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■オープニング本文 一緒に村から逃げようって言ったのに。 広さんと一緒のはずだったのに。 どうして? 山の神様への生贄は必要ないって。 私が死ななくってもいいって。 思考が回らなかった。 閉じ込められて。身体の清めと食事を断たれてからどのくらい経っただろう。 最後のご飯は、ああ、小豆が入っていて美味しかったなあ。 足にも力が入らない。震える。寒い。 「俺が小屋の番をしてる間に、山の中へ逃げろ。バレたら探されるから道は絶対に避けるんだ。舞ちゃーー」 ゴスッ。ドサッ。 広さんの頭が割れた。まるで柘榴みたいだと思った。 熊が笑っていた。いいえ、熊の面が笑っていた。ちがう、笑っている熊の面だった。 怖いとか感じなかった。 ああ、山の神様の使いが来たんだ。 だから目を閉じた。 ◆ 夢を見ていたんだ、私。 だって、広さんは隣に。 ◆ 大きな柘榴が割れていた。真っ赤な、真っ赤なーー。 「広さん?広さんっ!?やだ、広さん……嘘でしょ……ねぇ」 嫌、嫌、嫌、嫌、嘘よ、嘘よ、嘘よ、嘘よ! 私、広さんと一緒に居るんだから。 ずっと傍に居てくれるって言ったじゃない。 「嫌ーーっ!!!!」 ◆ 長く尾を引くような女性の絶叫が晴れ渡った天に響いた。 アヤカシ襲撃の報せを受けて駆けつけた村。 爪で引き裂かれ、牙を突き立てられ、叩き潰され。 散々に貪り喰われた姿が。のどかなはずの光景に中に累々と。 生き延びた村人達は呆然とへたりこみ、汚れるのも厭わず家族や友の変わり果てたにすがりつき。 開拓者に討伐の礼を述べるどころではない。 救えなかった悔しさに唇を噛みしめたその時。 悲鳴。遠い。間に合うか。アヤカシはまだその辺りに潜んでいるのか。 走る開拓者。聳える太い幹が行く手を邪魔し、起伏に富んだ土は脆く。 先頭を駆けていた者の視界に映ったのは。 頭を割られ肉塊と化して倒れた、おそらく大人の男。 その脇で声が嗄れようとも血を吐こうとも尚叫び続けている少女。 痛い、痛い、痛い、助けて。広さん、広さん。 四肢が千切れている。でもまだ生きている。彼女からもぎ取られたそれは。 アヤカシが喰らい貪っていた。熊……?しかし。 獣にはあり得ない厭らしい笑いを浮かべ、少女の苦悶を愉しんでいる。 |
■参加者一覧
梢・飛鈴(ia0034)
21歳・女・泰
言ノ葉 薺(ib3225)
10歳・男・志
杉野 九寿重(ib3226)
16歳・女・志
東鬼 護刃(ib3264)
29歳・女・シ
ラビ(ib9134)
15歳・男・陰
ディラン・フォーガス(ib9718)
52歳・男・魔 |
■リプレイ本文 村の者達が生活の為に分け入ったであろう道跡。 それを辿るのはもどかしく、容易に抜けられるであろう藪や、胸程の段が阻む斜面は一気に突き抜ける。 開拓者になる以前は山林で暮していた梢・飛鈴(ia0034)。必要となればこのくらい昔からやっていた。 ほんの数メートル後ろを杉野 九寿重(ib3226)が遅れず、飛鈴の選んだ道を進んできている。 他の四人は……どうだろうか。 ●山の中で 土と緑に覆われた視界の中に突然広がった血の赤。転がるふたつの塊は死体にしか見えなかった。 それを厭らしい笑いを浮かべ、見下ろしながらくちゃりぺちゃりと人間の手脚だったモノを味わうアヤカシ。 新たな獲物の気配に気付いていた眼が三組。こちらを向いていた。 (……万全の状態なら、すぐ蹴散らせるんだガ。……何処までも祟られル) 練気を巡らす一呼吸。更にもう一呼吸と同時に懐へと飛び込み、掌を分厚い毛皮に覆われた腹へ。 退治してきた奴らと同じなら、先の一手だけならまず確実に取れる。問題はその後だ。見た目はただの大きな熊だが、組織の強靱さは比較にならぬ。 堪えない事もなかろうが。