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■オープニング本文 桃の精霊を祀る社、だがその地に桃の木は無い。 気が早くも色を付け始めた木々の葉が深い緑の中にちらほらと見え始めた季節。 竹箒を手に、ゆっくりと掃き清める全身白装束の少女の姿があった。 よく見ると装束は淡い薄紅色で彩られているのだが、遠目には秋空の下で冷涼とした白くほっそりとした姿が浮き立って見える。 硝子のような銀色の瞳を物憂げに曇らせて。社の巫女は小さな息を吐く。 (お義父様より受け継いだ、あの社が‥‥もう消えてしまったでしょうか) 少女がこの世に生を受けるより前。 この地には対である双子の社が村の安寧を見守り、桃の精霊を祀る人々の手により儀式も執り行われていた。 しかし瘴気が土地を侵し、美しい森が魔の森へと変貌を遂げ。 徐々に広がりを見せた魔の森は対の社がある辺りを覆ってしまった。 人は住処を追われ、建物は打ち捨てられ――。 かつて往来があったその村はその営みを終えた。 先に遠きジルベリアの地で大乱があった際に、少女は母の故郷の平和を祈る儀式の為に開拓者と共に魔の森へ踏み込んだ。 村より出る事も無い彼女は、その戦乱がどのような結末を迎えたかは知らない。 故郷へ戻った母の友は、それ以来音信も無い。無事に生き延びて、また逢える日が来れば良いが。 ――魔の森が広がっている。 この村からは高台より遠く望むくらいの距離であるが。毎日見てもそれと判らない速度であるが。 少しだけ、少しだけ、まだ呑まれていない打ち捨てられた建物に近付いた気がする。 いつかは全てが呑み込まれてしまうのだろうか。失われた国、冥越のように。 「紫花さんや‥‥こないだの話は本当にいいのかの?」 畑で取れた野菜をお裾分けと届けにきた老婆が、箒を手に佇む少女に穏やかな声を掛ける。 紫花、彼女には母より付けられたリディアという名もある。 異国より幼子を連れてこの地に流れついた母は今はこの社の先代の主であった義父と共に墓の下に眠っている。 村に馴染んで暮らせるよう義父が新たに付けてくれた紫花という天儀人風の名。こちらで呼ばれる事の方が多い。 どちらの名も愛しているので、紫花自身はどちらで呼ばれてもいいと思っている。 「私の我侭の為に、誰かを危険に晒す訳にはいきませんから‥‥」 春先に一度だけ。 儀式を執り行う為に、開拓者の護衛をお願いして魔の森に足を踏み入れ、対の社へと訪れた。 半ば朽ちかけた社を囲む桃の木は大半が瘴気により変質していたが、ただ一本だけが耐えて。 僅かな力を振り絞って幾つかの花を咲かせていた。 孤独に咲いていたその梢も、来年まで持つか‥‥一向に衰退する様子を見せない魔の森の生命力を前に危ぶまれた。 その場に留めておく事が無理なら、精霊様の力が完全に失われる前にその枝をこの社に移せないだろうか。 つい村の人達の前でそんな話をしてしまった。それを老婆は覚えていたのだ。 「この村に桃の木は無いからの。やはり、間に合ううちにお移しした方がいいと思うんじゃが」 「まだ無事であれば‥‥ですけれど」 「村の皆の衆とも話し合ったんじゃ。皆同意しておるし、今年は収穫も良かったし蓄えは充分にあるからの」 「でもそんな、皆様の蓄えを出して戴く訳には‥‥」 「いいんじゃ、いいんじゃ。精霊様のご加護の為の寄進に何を惜しむか。それで開拓者を雇うとええ」 その場では煮え切らなかった紫花であったが。 翌日になって村人総出で社を訪れ、説きほだされると遂に決断をした。 魔の森にあるご神木の枝をこの村へ――。 危険を伴うその依頼は、開拓者ギルドへと届けられる事となった。 |
