてみれば一攫千金の素晴らしい好機だったろう。 兄弟は離れ離れになり、その後何処へ貰われていったのか定かではない。 調べようとも思わない。どうせ野に暮らしていれば誰が生き残るかは運次第。 自分だって、たまたま良い飼い主に引き取られたから生きている。それだけである。 老成した性格だけでなく、毛艶等からも相当に齢を重ねている事が知れる。 庸介の前は、陰陽師の若い男の相棒として暮らしていたそうだが‥‥別の相棒を手にする為に質に出され。 ひどく裏切られた気分だと多くは語らなかったが、わざわざその男が付けた名を今も名乗っている事から想いは知れよう。 「歳か、おなごに歳を聞くとはお前も本当に無粋な男よのう」 揶揄するような言い方で庸介を恐縮させ。 なんというか婀娜っぽい姉さん女房みたいだというか。一緒に暮らしているとそんな気分にもなる。 女の気配がしようものなら、ひどく妬いてしばらくは非常に扱いあぐねる具合。 ある時気まぐれに教えてくれたが、三十までは数えてみたが後は面倒になったそうな。 実際幾つなのか知らないが、猫又の寿命は大体四十くらいと言われる。 別れの時があっという間に訪れるのは本人が言う通りなのだろう。 庸介と同じだけ時を生きてきた換算になるが、人間に例えればかなりの高齢だろう。 依頼の役に立たぬぞと言われても。港で語らったチャトラに庸介は心惹かれて。 すげなく帰れと言われても、何度も何度も港へと通った。彼女に会いに。 ようやく心を解いてくれた機に申し出て、相棒になる事を認めて貰えた。 一人と一匹の水入らずの暮らしはしばらく続いた。 ある夜。 「いつか、その時が来たらな――」 庸介の薄い布団にもぐり込み、伸ばした庸介の腕に顎を乗せて眼を瞑ったチャトラ。 最期が近付いたと悟ったら、お前の傍を離れる。弱った姿は見られたくない。 それにお前の悲しそうな顔を見て死んでゆくのは嫌だ。絶対に嫌だ。 「思い残す事が無いように、全部やりたい事をやる為に家を出るのだ。だから邪魔するなよ?」 いつ動けなくなるか判らないから、その時は止めてくれるな。 好物をたらふく食って。腹が苦しくなったら、一番日当たりのいい丘で昼寝して。 伊田屋のかまぼこ。棒手振りのきっつぁんから買って隣のお隈が焼いてくれた鰯。 厠裏の正次が博打の儲けで買ってきたとかいうジルベリアの何という菓子だっけな。 あれは舌がとろけるような味だったな。機会があればもう一度食っておきたい。 かといって温泉饅頭も嫌いじゃないぞ。 ふかし立ての熱いのをお前がふーふー言って冷ましてくれたの。覚えとるぞ。 何?全部は大変だ?まぁの。一度じゃ食えぬし、どれかひとつで充分だな確かに。 でな、駆鎧とかいうでっかいの。空を飛んでるグライダー。 間近で見た事がないから死ぬまでに一度、実際に動いてる奴に対面してみたいものだ。 宝珠の力ってそれほど大層な物なのか? お前と一緒に居てもいつまでも見かける機会が訪れる気がしないのう。 その、のんびり屋なとこが好きなんだから文句は言わぬ。今更照れなくていいではないか。 そんな枕語りを聞かせてくれた庸介。 「連れ戻すなんて考えていない。ただ様子を見てくるだけでいいんだ。チャトラが満足そうにしているのを聞かせて貰えれば」 自分が近付いて見つかれば、チャトラは逃げてしまうだろう。それに彼女の気持ちに水を差したくない。 ●路地裏 「おや久しぶり、しばらく見なかったな」 神楽の都内を風来坊のごとくぷらぷら歩いているチャトラを見つけたのはほどなくであった。 開拓者と同居する相棒は数多く、無理な場合は所定の場所に預けるなりしているが。 自由に歩ける者達は、縄張りが被ればそれは顔を合わす事もある。 散歩好きのチャトラはたまに随分と遠出するので、お互いに顔だけはという仲。 その相方がたまたま庸介の依頼を受けたとは奇遇である。 「お前の主は最近どうしてるのだ。相変わらず依頼に飛び回っておるのか?」 他愛もない話。軽く交わしただけでその時は別れた。 「どうせまた明日も来るから」 千差万別の開拓者が通りを歩いている。 かつて絆を結んだ陰陽師の顔がふと浮かぶ、が振り払う。 庸介に出逢えたから、思い出す必要なんかない。 しかし、ふと気になった事があった。他の者はどのように主と絆が深まったのだろうな。 食べ物や珍しい物よりそっちの方が大事だ――。 それにしても眠い‥‥ちょっと散歩が長引いただけで身体が重たいが。まだだ‥‥まだもう少しだけ。 |
