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■オープニング本文 吼え猛る触手。躙り寄る狂気。闇から見つめ返す紅の瞳。 数多の名を持つ狂気と混沌の申し子、無有羅。 冥越八禍衆の一体であるその恐ろしきアヤカシは、歓喜していた。 なぜなら、強力で長きにわたって滅びを振りまいてきた彼の身に滅びが迫りつつあるからだ。 場所は、天儀の辺境にある忘れ去られた土地。 名を吠え声の海洞という、海岸にある自然洞窟だ。 複雑に入り組んだ洞窟が風の音を響かせ、それが何かの声に聞こえることからついた名らしい。 その最奥に無有羅はおびき寄せられた。 無有羅が固執する楽譜『禍神の狂える楽譜』をエサに、彼は罠にかかったのである。 数多の開拓者たちの力によって、無有羅はこの地に導かれた。 その理由は一つ。 この地であれば、無有羅の狂気の力を封じ込め、その存在そのものを封印できるのだ。 『禍神の狂える楽譜』から開拓者が生み出した『禍神を律する楽譜』。 その力によって、無有羅の狂気を押さえ込むことが可能となった。 そして、この吠え声の海洞は、延々と音を反響させる特性がある。 つまり、洞窟の奥で楽の音を響かせれば、律する楽譜の力によって無有羅の力を削げるというわけだ。 無有羅と長きにわたる戦いの果てで、とうとうやってきた唯一無二の好機。 これを果たすまでには多くの開拓者達の力と、そして犠牲が支払われてきたのだ。 この好機を逃すわけにはいかない。 今ここで無有羅を封じなければ、今までの努力がすべて水泡に帰してしまうだろう。 今こそ決着の時、その結末は、貴方たちの働きにかかっているのだ。 さて、どうする? |
■参加者一覧
北條 黯羽(ia0072)
25歳・女・陰
玲璃(ia1114)
17歳・男・吟
成田 光紀(ib1846)
19歳・男・陰
朱華(ib1944)
19歳・男・志
レティシア(ib4475)
13歳・女・吟
リィムナ・ピサレット(ib5201)
10歳・女・魔
破軍(ib8103)
19歳・男・サ
月雲 左京(ib8108)
18歳・女・サ
イデア・シュウ(ib9551)
20歳・女・騎
星芒(ib9755)
17歳・女・武 |
■リプレイ本文 ● 古より続く災厄を、なんとしても封じるために。 ただひたすら、時を待ち準備を進める者たちがいた。 「レティシアさん、もう一度合せてみましょう」 「ええ、では最初からもう一度。1、2の……」 バイオリンを奏でる楽士の少女、レティシア(ib4475)とともに歌うのは玲璃(ia1114)。 女と見まごう彼は、ただひたすらにある曲の練習に取り組んでいた。 それこそが、今回の策の要となる『禍神を律する楽譜』だ。 燐光を放ちながら、玲璃は何度も何度も楽譜の練習を繰り返す。 彼らの歌や楽の音こそが、大いなる敵、無有羅に対抗するための唯一の手段なのだ。 それを心に刻み、玲璃やレティシアはさらに歌に磨きをかけていくのだった。 今回の封印、その準備が整ったのは多くの開拓者達の努力と孤独に謎を追い続ける者の執念によるものだった。 人がもっとも混沌に近付く悪夢の中に、彼を倒す手がかりがあると信じたリィムナ・ピサレット(ib5201)。 人々の見る悪夢の中には、無有羅を幻視するものがあるとリィムナは確信してそれを追い求めたのだ。 雲を掴むような儚い手がかりだが彼女は悪夢の中に顕れるおぞましき光景を追いかけ、とうとうたどり着く。 それは砂漠に眠る名も無き遺跡や、古の狂える建築家たちが残した狂った建造物の数々だ。 それらの場所はどれもこれも、かつて無有羅の手で狂気に堕とされた人々が残した場所であった。 そして、そこでリィムナは切り札を見付ける。 ただただ狂気のままに残された書物の数々、常軌を逸した建造物の端々。 