天真乙女
マスター名:東雲ホメル
シナリオ形態: ショート
EX :相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/04/05 21:29



■オープニング本文

 東房国南部に位置する、斜命山脈。魔の森を目と鼻の先に臨んだ場所に延石寺は在った。
 全部で何段と言ったろうか。確か、二千と百だと聞いた事がある。
 毎日上り下りしているが、特に気にした事も無かった。流石に苦にする程、貧弱なつもりもない。
 少女は寺町の中心を走る階段を眺めて、取り留めの無い思いを募らせて、呆けていた。
 静かな波と書いて、じょうのは。彼女は、静波は見張りの仕事に少々飽きつつあったのだった。
 仕事は仕事と言えども、やはり何事も無い空を眺めているだけでは退屈極まりないのだ。
 特に彼女の年の頃であれば、それなりの遊びがあるであろう。
 しかし、彼女は延石寺の尼僧である。未熟であろうとも、貴重な戦力の一人なのであった。
 それでも、若い彼女にそういった自覚が足らないのは明らかであり――
「ねぇ、紗々さん…アヤカシってのは、都合の良い時に現れる事はないんですかねぇ」
「そもそも、都合の良い時に現れる前に、天儀から居なくなってもらいたいもんさね」
「そりゃー、そうですよねぇ」
 そう言って欠伸を噛み殺すと、静波は眠い目を擦って溜息を吐く。
 自分はあまり此処から出る事は無いけれども、どうも自分の生活は規則正し過ぎる様である。
 先日、此処を訪れた行商人が感心して言っていた。流石、僧侶だ、と。
 夜遅くまで起きているなんて、見張りや警邏の仕事が無い限り滅多に無い。
「眠いのかい?」
「え? えぇ、昨日は何だか眠れなくって…漸く眠れたと思ったら、すぐに見張りの交代でしたし」
「珍しいね、布団に入って一息吐いたか吐かないかの内に寝入るアンタが」
「まぁ、乙女にはそういう時も有るって事ですよ」
 紗々は呆れた様に笑うと、静波の頭を頭巾の上からわしゃわしゃと撫でるのであった。
「静波、水稲院からの伝言だ…」
「ぎゃー!? 円真様ぁー!?」
 紗々の手から逃れると、静波は猫の様に飛び上がって驚いた。
 その視線の先には、武僧派の代表である雲輪円真の姿が在った。
 ちなみに、水稲院、とは延石寺の代表であり、尼僧の代表でもある人物だ。
 かなりの高齢とは聞くが、未だに健在なのは確かであり、実の年齢を知っているのは天輪王のみとも聞く。
「…離れの堂の掃除と修繕をしておけとの事だ」
「え、え、あ、あそこですか? はぁ、わ、分かりました…」(「何で居るの…」)
 円真は静波の返事を聞くと、特に表情を変えずにその場を立ち去ってしまった。
 どうやら本当に用件を伝えに来ただけらしかった。
「朝から水稲様の所にお客さんが来てると思ったら…円真様だったみたいだね」
「あの人、何か怖いから苦手なんですよねぇ…」
「済まないな…一つ言い忘れていた事が有った…」
「いやぁー!? 円真様ぁー!?」
「…………事は急を要する…人員を割けない以上、開拓者を呼ぶ様にとの事だ…」
 引き攣った表情で、涙目になっている静波の様子を見て、円真は暫し考えた後に手を伸ばす。
 先程、紗々がやったよりも優しく頭を撫でる。相も変わらず表情は無い。
 そうすると、またも円真はさっさと立ち去ってしまった。
「咳、してたね」
「…ですね」
 静波は頬を掻いて、円真の立ち去った方を眺めるのであった。
 やはり良く分からない人物である。怖いのか、優しいのか、如何なのか。
 どちらにしろ、もう少し表情豊かにしてくれても良いのだけれども、とも思う。
「さって、それじゃ行って来ますね!」
 とりあえず。そんな勢いで、静波は伸びをすると欄干の上に乗って歩き出す。
「気を付けて行くんだよ、あそこは長い間使われてないから…アヤカシが居るかもよ?」
「まぁ、そんなに強いのは居ないでしょ」
 目指すは、此処から少し離れた崖上に在る御堂。
 何に使うのか分からないが、水稲院の命令であればやらねばならぬ。
 しかも、開拓者を呼んでの作業だ。面白い話が幾らか聞けるかもしれない。
 そんな思いで胸いっぱいにして、静波は退屈な空を見上げるのであった。


