薔薇のような笑顔を
マスター名:白河ゆう 
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/06/29 18:27



■オープニング本文

 北面は仁生の都。『翠屋』という看板。ほんの少しだけ裕福な茶問屋である。
 息子夫婦に商売を譲り、悠々自適の暮らしをするご隠居。
 店屋敷の裏に広がる色鮮やかな花畑は全部、全て彼の趣味である。
 世話はさすがにご隠居一人では手の回らない事も多く、女将や手の空いた使用人が手伝っている。
 ただ珍しい花を育てている一画だけは、水の量やら肥やしやらこだわりがあるらしく人には任せない。

 足腰も丈夫、頭も少々頑固ながらしっかりとしていて、時間もたっぷりとある。
 そんなこのご隠居の最大の贅沢は、見物旅行も兼ねて、供を連れて年に一度神楽まで出向いての珍種の買い付け。
 出身も多様な開拓者が各地を歩き、異国からの知識や文化の流入も激しい神楽の都には様々な物が行き交っている。
 今年新しく買い付けてきたのはジルベリアから渡ってきたという薔薇の種。天儀の気候でも充分に育つはずだとの売主の口上。
 天儀の花ではなかなか多くは見られない、華麗で豪奢な花弁がそれは見事な風情だと。
 旅路より戻ったご隠居はどんな見事な花が咲くかと楽しみで胸を膨らませ、丹精込めて育てていた。
「咲いた、咲いたぞっ!」
 早咲きの一輪が初めて花開いた時には、それはもう子供のように手を叩いて喜び家族を呆れさせたそうな。

 次々と色合いも微妙に違いを見せる薔薇が咲き誇り、近隣にも自慢していた花畑。そこへ現れた花泥棒。
 真夜中誰もが寝静まっている時に板塀を越えて盗もうと思えば容易である。数日置きに一本ずつ盗みは続いた。
 予期せぬ不心得者の登場に、ご隠居は烈火のごとく怒っていた。
「犯人を捕まえろ、簀巻きにしてたっぷりお灸を据えてやるわい!」

 と言ってもご隠居が自ら徹夜して張り込む訳ではない。損な役回りを命ぜられたのは丁稚の紺太だ。
 彼は現場を押さえず、後を付けていって様子を窺って問いただしたのだという。
「悪そうな人に見えなかったので、何か理由があるんじゃないかと‥‥」
 ご隠居には追いかけたが逃げられたと報告してがっつりとお叱りを受けたが、その日以来花泥棒は止んだ。

●花泥棒の事情
 平身低頭詫びたその男は日雇いの銭で暮らしを立てている貧乏志士、鴫原尋之介。
 刀の腕ひとつで食っていくには気が弱く、これといって人が良い以外に取り得もない。
 妻を早くに亡くし、いつも腹を空かせた食べ盛りの男の子達を四人も抱えてやもめ暮らし。
 そんな彼が何故に花泥棒などしでかしたかというと‥‥。

 エルマ。
 同じ長屋で近所付き合いをしているジルベリア出身の女性である。
 博打商売ばかり手を出す男前にころりと参って騙されるように渡ってきたはいいが、こんな暮らし。
 それでもエルマは彼を愛して信じて、子供も生まれて幸せに暮らしていた。
 ある日洗濯をしながら雑談に夢中になっていて、井戸によじ登った子供の転落に気付かなかった不運。
 我が子を自分の不注意で死なせてしまったと思い悩み、それを夫に散々なじられ殴られて。
 気の病で塞ぎこむようになってしまった。心の扉を閉ざしてしまい何を言っても反応せずぼうっと座ったまま。
 夫は散々罵倒して殴りつけたあげく出て行ってしまい、それきり行方知れず。
「あんな男はのたれ死んじまえばいいんだよっ」
 同情してエルマの身の回りの世話を焼いている近所のおかみさん達は一様に言う。
 促せば食事もするがそれも最低限。頬はこけ、眼窩は窪み。
 厠くらいは行くが湯浴みもしない、髪も梳かさない。
 かつての人形かと思うような美しさは影を潜めて。
 尋之介も毎日立ち寄っては、気持ちが上向くような話題を探して彼女に語りかける。
 反応が全くなくても、それでも諦めずに努力を続けた。
 自分も苦しい暮らしなのに女手のない尋之介一家を心配して、よく気遣ってくれた心も美しい女性。
(笑顔を取り戻してほしい‥‥)
 真摯に通う尋之介の様子に、おかみさん達は二人で所帯を持てばいいのにと囁きあう。
 でもそれにはエルマが元気にならないと‥‥子供も抱えた尋之介に添わせるには荷が重い。

