想いを紡ぐ酒
マスター名:白河ゆう 
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 12人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/05/16 09:09



■オープニング本文

「かなえ様、お客様を入れる部屋ですがこのような感じでお如何でしょうか」
 いかにも働き者の女中という襷姿が似合う少女が入ってくると、かなえは歓談していた男に軽く会釈し、席を立った。
 少女が差し出した大判の紙に描かれているのは、このジルベリアと天儀の様式を折衷した一風変わった屋敷の見取り図。
「これでは陳列を眺めるには良いですけれど……」
 お客様が散り散りになってしまって、接待や警備に多くの人員が必要になってしまいそうと頭の中で算盤を弾く。
 それほど人を雇える財があればこのような催しをしよう等と思う事も必要はなく。
 ただ手放すには惜しいが、価値の判らぬかなえがこのまま抱えていても手に余るからこれを思い立ったのだ。
「一度に集める催しにする必要もないかと思います。普通にお客様を案内する感じでよろしいのでは?」

 全て祖父の想い出が籠もった品である。
 このまま埃を被せてしまってはいけない。私が祖父の話を覚えているうちに、酒の味が判る人に味わって貰おう。
 これは、かなえにとって祖父に対する弔いである。
 秋には他家に嫁ぐ身。この屋敷は祖父が亡くなる前より、他人に譲り渡す事が決まっていた。
 遺す物は全てかなえの為にと。屋敷と引き替えた金は嫁入り道具に婚礼衣装、この先恙無く暮らす為の支度金となって先方の家に預けられていた。
 祖父はまるで死期を悟っていたかのように全てを片付け、床に伏したかと思うと数日のうちにあっけなく逝った。
 ずっと幼い頃から見てきたのと変わらない、かなえの頭を撫でている時のような暖かな微笑を浮かべたまま。
 女中のさちは暇を打診したが、かなえの傍で働きたいと。彼女も共に先方の家へ入る事が決まっていた。
 秋には、彼女にも奥様と呼ばれるかと思うと、何だか不思議な気分になる。女中とはいえ妹のような存在だ。

 酒は呑むより嗜むだけ、安酒でも自分が美味いと思えばそれで充分という人だったが。
 晩年に人手を流れてきた献上酒を床の間に飾り拝むようになってから、集めるという趣味が加わった祖父。
 それだけは最後まで残されていた。祖父がこれまで人と紡いできた想い出と共に。

 夫婦徳利に封ぜられた酒。母の実家は蔵元だった。アヤカシの襲来にあった里で熟練の杜氏を失い。
 残る酒を縁の人々に配り、歴史を閉じた。空になった一組は母が嫁いだ当時のもの。満たされた一組はその最後に贈られたもの。

 故あって朝廷への献上を取り下げた立派な桐箱。これは雲の上の役人達の力争いの結果、お流れとなった。
 祖父の友人がやけ酒を飲み明かして置いていった品だ。酒が悪い訳ではないのに可哀想に。
 作った人の想いが込められているからと大切に祖父が飾っていた。

 父母が早くに亡くなって祖父と二人の暮らしになってから久しいが。寂しいと思った事はない。
 友人知己の多い祖父を訪ねてくる人は多かった。特に何か用があるとでもなく。都に寄ったついでだからと。
 かなえちゃん大きくなったね。ほう娘さんらしくなってきたねと来る度に愛でてくれた。
 そんな彼らが手土産に持ってくるのはいつも酒だった。
 米所北面という土地柄もあろう。それに加えて旅の土産と、泰国の珍酒、ジルベリアの葡萄酒にヴォトカ。
 修羅の国で作られた酒やアル=カマルの蒸留酒も、気付けば揃っていた。
 それには楽しい想い出も悲しい辛い想い出も。様々な人々の想いが屋敷で語られて。

 祖父の弔いに訪れた人々は一様に言った。それは私達ではなく、もっと想いの判る人に飲んで欲しい。
 開拓者ギルドに届いたかなえの手紙には、長い束となって酒達の由来が綴られていた――。


