二本松の幽鬼
マスター名:白河ゆう 
シナリオ形態: ショート
EX
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/05/28 03:33



■開拓者活動絵巻

■オープニング本文

 二本松の門――。
 里から歩いてほどない位置にある、崖の上に寄り添い互いに手を結ぶかのように枝を伸ばした老齢の松の呼び名である。
 里の者にはよく知られた場所で、松の向こう側には深い断崖が、その下には流れの速い水量豊かな川が流れて居る。
 その昔、里を抜けて駆け落ちしようとした男女が追い詰められたあげく身を投げたという言い伝えが残っている。
 よくあるそのような話には時代を経ると些末な談話が添えられて、二本松の門を抜けて生き残れば二人は生涯結ばれる。いやあの門を抜けて飛び込めば死してなお二人は永遠に添い遂げるのだ。囁き声が生まれる。
 掟に厳しく修行に明け暮れるシノビの里と言えども、若い娘の口の端には上るものだ。
 周囲に目が無ければ修行の合間にはそんな話題も出たりする。

 嘘でもいいから‥‥。
 どうせ添い遂げられぬのなら‥‥。そう思った娘が居た。
 妻も子もある師との道ならぬ恋路。
 里の誰かに知られようものなら恥知らずとその場で切り伏せられるだろう。そして二人の遺骸は離れ離れに野に打ち捨てられて‥‥。
 愛してしまった娘の思い詰めた言葉に、師は頷いた。
 今更引き返せる道ではないのだ。
 二本松の門を抜けて、お前と添い遂げよう。師の腕がきつく娘を抱きしめた――。

 あれから幾年。
 心中した二人の噂をする事は里の御法度となっていた。遺骸も誰も捜してはならぬ。
 信頼していた友、可愛い娘、面目の全てを失った四朗左は泥を啜るような日々を生き抜いてきた。
 幽鬼のような形相で、どんな屈辱的な仕事だろうと引き受けてきた。まだ五十路も差し掛かったばかりのはずだが、その苦渋が刻まれた小柄な体は齢も定かならぬ老人のごとく見える。

 ――そこに。

 忽然と二本松の門より現れし男女。虚ろな眼窩を持つソレは人ではなかった。
 人里を襲い瘴気を放つアヤカシを里のシノビ達は追う。
 相手が徹底的に喰らう気なら全力で立ち向かい、被害甚大と言えども討ち果たす事ができよう。
 だが彼らは嘲笑い、姿を消しては何処かの村を襲って人を攫い、そしてまた消える。
 周辺の村まで警護する余裕も義務も里には無い。
 目撃の報があっては討伐の隊が出る。そんな日がまばらに続いた。

「真伊‥‥お前なのか。銀閃、お前は私を嘲笑いに来たのかっ」
 四朗左の中で何かが崩れていった。闇夜、雄叫びを上げて飛び出してゆく白髪の男。
 押し留めようとした里の者を傷つけ、刃を振り回し、雨の山中に消えた――。

「狂うた四朗左も‥‥見つけ次第始末せよ」
 苦虫を噛み潰したかのような表情。この里の長である。
 少年の頃より銀閃とも四朗左とも苦労を共にして、里の伝統を守り続けてきた。
 誰が先になるかシノビとして死を全うして別れを告げるであろうと思っていたのが、この有り様。
「アヤカシの方は、見つからぬのか?そうか、そちらの警戒も怠るな」

 ぼろぼろになり谷間の河原に倒れていた老人を保護した少女。
 何故奥深い山中に村からも里からも離れて一人打ち捨てられた炭小屋に住まうかは語らぬ。
 延々と堂々巡りの愚痴を聞く内に老人の事情は知れた。
「あの頃の真伊にうりふたつだの」
 そう笑う老人は気の抜けたように日々を少女と過ごすが、時折その眼に狂気の光が宿る。
(この暮らしを続けたいけれど――)
 アヤカシ、追っ手、老人の狂気。
 身の危険に思い悩んだ少女の手紙が開拓者ギルドへと送られた――。


■参加者一覧
御凪 祥(ia5285
23歳・男・志
景倉 恭冶(ia6030
20歳・男・サ
浅井 灰音(ia7439
20歳・女・志
千羽夜(ia7831
17歳・女・シ
瀧鷲 漸(ia8176
25歳・女・サ
趙 彩虹(ia8292
21歳・女・泰
ベルンスト(ib0001
36歳・男・魔
クリスティーナ(ib2312
10歳・女・陰