■参加者一覧
周太郎(ia2935)
23歳・男・陰
浅井 灰音(ia7439)
20歳・女・志
霧咲 水奏(ia9145)
28歳・女・弓
そよぎ(ia9210)
15歳・女・吟
琥龍 蒼羅(ib0214)
18歳・男・シ
風和 律(ib0749)
21歳・女・騎
禾室(ib3232)
13歳・女・シ
シルビア・ランツォーネ(ib4445)
17歳・女・騎 |
■リプレイ本文 (再びこの地を訪れる事になるとはな‥‥これも縁か) 秋の陽光に照らされた桃の精霊を祀る神社。 この春にも訪れ、その折には楽を嗜む腕前を披露した琥龍 蒼羅(ib0214)。 花の盛りも過ぎ去り、うら寂しくなった風景にそよぎ(ia9210)は何とも言えぬ表情をして辺りを見渡す。 「あたしはジルベリアで、できる精一杯をやってきたけど。でも傷つく人はやっぱりたくさん出たわ」 リディア――この社の主、紫花のもうひとつの名前。そよぎには以前に呼んだそちらの名前の方が唇から紡ぎやすい。 儀式の華やかな衣装や音色に浮かれていたひとときを思い出し、そして平和を祈った先の戦の結末に想いを馳せる。 「そんな暗い顔するでない。この世の全てを助けるなんて無理じゃが、わしらに今できる事をひとつでも片付けようぞ」 随分と低い位置から聞こえてくる叱咤の声。何処の子狸が紛れ込んでいるかと思えば禾室(ib3232)であった。 極端に大柄な者も居ない顔ぶれなのだが、存在を主張しておかないと視界に入らず衝突されてしまいそうな体格。 「そうだな。魔の森と戦っていかなくてはならない以上、せめて村人達の心の拠り所は守ってやりたい」 静かだが力強く、風和 律(ib0749)がその願いを声に表して。 魔の森は剣や力で易々と押し返せるようなものではない。悔しくはあるが認めなくてはならない現実。 しかしながら自分の力がどれだけ通用するか、それを知りたい気持ちも同時に存在する。 「村にまだ大きな被害もないのは、ご神木のご利益なのやも知れませぬな」 移設の為に必要とする道具と知恵を借り受けに、前日より村の各戸を訪ね歩いた霧咲 水奏(ia9145)。 (アヤカシと魔の森の脅威から民草を護る事こそ霧咲家の本懐‥‥必ずや成し遂げまする) 土地は違えど、彼女にとって故郷理穴と重なる心象。 道中に周太郎(ia2935)にふとそんな話をしたら、彼もまた胸の内に里を浮かべていたよと呟く。 瘴気に侵された薄闇の中にぽつりと、置いてけぼりの桃の木。そこに宿る神は孤独の中、どんな想いで居るだろうか。 (なぁ、姿も変わらずそこに立ち続けているなんてどれだけしんどいんだろうな。今‥‥迎えに行ってやるからな) 生来ではない金色をした前髪を指に絡ませ、周太郎は心の中で神の依る木に呼びかける。 「紫花さん、支度はいいかな?もしも苦しくなったらすぐに言うんだよ。無理に急ぐ必要はないから」 白を基調とした戦乙女の装束が眩しい浅井 灰音(ia7439)の笑み。 「あたしが絶対守ってあげるわ。別に、か、勘違いしないでよ。依頼だからそうするだけなんだからねっ」 頼もしげに胸を張るが、言ってから自分の言葉に照れてぷいと顔を背ける獣耳を装着した少女。 金髪碧眼の騎士のシルビア・ランツォーネ(ib4445)。 風に折れそうな紫花とは対照的に燦然と輝く太陽のよう。その所作は自信に溢れているが別に根拠がある訳ではない。 「準備がいいなら早く行くわよ。日が暮れるまで付き合ってられないんだからっ」 「はい、よろしくお願い致します」 丁寧に頭を下げる紫花。禾室がぐいと可愛らしい肉球の付いた手袋に包まれた拳を振り上げる。 