【希儀】たゆたう無邪気
マスター名:東雲ホメル
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/11/10 23:39



■オープニング本文

 戯れか、それとも何か別の目的が有っての事なのか。
 あの時の無邪気な笑顔と、今の怯えた表情を見る限りは前者なのだろう。
 漆原鼎は頭を掻いて、努めて現状の把握に頭を回したのだった。

 長らく滞在していた延石寺を出て、都に戻った鼎を待っていたのは新たな儀への誘いだった。
 鼎はそう記憶している。彼女は先遣隊として、その大地を踏んだのだ。
 他の部隊と別れ、北へ向かった船の中に鼎は居た。
 恐らく最北に在ると思われる廃港を見つけた時、部隊を乗せた船は迷わずその中へと入った。
 放置されてどれ程の時が経つのだろう。
 ボロボロになった港の設備は、既に使い物にならない物ばかりだった。
 それでも、港としての体裁を保っていたのは感心すべき所なのだろう。鼎はそう思って、目を細めた。
 流離人として、鼎は多くの土地を歩いて周ったが、やはりこういう場所には不思議な感覚を覚える。
 心が躍る、とはこういう事を言うのだろう。
 そういった意味では「開拓者」と言う職業は、漆原鼎にとって正に天職であると言えたのかもしれない。
「いよいよ以って、上陸、か……」
 潮のニオイの中、鼎は罅割れた石畳の上に足を下ろした。
 先を進む仲間達の背中を見送った。
 先遣隊のやるべき事。それは、新たに宿営地を張る事。それとこの辺り一帯の調査。
 部隊は更に分けられる事になったのだ。
 しかし、鼎はそのどちらにも属さなかった。
 まさか、見知らぬ土地に辿り着いて、足である船を留守にする訳にもいかなかったのだ。
 鼎に与えられた仕事はその船の警護と、港施設の修復だった。
 宿営地では無い為、急を要する事でも無いし、それほど大袈裟な事をする訳ではない。
 港の隅に在る詰め所を直し、交代で休憩と船の内外を見回るだけ。
 正直、少々退屈な仕事ではあった。
 女だと言うのに、男でも重いと思われる資材を軽々と持ち上げ、運ぶ。
 それもまた、彼女にとって適正の有る仕事であった。

 そうして些か困る事件が起ったのは、二日目の朝だった。

 船内の資材を搬出した後、その中の整理をしていた鼎はばたばたと走る足音と、澄んだ歌声を聞いた。
(「妙に騒がしいな……それと、何だ? 歌声? 朝餉は先程充分に食したし……幻聴、という訳では」)
 そんな鼎の思考を遮る様に勢い良く倉庫の扉が開かれた。
「漆原さん! ちょ、ちょっと、ちょっと来て下さい!」
「あぁ、拙者は別に構わないが……如何かしたのか?」
 その開拓者は「いやー……」と曖昧に返事をすると、とにかく来る様に鼎に言った。
 アヤカシの襲来、とは異なる焦り。鼎でもその雰囲気を感じ取る事が出来たのだった。
 ぎしぎしと鳴る階段を上がって、甲板に上がる。歌は止んでいた。
 その代わり、楽しそうな笑い声とばしゃばしゃという水音が耳に届いてくる。
「特に変わった所は無い様だが……」
「アレ……見てくださいよ……」
「ん? 楽しそうに泳いでいるな」
 まぁ、そういう事ではない。鼎はそれから目を背けて思う。
 全裸の少女。そのあられもない姿に流石の鼎も何処を見たら良いのやら、と悩んでしまう。
 しかし、問題はそれだけではない。
 見覚えの無い顔なのだ。鼎だから、という訳ではない。
 鼎を呼びに来た開拓者も同じ様に見覚えが無いと言うのだった。
「つまり、先住民の可能性が高いのか……」
「そうですね」
「しかし――ん?」
 何となしに静かに揺れる水面に目をやると、水中のそれをふと目が合った。
 そして、何とも奇妙な光景が其処に広がるのだった。
 同じ顔が二つ。いや、三つ、四つと並んだのだ。之如何にと鼎は眉間に皺を寄せる。
 気付かぬ内にアヤカシの攻撃を受けていたのかとも思ったが、意図が読めずに不気味さだけが残った。
 好奇の目を向けられている気がして、くすぐったい気持ちになる。
「何と言うか、立場が逆な気もしなくはないが……さて……」
 と言った所で、同じ顔が一斉に澄んだ歌を奏で始めた。