■リプレイ本文

「サヨと言います」
 この度は遠い所を依頼の為に来てくださりありがとうございました。開拓者の訪問を朽ちそうな炭小屋の前で迎えた少女は大人びて見えた。
 取り立てて美人と評する程ではないが、それなりに村に居れば器量良しと言われそうな部類の顔立ち。優しい微笑み、翳りのある瞳。
 身奇麗にしてはいるが、古びた着物はもう何年も変えていないのでなかろうか。洗い晒しで傷んでいる。
 粗末な釜と併設された寝泊りの為に建てられた小屋。寝る場所が辛うじてあるというような場所によく暮らしているものだ。
「中へ入るのは無理だな」
 すっぱりと遠慮なく言うベルンスト(ib0001)。異国風の漆黒の衣装に細い鎖を絡ませた長身の男の素っ気無い雰囲気にも少女は気にした様子はない。
「すみません、このような場所で」
「いや、退治の前に確認に寄っただけだから。こっちこそ大勢で押し掛けて。気にしないでいいやね」
 こちらは顔にくっきりとした十文字の傷痕、ベルンストの物より重そうな鎖をじゃらりと纏った大柄の男。だが柔和な気を醸し出している景倉 恭冶(ia6030)。
「四郎左様にはお会いできるのですか?」
「ええ、開拓者さんにアヤカシ退治を頼んだ事は話してあります。食材を探しに行きましたがもうすぐ戻りますので」
「出歩いて‥‥いいのですか?」
 狙われている身でそれは危険ではないのか。趙 彩虹(ia8292)の尋ねにサヨは困ったような微笑みを浮かべる。
 サヨはごく普通の娘のように見える。腕も細い。自分の身くらいなら何とかできたかもしれないが二人の口を養うのは難しいだろう。
「四郎左さんの方が何をされても上手ですから」

「‥‥その方達が開拓者かの」
 川魚を入れた手桶を下げて戻ってきた老人。彼らの姿を見た途端に目つきが変わった。が、またその一瞬だけ見せた鋭い光はすぐに瞳の奥に沈む。
 ボロボロの忍び装束に、痩せこけた身体。だが見た目より健康で強靭か。倒れてから過ぎた時でしっかりと回復しているようだ。
「アヤカシの事は私が説明した方が良かろう。サヨ、この魚を頼んで良いかの」
「はい」
 小屋の後ろへ手桶を運んでゆくサヨの後ろ姿をクリスティーナ(ib2312)がじっと見つめている。
 何の為にここで彼女は暮らしているのだろう。いつでも山を降りていけばいいのに。依頼を受けた時から気になっている。
(でも、それは後でゆっくり聞けばいっか)

「あんた‥‥」
 真っ直ぐな視線で対峙しその瞳を観察した御凪 祥(ia5285)が唇を開く。繰り言を続ける狂気の老人という印象とは違う。
 正直に言っていいか。真伊と銀閃の話は聞いた。あんたにとってサヨは真伊の代わりなのか。なら男女の姿をアヤカシをどう思っているのか。
 そして。
「どうしたいと思っているんだ?」
 里を飛び出した時は真伊と銀閃、アヤカシが混同していたのだろう。今の四郎左にそれをぶつけてみる。
 恭冶と千羽夜(ia7831)が寄り添うように立ち、それを後ろで無言で聞いている。
「あれは真伊と銀閃だ」
 吐き捨てるよう言う。あれは真伊と銀閃の姿をしている。アヤカシになってまで浅ましい。
(本当にそうなのかしら。二人の姿をしていたら、他のシノビも気付いているはずよね‥‥そう昔の話じゃないんだし)
 そう思った千羽夜だったが黙っていた。
 真伊と銀閃だと思いたいのか。生きているのを信じたいのか、死んでいてくれて欲しいのか。本心はどちらかではなく彼の心の中でも交互に現れては葛藤させているのかもしれない。
(辛いけど、確かめさせてあげたい。それでやっと彼も過去を整理できるんだわ、きっと)
 水筒に精霊の力を送り込んでいたベルンストは冷ややかに見ている。万が一を考えて痺れ薬の作用を水に与えていたが、必要にならないのなら別にいい。
「退治してもいいんだな?」
 あんたの娘を。かつての親友を。
 その続けた言葉は自らに重く跳ね返ってきた。
 忘れられない過去、祥の胸に深く澱んでいる記憶。親族を殺すという所業。あれは復讐の為であったが我が手は叔父の血に濡れている。
 拭っても洗っても、それは心の中からは決して落ちない。兄の血を流した叔父のその汚い血が。
「私が始末する。あれは私の娘だ――」
「一人では無理だ」
 続く言葉は判る。四郎左の瞳に宿りだした怪しい光。きっぱりと言い放ち遮った。光がまた瞳の中に沈んでゆく。
「行くなとは言わない。一緒に来ればいい」
「というか私も仲間もこの辺の地理は不案内なのでね。一緒に来て貰えると助かるんだけど‥‥いいかな?」
 浅井 灰音(ia7439)の頼みにゆっくりと頷く。穏かな老人の表情に戻った姿。不安定な彼を連れてゆくのは危険だが、でも傍に居て様子を見ていたほうがいい。
 ここに残していけば、またさきほどのような狂気の光を何かの拍子に蘇らせないとも限らない。サヨも不安を感じていたくらいだから、連れて行こう。
「できれば顔を隠しておいた方が」
 里のシノビもアヤカシを捜索している所に遭遇しないとも限らない。彩虹の願いに恭冶が懐の包帯を差し出す。
「こんなのでも何もしないよりはマシやね」
 四郎左の感情が揺れ動かないように注意を払いながら、アヤカシについて詳細に尋ねる一行。厄介な相手のようだが、手が判っていれば何とかなるだろう。
 戻ってきたサヨに暇を告げて、一行と四郎左は里の方へと進む。二本松の門からまずは探そう‥‥それは里の傍にある。