そこには『禍神を律する楽譜』と同じく、無有羅を弱らせ封じるための術式の手がかりが残されていた。 だが、術式を成功させるためには、正しい場所と正しい時が必要だ。 すぐさま、彼女は仲間たちと準備を進め、場所を探し時を待ち……とうとうその時がやってきた。 「星辰は正しき位置についた、今こそ封印の時!」 黒き狂気を追い続けてきたリィムナは、吠え声の海洞の前で、高らかに宣言するのだった。 「さあ、今度こそ悪夢を終わらせるよ!」 こうして策は成った。 数多の開拓者達が協力し、海洞の奥底に封印のための準備が整ったのだ。 「そもそも狂気とは、元より無くなるものではないのだ。倒したいと思っても、それは叶うまいよ」 術式を造り上げるためにも手を貸した陰陽師、成田 光紀(ib1846)はキセルを蒸かしながら言う。 「だが、最期の時を見物できるというのであれば、それはおもしろい」 「……ああ、苦節数ヶ月、色々と仕込んできた甲斐があったさね」 北條 黯羽(ia0072)も、同じく手を貸した術師の一人だ。 「ここには、関わったヤツら全ての思いが籠もってるんだ。総仕上げを確実に決めて、皆で祝杯といこうじゃねぇか」 にやりと笑う北條。彼女らの尽力の元、準備が整ったのである。 残るは、如何にして無有羅をおびき寄せるか。 だが、それはある意味簡単だった。 一つは、彼を誘き出すエサとして、楽譜を使ったこと。 無有羅にとっては、律する楽譜の元になった『禍神の狂える楽譜』は、やはり大事な物なようだ。 だが、それ以上に無有羅を惹きつけるのは、開拓者達の存在だった。 楽譜も、すでに無有羅にとっては、無有羅自身と開拓者を繋ぐためのものでしかない。 そう、無有羅を求める開拓者がいるように、無有羅も開拓者達を求めていたのだ。 どことも知れぬ闇の中で、無有羅はうっとりと愉悦に身悶えしながら呟いた。 「ああ、僕のことをみんなが考え、追い求めてくれる……小さな脳髄を精一杯に働かせて策を巡らせて」 楽しそうに、歌うように叫びつつ、無有羅は動き出す。 「そこまで求めてくれるのであれば、僕は応えなくては!!」 「そうだそうだそのとおり、狂気の求めには狂気で、正義の意志にも狂気で!」 「ああ、早く死と因縁で充ちた、我らの全て狂気で塗りつぶしたい!」 無有羅ひとりから、数多の声がこだまして響き合う。 そしてずるりと、触手の束と紅の瞳の異形は、蠢いて這い寄りながら吼え猛る。 「滅びや永久の眠りがもたらされようと、因縁の果ての狂気が待っている! ……ああ、なんと甘美なことよ!」 そして無有羅は、狂気のままに海洞へとやって来る。その動きは、今まで以上に狂気に充ちたものであった。 勝手気ままに開拓者達を屠ろうとするときもあれば、明らかに窮地に陥ろうが構わずにこちらの策にのる。 そして、多くの犠牲の上で最後まで残った十名の開拓者は、海洞の最奥にて、無有羅と対峙するのであった。 ● 海洞の最奥にて、いままで狂気のままに暴れ狂っていた無有羅は、すっと人型に戻った。 幾度も邂逅した黒い肌の青年だ。 彼は、ぐるりと開拓者達を見回して、場に不似合いな朗らかな笑顔を浮べる。 「ここが、その場所かい? 僕をどうかするための場所だろう? ……細かいことは知らないし、興味も無いけどね」 ニコニコと笑いながら、親しげに語りかけてくる無有羅。 いままでで、一番理知的に見えるその状況。 だからこそ、もっとも不気味であり、開拓者達は無有羅の瞳の奥に、燃えさかる狂気を確かに感じた。 剣を肩に担いだ破軍(ib8103)は、そんな無有羅を前にしても、じっと見返すと、構えも取らずに言い放つ。 「……ふん、今日は随分とご機嫌だな」 「あはは、たしかにそうかもしれないね! だって、君たちとこうして遊べるのもこれで最後なんだもの!」 無有羅のその言葉に、首を傾げるのは月雲 左京(ib8108)だ。 「今日で、最後とは? 貴方とこうして相まみえる日を、ずっと、ずっとお待ちしておりましたのに!」 