■参加者一覧
巴 渓(ia1334)
25歳・女・泰
露草(ia1350)
17歳・女・陰
村雨 紫狼(ia9073)
27歳・男・サ
霧咲 水奏(ia9145)
28歳・女・弓
緋那岐(ib5664)
17歳・男・陰
霧雁(ib6739)
30歳・男・シ |
■リプレイ本文 淡い桃色の緩やかなウェーブの髪に背けた顔が隠れている。噛み殺される嗚咽。 三十路も近い大の男が堪えきれずに泣いている。その容姿は獣耳なのもあり良く目立ち、何事かと通行人が皆チラ見して過ぎてゆく。 「おい、雁の字。依頼受ける傍から泣きそうになってんじゃねえ。よくそれでシノビやってられるな」 でっぷりと太った猫又が呆れた顔で、相棒の顔を覗き上げ。 「ああもう。いいから顔を拭きやがれってんだ」 ジミーと霧雁(ib6739)である。どっちが主なのやら、猫又の方が偉そうに見える。 「しっかし、姐さん出ていっちまったか‥‥」 俺も同じ事やったら雁の字はどうするのかね。その辺走り回って騒ぎ立てられたら恥ずかしくておちおち散歩できねぇぜ。 「せ、拙者はチャトラさんの好物を揃えてくるでござる!」 あ〜、勝手にしろ。美味いもん揃えてくれるんなら有り難いしな。姐さんのご相伴に預かるとするか。 「って。おい、前見ないと危な――」 ドシンッ。 「だ〜、痛ってぇ。悪い悪い、こっちも前見てなかったわ。急いでんだよ俺。先輩捕まえて来ないとな!」 じゃ、と爽やかに片手を挙げて。全速力で走り去ってゆく霧雁と同じ位の体格の青年。茶髪を風に靡かせて。 「はて、あれは同じ依頼を受けていた人だったような」 確か名前は村雨 紫狼(ia9073)。先輩って誰の事だろう。 ゆっくりと骨休めの日。洗濯物も干したし、さあて何して過ごすかなと。晴天に腕をぐいと伸ばした巴 渓(ia1334)。 それをぶち壊すような騒音がやってきた。 「先輩、先輩〜っ!居るかな、依頼に出ちまってなければ返事して〜!」 ドンドンと戸を叩く音。 「こっちに居るぜ。村雨か、そんな泡食った顔して俺に何の用だ?」 早口に捲し立てられる事情。先輩アーマー持ってたよね。それってすぐ動かせない? 「ああ、手入れは怠ってないからすぐ出せるけどな。だが勝手には持ち出せないぞアレは」 むやみやたらに動かしていい物ではないので普段は厳重に開拓者ギルドの管理下に置かれている。 「そういう事情なら話せば判ってくれるか、職員だって人の子だしな。だいたい判った任せておけ」 「先輩、感謝!」 俺なんか拝まなくていいと手をひらひら振って、ぷらりとギルドに顔を出しに行く渓。 「部屋掃除でも何でもやっておくから」 「いや、やらなくていいって。洗濯物は絶対触るなよ!」 「あら、チャトラさんこんにちは!お久しぶりです〜っ!」 「ぬ?露草か、やけに上機嫌だな。‥‥その娘は知り合いか?初めて見る顔だが」 これから軽くお出掛けという装いをした露草(ia1350)と手を繋いで歩いてきたのは人妖の衣通姫。 色違いの深い緑の瞳をしているが面差しが何処となく露草にも似て、年の離れた妹と言っても通用しそう。 「紹介します!この子うちの子です!いつきちゃんって言うんですよ〜」 念願の人妖を養女に。うちの子という言い方でチャトラは、ああと察する。散々露草には会う度に愚痴を聞かされていた。 人妖と縁を結ぶのは本当に運だ。幾ら順番を待っていても需要の方が多過ぎて金を積んだ所でどうにもならない。 それに人工とはいえ生物なのだから本人の意思という物もある。気に添わなければ相棒にだって拒否する権利は存在しない訳でもなく。 互いに心を通わせ絆で結ばれなければ、それは一方的な愛玩か下僕か。友‥‥互いに想いを傾けあう相棒ではない。 