脆いアヤカシなら一撃で崩れるであろう勁を喰らっても、強烈な反撃が来る。 避けられる間合いではない。頭を庇った腕が覆った布もろとも引き裂かれる。力を流した分、爪痕が肘まで達する。 転がる塊に背を向けさせる位置に一旦下がる。こちらに注意を向けさせればそれで良い。 九寿重は野太刀を引き抜く分だけ半拍遅れたが、同様に突貫し一撃離脱で下がり、飛鈴と肩を並べた。 面と肩口に施された鬼の顔が血に塗れ惨憺としているが、先刻の戦いの所為か新たな傷によるものか定かではない。 足元に投げつけられた、人の腕が転がる。踏まぬよう、位置を変え。 息がまだ荒い。先程まで同じアヤカシを多数倒してきた。その上、山を駆け登ってきたのである。 今の状態では一対一だとしても、体力に大きく勝りしかも無傷の相手に勝ち目は微妙だ。 同数なら相討ち覚悟も辞さぬが、三体。間もなく着くであろう仲間を待ちたい。 しかし悲鳴の主がまだ生きている。声がする。あの姿で。 東鬼 護刃(ib3264)の耳にその息遣いが届いていた。微かにまだ声を上げる少女の言葉も。 極限まで研ぎ澄ませた聴覚が捉えた状況に、気は焦る。 「薺……!」 肩を並べた恋人、言ノ葉 薺(ib3225)も息が上がりかけていた。が、重い蛇矛を抱えてこの速度である。 並の人間にできる事ではない。身軽な護刃も気力を振り絞ってどうにか彼と共に登れたというくらい。 ラビ(ib9134)やディラン・フォーガス(ib9718)はまだ後ろに離れている。 辿り着いた薺の眉根が僅かに顰められたのは、護刃からは見えなかった。 「何と惨い事を……っ」 今は背中にした彼女の声に何も返してやれない。 蛇矛を構え、先に到達した二人を追い詰めるアヤカシの脇腹に全力を以て突進する薺。苛烈な攻めで情勢を押し戻そうと加わる。 我を取り戻した護刃の放つ水遁が、アヤカシの動きを阻み。即座に陣形を整えた三者が一対一で相対できる態勢が整えられた。 護刃の位置は、薺のすぐ傍。 速さと連携に勝る開拓者だが、なかなか倒れぬ相手に経つ時間が実際の時の流れよりも長く感じた。 まだ灯を残す儚い命が、今にも消えてしまいそうに。だが、通常であればまだ戦いは始まったばかりという頃合。 先行させた式との二重の視界に足元を縺れさせるラビ。ディランの大きな手が狩衣の背を掴む。 「しっかりしろ!どうした!?」 頭を割られ倒れた血塗れの男と、四肢をもがれてその横に転がって口を開けた少女。 口元を押さえ、涙を堪えて蹲るラビの瞳に二重映しで見えたのは、それを小動物の低い視点でまともに捉えた姿だった。 (何、これ……?何でっ、何がっ、な……) 麓で見ざるを得なかった光景よりも間近に生々しく。 あまりの凄惨さに自失したラビの気を取り戻そうと、力ずくで抱き起こし、頬を張る。 「見えたのか、もう少しなんだな。行くぞ!」 「はいっ、……うっ、く」 遅れを取る事になった老いた肉体を呪いつ。此処まで来た。 まだ幼いこの子に何が見えたか。それは後だ。今は先に行った仲間の元へ少しでも早く。 ●残された掃討 「更に新手が来たようじゃぞ!」 「何体か判るカ」 「正面から一体。左方から二体向かってきますね……それ以上は見えません」 「心眼でカ」 「ええ。正面は私が。……東鬼殿、目の前のアヤカシを片付けるので援護頼みます」 「冥府魔道は東鬼が道じゃ。わしの焔が三途の火坑へ案内してやろうっ!」 薺の踏み込みに合わせ、護刃が印を結ぶと、対峙したアヤカシの足元を囲うように炎が吹き上がり巨躯を包み込む。 跳躍し横薙ぎに放った曲がりくねった刃が太い首に喰い込む。落とせるか、落とせぬか。 アヤカシが苦悶の咆哮を上げ、最期に伸ばした腕の爪先が護刃を捉えようと。 「その人に触れる事は許しませんよ」 着地。振り向き様に炎を纏わせた矛先が背中から深々と貫く。燻る毛皮を蹴り、引き抜いて。 