 鼎は優しく、それでも必死に揺さぶられる感覚で目を覚ました。
 気付いた時には、船は海上に在った。いや、船が海上に在る事は別におかしな事ではない。
「此処は……操舵室、か?」
 何故。その理由は。どうして眠っていたのか。気を失っていたのか。そう言えば、あの少女達は。歌声は。
 そんな疑問が湧き上がり、そして自分の顔を覗き込む存在に気が付いたのだった。
 困惑した表情の少女。
 そして、獰猛な雄叫びが耳を劈いた。
「敵襲か……!?」
 少女の膝から飛び起きると、操舵室の窓から外の様子を覗いて、言葉を失った。
 そして、逆側の窓を覗いて愕然とした。
「港ではない……何処だ、此処は……」
 海のど真ん中。
 そうして、鼎は腕を組んで唸ってしまった。頭を掻いて、そしてハッと気が付く。
「いやいや、そうではない。そうではない。先ずは仲間。探さねばなるまい」
 腰に提げた得物を確かめて、少女の様子を確認する。
 可哀想に怯えきっている。どうも原因はこの少女に有る様だが、悪意が有る様には見えない。
 寧ろ、この状況もこの少女にとっては全くの想定外なのだろうと、鼎は直感したのだった。


■参加者一覧
羅喉丸(ia0347
22歳・男・泰
風鬼(ia5399
23歳・女・シ
琥龍 蒼羅(ib0214
18歳・男・シ
フィン・ファルスト(ib0979
19歳・女・騎
椿鬼 蜜鈴(ib6311
21歳・女・魔
戸隠 菫(ib9794
19歳・女・武
ネロ(ib9957
11歳・男・弓
白葉(ic0065
15歳・女・サ


■リプレイ本文

 逆さまに映る景色。寝覚めには何とも言えないものだ。
 風鬼(ia5399)は「おや」と小さく漏らして、身体を折って、足首に巻きついた縄を見た。
 何が如何なってこうしているのか。はて、自分は何をしていたのだろうか。とりあえず、下の様子を窺う事にする。
 そうして気が付いた事が一つ有る。甲板には羅喉丸(ia0347)と戸隠 菫(ib9794)、フィン・ファルスト(ib0979)の姿。
 船首近くには椿鬼 蜜鈴(ib6311)も倒れている。
 と、それだけではない――明らかな殺気と瘴気を撒き散らした輩が、音も無く横に着けられた船から乗り込もうとしていたのだ。
「ありゃあ……」
 顎を撫でて、ふと思考を巡らせようとするが、どうにもそういう呑気な状況ではない。
 羅喉丸は幸いにも敵からの位置も遠く、死角に居る。しかも既に覚醒している様だ。
 蜜鈴は身体をもぞもぞと揺らしている辺り、今正に起きた所だろう。
 そして、自身の足下に転がっているフィンはと言えば顔に似合わず鼻提灯を膨らませている。
「敵襲だ!!」
 声を張り上げたのは羅喉丸だった。
「ふぇ、な、何、何っ!?」
 びくりと身を震わせて、鼻提灯を割ると、フィンは上体を起こして辺りを見回す。
 状況は不明。とは言え、開拓者としての習性か、フィンは咄嗟に武器を手に取っていた。
 そして、その視界を一瞬にして遮った影が在った。襤褸と軽装を纏った船幽霊が、槍を構えて目の前まで迫っている。
「お嬢さん、構えなさって」
 避けるか、否か。そう考える前に、甲高い金属音と共に槍の穂先は自身の頬を掠めていた。
 頭上から掛けられた風鬼の声のお陰で、運良く剣を合わせられた。
 更に幸運だったのは、その槍を持った船幽霊が迫る羅喉丸の存在に気が付かなかった事。
 彼の拳が船幽霊の頬に突き刺さり、その質量が有るのか無いのか分からない身体を吹き飛ばした。
「大丈夫か?」
「え、あ、はい」
 その二人の横に風鬼が器用に着地する。
「甲板に七。船首の方には椿姫さんが居まさぁ」
 フィンは未だに靄の掛かった頭に気持ち悪さを覚えつつ、転がった盾を拾って頷く。蜜鈴に加勢をしなければならない。
 そうして、三人は槍の船幽霊が起き上がる前に船首へ向かって駆け出すのだが――耳を劈く様な轟音と、思わず目を瞑ってしまいそうな鮮烈な光に足を止める。
 空模様は薄曇。こんな強烈な雷が振りそうな気配すら無い。
「随分と派手にやったものだ」
 雷が空気を焼く、独特なニオイを嗅いで、羅喉丸は「女人の寝込みを襲うとは良い度胸じゃのう」などと不敵に吐く蜜鈴の姿を想像した。
 頼もしいが、接敵した事は間違いない。
 急ごう、と風鬼とフィンに目配せをすると殿を務めながら、船首へと向かったのだった。