そんな悲痛な左京の言葉に、無有羅はうっとりと笑顔を浮べて、 「だって、今日は殺し合うんだろう? 僕はね……もう我慢できなんだよ!」 その瞬間、無有羅の口がぞろりと耳まで裂けると、彼の瞳が赤光を帯びる。 「ああ、こんな楽しい玩具たちは久しぶりだったんだ。でも、もう壊してしまおう!! ねぇ良いだろう?」 自らに問いかける無有羅、応えるようにうぞうぞと触手が這い出し、触手の表面に無数の目と口が生じる。 「そうだ、もう我慢出来ない! 積み重なった因縁と宿業、狂気と憎しみ! 彼らの思い!」 「全部全部、踏みにじって蹴散らして! 狂気の渦に呑み込んでやる!!」 無数の口々でわめき散らす無有羅。それを見て開拓者たちは、ぴたりと身構えた。 時は来た、あとはもう決着を付けるだけ。 戦いの始まりを告げるように、高らかに楽譜の音色が響きだした。 対する無有羅は、内側から爆ぜると、吼え猛る触手の群れと化す。 その触手を前に、開拓者達は覚悟を決めた。もう後戻りは出来ない。 散っていった仲間のため、そして自分たちの因縁のため。過去と決別し、未来のために闘うのだ。 そして何より、コイツはこの世界に居てはならない存在だ。 「さぁて、盛大に宴を始めるか……調子に乗って突っ込みすぎるんじゃねぇぞ、チビ助」 「言われるまでもありませぬ故、ご心配なく。わたくしはただ、あの方とともに……」 破軍と左京は、触手の群れに自ら躍り込むように飛び込んだ。 とうとう戦いが始まった。 ● 「はっ、最初から飛ばしやがるな……だが、護りきってみせるぜィ!」 黯羽の気合いとともに、結界呪符「黒」が発動。 触手の群れから仲間たちを護るように結界が立ちはだかる。 そこに触手の群れが激突、のたうつ蛇のような触手はばらばらに方向を変えて開拓者たちへと向かう。 だが、統制のとれていない上に、数を減らされた触手に遅れを取る開拓者たちではなかった。 さらに、次々に防壁代わりの結界呪符「黒」が発動。 同時に、後衛たちの楽の音と歌が一つとなって朗々と響き渡った。 最初はレティシアのバイオリンの音色。そこに護衆空滅輪を張りおえた玲璃の声が加わる。 二つに重なり響き合う音色、洞窟のなかで反響すれば、途端に触手たちが力を失い苦しげにのたうつ。 だが、まだまだ音色は連なっていく。 夜光虫を放ち終えた成田も笛を奏で、さらに続くリィムナの行動は圧巻。 彼女のまず自身の奥義を発動する。それは、自身の分身を作り出す極限の術「無限ノ鏡像」。 ただの幻では無く、おとりにしか使えない人形でも無い。 意のままに動くもうひとりの自分を作り出して、なんと分身とともに、歌と援護の同時にこなしたのだ! さらにもう一人、星芒(ib9755)も錫杖を手に歌に加わった。 「永劫の狂気に響け☆ あたしの歌声♪」 こうして、歌と楽の音が重なり合い、最初から全開全力の『禍神を律する楽譜』が鳴り響く中。 前衛の開拓者達の奮戦も始まった。 黯羽が作り出した結界呪符「黒」の援護で、一気に接近する4人の開拓者。 全方位に向かって触手がのたうち回る状況で、前衛たちはばらばらに別れ多方向から攻めることとなった。 その中で、両手に刀を掲げて、縦横無尽に触手を切り払う朱華(ib1944)。 伸びてくる触手を心眼「集」で感知して回避しつつ、触手を切り払う。 死角からの触手攻撃も、朱華は全て回避するのだが、 「そう簡単にはやられないさ。だが効き目が薄いか……簡単にはいかないな」 いくら触手を切り払おうが、続々と新たな触手が伸びてくる。 触手の目を潰そうが口を潰そうが、大した効き目があるとは思えない。 その状況でも、朱華は静かに状況を窺い、好機を待つのだった。 「あなたの出番はこれで幕引き。前時代の遺物は退場してください……!」 なかば挑発するようにイデア・シュウ(ib9551)は、言い放てば、ぎろりと赤い瞳がイデアを睨め付ける。 