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■オープニング本文 冷たく身体を濡らす霙が降りしきる。真っ暗な山中。 崖下に倒れた一人の女。 もしも開拓者が分け入らなければ、誰にも知られず骨となり朽ちていたであろう。 近隣の村人であろうか。旅装ではない。 雨雪を凌ぐ蓑すらも纏わず、綿も無い粗末な着物一枚で。 草鞋は履いていなかったのだろうか、それとも途中で脱げてしまったのだろうか。 彼女が目を醒まさぬ事には何も判らぬ。 目を、醒ましてくれるだろうか――。 何とか凌げそうな洞窟が傍に見つかってよかった。 火を焚けるような広さも無く、全員が身体を押し込めるのがやっとであったが。 それでも身を寄せ合っていれば多少は温かい。外で霙に打たれ続けるよりはまだいい。 濡れたままではどうにもならぬ。 女の痩せた身体を裸にし、持ち合わせた衣類で包んでやる。 冷たくなった肌を拭い、擦り。とにかく助かって欲しいと。 受けた依頼はここより麓の里で雑物屋を営む主からであった。 山の中にある集落からこの冬になってから誰も降りて来ないが何かあったのだろうか。 月に一度位は若いあんさんが誰か降りてきて、足りなくなった日用品を買出しに来るんだが。 「まさか、アヤカシになんてやられてないだろうねぇ…あたしゃ、心配で」 何もなければいいが万が一って事もあるから、様子を見てきてくれないかと。 ああ、一応食べ物もね持っていってあげとくれ。飢えとったら困る。お代はどうせ後でいいから。 干飯や芋がら等の簡素な保存食で、たいした荷物では無かった。 三十人程の本当に小さな集落である。 異常なまでに閉鎖的で里との交流を持たぬ。唯一の繋がりが雑物屋への買出し。 どうやって銭を作っているんだいと聞いても、いやあと困った顔ではぐらかされ。 まさか山賊の根城なんかじゃないだろうねと笑ったら、さすがにそれは強く否定された。 「薬の材料、作ってるんすよ。陰陽師さんなんかが使う特殊な薬でね、いやこれもあんま喋んないでよ変なのに目を付けられちゃ村が狙われるから」 そう頭を掻いて言っていたそうな。 それが嘘か真かは判らない。朴訥な雑物屋の主は信じているようだが。 雲行きは怪しかった。これは下手したら少し吹雪く可能性もあるかとは思っていたが。 慎重に歩いても日没までには集落に辿り着けるだろう。 獣道かと思うような細い道筋が集落へ向かっているはずだったが、脛くらいまで積もった雪で隠れてしまっている。 風が凪いだかと思えば突然の叩き付けるような大粒の霙。顔も上げていられない。 雪よりも急速に身体の熱を奪ってゆく。 まだ集落らしき物も見えない。止むまで何処か凌げる場所は無いか。 ――その矢先の拾い人であった。 |
■参加者一覧
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
志藤 久遠(ia0597)
26歳・女・志
水月(ia2566)
10歳・女・吟
菊池 志郎(ia5584)
23歳・男・シ
長谷部 円秀 (ib4529)
24歳・男・泰
高尾(ib8693)
24歳・女・シ |
■リプレイ本文 ●暗雲、霙に閉ざされて 「この寒い中、着の身着のまま逃げて来た……って感じよね」 狭い洞窟の中、肩を寄せ合って身動きもままならぬ。 それでもできる限りの場所をと冷たい岩肌に寄り、無言で介抱を見守る志藤 久遠(ia0597)の耳元に高尾(ib8693)の独り言ともつかない呟きが吐息と共に吹き掛かる。 巫女の水月(ia2566)、そして菊池 志郎(ia5584)が乾いた衣服に着替えさせたり女が快方に向かうよう手を尽くしていれば、他にする事もない。むしろ手を貸そうにもこの状況では邪魔になってしまう。 二人だって、真っ暗な洞の中。感覚頼りで手探りだ。命に関わる状態、志郎も別に女性だからと躊躇する事などなく外傷も確かめ。 精霊の気を呼び、洞内の空気が軽やかに揺れた。 言葉もなく、水月がこちらを見詰めた気配。 (……菊池さんの見立ては、どうでしょうか) 「崖上から彼女を見つけた場所まで滑り落ちたと考えるのが妥当でしょうか。