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■オープニング本文 緑林館。 五行は武天のすぐ近くに位置する、緑林村という小さな村。そこには屋敷があり、孤児院として用いられている。 いつしか、そこは「緑林館」と呼ばれるようになっていた。 館の主は、金剛という名の女傑。元・闇陣の防衛隊の隊長。強力なアヤカシと戦い倒しはしたものの、足をやられ杖が必要な体になり引退。 そして、金剛の友人、黄河。若い身空で孤児院を経営していたものの、経営難から閉鎖。 だが、金剛の故郷である緑林村。そこに金剛の親族が所有していた屋敷があったため、彼女は黄河に申し出た。この屋敷を孤児院にして、子供たちとともに暮らそうと。以後、孤児たちとともに黄河と金剛は屋敷に移り住み、孤児院を経営している。 「よし、木刀の素振りあと十回!」 晴天の下、武術の鍛錬が行われている。かつて防衛隊に属していた金剛は、孤児たちの体力づくり、精神鍛錬、そして社会に出てからの自己防衛のためにと、武道を教えていた。 当初三十人だった子供たち。屋敷を孤児院としてから、また新たに十数人が入ったが、そのほとんどが少女。金剛と黄河が女性ゆえか、なぜかこの孤児院には女児が多い。だからこそ、自分の身は自分で守れるだけの強さを持てるようにと、金剛は願っていた。 「‥‥九! 十! そこまで!‥‥一同、礼!」 とはいえ、まだまだほとんどの子供たちは、実戦に堪えるほどの実力は持っていない。 「ふええ〜、疲れた〜」 「手が重い〜、だるい〜」 終わった途端、子供たちはその場にへたり込んだ。 「お腹すいた〜、メシ〜」 その中心にいた少女は、そのままへたり込み、ごろごろ転がっている。 「鈴菜! 終わったからってだらだらしない!」 金剛が鈴菜と呼んだ少女は、不承不承立ち上がった。幼少組のまとめ役になっている少女だが、あまり器量よしとは言えない。 とはいえ、決して悪童ではなかった。むしろ彼女は自分なりに、集団にとって良い事をしようと考え、それを実践してもいたのだ。 とはいえ、その方法にいささか問題があったのだが。 子供たちを寝かしつけ、一日が終わった。 金剛が一息ついていたところ。 「お疲れ様」 黄河が、飲み物とともに金剛の元へとやってきた。 「ありがと、黄河。やれやれ、現役の時より疲れるわよ」 「ねえ、ちょっと‥‥話があるんだけど」 黄河が、話を切り出した。その口調から、あまりよろしくない事だろうと金剛は予想していた。 「つまり、結論を言うと『足りない』のね」 金剛が、ため息交じりにつぶやく。 「食糧も燃料も足りないし、菜園で採れた作物や屋敷内の骨董を売って作ったお金も、そろそろ底をつくわ。ワタシもなんとかしてやりくりしてるけど、これ以上は‥‥ね」 会議室に使っている部屋にて、黄河もまた疲れた口調でそう告げた。 この時、二人は知らなかった。 自分たちの会話を、女児の何人かが聞いていた事を。 「いない? どこに行ったの?」 「それが‥‥も、森へ‥‥」 子供たちが、しどろもどろな口調で黄河へと答える。 次の日の朝。 子供たちを寝床から起こしたのだが、鈴菜の姿が見えない。 「まったく、あの子は‥‥」 「あ、あの‥‥黄河先生、鈴菜ちゃんを怒らないで。あたしたち、金剛先生と黄河先生が話してるの、聞いちゃったの」 鈴菜と一番仲の良い少女、涼樹が口を開いた。 「? どういう事?」 子供たちから聞いた話によると、鈴菜は食べ物を採りに出かけたのだという。昨夜、黄河と金剛とが話し合っているのを偶然に聞いた鈴菜は‥‥朝早くに起きると涼樹にだけその事を告げ、出て行ってしまった、と。 「すぐに探しに行くわよ! 年長組は用意なさい!」 金剛と黄河、そして年長組の数名が森へと向かい、数時間後。 鈴菜は、見つかった。森の内部、まだ行ったことのない場所に赴き、そこで食べられる野草やキノコ、食用になる早生の果実が実った樹が生えた場所を発見していたのだ。そしてそこで、それらを腹に詰め込んでいる鈴菜の姿があった。 もちろん、鈴菜には大変な雷が落ちた。