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■オープニング本文 ジルベリア帝国リーガ城外――。 一隻の小型飛空船が今飛び立とうとしていた。 遥か天儀から投石器を輸送してきた商船のうちの一隻だった。 何者かの策略によりアヤカシを船内に仕込まれ、開拓者の警護の隙を突いて船体の一部を破壊された。 帰還もままならず長距離飛行に耐えるだけの状態まで修理を行なうのに数日を要して今ここにある。 責任者である奈義と操舵手しかいない状態の為、城内の職人にも報酬を払って応援を頼んで。 雪原に野晒しのまま、リーガ城との交渉により少数の兵士による警護が付けられただけ。 それは妙な挙動を行なわないかという監視の意味もあったのだろうが。 城の至近に置かれた船。これがもしも敵の罠に変えられたなら目も当てられない。 何せ、一度はアヤカシを載せてきたという失態を犯した船なのだ。 リーガ城には今、開拓者達が多数応援に集結している。 帰還の為には護衛がまた必要だ。ただ一隻、無防備に飛べばアヤカシの餌食になる事は明白である。 「天儀へ戻るついでにひとつ輸送の依頼を頼みたいのですが」 警護の兵士に声を掛けて通り抜け、城下の商人と思わしき男が奈義に面談を求めた。 目前に迫る戦火。グレイス伯を慕う民衆の声は高く、反乱軍を相手に逃げ出そうという者は少ない。 信頼は厚い――。 だが万が一。 万が一という事はある。 心配性の者は居る。 負傷者が多数発生すれば、城内の救護活動はおおわらわだろう。医療の手も物資も有限である。 「身重の夫人だけでも一時的に避難させられるならと、考えた者がいましてね」 さすがに自分の妻だけというのは気が引けたのか、同様の状況の者にも声を掛けたその男。 他の人も行くのならと周囲に気兼ねしながらもやはり不安は心の何処かにあるのだろう‥‥妻と生まれてくる我が子をと託す者達が居た。 奈義の船は帰りは積荷もなく空だ。貨物船ではあるが人を乗せられる環境を整えればそれなりの人数を運ぶ事は可能である。 一番近い街までという条件で、奈義は請け負った。 「受け入れの態勢はそちらで風信機を拝借して先に連絡の手配をしてくれよ。俺は安全に運ぶ事だけを約束する」 兵士の視線が見守る中、貨物室に人々と荷物が運び込まれる。 この船に火薬や武器など積み込む必要などないのだから、数時間の飛行中を貨物室に滞在する為の物資と乗客の荷物だけだ。 手縫いの刺繍がカバーに施されたクッションが一番目立つ荷物であろうか。 客室ではないのだから、なるべく身体を楽にさせる物は必要と用意してきた者が多かった。後は嵩張るのは衣類くらいである。 護衛に雇った開拓者も乗り込み、飛空船は出立する。 礼儀正しい兵士達がびしりと槍を立てて勇壮な姿で見送っているのが操舵室から見えた。 ●貨物室にて 一人の女性がふらりと貨物室の入口へ向かったのを誰も見咎めなかった。 顔を蒼白にして表情を強張らせていたが、ランタンの灯りがまばらに散る船内ではそれは誰の目にも止まらなかった。 この階には不浄の用を足せる場所が無いから、どうせそんな用事だろう。 一人できっと大丈夫よね。階段は急だから気をつけないとね。気が付いた者も再び近くの者とお喋りに興じる。 ガクンと船が急激に大きく傾いた。 人と共に様々な雑貨が側面へと滑り落ちてゆく。安全の為に掴まる縄が張り巡らせてあったものの予兆も無くそれは訪れた。 盛大に物がぶつかり合う音と甲高い悲鳴が貨物室の中に上がる。 右に左にと揺れを繰り返しながらも船体は何とか水平に戻される。