■参加者一覧
三笠 三四郎(ia0163
20歳・男・サ
羅喉丸(ia0347
22歳・男・泰
海月弥生(ia5351
27歳・女・弓
風鬼(ia5399
23歳・女・シ
琥龍 蒼羅(ib0214
18歳・男・シ
蒼井 御子(ib4444
11歳・女・吟
丈 平次郎(ib5866
48歳・男・サ
ヴァレリー・クルーゼ(ib6023
48歳・男・志


■リプレイ本文

 麓付近から続く長い階段は、白と茶灰の木々に縁取られていた。
 随分上の方に本堂が見えるのだが、果たして辿り着くにはどれほど掛かるのだろう。
 ヴァレリー・クルーゼ(ib6023)は、眼鏡のズレを直す振りをして汗を拭う。
「ま、未だ階段が続くのかね…」
 ひょいひょいと階段を登っていく静波の小さな背中を眺めて、何とも言えぬ気分だった。
 開拓者とは言えども、齢は四十八。年には勝てぬ、と言う事か。
(「…雪も降っている、ゆっくり登っていけば良い。先は長いぞ」)
 もう一人の四十八歳、丈 平次郎(ib5866)は息一つ切らしていなかった。
 ヴァレリーの事が心配であるようで、ヴァレリーの背中を見守る様にしている。
 そんな平次郎の様子をチラと横目で確認すると、ヴァレリーは唸って一段登る。
(「階段を登る時は杖を持つと良いと聞くが…しかし…」)
 やはり友人の平次郎の事を考えれば、そんな誘惑に負けてしまうのは癪なのだ。
 所謂、痩せ我慢と言うやつだ。
 そんな心情を知ってか知らずか、少し先を行く静波と他の開拓者が二人に向き直る。
「おじさん達! この横道の林道抜ければ、もうすぐですよー!」
 静波の言う「おじさん達」は勿論、ヴァレリーと平次郎の事である。
 そんな二人を待って、開拓者は静波の案内で離堂の方へと歩き出す。
 そうして、雪の中を暫く歩いた後だった。
「如何して、あんなになるまで手入れしなかったのか」
 三笠 三四郎(ia0163)は見えてきた離堂の外観を眺めて、最後尾から呆れた様に呟く。
 壁には植物の蔦が這い、屋根には所々に穴が開いている。
「私が小さい頃から使われていませんでしたし」
 頬を掻いて笑う静波の話によれば、単なる人手不足であると言う事らしい。
 それほどに東房の人員状況は逼迫しているのだと言う。
 枝を踏んで乾いた音を鳴らし、琥龍 蒼羅(ib0214)は辺りを見回す。
 幸いにも林道にアヤカシの気配は無い。しかし、離堂は如何だろう。
 それはもう少し近付かなければハッキリしない事であった。
 蒼井 御子(ib4444)もさして気になる音を拾えない様で、何も言う事はない。
「さぁ、鬼が出るか蛇がでるか」
 そう言って、羅喉丸(ia0347)は首を鳴らし、小気味良い音を立てる。
 他の開拓者も一度警戒の具合を上げて、離堂の方へと意識を集中し始めていた。