「あれかな?」
 千羽夜と二人並び歩いて探索を行なっていた灰音。後ろに居る者達は、見つからない距離まで下がっているからか気配も今は感じない。
 鬱蒼と繁った山林の奥にそれらしき風景。二本の老いた松が崖の傍で枝を広げて、手を繋ぐかのように頭上で重なり合っている。
 緑の天蓋の下にぽっかりと切り抜かれたような、向こう側の世界。今は明るくて未来が向こうに広がるかのように見えるが、黄昏時に来たらどんな世界が広がっているのだろう。
 片目を閉じた灰音が辺りの気配を探るべく集中する。
 千羽夜は耳を澄ませたが遠く崖下の水音が無造作に響くのを聴くのみか。どこか遠くで鳥が鳴いている。
「反応は‥‥二か」
 呟き目と目を交わした表情は、固くなる。二つの人の大きさをした生命の反応は近くに寄っている。アヤカシか人か、どちらにせよ一組と思って良いような動きか。
 足音は聴こえない。
 そのまま二人は反応のあった方へと進む。いつでも身構えられる心積りで。

 息遣い。ほんの微かな息遣い。でも飢えた獣から匂いまでは隠せない。食物を探していた山狼が近くに居たのはただの不運である。
 輪唱のような遠吠え。待つ事もせずちょっかいをかけようと牙を向いた愚かな狼達は簡単に切り伏せられた。
 だがその物音が何者かを呼び寄せた。
「そこに居るのは誰か!」
 駆け寄ってくる若い男の鋭い声。既に互いに視認できる距離。忍び装束、里の者か。二人。
(おいおい、シノビが簡単に姿を晒して迫るなんて随分軽率だな)
 穂先の血糊を払い、憮然とした顔で見やる祥。見られたのに逃亡しても面倒だ。
 下手な増援をされるより今ここで話をつけてしまった方が得策だろうか。そんな計算を胸の内に済ませる。
「そこに居るのは四朗左殿か‥‥?」
 彩虹とベルンストがぴたりと挟むように寄り添った男に視線が向いている。顔は一応隠しておいたのだが。
「直弟子だ。変装したくらいで私が判らぬようでは失格だな」
 傍に添う者だけに聴こえるか聴こえないかの小さなかすれ声で呟く四朗左。
「私達は――」
 ここから芝居が始まるか。いや否。

「いかにも私が四郎左だが」
 シラを切ろうと思った矢先にまさかの四郎左自身のあっさりした言葉の先制。顔を覆った包帯をするりと解く。
「え、ちょっと四郎左様‥‥!」
 話が違う。何の為に変装させたと思っているのですか。四郎左の思わぬ対応に彩虹が慌てた。
「すまないのう、嬢ちゃん。こうでもせんと納得して貰えんと思ったのでな。時間も無駄にできぬし」
 欺き。この枯れたような老人がそのような行動を取るとは想定していなかった。
(老いてもシノビ、ですか)
 驚きはしたが、納得もできる気がする。彩虹に詫びた優しい瞳の奥にもやはり冷徹の陰が垣間見える。
「貴様らシノビのことはよくわからん」
 そう言い捨てる瀧鷲 漸(ia8176)。両手に構えたハルバードは必要があれば躊躇なく振るうつもりだ。
「ただ。どんな理由があったとしても、仇や悔い、負の感情を残すのは誰の為にもならない。貴様らが何をしに来たのかは察しが付いている。四郎左を何の為に殺す?殺すのだろう?‥‥それで何になる」
 四郎左は渡さない。厳しくも苦々しい表情、無意味な殺しなんてもうたくさんだ。狭い世界だけに溺れて同じ事をいつまで繰り返すつもりなら‥‥その連鎖は断ち切ってしまいたい。
「四郎左が貴様らの刃に掛かる事に何の未来があるんだ?そんな殺しなんか見たくもない。だから、ここで止める」
 事情も知らぬ余所者が何を言う。そんな眼が漸を見やる。睨み合い。