傷は浅いですが頭も打っているようです」 豊かな髪に隠れ、微かな腫れを指先で探れば見つかる程度。出血はしていない。鋭利な障害物が無かったのは幸い。腫れも精霊の力によって引いた。 打ち身の衝撃と体温の低下で気絶してるのだろうと推測する。 (……でしたら、無理に揺り起こさないで待つ事にしましょう) 毛布としろくまんとで身を包んだ女の頭を膝に乗せ、ただ時を待ち見守る水月。 「目を覚ますまでに、止んでくれればな。何か腹に温かい物でも入れた方がいいだろう?俺達もだが」 外を覗くように少し首を伸ばしてみたものの、もう近くの木の幹さえ見えない。霙が容赦なく顔に叩きつけるだけ。 日は落ちたようだ。完全に闇。 (これでは火も焚けないしな……) 松明を灯そうにも煙の逃げ場が無く、外は積雪の上に霙が降りしきる。 大柄な身体で冷たい風を遮るよう、最も外に近い位置に腰を据えた羅喉丸(ia0347)。 (山越えでなければ、威逆の住人か。アヤカシの襲撃に追われてきたか……) 女の様子から今はまだ推測する以外にないが。気は急くが、この悪条件で無理に動く事が得策とは思えない。 「私達も交代で少し眠っておきましょう。行く先に何が待ち受けているか判りませんから」 最悪も想定して。いざという時に寝不足が為に遅れを取らぬようにと提案する長谷部 円秀(ib4529)。 「彼女か外に何か変化があったら起こしてください」 霙も風も収まった頃、女も目を醒ました。温められた味噌粥と甘酒の匂いが鼻腔をくすぐる。 衰弱しているが食欲は普通。手取り付き添う水月に勧められるがまま、ゆっくりと胃の府を満たす。 問う感じ、女は記憶を失っているようだ。自分の名も何故ここに居るかも思い出せぬ。 「いさか」 そこの者ではないかと聞いても。判らないという。 「私達は麓の里で依頼を受けた開拓者で、その威逆という集落に様子を見に行く所なのです」 一通り、彼女を拾うまでに至った状況を説明する久遠。 独りで山を降りるのは危険だし、まずは人里でしっかりとした休養が必要。同道する事には女も異存は無く。 ●薄曇、威逆への路 女の体調と行路の安全を考えて、出立は夜明けまで待った。 「いいんですよ、遠慮なんかしなくて」 まだ立つにも不安がある女を背負った志郎。 こう見えて俺って結構体力あるんですよ。ねぇ、こちらの羅喉丸さんと並んだら彼ほど固い筋肉を身につけてませんけれど。 食事が喉を通ったとはいえまだ体力が戻っておりませんし。慣れぬ借り物の靴で山道、まして昨日の霙のせいで足元は非常に悪い。 「何だか子供の頃にもお医者さんに同じような言い方をされた気がするわ」 側頭に手をやり傾げながら、些細な思い出した事でも口に出してみようとする女。つまらない事と自分で思ったのだろう、その苦笑の仕方は何処かはすっぱな陰もある。 ふぅんと察した風に高尾が薄く笑う。 「何でもいいのさ。あんた子供の時は町場の暮らしだったんだねぇ」 この辺の出ではなさそうだね。白粉も乗せた事のある肌だろう。でも手は、山里の働き者の女が使い込んだ手のようだね。 生きる為に高尾は底辺に等しい様々な女の暮らしを通り抜けてきた。それ故の眼力。開拓者とはまた違う修羅場を潜り抜けてきた空気を、この女にも感じる。 威逆という集落の名前も気がかりだ。威に逆らう、何でそのような名付けがされたのか。 明るく視界が晴れてみれば、霙に緩んだ積雪に足を慎重に運べば道は難しくなかった。 「お新、どうしたんだ一体。この方々は……?」 集落を見つけるより先に出会った若い男。雪路の杖代わりに長い棒を持っただけの軽装。 「ああ俺、威逆のもんだけど。起きたらお新が居ないっていうから」 率直にこの山に分け入った目的を告げ、衰弱した女を山中で保護した事を聞き。気さくそうな男も事情を話す。 集落まではまだ結構登らねばならぬらしい。女、お新は集落の者で朝になって行方が知れぬ事に気が付いたと。 別にアヤカシなんて出たりしてないし、集落は日頃と変わらぬ。 「麓の里の雑物屋が、買い出しが来ないって心配してたけど……?」 「ありゃ、そうなの?それで皆さんが?それはすまねぇ」 頭が割り振った役割で働いてるから、知らなかったけど。