と思ったら今度はゆっくりと反対側に傾けられた。 立って歩くのが困難であるほどの角度。その位置で何故か固定された。 失速に加えて徐々に降下しているが、外を伺う事もできない貨物室ではそれは飛空船に乗りなれた者が僅かに感覚でわかる程度であった。 乗客にそれと感じた者は居ない。開拓者は――誰か気が付いただろうか? ●操舵室にて 「船団長、左側の宝珠の動力が完全停止したようだ!」 「なんだと今度もアヤカシじゃねぇだろうな」 「舵まで重くなっているぜ。手伝ってくださいよ、このままじゃまともに飛べねぇ」 「くそっ、この船ばっかり何だっていうんだ。森の真上か、まずいな‥‥」 ●再び貨物室 最初の衝撃で身体を固い物にぶつけた一人の女性が膨らんだ腹を抑えて苦痛の声を漏らす。周囲の者が狼狽して助けを求める。 「早く医務室へ運ばないと」 「呼んできた方がいいわ。あの階段を運ぶの無理よ」 「ちょっとあれ‥‥!?」 この船では貨物室から階段へ通じる入口付近の両側に扉があり、小さな動力室が配置されている。 普段は一般の乗客を載せるような船ではないので、何ら施錠等の対策は施されていない。 その扉のひとつが開け放たれ、緩やかなワンピースを着た女性が傾いた壁に寄り掛かるように立っていた。 はずみで足元まで転がってきたランタンから零れた油に引火した炎が照らした為、その姿が誰からも見えた。 その手に掲げられていたのは‥‥精密な細工が施された装置。そこに複数散りばめられているのは、宝珠――! 「こ、この船は‥‥ヴァイツァウの為に動かすのよ。帝国の、帝国の好きには、させないんだから!」 声を上ずらせながら叫ぶように宣言する女性。その眼は屈辱が噴き出した色に輝き、唇はわなないている。 「ふ、船を引き返してリーガ軍に向けなさい!」 向けなさいといっても船を操縦している人間はこの区画には居ない。貨物室に居る面々にはどうする事もできない。 自分が何をやっているのか、この人はわかっているのだろうか。否、足元を舐める炎にすら気が付いていない。 「ヴァイツァウが栄えていれば‥‥私は‥‥あんな男の妻になんかならなかったんだから!」 船が突風によりバランスを崩して揺れる。嵐でもない天気、本来ならこのくらいの風は何ともないのだが。 ガツリと女性の手にした装置が壁にぶつかり、外れた宝珠のひとつが床に落ちて何処かへと転がってゆく。 あの装置が壊れたら街まで飛べないのではないか。墜落まではしなくても、修理が不能になったら雪原のど真ん中でどうすればいいのか。 開拓者達の胸に不安が過ぎる。早く女性の手からあの装置を奪還して元に戻さねば。 後方では苦痛にもだえる女性の声が大きくなっている。そちらも医師や産婆を連れてこないとまずいのではないか。 それには装置を持った女性の足元を炎が舐めている、動力室に挟まれた通路から階段を登らねばならない。 奈義達に修復の判断を求めるにも同じ事だ。 下手に刺激して、装置を叩きつけて破壊されてしまってはいけない。火も早く消さなくては。 開拓者も他の乗客と一緒に貨物室の壁際まで寄せられていた。 入口まで障害物はないが傾斜した床板、膝丈と胸の高さに二通りの縄が張り巡らせてあって単純に駆けては行けない。 さて――。 |
■参加者一覧
劉 厳靖(ia2423)
33歳・男・志
斉藤晃(ia3071)
40歳・男・サ
菊池 志郎(ia5584)
23歳・男・シ
郁磨(ia9365)
24歳・男・魔
コルリス・フェネストラ(ia9657)
19歳・女・弓
シュヴァリエ(ia9958)
30歳・男・騎
ザザ・デュブルデュー(ib0034)
26歳・女・騎