■参加者一覧
/ 柚乃(ia0638) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 海月弥生(ia5351) / 菊池 志郎(ia5584) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / アグネス・ユーリ(ib0058) / 无(ib1198) / 朱華(ib1944) / 白藤(ib2527) / 言ノ葉 薺(ib3225) / 東鬼 護刃(ib3264


■リプレイ本文

「これお借りしても宜しいですか?」
「あ、どうぞどうぞ。そっちの机空いてるから好きに使っていいよ。彩堂さん奥だから椅子それ」
 顔馴染みの職員が気さくに手を振る。
 礼野 真夢紀(ia1144)が手紙に書かれたお酒の由来を写したいと言うと快く渡してくれた。
「他の請け負った方が見たいかもしれないし。持ち出しはちょっと困るから、そこでね」
「はい。書き写しましたらすぐにお返し致します」
 かなえから届いた手紙の束を受け取った真夢紀は慣れた調子で指差された椅子を運んで空き机に向かう。
 彩堂さんというのは小柄で、その職員の椅子なら真夢紀でも座布団を積まなくともちょうどいい高さ。
 誰がどのような酒を持ってきたかも、かなえが覚えている限り詳細に書かれていたが旅行脚という人物も多いよう。
 中には既に故人という者もあるかもしれない。
(でも銘柄や産地が判れば、飲んだ事ある方も結構いらっしゃるかもしれませんね)
 風味や癖が違えば、それに供するつまみも変わる。料理好きなので、多岐に渡る酒の種類を書きとめつつ何が合うだろうかと想いを巡らせるのは楽しい作業。
 没頭していると、先程の職員とこれも馴染みのあるおっとりとした男性の声が聞こえてきた。どうやらこの依頼を引き受けたらしく。
「礼野さんもご一緒でしたか」
 上品な所作でほんわりと会釈する青年。和奏(ia8807)だ。
「随分熱心に筆を取っておられますね」
「お酒は飲めませんがおつまみ作る事は多々ありますから。それに意外なお酒も見つけてしまいました」
「おや意外とは。私は全然お酒の種類に詳しくないのですが。何を見つけられたのです?」
 天儀島の近海に浮かぶ小島で祀られる土地神に供えられる為に作られたお神酒。器がまた独特の珍しい形状をしているという。
 市へと銭の取引で流れるような品ではなく。どのような経緯を辿って島を出て人手を渡ってきたか不思議であるが。
 出所は真夢紀の生家以外に考えられない。土地神を祀るのは彼女の家が担う御役目。
 もしかすると真夢紀が生まれるよりも昔の、随分と年月を経た品なのだろうか。
「この方が、どうしてこのお酒を入手されたかは書かれてませんが……」
 かなえの祖父もその事について詳しくは語らなかったらしい。この部分は記載が薄い。
 神様のお酒だから大切に敬って扱わないといけないよと。掃除の際にはいつも一礼してから傍に寄ったと綴られている。

●紡ぎ解く記憶、負の炎を吹き消して
「あら、行き先一緒みたいね」
「もしかしてきみもかなえさんのお屋敷かな」
「ええ、今日ならちょうど身体が空いてたから」
 路地で顔を合わせた海月弥生(ia5351)と无(ib1198)。
 かなえから指定は無かったが、食事や買い物雑事の頃合いを避けてと配慮したら示し合わせずとも同じ刻を選ぶ者が居るのは道理。
 やはりこの時間がちょうどいいよねと会釈を交わす。
 夕暮れには少し早い。昼酒に気が引ける程のあけすけな眩しさもない。