 御子がその音を聞き取ったのは、離堂の外観が確りと見えた直後だった。
 離堂の崩れた土壁の隙間から、奇怪な「声」が聞こえてきたのだ。
 どうやら何かが潜んでいる様だった。蒼羅も巨大な野太刀の柄に手を掛けている。
 その様子を見て、海月弥生(ia5351)は弓を軋み上げさせて狙いを付ける。
 風を切る甲高い音が鳴り、数瞬後、土壁に深々と矢が刺さっていた。
 それと同時に小さな影が数匹飛び出してくる。アヤカシ、どうやら小鬼の群れだ。
「其処に隠れていても仕方が無いだろう…」
 蒼羅が近くの草むらに向かって言葉を放つと、小鬼がまたも数匹飛び出してくる。
 しかし、どうやら本当に見た目通りのアヤカシらしい。
 蒼羅が白刃を閃かせると、あっと言う間に小鬼は崩れ落ちた。
「おっと、危ない」
 静波の後ろに忍び寄った小鬼を斧で薙いで、風鬼(ia5399)は静波の肩を叩く。
「雑魚が相手とは言え、まぁ、気を付けましょうや」
「あっ、有難う御座います!」
 そんな静波の謝辞を遮り、御子の竪琴が騒ぎ立てる様に鳴る。
 その音を聞いて、小鬼は次々と倒れて行く。倒れずとも、既に前後不覚。
 そうなってしまえば、開拓者にとっては赤子の手を捻るよりも容易い事。
 平次郎が小鬼を斬り払うと、最後の一体に羅喉丸の拳が刺さる。
 辺り一帯に霧散した瘴気は空気中に溶けて、何時の間にか無くなってしまっていた。
「未だ居ますかね?」
 三四郎は三叉戟を肩に担いで、一息吐く。
「もう不審な音は聞こえませんけれども」
 御子は蒼羅の方を向くと、蒼羅も首を横に振って、近くのアヤカシの存在を否定する。
「ふん…さっさと離堂に入ってしまおう。流石にこれ以上のモノは出ないだろう」
 確かに、如何に東房と言えども強力なアヤカシが此処に潜んでいる可能性は低い。
 ヴァレリーの言葉に、頷くと一同は念を入れて警戒しつつ、離堂へと向かう。
 近付いても何かが襲ってくる様子も無く、アヤカシどころかケモノの気配も無かった。
「さて、皆さん! 妙な侵入者は居ましたが、此処が延石寺壱ノ離堂です!」
 と、元気に紹介はしてみたものの、静波は大きく溜息を吐いて、肩を落とす。
「けれども、低級とは言え、本当にアヤカシの塒になっていたなんて…」
「東房の状況は誰もが知っているさ。延石寺の事も聞いたばかりだからな」
 羅喉丸はそう言うと、静波の横を通り抜けて、離堂の中へと入っていく。
 他の面々も続くと、最後に慌てて静波が入る。
 先程までアヤカシが潜んでいたとは思えないほどの静けさが其処には在った。
 冷涼な空気は、外の物とはまた別物。正に寺院の御堂のそれであった。
「あ、そっちの壁の穴から見える湯気が温泉のやつですね」
「やはり、これは…此処に有る物では足りませんかね。必要な物が幾つか有ります」
 三四郎は彼方此方の修繕すべき箇所を眺めて、腕を組んで唸る。
「私は必要そうな道具や資材を調達して来ようと思うのですが」
「ならば、俺も行こう」
 三四郎の提案に羅喉丸が応え、二人は静波に同行を願い出る。
「良いですよ! 資材や道具は寺町の方に行けば、もっと専門的な物も手に入るはずです!」
 静波は無い胸を張って威張ってはみるが、彼女の威張り所ではない。
「私は屋根の具合を確かめつつ、有る物で修繕って所かしら」
 弥生は天井に開いた穴を見上げながら、裏手の方の木戸を開けて、外へと出て行く。
 平次郎やヴァレリー、蒼羅は既に離堂周辺の掃除の準備を始めている。
「それじゃ、私達はその辺の警邏って事で」
「そうですね。皆さん、改めましてよろしくお願いします、だよっ」
 風鬼と共に離堂を出る直前、御子は振り返って丁寧にお辞儀をすると、駆け出した。
「あ、あ、此方こそー!」
 大きな声を上げて、手を振る静波。そんな姿を見て、羅喉丸は笑う。
「さて、行こうか」
「そうですね。長丁場になりそうですし、早め早めに行動しましょう」
 三四郎はもう一度離堂の中を見渡して、微かに溜息を吐くのであった。

