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■オープニング本文 年に一度、定められた日に村で代々血を受け継いだ社の守が吉凶の伺いを立てる占いを行い、凶と出れば儀式は執り行われぬ。 数年に一度、或いは十数年に一度。それは祀られる精霊の気まぐれであり誰にも判らなかった。 当代の社の守が伝統を受け継いでからはまだ吉と出た事が無かった。 彼は自分が至らぬものと思い悩んでいた。狭い村の中で囁かれる噂を偶然耳にしてしまった日より、使命は余計に心へ重く圧し掛かる。 『――不義の子だから精霊様がお許しになられないのだ。――脈々と続いた社の守の血筋は先代で途絶えてしまった』 自分が父の血を受け継いでいない。それは幼少時から父とも母とも似ぬ髪や瞳の色を揶揄され傷付きながら、感じていた疑問でもあった。 だが、世には父にも母にも似ぬ子など珍しくない。偶然の巡り合わせと心の奥では信じていた。 しかし。 自分は母が子宝を授かった年に訪れていた旅人に、瓜二つの外見だという。 その男は各地の口伝を集め書にしたためる学者と名乗っていてしばらくの間、集落より少し離れて建てられた社の守の庵に寝起きして滞在していた。 社の守を受け継いだ父は、村で唯一人、医の知識を深く学んだ事がある者でもあって。怪我や急な病に苦しむ者が居れば例え夜中でも呼ばれる事も多く。 そのような時には泊り込んでの献身も惜しまぬ男であった。母と旅人が二人きりになる夜は幾らでもあったと。 本当に過ちがあったかどうかは、今は墓の下で父と永遠に寄り添って眠る母しか真実を知る者はいない。何処へ行ったとも知れぬ旅人を除いては。 風のさざなみひとつない泉に映る自分の顔を見つけてしまう度に彼は懊悩していた。 自分は社の守たる資格が無いのか。村の守り神たる精霊様は、過ちにお怒りになり、もうこの村を見放されてしまわれたのか。 村の人々は今でも表面では彼を社の守と立て、変わりない暮らしが過ぎてゆく。しかし裏では誰もが意地悪く囁いている気がした。 誰も信じられない自分が嫌で仕方なかった。誰もに慈愛を向ける澄んだ心の持ち主でありたいと願うのに、猜疑に溢れる自分が大嫌いだった。 こんな自分に、精霊様を祀る資格は確かにないと思った。けれど、誰にも代わって貰えない役目。本物の社の守は既に失われた……。 今年も苦悶の日が近付いていた。儀式の吉凶を占う日。 正月に真新しい物に取り替えられた注連縄が巻かれた御神木の最初の紅葉が泉に浮かんだ日。 冷たい水で身を清め、村の成人した女性達が一葉ずつ紅糸の刺繍の針を入れた白い伝統の装束に身を包み。 手順に従い礼儀正しく手折った御神木の細枝を、干飯等の供物と一緒に紙船に乗せて泉の水面にそっと捧げ置く。 精霊様の思し召しがあれば、優しい風が吹いて紙船を滝の下へと運んでゆき水底へ沈む。そのはずであった。 滝といっても轟々と水量豊かに落ちる類ではなく、雨の降り続けた後でもなければ晴れた日には細い白糸が高き崖の上より注ぎ、音も無く泉と邂逅する。 今まで、ずっと。優しい風など吹かなかった。 社の守は瞬きひとつせずに紙船を見つめて真摯に祈りを捧げ続けた。 そして優しい風は、今年初めて彼の前に奇跡を見せてくれた。 此処から先、彼は父より受け継いだ口伝のみで知る事。 まず第一に村の外から、儀式を担う者を呼ばなければならない。謂れは定かでないが村に幸を齎す為の絶対の戒律であった。 志体持ちであること。金属の類を一切身に纏わぬこと。 邪気を断つ為に、供物の僅かな干飯と干果だけを口にして、御神木の葉を肌に当てて一昼夜を泉の傍らで過ごす。 そして葉を携えたまま泉を潜り抜け、その奥にある洞窟に設えられた祭壇に葉を置き、精霊様に願いの言葉を捧げる。 願いの言葉は決まっていない。