 波揺れとは違うものに意識を取り戻したのはネロ(ib9957)だった。
 椿姫の放った雷鎚が起こした振動は微かだが、船底にまで届いていたのだ。
「ここは……どこ?」
 ネロは黒猫の面の位置を直しながら、辺りを見回してみたのだが、どうも船底に在った倉庫の真ん中らしい。
 廃港で仲間の手伝いをしていただけだと言うのに、気が付いてみれば、こんな所。
 ネロはそっと腰辺りに忍ばせておいたダガーを手に取ると、近くに落ちていた自身の弓を拾う。
 倉庫の中は暗く、黒猫の獣人である彼にも見渡せない程であった。
 しかし、何とかその物音に気が付く事が出来た。入り口付近の木箱の陰に在る影。
 殺気は無く、どう見ても小柄な少女だ。港で見掛けた覚えも有る。
「何が有ったの……? 教えて……?」
 怯えきっていた少女はネロの姿を認めると、更に縮こまってしまったのだが、やがて彼の持つ純真さがその警戒を解かせた。
 とは言え、少女が口を開く事は無かった。必死に扉を、倉庫の外を指差して、ネロの後ろに隠れてしまったのだ。
 外で何かが起っている。
 ネロは少女を引き連れたまま慎重に廊下に出ると、天井が軋む音を聞いた。そして、それが何者かがその上を歩行している音だと気が付いた。
 廊下の隅の階段を上り、ネロは気配を探るが上手くそれを掴む事が出来なかった。
 だからこそ、運が良かったと言えるのかもしれない。
「ネロ、さん?」
 不意に掛けられた声は、ネロにとって聞き覚えの有るもの。名は白葉(ic0065)と言っただろうか。
 暗闇の中でも鈍く光る斧は間違いなく彼女の得物だ。
「……その人は?」
「分からない……」
 自分と同じ頃の少女を見て、白葉は問うが、その正体はネロにも分からない。今の所、害が無さそうな事くらいだろうか。
 兎に角、他の仲間が居るのならば探さねば。白葉とネロは一旦行動を共にする事にしたのだった。
(「……歌ってたの、この人かしら?」)
 それはただの直感ではあったのだが、白葉は意識が途切れる直前に聴いた歌声の主をネロについてきた少女である事に気が付いた。
 顔には出なかったが、興味は津々だ。この異常事態を解決した暁にはもう一度、という思いと共に暗がりの中を先頭切って歩き始める。
 そして、もう一階、上に上ってそれに出くわしたのだ。
 白葉の足元に手裏剣が幾つも突き刺さり、身体の芯を揺さぶる様な雄叫びが聞こえる。
 暗幕を突き破る様に白銀に光る槍が白葉の胴体目掛けて放たれたのだった。
 手裏剣に気を取られた事も有ったし、後ろに控えたネロ、少女の事を考えれば無闇に退く事は出来なかった。
 槍は白葉の左腕の白い肉を裂き、鮮血を飛び散らせる。
 しかし、それでも怯む様子は無く、寧ろ一歩前に出て斧を大きく振りかぶった白葉は、全力で敵の脳天に目掛けて斧を振り下ろしたのだった。
 火花が散ったのは斬撃を防がれた証だが、それでも敵が反撃せずに退いたのは効いている事であると分かった。
 尖撃と斬撃の応酬。威力こそ互角ではあったが、それ以外は白葉に分が悪かった。
 その様子を見て、ネロが加勢しに前へと出ようとするのだが、何処かに潜んだもう一体が手裏剣でその足を牽制する。
 ジリ貧、とはこの事で、いつか押し切られてしまう予感は白葉にもネロにも有った。
「助太刀致す!」
 そう叫んで現れたのは鼎だった。脇の通路から飛び出した鼎は白葉に繰り出された尖撃を全力で弾く。
 体勢は充分に崩れなかったが、鼎も何も無しで飛び込んできた訳ではなかった。
 琥龍 蒼羅(ib0214)が続いて、その姿を現したのだった。
 曲刀が奔り、槍を持った手首を落とす。それは見事な早業。
 白葉は突然の事に少々驚いた様子だったが、身体が反応をしてくれた。間合いを詰め、そして今一度全力で斧を叩き込む。
 瘴気へと還る身体を通り越して手裏剣が飛んでくるが、蒼羅は外套を翻す様にして、それを叩き落す。
 そして、白葉に続いて一気に攻勢に転じたのだった。
「ネロ殿、その子は拙者が何とかする。どうやら、甲板で盛大に遣り合っている様だ。其方の加勢を頼む」
 小さく頷いたネロは、鼎と蒼羅の連れてきたもう一人の少女の顔を見て僅かに息を呑む事になった。
「同じ……顔……?」