「ほう、これは壮観な……」
 各地の酒を愉しむ无には一目で並びの豊富さが見て取れる。酒を満たす器にも個性は出ているもので。
 理穴の酒、武天の酒、あれは五行の。北面の有名所の蔵元は網羅しているのではないだろうか。
 ひとつひとつ手に取って、かなえに水を向ければ出てくるのは祖父の想い出。とりとめなく話す事で、筆を取った時には忘れていた小さな記憶も蘇る。
 碁敵の徳さんが来てね。ここで酒を舐めながら勝負してたんですけど、あら随分静かだわと思ってそうっと覗きに来たら、一升瓶を畳に転がして二人ともすやすや気持ちよさそうに眠っていたんですよ。そう、このお酒でしたわ。
「口当たりがよくてついつい過ごしてしまうんですよね。碁はよくされてたんですか」
 長居の客と手慰みに程度ですけど。酔わせないと儂は勝てんとか言って、まぁ勝負というより肴だったんでしょうねぇ。
 あらそうだ、そちらのお酒。
 弥生がこれが好みかなぁと選んだ米焼酎を見て、お注ぎしますよと傍に寄り。
「これって理穴で造ってるお酒よねっ。あたし、奏生で見かけたわ。それなりに地元名物で振舞うのに喜ばれる物なのよねえ。ああ、やっぱり理穴の方が手土産に?そうよね、うんあたしもきっとこれを選ぶわ」
 かなえがそういえばと記憶を手繰る。まだこの屋敷に人がたくさん居た頃の記憶。
 このお酒にはお婆様の漬け物が一番合うのですって。唐辛子を刻んだのが入っていて、私が小さい頃にお爺様が食べさせてひどく怒られた話をしていたわ。
 自身の祖父の地から携えられた酒に懐かしく舌鼓を打つ无の肩にはいつの間にやら管狐のナイの姿。
 傾ける酒杯の水面に彼女の家族の在りし日の姿が浮かぶ。古女房と嫁に揃ってかしましく叱られている、幼子を膝に抱いた初老の男。
 故人はこの畳の上で、屋敷の中で、温かな時間を過ごしてきたのだ。
「あたしはお酒を口にしたのは遅かったけれど」
 飲み方を徐々に覚えても本当に美味しいとか判らなかったわね。
 一番身体に染みたのは理穴の攻防戦が終わった時……。弥生自身の話だ。まだあの頃は私も開拓者として未熟で。
 生きた心地っていうのかしら。仲間と杯を交わした手がまるで自分の物じゃないみたいな感覚だったのよ。一気に干した酒が身体に染み渡って初めて、ああ生きているんだなぁ……って。
 あ、しんみりしちゃったね。さ、かなえさんも飲んで。