「この人らは関係ない‥‥私が帰れば良いのだろう?」
 身を盾にしようと前に立っていた漸の影からするりと四朗左が抜けて前に進み出る。その身のこなし、微塵も気配を感じさせぬ素早さに漸の肝が一瞬冷える。
(此奴。その気だったなら、私の背中がやられていたな‥‥)
 老人のような痩せた背中から感じられる突如として溢れ出した鬼気。貫禄が違う、立ちはだかったシノビ達が怯んでいるのが傍目にも判る。
 狂っているのなら里の命令のままに全力で斬り伏せるまでだが、冷静な四朗左を相手となれば話が違う。惑いの気配。
「里を勝手に抜けてただで戻れるとは思っておらぬ」
 私を始末せよとでも言われていたのだろう。言葉の出ないシノビに畳み掛けるように自ら問いかける。
「ならば長に直接首を差し出しに行こうではないか。お前達の手を借りるまでもない」
「ちょっと、勝手に話を進めないでよ!」
 開拓者を無視して進む会話――といっても四郎左の一方的なものだが――に頭にきたクリスティーナが声を荒げる。
「関係ないとか四郎左さんもひどいよ。一緒に色々お話もしたし、アヤカシが見つかるまで案内してくれるって言ったじゃないっ!」
「まあまあ、落ち着いて。まだお話は終わってませんから」
 拳を振り上げて殴りかからんばかりのクリスティーナの身体を後ろから抱いて千羽夜が宥める。
(もうっ。クリスのこと無視したのがとぉ〜ってもムカつくんだから!)
 頬を膨らましながらも、ここで今暴れてもしょうがないと大人しくなるクリスティーナ。
 シノビなんか大〜嫌いっと思ったが、抱き留めてくれている朗らかな千羽夜もそういえばシノビだ。みんな千羽夜姉さんみたいだったいいのに!

「俺達がアヤカシを退治して帰るまで四郎左は預けてくれないか。終わったら俺達の関わる事じゃない、後は気が済むように好きにしたらいい」
「ギルドの依頼を遂行する為に俺達には今この人が必要なんだ。別に里の事になんか介入する気はないさ」
 相手が本気で戦いたくはない気を読み取って、すかさず祥と恭冶は受け入れられやすい理をもって説得を試みる。
「‥‥長へは報告する。その後の事は約束できぬ」
 苦い物を吐くように言ったシノビ。本気の開拓者と四朗左を相手に自分達だけで正直勝てる訳がない。
 それに悔しさと違う感情が見え隠れしていた。未熟だ。師を慕う気持ちからか任務の冷たさを帯びきれないでいた。
 彼らが足早に去り、しばらく時が経つまで一同はそこに無言で佇んでいた。殺気だった空気が冷える。
(とりあえず時は稼いだかな)
 本当に関わらなくて済むならそれに越した事はない。シノビ同士の内紛など俺達の知った事じゃないのだから。
「‥‥これで良かったかな、四郎左」
「迷惑を掛けてすまぬな。私はこれが終わったら消える事にしよう」
 サヨをあのような場所に一人で残す事が気掛かりだが、それは頼んでも良いか。もう戻る訳にはいかなかろう。
 愛娘と被り憎悪が入り混じる時はあるが。真伊と思ってずっと一緒に居たいが。彼女を手放したくないが。
「ああ‥‥俺達に任せてくれ。彼女は安全な場所に連れて帰るよ。こんな山奥よりもっと相応しい居場所があるはずだ」
 やはり狂ってはいないのだろうか。サヨと真伊は違うとは判っているようだ。
 切れ長の祥の瞳の奥にふと哀しみ、いや哀れみか。そんな感情が過ぎる。離してやるのが彼の為にも、いいはずだ。
 サヨが生き続けて幸せで平穏な暮らしを迎えられるのなら。彼女が彼にとって真伊の身代わりならそれで永遠に会わなければいい。
(ふん、好きにすればいいさ)
 四郎左の妄執になど端から付き合ってやる義理はないと、整った顔立ちを歪めるベルンスト。
 とりあえずシノビと戦わずに済んだ事は幸い。余計な仕事は増えて欲しくなかった。
 これからアヤカシと戦わなければならないってのに、人相手に使う魔術など考えたくもない。