これには黄河はもちろん、普段はそれほど怒りをあらわにしない金剛ですら激怒し、一日正座ができないくらいにお尻を叩かれたが。 ともかく、そこは新たな山の幸の収穫所として定着した。 しかし、それでも食料が足りているわけではない。必死でやりくりしている金剛と黄河の様子を見て、鈴菜はまたも禁を破り森の、さらなる奥へと向かっていった。 鈴菜自身は、決して悪気があるわけではない。むしろ、彼女なりの善意があっての行動だった。自分が叱られても、皆に役立つのなら構わない。 それが、悲劇をもたらした。 また鈴菜が、無断で森に向かった。だが今回は、鈴菜を止めようと涼樹がついていったのだ。 その日、朝早く。重傷を負い、戻ってきたのは鈴菜だけだった。 「あ、あたいのせいで‥‥あたいが悪いんだ‥‥」 事情を一通り説明した鈴菜は、そのまま意識を失った。 「治療を施し、なんとか鈴菜は命を取り留めました。ですが‥‥自分のせいで親友を失ったことで、心を閉ざしてしまったのです」 ギルド、応接室にて。金剛と黄河とが依頼に来ていた。 それでも、意識を失う前に事情を聞くことはできたらしい。森の、山の幸収穫所を通り、更に奥へと進むと森を抜けて岩山に出られる。その岩山の谷を進むと、そこに巨大な肉塊があった、というのだ。 肉には、宝石が埋め込まれていた。それを取ろうと踏み出したとたん、その巨大な肉が迫り来て押しつぶそうとしてきた。鈴菜はなんとか逃れたものの、涼樹とはそのままはぐれてしまった、と。 「本当かどうかはわかりません。すぐに私たちは、鈴菜の言われた道を進んで、その谷へと向かいましたが‥‥確かに遠目に、その『肉塊』らしきものは発見できました。それも、複数を」 そこに近づかなければいいのだが、そんな危険な存在が近くに居るのを放置はできない。なにより、涼樹は行方不明。ひょっとしたら、どこかに逃れているかもしれないが、そこから先に向かって調べるには、この『肉塊』を何とか始末しなければならない。なので、この『肉塊』‥‥これらを退治してほしい。 そう告げると、金剛は言葉を続け‥‥黄河とともに頭を下げた。 「鈴菜の事は、私たちが対処します。皆さんはどうか、その怪物どもを倒してください。よろしく、お願いします」 |
■参加者一覧
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
和奏(ia8807)
17歳・男・志
茜ヶ原 ほとり(ia9204)
19歳・女・弓
リィムナ・ピサレット(ib5201)
10歳・女・魔
ベルナデット東條(ib5223)
16歳・女・志
衝甲(ic0216)
29歳・男・泰 |
■リプレイ本文 「‥‥あの、本当に『肉塊』で間違いはないのですか? 何を以て、それが『肉塊』だと判断されたのでしょう?」 和奏(ia8807)の問いに、金剛は口を開いた。 「私も、最初は岩かと思いました。ですが、岩にしてはおかしな点が多々見られたのです」 遠目であっても、金剛は見ていたのだ。それは茶色ではあっても、色彩が周囲の岩とあまりに異なり、むしろ腐りかけた肉のそれに近かった。 最初は「土塊」かと思った金剛だが‥‥更に彼女は見たのだ。四肢も無いそれが、「自分の意思で」転がり、移動する様子を。 「ちょうど、猪がその近くを通りかかったのです。猪は、『肉塊』へと近づきましたが‥‥途端に『肉塊』は動き、その猪へと転がると、押しつぶしました」 下敷きにされた猪は、まるで肉塊に吸い込まれたかのように消えてしまった‥‥と、金剛は付け加えた。 「その『肉塊』とやらが、食い殺したのだろうか?」衝甲(ic0216)のつぶやきに、ベルナデット東條(ib5223)は首を縦に振りつつ答えた。 「おそらくは。ほとりお義姉ちゃんはどう思う?」 「私も、ベルちゃんの見解に同意。間違いなく、『肉塊』とやらはアヤカシでしょうね」 考え込むかのように、茜ヶ原 ほとり(ia9204)は、目を閉じていた。 「ともかく、早く現地に向かおう! 肉が何であれ、涼樹ちゃんが危険なのは間違いないんだから!」 リィムナ・ピサレット(ib5201)が立ち上がり、それとともに羅喉丸(ia0347)も促した。 「ああ、急がねばな。