ジークリンデ(ib0258)
20歳・女・魔 |
■リプレイ本文 「まぁまぁ、取り合えずちょっと落ち着けよ。」 そっちへ行ってもいいかい?とできるだけ軽い口調で唇を震わせた女性に優しく話しかける劉 厳靖(ia2423)。 足元の小さな炎‥‥早く消してしまいたいが、焦って彼女をパニックに陥らせてはいけない。 「別にお前さんをどうこうしょうとは思っちゃいねーし、ただちょっとここだと話すにも遠いよなぁ」 「ふ、船を‥‥」 言葉が上手く唇から紡がれない。自分が何を言おうとしてたのか。話しかけられる事で戸惑いが増した様子を見せた女性。 厳靖達の陰になるような位置で、菊池 志郎(ia5584)が近くに居た乗客にそれとなく声を掛ける。 「ところであの方はどなたですか?」 貴方はお怪我ありませんか。人畜無害な笑顔は初対面でも相手を緊張させない。問われた女性も軽く知り合いに返すような感じで志郎に答える。 ジークリンデ(ib0258)も一緒に話を聞き、それとなく相槌を打ち彼女の唇を滑らかにする。 とっつきにくくてあんまり話した事はないけれど、旦那さんは気さくな方で休みの日じゃなくても奥さんの為によく買い物も重い物を持ってあげたりしてて――。 とりとめもなく喋る中に、なんとなくその女性――マリーヤ・ブリノフ――の雰囲気がわかるような気がした。 街に親しい友達もなく孤独に、自分の見たいものだけに頑なにしがみ付いて。幸せが傍にあるのに不満だけを胸に並べているような日々。 子供ができて余計にこのままの人生に埋もれる感じがして、体調的に不安定になりがちなこの時期に爆発してしまったのだろう。 爆発した場所が、ちょっと厄介だったが。 「なるほど、なるほど。元々あちらの出身でしたか。でもいい旦那さんに巡り合ったんですねぇ」 「うちの人もあんな風に気が付く人だったらいいのにね。もう、私が辛くっても全然わかってくれないんだから」 そんな不満までついでに聞かされて。志郎は思わず苦笑いを漏らしそうになる。そうですよねぇ、俺も結婚したら気をつけないとなぁと返して立ち上がる。 「また揺れるかもしれないからしっかりと何処かに掴まっていてくださいね。皆さんも気をつけて」 穏かな笑みは好感を得て、不安げだった乗客達の気持ちを少しでも上向ける。 「では行きましょうか」 縄を伝い外壁を伝い慎重な足取りで話し合える距離にまで来た斉藤晃(ia3071)、背中を壁に預けるように床へと腰を下ろした。 少し動く度に身体に痛みが奔る。先の戦いでの怪我が堪えている。 「すまんが傷が痛むんであんまり動けんのや。声を張り上げるのもきついし、ちぃとばかしこっちへ寄ってくれんかの」 下からの目線で苦笑を浮かべる晃にマリーヤは逡巡を見せる。屈強な男、装置を取り返すつもりかとややきつさのある瞳が見返す。 「それは持ったままで別にええで」 できるだけ驚かせないように。マリーヤが離れ背を向ける瞬間を待っていた志郎。 水遁の術が、床を舐めていた小さな炎を打ち消す。すぐに燃え広がるような床材ではなかったのが幸いした。板を新しい物に張り直せば済む程度のぼや。 それで済んで良かった。ほっと息を吐く。 「ランタンの火がこぼれていたのですよ。貴方にお怪我がなくて良かったです」 今ようやっと気付いた様子で振り返ったマリーヤに穏やかに微笑む。少しは現実を認識してきたのか彼女はきちんと彼らの言葉を耳にしている。 乱暴に取り押さえたりはせずに済みそうだ。ワンピース姿の彼女の腹部はまだそれほど目立たないものの、そこには命が宿っている。 「どうしてこんな事したんや。昨日今日で急にできたような理由やないやろ?」 ● 目配せ。反対側の壁に掴まって様子を見守っていたコルリス・フェネストラ(ia9657)が頷き、注意深く階上へと向かう。 医師は傾いた室内で散乱した物品を片付けていた。扉を開いたコルリスの真剣な固い表情を見て、何事かと尋ねる。 急患だと判った瞬間に医師の表情も仕事のものとなった。冷静に応急に必要な品々を入れた袋を手に取ってコルリスの傍まで来る。 「どんな様子か詳しく教えてくれないかね」 今にも生まれそうという様子でもなければ無理に産婆まで連れていく事はない。転倒して彼女にまで怪我をされてしまっては支障が出る。 いざ出産が始まる事になれば彼女の方が重要な仕事が多いのだ。医師の出番は順調なら無くて済む。 まず私だけが行こうという医師の後ろをコルリスが添う。時々揺れる船内では油断すると壁に叩きつけられそうになる。 しきりに謝る医師に私は平気ですからと積極的に庇いながら、彼を無事階下へと送り届けるコルリス。 まだマリーヤは宝珠装置を胸に抱えたまま動力室付近で他の開拓者と言葉を交わしている。 感情を昂ぶらせたり、宥められたりを繰り返しながら。 一体何事と怪訝な顔をした医師も、傾いた先の床に苦しげに横たわっている女性を認めて何も問わずそちらへと向かう事を優先する。 「良かった、医者の先生が来てくれましたよ」 ザザ・デュブルデュー(ib0034)と共に女性を励ましつつ傍に付き添っていた郁磨(ia9365)。 「俺達が貴女達も、その子供も、守りますから」 そう言って他の女性達の心を安んじる事も忘れなかった。優しい笑みは人の心を和ませる。一人一人握った手の温もりには全て命が宿っている。 ジークリンデの唇から紡がれた慈愛に満ちた神の教え。 マリーヤには信仰心はなかったが、それでも何か響いたのか。 「私は‥‥」 知れずマリーヤの頬を伝う涙の雫。 求めていたのは過去の栄華ではなく‥‥父に母に、周囲の者達皆に愛されて幸せだった日々だったのか。 自分も誰もを愛していた。互いに愛を分かち合う喜び‥‥それを忘れていたから、忘れていたから! 蔑んでいた夫の顔が脳裏に浮かぶ。どんなに冷たい言葉を浴びせられても返るものがなくても、絶やす事なく愛を投げかけてきた夫。 「貴女は既に幸せを見つけているのですよ、手を伸ばせば届く距離に」 微笑みを浮かべ両の手を差し伸べたたジークリンデがそっと一歩を踏み出す。マリーヤは動かなかった。 涙をはらはらと流しながら今初めてとばりが取り去られた世界を見つめようとしている。 「その装置をお渡しください。貴女はそんなものを持たなくても行きたい場所へ行けるのです」 取り落としてしまいそうな手にそっと自分の手を重ね、ジークリンデはマリーヤの瞳を見つめる。 指の一本一本が離れ、その宝珠や金属が複雑に絡み合った装置のズシリとした重みがジークリンデに移される。 晃に装置を手渡し、再び振り返った視界に映るマリーヤは呆然としていた。 張りつめていたものが解けた。腕を伸ばしたジークリンデの指が触れるより先にその場に崩れかけたマリーヤの身体。 後ろから見守っていたシュヴァリエ(ia9958)がその背中をがっしりと受け止めた。 「座るか?まぁここだとなんだ、尻が冷えるぜ。俺が支えてやるからあっちへ行こうか」 冷たい鎧の感触にマリーヤがぶるりと身を震わせる。脚にはもう全然力が入らないようだ。 もうそんな事はないとは思うが不意に暴れださないようにしっかりと身体を抱き、縄を伝って他の者達から離れた場所へと連れてゆく。 (来ないでくれ) 兜を脱いだ目顔で、他の者が傍に寄らないように牽制する。 もうかなり神経が参っているのだ。