無機の道具ですら、その人だけの為に調整された世界にただひとつだけの存在として身を預ける信頼で結ばれるのに。 時には甘味に相伴しながら宥めつつ、人との出会いの自分の経験も語ったりし、露草とは絆や縁について話す事も多かった。 「いい娘に出会ったな。いつきというのか。そうか露草はいい奴だぞ、お前も彼女を選ぶとは見る目がある」 「うん。つゆくさ、いい人なの〜」 人懐っこく擦り寄ってくる衣通姫の着物からはふわりと甘い香りがする。 「これからね、ジルベリアのおいしいのなの。すごく楽しみなの〜!」 「チャトラさんも一緒に行きませんか!せっかくです、奢らせてください」 今ならご機嫌最高潮なので何でも奢っちゃいます。少しくらい高いのだって! 衣通姫に来て貰えた事が嬉しくて嬉しくて仕方がない。 これから彼女を連れて奮発しようと思っていた矢先だ。普段から通うにはちょっとお高い上流向けの喫茶店。 「構わないが‥‥私も入れるような店じゃないなら遠慮しとくぞ?」 開拓者の都だから相棒同伴可という店も多いが。あんまり高級なとこだと断られるかもしれない。 「チャトラさんなら大丈夫ですよ。こんな落ち着き払った方を断るなんて、あそこの店員さんは失礼な事しませんよ」 「ほほう‥‥これは」 色とりどりの花に囲まれるように仕切られたテラス。都にあるジルベリア風の装飾が施された店。 それぞれの客がゆったりと時間を過ごせるようにさりげなく仕切られている。 衣通姫とチャトラの為に高さが異なる椅子も用意され、上品な店員が微笑みながら注文の品を運んできた。 純白に輝く皿の中央にちょこりと載った可愛らしいサイズの菓子。 「数量限定の『桜と木苺のムース』。これいつか食べて見たかったんですよ〜」 桜の花びらを模した形に固められたふわわぷるるんとしたクリームに木苺を甘く煮たソースが載せられて。 「ムースというのか、これは」 「むーす、むーすっ!」 偶然にもそれはチャトラが思い浮かべていた過去に一度だけ食べた菓子であった。 長屋には誰もこの菓子の事を知っている者が居なかったので、初めて名を知った。 あの時はただ美味いなぁ〜と、舌鼓を皆で打っていたが。 「庸介じゃ、きっと店の前に来ただけで尻込みしてしまうのう」 「あ、食べにくくないですか?チャトラさんが嫌じゃなければ、匙であ〜んとかしますけど」 実際、衣通姫にはそうやって食べさせていた。 露草の真似をして食べようとしたら、ぷるりと踊るムースを匙から床に落として一口目は残念な事に。 「美味しいですか?いつき」 「うんっ!」 ご機嫌な二人に大きく手を振られつつ、店の前で別れたチャトラ。 都に長く暮らしてると知り合いも多い。できるだけ動けるうちに会える奴の顔は見ておきたい。 散歩がてら軽く挨拶を交わすだけだが。彼らの顔に想い出を懐かしく振り返りながら。 「お、チャトラばあちゃん。久しぶりだな」 緋那岐(ib5664)に声を掛けられたのは、顔馴染みの呉服屋の前だった。 着物の納品の帰りか、袖に襷掛けの仕事姿で。 軒先に疾風が看板犬よろしく胸を張って座っているのにただいまと声を掛け。 途端に立ち上がり尾を一回だけ振り、渋い声で返事をする疾風。 「こやつもすっかりおっさん臭い動きになったの。まだ若かろうに」 「いつの間にかね。昔は俺と兄弟みたいなもんだったのに」 「そういや子供の頃からの付き合いとか言ってたか」 ここで会ってたまに世間話をする程度なので生い立ちなど聞いた事もなかったが。 「ああ。初めて会った時はまだ俺もこいつも子供だったよ」 今日は何だかチャトラが続きを促すようなので、ふと語りだす緋那岐。 確か‥‥うん、母親が連れてきたんだったかな。疾風は。 経緯は知らないけど、どっかのシノビの里で育てられたとかで。あれ、詳しい事聞いた気がするんだけど忘れちゃったな。 俺の家族って皆忙しくてさ、妹と二人だけで家で過ごす事が多かったんだ。近所も年の近いのが居なくて。 そしたら遊び相手が居ないとやっぱり寂しいだろうって。妹にはもふらさまで。俺には忍犬を。 まだその時は子犬だったなぁ。