 話は戻り、薔薇である。
 茶問屋の庭に咲く薔薇の話をした時にエルマが反応したのだ。
 懐かしいと目を細め微笑んだその様子に、尋之介の心は躍った。
 だがそれきり。元通り。
 薔薇を見せればまた笑ってくれるのではないかと随分と短絡ではあるが、花泥棒という手段に出たのである。
 それは思った以上の効果があった。
 新しい薔薇を渡される度にエルマの様子が少しずつ、上向いてゆくのが感じられた。
(このまま続ければきっと回復してくれる‥‥)

●再び茶問屋にて
 紺太から番頭を通して伝わったその話は翠屋の女将を熱く燃え立たせた。
 上等な刺繍を施した手拭で涙をぬぐい、私が一肌脱いであげますわっと力が入っている。そういう話に弱いのだ。
 でもご隠居に知られれば、見知らぬ貧乏人の人情よりも丹精込めた花だろうか。
「頑固なお義父様には内緒にしておいた方が良いかしらねぇ」
 とはいえ。
「その尋之介さん一家とエルマさんを招待して薔薇を観賞させてあげたいですわ!」
 何と口実を付けてお義父様に納得させようか。
 花泥棒の直後に招待するなんて不自然すぎるが花もそう長く咲いている保証はないし。

「というわけで何とかお知恵を拝借してご協力願いたいんですが‥‥」
 女将の使いで一同を迎えにきた紺太が深々と頭を下げた。


■参加者一覧
ジェシュファ・ロッズ(ia9087
11歳・男・魔
茜ヶ原 ほとり(ia9204
19歳・女・弓
汐見橋千里(ia9650
26歳・男・陰
ベルトロイド・ロッズ(ia9729
11歳・男・志
アルーシュ・リトナ(ib0119
19歳・女・吟
シルフィリア・オーク(ib0350
32歳・女・騎
カールフ・グリーン(ib1996
19歳・男・騎
セリエ(ib3082
17歳・女・シ


■リプレイ本文

 一人翠屋の裏手にあたる路地を散策する婀娜っぽい大柄な女性シルフィリア・オーク(ib0350)。
 ちょうど頭がひとつ敷地に巡らされた板塀を飛び越えている。
(あれが、例のご隠居かねぇ。通行人に聞こうかと思ってたけどちょうどいいタイミングだったみたいね)
 丹念に薔薇の剪定をしている気難しそうな雰囲気の老人の姿が見えて足を止めた。
 じっと見つめる視線にやがて気付いて顔を上げたところにとびきりの笑顔を用意して話し掛ける。
「素敵な花畑だねぇ。故郷でも中々お目に掛かれないよここまで素晴らしいのは。あたいはジルベリアから来たんだけどこんな見事な薔薇がこちらでも咲いてるなんて思わなかったよ」
 塀越しの突然の初対面だが、屈託なく褒めそやしたり質問を投げかけたりするシルフィリアにご隠居も悪い気はしなく相好を崩す。
「あたいはこの丈だから見えたけど、塀に隠れてご近所の人が気軽に鑑賞できないのは残念だねぇ。たまには開放したりしないのかい?」
 いい匂いがするもんだからつい覗きたくなっちゃうよ。思わず誘惑に駆られて乗り越えてなんて人も居るんじゃないのかい。
 そういや噂で聞いたけど花泥棒がこの辺で出たんだって?
 さりげない切り出しからご隠居の怒りに満ちた話をうんうんと聞いて。
「お怒りももっともだねぇ。でもさ」
 アドバイスできる事はあるよ。さっきの話にもなるけどさ。ほだし上手に話を布石になる方向へと導いてゆく。
「この町に住んでる友達にも教えてあげたいな。ずっと前にこっちに渡ったらしいんだけど天儀に咲く薔薇なんて見た事ないだろうしねぇ」