今はかえって何も話しかけないでやる方がいいと思った。 怪我が無いか一応の確認をしてから近くにあった毛布でマリーヤの身体を包み込み、その腕から離さずに一緒に壁際に座る。 「緊張して疲れちまっただろ。そのまま寝てもいいんだぜ」 ぶっきらぼうな言葉にマリーヤは小さく頷く。むしろ寝てしまってくれた方が楽だ。 「気分は悪くないか?」 その言葉にもこくりと子供のように頷く。 (まったく面倒掛けてくれたぜ‥‥しょうがねぇなあ、俺の役目はこのまま彼女のお守りかね) シュヴァリエの腕の中で、静かに重さが増した。糸が切れたように蒼白い顔が瞼を閉じて鎧の胸板に預けられている。 ● 「できればここよりは‥‥」 腹部を強く打った事に対しては施せる処置は少ない。医師にできる事も外傷が無い事を確認するぐらいであった。 後は苦痛を和らげて安静にしておくしかない。お腹の子供は‥‥無事と信じていいだろう。ただこの衝撃で産気づいた様子なのが心配だ。 臨月まではまだ少々あるとの見立てであったが、もうこうなったら早くても自然のままに産ませるしかない。 「ゆっくり呼吸をして。寝台まで運ぶから貴女は楽にしていてください。安心していいんですよ、子供は大丈夫です」 腹に温かい掌を置き、初老の医師は優しく微笑みかける。出産には何度も立ち会ってきた。母体は元々健康だ、大丈夫だきっと。 「運ぶ間だけでも船を水平にできないかな?」 毛布で即席の担架を作ったはいいが、やはりこのままで運ぶのは難儀である。 「あたしが操舵室へ行く。そのぐらいの時間なら問題ないと思う‥‥」 ずっと女性に付き添っていたザザが経験による判断を告げた。 飛空船も作りによって操作も性質も異なるが‥‥この緩やかな降下は動力が足りないせいだろう。完全に飛べないわけではない。 物心つかないうちから交易に駆ける飛空船の中で育ち、飛空船の事なら誰よりも熟知していると自負するザザ。 少々の故障なら体験した事もある。初めて遭遇した時は本当に怖かったが‥‥。 動力源が左右に分散している事でこの船はそれに合わせて全体のバランスを設計されているのだろう。 水平にしている間は、恐らく進路を大きく変えて滑空する事になるが降下に関しては影響がないはず。舵が使えれば進路がずれたところで支障はない。 「多少傷つけるが、やむを得ない」 懐から取り出した頑丈なナイフ。 張り巡らされた縄と縄の間を、手が届かない場所ではナイフを床に突き立てて次の縄までの一瞬の体重の支えに使い最短距離を進む。 身軽に動力室の壁を支えとできる場所まで辿り着き、濡れた床を過ぎる。 (全く、手すりもないんじゃ危ないな) 体格の良い者なら肩を擦ってしまうのではないかと思うほど狭い急傾斜の階段。運搬する際の補助になればと素早く下の柱から上の柱まで手すりになる高さに手持ちの縄を張って登る。 感覚が狂うような妙な傾斜になっているとはいえ階段は両側の壁を頼りに駆け上がれた。操舵室のある最上層まで一気に登る。 「おっ、一人来てくれたか」 足音に振り返り、ザザの姿を認めて助かったという顔をする奈義。渾身の力を込めていて額には汗も浮かんでいる。 「下は落ち着いたが、急病人が出た‥‥船を少しの間だけでも水平にしてくれないか。舵はあたしも手伝うよ」 だから一人動力室へ行ってくれないか。装置を修理すれば船は元通りに動かせるはずだ。 貨物室で起きた出来事を手短に説明したザザが奈義と交代して舵を握るのを手伝う。 上下左右のほとんどの動きをこれひとつで司るように作られており、後は様々なレバー等の装置が補助的な役割を果たしている。 