「前時代の遺物、だと?! はは、ははは!! おもしろい!」 「この世界に、もう狂気は必要ありません」 「は、ははは! 狂気を根絶できると思うのか?! 否、狂気はどこにでもある!」 「……なら、私はそれを切り払うのみです! この剣で!!」 イデアは、剣を振りかざした。それは友より譲り受けた、信念と信頼が詰まった大切な剣だ。 これがあれば、たとえ狂気の眼前にさらされていようと、耐えしのげる。 開拓者達は、すでに常に無有羅の狂気感染を受け続けている状況だ。 無有羅の瞳が輝き、耳障りな叫びを耳にする度に、自身の中で狂気が蠢くのが分かっていたイデア。 だがそれでもな、彼女は盾を構え、剣を掲げ果敢に戦いを挑むのだった。 そして、いくら狂気が精神をざらりと撫でようと、意に介さぬ二人の戦士がいた。 「はっ、獲物は誰にも渡さねぇ……とことん付き合ってやるぜ!」 霊剣を手に、押し寄せる触手をなで切りにする破軍。 多少の傷は物ともせずに、深紅の刃を振りきれば、たったの一撃で触手の群れがちぎれ飛ぶ。 まるで荒れ狂う暴風だ。 ぎちりと奥歯を噛みしめて、体の痛みも狂気のざわめきも、すべて噛みしめて飲み下す。 そしてただ凶暴さのまま、獰猛な笑みを浮べて、破軍は吼えた。 「嬉しいじゃねぇか……ここまで楽しめる相手と出会えるとはなぁ……!」 一方、同じく戦いの愉悦に身を躍らせながら、陶然とした笑みを浮べて闘うのは左京だ。 無数の紅眼と、じっと見つめ合う左京。たとえ、じわりと狂気が忍び寄ってこようと彼女は気にしない。 なぜなら、彼女にとって無有羅との戦いは、愛しい人との逢瀬だからだ。 「ふふ、ふははは、鬼の小娘、いや、左京!! なにを探している?」 不気味に響く無有羅の声、それに嬉しそうに頬を上気させて左京は応える。 「ああ、わたくしの名前、覚えていて下さったのですね!」 「もちろんだ左京、お前の狂気は心地良い! 僕を、我を、私を求めるその歪んだ心!」 「ええ、ですからわたくしをもっと見て下さいまし……」 そして左京は、構えた太刀で次々に無有羅の瞳を貫き始めた。 無有羅は、不気味な触手の集合体だ。 無限に思えるほどの数の触手がのたうち、そこにさらに無数の瞳と貌がある。 そもそも、無有羅の本当の姿は触手の群れで出来た巨人とも言われている。 斬り飛ばし、目を潰した触手たちは、崩れ落ち瘴気と化すが、はたしてその際限はあるのだろうか……。 だが、そんなことは左京にとってはどうでもいいことだった。 「あの日奪った瞳、傷……まだ貴方様の体には、御座いましょうか?」 歌うように呟いて、目と傷を探す。だが、周囲は触手の渦巻く地獄絵図だ。 とうてい見つかるわけもなく、左京ははぁとため息を一つ。 「ならば……全ての目を、貴方様の全てを奪いとう御座います」 「はは、ははは! おもしろい、くるくると狂え! 目ならいくらでも差しだそう!」 無有羅も歌うように吼えるように応え、左京と二人、はますます濃密な、殺し合いの時を過ごすのだった。 ● 「あたしの呪詛は狂気すらも冒し、穢し、滅ぼす!」 リィムナとその鏡像が放つ恐ろしき術、黄泉より這い出る者。 対象を内側から滅ぼす不可視の呪術。それは確かに触手にも効き目があるようだ。 ぐずぐずと、黒い肉塊へと化して触手の群れが次々に塵へと帰っていく。 だが、それを上回る速度で次々にあらたな触手が生まれ落ちる。 もう、触手の奥底に埋もれて、青年姿の無有羅は見えない。 ただ、空洞を埋め尽くす、黒く蠢く触手の塊がそこにあるだけだった。 「ああ、なんて楽しい戦いの狂気! 命を奪い奪われる愉悦と快感!」 開拓者達の楽の音に負けない大音声で叫ぶ無有羅。 すると触手に見開く瞳たちが、突然ぐしゃりと避けると醜悪な牙を備えた口となった。 それが次々に歌い出したのは、不気味でおぞましく冒涜的で、そして美しい歌声だ。 歌いながら、無有羅は吼える。 