「然様に醜い面構えでわらわに迫るでないわ、汚らわしい」
 蜜鈴が吐き捨てる様に言うと、手裏剣が飛ぶよりも早く、船幽霊の身体に光の矢が突き刺さる。
 唸って足を止める姿は、蜜鈴にとってはこの上無く下品に見えたのだろう。扇で口元を隠すと露骨に眉を顰めた。
「しかし」
 そう言って、横をちらりと見やれば、黒い外套を羽織った少女が木箱の陰で震えている。
 人前で裸体を晒す、など、あまり良い趣味とは言えないが、どうもそういう問題では無いらしい。
 蜜鈴は羽織っていた物を貸して、自身の後ろの物陰に隠したのだ。
「如何なる事かと思うたが……何とかなりそうかの」
 フィン、羅喉丸、菫、そして風鬼の後ろ姿を眺めて独りごちる。
「やぁっ!!」
 鋭く切り込んだ菫は精霊力を槍に宿らせて、船幽霊の肩口に突き立てる。
 ばちっと電撃が弾けた音と共に船幽霊の身体は後方へと弾き飛ばされるが、銃口は確りと菫の肩口に定められている。
 槍を返して、鉛の弾丸に備えるが、流石に避け切ったり、受け切ったりする事は出来なかった。
 肩口に走る痛みで被弾を確認した菫は、咄嗟に傷口を押さえて退く。
 追撃を仕掛けようと、槍を持った船幽霊が前に出るが間合いを一気に詰めた風鬼に捉まってしまう。
 いつの間にか回収していたマイ斧で一撃を加えると、風鬼は蜜鈴の元へと下がる。
 状況的には一箇所に追い詰められつつあるが、決して劣勢ではない。もっと言えば、敵の船に忍びこんだりも出来るやもしれない。
 そんな事を考えていると、銃を構えた別の船幽霊が木箱に身を隠しているのが見えた。
 近くに控えていたフィンもそれに気が付いたらしく、盾を構えて風鬼、蜜鈴の前に立つとオーラを展開させる。
 その障壁は鉛も鉄もものともせず、地面に叩き落していく。
「一気に攻めてきたか……皆、気を抜くな!」
 羅喉丸の言う様に手裏剣、槍、銃を持った船幽霊が一気に此方に迫ってきていた。
 数は手裏剣と銃が其々一、槍が三。その全てが手傷を負っている。
 それなら或いは、と思うのだが、どうもその動きが統制の取れた、正に海賊が略奪を行う時の様な厄介なものであった。
 そして、その攻勢に意識を取られてしまっていた開拓者はソレの接近に気が付く事が出来なかった。
 突如、蜜鈴の背後、海の方から船壁を登ってきたのだろう、大きな碇を背負った船幽霊が縁を蹴って跳び上がったのだ。
「……っ!」
 風鬼に引かれて体勢を崩しながら奇襲を避けるも、蜜鈴のその綺麗な背中には薄らと裂傷が走る。
 アゾット剣を構え、練力を集中させるとアークブラストを放つ。
 轟音と閃光が辺りを包むが、一度崩れ落ちた影がはっきりと立つのが分かった。
 風鬼は間合いを詰めて切り結ぶが、その個体だけが他と違うと理解したのは一瞬だった。
 誰かが加勢に行かねば、拙い状況で有る事は間違い無い。しかし、羅喉丸、フィン、菫の三人で五体を抑え切れているのも時間の問題で有る。
 つまり、誰かが欠ければ一気に崩されて乱戦になる。そうなった場合、蜜鈴の横に居る少女を守り切れるとは限らないのだ。
 聖騎士の剣を振るって、敵を押し返すが手裏剣と銃弾が飛び交い、フィンも中々良手を打てずにいる。
 しかも、生傷は増える一方だ。
「大丈夫?」
 素早く印を組むと、菫はフィンと羅喉丸の其々の傷を癒す。
「俺は大丈夫だが……済まない、何とか抑え切れるか?」
「えぇ、そうしなければならない。分かってます」
 羅喉丸の言葉に、盾と剣を構えたフィンは大きく頷いて、菫に目配せをする。
「任せて! と、大手を振って言いたい所だけれども……後衛が邪魔だね」
 そんな三人の耳にひゅんという風切り音が届く。
 矢が一本、二本、船幽霊の背中に刺さり、参入者の存在を知らしめる。
 その射手はネロ。そして、その前を走る姿は白葉と蒼羅。
 羅喉丸はそれを好機と見て、振り返った。
 碇が木を破砕する音と、幻影を引き連れたまま器用に床を滑る風鬼。怪我はしている様だが未だ浅い様だ。
 蜜鈴も呪文を撃つ準備は万端。
 そうして、羅喉丸は甲板を全力で蹴った。
 その背中目掛けて銃口を向けた船幽霊だったが、形勢の逆転に焦ったのか、自身の置かれている立場を理解できていなかった。背後に迫った白葉の存在に気が付かなかったのだ。
「さよなら、邪魔者」
 首筋に食い込んだ斧はずぶずぶと減り込んでいく。すぐには引き抜けない深さだ。
 槍を持った一体が其処を付け狙って、白葉に迫るがその前には蒼羅がゆらりと立ち塞がる。
 その手に持った得物は、船内で使っていた物とは明らかに違う、大々野太刀。
 穂先が自身に届く前に一刀。そして、その動きが止まった頃に一刀。
 高速の斬撃がソレを屠ったのだった。
 勿論、他の船幽霊が見す見すそれを逃す訳は無かったのだが、ネロの矢が、フィンの聖なる剣撃が、それらの全てを阻む。
「これで、最後だよ!」
 傷口からさらりと流れる塩の滝を、菫は槍を突き、抉る様に穿った。
 充分な手応えと共に瘴気と霧散する船幽霊は何とも哀れなもの。天輪宗の僧兵として、その儚さに思う所が有るのかもしれない。
 そして、その背後では丁度決着が着く頃合だった。
「拳撃の嵐の前に砕け散れ」
 瞬時に叩き込まれた羅喉丸の拳が鎧や身体の一部を凹ませて、後ろへと吹き飛ばす。
 それだけでは足りない。蜜鈴はそれを見抜いて、雷撃を浴びせる。
「こりゃ、容赦無い」
「当然じゃろ」