●島より来た神酒、座敷の静かなる華。
「ご同行で宜しいのですか。ええ、実は嫁入り前の女性のお宅を一人で訪問するのは気が引けていまして」
 それに自分一人だと、話題運びに困ってしまうかもしれない。日柄受身な性質でそう社交の場において闊達な方ではない。
 かなえという女性が自分のお喋りに夢中になってしまう風なら合わせていればいいので気楽だが。内気で無口な気性だったりしたら。
 まるでお見合いの席みたいな空気になってしまうのが想像できる。
 和奏としては、同伴者が居た方が心強かった。いや真夢紀のような年少の女性に頼るのはそれもどうかと自問するが。
(でも自分より余程芯のしっかりした人ですしねぇ。たいしたものです)
 朝から人形のような好青年が訪れた事に、素朴な感激を隠しもしない女中が座敷へと案内してくれた。
「かなえ様がすぐ参りますので、こちらでお待ちくださいませ」
 精一杯丁寧に装ったものの浮き立った様子でかなえ様、かなえ様と急かす声が聞こえるのには、くすりと笑ってしまう。
「賑やかな女中さんですね。この広いお屋敷に今は一人だそうですから、かなえさんも寂しくなくて良いのでは」
 線の細い淑やかな女性。二十歳は過ぎているだろうか。襖の元で挨拶についた手は家事に勤しむ働き者の固さが含まれている。
「どうぞそちらの女中さんもご一緒に。せっかくですから」
 そう真夢紀が言葉を添えたのは、いかにも場を離れるのを名残惜しそうにしているのが見てとれたから。
 和奏本人は自分の姿が少女らしい憧れのきらきらとした眼差しで見られているのが原因とは思い至っておらず。
 主人の傍から一時も離れたくないとは忠義な事ですねぇと単純に感心していた。天然と人に言われる所以。
「まぁ、さちも宜しいのですか。この子は私の妹みたいなものでして嬉しい事ですわ」
 まずは他愛なく依頼の題である居並ぶ酒瓶の話に興じ、季節の話などしながら喉のお湿しにと…そこで気付いて少し困った顔。
「さち、お盆を忘れていませんか。お茶も出さずに失礼致しました」
「あ、はい。すみません!かなえ様」
「お気遣いなく。こうしてお爺様自慢の品を招いて見せて戴くだけで充分有り難いものです」
 お花見や舟遊び、花火とか人の集まる場で振る舞われる機会が多いですよね、お酒って。
 お爺様もそのような場には?そうですか賑やかなのよりは、家で親しい人とゆったり差し向かいで飲むのを好まれたのですね。
 父母が健在の頃は季節の折々に近所の者を招いて宴になる事もあったが、祖父は端で誰かと歓談しながら眺めている方。
「私も似た感じですね。皆さん賑やかに詠ったり踊ったり、偶に困った方もいらっしゃいますけど……眺めている方です」
 茶菓子や酒肴、湯呑や酒盃を並べた盆を携えたさちが戻り、勧められるとさて迷う。ここで茶だけ飲んで帰っては依頼の意思が無碍になる。
「ではこちらのお神酒を」
 真夢紀が選んだのは、瓶というより蓋付きの甕に似た形状。球形に近い陶器。
 よく見ると二つの器が組み合わさって三日月が小さな円を抱いているように見える。
 そっと棚より取り出したそれを開け方に惑うかなえ。私が――と膝を進めた真夢紀。迷いのない手つきで中央の丸い瓶を三日月より外す。
「故郷のお酒なんです。こちらの器の中身は甘酒ですよ」
 湯呑に少しだけ移した液体の匂いを嗅ぐと、どうやら発酵が進み過ぎて飲めた代物ではなさそうだが。米酢になってしまっているだけであるから身体に害はない。
 一夜酒とも呼ばれて本来は日持ちのするうちに飲むものである。巫女の術で凍らせたとてまろやかな風味が保たれるのは数ヶ月が限界。
「家で祀ってる土地神様とその夫神様にお供えする酒瓶と同じですの」
「そのようなご由来があったのですか」
 他の者には支える月瓶の方を口切り、香りがまだ生きている事を確かめてから小さな酒盃へ注いで勧め。
「こちらは口にした事ないのですけど、強い辛口とちぃ姉様は言ってます」
 故郷には姉が二人居て、と。家族の事、土地の事。見知らぬ海に囲まれた里に想いを馳せて屋敷の主達は夢を見る瞳で相槌を打つ。
 静かに辛口の酒を嗜みながら真夢紀の話に一緒に聞き入る和奏。
「土地神である姫神様にお供えするのは花に蜂蜜にお菓子。お酒は姫神様を護り支える夫神様にお供えするお神酒の酒粕より作られる甘酒のみですの」
 だから器も姫神様のお酒を護り支えるように作られた三日月が夫神様の物となっている。独特の形状にはそのような意味があった。