まだ救えるかもしれない、命のために」 一行は森を抜け、件の『肉塊』を遠目から目撃した場所へとたどり着いた。金剛と黄河の説明と同じく、切り立った岩肌が両脇を挟んでいるのが見える。ちょうど、岩山の谷底のような場所。 そして、そこに。『肉塊』はあった。 「なるほど。確かにアレは‥‥」アメトリンの望遠鏡でそれを視認し、羅喉丸はつぶやく。 今のところは、動いてはいない。動く様子もない。 「‥‥はい、『肉塊』にしか見えませんね。それも一つじゃあなく、二つ‥‥いや、三つ、確認できます」 羅喉丸から望遠鏡を借りた和奏も、それを認めた。 「‥‥ここからじゃあ、鏡弦でアヤカシかどうかを確認するのは無理。と、なると‥‥」 ほとりの言葉をそれ以上聞かずとも、彼女が何を言いたいのか。ベルナデットはすぐに悟った。 接近し‥‥アレと対処する。 そこは、確かに岩山の谷底といった風景だった。草木はほとんど生えておらず、岩や石が転がり、荒涼とした雰囲気を醸し出している。 その中心に、「それ」は転がっていた。その姿かたち。まぎれもなく、それらは『肉塊』以外の何物でもない。 牛や馬の三倍の大きさはあるその『肉塊』には、頭部も、四肢も無い。身体の表面には、日光の反射を受け、何かきらめくものがちりばめられているのが認められた。一見すると、宝石が埋め込まれているように見える。 「あれが‥‥宝石?」 ほとりがつぶやくとともに、横に控えているベルデナットもそれを睨み付ける。 「‥‥涼樹くん?」 ほとりが『肉塊』に話しかけた。が、それに対する返答はない。鏡弦を用いたところ、アヤカシの反応はあった。 「‥‥ねえ、中に居るの? 居るのなら返事をして?」 必死になって呼びかける。が、帰ってくるのは沈黙のみ。 しかし、返答の代わりに反応はあった。宝石をきらめかせつつ、『肉塊』が転がりだしたのだ。 「‥‥まさか、取り込まれて?」 「ねえ、涼樹ちゃん? 中にいるの?」 リィムナも語りかけるも、やはり『返答』は無い。二体目と三体目も、同様に転がり、接近してきた。 その様子を見るに、問いかけは無意味。最初から取り込まれていないのか。あるいは、すでに取り込まれ‥‥食われてしまったのか。 「‥‥アヤカシと、認定しました! ならば、容赦する必要なしですッ!」 和奏の心眼「集」が、その事実を彼に伝える。彼はその事実を皆に伝えると、仲間たちは携えた武器や武具を構えた。 「みんな!」 悲惨な想像が、開拓者たちの脳裏によぎると同時に。衝甲が叫んだ。 「元は子供でも、食われて変化した成れの果てなら戦うしかない!」 その言葉に、リィムナ、ほとり、ベルデナットは‥‥身構えた。衝甲の言うとおり、あと数秒で『肉塊』は危険な距離にまで接近する。仮に食われてしまったのなら、戦って倒す事が供養。そうであっては欲しくないが。 数秒で気持ちを切り替え、同時に‥‥攻撃が始まった! 『肉塊』は、その体表面にちりばめられた宝石のような欠片をきらめかせつつ、転がってくる。それはあたかも、肉でできた巨大な球。それも歪なそれ。 開拓者たちは、その動きから感じ取っていた。四肢や頭や尾のみならず、『骨』『骨格』すらも、『肉塊』には内蔵されて無さそうだと。 「‥‥『アークブラスト』!」 リィムナの放った、強力な呪文‥‥閃光とともにほとばしった電撃が、『肉塊』の一つへと直撃した。そいつはまるで、身もだえするかのように痙攣し、地面を転がる。 そこにすかさず、羅喉丸の破山剣が襲い掛かった。その鋭い刃を、まるで海綿のようなそいつの身体に食いこませ、ずいと切り裂く。 「‥‥不気味な、奴だ!」 嫌悪した。更に身もだえする『肉塊』に対し、羅喉丸は嫌悪以外の感情を感じなかった。 目前の『肉塊』は、更に転がって体当たりせんとするが。 「ふんっ!」下がって距離を取った羅喉丸による、アゾット剣の気功波の一撃がとどめに。 アヤカシが霧散するのを見て、これほど安堵を覚えたのも久々だと彼は実感していた。 残る二体の『肉塊』は、それぞれ別の開拓者たちと戦っていた。 内一体が戦うは、二人の奏拳士。 「せいっ!」 一声とともに、篭手に包まれた和奏の拳が。 「破ッ!」 同じく、衝甲の腰の入った鉄拳が、『肉塊』へと一撃を喰らわせている。 