 アヤカシの襲撃を切り抜けて、暫くした後、風鬼と菫が幽霊船の方へと渡っていた様で二人揃って帰ってきた。
 特に面白そうな仕掛けや物は無し、船も既に限界を超えた代物。
 成果と呼べる物は、菫の見つけてきた航海日誌くらいだった。
「で、この子達は?」
 船の中を探し回った結果、同じ顔をした全裸の少女が五人。
 フィンはハッとなって、仲間達から慌てて上着を借りて、その少女達に着せて回っていた。
「幼子と言えど、そうそう裸体を晒すものでは無いぞ」
「そ、そうです! ほら、もう良いですよ!」
 フィンは蜜鈴の言葉に力強く頷いて、鼎を含む男達を船室の中へと招き入れる。
「何故、拙者も男衆に含まれる!」
「ついつい……」
 その光景を眺めてからからと笑う蜜鈴。
「しかし……この娘達は……」
 蒼羅は顎に手を当てて、その正体を誰にともなく問う。そして、それに答えたのは意外にも菫だった。
「この航海日誌には『セイレーン』って書いてあるよ。えぇっと、妖精の一種みたい」
「成程、無邪気な精霊の類であるとは思ったが……」
「やっぱり、この懐中時計の計測は間違ってなかったんですね」
 黒い懐中時計を開いて、フィンは少女達に目をやる。
「……歌、聴かせてください」
 一言として言葉を発さなかった彼女達だったが、白葉の鼻歌に釣られて嬉々として歌い始める。
 が、少女達はすぐに歌うのを止めて、バツの悪そうな顔をして俯いてしまった。
「どうやら、この娘達の歌には人を狂わせるものが含まれている様だな。殊、海の上に関しては」
 菫の読んでいた航海日誌を横から覗いていた鼎が言う。
「何じゃ、帰って酒でも飲もうと思ったんじゃが……おんしらの歌は心地良いて、また聴く事は叶わんかの?」
「陸なら問題無いんじゃ」
「どうだろうな。ほら、顔を上げろ。悪気が有った訳じゃあないんだろう?」
 羅喉丸の差し出したみたらし団子を見るや否や、それを食べ物と認識したのか目を煌かせて群がっている。
 同じ種で同じ顔と言えども、微妙に個性が有る様で一人だけがおろおろとしている。
 そんな一人を見て、それまで黙っていたネロはその娘の横に立って声を掛ける。
「ボクはネロ……君のお名前は……セイレーン?」
 少女は驚いた様な表情を見せたが、すぐに笑顔になると一生懸命頷いてみせたのだった。