「一緒に来たか‥‥」
「クリスティーナさん、悪いけど付き合って貰うよ」
 背中に負った双鞘からバスタードソードを、ヴィーナスソードを。長大な剣を地を擦るように構え、無表情な中年の姿をしたアヤカシを睨む灰音。
 先に吸精の術を使う女アヤカシを集中して倒す。それが最小の被害かつ確実な退治方法と道中の討議で結論付けた。
 アヤカシが弱く愚かであれば難しい事は考えず各個撃破が可能だが、相手は志体持ちの里シノビ達を翻弄して逃れ続ける能力を持つ者。短時間でも片方を自由にさせては開拓者側が討たれる可能性も考えられる。

「さすが、二体一でもきついか‥‥」
 防戦一方で有効な一撃を与える事もできない。灰音の消耗だけが進む。薄ぼんやりと霞む姿は疲れ知らず。両手に構えた刀の腕は灰音と互角に近い。
 牽制した剣撃をすり抜けるように交わし、切り裂くように繰り出される双刃。美しき剣がそれを弾き、利き手に配した剣の重さを利用して相手を押し返す。
 散発的に放たれるクリスティーナの斬撃符、そして呪縛符。
(次はこっちを使ってみようかな?)
 思いつきのまま、型や連携等は思慮にない。だが天性の勘の良さがそれを補っている。
「うっ」
 刀で来ると見せかけて至近から胸に雷撃を喰らった灰音。次の刃をかわせないかっ‥‥だが折り良く撃たれた呪縛が相手の動きを一瞬鈍らせた。
 地を転がるようにして刃の直撃を逃れる。鼻をつく土と新緑の草の匂い。そして自らの血の匂い。
(こっちも術を使うんだったね‥‥)
 バスタードソードを突き立て、姿勢を取り戻した時には相手はもう間合いを取ってクリスティーナへの攻撃へと移っている。
 雷撃がワンピースを焦がし、苦悶に身をよじらせた少女の耳で無数の真珠が揺れ動き、微かな音色で哀しく共鳴する。

「四朗左さん、あれは2人じゃないわっ」
 思わず腕を伸ばし、飛び出そうとした四朗左を掴んでしまった千羽夜。危険をはらんだ眼光が彼女を貫く。
「離せ、離せ、離せいっ」
 抜き放つ刀。指の力を解き、千羽夜は後ろへと飛び退いて刃の軌道から逃れる。
「行かせればいい」
 紅い瞳が暗く。だが輝石のように鋭い光を伴う硬い意思を秘めた。静かにそう唇から紡いだベルンストの言葉には有無を言わせぬ重い響きがあった。
 思いが正しいとか間違っているとか、そんな事はいい。爆発した激情は、それが何にも齎さなくても‥‥やりたいだけやらせたらいいんだ。
 止められた慟哭のやり場が何処にも行き場が無くなってしまうよりは。理不尽な現実に、叫びたいだけ叫んだ方が‥‥それが過去との決別を彼に与えられるかもしれない。
(私も‥‥私もな)
 あのまま自分を抑えてしまい死んだような人生を続けるよりは良かったんだ。幾度も蘇る血の過去。
 四朗左とは何もかも違うが、だが狂いたかった狂えたら良かったのに。愛しい者を失った悲嘆をこの胸から追い出せるのなら。彼女が生きていると信じられるなら‥‥それがアヤカシでも。いや、私はそうは思わん。
「暴れたところで私達の邪魔にはならん」
 切り捨てるような言葉と一緒に自分の想いも振り払う。四朗左が傷つくよりも速く、アヤカシを始末してしまうまでの事だ。

 真伊の幻影を求めて走る四朗左より先に祥と恭冶が獲物を手にアヤカシへと迫る。
「灰音、すぐ片付けるからなっ!」
 誘うように笑う女。幽かな姿は儚げなようで‥‥厭らしくおぞましい。
 身中を巡る気が抜けるようなそんな感覚。まとわりつくような冷たい気。指先から肩まで鳥肌が駆け抜けるような悪寒。
「平気やね。そんな感覚は慣れっこなんだぜ俺は」
 自慢できた事じゃないが。女性に触れられてそのような感覚に陥るのは日常茶飯事。
 二天の型。切れ味鋭い刀を笑う女へと繰り出す。一の刃、二の刃、反撃を許さない攻撃が袖を斬り帯を斬り、突き進む。
 自らの傷つく事も顧みない戦い方を祥の多彩に広げられる槍の技が補う。

