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■オープニング本文 急峻とまでは言わないもののそこは充分な道幅があるというのに荷車が行き来するには難所と呼ばれる地形であった。 峠を越えれば主街道と交わるまで、ほんの僅か。迂回路を選べば村から他所へ往復するには何処か途中で一泊を余儀なくされる。 宿場町を利用すれば当然お金が掛かり、かといって野宿するには時折アヤカシが出没しては退治の陳情が行なわれる土地柄であった。 長年掛けて綺麗に整備した峠道は村にとって使い勝手がいい上に道中の景色は美しく。 そして喉を潤す美味しい水が湧いていた。アヤカシもこちら側には滅多に現れないので安心して通れた。 村の男がある日、峠で豆腐作りに適した焼石膏が採れる事を発見した。 その男は豆腐が好きで、好き過ぎて拘りの美味しい豆腐を作りたいと焼石膏が採れる近くに住まいを移した。 此処で作れば朝一番で宿場町に届けられるから、いい商売になる。そんな目論見もあった。 峠を下るのがちょっと難だが、男はそれも持ち前の勘と運動神経を活かした奇抜な策で乗り越えた。 川船を操るような竿を持ち、峠の傾斜を疾走する多輪の特製荷車を巧みに操り、桶に入れた豆腐を壊さず張った水も零す事なく突き進む。 やがて宿場町の入口に差し掛かる頃には、勢い付いた荷車も平坦な道のりに人が歩く速さとなり自然に止まる。 そこから先はゆっくりと自分の力で荷車を引いて、腰に下げた笛を手に取って売りに来たと吹き鳴らすのだ。 麓の宿場町でも、反対側の村でも名物の『峠の豆腐屋さん』として名を馳せるようになっていた。 男の名は大原 辰(おおはら たつ)。皆には豆腐屋のタツさんと呼ばれ親しまれている。 名を馳せるまでには、数々の失敗もありそれも語り草。 荷車も試行錯誤の改造の末に今の形になるまで何台おしゃかにした事か。 猛烈な速度で下る途中で道から放り出されて、大怪我を負って死に掛けた事も一度や二度ではない。 豆腐作りに掛ける情熱よりも、その運び方で名物男と呼ばれている愛すべき馬鹿一代である。 麓の村で大豆の収穫を手伝ってほしいという依頼の帰りであった。 村は大原という名前で、集落の者は皆同じ姓。タツさんも豆腐屋を始めるまでは村で畑を耕していた。 醤油や味噌の原料として生豆のまま都方面に出荷するが、そこには同じ商品を扱う店同士の駆け引きもあり。 収量もその年の天候や土の肥え具合に左右されるので、少ない年であれば村と懇意にしている者が有利だ。 この村の大豆を原料に使う事に強い拘りを持って、刈り取り時期には応援を出してくる店もあった。 開拓者を雇って派遣したのはそんな店で。重さ幾らで買い取った豆を運ぶ役目もあった。 さて、村に年に一度の大枚の銭がやってくる日に目を付けていた盗賊団があった。 手引きしたのは村の鼻つまみ者。猫の手も借りたい時期にふらりと居なくなった事を誰も気にしていなかった。 手癖が悪く小さな窃盗など日常茶飯事で、奴が居ない方が安心して家を開けっ放しにできるから清々すると。 ついでにタツさんにも大豆を届けてくれないかという事で、帰り道は大豆を積んだ荷車を押して峠を登る開拓者達。 整備された道は石ころひとつなく、片側が崖になっている場所も幾つかあったが押して歩く分には問題ない。 眼下に広がる風景は、天気が良い事もあって、村の者達が自慢する通り美しかった。 タツさんの家に着く頃にはちょうど昼飯時で。 宿場町での商売を終えて戻っていたタツさんに労われ、取り置きしてくれた豆腐もご馳走になり。 軽く世間話など交わしながら、美味しいと評判の水で淹れた茶も戴き。腹ごしらえをしていた頃。 村に異変が起きた。煙が複数昇り、何が起きたとその方角を見に行くと。 家や納屋に火が付けられ、小さな人影が多数右往左往し、倒れている人間が居るようにも見える。 何かの襲撃を受けたとしか思えない。アヤカシらしき姿は見えないが……。 「走っていくより、これで行った方が早いっ!」 普段タツさんが豆腐を運ぶのに使っている特製荷車。 固定の桶にはまだ豆腐滓が浮かぶ水が張られたままだが、しがみつけば全員乗れない事はない。 「押したらすぐ飛び乗れ、行くぞっ!」 勢いよく乗ったタツさん、しかし勢いが良過ぎて荷車の向こうへと転げ落ちた。 「えっ、ちょっと、タツさん!?」 「うおおおおっ。頼む、村を頼むぅーーーーっ!」 高く晴れ渡った青空に無駄に響き渡る咆哮。 舵取り用の竿と一緒に開拓者を乗せた荷車は、タツさんを置いて峠の激走を始めていた。 どうするの!?これ!? |