 一方。アルーシュ・リトナ(ib0119)と茜ヶ原 ほとり(ia9204)。
 茶問屋の客間を借りるのに別のお茶を持ち込むのはどうなのか。
 カールフ・グリーン(ib1996)が気分を柔らかくする香りのハーブティを用意してきてくれたが。
 ジルベリアという意味では故郷の物がいいのかもしれないが、店の者にあまり良い気分をされないだろうから遠慮した方が良いだろうか?
 皆で相談の結果。如才なく店の勧めの品にして貰おうと提言したアルーシュの意見を取り入れて。
「少しこちらの菓子とは違った風味なのですけれど、どのお茶と合うかしら」
 当日持参する予定の菓子と同じ物を用意してきて、茶選びがてら女将と打ち合わせに。
 いきなり今まで縁の無かったジルベリア人が訪ねるのも不自然故、典型的な天儀人的風貌であるほとりの連れという触れ込みで。
 ちょうど空いているからと例の薔薇が見える客間に通される。開け放たれた縁側から甘い花々の香りが舞い込む。
 ほとりが趣味で茉莉花を使った泰国風のお茶にも詳しく各国の茶談義など雑談も自然と湧く。
 茶器選びから、菓子も焼き立ての物を提供できればと台所を借りる段取り。訪れる人数など。
「うふふ、女将さん主催のお茶会楽しみにしていますわ」
 唇の前で指先を合わせ半ば演技、ほとりがそう告げて暇を告げる。
 後は問題は肝心のエルマさんと尋之介さんだわ。シルフィリアさんの方は上手くいったかしらね。


「エルマさん、お客さんだよ」
 近所のおかみさんが声を掛けるなりさっさと草履を脱いで部屋に上がってゆく。いつもの事と慣れているのだろう。
 薄暗く埃っぽい長屋の中。敷きっ放しの布団の上に寝巻き代わりの古ぼけた浴衣姿でぼうっと座ったままの金髪の女性。
 ぺたりと尻を落として小さな子の着物らしき布を無為にいじり回しているだけで、延々と同じ姿勢で居る。
「あらあらまた出しちゃったんだねぇ‥‥でも隠しておくと血相を変えて探し回るから危ないし。ほらあの手首こないだ長持の角にぶつけてしまってさ」
 指した先には今も痛々しく残る青黒い痣。よほど勢いよく腕を振り回したのであろう。普通にぶつけただけじゃなかなかあそこまでは。
 客が来たと聞いてもエルマは顔を上げる様子も無い。聞こえていないのか。いや聞こえてはいるが聞きたくないのか。
「あの、焼き菓子をお持ちしたのですがよろしかったらお召し上がりになりませんか?」
 最初は何と声を掛けようか。色々と迷ったアルーシュだけれど。そう、まずはさりげなくありきたりの手で。
 反応は無い。
「――!」
 じれったさに何か言い出しそうになったジェシュファ・ロッズ(ia9087)。エルマの半分くらいでしかない年頃ながらこれまでの人生の中で酷い経験もしている。
 だがあまりにも死を見届けるのが日常だったせいか幼い日に焼きついたそれに感覚が麻痺したまま現在に至っていた。
 人の心。知識欲は旺盛で頭ではそういったものだという事は判っている。だから日常生活も送れている。でも心の底からその気持ちを分かち合う事ができない。
(だから何なの?人が声掛けてるんだから返事すればいいじゃないか〜)
 思った事をそのままに、柔らかく包む等という事もしない。そのまま口に出せばそれは刺々しく冷たい言葉にも聞こえてしまうだろう。
 そんな彼を毎日傍に居てよく判っているベルトロイド・ロッズ(ia9729)が口を塞ぐ。もごもごとまだ言い募りたかったジェシュファを押さえ込んで俺に任せてと目で伝える。
 情緒的なものはともかく状況の飲み込みは早い少年だ。不満顔なのは隠さないが、留められたジェシュファは唇を噛んで閉ざし大人しく黙り込む。
(案の定、だよね。ジェシュに情を理解しろっていうのはまだ無理かな‥‥)
 低い煤けた天井を仰ぎ見るベルトロイド。肉親を失った嘆き、産み育てた子供を失うってどんな重い事かそれは経験もできないので完全な実感は伴わないけれど。
 亡き両親の姿がそこに浮かぶ。あの温かい笑顔がもうこの世界の何処にも居ない。彼女も今でも元気な息子の姿をこの風景の中に描いているのかもしれない。
「じゃ、あたしは洗濯に戻るから何かあったら呼んでおくれよ」
 エルマさんもそうだけどあんた達もお人形さんみたいだねぇ、ジルベリアの人って皆そうなのかい?と陽気に話しながら出てゆくのを待ち。

 掃除もおざなりな畳の上にきちんと天儀の礼儀に従いワンピースの裾に気をつけながら正座をして。
 ジルベリア式でいいのだろうが、この状況では畳の上に直に座るしかない。立ったまま見下ろして話すのも決まりが悪い。
 なら郷に従っておけば問題ないであろう。
 いきなり正面に座るのも威圧的になっていけない。少し離れて、といっても狭い二間の長屋、手前の半分は土間だ。
 開けっ放しの破れ襖の敷居を境界に、ちょこりと座ってエルマの横顔を眺めるアルーシュ。
 ベルトロイドとジェシュファはそのまま土間からは上がらず二人並んで佇み、後ろから様子を見ている。