「死なせはしないっ!」
 四朗左の影となり従うようにしてハルバードを両手に構え、突進する漸。
 突如横に跳躍した四朗左、小柄な彼の後ろから何が起きたかは見えていた。そのまま勢いを落とさずに穂先の厚い刃を振るって飛来した苦無を弾く。
 木の幹を蹴った三角跳びの軌道を予期し、それをフェイント代わりに女幽霊の姿をしたアヤカシにハルバードを横薙ぎに振るう。
 ギィンッ。
 咄嗟に受けようと試みたアヤカシの新たな苦無を弾き飛ばし、袖を引き千切りながらその腕を傷つける。
 血は流れない。傷口から散った黒い気は風に紛れて霧散する。
(下がれ、四朗左。それはお前の娘じゃない)
 手鎖に戒められた両手を突き出したベルンスト。精霊の力を凝縮した矢が木立の中を真っ直ぐにアヤカシへと飛び突き刺さる。
 瘴気だけを裁く聖なる力。もしも味方に当たった所で問題はない。遠慮なく幾らでも撃たせて貰おう。
「‥‥真伊、真伊じゃないのか」
 呆然とした響きの四朗左の声。
「四朗左様っ!」
 悲痛な想いを伴った彩虹の叫びと共に風を切る矢の音が彼を戦闘の世界へと連れ戻す。だが瞳は呆然と開いたまま。
 見せてしまった隙、男から飛んだ雷撃。飛び込んだ千羽夜。四朗左を抱きかかえるようにしたその背中から全身に衝撃が走る。

 アヤカシが声を揃えるように引き裂くような甲高い、そして地の底から這うような呪いの声を上げて斬り掛かる者を次々と苛む。
「ふん‥‥届かんな」
 最大限に距離を取ったベルンスト。アヤカシの呪声は至近に掛かる者に対して場当たりのような反撃。ベルンストが幾ら術を放ち傷つけようともこちらには返して来ない。
 ここまで離れると咄嗟に駆けつけられる距離ではない。しかし魔術師の武器は術、封じられるくらいなら狙いが付け難い位置でもこの方が良かろう。
 冷たいようだが、身に合った合理的な判断だ。仲間と戦う上で、むしろ後ろに居た方が最善の効果を発揮する場合もある。
 木立の間をするすると足首まではありそうな黒と赤の外套を翻して。見通せる射線を見つけては軌道上をアヤカシが過ぎる瞬間、前衛を相手に静止した瞬間、それを狙ってまた聖なる矢を放つ。
 女さえ倒してしまえばゆっくりと、練力の心配もせずにもう一体を調理できる。
 刀を使いながら雷撃か‥‥上等だ。こちらだって元々は剣を握っていた身、魔術師の道を選ぶ前はな‥‥。
 その時代を思い出すと、失った物の多さに激情の炎が胸から吹き上げそうになるが。
 任務の邪魔にさえならなければ、四朗左が思うがままにすればいいと思ったのには訳がある。
 だが、そんな事はいい。今は目の前の任務を果たすだけだ。

「アレは四朗左さん、違うの。見ていて。今からね‥‥それを証明してあげる」
(私の大切な人が、そして仲間達が)
 耳元での囁き。苦しげな吐息、懐から取り出した符水を呷り薬効が苦痛を和らげて心地を取り戻す。
 過去と現実の狭間を揺れ動きただ娘の名を呟くだけの弱き老人となった男を抱き締めて、一緒に戦いを見つめる。

 祥の双戟槍が淡く哀しく熱い、夕陽のような輝きを放射状に放つ。辺りに満ちた瘴気を掻き乱し、アヤカシの体内をも揺らがせて動きが鈍ったように見えた。
 背丈よりもある長大な槍を振るいながら、それでありながらどこか舞を見ているかのような優雅な捌き。
 似たような武器でも漸の動きは『猛』、それに対して祥は『流』。更に恭冶の『迅』が加わり、笑みを仮面のように張り付かせた女幽霊を破滅へと追いやる。
 既に聖なる矢が着実な消耗を強いていた。
「倒させてもらう――っ!」
 恭冶の咆哮が最期の引き金となった。
 揺れる槍の穂先、ふっと惑わしの先に消えた気配から回り込んだ祥。死角から突如流れてきた穂先に添えられた鎌の刃が喉笛を裂く。
「ギャアアアアっ」
 胸一杯に息を吸い込んだ大上段から渾身の力で振るわれたハルバードがアヤカシを天頂から引き裂いて、その悲鳴を途絶えさせた。