護刃と共に、男と少女の脇を一目だにせず駆け抜ける。 「……まだ、生きてるっ!?」 少女の元へと駆け寄り、まだ息があると見るや虹色の輝きと共に式を彼女の身体へと吸い込ませる。 助かるとか助からないとかそんな考えはなかった。ただ、助かって欲しいと。 失われた部分は大きく、彼女の肉体と一体化した式は、傷口の組織を僅かに増やす程度に過ぎなかったが。 「お願いだから、逝かないで……っ!」 「広さん、痛い痛い、私、広さん……」 視界が翳った。ディランの創り出した石壁。詠唱の声もラビの耳には入っていなかった。 握ってあげる手も無い。擦ってあげる腕も脚も無い。 叫びに嗄れた声の力も失い、焦点の合わぬ目を空へ向け、色を失った唇だけを動かす少女にただ寄り添い。 声を掛け続ける。ありったけの力で、更に式を彼女の身体に吸い込ませながら。 例え実らぬ努力でも構わない。自分の身を粉にしてでも命を救いたいから。 「此処に居るよ、此処に居るから。何処にも行かないでっ」 「広さん……?」 「泥臭いのは嫌いじゃないガ、こういうジリ貧なやり方はアタシの色じゃないってーの」 強引に隙を見い出しては、回り込んだ位置から頭や喉首を狙う。が、いかんせん相手がデカい。 時には太枝の位置を利用して、飛び蹴りを叩き込む。 蔦に足元を絡めとられたアヤカシには引き千切るまでの瞬間を利用し。 鼻先を掠める野太刀の切っ先。一閃目は、九寿重自身に相手の攻撃を振らせる為。 振り下ろされる太腕を潜り、衝撃を外套に包み、返す太刀で相手を誘導する。 次は見切る。兜ぎりぎりで交差し、紅葉散る刃で脚を薙ぐ。 覆い被さる巨躯から逃れ、斬る。更に斬る。 聖なる矢が貫き、やがて……いやそれ程の時を待たずして。 六体のアヤカシは開拓者達によって屠られた。 ●少女の夢 既に流れ出てしまった多くの血。 少女はそれでも苦痛と悪夢の狭間で言葉を紡ぎ続けていた。 言葉の中で、彼女の名がマイという事を知ってラビは呼びかけ続ける。必死に。必死に呼びかけていないと涙が溢れてしまいそうだ。 「此処にいるよ。みんな此処にいるから!一緒に帰ろうっ」 それが果たせない約束である事をラビと舞以外の誰もが判っていた。 いやラビも本当は。でも心がそれを理解するのを拒絶していた。 神様の生贄……? この娘は何を言っているのだ。錯乱しているのか。 夢も現も既に区別がつかぬのなら、せめて嘘でもいいから安心させてやりたい。 もうこれ以上苦しみを続けないで。 「悪い夢を見ていただけだよ、マイ」 「お父様?」 ディランの穏やかな声に焦点を取り戻そうとする少女。でも姿は見えないのか。 「山の神様は惨い事なんてしない。ヒロは先に行って君を待っている」 「先に……私行かなきゃ。広さんと一緒に行かなきゃ」 「間に合うよ。大丈夫」 頬を撫でる温もりは伝わるだろうか。瞳が閉じられる。わななく瞼。 「お父様、私ね……」 「ん?」 「今日、山でね」 「うん」 「約束したの」 「うん」 「広さんのお嫁さんに……なる……って」 吐息。それきり少女の唇は動かなかった。命がひとつ灯を終えた。 堪えの堰が切れたラビの嗚咽。涙がぽろぽろと頬から零れ落ちる。 ディランは少女の頬に触れたまま、しばらく彼女の顔を見つめていた。 最期は明るい夢を見て穏やかに逝った。そう自分に言い聞かせて。けれど虚しくて。 助けられなかった命。どうする事もできなかった。けれど、それでも繰り返し込み上げるこの胸の痛み。 横で惨い姿で転がる男の亡骸。やはり惨い姿で逝った少女。首を大きく何度も、横に振る。 何故、何故彼らはこんな死に方をしなければならなかったのだ。 「できるのは、傍らの男と一緒に埋めてやるくらいカ……」 この惨い姿を無理に下ろして村人達と対面させるより、此処に二人の墓標を立ててやろう。 アヤカシの姿が消えた山。 無言で開拓者達は二人を弔う為の穴を掘る。