 地域により多少の訛りは違うかもしれないが、その響きはどこか懐かしさをくすぐるだろうか。
 一句ずつ小さな子供に反芻させて言葉を教える時のようにゆっくりとジルベリアの言葉を唇から紡ぐ。
「初めまして、アルーシュ、と、いいます」
 エルマがこっちを見てくれなくても微笑みを浮かべ。指が一瞬止まり無造作に下ろされたままの長い髪が微かに揺れるのを見た。
 顔は伏せたままだけれど。――確かに反応をした。
「辛い事があったとは伺っております。こちらの言葉では言い表せない想い‥‥少しでもお話戴けますか?」
 今度は区切らずに、でもゆっくりと。遠い大陸から渡ってきてから耳にしていなかった言葉。
 アルーシュの言葉に完全に止まってしまったエルマの細い指先。
 ゆっくりと、ね。
 ここから始めましょう。


「茶席の間は子供達の事はご心配なく。自分とほとり殿が見てるであります」
 他の面々がエルマや尋之介と話をしている間に近くで遊んでいたら、すっかりと気に入られていたセリエ(ib3082)達。
「千尋殿はおねむでありますか。ではあそこの縁台などお借りできますかね、ちょうど茶室からも見える場所でありますし」
 女将の快諾を得て、松の下に置かれた縁台へと千尋を連れてゆく。僕も休みたいからと長男の尋一郎もそちらに従った。
 ほとりの両腕にはやんちゃな双子の子供達がぶら下がっている。
「あいたた、そんなに引っ張ったら腕が抜けるってば」

 まだ一人にすると沈みがちだが、開拓鞘の真摯な呼び掛けに心を癒されたエルマ。
 勇気を出してというより背中を押されて誘った尋之介と一緒に茶会へ出席の運びとなった。
 彼から漂うほのかに安らぐような匂いがするのはシルフィリアが渡した袋からだ。
 汐見橋千里(ia9650)とカールフが茶席を共にし、庭でアルーシュの竪琴が花のイメージに合わせた音色で披露される。
 女将の客人として招かれたという事で。従業員達も珍しい菓子のお裾分けに預かって単純に喜び。
 エルマも声を掛けられれば頷き、手を取って導いてやれば茶や菓子を口にもする。
 あまり疲れさせないように気を使いながら、彼女が場を楽しんでくれてればと願う。

「ああ〜そっち行ったらダメッ!」
 ほとりの持ってきた球で一緒に遊んでいた松之介と竹之介が跳ねていった先を追いかけて花畑へと飛び込む。
 制止も間に合わない。丹精込められた花が数輪、小さな足に無造作に踏み潰されて。
(あらぁ〜やっちゃった)
 ほとりの声に釣られてその瞬間を目撃してしまったシルフィリア。その耳が何やら不穏な足音を捉える。
 廊下をどたどたとやってきたのは、案の定ご隠居。今の声が聞こえちゃったのだろう、カンカンの様子。
 額に青筋を浮かび上がらせたご隠居の筋張った拳がわなわなと震えている。
「う、うちの子供達が大変申し訳ございませんっ」
 様子に気付いて慌てて畳に額を擦り付けんばかりに平伏す尋之介。真っ青な顔色。
「まぁまぁ子供のやる事だし許してやっちゃくれませんかねぇ。ほら喜んでるじゃありませんか」
 ひとしきりあっちが綺麗、こっちのがまた風情があると庭の花々をシルフィリアが褒めそやす。
 乗せ上手な彼女にほだされて、うむと機嫌を直したご隠居の様子に一同が心中で安堵の息を吐く。
「うわっ、すっげぇ。こっちから見るともっと綺麗だぞ〜」
「おいらも見たいよ、そこどいてよ!」
 目まぐるしく関心の矛先が次々と変わる子供達の瞳。
「ね、弓も持ってきたから別の場所でお姉ちゃんと的当てして遊ぼうか」
 やんちゃ組二人のお守を裏庭で続行するのはこれ以上は危険と、ほとりの背筋を冷や汗が伝う。
(球を持ってきたのは失敗だったかしら‥‥)
 かくりと落ちた肩。
 やんちゃ盛りの男の子達と花畑の組合せ。そこを失念していただなんて。
(でも大事には至らなかったようで良かった‥‥)
 元通り和やかな雰囲気が続く茶室の様子を見て安心。
 ちょっと行ってくるねとセリエに目配せをして、遊び足りない子供達の手を引きそっと移動するのであった。