■参加者一覧
空(ia1704)
33歳・男・砂
レヴェリー・ルナクロス(ia9985)
20歳・女・騎
猫宮 京香(ib0927)
25歳・女・弓
杉野 九寿重(ib3226)
16歳・女・志
戸隠 菫(ib9794)
19歳・女・武
暴怖(ic0011)
21歳・男・泰 |
■リプレイ本文 速やかに遠ざかるタツさんの姿。 舵取りが居ないまま傾斜のままに豪快に揺れながら加速する荷車の上。 とっさに竹竿を掴む者も居なかったので、揺れた拍子に主の後を追うように転げ落ちていった。 「あ……竹竿が。どう致しましょう」 唯一荷台の上でしっかりと固定されている物。水の張られた大桶に抱きすがる杉野 九寿重(ib3226)の呟き。 「どうにもこうにも、何とか制御するしか。きゃっ、えっ、ひゃああっ!?」 手持ちのハルバードなら長柄だし丈夫だし、と立ち上がったレヴェリー・ルナクロス(ia9985)の悲鳴。 一度目の軽い悲鳴は、立ち上がった瞬間に小石を踏んだのか強く揺れた荷台に姿勢を崩したもの。 二度目の素っ頓狂に声を裏返らせた悲鳴は……。 まずそこで何が起きたかを説明しようか。 峠の感覚と荷車捌きに慣れたタツさんは、荷台前方に立ったまま竹竿を操るのが常である。 低いとはいえ存在する荷台の囲い板はせいぜい滑った時の足止め程度にしかならず。 上体をよろめかせれば、先程タツさんが勢い余って向こう側に転落したように危ない。 レヴェリーが落ちてしまう!と思った猫宮 京香(ib0927)はとっさに彼女の服を掴んだ。 姿勢を低くしていたので京香の手が到達した地点は、尻のあたり。 折悪しく外套は風に翻り、ウェストのくびれを強調したローライズが露出していた。 薄手の布なので強く引っ張れば、場合によっては引きちぎれる可能性もあったが。 幸か不幸か、腰骨よりも下で身体への密着度を高めたそれは下方向に対する抵抗は小さかった。 察しの良い諸君はここで理解したかもしれない。いや更に上の展開を予測して固唾を呑んだかもしれない。 小柄な女性とはいえ、人間一人分の負荷がそこに掛かったのである。 形の良いヒップが、もしあまり豊かな張りを誇る存在で無かったとしたら。 俗に世間で云われる『半ケツ』の状態では済まなかっただろう。 これ以上の詳しい説明は、レヴェリーの名誉の為に筆を控え。場面に戻ろう。 ●疾走する荷車 仮面に隠されていない部分の肌が、瞬時にして沸点に達した羞恥心で真っ赤に染まった。 追い討ちを掛けるように頭上で椀と分離して落下した白く柔らかい物体、即ち豆腐。 「あぁ〜、せっかくのお豆腐が〜」 「そんな事より京香、もっと下、脚を支えて頂戴!?」 豆腐まみれ、ほんのり漂う醤油の香り。とかそんな事はどうでもいい。 身なりを許容できる範囲まで戻し、ハルバードを再び構える間にも荷車は爆走を始めていた。 「汲む道具があれば、桶の水を捨てて多少は軽くできるんだけどね」 何も道具は積んでいないようだ。舵取りもだけど、減速できる手を早く打たないと。 戸隠 菫(ib9794)の手に触れたのは鍋の蓋。これを車輪に押し当てれば抵抗で少しは効果あるかな。 でも車輪が小さいから、身を乗り出さないと届かないか。 「曲がりのとこに来たら、これを押し当てるから。お願い、支えててくれる?」 「ほへは?」 この状況でも悠長に味わい深い豆腐をまったりと舌の上で転がしていた空(ia1704)は見なかった事にして。 九寿重に頼む。暴怖(ic0011)は賊の事を一心に考えているようで反応が無い。 「判りました。その曲がりの向こう、登ってきている人は居ないようです」 見通しの悪い地点は精霊の力を借りて、登りの時とは異なる障害が無いか心に感じとろうと試み。 人や動物などの生命体が近くに存在するかどうか程度しか判らないが。 天候も良いし、後から誰も登ってきてなければこの短時間で峠道の路面状態が変化している事もないかと思う。 四対の車軸は通常の荷車みたいに固定ではなく、地面の状況でむやみやたらに向きを変える。 そこそこの大きさの石でも踏もうものなら、一瞬にして路外の茂みあるいは崖に突っ込んでしまう事になろう。 「ふーはよ、はんへほへらはほんなほほひへへほはははひんはほ」 何言ってるか全然判らないんですけど。 空は片手に豆腐の入った椀を保持しながら舌で掬い取り、反対の腕では刀を逆手に軌道修正の補助をする。 面倒くせぇし、刃が傷みそうなもんだが。やらないと一蓮托生でお陀仏という事は冷静に理解している。 豆腐を置け?そんな事したらこぼれておしまいだろうがよ。けれど一気に食っちまうには勿体無い上物だ。 