道具も無いので時間が掛かる。考える時間だけが増えてゆく。 (……これだから、山って奴は) 山の神様なんて。此処には居るのだろうか。 (アタシも山の民だけど、生贄なんてやらんかったケドな……) ●再び村へ 九寿重の嗚咽が止み。一礼するなり身を翻し毅然と唇を固く引き結ぶ。そしてそのまま歩みを進め、木立の陰を見据える。 帽子を胸に、長い黙祷を捧げていたディランが、墓前に膝を付いたまま動かぬラビの肩に温かな掌を置く。 垂れきった耳がびくりと跳ねる。でも立ち上がれない。 無力感に打ちひしがれる気持ちは同じなのだろう。 だが、人はそれを乗り越えていかねばならない。 生きる者は再び立ち上がって果てしなく歩み続ける。 それが人生と、知ってしまうには若過ぎるとしても。時の年輪を皮膚に刻んだ指が力強く、華奢な肩を掴む。 「行こう。麓の村人達の手当てもしてやらねばならない」 振り返った涙に濡れた瞳に黙って頷き。 傍らの仲間を振り返る。 背中を向けた九寿重。おどけたようなもふらの面の下に表情を隠した飛鈴。 無念に包まれた瞳で立ち尽くす護刃の手を薺が握っていた。 ラビがゆらりと立ち上がるのを見て、薺は愛する者の手を固く握りしめたまま無言で村へと引き返す。 誰もがやはり言葉は無かった。 村人達の姿は、駆けだした時と一点を除いて変わらなかった。 伏した死者もそのままに、縋り泣く生者もそのままに。 暴虐を振るったアヤカシ達の姿だけが消えていた。 誰しもが顔見知りの小さな世界。欠けた者は戻らない。 だが開拓者のお陰で村は再生できる人数を残していた。 欠けた家族の分もやがては新しい命に賑わいを取り戻すのだろう。 行方知れずを探す者に山で葬ったヒロとマイの特徴を告げると、最期の様子を聞き力無く肩を落とした。 舞の父は生きていた。ディランの手を握り、ありがとうありがとうと壊れたように繰り返す。 弔いの礼を言う方も言われる方も辛かった。 献身的に怪我人の手当てを施し。土の上で苦しむ姿のまま倒れた亡骸の血を拭ってやり、清らかな水で洗い、絞り、繰り返す。 乱れた髪を梳き、解けた髪は結い直し。気を取り戻した村人達の風習に従い、埋葬の支度を整える。 抱き運ぶ亡骸の重さが心に堪えた。幼子や老人の軽さがむしろ心にはひどく重たかった。数えたくもなかった。 耕されない固い土を人の大きさだけ浅く掘り。横たえて。村人達が一人一人、大人も子供も、土をひとすくい被せ。 堆く土饅頭をこさえる作業は、開拓者も一緒になって。秋の野花を摘み、飾って。 土饅頭の大きさが、村の悲劇を物語っていた。それだけの人々がこの下に眠っている。 為す事を為し、これ以上する事も無くなって現実感を取り戻した人々のすすり泣く声。 護刃は耐えられず、人々の群れを離れた。薺が後をゆっくりと追う。 「……っ!」 追おうとしたラビの肩をディランが掴んだ。 「放っておけ。俺達は此処に居よう。……村人達が立ち上がるまで」 それぞれに心の整理の仕方があろう。 泣き疲れた村人達が家路に着くまで。傍に付いていてやろうとディランは思った。 今は何も掛けてやれる言葉は無くても。 (護刃、貴女の心は大丈夫ですか?) 人気の絶えた村はずれの木陰。 梢を背にして、護刃がぼうっと真新しい大きな土饅頭を囲む人々を眺めている。 隣には並ばず腰を下ろして、別の方角の空を見上げる薺。 紅の尾の柔らかな毛が、ふぁさりと膝を抱えた護刃の腕を撫でた。 はっと首を向けた瞳の先に映る、恋しき人の幼さに閉じ込められた横顔。様々な者の血と自らの血が混じ入って汚れたままの衣。 「薺には……隠しても詮無き事か」 再び土饅頭を囲う人々を見据えて。呟く。 「救える命には限りがある。それでも、わしは無力じゃな、と」 できる限りの事はした。けれど、この光景を前に。思わずには居られない。 「……」 「すまんな。もう少しだけ、このままで居させてくれな」 |