体表面の宝石らしきものを狙うが、それはどうやら『肉塊』の体の一部、それも特に重要な器官ではないらしい。 ぶよぶよしているように見えるも、そいつらの身体には弾力がある。拳や蹴りの一撃が小気味よく決まるものの、二人には手ごたえがあまり伝わってこない。和奏は篭手払で、のしかかるそいつに更なる打撃を加えるも、正直‥‥戦いづらい。 『肉塊』の体表面にある切れ目が、口のようにいやらしく開いた。その中に、溶けかかった獣の姿が。間違いなく、先刻に消えた猪のなれの果てだろう。 まさか、子供も? 衝甲の頭に恐ろしい考えが浮かぶが、努めて彼はそれを考えまいとした。 第三の『肉塊』と戦うは、ベルナデットとほとり。志士と弓術師にして、義理ではあるが妹と姉。 「‥‥ふんっ!」 ベルナデットの得物、薙刀「巴御前」の切っ先が、容赦なく『肉塊』へと襲い掛かり、おぞましい塊を切り裂いた。が、そいつは痛みなど感じているとは思わせぬ動きで、転がり、しなり、蠢き、震え、体当たりを仕掛けてくる。 隻眼であるベルナデットは、転がってそいつの攻撃をかわした。彼女の失われた左目となっている義姉‥‥ほとりもそれに追随し、同時に『肉塊』へと攻撃する。 「‥‥『月涙』!」 華妖弓から放たれた一矢が、『肉塊』へと突き刺さった。とたんに『肉塊』が、痛みを感じたかのように動きを鈍らせた。 「‥‥もらった。‥‥『円月』!」 その隙を見逃さず、ベルナデットは薙刀を振るう。深く、強く、『肉塊』を切り裂くと同時に、確信した。 この不快な敵が、この一撃で沈黙するだろう事を。 そしてそれと同時に、衝甲と和奏の一撃が『肉塊』へと決まり‥‥とどめとなった。 痙攣し、動かなくなると‥‥。そいつは瘴気と化して霧散し‥‥最後には、跡形なく消滅していった。 「‥‥どうやら、涼樹はいないようだな」 羅喉丸の言葉が、重く響く。『肉塊』を掃討後。開拓者たちは周辺を探し回ったが‥‥涼樹の姿はもちろん、その痕跡や手がかりらしきものは、何一つ見つからなかったのだ。 「なら、やはり‥‥」 衝甲が、先刻に見た猪の姿を、溶けかかったそれの姿を思い出す。本当に、食われてしまったのだとしたら‥‥。 「‥‥ねえ、ちょっときて!」 リィムナの声が、衝甲の物思いを中断させた。 「どうした?」 「ここ、見てよ。子供用の履物が片方落ちてる。それに‥‥」 リィムナの視線が、巨大な岩の隙間へと向けられている。そこにはわずかではあったが、岩山の上へと登れる空間があり‥‥子供用の履物は、そこに落ちていた。 「もしも、ここに涼樹くんが逃げ込んだ、としたら‥‥」 「‥‥ここから上へと逃れ、どこかに逃げ延びたかもしれない‥‥そう考えても、おかしくはなかろう」 ほとりの言葉に、羅喉丸が続ける。実際、岩と岩の隙間は狭く、開拓者たちでは入り込むことは困難。『肉塊』は論外。しかし、子供ならば十分に入り込める。 別の方向から岩を登ってみると、そこから新たな道が続き‥‥重要な手掛かりが落ちていた。 もう片方の履物。まちがいない。涼樹はここに逃れ、ここで履物を落としたに相違あるまい。 加えて、足跡も残っている。薄くなっているが、これをたどっていけば見つかるかもしれない。全員がそこに這い上がると‥‥追跡が始まった。 追跡劇は、すぐに終わる事に。 道は渓谷にて終わり、渓谷を挟んだ視線の先には山が、森が広がっていた。 谷の深さはかなりあり、少なくとも飛び降りるのは自殺行為。そして、見渡す限りは谷の向こう側へと進める道は見当たらない。 橋もかかってはいない。‥‥目前の、一つを除き。 「‥‥向こう側から木が倒れて、橋になってくれてるとはねっ。これはちょっとツイてるかなっ」 リィムナの言うとおり、谷の向こう側には大木が生え、そのうちの一本が手前に倒れて丸太橋になっていたのだ。 涼樹はひょっとしたら、この橋を通って更に向こう側に行ったのかもしれない。そして見たところ、この橋を渡る以外には向こう側に行けそうにもない。いや、行けなくもなかろうが、大きく遠回りする事になるだろう。 「‥‥この橋を渡るのは良いんですが、大丈夫でしょうか? 