別に不自由してないから気付かなかったなぁ。 「頭?」 「え、ああ子供の時分から頭って呼んでるから。俺、外の人に会うのって久しぶりだし。集落の長だよ」 それ以上は何か余計な事でも言ったらまずいとでもいうのか、男は言葉少なになった。 わざわざ登ってきたんだし集落で休んでいってくれよ。お新を助けてくれたんだし。 親しげに話しかけられても、まだ女は志郎の背中で困惑した顔をしている。 買い出しに来てたのはこんな人らしいんだけど。高尾の説明に、男はたぶん京さんじゃないかなぁと言う。 誰が何の役割を日頃担っているか本当にこの男は知らないよう。 ヤスと名乗った男は集落で一番年少で、小僧のように雑用で使われてるだけの毎日。 別にそれを疑問にも感じていない。不満もない。 道中、さほど有用な情報は彼からは得られなかった。 ヤスの後ろを進む一同。無言で視線を交わし、微かな緊張を身体に纏わせている。 集落に感じる瘴気。志郎と頷き合い、水月が皆に耳打ちしていた。 建物の中から感じる。複数。ヤスにもお新にも瘴気は感じないが、彼らを完全に信じていいのかも判らない。 アヤカシの中には瘴索結界に打ち勝つモノも居るし、その心を売ってしまった人間も残念ながら世には存在する。 (……人を操るアヤカシもいますしね) ヤスはお新を探しに出てきたというのに、集落は外に人影もなく、しんと静まり返っている。 人の生活の跡もあるし、暖の煙も建物から昇っている。けれど何か違和感がある。 お新の失踪には気付いているだろうに。 「頭、お新が見つかったよ。それと客人」 他の建物と変わらぬ慎ましやかな住まい。 「客人だと?」 「麓の里が心配して、様子を見に来たんだって。倒れてたお新を助けてくれたんだよ」 「……そうか」 強靭ながら病を患ったような凶相の中年。迷惑そうな表情は愛想笑いに変わった。 「こんな辺鄙なとこにわざわざ。おい、ヤス。お新は一心のとこに連れていけ。客人はそうだな、ここと吉佐のとこで暖を取って貰おう」 「暖はありがたいけど。ここ男所帯ばかりかい?記憶を失って怖いだろうから此方の女で看病しようと思うんだけど」 有無を言わさずといった調子にすかさず口を挟む高尾。水月がお新の腕を掴み、イヤイヤと子供っぽい仕草で涙を浮かべて首を横に振る。 「まだ彼女は傍に付いていないと心配です。私達と一緒の方がいいですよね、お新さん?」 久遠も調子を合わせ。お新はこの場の一同の顔を順に見回し、頷く。 男女で分かれるという事で渋々ながら了承させ、久遠が志郎からお新の身体を預かり。 ヤスはお新が気になるようだったが、許されず用が済むなり顎で追い払われた。 ●警戒、そして騒乱へ 「集落の中を見回れたら良かったんですけどね」 吉佐という男の家。食事の材料を持ってくると彼が離れた隙に志郎が小声で囁く。 慇懃ながらまるで人質のような扱いだ。外に見張りが居て、吉佐と言葉を交わしていたのを聞き取った。 見習い巫女なのでもし病人や怪我人が居たら治療を、という申し出は一人でというのが条件だった。 瘴気漂う集落の中で隔離されるのは危険を感じる。条件を呑めず引き下がったが。 「あの吉佐という男はどうですか」 自然体。しかしいつでも動きだせるよう気を巡らし柔和な眼の奥底に殺気を沈めた円秀。 「彼は黒ですね。それとあの土間に置いてある箱。外の見張りは……瘴気を感じません」 家財は最低限の物が家主の作業場を兼ねた土間に直接置かれている。 奥には床板があるが、それに毛布が敷かれているだけ。吉佐はこれにくるまってゴロ寝して生活しているのか。 大の男が三人、胡座をかけばそれで一杯。火鉢は少し寄せてくれたとはいえ土の上、手の届かぬ距離で暖なんて感じられたものじゃない。 「どうする。まだ様子を見るか」 羅喉丸の問いに志郎は視線を再び円秀へと向ける。 「……相手に本性を現して貰わない事には。私達が悪人ですね」 女達の扱いはまだ良かった。 一心の家は畳と囲炉裏があり、お新を寝かせる布団もあった。 細々とした品も、寒村の診療所といった風情を醸し出す。 世辞にも愛想が上手いとはいえない男だが、団子と葉を浮かべた温かい汁を調味してこさえてくれ――。 