「だが、だが許せないのはお前等の音だ! 耳障りで私の愛しい狂気をかき消す、忌々しき清らかな音色!」 響く『禍神を律する楽譜』の音色を、無有羅は打ち消そうとしていたのだった。! 生理的嫌悪を催すような音や、到底人の声とは思えない金属的なきしみ。 それが重なり織りなす冒涜的な楽の音が、無有羅の口たちからあふれ出す。 音が響く海洞の構造を逆手に取って、無有羅は音に対抗するかのようにおぞましい曲を歌い始めたのだ。 それに即座に対応したのは、後衛でひたすら楽の音を奏でていた者たちだ。 「歌をかき消すつもりか? そうはさせねェ!」 黯羽は呪縛符と斬撃符の連携を取った。 術自体は基礎的なものだ。だが彼女ほどの大術者が使えば、その威力は凄まじいものとなる。 言ノ葉に乗せた呪は、無有羅の狂気すら縛りつけ、触手の動きが止る。 そこに、風を切り裂いて飛ぶ斬撃の嵐。 的確に触手に生じた口を切り裂いていく。それどころか触手ごと細切れにしていく。 一瞬生まれた、無有羅の歌の乱れ、そこをついてレティシアが一際高くバイオリンを奏でる。 「皆様、楽譜の演奏は一時私たちに任せて下さい!」 「今のうちに、狂気の歌への対処を!」 レティシアと玲璃の言葉に、ぴたりと一緒に成田、星芒が反応した。 「ならば一時、時を稼ごう。なに、これも全て無有羅の滅びのためだ」 成田が放ったのは火炎獣。 海洞の空気を一瞬だけ熱気が満たし、猛々しい炎が触手の群れへと食らいつく。 同時に星芒は、錫杖に精霊力を纏わせて、触手の群れへと突っ込んでいった! もちろん、彼女を触手の群れが迎えうつ。次々に、伸びて星芒を貫かんとするのだが 「そんな攻撃、効かないよっ!」 武僧が纏う清浄な精霊力を護りの盾とする、祓魔霊盾で触手を受けて、無縁塚で触手を薙ぎ払う。 歌声を上げる触手を狙って、星芒の錫杖がうなり、次々に触手が断たれていく。 そして、無有羅の歌声は、千々に乱れ、それをレティシアの楽の音と、玲璃の歌が上回った。 ● そして、再び開拓者の奏でる『禍神を律する楽譜』が響き渡った次の瞬間、動いたのは朱華だ。 「いま、ここが好機……一気に攻める!」 触手の群れの瘴気を読み取り、機会を窺っていた朱華は気付いたのだ。 わずかに、無有羅の動きが鈍くなったことに。 そこで朱華は、後に続く仲間のため、真っ先に動き出した。円月で薙ぎ払い、ここぞと放つ隠逸華。 先陣となった朱華の攻撃が深々と突き刺さり、巨大な触手が次々と貫かれていく。 それに、破軍と左京が続く。 二人はすでに満身創痍だ。精神は狂気に侵され、身体中に触手が醜い傷痕を残している。 それを、優性になった後衛の、新たな歌声が癒していく。 レティシアと玲璃が交代で安らぎの子守唄を奏でると、疲弊しきった皆の精神を崖っぷちで救い出した。 そしてリィムナの癒やしの術が、彼らの命を救う。最後の一線で踏みとどまった左京と破軍。 二人は、無有羅に想い焦がれるまま、とうとう最後の攻めに出るのだった。 「小賢しい憎らしい忌々しい! おとなしく狂気に飲まれるが良い!」 「嬉しい楽しい喜ばしい!! このまま戦いを続けて、諸共滅ぼうではないか!!」 バラバラの声で、狂気のままに叫びを上げる無有羅。 そこに左京と破軍の刃が迫る。 奥へ、少しでも奥へ。無有羅という存在の深奥へ向けて、ひたすらに刃を振るう二人。 二人の、半ば狂気に充ちた刃は、とうとうその一番奥へとたどり着くのだった。 触手の奥に埋もれているのは、無有羅がもっとも好む、黒い肌の青年だった。 いつものように笑顔を浮べ、いつものように瀟洒な恰好の青年。 彼は身体中から触手を生やすというおぞましい姿のまま、笑顔で開拓者と対峙した。 なぜ、彼はこの姿をしていたのか。 その答えは、狂気の中に埋もれて、無有羅にすら分からないだろう。 だが、この姿こそが無有羅にとっても、開拓者達に取っても、重要な姿なのだ。 