 蒼羅は陰殻西瓜ほどの大きさの、邪魔な岩を持ち上げると脇へと退けていく。
 普段から表情を崩さない男ではあるのだが、やはり苦ではないらしい。
 黙々と一つ退け、二つ退け、更には積もった雪を掻いていく。
 そんな姿を見て、何を思ったかヴァレリーも岩を持ち上げようとする。
「それは止めておけ…」
 手を掛け、上体を上げ様とした所で声が掛かった。後ろで見ていた平次郎だ。
「私とて開拓者だ。これくらい…ふ、ふん、まぁ、適材適所と言うやつだ」
 何時もの様に意地を張るのかと思われた矢先、ヴァレリーは平次郎の言葉に従った。
 彼はそのまま平次郎の箒を奪うと、雪の積もっていない所の枯葉を集め始めたのだ。
「あぁ、そうだな…腰には気を付けろよ…」
「何か言ったか?」
 そう聞き返すヴァレリーに「いや」と答えると、平次郎は息を吐いて岩を運ぶ。
 どうもヴァレリーは腰が悪いらしく、先程は腰の危機を察知したらしかった。
 こういう事は平次郎や蒼羅の様にはいかない、と言う事であろう。
「あら、帰って来たわね」
 弥生が現状出来る事を終え、上から辺りを見回し、風鬼と御子の姿を見つける。
 警邏に出て丁度一刻。二人は何事も無く帰ってきたのだった。
「さっきのさっきですからね、特に何事も」
「動物や虫も殆ど見掛けなかったかな」
 それでも念の為、と言う形でヴァレリーと平次郎が交代で警邏に出て行く。
「まぁ、私も道具や資材が届くまでにこの上から見張りをしておくから」
 そう言うと、弥生は崖の方に向き直って、枯れた風を受けて身震いをする。
 彼女は予め用意しておいた酒を一つ、口に含んでゆっくりと飲む。
 身体を温める為だ。弓を鳴らす時、射る時に手元が狂ってしまっては、何ともならない。
 雪は止みつつあったが、未だに日の光が差す様な気配は景色の中に無かった。
「さて…私はちょっとやる事が有るんで」
「そうなんですか? じゃあ、ボクは掃き掃除の続きでもしよっと」
 立て掛けられていた箒を手に取ると、御子は枯葉と雪の掃除に取り掛かった。
 風鬼は何かしらの準備をし始めていた。それが何なのかは分からないのだが。
 それから、更に半刻ほど経ってからの事だった。
 三四郎と羅喉丸、静波の三人は幾つかの道具と資材を運んで、林道を戻っていた。
「三四郎さんは詳しい感じでしたけど、建築関係のお仕事をされていたんですか?」
「砦の修復経験も有りますし、心得くらいは、と言う程度ですかね」
 砦、と言う言葉に引っ掛かったのか静波は矢継ぎ早に質問をし始める。
 一から十とはこの事だ。
 三四郎が困った様に笑うと羅喉丸も釣られて笑う。
「そう言えば、羅喉丸さんのそれってこの辺りではあまり見かけないやつですよね?」
「これか? そうだろうな。これはジルベリアで手に入れた物さ」
「ジルベリア! …さ、触って良いですか?」
 羅喉丸が頷くと静波は恐る恐る外套を触って、その手触りを確かめている。
 箱入り、とはまた違った感じの少女に三四郎は苦笑するしかなかった。
「何だ、早かったな。安心しろ。未だ明るいからか、アヤカシやケモノの姿は無い」
「あ、おじさん達」
「…手伝おう」
 声のする方向には、ヴァレリーと平次郎が立っていた。警邏の帰りらしい。
 静波の持っていた大工道具を平次郎が受け取ると、そのまま五人で離堂へと戻る。
 夕刻前とは言え、生憎の天候に辺りは薄暗さを増していた。

 離堂の前には整理された資材と、岩で囲まれた山盛りの枯葉が待っていた。
 蒼羅と御子、弥生、偶に風鬼も手伝って、仕事がし易い様にされていたのだ。
 雪も殆ど片付けられていて、特に不便になる様な事はなかった。
「それでは、可能な限りやってしまいましょうか」
 三四郎が幾つかの作業を全員に提案し、それを分担するという事になった。
 屋根の修理の為の足場組み、温泉の浚渫、居住空間の応急処置に取り掛かる面々。
 見張りについては、今の所、風鬼一人に任せても大丈夫だと判断したのだ。
「熱い…」
 温泉に足を突っ込むと、静波は小さく呟いた。
 其処でもやはり蒼羅は表情を崩さないまま、底の砂利を掬っている。
「鍛え方が足りないんですかね? 掬う量も全然違うし」
「さてな。だが、鍛錬とて手を抜いているつもりは無い」
「あの刀、凄い重そうですけど」
「そうだな」
 淡々とした受け答えだが、静波は特に気にしている様子は無かった。
 寧ろ、そう言った冷静な所に強さの秘訣が有るのではないのかと感心していた。
「そっちを押さえてくれ」
「はい、こっちね」
 羅喉丸に言われた通りに、弥生は足場板を押さえて固定させる。
 確り固定された事を確認すると、釘を打って、もう一度足場の確認をする。
「先に応急処置をしていてくれて助かりましたよ。これなら予定より早く終わりそうです」
 三四郎が屋根の状況を確認すると、安心した様に言う。
「そう。それは良かったわ。と言う訳で、そっちはどうかしら?」
「問題無い…」
 弥生は穴から下に問い掛けると、平次郎の声が返ってくる。
 下には板張りの床に雑巾を掛けている御子と、床板を張り替えている平次郎の姿が在る。
「ぬう、前が見えん!」
 張替え中の板の間から這い出てきたのはヴァレリーだった。
 眼鏡に蜘蛛の巣が張り付いてしまっていた様で、それを取り、掛け直している。
「ふん…次は土壁のチェックをするか」
 ばつの悪そうな顔でヴァレリーは土壁の崩れ具合を確認している。
 そんな姿に笑いを堪えて、御子や弥生は作業に戻っていく。
 平次郎はと言うと、やはり苦笑い以外に何も出てこなかったらしい。
 そうして作業が一段落する頃には、すっかり日も落ちてしまっていた。