●異国に生きる人々、命の豊饒。
 天に鎮座した月が揺れる樹木を影絵に照らす。
 屋敷の作りの割には上等とは言い難い硝子――それでも市井から見れば贅沢な品――が嵌められた小さな角窓を開け放したからす(ia6525)。
 庭へ出る扉まで開け放てば芯まで酔いきれぬ身には少々夜風が強すぎるか。壁のランプの灯りが隙間より風を吸い込んだのか微かに揺らめく。
「……このような酒も流れてきていたとは」
 何処の国であろうとも人の営みが変わろうとも同じ姿を見せる月に酒盃を翳す。そこに誰かが居て乾杯、いや献杯を送るごとく。
「もう、二年になるか」
 ヴァイツァウの乱と呼ばれたジルベリアで起きた戦争の事をかなえ殿はご存知かな。
 そう……若い貴族がしでかした謀反としか聞いてないか。勝者によって喧伝された話というのはそのような物だな。
 これはその後に作られた物かな。あちらではそれ程珍しくない広く出回っている銘柄だ。安酒ではないが多く作られている。
 騎士達の慰撫、士気高揚にも支給されていたであろうヴォトカ。
「私も行っていたのだよ、その時その地に」
 開拓者を大勢動員した最期の決戦だけではなかった。
 凍て付く空、命懸けで国の為か逞しい商魂の為か危険なルートを物ともせず突き進む飛空船。
 天儀からジルベリアの首都ジェレゾまで皇女を乗せた航海。開拓者ギルドに潜んだ内通者。
 人間同士命の奪い合いを目前にした討伐軍兵士の慰安。あの時交わされた酒も、この銘柄があった。
「革命軍、記録では反乱軍となっているか……と皇帝軍の旗を掲げた討伐隊、どちらも勇敢なジルベリアの騎士達だった」
 革命軍の方は戦中目の当たりにした訳ではないが、きっと同じように宴で笑い勝利を誓って飲んでいたのだろう。
 戦後は嘆き咽び泣きながら。
 コンラート・ヴァイツァウも好んで飲んでいた銘柄があったのかな。
 これより上等な銘柄だったのだろうか。それとも葡萄酒が好みだったかな。
「決戦前夜、どのような気持ちでこの酒を飲んでいたのかな」
 もう一度、空になった酒盃を月光に捧げる。低い咽び泣きにも聞こえた風が凪いでいた。
「戦場で散った両軍の英霊達に」

「このヴォトカはね……ある農家がね、副業でちょっとだけ作ってるの」
 くいと小麦色の喉元を見せて杯を一気に干すアグネス・ユーリ(ib0058)。
 大胆な所作が様になっている。潤いに酒気を含んだ唇が懐かしい人を想い出して微笑みの形に緩み。
「殆ど出回ってないから天儀で見ると思わなかったわ。ジルベリアでもまずお目に掛かれないのよ」
 あたしが前に見たのは、まだ十四になったばっかりの頃。旅芸人の一座で踊り子をしてたんだけど。
 巡業でその村に行った時に見たの。その時もね、飲ませて貰ったんだけど……皆が見てない隙にね。
 だって十四だから飲めるでしょ。まだお前には早いとか言われてたんだけど、それってつまらないよね。
 あたし、一人前の踊り子だったのよ。なのに、ねぇ。
 アグネスの笑いにかなえも釣られて笑う。
「その年頃、私も同じような事言われてましたよ。年上の女性の真似をしようとして背伸びして」
「そうそう、あたしもなのよ。一座の姉さんにね所作の綺麗な人が居て。飲み干す喉の線とか、飲んだあと微笑う唇とか、素敵でね、憧れたわ」
 あ、お酒強くないならあたしみたいにして飲んだらダメよ。これ天儀のお酒と全然違うんだから。
 あちらでは寒い冬をやり過ごすのに、こうして小さい器に注いで一気に干すのだけれど。身体がカッと熱くなるわ。
「でね……あたしも真似したくなって。姉さんの真似してやってみたの、このヴォトカでね」
 再び澄んだ液体に満たされた杯からつんとした香気が鼻腔をくすぐる。
「そしたらさ。お酒強すぎてひっくり返っちゃった。あはっ」
 あっけらかんとして過去の失敗談を明かす。もう次の日も移動だってのに頭痛くてね。散々皆にからかわれて笑われたわ。
 今じゃこのくらい平気なんだけど。やっぱり子供だったわねぇ。生意気で背伸びばっかりして。
 アグネスが見た姉さんの飲み方はきっとこんな感じだったのだろうと、彼女が杯を傾ける様子を微笑んで見つめるかなえ。
「あの頃よりは格好良く飲めてるといいんだけど、ね?」
「格好良いですよ。私も真似したくなってしまいます。でも引っくり返るのは遠慮しておきますね」
「あはは、そんな事したら女中さんが驚いて目を回しちゃうわよ。でも割といける口みたいね、せっかく封開けたから二人で空けちゃお」