一度この姿を顕わして、因縁が生まれた。 黒い触手と黒い青年、この二つが開拓者と無有羅を繋ぐ、狂気に充ちた重要な要素となったのだ。 だからこそ、無有羅はその姿を一番奥に隠していた。 無有羅を滅ぼすことは出来ないが、その存在の根とも言うべき根源の象徴。 それが今、青年の姿として結実し、開拓者の眼前に顕れたのだ! ● 「とうとう、とうとうここまでやってきてくれたんだね! ああ、君たちを愛しているよ!!」 うっとりと告げる無有羅。その声は、今まで以上に開拓者全員の心に響いた。 「さあ、さあさあさあ! 一緒にここで眠ろう、狂気に充ちた夢の中で!」 笑いかけながら無有羅は手を広げる。ああ、なんて居心地が良さそうに思えるんだ。 「これこそが狂気、愛と憎しみ、数多の感情と因縁が混じり合う混沌の饗宴!」 ずるりと触手を引き摺りながら、ゆっくりと歩み寄る無有羅。おぞましくもその姿は美しかった。 「これで、僕達の物語は完結するんだよ……さあ、さあ! 一つに、僕と一つになろう!!」 甘美な誘惑、狂気に満ちた紅の瞳でじっと開拓者を見つめ、抱きしめようとする無有羅。 このまま、彼と一緒に……。 だが、そんな狂った思いを清浄な楽の音が打ち消した。 唯一、狂気に対抗する術、『禍神を律する楽譜』。それが演奏が止っても、海洞の中には残響がか細く続いていた。 そのか細い音色が、かろうじて開拓者たちを永遠にも感じられる一瞬のまどろみから解放する。 そして開拓者達は、本来の目的を思い出した。 「わたくしは供には参れません、故にせめても………愛刀を、貴方様と供に」 左京は、嬉しそうに、そして悲しそうに笑って愛刀を青年に突き刺した。 「置き土産だ。手前ェにくれてやる……手前ェの顔を見ることは二度と無いだろうな……あばよ」 破軍はつまらなそうに吐き捨てて、左京と同じく武器で無有羅を縫い付ける。 星芒の錫杖が、朱華の銘刀がさらに無有羅を縫い止めた。 そこでとうとう無有羅は動きを止めた。 これで、とうとう封印にこぎ着けた……そう皆が思った瞬間に、無有羅はにっこりと笑顔を浮べた。 存在の根源まで届くほどに疲弊し、消耗し、傷ついた無有羅。 だが、狂気の存在である無有羅にとって、自身の封印や滅びですら些細なことだ。 今の無有羅が考えてることはただひとつ。 自分を追い求め、ここまで追い詰めた開拓者達、彼らを喰らい尽くしてしまいたい。 渦巻く狂気は、ただただ開拓者達を求めるだけだったのだ。 そして、無有羅は自分の存在が危うくなるのも承知で、力を根こそぎ使い触手を爆発させた! ほとばしり、海洞を触手が埋め尽くそうとする。 すでに疲弊しきった無有羅の無茶な行動だ。 延びる端から、崩れ落ちぐずぐずと消えていく触手も多い。 しかし、それでも無有羅は冥越八禍衆の一体である。 恐ろしく、おぞましい力で開拓者達を呑み込もうと、黒い大波が迫ってくる!! ● 大波を前に、左京は考えた。 (そこまでに、一人は寂しゅうございますか? ならば、わたくしも一緒に……) まるで、自分を求めて我儘を言っているかのように左京は無有羅の触手の群れを感じた。 だから身を任せようとする左京だったが……。 「俺は、他人の邪魔をする気は無いが……目の前の光景は気に食わないな」 飛び出した朱華。一本残った刀で巨大な波に向けての裂帛の突きを放つ。 「もう、これで幕引きです!」 イデアは、温存していたオーラを全て振り絞り、防壁となって立ちはだかる。 そして、呆然となった左京の頭をぽんと撫でたのは黯羽だ。 「……お前を、見捨てるなんてことは出来ねェさね。さ、帰るぜ左京」 黯羽は、一瞬だけ無有羅の触手の群れが、朱華とイデアの攻撃で勢いが弱まった隙に、結界を発動していた。 しかもそれが幾重にも重なっていく。 「おい、破軍! 左京は任せたぞ!」 殿に立ちはだかる黯羽。彼女は左京をぽいと破軍に押しつけた。 