純粋に心の底から、常日頃から本当に願ってる事を口にしなければならない。 上辺だけの言葉は精霊様は聞いてくれない。利己の心しかない者には罰を下される。 精霊様は不思議な力によってそれを看破なされるという。 願いを叶える泉、と父は言っていた。 過去に儀式に参加した者がどのような願いを口にし、それがどう叶えられたかは教えてくれなかった。 村を出て、自分の家へと帰り、眠り再び目覚めるまでそれは当人の心に固く仕舞っておかねばならない。 そして村の者には永遠に伝えてはならない。だから、村の者は今までどんな願いが口にされたか知る事はない。 知った時は戒律が破られている事になる。それは村に大きな災厄を齎すと伝えられる。 「もしかしたら精霊様は願いを叶えてくださらないかもしれない」 それは私が、社の守たる資格が……。私の力が至らぬ所為で……。 儀式を担う者を呼び集めた夜、名乗りあった後、彼は開拓者達に懊悩を吐露した。 彼の名は祇佑(しゆう)。 叶わなかったとしても貴方達の願いが決して利己の心だったからではない。私の所為なのだ。 しかし儀式を行なわねば、私がこの村に居る存在意義を失う。 私はこの村を愛している。父や母が愛したこの村をいつまでも命ある限り守ってゆきたい。 精霊様にずっと、この村を見守り続けて戴きたい。例え私に社の守たる資格が無くても……。 儀式の日。 邪気を断つべく、供物の僅かな食物だけを腹に収め、空腹と眠気に耐えて夜明けを迎えようとした時。 神聖な場を乱すモノがあった。 迫り寄る自然の獣とは異なる複数の唸り声と獲物を狙う気配。 |
■参加者一覧
礼野 真夢紀(ia1144)
10歳・女・巫
エメラルド・シルフィユ(ia8476)
21歳・女・志
レイス(ib1763)
18歳・男・泰
フルール・S・フィーユ(ib9586)
25歳・女・吟
須賀 なだち(ib9686)
23歳・女・シ
須賀 廣峯(ib9687)
25歳・男・サ
戸隠 菫(ib9794)
19歳・女・武
山茶花 久兵衛(ib9946)
82歳・男・陰 |
■リプレイ本文 静まりかえった泉のほとり。火も焚かず夜明けを野外で迎えるには軽装では辛い。ましてや空腹に耐えてる状況で余計に寒さは堪えた。 「ぶぇえっくしょい!畜生、徹夜に絶食おまけに水辺でこの寒さたぁ、年寄りには堪らんわい」 大きな独り言を呟いて赤地に錦糸で刺繍が施された派手極まりない羽織の前を掻き寄せる山茶花 久兵衛(ib9946)。 辺りに大きく響き渡ったくしゃみに、うとうとしかけていた者も眠気を吹き飛ばされた。 無意識の内に妻の温かな肩に寄りかかっていた須賀 廣峯(ib9687)が慌てた様子で身体を離し、辺りを見回す。 まだ辺りは暗く、水面に反射する月明かりでは、それぞれの姿は表情までは見えぬ影法師。 夫の傍に添う須賀 なだち(ib9686)は澄ました顔。一昼夜眠らずに過ごすくらいシノビの修行を積んだ身には何て事はない。 「あら、眠たいのでしたら寝ても構いませんよ?」 「いや面倒くせえが、これも決められた手順だろうが」 来た時にはぶつくさ言ってやる気の欠片も感じられず、妻に付いてきたのが丸見えであったが。 細々とした儀式の掟とやらに従っているのは、わざわざぶち壊しにする理由もないというだけである。 庵から儀式へ向かう時、なだちが金属を用いた簪を外し忘れているのに気が付いて、乱雑な手つきだが外してやり。 万が一アヤカシが現れた時に備えと細やかな気配りを見せて祇佑に質問し、妻に後で二人きりになってから囁きからかわれた。 静寂を乱すのはお控え願いたいが、やむを得ぬ状況になったら儀式より皆様の無事が大事、仕方ないでしょう。と。 つまり大地を響かすような雄叫びはやめてくれと、廣峯はそう解釈した。 得物の棍は携えられるし、腕には自信がある。