高尾の手がひらめく。金属がぶつかりあう固く甲高い音。 中身がぶちまけられる小鍋。濡れた炭がじゅうと煙る。 「何をする!」 口に含んだ汁をぺっと威勢よく吐き出して、顔を顰めた男に啖呵を切る。 「それはあたしの台詞だよ。何よ、何の薬仕込んだのさ!」 穏和に問いただせば滋養のある薬草云々と答えて言い逃れただろう。 見越して、あえて相手を激昂させてボロを出させる方法を選んだ。 (毒を警戒していて良かったよ、全く……ねぇ) だってお新の傍を離れない水月が、この男は危険だとしきりに合図を寄越し。 小声で形だけ口をつけるように高尾から言われた久遠も、汁を呑み下してはいなかった。 案の定。形相を歪めて飛びかかる男。 久遠が膝を立て、槍でそれを遮った。後ろにはお新達が居る。 男の脇を潜り抜けた水月の鳴らす呼子笛が離れた円秀達にも異変を知らせる。 「志藤さん、ここはお願いします!高尾さんっ!」 これほど鋭い響きで水月が声を放つとは。外へ飛び出した瞬間に、事態の切迫をめまぐるしく巡る思考で悟った。 外に居る武装した男達。それは別にいい。覚悟はしていた。 外に居ない者は。 瘴気は――まだ他の建物の中にもある。 「あの家の中を!」 切り結ぶ男達は相手になるような腕ではなかった。無造作に払い退けて進む。 各々に飛び込んだ家の中で見たものは。事態も判らず困惑した住人。何だてめぇ。 「集落の中にアヤカシが潜んでいるぞ!安全が確認できるまで家の外に出るんだ!」 羅喉丸の怒号。息巻いた男を発する気だけで圧倒する。貫禄が違う。 アヤカシと言われれば心当たりのない者は慌てふためく。 しかし外へ出れば集落の者が開拓者へ敵意を剥き出しにしている。 誰が敵か、余所者か。 混乱に拍車をかけない為に、水月がまどろみを誘う歌を。濡れた雪に崩れ落ちる住人達。 これで瘴気をひとつひとつ確かめて討つ猶予ができた。 幾つかの家に置かれた道具箱。瘴気を感じる物云わぬそれを破壊し。 ――駆逐はほんの短い時間に終わった。 「集落の三分の一が。……悲しい事ですね」 アヤカシに憑かれた人は元には戻らない。強靭な開拓者にあっけなく討たれた彼ら。 その中には、以前は買い出しに出ていたという人相の男も混じっていた。 ●終結、闇を振り払って 記憶を取り戻したお新によって真相は知れる。 残された者は受け入れるしかなかった。 道具作りに長けた吉佐と薬作りに長けた一心。情に厚いが世の窮屈さを嫌って暴れる山賊、威逆党にまっとうに暮らす転機を与えたのは、流れ者の彼ら。どちらも偏屈な一匹狼だが腕は確かで。威逆にするりと溶けこんだ。 頭の情人だったお新は皆のおっかさんであり華を添える姉御。 食料の管理や洗濯、裁縫、それらを率先して担っていた。 だから、物を食わなくなり。眠らなくなれば。 彼女が真っ先に気付くのは時間の問題。当初よりそんな性質の吉佐はそんなものだろうと思っていたが。頭を始めとして集落の者が一人、また一人と変わってゆく。 吉佐の作る道具箱。その箱が、アヤカシの本体であった。憑いた人を徐々に喰らい蓄えては己を増やし。 まだ雌伏を続けるつもりであったのだろう。時が満ちるまで。 お新が逃げても追わせなかったのは。アヤカシに憑かれた頭にまだ残っていた情であろうか。 「何事にも員数外だったヤスさんの動きは計算外だったのでしょうかね」 「頭を父のように慕っていたようです。彼にもそのまま集落を離れて欲しかったのじゃないですか」 円秀に返した答えは自分の希望か。志郎は煙の昇る集落の方を振り返る。 弔いを手伝ううちに降った薄雪が戦いの跡を覆い隠して。 アヤカシのせいとはいえ家族同然の者達を討つ事になった開拓者は、早々に辞した。 今頃、彼らはむせび泣いているのだろうか。 災いをもたらした根源であった吉佐の死も。 事実を知ってそれでも、惜しみ嘆く声が、黙々と亡骸を運び清める開拓者達の耳に届いた。 高尾が深い溜め息を吐き、今は晴れ渡った空を見上げる。 「……そんなもんだねぇ」 薬の材料を作っていたのは本当の話である。 一心が遺した知識を継いで、彼らは彼らだけで、これからも生きていくのであろう。 山を降りる開拓者達は、威逆に別れを告げた――。 |