「桃の木救助隊、出発じゃ!」 ●魔の澱む森へ 森の薄闇を切り拓くかのように先頭を歩むのは律と灰音。双肩に纏った純白の外套が揺れる。 分厚い鎧に身を託し真正面からの制圧を得意とする重戦士型の律。それに相応しく備わった力。 長身の灰音はややそれより線の細い優美な武装。弓も得手とし変幻に飛んだ戦術を使う。 後ろの方では禾室がピコピコと動かす耳に神経を集中させ、辺りの音を警戒している。 「瘴気が濃すぎて見分けるの無理かなぁ〜。任せた方が良さそうです」 結界を張り、微かな輝きに包まれたそよぎ。 森そのものが瘴気を強く帯びていて、もしアヤカシが居たとしてもよほど強烈な個体でも無ければ判別が難しい。 人の踏み分けぬ細道。半年という間にも瘴気を糧として随分と伸びた草が行く手を惑わせる。 後ろを歩く者を考慮して足元を踏み固めはするが、できればアヤカシに感知されるような痕跡は小さく済ませたい。 そんな律の足跡をそよぎが踏み、周太郎、蒼羅と続く。前後両面の守りやすさと地形による絞られた選択から、紫花を中央とした二列縦陣で一行は進んでいる。 時折足を止めて『神緑』と銘された愛用の弓の弦を弾き。心を研ぎ澄ませその共鳴が表すものを探る水奏。 「進行方向にも‥‥たくさんの気配がありまする。避けるとしたら相当大きな迂回が必要ですかな」 「にも、という事は他にも居るって考えていいのかな。全部避けるのは難しいだろうね」 「下手に道を変えると俺達が位置を失いそうだしな。‥‥紫花さん、どうする?」 確認をする灰音。それに言葉を続けた周太郎。最初から強行のつもりではいたが、改めて案内の主に問いかけ。 魔の森に覆われてからの地理は誰も知らぬ。やはり知る道をそのまま進むのが最良と思われる。 「消耗は最小限に。後ろの者は紫花から離れるなよ。突破は、頼む」 背後を守る蒼羅、その声に皆が頷きを返す。 「じゃ、行くよ」 「来た、右方から鎧の動く音が多数!前にも足音がするのじゃ!」 「承知した。それは自分が食い止める。皆は灰音に付いて行ってくれ」 耳をピンと澄ませた禾室が敵の戦力分布を音で判別する。大剣を抜き構えた律から闘気が立ち昇り。 獲物に歓喜する鬼達の雄叫びが木々の間を抜ける。それに混じる怨霊の嘲笑うおぞましい響き。 「悪いけど、ゆっくりしている暇はないんでね。一気に突破させてもらうよ!」 薔薇の装飾が施された美しい剣が薙ぐ確かな手応え。軌道と共に描かれる鮮血の華。 振りかざされる棍棒を潜り抜け、進路を塞ぐ別の鬼へと次の一撃。 ヒュンと風を切る矢が、灰音に迫ろうとしたアヤカシの無防備な褐色の胸板に突き刺さる。 「水奏、できるだけ紫花に近付く奴から優先してくれ。頼んだぜ」 陰陽師でありながら刀を手に接近戦へと飛び込む周太郎。 「周殿、数が多いでござる。あまり無茶はなさるな!」 「オン・マリシエイ・ソワカ!」 圧倒的に体格の上回る敵に掴みかかり、零距離での斬撃符。返り血が真っ赤に身を濡らす。 恋人が得意とする危険極まりない戦いの作法に、心の臓が跳ねそうになるのを抑え的確に即射を繰る水奏。 「舞っている暇はありませんね。リディアさん、こっちです」 慣れぬ実戦にまごつく少女の手を引き、そよぎが走る。誘導するのは手裏剣で戦いながら進路を選ぶ禾室。 複数を相手に木々を盾に活用しながら骨鎧達の進路を巧みに塞ぐ律。それでも一人では抜ける敵もある。 「見切り、断ち切る‥‥」 速を是とし、鎧の隙へと刃を腰溜めから一気に狙った箇所へと打ち込む蒼羅。 固い腕骨が砕け、錆びた刀が地面に転がる。 瞬時に戻した刃。武器を失った骨鎧に足払いを掛け、別の個体の懐へと飛び込み下段から顎を狙う。 