余程手に負えない輩でも現れない限り何とでもなるだろう。 「やれやれ……余計な邪魔が来たみたいですね」 拳に巻いた神布の結びを確かめ、立ち上がったレイス(ib1763)。声に出したのは皆への注意喚起。 すぐさましなやかな動きで祇佑の傍へ駆け寄った戸隠 菫(ib9794)。戦いを知らぬ彼は開拓者の迅速な動きに戸惑ってる様子。 「大丈夫、あたし達が付いてるから」 「この声は狼かしらね。三匹?それでしたら私は此処に残らせて頂くわね。戦いは余り得意ではないもの」 聴覚を鋭敏に研ぎ澄ませ、まだ常人なら聞こえぬ音も聞き分けたフルール・S・フィーユ(ib9586)。 いえ獣の吐息に混じり、何か他にも……瘴気の存在を探った礼野 真夢紀(ia1144)が先に答えを出してくれた。 もっと多くの存在が居る。正確な数は交じり合って判らないが、少なくとも八体は超えている……と思う。 「全てこちらの方角だけですね。あまり遠すぎると判りませんが、警戒は続けます」 その時、月が雲間に隠れ。微かな光を帯びた真夢紀の姿だけが闇に浮かび上がっていた。 「数が多いのなら、此処に留まって迎撃するのは得策ではないな。祇佑、……儀式は全員でなくても問題はないな」 「ええ、数に決まりはありませんが……」 「ならば私は外れよう。……ふ、私の願いなど微々たるものだ。叶えて貰う程のものでもない」 見えぬであろうが笑顔に想いを紛らし、一瞬でも躊躇した自分に首を振るエメラルド・シルフィユ(ia8476)。 真夢紀がそれでは凍えますからと着せ掛けてくれた外套を翻し、その下は裸同然という格好では踏み出した。 武器や装飾品、装束も金属を帯びた物が多かったので全てを庵に置いてきた。 丸腰でも構わぬと思ったが、他の者がいざとなれば戦える物を帯びているのを見て木刀を携える事にした。 良かったと思う。こうして心配は杞憂に終わらず、アヤカシが現れてしまったのだから。 (もっと私に精霊術の才があればな……) 意識を研ぎ澄ませ闇に目を凝らすエメラルド。肌を覆う夜明けの冷たさは今は忘れられる。 この瞬間、精霊に願うのは何か。周囲に蠢く存在の正確な居場所を教えて貰うか、それとも。 (私の志体が精霊との交感に応えれるのは) 体調を鑑みて、行使するのは一度が限界であろう。本調子でない事を悔やむより、為せる事を考える。 木刀が風を切り、雷の刃を迸らせる。過ぎる瞬間に照り返す無数の鱗片、獣の瞳。 「この剣を受けよ!」 無数の牙を剥くアヤカシ達の群れの中へとエメラルドは裸身に等しい身を晒した。人を、守る為に。 「アヤカシは俺達が引き受ける。なだち、お前は他の奴らと儀式の手伝いでもやってろ」 嬉々として儀式を離脱し駆けていった夫の背中に、私は廣くんの分まで完遂すべく守り抜いてみせましょうと誓うなだち。 「祇佑さん、どの辺りまでならアヤカシを近づけても大丈夫ですか。瘴気は障りがあるでしょう」 近づけぬのが第一の目的。儀式の遂行が自分達に託された任務であるとレイスは今為すべき事を再確認する。 「絶やす分には瘴気も散ってくれるでしょうから、昨夜山茶花殿とお話をした通りです」 陰陽師の用いる式は本質はアヤカシと同一。いざとなれば術の行使も考えねばならぬが差し支えはないか。 清い水と御神木による自然の帳が傷付かぬ限り、消えゆく瘴気程度の影響力なら精霊様の住まう結界に障りはない。 「闖入も許さぬ程、強い結界だったら良かったんですけどね」 皮肉のつもりはない。ただ思った事を素直に述べただけだ。 (気まぐれな月明かりは頼りにならないですね。須賀さんの持っていた松明は庵の中。襲わせて反撃が一番確実ですか) 木の根や低くなった梢もあるし落葉が足場を悪くしている、樹木の一本一本の位置など記憶していない。 脚を活かすならば、確実に見えた時でなければ危険だろう。何処までアヤカシ達を泉から遠ざけられるか。 