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■オープニング本文 突然、無縁な人間にこのような依頼を出して申し訳なく思う。 これによって旗乃宮家の醜態を世に晒す事になってしまうのだろうが「何か」があってからでは遅いのだ。 旗乃宮家の脈を伝える大事な節目の年であり。 次代へ遺恨を継がぬ為に……。 ――手紙の一葉は、このように始まっていた。 差出人は旗乃宮(はたのみや)家の現当主、在実(ありざね)。 北面でも名門に連なる家柄で、かつては天護隊の志士の一員として活動していた時期もあった。 貴人随伴の場面に主眼を置いた、座位抜刀の一流派、旗乃宮流の継嗣。刀剣の流派ではあるが、実際の教えは貴人に血を見せず狼藉者を片づける為の身のこなしや徒手での技巧が中心となっている。 十一年前にとある事情により天護隊を辞してより、町場の子供にやっとうの心得を教える暮らし向きへと突然の転向。 諸家の驚きや侮蔑の言葉にも、端然とした表情を保ったまま何も語らぬ。 由緒と格式を高らかに誇ろうとも所詮は高楊枝の志士。 名門に連なるといえど台所事情はそれほど豊かでないのは旗乃宮家だけではない。体面を保とうと思えば、俸禄より持ち出しが多くなるのはむしろ家柄に縛られるが故。 上役の覚えも悪くせず、下役にも嫌われず。同格の家柄との付き合いも良くしようと思えば、俸禄など足しにもならぬ。 宮仕えの志士、堅物でもなく尊大でもなく。どちらかといえば真面目者ではあるが処世に長けた男という評判であった。 そう、十一年前までは。 先の妻、真名(まな)の頓死。表向きには病死と伝えられているが、事情通には何者かに毒を盛られたと影で囁かれた。 喪も明けぬうちの現妻、冬華(ふゆか)の輿入れ。内証豊かとも思えぬのに神楽の都に分道場を設立し、真名と近しかった面々を追い出すかのごとく。 まだ若干八歳の嫡子、在真(ありまさ)も仁生から離された。そして数年も経たぬうちの出奔。 派手好みで男出入りが激しかった冬華自身の評判も芳しくない。 困窮する志士に高利の貸付で綱を握る男の孫娘。旗乃宮も付け入られる程に落ちぶれていたか。 それも市井には関係の無い事である。 町道場としての評判は悪くなかった。格式に奢り高ぶる事も無く、自ら町場の子供達にやっとうだけでなく礼節や勉学も丁寧に教える在実。 冬華との間に生まれた次男、在由(ありよし)も聡明で文武の才気に溢れ、父に似た穏やかな気性。 このまま過去はうやむやのままに、旗乃宮流は静かに継がれてゆくかと思われた。 だが。 次男、在由(ありよし)の十歳の誕生日を迎えるにあたり。蓋をされたはずの騒動の箱が開く。 旗乃宮家では家法により十歳で後継者の資格を得る。 旗乃宮流の本懐は一子相伝であり、当主と後継者にしか伝えられない。これは今でも堅く守られるしきたり。 跡目披露を迎えず出奔したままの在真の存在が、ここで問題となる。 ◆ 「兄上……が戻られるというのなら、私は兄上に継いで戴き、共に旗乃宮を盛り立てたく思いまする」 何を今更とは思わない。一人、珠玉として育てられたが血の繋がる兄が居ると知って想いを馳せる在由。 道場に通う兄弟達を如何ほど羨ましく感じていた事か。初めて聞かされた戸惑いはあるが、一緒に暮らせるならばあれやこれやと夢想する。 父母の口論、いや父上は形相を変えた母上に困った顔をしているだけだが。自分は兄上に戻ってきて欲しい。 「何故、今になって!私は納得がゆきませぬ!」 当然、腹を痛めた我が子、在由が旗乃宮を継ぐと思っていた冬華。面を合わせる度に在実に噛み付く。 「どちらに継がせるかは、在真が戻ってより決める事。兄弟が顔を合わせる事に何を異存があるか」 家を離れて奔放に暮らしているとはいえ、便りが全く無かった訳ではない。時折、分道場を通じて近況は聞いていた。 在由が十歳を迎えれば、何らかの儀典はしきたり通り執り行う。旗乃宮の祝いの席だ。 在真が自ら参加してくれると言ってくれたのは喜ばしい事ではないか。 (私は……私は……在真が怖い。あの女の仇討ちと乗り込んでくる気ではないのか。