木がかなり脆くなっているみたいですけど」 そう言って、和奏が近づいたその時。 「!」 赤黒い触手のようなものが、近くの岩の影から躍り出ると、和奏を打ち据えたのだ。 「‥‥くっ!」 間一髪、後方に下がった和奏は、直撃を免れる。彼が立ち上がると同時に、「それ」は、岩陰から這い出て丸太橋に陣取った。 「‥‥粘泥、か‥‥!」 衝甲が、そいつを見据えつぶやいた。まぎれも無く、そこにいるそれは粘泥。赤黒い色のそれは、液体というよりも寒天のような質感で、開拓者たちを嘲るように震えている。 「‥‥ベルちゃん、みんな。離れて」 仲間たちを下がらせ、ほとりが弓を構える。つがえられた矢が放たれると、その不快な塊に、根元まで突き刺さった。 「!?」 が、次の瞬間。彼らは面食らった。 矢が突き刺さった場所が、まるで水風船のように破裂し、いやらしい赤黒い液体を広範囲に放ったのだ。 それは、十分に距離を取っていたはずの羅喉丸、和奏、衝甲にも襲い掛かった。 「ぐっ!」 「熱っ!」 「ちいっ!」 飛沫したのは、酸。それもかなり強力なもの。酸を受けた三人の肌からは、痛々しく煙が上がっていた。 「ほとりお義姉ちゃん! 奴が来る!」 「!」 ベルナデットが指摘した通り、その粘泥は塊のまま、素早く空中に跳躍した。着地する地点は、ほとりとベルナデットの頭上。 「させないよっ! 『ホーリーアロー』!」 一瞬早く、リィムナがホーリーアローを放つ。それを受けた赤い粘泥は、空中で身悶えし‥‥開拓者たちの頭上を通り越して後方へと無様に落下し、転がった。 ほとりとベルナデットは武器を構えるが、今のホーリーアローが致命傷になったのか、そいつは弱々しくうごめくと‥‥動きを止め、瘴気となって霧散していった。 「和奏、どう? 大丈夫?」 「ええ、距離を取っていたのが幸いして、酸はほとんど浴びずにすみました」 リィムナのレ・リカルが、酸を受けた三人の泰拳士を癒していた。幸い浴びせられた酸の量は、ごくわずか。そのため、レ・リカルを受けた事で回復はできたものの‥‥今になって、開拓者たちは己が幸運だった事を実感していた。 あれを普通の粘泥だと判断し、もう数歩近かったら。あの粘液をもっと浴びていたに違いない。数滴を受けただけで、かなりの痛手を受けたのだ。もしも‥‥と考えると、恐ろしい想像しか浮かばない。 「おい、橋が‥‥!」 衝甲の言葉と同時に、渓谷に渡されていた丸太橋がきしみをあげ‥‥。谷底へと落下していった。 先刻に矢を受け、酸が飛び散った時。丸太橋へとその多くがかかってしまい、腐食させていたのだ。そして橋が無くなった事で、向こう岸に行く手段は失われた。 「くそっ、これじゃあ向こう側に行けられん。‥‥どうする?」 羅喉丸が、向こう岸へと視線を向ける。生い茂る森の緑とともに‥‥森の奥に広がる、影と闇。 その中に、何やら蠢くものが見えた気がした。 しばらくして、ベルナデットがつぶやく。 「‥‥一旦、戻るしかないな」 「そうね。‥‥涼樹くんがここまで逃げた事までは分かったけど、これ以上は調べようがない。ならば」 ほとりの言うとおり。一度、態勢を整えて出直すしかない。 振り出しに戻ってしまったが、それでも探すしかない。何より、あの『肉塊』に食われてはおらず、ここまで逃げて、ひょっとしたら橋を通り森まで逃げたかもしれない。そこまでは分かったのだ。 「‥‥希望はある。そう信じるしかあるまい」 衝甲の言葉が、渓谷に静かに響いた。 「そうですか。少なくとも、あの『肉塊』にやられた可能性は低い‥‥と考えてよろしいんですね?」 緑林館にて。戻った開拓者たちは、金剛と黄河に事の次第を伝えていた。 『肉塊』‥‥後に調べたところ、アヤカシの一種『サフラ・ウクド』と判明‥‥の危険は去ったものの、肝心の子供が、涼樹はまだ行方不明。しかし、食われたのではなく、生き延びているかもしれないという希望が出てきた。 ひょっとしたら、森の中で死んでいるかもしれない。だがそうだとしても、それを確認せねば。 「‥‥わかりました。皆さんにはまた、お仕事を依頼すると思います。その時には必ず」 あの子を、涼樹を助けてください。 金剛の言葉が、胸に響く。その想いに応えたいと、皆は実感していた。 |