「へへっ……退屈せずに済みそうだな」 身を低くした廣峯は地面すれすれに棍を薙ぎ払った。名の如く空を駆け降りる彗星を思わせる速さ。 肉の下にある骨をも打ち砕く手応え。断末にも聞こえる獣の悲鳴。だがこいつらは獣などではない。 「チッ、うぜえ」 小さな蛇が素足を狙って噛む。 筋肉を突き破る程の牙も無く、戦いに高揚している今は蚊に喰われた程度にしか感じない。 這い登られた脚をそのまま振り上げて、空を蹴って払い飛ばす。 毒があるかもしれないなんて事は考えるのは後だ。その時はその時よ。 渾身の力を込めて、狼の頭蓋を叩き潰す。血糊か反吐か判らぬモノが地面に飛び散る。 「何だよ、たいした事ねぇな」 気配を見切って、首筋を狙って降ってきた小蛇をかわす。踏み付けてから確実に命を絶つがこれでは埒が明かぬ。 もうここまで進む間に通り抜けてしまったアヤカシも居るかもしれない。 自らの指先に深く爪を突き立てて、痛みを堪えて血が滲み出る程深く表皮を抉ったレイス。 (刃物でもあれば良いのですが。さてこの程度の血の匂いでも引き付けられてくれるでしょうか) そのまま泉より遠ざかろうかとも思ったが。 月は再び姿を現した。太陽も空の端にその兆しを見せ始めて闇を押し戻そうとし人間達に味方した。 しかしその時には闇を潜り抜けたアヤカシ達が、泉に迫っていた。 「足止めするより刻んだ方が早そうだなぁ」 両手の指に挟んだ符から次々と形を宿らせて、アヤカシへと立ち向かわせる久兵衛。 大物には呪縛と幻想の龍を用いての追い払いを優先するが、その傍から別のアヤカシも向かってくるのだから仕方がない。 小蛇はたいした事ないようで、かまいたちの式をひとつ飛ばせば葬れる。数が多くてどうにもならぬが。 真夢紀も儚く瞬時に散ってしまうが強力な氷の結界を作り続け、鉄壁の守りでアヤカシが数を減らすまでの時間を稼ぐ。 菫も神威の木刀に精霊の力を纏わせて応戦していた。 「祇佑さん、無理に動かなくて大丈夫だから。その代わりみんなが戻ってきたら治療をお願い、ね?」 フルールがオカリナを唇に当てて聞くだけで気持ちが落ち着く曲を奏でている。水際で遊ぶかのような歩み。 (お客さんが来て騒がしいけれど、あなたの信じている結界は何ひとつ傷つけられてないわよ) 一度は泉から遠ざかった仲間達も戻り。傷をすぐさま癒しながら戦いは続く。 夜が明けきる前に開拓者の奮闘によってアヤカシの存在は絶え、静寂は取り戻された。 ●祈り 「余計に腹が減ってしまった……」 早く旨い食いもんを寄越せと。うぬ、すまんが今俺の本心からの願いだ。祭壇の前に仰々しくひれ伏す久兵衛。 孫や曾孫が幸せに楽しく生きられる世の中にと言うつもりだったが、正直な気持ちだから精霊様も判ってくれるだろう。 祇佑の前で義心に燃えて大口を叩いた手前、掟でなくても心に固く仕舞っておきたいところだ。だって恥ずかしい。 羽織から冷たい水を滴らせ、湿り気の中に人肌の温もりを微かに帯びた葉を祭壇に捧げ置く。 人の手で為されたとは思えぬ滑らかな岩肌に膝を揃え、なだちは一礼の後に前を見据えた。 「どうか私達夫婦、そして掛け替えの無い魂の繋がりを持つ者達に、安息と幸福を齎し下さいませ」 愛する夫、大切な友、そして今は亡き人々と残された生きゆく人々。彼らの顔が脳裏に浮かぶ。 三枚目の葉を並べ、海に囲まれた故郷とは異なる祭祀の方式に丁寧に礼を尽くす真夢紀。 人々の平穏な暮らしを願い。深呼吸をひとつ置いてから。 「欲張りかもしれませんがもう一つ」 お姉様が長生き出来ますように。体の弱く成人すら危ぶまれてましたお姉様が病で儚くなりませんように。 「あたしもだけど、祇佑さんにも自分を信じる事が出来る様になって欲しいな」 そこに居るかも存在を見せぬ何者かとお喋りするような弾む声。 