鉄兜が甲高い音を発して宙を舞い、次の吐息で振り下ろされた刃が剥き出しになった頭蓋を地に転がす。 「こ、こっち来るなんて馬鹿なのあんた達。寄ってこないでよねっ」 自分で挑発して紫花に敵が向かわぬようにしておきながら、言ってる事は矛盾してるシルビア。 騎士の剣術の型、何それ?と力任せに振り回される両手剣。 その類としては軽量級だが、全力で振られる破壊力は抜群。 軌道上にあるモノは全て薙ぎ倒す。勢い余って、その辺の茂みまで豪快に吹き飛ばしているが。 「そこらで会う怨霊よりしぶといね。これが魔の森の力なのかな‥‥」 剣は精霊の力に頼らずとも効くが、相手の呪詛は耐えるしかないのに苦しめられる。 先頭に立ち集中砲火に割れるように痛む頭を振り。灰音はアヤカシに塞がれた道を切り拓き、果敢に突き進む。 水奏の射た矢に仰け反った怨霊を周太郎の霊魂砲が弾き。 「よし、後少しだよっ!頑張って!」 息の上がりそうな紫花を振り返り励まし。灰音は鬼の腹を貫いた剣を引き抜き、血を払う。 「律さん、蒼羅さん、行きますよ〜!」 そよぎの声に敵を切り払いつつ駆けてきた二人、傷ついた身体を優しい風が撫でるようにふわりと包み込んで。 「諦めてくれたかの。追っては来ないようじゃ」 かなりの数を蹴散らした。完全に劣勢となったアヤカシ達は退き。 中には追うモノも居たが、そちらは殿を務める者が始末を。 ●神の宿る木 「まだ無事で居てくれたんだな‥‥」 朽ちかけた社を守るように枝を広げた神木に再会して、蒼羅が瞳を和ませる。 俺にとって始まりであった、この場所。決して忘れはしない。 「今から少し傷つけるけど我慢してね。絶対根付かせるから、安心して。さ、あたし達と一緒に帰ろう」 固い幹に抱擁し、精霊に語りかけるそよぎ。冷たい樹皮の感触に、もう寂しくないからと頬を当て。 今の内に少しでも回復をと懐より符水を出して勧める水奏。あたしのも使ってとそよぎも取り出す。 拙者は平気ですからと弓を手に辺りの警戒に立つ。神木を囲むように守る者達。 「あたし達が何本か持ってってあげるから。どの枝がいいか紫花、あんたが決めてよね」 桃の木の事は素人なんだから、当然でしょと顎をツンと背けるシルビアだが。思い入れを尊重してやろうという好意だ。 それを直接口にするのは照れくさくて。ついついそんな言い方になってしまう。 「言うだけあって、それなりに見事な木ね」 背中を向けたままぽつりと。そんな素直じゃない態度に灰音がくすりと笑いを漏らす。 「な、何よ!」 「いいや何にも。しっかり周囲は見てるから、安心して紫花さんの手伝いをしていいんだよ」 村の年寄り達からの助言で、できるだけ今年伸びたばかりの若い枝を選ぶといいと。 上手く根付くか不安なので数は多い方がいい。 身軽な禾室がするすると神木に登り、条件に合いそうな枝を選んで丁寧に鋸で切る。 下で受け止めたそよぎが濡れ手拭で切り口を優しく包み、幾つかの束に仕分けて荒縄で纏める。 「こんなものかの。おぬし、この瘴気の中よく頑張ったの」 降りてきた禾室が労うように人間の肩であるかのごとく幹を軽く叩いた。 「枝、あたしも一本くらいは持っててやってもいいわよ?」 一番量の多そうな束を選んでしっかりと抱えるシルビア。 「水奏、弓を引くのに両手を使うだろ。それは俺が持つよ」 いざとなれば片手で符を使えれば俺は何とかなるさ。そう言って神木の枝を持つ周太郎。 その間は紫花はできるだけ休憩させた。少々強行軍だが出発を急ぎ、同じ道を帰路に選ぶ。 散発的に現れるアヤカシはその場で蹴散らし。枝を持った者は保護を優先し、抑えた動き。 律がその体力を活かし、身体を張って壁となる。 