「こちらでしたら甘口ですから大丈夫ですよ。ほらかなえさんも一緒に飲みなさいと仰ってます」
 かなえさんの介抱ですか、飲み過ぎる前に俺が止めますよ。アグネスさんも酔い潰したりなんてしないですから。
 それなら遠慮なくと、全く遠慮のない所作で座に混じった女中のさちの杯に葡萄酒を注ぐ菊池 志郎(ia5584)。
「ご結婚のお祝いも兼ねた酒席です。俺などが大切な想い出のあるお酒を飲んでしまうのは恐縮ですが……」
 でも招待してくださって嬉しく思っています。玄関口でも述べましたが本当の気持ちですよ。
 お爺様もこんな楽しそうに笑うかなえさんを見て微笑んでいるんじゃないでしょうか。
 改めておめでとうございます。どうぞお幸せに。
「俺は他島へ行く機会はそう多くないのですが、一年の恵みを精霊に感謝するジルベリアのお祭りに参加した事があります」
 葡萄酒を作るのは収穫の季節。長い冬を越す為に倉庫一杯の保存食を作ったり大忙しの時期でもありますね。
 一番に摘んだ葡萄で作られた新酒は皆でその年のお祭りで飲むんですよ。
 葡萄酒は寝かせた方が深い味わいで好まれますが、その時に飲む新酒は格別な味で。幸福の味……なんです。
「様々な肉料理や焼き菓子のごちそうが並んで。大人も子供も、お爺さんお婆さんも皆が楽しそうな笑顔で」
 その笑顔を見ながら飲む新酒は本当に美味しくて。何と言うか……涙が出てくる程に幸せな時間でした。
 今もこうして葡萄酒を味わっていると、彼らの笑い声が耳に蘇る。
 雨の日も晴れの日も働いてきた事を何の屈託もなく笑い合い、これから訪れる長く辛い冬に気負う事も憂う事もその時は全て忘れて。
 当たり前のように幾年も繰り返しの変わり映えしない営みを続ける彼らの笑顔の中に俺も居る。
 アヤカシと向かい合う殺伐とした暮らし、悲劇に慟哭する人々や悪意に満ちた企みを直視しなければいけない開拓者生活。
 だからこそ余計に普通の人々の当たり前の笑顔が大切に思えて仕方ない。誰もが笑顔を失くせずに暮らせるなら。
 志体を持って生まれた事の義務感。普段はそれを意識する事はない。困っている人を見たらただ助けたいだけだ。
 でも志体があるから救える人達が居る。守れる笑顔がある。
 貧しい里に生まれなければ違う人生を辿ってたかもしれないが。でも自分はやはり大切に思っているだろう。
 人の喜びを。
「……幸福と感謝の気持ちで飲めるお酒が、俺は一番ですね」

●亡き友、恋しい人。彼はまだ心の中に。
「これか、はは……朱華が大喰らいだからね。こちらにご迷惑掛けちゃいけないと思って」
 包み一杯に酒肴を持参してきた白藤(ib2527)と朱華(ib1944)。おいと朱華が肘で軽く小突く。
「本当の事じゃない」
「……初対面に、格好悪いだろ」
 少々ばつが悪い所作で俯き加減なのもすぐに戻り。かなえと歓談する白藤の隣で間もたせに大判の煎餅を頬張る。
 夫婦徳利の来歴も表情少なに聞いているが、元々こういう顔なのだと白藤が言うままに任せ。真面目には聞いている。上辺だけの愛想など不必要な人だと思った。
 自分も大事な人を亡くし。親友だったあいつ。幼馴染みだったあいつも天寿を全うしてたら俺は同じように偲ぶんだろうか。
 あいつが大事にしていた品を並べて。
「月見酒……たまには、家以外でも良いものだな」
「朱華と月見酒なんて久し振りだねぇ」
 二人でゆっくりお酒を味わって戴いた方がいいですからと。気を利かせたかなえが席を立つ。
「どうぞお好きな物を飲んで下さいね。価値の判る方に飲んで戴ければ嬉しいですので」