せっかく好意でご馳走して貰ったんだから、味わないで飲み下すのは損。 囲い板を小脇に抱え、低い視点で流れ過ぎる地面を見る形。あまり近くを見ていると酔いそうだ。 龍ではこんな地面すれすれでは飛べないし、なかなか普通は拝めない風景とも言える。 ひとつふたつみっつと。少々内側に曲がり過ぎた感はあるが、桶の水が盛大に荷台内に零れただけで大事には至らなかった。 菫を支えていた九寿重は位置が災いしてまともに頭から被ってしまったようだが、顎から水を滴らせたまま毅然とした表情を崩さない。 暴怖も同様。ただ一言静かに。 「民が呼んでいる……」 「い……今のは危なかったわね」 最後尾の一輪がガクンと落ちた感覚、勢いのままに再び道へ乗り上げてくれたが。 「重心が後ろのままだったら危なかったですね」 半ば以上荷台に溢れ返った水は激しく波立ち、前方の位置する者は荒天の浅瀬に腰を浸しているも同然だった。 正直、この季節には厳しい。だが、もう少しだ。賊に襲われた村へ一刻も早く。 「前方に誰か倒れています!」 もう左右は段差があって柔らかい土の畑。軌道を変えて落とすか、無理やり急制動をかけるか。 どっちでもなるようになれ。 「身構えて!」 渾身の一撃を前方へ叩き込むレヴェリー。後方に紅蓮散る刀身を突き立てる九寿重。京香はレヴェリーの脚を掴んだまま。 鍋の蓋を力一杯一輪に押し付ける菫。咄嗟にできるのはそこまでだった。 男二人は即座に囲いへ足を掛け、側方へと跳ぶ。彼らの手にはまだしっかりと豆腐の椀。 ガンとハルバードの柄に荷車が衝突し、大量の水と共に女性達をカタパルトのごとく放って最終的には畑の上に横転して停止した。 ●賊共を蹴散らせ 「傷つけた女は先生ではありませんか?」 「はぁ?」 言葉の意図を掴めず呆気にとられたむさ苦しい賊の顎を即座に拳で殴り飛ばす暴怖。 女を傷つけたのは貴様か、と聞いたつもりである。 「淑女に対してではないのは過度に失礼な行為に対してですか。私、悲しいです」 倒れた賊の肋骨を尺骨を、全くの呵責なく蹴り砕く。命までは奪うつもりはない。 純粋な暴力による恐怖に絶望するがいい。貴様らの行いはこれに匹敵する。 「お、おい何か変な奴だが。やっちまえ!」 「先生の脳に来ることをこのようにしたくなくてば、退きたくないのは賢明です」 椀より豆腐を掴み賊達の前を突き出した指の隙間からぐにゅりだらだらと零れ落ちる様。 匕首を振りかざした賊の頬をべたべたの掌を擦り付けるように叩き身を沈めると、やり過ごした棍棒が同士の脳天を打つ。 「ぐほっ」 烏合の衆。たいした手合いではないようだ。 危急ではない家財を漁る奴らは秘術を駆使して無視。か弱い老女と孫娘を囲んで甚振ってる馬鹿者共の頭格をまずは一撃で蹴り倒す。 「おい阿呆共、ソコ等辺にしとけや」 ぱくり。椀にまだ残ってる豆腐を箸で切り取り、また一口味わう空。 「全く……雑魚が手を煩わせるなよ」 げしっ。ぱくり。 「ほれははら、ほーひろは」 どごっ。だだんっ。ぼすっ。びしっ。かぽっ。 「ッたく……」 半裸に衣服を毟られて震えていた二人に、上着を投げ掛けて礼も聞かずにとっとと立ち去る。 「あー、豆腐も喰い終わッちまったな」 「悪い人に手加減は無用ですよ〜。特に女性に乱暴働く人は、一生男として生きられないようになるといいのですよ〜」 京香の言葉に、手加減なんてする訳ないじゃないとレヴェリーは怒り心頭に返す。 「やるわよ京香。ええ、徹底的に!!」 あれやこれや仕舞いには人間弾丸と化して痛い思いまでして、ボロボロになった私達の心を思い知るといいわ! 賊全員を立ち上がれなくなるまで叩きのめすのに、たいした時間は掛からなかった。 「おじさん、痛かったでしょ……もう何ともない?ほんと、ひどい事する奴らだね」 一人一人、手当てを施し。時には慈愛を込めて恐怖が抜けきるまでひたと抱き締めて。 荒らされた家財の片付けも手伝い、励ましの声を掛ける菫。 村の外れで倒れていた女性も、頭を殴られていたが手当てに意識を取り戻し問題は無かった。 「荷車どうしようか。動くかな」 「車軸も歪んでしまったようですし、砕けた囲いの補修もしなければなりませんね」 「タツさんとこに戻れば資材もあるでしょうし〜、治せるんじゃないですかね〜」 「どっちにせよ返しに戻らねぇと。依頼の大豆も上に置いてきたんだし」 村の片付けを手伝ってもう一泊する必要ありそうだし。というかこの賊達どうしようか? 全部が済んだら、帰り道ついでに豆腐をもう一杯。修理を手伝いながら。 「今度こそゆっくり食べられるといいのですけどもね?」 |