数が少なければ弓で律と息を合わせて援護する灰音。多ければ再び剣を手にして横に並び立つ。 「後少しという所でござりまするが‥‥」 またも多勢の気配を捉え、唇をきつく結ぶ水奏。 目を見交わし、このような場合を想定した作戦を確認しあう一行。 ここまで来れば、森から出るアヤカシを殲滅する。背後は人の住まう地に続く。一匹も逃しはしない。 「いいかい紫花さん。森を出たら一気に走って離れるんだよ。私達の事は心配ないから」 「禾室、枝を持って紫花と一緒に走ってくれるかな。シルビアとそよぎはここに留まって」 誰がどう動くと最も効率が良いか。巫女が二人とも居なくなるのはきついし。 熟慮した律が禾室に役目をお願いし他の者の分も枝を預ける。 「了解じゃ。わしならば安全な場所まで枝と紫花さんを移したら、すぐに戻ってこれるからの」 「まず全員で突破だね」 オーラを纏った律とシルビアが先頭でアヤカシの攻撃を浴びながら剣を振るい。 速さを生かした灰音と蒼羅が更にその突破口を広げる。 「オン・バジラ・ヤキシャ・ウン!」 枝を預けた周太郎も刀を抜き、纏わせた黒い霧を骨鎧に浴びせて蝕ませ。 扇を広げたそよぎが、見た目には微妙な腕前の舞を繰り広げつつ前に立つ者達に精霊の加護を。 紫花を気遣いつつ速度を合わせて走る禾室。それを水奏の矢が援護してアヤカシから遮断する。 全身を眩い山吹色の光に包んだシルビアが回転による力を加えた剣撃で大鬼の鎧をへこませる。 武器を太刀へと替えた蒼羅は、敵の武器を振りかぶった直後の隙を狙い。 攻撃を避けると同時に掴んだ黒い柄。膝を着かんスレスレに沈めた身。 肩の鞘から振るう上段の刃から吹き上げる精霊の炎が、迫った骨鎧を一気に仕留める。 怨霊の呪詛を阻む灰色の地場。 「ちゃんと対策は、ね」 瘴気と相殺され瞬時に消える精霊の力。繰り出された灰音の剣が怨霊の呪詛を悲鳴へと変える。 「さあ、わしも参戦なのじゃ!」 戻ってきた禾室の手から次々と放たれる手裏剣。それに続いて結んだ印から雷の刃が骨鎧を撃つ。 霊魂砲での狙撃に切り換えた周太郎が水奏の狙う敵に連撃を与え、二人で協力しあい着実な速度で敵を減らす。 激しい戦闘の末、森の出口での戦いはアヤカシ側の惨敗に終わった。 ●桃色を紡ぐ若枝 「やっとお弁当が食べられるのじゃ」 昼食というには随分と遅い時間になったが。持ち帰った枝は仮植えだけして明日という事に。 紫花の住居で熱い茶も用意され、畳に車座になって広げた村人心尽くしの弁当。 「もう戻って来ちゃったけど。せっかくの厚意だから無碍にはできないわね。貰っておいてあげ――」 言い終える前に腹の虫が全員に聴こえるような音で鳴った。顔を紅潮させるシルビア。 ではさっそくと、きっちり正座して戴きますと一礼する禾室。皆が続いて唱和する。 若干塩味のついたおにぎりに具は梅干。激しい労働と持ち歩きに備えた濃い味が身に染み渡る。 素朴な食事だが、気遣いがしっかりと込められていてそれが心身を癒した。 境内から集落に続く道端を柔らかく掘り返し。間隔を空けて植え並べられてゆく桃の若枝。 これがもし順調に育つなら、幾年月の後には見事な桃の並木が社を訪れる人々を迎えるのだろうか。 「なぁ、この小枝どもが大きくなった頃にまた見に来ないか?」 二人ずつ組になり進められた作業。傍らに居る水奏にそう呟く周太郎。 「ふふ、本当に仲が良いなぁ。あの二人は」 頬を綻ばせる灰音に釣られ、手を止めた律がそちらへ目を向けると。 さりげなく背に腕を回した周太郎に水奏が寄り添っている姿が見えた。 「花は無くとも‥‥あそこは桃色のようだな」 淡とした律の声には笑いが噛み殺すように含まれていた――。 |