「いいのかな」
「招待客を全部接待するのも疲れるだろうしね」
「縁側、行くか」
「そうだね。わぁ……綺麗な月。ほら朱華の為に色んなおつまみ持って来たけど、お酒と合うかな」
 縁側で包みを開き、ひとつひとつ並べてゆく白藤。
「神楽之茶屋のみたらし団子でしょ。兎月庵の白大福に花紅庵の桜姫、桜のもふら餅。乾き物も木の実詰め合わせと直火焼裂きイカ。司空家の糠秋刀魚もあるよ?」
 広げ過ぎ……と呟きながら朱華も重箱を開く。
 豪華……なはずだが、中身は料理音痴の白藤が作った代物。
 世辞にも美味しそうと言える見た目も留めていないが、朱華は腹に入れば何でもいいし食べ物であれば細かい事は気にしない。
 さっそく箸を伸ばして頬張っている。
「こうすると昔を思い出すな」
 あいつと俺と白藤、よく三人で遊んで。酒の味なんて知らなかった頃。
 白藤とあいつが歩く後ろから、少し遅れてついて行く。その背中の幻が心に浮かぶ。月がこんな風に明るくて。
 必ず気付いて立ち止まってくれた。振り返ってくれた。
「いつも一緒だったね、三人で」
「あいつが俺ばかり構うから、お前が拗ねていたな」

 たくさんの事が浮かぶ。無邪気だった頃。
「私と朱華がお菓子の取り合いしたら、困った様に笑って宥めてたよねぇ」
「喧嘩はいつも食い物ばかりだった」
 いつの間にか子供の頃の記憶ではなく。成長した白藤とあいつが肩を並べて歩いている。睦まじい恋人の姿。
「おい、もう酔ったのか?」
「久しぶりに飲むと気持ちよいね……ぇ。月も凄く綺麗だも……の」
「弱いんだから、無理するな」
「ねぇ、朱華。朱華はやっぱり真昼の月がいい?」
 膝を枕に顔を火照らせた白藤の溜め息。扇いでやっていた朱華の手が止まる。声が細く震えていた。
「昼の白い月は優しいだろ。だから、あいつみたいだ」
 月光を浴びた髪を撫で、暇の時までそうしていた。

●お酒は陽も齎す、あれ?もふらさま?
 一仕事。開拓者の依頼とは別に日頃から手伝っている呉服屋の忙しさを終えて。
 夜道にふわりと彩りを添える桜色の着物を選び、着替えた柚乃(ia0638)。
 懐の宝珠からひょいとおしゃまな管狐の伊邪那が飛び出して、あたしもあたしもと存在を主張する。
「これからお酒飲みに行くんでしょ。食いしん坊もふらなら腹一杯で夢心地。だからお供は、あたしね♪」
 まだ屋敷は遠いというのに鼻をくんくんとさせる伊邪那にくすくすと笑う。
「今から出てきたら肝心な時にお休みですよ?柚乃がちゃんと呼びますから待っていて下さいね」
 人の力を借りずしては具現できぬ存在。気ままに飛び出すが、心得ている伊邪那はちろと舌を出して宝珠の寝床へと戻る。