その頃から利発そうな顔をしていて、俺にもすぐ懐いてくれたんだ。 何処に行くにも後をちょこまかとついてきて可愛かったぜ。今はどっしりしてるけど。 一緒に川まで競争とかしたり。兄貴達も忙しかったから、疾風と遊んでばかり居たかな。 ああ、あんまり夢中になって遊んでたら真っ暗になってて帰ったら疾風と一緒に叱られた事もあった。 一緒にしおらしい顔で俺が正座してる横に座ってさ。 「う〜ん、話して聞かせる程のこれと云った話がないんだよなぁ。すまねぇ」 とりとめもなく語ってみたけれど、珍しい話とかも別に無いんだ。 「いや子供の頃から一緒というのはいいな‥‥聞けて良かった」 もしも庸介が子供の頃に出会っていたら、どんな過ごし方をしていただろう。 他愛ない日常でいい。想い出をもっともっと積めただろうか。 「じゃあな、チャトラばあちゃん。また会おうぜ」 龍の飼育場へと繋がる道。ここは多くの龍が行き来する。 空から直接向かう者もあるが、相棒と共にのんびり地を歩く者もある。 「崑崙もお疲れ様にございました」 訓練からの帰り道。老体の相棒を労いながら道を歩んでいた霧咲 水奏(ia9145)。 「此度は伊田屋のかまぼこをご用意して‥‥おや」 丁重に挨拶するように首を下げた崑崙。向こうからやってきたのはチャトラだ。 「崑崙の知り合いにございまするか?」 水奏は初対面と名乗りの挨拶をするが、先方は既に彼女の事を知っている様子。 「それは失礼を致しました。はて、何処でお会いしてましたかな」 幼い頃に。弓術師の祖父と一緒に。すると崑崙がまだ祖父の相棒だった頃で。 目を細めた崑崙が気安く、背に登る事を許している。それほどの仲なのだろう。 「昔、別の連れと一緒の頃だが。アヤカシを討ちに行って手こずってた時に助けられて以来かな」 ちょうどその時も訓練の帰りだったか。お前の祖父が駆る崑崙の強さに思わず見蕩れたよ。 今はそうか‥‥あの男も故郷の土に眠ったか‥‥。 その時の話は水奏も覚えている。如何なる時も鍛錬を怠らぬ教話として聞いたか。 「拙者が崑崙と出会いましたのもその頃でしたかな」 まるで祖父が二人居るようで。今は無二の朋友であるけれど、かけがえのない師でもある。 言葉こそ解する事はできないけれど。幼き頃から触れて。 「この十数年の中でそれも分かるようになりました」 愛しげに崑崙の顔を見て微笑む水奏。瞼をゆっくりと開閉する崑崙は同意という意味か。 「何を好き、何を目指し、何を為すか導かれたことも、それこそ厳しく叱り付けられも致しましたなぁ」 その苦笑はチャトラの脳裏に庸介の顔と重なった。同じような事、言いそうだな。 「ああ、ところで。ちょうどかまぼこがあるのですが如何ですかな?」 掲げた伊田屋の包み。好物と聞いてではさっそくと渡し、崑崙の背中で美味そうに舌鼓を打つのを微笑ましく眺める。 食べながら崑崙と祖父に育てられた水奏の感謝の想いを聞き。胸の内をチャトラも漏らす。 (最期の時を悔いなきように過ごす、にございまするか) 次の約束があるからと去るチャトラの背中を見送りながら。 崑崙の首筋を寂しげに撫でる水奏。そう、いつか同じような時が自分達にも訪れる。 「崑崙、その時が来れば同じように望みますかな?」 言葉が返せたなら彼は今何と言ったであろうか。 (‥‥まだもう暫く宜しくお願い致しまするよ) 「よっ。アーマーを見たいとか言うんで持ってきてやったぜ!」 「持ってきた?何処にも見当たらんが」 「簡単に運べる便利な道具があるんだぜ。アーマーケースも見るの初めてだったか?」 肩からひょいと下ろされた小さな箱。こんな物にどうやって収まるのだと怪訝な顔をするチャトラ。 (相方があの下河原の旦那じゃ、見る機会も一生無いわなぁ‥‥) 一生、ふと浮かんだその言葉に引っ掛かる。あれこれ我侭言うような奴じゃなかったなこいつ。 真っ直ぐ見据えた瞳がチャトラと重なり、想いを探る。視線はチャトラの方から逸らされた。 「俺もあんたほどじゃないが修羅場をくぐった人間だからな」 もう長くないんだろ、チャトラさんよ‥‥その目の穏やかさで判るさ。 