前面の壁には宝珠の力によって外の様子が投影されているが、出力が低く抑えられているせいか映りは薄く壁の色と淡く混じっている。今は障害物もなくそれは特に問題ない。 「レバーをゆっくりと元に戻すから、同時に舵も戻してくれ。同じタイミングでやらないと滑らかにいかない」 普段なら片手ずつで操作できる軽さで宝珠の力が伝達してくれるが、人力でこの機械的装置を動かすのは随分と骨が折れる。 「こっちは手を放すぞ、頼む」 操舵手がレバーを両手に握り渾身の力を込める。ザザの手に掛かる舵の大きな抵抗。飛空船に掛かる抵抗で急激に動き出しそうになるのを足を踏ん張って耐える。 操舵手の動きを見ながらゆっくりと舵が戻るように全力で舵の荷重に抵抗する。レバーを動かし終えた操舵手が再び舵に手を添えるまで緊張の時であった。 「しばらく左に滑空するが、高度はまだ足りてるから問題ない」 壁に淡く表示された眼下の森林が近づく速度はやや上がったが余裕はまだある。大丈夫、と頷くザザ。 「まさか護衛の依頼で舵を握る事になるとはな」 妊婦の搬送が済んだと思われる時間を過ぎても、高度の限界までしばらく斜滑空を続ける。 (ヴァイツァウか‥‥。気持ちは判らないでもないが。恨むのなら領地の民人まで巻き込んで戦争を起こした彼を、だろう) ● マリーヤも落ち着き、女性も運ばれ、開拓者の手も借りて奈義が行なっていた動力装置の修繕も無事に済んだ。船は元通りに飛行している。太陽が高く昇る時間には目的地へ着くだろう。 外れてどこかに紛れ込んでしまった宝珠を探し回るという一幕もあったが、丹念に探せば見つかった。 ようやっと息をついてさて疲れたし眠ろうかと開拓者達は毛布に包まって貨物室の床に身体を横たえる。 おそらく外では夜も明けたかと思われる頃、無精髭を生やして少しだけ憔悴した頬をした医師が訪ねてきた。 「彼女が助けて頂いた方にお礼を言いたいとの事だが、来てくれるかね?」 産室へ赴くと女性は真新しく替えられたシーツの上で満足げな幸福感に浸りながら横たわっていた。室内は既に丁寧に清められていて、産婆はうつらうつらしながら付き添っていた。 まだ起きて動くわけにはいかないがお産直後の充分な休養も取れて女性の健康状態は良好だ。 しきりに礼を言う女性にもう充分にお気持ちを戴きました、無事でなによりですとコルリスが微笑む。 赤子の無垢な寝顔にこの命を救ったのだという達成感がある。 「実は‥‥」 この子の名付け親になって戴きたいんです。控えめな声でそう女性は告げた。 父親は既に亡く。一人で花屋を営んでいた彼女は街を訪れた一人の開拓者と恋に落ちた。 そうだな、依頼で金が貯まったら一緒に花を育てて慎ましく暮らそうか。そう言っていた彼はアヤカシを退治に行ってある日帰らぬ人となった。彼女に想い出と芽生える命を残して――。 彼女を優しく気遣っていた開拓者達はそんな身の上話を聞く事になった。 「厚かましいお願いと思いますが‥‥もしよろしければ」 戦乱の中で生まれた命。嵐を鎮めようと訪れた大勢の開拓者達。この船に居合わせた彼らも、そのようにして巡り合った。彼と同じように志体という使命を持って誰かを護ってゆく人々。 ジルベリアの未来をこれから見つめてゆく子供に、どのような素晴らしい人々に助けられてこの世界に生を受けたかいつか語ってあげたい。 お父様は、そして貴方の名前を付けてくれた人々は――。 ‥‥人が好き。だから、皆に平等に幸せになってほしい。これから産まれてくる命なら、尚更‥‥不幸になんて、したくない。 「――こんなお名前はいかがでしょうか」 想いを込めて郁磨の告げた響きに女性は嬉しげに微笑んだ。 |