「まぁ、こんな可愛らしいお嬢さんが」
 大人びているが齢十四。開拓者になってもう三年になる。都に出てきた時は十一、数えてみれば時の流れは早い。
「嗜む程度ですが、飲酒が許される年齢になってからは割と」
 仕事の後の一杯、その格別さが今では理解できる。一端の酒呑みだ。酔った時の習性はご愛嬌。
「ね、ね、あたしの紹介はまだ?」
 我慢できずに出てきた伊邪那に驚くかなえ。可愛らしさを褒めそやされて鼻を高くするようにつんとお澄まし。
 その姿に二人声を揃えて笑う。今宵は女の子だけの会ね、甘いお酒がいいかしら。伊邪那さん選びます?
 それがいいの?修羅のお酒ですよ。
「修羅の酒っていうと……陽州産です?」
 ええ、陽州から来た角のある人が。最近ではたまに見かけますけど、あの頃はアヤカシが来たかってびっくりしました。
 旅路で一緒になった方にお爺様の話を聞いただとか。水のようにお酒を飲まれる方でお爺様が後で呆れていたわ。ありゃ笊だって。
 強いお酒だけど伊邪那さん目を回さないかしら。
「お酒の精霊がぐるんぐるんって☆あたしは大丈夫♪」
 このお酒、あのお酒、色んな話が聞きたいと、聞けば味見がしたくなる。ついつい。うん、ついつい。
(う〜ん、ふわふわぁ。あ、もふらさま〜♪)
「あんた、またその癖、ちょっと待って。あたしそんなぎゅうってされたら潰れちゃう!?」

●紡ぐ想いは連綿と、まだ見ぬ未来に。
「まほろば……昔旅路の中で出会った酒です」
 時が止まったままの少年、言ノ葉 薺(ib3225)。童にしか見えないつるりとした顔に並ぶ二つの珠は翳りを帯びて老成していた。
 一口含めば濃厚な風味が広がる。芳醇な香り、それだけで酔いしれてしまいそうだ。
 傍らに添う東鬼 護刃(ib3264)も同じ幻を見る。忘れえぬ今を心に刻み。酒の云われは素晴らしき場所へ誘う……か。
 琥珀に溢れるは薺への想い。彼に出逢ったあの場所。
(そうか、わしにとって素晴らしき場所は其処か)
 今は未だ。その景色は瞳に映る座敷に変わる。其処には薺が居る。
「……うん、良き香りじゃ。こうした酒語りに良き景色…確かに忘れることなき物となりそうじゃよ」
 唇をついて出たのはそんな言葉だった。
 どれほど時を過ごしただろうか。かなえの姿はない。上の空で何を話していただろうか。
 あの花はまるで互いに求めているよう。離れて地の束縛を受けているのに、姿を求めて首を伸ばして。
 指先がつと触れた。
 薺も護刃も不意に黙り、訪れた静寂。

 映し鏡になった薺の瞳の中で、護刃の唇がゆっくりと動いた。
「せっかくじゃ、わしらで酒を漬けてみんかの?」
「貴女と二人で……護刃」
 伸ばしかけ、ためらった手。畳に落ちた指が滑らかな織りをなぞる。
 忘れえぬ想い。酒と同じく育み、深め。遺し……。
「いつの日か、貴女と封を切る時が来るでしょうか」
 どんなに誓っても。言葉の脆さ儚さを知っている。
 かつて身を切り裂く想いをして知った。人の心は決して唯一つではない。
 自分は再び過ちを犯さぬと誓えるだろうか。誓いたい。
 誓いたいーー。
 空に隠れていた一番星がここに居るよと瞬いた。
 悠久の時を経た変わらぬ姿で。

 酒、それは人の内に秘めた心を引き出す。
 その中に込められた想いは星の数ほど無数。寂しげに瞬くか、絢爛に煌くか。
 白無垢を纏った屋敷の主は、祖父の想い出を胸に。開拓者が教えてくれた無数の人々の想いを胸に。
 御礼が届いた。また長い手紙と。前の手紙には無かった酒。
 蒐集を始めるより遥かに前。嫁ぐ娘の為に埋められたという泰国伝来の酒。夫となる人と手を携えて掘りました。
 祖父に見せる事は叶わなかった花彫酒。どうか話を聞いて下さった皆様に飲んで欲しいと思います。