あの小僧が。私は何もしていないのに、あの目をした小僧が) 力任せに火鉢へ叩き付けた手鏡の破片が畳の上に煌いて散る。袖を噛み、瞳を燃やす冬華。 行儀見習いで旗乃宮へ預けられた時の屈辱が蘇る。どいつもこいつも、私の事を下賎の育ちと。慈愛ですって?いいえ欺瞞に満ちた目で人の事を……! 憎かった、何の苦労も知らずに旗乃宮の妻女と収まってるあの女が憎かった。 何食わぬ顔して、在実の愛を独占しながら別の男の腕に抱かれたりして……天罰よ、あれは。 (在実様……これで全てを流してしまわれるお心積りでしょうか。真名様……拙者は) 旗乃宮流神楽分道場師範、青柳 上総(あおやぎ かずさ)。十一年ぶりに踏む、仁生の地である。 下級の出自であるが先代旗乃宮氏に可愛がられ、在実とも許婚の真名とも幼馴染みと育った。 傍に居られるだけで幸せであった。真名は決して手の届かぬ花で良かった。それなのに自分は。 在実に不埒者とあの時に切り捨てられていたなら。真名様は今も……。 在真様の晴れ姿を見たなら、暇を願って。誰も知らぬ場所へ行き腹を切ろう。 正式の披露は旗乃宮流一門を集めての仕掛かりとなり、別にこれから日程を組む事となる。 今回は、それより前の内輪の儀。当主が立会人を招くのはしきたりの内だが。 全く面識の無い者を呼ぶというのは、どういう事か。 在実の胸の内は誰も知る事がなかった。 道場を休みにしたその日、一同が顔を揃える。 |
■参加者一覧
大蔵南洋(ia1246)
25歳・男・サ
九法 慧介(ia2194)
20歳・男・シ
月代 憐慈(ia9157)
22歳・男・陰
明夜珠 更紗(ia9606)
23歳・女・弓
ベアトリクス・アルギル(ib0017)
21歳・女・騎
繊月 朔(ib3416)
15歳・女・巫
緋那岐(ib5664)
17歳・男・陰
ゼス=R=御凪(ib8732)
23歳・女・砲 |
■リプレイ本文 仁生の都、開拓者ギルド。 精霊門を抜けた先では不寝番が立ち働いていたが、件の事情を知る職員は朝にならぬと出てこないと云う。 「その人の出仕まで四刻余りか。こう真夜中じゃ待つ以外にする事がないねぇ」 「えっと……確か担当の者から言付けの紙が。ああ、依頼人の方が近くに宿を取って下さってるのでそちらで休まれてください。お一人、既に昨日から来られているそうですよ」 達者とはいえない字で書かれた紙切れを受け取った月代 憐慈(ia9157)。横から小柄な繊月 朔(ib3416)が背伸びして手元を覗き込む。 「ゼスさんがもうこの方からお話を伺われてるかもしれませんね。同じ事を聞く前に彼女に確認を取りませんと」 「こんな夜更けなら宿に戻って寝ているだろ?俺達もさっさと行こうぜ」 俺は朝一から道場の見学に行くけどな、と緋那岐(ib5664)。在由なら年も近くて打ち解けられそうな気がするし。 面倒は面倒だが、依頼だからな。首を突っ込むからにはそれなりにやるが、下調べとかは任せるよ。 「身内だけで済むならともかく。これに第三者が介入する事によって、事態が厄介になるっての……まぁ良くある事だけどさ」 「こういうのって騒いでるのは周りだけで、当の本人達は別にそんなつもりは無いというのも。これもまた良くある話で」 俺は末子だから大丈夫だと思うけれど。旗乃宮程には中央に近しくなくとも同じ北面の士を生家に持つ九法 慧介(ia2194)。 「朝から向かうなら緋那岐君にご一緒させて貰おうかな。俺も在由君の稽古を見学しながら顔ぶれの集まるのを待とうと思ってたし。皆さんは?」 「私は宴の支度を手伝おうかと。女中が居るとも聞いてないし、もし女手が一人では支度も何かと大変だろう」 まず家の方に挨拶は一通りしておきたいから私も二人と同行になるかな、と明夜珠 更紗(ia9606)。 大蔵南洋(ia1246)は顎に手を当て、しばし黙している。はて、どのくらい時間を要するだろうか。 「道場として、の評判も町場で聞いておきたい。門下生の住まいや生活も判らぬから、少し遅くなるかな」 宴の始まる時分までには余裕を持って向かうつもりだが。 