「自分を信じられないと、人も精霊様も信じる事が出来なくなるんだよね」 相槌を打つように、祭壇の葉がふわりと浮いて戻った。微笑む菫。 「それで自分の力を強くし、苦しんでいる人の悪夢を切り払う事が出来るようになりたいんだ」 だけど、あたしは自分で何とかする。周りの人も手伝ってくれるしね。 「精霊様……祇佑さんが自分を信じられるように力をお貸しくださいませね」 なだちの願い、真夢紀の願い、菫の願い。それぞれに想いを精霊様に伝え。 フルールの番が来た。 「……私が願うのは物語の真相」 貴方は本当に居るの? 貴方は何を想い、如何な音色で謡う。はたまた想う事も謡う事も無いのかしら。 そこから先は精霊の言霊。独りきりの洞窟に響き渡る情熱を紡ぐ詩。 貴方にはこの詞が本当は何を伝えているか判るのかしら。 「詩人の願いは物語の真相。滑稽な喜劇や、否や。ただ一人それを知る君の声を聞かせ賜え」 曲の続きであるかのごとく今度は人間の言葉で謳い上げ。耳を、澄ませた。 風の起きるはずもない水に閉ざされた洞で。 帽子の羽を擽り、胸元と腰布の羽も踊り。五枚の葉がフルールの前で風に遊んだ。 だが声は聞こえない。伸べた指先にあるのは無。風はそれきり動かなかった。 「医学知識もあったという父親。子種がないことを知って、村の社を後世も守り続ける為、敢えて旅人に……とか、な」 庵で清潔な布に包まり、服が乾くまでの間。 着替えを持ってきていた真夢紀は台所を借りて、腹を空かせた皆の為に簡単な昼餉の支度をしていたが。 傷は術で癒えておりますが念の為と、父より受け継いだ自作の膏で手当てを施していた祇佑の傍で。 久兵衛としては思考を巡らせていただけのつもりであったが、そう思ってたのは本人だけで全部口から出ていた。 「どちらでも良い事のように思えましたよ。こうして儀式も執り行えましたし」 「心の方が大事だからね。私だってほら見ての通りジルベリアの血筋だけど、両親の代からの天輪宗だよ」 青空のような瞳の前に勾玉を摘まみ上げて、ウィンクする菫。祇佑は恥ずかしげな笑みを浮かべる。 「まだまだ学ぶ事も多く。社と村を守る為には、そう身体も少しは鍛えないといけませんね」 自分の思念の内でしかなかった世界はあまりに脆く、アヤカシが出ても呆然と守られていただけの自分が愚かしい。 「おぬしの父親のように医の道に励むのも命を守る大仕事だがな。自分の信念に誇りを持つならどの道を選んでも良いと思うぞ」 後ろ向きは何処かに飛んでいったようだな。最初はうじうじして男らしくない奴で見るに耐えなかったが。 「おお、旨そうな匂いが漂ってきたぞ」 「精進物ばかりでたいした材料もありませんが。礼野殿すみませんね」 「温まってお腹が膨れるよう雑炊にしましたの。香り付けにいい薬草も置いてあったので少し使わせて貰いました」 「俺はもっとこってりしてても良かったんだがのう」 遠慮のない久兵衛の物言いに、祇佑も朗らかに笑う。そう、これからもそんな笑顔で居られたらいい。 儀式で紡いだ言葉、紡がなかった言葉。それぞれを胸の内に仕舞い。開拓者は村を後にする。 この物語は敬虔な男の願いが実る話か、それともありもしない信仰に踊らされた喜劇か。 私はどちらを謡うのだろう。 社の守は旅人に己を信じる事を教えられ。頑なに彼の聖域を守り続けるのだろう。 見上げたあの夜明けの空に似た色合いの靴で足跡を刻み、フルールは続きの定まらぬ歌の序章をそよ風に乗せた。 「護ってくれてありがとう、廣くん」 「……別に」 「そこの若い夫婦もんは本当に仲睦まじいな。そう思わないかレイス君」 「ジジイ、いいから黙ってろよ!」 「あぁん?俺は耳が遠いんだ。何か言ったか?」 「ジジイ、いいから黙ってろよ!だそうですよ」 にこやかに抑揚まで正確に再現して復唱するレイスに、久兵衛は聞こえないフリをして別の話題を振った。 |