 暗がりの中でも活動できるのがシノビの特質でもある。
 風鬼に掛かれば、曇天の山中の闇夜であろうと問題では無い。
 耐寒についても準備は怠っていなかったので、それほど寒い思いはしていない。
 しかし、風鬼はその足音と気配に、息を殺して様子を窺っていた。その為の暗視だ。
 どうやらケモノでもアヤカシでもないらしい。
 盗賊などの不審者ならば、一人で追い払ってしまっても良かった。
 しかし、相手は二人。その上、片方は明らかに空気の質が違う。あれは強いのだ。
 そして、距離が縮まり、漸く風鬼は確信を得たのだった。
「これはこれは。お身体の調子は如何ですかね?」
「確か、風鬼殿、と言ったか…」
 暗がりに佇んでいたのは、円真とその部下だった。
「何用ですかな?」
「水稲院にこれを届ける様に頼まれましてな…」
「こりゃあ」
 部下の方から差し出された風呂敷を覗いて、風鬼が納得した様に頷いた。

 風鬼が離堂に戻ると、枯葉に火を点けて数人が暖を取っていた。
「甘い物は嫌いかね?」
「好きですよ! 滅多に食べられませんからね〜、って何ですかこれ?」
「チョコレートと言うやつでな、ジルベリアのお菓子の一つなんだ」
 静波はヴァレリーの手からそれを一欠け貰うと、口に含んで目を輝かせる。
「ジルベリアも、ジェレゾの城はな、此処と同じ様に厳しい道程を」
「もう一つ貰って良いですか!?」
「あ、あぁ、好きなだけ食べると良い」
 そんなやり取りを眺めながら、風鬼が声を掛ける。
「まぁ、甘い物も良いですが、円真様が持ってきて下さったお握りでも如何でさ?」
 風呂敷を高々と上げると、屈んでいた羅喉丸が立ち上がって言う。
「何と、円真殿が見えられていたか」
「円真と言うと、例の増援部隊を率いてた人でしょ?」
 弥生の問いに、羅喉丸と風鬼が同時に頷く。
「何となく、色々事が始まりそうだけれども、それは追々って所ね」
 肩を竦めて弥生は静波の方を向く。
「あまーい! ん? あ、私は特に何も知りませんよ?」
 だろうな、とは思いつつも羅喉丸は腕を組む。
 やはり、何か動きが有るのだと。
 幸いにも三四郎の計画通りに進めば、此処での作業は二三日中に終わるはずだ。
「事情は知らぬが、早く仕上げてしまえば文句の一つも出んだろう」
「頼むから、無理はするなよ…」
 平次郎の言葉に「当然だ」と鼻を鳴らすと、ヴァレリーは立ち上がる。
 そんな光景から、彼の腰が悲鳴を上げる事は誰しも予想出来た事ではある。
 が、風鬼の用意した仕掛けや趣向に、静波がてんやわんやする事になるとは――
「これが最近の流行でして」
 その一言も信じ込んでしまうとは誰も思わなかっただろう。
 こうして、三日間に及ぶ離堂修理の依頼は幕を閉じたのであった。
 始まりの予感を残して。