ブーツの紐を直すかのように屈み、彼女だけに聞こえる声で。渓の囁きに耳がぴくりと反応する。 返事は無かった。ゆったりとした足取りで見晴らしの上等な高台へ向かう後ろ姿。 「ジミー」 「あいよ。雁公‥‥はまだ来ねえのか。姐さんが選んだ場所で寛ごうぜ」 「はーい、ミーアも手伝うのです。みんなでピクニックなのです☆」 元気よく腕を挙げる土偶。うん、たぶん土偶。 製作者いや発注者か。どういう趣味だったのか、かなり土偶の常識からは逸脱した外見をしている。 その綺麗な質感を出す為にどれくらい失敗作が積み重ねられただろうか。 ミーア曰く『ろーるあうとしてから一ヶ月くらい』だそうだ。 「マスターと一緒にお外を歩けると思いましたのに」 何してるのか紫狼はやって来ない。ぷぅとむくれる仕草をするが。そこは土偶、頬は膨らまない。 「生まれたばかりか。壊れない限り一緒なのだから身体は大事にせいよ」 「はい、なのです〜」 きゃっきゃとはしゃぐミーアをあれもこれも羨ましいとチャトラが言う。 それを更にジミーが間髪入れずに囃し立て。 「で、デートなのですかぁ。マスターと!?」 人間の男女がする、あの。ミーアの妄想が空一杯に広がる。 マスターとあ〜んな事やこ〜んな事や。 彼女の名誉の為に記しておくがミーアの想像はもちろん健全。夢見る少女の王道コースを驀進している。 ところどころとんでもなく間違っているが、修正はまたの機会に任せよう。 「きゃあ〜、想像するだけでドリルアームが止まらないのですぅ!」 本当に腕がグイイイーンと。紫狼が傍に居れば突っ込む所だが、周囲は呆れた目で見るだけである。 (さてと。見せる以上は派手にやらせて貰うぜ!) 広場となった絶好の位置にドンとアーマーケースを勢い良く置く渓。 「出ろおおおっ!ガァンドゥアァァァァムッ!」 ギルドへの正式登録名称はカイザーバトルシャインだが、愛称として渓は自分のアーマーをガンドアームと呼んでいる。 泰拳士の自分の動きを可能な限り再現できるようにチューンナップして貰った愛機。 乗り込むなり最大出力。稼働時間の限界まで、泰拳士の演舞の型をアーマーで表現する。かなりの負荷を加えるのは承知の上だ。 焼き付けるようにそれを目に納めるチャトラ。長生きしたとてこんな演舞はもう見られないだろう。 宝珠に開拓者が念を注ぐだけでここまでの事ができるとは。人間が産み出す技術というのは素晴らしい。 「遅くなったでござる!」 息を切らして全力疾走してくる霧雁。チャトラの好物を全部揃えようと今まで奔走していた。 さっき露草や水奏に食べさせて貰った物も混ざっているが。 「姐さん、雁公に旨いもの買わせたから一緒に食おうや。遠慮はいらねえぜ」 ミーアも形だけは一緒にご馳走を相伴して。 「チャトラさんはチャトラさんのマスターと居て楽しいですか?」 その返事よりも先に、ミーアはマスターと一緒に居て楽しいですと幸せ一杯に。 これから先、チャトラさんに自慢できるような事をたくさん作っていきますね。 「お前のマスターがどんな顔で反応するのか見てみたいな」 「だったら遊びに来てくださいなのです♪」 明日から毎日でもいいですよ。いやそれは遠慮しとく。 ‥‥庸介の顔も見たいしな。 食べたり寝たりは必要ないのだけど、一緒に若草の上に楽しそうな顔で転がる。 「後はジミーの敷き布団に‥‥ぐぇっ!重いでござる」 呵責無しに猫又としては重量級の身体を思い切りジャンプで落とすジミー。 「姐さんもどうだい?相棒の腹に勝る敷き布団はこの世にねえ。俺は常々そう思ってんだ」 「ミーアも帰ったらマスターにやってみるのですぅ〜」 苦笑しつつも腹がくちくてごろりと転がるチャトラ。すぐに穏やかな寝息が訪れる。 演舞の後姿を消して庸介をこっそりと連れてきた渓。遠くから彼らを眺め。 「まぁ、気位が高いようだからな」 「すみません‥‥皆さんにここまでして戴いて」 「いいって事よ。大先輩だからな、これくらいお安い御用さ」 これからどのくらいの日が残されているか判らないが。 気持ちよさげに眠るチャトラの夢はこの日だけでたくさん増えたようだ。 |