「私も大蔵さんにお供してもよろしいでしょうか、差し支えなければですが」 ベアトリクス・アルギル(ib0017)としては、町場での話がギルドから聞いた情報と異なるか気になる所であった。 家督継承が火種となるのは、どの国でも変わらぬ。しかし庶民にとっては生活に関わらねば全く外の世界の出来事。 聞いてみれば案外、どうでもよい事なのかもしれぬ。そう考えるのは『家』の再興を大事に抱える彼女には微妙な想いだが。 今宵の宿はギルドが立地する界隈にあり、真夜中の訪れにも関わらず慣れた調子で受け入れられ。 建物の作りは悪くなく、部屋にある調度で宿泊者が好きにすればいいという様式。男女の区別もない。 朝も自分達で茶を入れまずはゼス=M=ヘロージオ(ib8732)の話を皆が輪になって聞く。 その中で手帳を開いて筆を走らせているのは朔。朝の空気に混じり摺り立ての墨の匂いが香る。 「ギルドでは、神楽に回った依頼状の内容をほとんどなぞった感じだな。現当主が天護隊を辞してからは、旗乃宮の名が書状に載るような事もなく」 事件に関わった事も一切無くて、ただの名門旧家のひとつとしか認識されていない。 貧乏志士相手に高利貸を営んでる嫁の実家は小さな火種は絶えないようだが、旗乃宮まで影響するような事態は起きていない。 「取り成しを泣き付くにも同じ志士だからな、恥も関わる。冬華さんに頼もうにも彼女は下々の志士とは付き合いを持たない」 火種の調査を口実にあれこれ回ってみたが、冬華さんの評判は散々だね。成り上がりなのに在実の情に甘えてお高く留まってと。 代わりに在実と在由の評判は悪くない。 それこそ一般的にはお高く留まった集団と評判の天護隊の中では、在実は当たりも悪くない人だった。 けど俺らとは位の違う人だったから親しく話した事はないと古参の者から。在由はその辺でたまたま会っても品の良い出来た坊ちゃんで。 「天護隊の頃の同輩の家までは回れなかったけど、詳しそうな人の名前は幾つか聞いてアポイントは取っておいた」 「それは助かるね。事情に詳しいってなるとその辺だろうけど。お家柄、俺達みたいのがちょろちょろしたら芳しくないのだろうしねぇ」 人を食ったような笑みを浮かべる憐慈。 「前妻、真名さんのご両親は健在か。そりゃ言いたい事も色々あるだろうさ。それと?」 「醜聞専門の情報屋という奴かな。これが居所掴むのに骨が折れそうだが」 「よし、そっちには俺が行こう。ギルドに行けば誰かその辺詳しい奴居るだろ。朔、あんたはどうする」 「ゼスさんは真名さんのご両親を?屋敷に直接ご訪問ですか」 「ああ。だから独りで目立たない方がいいだろう。お前は憐慈の方に付いてくれ」 「判りました」 ● 見知らぬ者の訪問に取り繕いながらも怪訝な様子の冬華が門まで出迎え。 在実の招待を受けてというと困惑した様子だが、訪問者の行儀の良さに上機嫌の愛想を見せる。 「まぁ。在由のお祝いにこれはこれは有難うございます。どうぞ中へお上がりくださいませ」 茶等をすぐに用意するというのを固辞し、お構いなくと道場に向かう慧介と緋那岐。 「支度はお一人でされてるのですか、大変でしょう。私も手伝いのつもりで来てますので何でも申し付けてください」 「悪いわねぇ。でも助かるわ。今日は極々内輪のつもりだったのですけど、やっぱりそれなりにね。お客様って貴方達の事だったのねぇ」 在実はどのように家族に説明しているのだろう。下手な事は言えぬと当たり障りなく冬華に接する更紗。 まずは彼に直接話を聞いておきたい。 「ご招待の手紙を戴いた在実さんにご挨拶申し上げたいと思うのですが、お忙しいですか」 「大丈夫じゃないかしら。今呼んできますね」 「あ、いえ差し支えなければ私が向かわせて戴きます。冬華さんこそお忙しいでしょう」 「貴方、貴方ぁ〜」 忙しない人だ。奥へと娘のような甘えた声を掛ける彼女を見ていると。現在の家族仲は悪くないのかな、と印象を受ける。 「書斎におりますけど、若い娘さんと二人というのは世間体が宜しくありませんわ。お待ちになってね」 キッと垣間見えた悋気。世間体とか言っているがただの口先だろう。