押しつけられた破軍は面倒くさそうに顔をしかめる。 「ふん、世話の焼けるチビ助だな……おい、いくぞ!」 「そんな、わたくしは捨て置いて下されば……」 「いいから、黙ってろ、舌噛むぞ」 左京の反論を聞き流し破軍は左京を抱え上げると、一気に海洞を駆け抜けるのだった。 続いて、他の開拓者達も術を発動しながら、撤退を始める。策は成ったのだ! 「ああ、僕の愛しい玩具たちが、去って行く……もっと、もっと遊ぼうよ!」 「ああ、楽しかったなぁ。でも、この感情は……そう、寂しさ」 「ははは! 寂しがるなんてそれこそ狂気の沙汰だ!」 「ああ、狂気に満ちた子達だったなぁ……あは、あはは。もっと、もっと狂おうよ……もっともっと……」 叫びと戯言が、延々と絡み合う。ごぼごぼ、ぶくぶく、声では無い音も響く。 だがいつの間にか、無有羅の声は楽の音にかき消され聞こえなくなっていった。 黯羽の結界呪符「黒」、玲璃の護衆空滅輪。リィムナはさらに呪を放ち、だめ押しをする。 それでもなお、存在を消滅させながら追いすがり、のたうつ狂気の触手たち。 なんとか追撃を振り切って、開拓者は何とか海洞の入り口まで戻って来た。 そこで仕込んであった術が次々に発動した。 内部で発動するのは、無限に音を反響させる術式。 その効果で、『禍神を律する楽譜』が海洞の内部で永遠に反響し続けるはずだ。 自身の存在すら危うくして反撃を試みた無有羅。 延々と響く楽の音は、おそらく無有羅の存在を封じ続けるだろう。 「終わった、か……?」 朱華がぽつりと呟く。同時に、術が発動して巨大な岩が海洞の入り口を封じ込めた。 これで、封印は完了だ。 朱華は、最後の戦いに参加した全員が生き残ったことを確かめて、やっとほっと息をつくのだった。 「これで冥越八禍衆も全ていなくなったのですか……長い戦いでしたね」 イデアが呟くと、戦いの終わりを一同はやっと実感した。 まだまだ、無有羅の狂気の叫びが耳に残り、神経を逆なでする。 だが、それでもとうとう開拓者は、無有羅に打ち克ったのだった。 無有羅があそこまで弱まったのであれば、その存在が消えても可笑しくはないのだが……。 「何、やつは狂気の権化だ。狂気は、決して尽きはしないだろうね」 成田は、ぷかりとキセルをふかした。そんな言葉を聞いて、星芒は 「それじゃ、もしもの時のために、楽譜を伝えていかなくっちゃねっ☆」 あっけらかんと言い放つ。するとそんな星芒に賛同したのはリィムナだ。 「じゃあ、あたしも手伝うよ! それに記録も残さなきゃいけないし、いろいろやることがありそうだね♪」 「……私は、無有羅の被害を受けた人たちをたすけるために諸国を回るつもりです」 レティシアは、仲間たちを、安らぎの子守唄で治療した後に、そう決意を告げた。 確かに、未だ無有羅の被害に苦しむ人は多い。 だが、レティシアはひたすらに楽を奏で無有羅の狂気に抵抗する中で、手応えを感じていた。 狂気を打ち消し、もう無有羅のようなヤツのためになにも失わせない。 そんな決意が、レティシア自身の力を高めたのだろう。 こうして、無有羅との長きにわたる戦いには終止符が打たれた。 多くの犠牲の果てに、無有羅は封印されたのだ。 この働きの褒賞として、開拓者達には報奨金が贈られ、失われた武具も全て同じ物が与えられたという。 だが、犠牲になった者たちは帰ってこない。 故に、黯羽は崩れた海洞の前で、線香に火を点し、ただゆったりとキセルの紫煙を燻らせる。 その後ろで、破軍と左京は、再び手にした愛用の武具に触れつつ、とりとめも無く考えるのだった。 好敵手と認め、恋い焦がれた相手は封じられた。 ともに死ぬことは出来ず、滅ぼすことも出来なかった。 しかし、生き延びた開拓者達の冒険はまだまだ続くのだ。 紫煙とともに、立ち上る線香の煙。 それを見ながら、彼らは散っていた仲間や、果たしたこと。 そして、果たせなかったことに思いを馳せるのだった。 |