 仲間の助勢が加わり、本格的な反撃へと傷ついた身体から力を振り絞る灰音とクリスティーナ。
「早く‥‥消滅してよ」
 直接の刃は受けないながらも呪声に雷撃。まだ経験も浅いクリスティーナは限界点に達している。
 それでも自分の役割を果たそうと式を駆使して灰音が倒れるのを防いでいる。
 これだけの人数に囲まれればいかに遠近共に強力な技を誇るアヤカシも、敵わない。
「これ、ぐらいはね」
 体内の気を整え、駆けつけた仲間に敵を預けて隙を狙っていた灰音。後、一撃しか。‥‥傷だらけの身体は限界だ、もう動けない。だがこれで決める。
「終わりだよ。この一撃で‥‥沈めっ!」
 流し斬り。重い剣の後を追うように自分の身体も泳ぐ。確かなる手応え‥‥やったか。

 どさっ。
 それは霧散したアヤカシの倒れた音ではない。敵は音も無くこの世から消えた。
「頑張ったな、灰音」
 抱き止めてその青い髪を優しく撫でたのは漸だった。男勝りな戦い方からは意外とも見える優しい微笑み。柔らかな身体。
 終わった‥‥そうか、勝ったのか。


「取り乱してすまぬ」
 しばらく傷ついた身体をその場で休めてるうちに、四郎左も平常の心を取り戻した。里シノビと対峙した時に見せた強さは失われたままだが。
 心の強さ。その柱の中に、やはり娘と友がまだアヤカシとなって存在していたという幻想が何処かにあったのだろうか。
 その幻想もアヤカシの消滅と共に永遠に失われた。
「あれは、ただの、アヤカシだった」
 そういう事だ。一句ずつ呟くように言ったのは祥。自分にも言い聞かせるような言葉。
 戦いの最中、彼の胸の中にも渦巻くものがあった。人の姿をして人でないモノ。人でありながら何か大切な物を捨てた男‥‥記憶の中の叔父はそれでも人だったのだろうか。それを斬った俺も‥‥人でない領域に逝きかけたのだろうか。むしろ最初から人の心など持ち合わせていないアヤカシは単純でいい。四郎左の幻想が無ければ、それに付き合わなければ、あれはただの人を喰らいたいだけのアヤカシでしかなかった。
「悪夢はもう終わりよ‥‥」
 その千羽夜の微笑は四郎左に向けられ、そして恋人にも向けられた。無数の傷、血も乾いたそれはやがて古傷の中に埋もれるのだろう。でも新しい傷は全部、私が覚えている。
「サヨさんの所に帰ろうよ」
「真伊様はアヤカシなんかになっていませんでした。銀閃様も。四郎左様、貴方の本当に望んでいたのは――」
 二本松の向こうに消えた二人が、幸せになった事じゃないのですか。どちらも貴方の大切な人、幸せになって欲しかったのではないのですか?
 彩虹は言葉を続けなかった。その瞳に託した想い、顔を上げて真っ直ぐこちらを見た四郎左が受け止めるのを感じた。
「そうサヨ様も」
 今は大切な人でしょう。差し伸べた手、その手を取る老人。瞳に力が戻る。
「だから、戻りましょう」

 夕暮れ。炊煙が炭小屋の裏から立ち昇っている。一行の帰りを待っていたサヨは酷い姿に目を丸くして慌てた。
「そんな顔しなくても大丈夫。皆志体持ちやね。このくらいの傷何ともないさ」
 ちょっと今晩は休ませて貰いたいけれども。野宿で構わないさ、幸い空は晴れ渡っている。
「腹を満たす程の備えもないな、少しばかし調達してこよう」
「私も付き合いますよっ」
 一番余力の残っている彩虹。サヨを前にして再び穏かな老人へと戻った四郎左を追いかけて、狩猟に向かう。もう日も暮れる急がねば。
「できる事、あれば手伝うよ」
「いえ、皆様は休まれてください。支度は二人も大勢も同じですから」
 そうでもないと思うが。お言葉に甘えさせて貰う事にしようか。話はゆっくりと四郎左達が戻ってからでいい。
 互いに肩を預け、気が付けばうたた寝の中に引き込まれてゆく。空腹、それはまだ疲労に隠されている。

 質素だが腹を満たす食事。それを終える頃には辺りは真っ暗になっていた。瞬く星が、木々の黒い梢の間から覗いている。
 四郎左とサヨも外に出て、皆と時間を共にしていた。アヤカシの話は血生臭い、それぞれに都での暮らしもあるし他愛の無い日常話もある。四郎左の目を和ませ、サヨを微笑ませ時間は過ぎてゆく。
(そろそろ、いいかな‥‥)
「サヨさん、あんたの事も聞いてもいいかな」
「ね、どうしてこんなとこに住んでいるの?」
 ずーっとずっと気になっていたけど、やっと我慢しなくていい。クリスティーナが身を乗り出し、話題を切り出した祥が苦笑いしている。
(この方が重くならなくていいか)
 さっきから無言で野草から煮出した爽やかだが苦い茶、サヨが出してくれた物を喫しているベルンストの方をちらりと見やる。
 見返すベルンスト。だが何も言わない。依頼は達成した‥‥後の話は、まぁ好きにすればいいさ。