これはこれは。 本当に挨拶程度でまた戻る在実。視線すら合わせないのは妻に配慮してか。 その様子を満足気に見送った冬華は再び愛想が良い。 (当主がビシリと締めていれば済みそうな気もしたが……あの様子ではな) 振る舞いこそ大人びているが、まだ年相応の雰囲気を持つ在由。 訪問者に彼の方が緊張している。 「そう固くなるなって。俺の方が年上って言っても剣術は全然だしさ」 基本の型くらいは実家に居た頃習ったけどな。と気さくな様子を崩さない緋那岐。 まだ学ぶ一方なのに見学されるのは恥ずかしいという彼の稽古を慧介が木刀を借りて立会い。 座位からの抜刀は中々だが、打ち合わせれば力の差以前にまだまだ修行が必要との感想を内心抱く慧介。 「俺も武家の出。本気で打ち掛かってきて構いませんよ」 「しかし父上が招待した客人に対してそのような」 一息入れようと座した時に緋那岐が耳打ちしてから表情が改まる。曇るという方向に。 「兄貴が来るんだろ。俺も兄貴達が居るけどさ……」 兄弟という存在が恋しいという事を素直に思う存分に吐き出させる。 仲互いしたりはして欲しくない。会う前にさ、お前の気持ちを整理しちまおうぜ。 幸い、冬華は忙しく道場の方に来る気配はない。 「兄貴の方に継ぐ意思があるかだよな。今までどんな暮らししてたか知らないけど」 でもさ、お前の思ってる事はちゃんと言った方がいいぞ。言わなきゃ伝わらないんだからな。 昼食がてら、示し合わせた場所で情報を交換する面々。 ゼス、南洋、ベアトリクス、憐慈、朔が顔を揃えていた。上総が旗乃宮家に到着している頃だろうか。 「師範の評判は良いな。子供達にも慕われ、親御さん達にも信頼されてる」 門弟の子達と在由も仲睦まじいようだが、冬華にはいい顔をされないので遠慮しているよう。 実入りは良くないみたいだが。親の生業に応じて食材や物の差し入れで出世払いに甘えてる面もある。 「やっとうの方は子供達の元気を発散する遊びみたいなもので、文字算盤と行儀習いが中心か」 「町場では若くして公を隠居した穏やかな師範という評判が主で。内情の噂は出回ってないようですね」 ごくありきたり、妻を早く亡くしてあまり性格がいいとは言えないが美人の後妻を娶った。それだけ。 真名や在真の存在は名前すら出なかった。町場と関わる前の事だから知られていないのだろう。 「そっちは俺達が聞き込んできた方が詳しいな」 銭を掴ませなくてもぺらぺら喋る男だったが。あれは噂を広めて楽しむ腹積もりだなと分析する憐慈。 どうせ金になる話じゃないからと。 「十一年前。上総さんと真名さんの噂が立っていたようです、真偽はともかくとして」 淡々と手帳を捲りながら伝える朔。 「冬華さんは行儀見習いで当時は旗乃宮家では女中の扱い。真名さんに一方的な悋気を焼いていた」 在実や上総、出入りの商人、色目を使う相手は真名と親しく話す者に決まっていた。 男好きというより、あれは皆に愛されていた真名からどれかひとつでも取り上げたかったんじゃないか。 「真名さんが食当たりで倒れた介抱は全部冬華さんがして。数日で儚くなった、と」 それは在由を除き、今回と同じ面々。 朔の言葉の後を憐慈が継ぐ。 「食事を作ったのも冬華さんだから、何かと目の敵にしていた彼女に毒を持ったと周囲は考えた」 「真名さんの親御も同様。病死と説明されて既に嫁いだ身だからと旗乃宮で内々に弔われた」 あちらも格としては旗乃宮に連なる家。上総との噂が先に立っていたから黙って呑むしかなかった。 こちらはゼスが語った。 「以来疎遠で、息子が別口でお上に仕えてるから下手に波風は立てたくないようだな」 (祖国の騎士と天儀の志士、名は違えど『家』の名を重んじ……どう転がろうが彼らの問題であって俺には関係ない、が) 関わる以上は表面下も見ておかねば何かと不便だ。青い瞳に暗闇を宿すゼス。 例え偽りであろうとも、己を殺して耐え忍ばねば『家』を生かして世を渡っていく事はできないから。 「この後どうする。全員で向かうか」 「特にこれ以上、外で聞いておく事もないしな。散り散りに向かう必要もなかろう」 ● 主の書斎にて、在実と向かいあった南洋。