 ベルトロイドとジェシュファは縁台の方に来ていた。
「よく手入れされているね〜。気候も土壌も違うのに一年目でここまで見事に咲かせるなんて」
「観賞用かな。香水やお茶に使うのならもっといい種類のがジルベリアにはあるんだけどね」
「知ってる?薔薇ってね花の女王と呼ばれているんだよ〜」
 あれこれと知識を披露して尋一郎に聞かせている。難しい言葉が出てくるうちに千尋は眠くなったのかセリエの膝の上に頭を落としてしまった。
 父親とそっくりな表情でしきりに謝る尋一郎に気にする事は全然ないと大らかに笑うセリエ。
 ふと視線を動かすと――。
 眠りこけた千尋に目を向けたエルマが温かい母親の瞳で微笑んでいた。


「尋之介さん、再婚するつもりはないのか?」
 唐突とも言える千里の言葉に尋之介の足が止まった。
 久しぶりの外出で相当疲れが出たエルマと下の子供達を他の者達に任せて先に帰して。
 千里とカールフはゆっくり話がしたいと尋之介と尋一郎だけを連れて、夕暮れの道を歩いていた。
「お母さんが居なくて寂しいかね?」
 黙ってしまった尋之介を無理には促さず今度は膝に手を当てて屈むように顔を覗き込み、息子の気持ちを問う。
 父の困った顔、千里の真面目な顔、カールフの穏やかな笑み。ぐるりと大人達を見回した尋一郎がなんて言おうかと唇を動かしかける。
「模範解答なんて要らないよ。君の率直な気持ちでいいんだ」
 周囲の顔色を窺って最適の無難な答えを言おうとする。父も同じなのだろうか。でも息子の方がまだしっかりしているかもしれない。
「‥‥時々」
 寂しいです。聞こえなくなりそうなか細い言葉。だが父の耳にしっかりとその声は届いた。尋之介の眉尻が情けなく下がる。
「今すぐじゃなくてもいいんですよ。少しずつ積み重ねていく事が大事です」
 エルマに対しての気持ち。一人の女性として見てどう思っているか。急ぐ事はない。
「元の旦那が帰ってきても彼女を守り続けるか?」
 力強く尋之介は頷いた。初めて見せる精悍な笑み、このような顔をしてみると彼も立派な志士らしく見える。
 例え彼女の気持ちがこちらに向かなくても‥‥笑顔を守り続けようという気持ちは変わらない。
「頑張れよ」
 それと、こちらも大事な事だけれど。言っておこうか。
 依頼主である女将さんの立場もあり好意を台無しにしてしまうから今は私達も勧めなかったが。
「ご隠居への謝罪がもし行きにくかったら‥‥私が一緒に行こう。ギルドへ連絡をくれればきっと来れるから」
 千里の言葉にカールフはその反応を見守る。もし、彼にそんな気が無かったなら。
「ありがとうございます。折りを見て謝りに行こうと思っています。一人で大丈夫ですよ」
 色々きちんと片付けて、それからでないと誰にも顔向けできませんし。
 自分がしっかりしないと、そう言って息子の頭を撫でる。父さんはけじめをつけるぞ。
 それを聞いてカールフの頬から強張りが解ける。
 誰かの幸せの為に他人の楽しみを踏みにじって平気な顔をしているような男でなくて良かった。

「おや‥‥」
 ふっと道端に何かを見つけたカールフが身を屈める。そのしなやかな指が摘んだ一輪の花。
 白い小さな花弁が群れになってすらりと伸びた茎の上に輪を描くように並んでいる。
 ちょうど花期だがこのような場所に自生は珍しい。誰かの庭から風に乗って種が運ばれたのか。
「良い物を見つけたよ。これをどうぞ」
 尋之介の胸元へと優雅な手つきで差し出された九輪草。幸先の良い偶然かな。
 相手がワンピース姿の淑女ではなく、子連れの貧相な貧乏志士では全く絵にならないが。
 エルマが良い方向に歩むきっかけを手に入れた事を祝して。
「彼女が最高の笑顔を見せる時には、傍に居て一番に見届けてあげてね」
 これは貴方達の未来への贈り物。花言葉は色々あるがそのひとつが――『幸福を重ねる』
 薔薇も素敵な言葉を持っているけれど、それよりもきっと相応しい思ったので。
 彼女の笑顔の為に。