「私は‥‥真伊さんとは何の関係もありません」
 四郎左さんがもしかしてと疑念を抱いているのも判っていましたが。でも今日まで言葉にはできなかった。
 そうすれば、四郎左さんはまた何処かへと真伊さんを追って行ってしまうかもしれなかったから。
 例え時々怖くても、でも家族のようで温かかった。村にはもう戻れないから、新しい家族が嬉しくて仕方なかった。
 それに――。
「心中してしまったというのが‥‥」
 そう言って四郎左の方へと哀しく沈んだ瞳を。いいから言いなさいと父親のような温かな表情で微笑みが帰ってくる。

 近くの村。どの村かは言いたくはないというのを無理には開拓者も促さなかった。それは瑣末な事だ。
 そこで暮らしていたサヨは村の若者と恋仲になり、しかし乱暴者で余されていたその男と結ばれる事は許して貰えなかった。
 父は村長を助け住民を束ねる有力者の一人。同様の有力者の息子との縁を取り決めていてその日取りは本人の気持ちを余所に進んでいた。
 ある日、男はサヨと一緒に村を出て新天地で暮らそうと。まだのぼせた娘だったサヨは男について何も考えずに家を飛び出した。
 だが甘い夢を見ていたサヨと男の想いは違っていた。
 男は言った。一緒に死のうと。ただ単純に死のうと。お前を苦労させて、この先ずっと辛い想いをさせるのならと。
 まだ‥‥サヨの方が少しは大人だったのかもしれない。
 どんなに辛くても飢えても二人で頑張れば幸せになれるじゃない。どうして、そんな簡単に死のうと言えるの。
 心中がカッコイイだなんて、貴方の思い込みよ。死んだら何にもならないわ。何も残らないわ。
 ほんの弾みだった。
 匕首を持った男と揉み合う内に、気が付けばそれは男の首を斬り裂き。溢れる血潮。
 信じられないという目を開いたまま絶えた恋人の冷えてゆく身体を抱え、山中で途方に暮れたサヨ。
「離れたくなかった」
 闇の中を彷徨い、見つけたのがこの小屋だった。そしてずっと――。

「その方の亡骸は‥‥?」
 二人が生きて結ばれて、そしてサヨが生まれたのだったら良かったのに。そんな筋書きを胸のどこかで期待していた彩虹。
 言葉から描かれた過去の情景に瞳を遠く飛ばしたまま、哀しげな声で尋ねる。
 真伊と銀閃が結局どうなったのかは誰も判らない。崖下の急流に身を投げ、亡骸の残らなかった事がいつまでも微かな綱を残し。
「小屋の裏手に埋葬してずっとそこに」
 朝餉夕餉の支度の度に彼女がそこで死者を悼む祈りを捧げていた事は四郎左も知らなかったようだ。
 無理もない。彼は彼で自分の想いに一杯だったのだから。同じ場所に暮らしながら二人それぞれに過去を見続けて。
「遺骨と一緒にでしたら、ここを離れられますね?」
 里シノビと会った時の四郎左との約束。サヨを連れて山を降りる、これ以上彼女を巻き込まない為に。
 始終を話すとサヨは目を伏せた。
「四郎左さんはどうされるのですか‥‥?」
「私は‥‥里へ戻る」
(それは――!)
 死にに行くという事じゃないんですか。激情に立ち上がりかけた彩虹の肩を灰音が抑える。首を静かに横に振る。
(サヨさんの前ではそういう事でいいんだよ)
(でも‥‥)
 青と赤の瞳がせめぎ合う。
「落ち着いたら手紙でも書けばいいさ」
 祥が添えた言葉。希望、サヨのこれからに希望を持たせてやりたい。
 四郎左が深く頷く。果たせない約束かもしれないが。


「‥‥優しい人だったよね」
 恭冶と肩を並べて歩く千羽夜。二人だけ離れて、他の者はサヨを気遣いながら傍に付いて山道を降りている。
 翌朝、サヨが目覚めるのを待たずに四郎左は炭小屋を去った。薄闇の樹下で身を起こしかけた開拓者を制して。
「里を裏切った訳じゃないし、慕われているようだったから咎めナシって事もあり得るやね」
 最後に見た澄んだ瞳。彼はきっともう狂わない。始末の意味はもう無くなったはずだ。きっと。

 いつか彼からサヨに手紙が届く事を信じて――。