傍には眉ひとつ動かさず涼しい顔をした憐慈。 依頼の真意を伺いたい。単刀直入に。何故大事な宴に無縁の開拓者を同席させるのか。 「私が裁いたのでは意味がない。後に禍根を残さぬ為には外の者に検めて貰った方が良い」 「それはどういう事ですかな。十一年前の毒殺の噂、真実は……」 「余計な事を言って先入観を持たせたくないってなら心配無用。どうせ明らかにする腹積もりなら聞かせて貰いたいんだがねぇ」 ま、無理にとは言わないが。今の情報だけだと、かえって俺達は間違った方向に行くかもしれないしさ。 今はその時ではないと口を閉ざす在実にそれ以上は押さなかった。 宴の開始は恙無く。座敷に列して厳かな膳。贅ではないが、祝賀を表す縁起物を使った手料理が並ぶ。 在実を正面に、在真と在由が向かい合い。上総と開拓者が列座する。冬華は末座に櫃や酒器と共に控え。 更紗はこの場は客人ですからと辞されたが、いつでも手伝えるよう冬華に近い場所を選んで座した。 (上総さんの表情が益々固いですね。彼は何だかこの場へ来たくなかったようにも見えましたが) 在真と雑談に興じながら隣の上総の表情を伺う慧介。箸は進めるものの彼の表情は強張る一方。 話も進めば、耐えられぬと銚子をひっくり返す勢いで詰め寄ろうとする冬華。 すかさず傍に控えていた更紗が羽交い締め。尚も腕を振り回して暴れるが、開拓者の力に勝てるものではない。 「貴女が居なければ。貴女が唆さなければ!」 腰の佩刀を抜く上総。在由をその腕に絡め取ろうとするが、慧介が押さえ込み。ベアトリクスが震える在由を抱き留める。 「ここは宴の場ですよっ!刃傷沙汰などもってのほかじゃないですか?旗乃宮家ではそれが作法とでもっ?」 立ち上がった朔。在実が唇を開こうとするが、冬華と上総がてんでに喚く。 (よくもまぁ……) 混ぜっ返したい所だが口を噤み、静観する憐慈。緋那岐も静かに観察を続け。 「上総、お前は席を外せ。俺は母上から話を聞きたい」 「母上……ですって?」 「あんたは在由の母親だろうが。在由は俺の弟じゃないのかよ」 怒りの篭った目であるが、意外と冷静な在真。ふむと重々しく頷く南洋。動揺に震えるだけの弟への気遣いか。 「在由さんに聞かせたくないようなお話ですか、冬華さん。ならば、一度落ち着いてから戻る事にしましょう」 ですが、これで隠しては彼に良くない。きちんと後で改めて話されるのですよ。と在由を連れて道場へ向かうベアトリクス。 彼に平静を取り戻させるには相応しい場だろう。去り際に一言、背中を向けたまま放つ。 「在実殿は、こうなる事が分っていたのではありませんか?でなければ、私たちを呼ぶ理由が無い」 襖が閉ざされる。 「九法殿、すまぬが上総を連れて暫し廊下に外してくれぬかな。上総、刀は置いてゆけ」 在実がそう言うのなら。納得はゆかぬが、彼の腕を固く捕らえたまま慧介も場を離れる。 「皆、座られよ」 再び黙す。 乱れた着物を直させて、泣き崩れた冬華を支え叱咤する更紗。 「当主殿。記録を取って宜しいですね。私達が立ち会うとは言え記録がない為に後から揉めては」 自分は冬華を抑えているから……と見渡すと朔が手際良く支度していた。 毒を盛ったのは上総。これは本人が先程喚いていた。在実も真名の睦まじさの証拠である在真を消してしまいたかったと。 冬華が確かに唆した。囁いた。在真は黙って聞いている。自分を亡き者にしようとした話を。 しかし真名が我が子と戯れの先に膳を取り替えてしまった。冬華は必死に看病した、と弁明する。 誰もその時の記憶は無い。その後が大変だったので彼方に薄れてしまっていた。 「上総さんは覚えてるかもしれませんが、毒を盛った当人の言い分になりますしね」 「で、ご当主殿。貴殿の判断や如何に?」 貴方が当時ばしっと言えばその時片付いていた話なんだ、とは言わなかった。 在真と在由の真意を互いに思うがまま語らせるという成り行きは持ち越された。 十一年前の清算が大き過ぎた。 申し訳ないが日を改めてという在実の態度に対して開拓者はどう思ったであろう。 主の裁きは後に知らされる。 |