狂気の病院にて
マスター名:雪端為成
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 難しい
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/06/01 23:42



■オープニング本文

 狂気を糧とする上級アヤカシ無有羅。
 それは、かつて冥越八禍衆の一体として滅びと死をまき散らした黒き巨人だ。
 這い寄る触手の群れ、狂える楽の音とともに現れ吼え猛る使者。顔無き混沌。
 それはいま、武天の片田舎にある大きな病院にいた。

 病院、というよりは療養所と言った方が良いだろうか。
 その療養所は、空気の綺麗な山奥にある、清潔で心落ち着く癒やしの場であった。
 患者は元兵士達が大半だ。
 アヤカシとの戦いで深手を負って、傷を癒している最中の者。
 心を砕き、精神を歪ませるアヤカシや瘴気との戦いの果てに、その魂に大きな傷を負ってしまった者。
 たとえ巫女の癒やしの技で死は免れても、五体の一部を失ってしまった者。
 療養所は、彼らが時間を掛けて心と体の傷を癒し、新たに立ち上がるための場所であった。

 そこに黒い青年はやってきた。
 がりがりと爪を噛み、いらいらといらだち、突然笑いだし、叫び踊るように跳ね回る。
「ああ、やはりこういう場所は最高だ。清潔、静謐、癒やしと安らぎが充ちているようなこの場所!」
 端正なその顔をぐしゃりと歪ませて高らかに叫び、そしてまた体をよじり爪を噛む。
「でもほんとうは違う。この場所には死の匂いがする! だからこそ美しく狂気に充ちているんだ!!」
 楽しげに笑い、そして唐突になにかにおびえるように周囲を見回してののしり、また笑う。
「だが忌々しい! 混沌こそが美しく、それこそが始まりにして終わり、全てなのに!!!」
 苦々しげに顔を歪め、血が出るほど耳をかきむしり、一瞬でその傷が消えて地団駄を踏んで。
「あぁぁ憎い憎い憎い、楽譜を返せ! あれは僕のだ私のだ俺のだ! 人間風情が扱えるわけない!!!!」
 そしてまたけたたましく笑ってうっとりと微笑んで、あっけにとられた医者や薬師や患者を見つめ。
「だから僕が教えてあげる。薄皮一枚剥げば、ここには死と狂気と、そして絶望が溢れていることに」
 そしてその微笑みが割けた。
 縦に。

 めりめりと顔が二つに割れてその間から、触手の群れが迸る。
 そして、周囲に悲鳴と怒号の中で、その触手の一本一本に沢山の顔が浮かび上がった。
 その全てに深紅の瞳。炯々と輝き真っ赤に燃えて、相手の心の奥底までその視線で射貫き。
 ただ一つ、命令をした。
 狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え。
 そして触手の顔という顔が高らかに笑い出した。
「あはははははははは!!」「きゃはははははははははははは!!」「ふはははははははははは!!」
「ひひひひひひひひひひ!」「うふふふふふふふ」「はははははははははははははははははっ!!!」
 全ての顔はべったりと笑みを貼り付けたまま呟いた。
「我が贄となれ」

 深手を負いつつも、復帰を夢見て傷を癒す兵士。彼は、自分の刀を手に獲物を探す。
 魔の森の瘴気で、心を病んだ開拓者。彼女は、ただただ病室で壁に向かって話しかける。
 足を失いながらも奮起して、明るく笑っていた元兵士。彼は、他人の足が憎くて憎くて仕方ない。
 そして人を助けたいと熱い思いを抱いていた医者。かれは絶望して自身の喉に手術刀を向けて……。

 それを、だれかが掴み止めた。刃を掴みとめ、狂気の縁に居る医者を救ったのは……あなただ。

 狂気渦巻く病院、その何処かに無有羅が居る。
 死と滅びを振りまく深紅の瞳、その力は強く病院全てが混沌に飲まれたとみて良いだろう。
 救えない命もあるかもしれない。だが救える者もいるはずだ。
 偶然か、それとも必然か。この場に居合わせた開拓者達がすることは一つ。
 狂気を晴らし、無有羅を撃退することだ。

 さて、どうする?


■参加者一覧
鳳・陽媛(ia0920
18歳・女・吟
秋桜(ia2482
17歳・女・シ
成田 光紀(ib1846
19歳・男・陰
朱華(ib1944
19歳・男・志
リィムナ・ピサレット(ib5201
10歳・女・魔
破軍(ib8103
19歳・男・サ
月雲 左京(ib8108
18歳・女・サ
イデア・シュウ(ib9551
20歳・女・騎
ユイス(ib9655
13歳・男・陰
星芒(ib9755
17歳・女・武


■リプレイ本文


 混乱は、唐突にやってきた。
 病院に響いたのは怒号と悲鳴だ。突然叫び出す患者、暴れる看護師に虚ろに立ちすくむ医者。
 狂気としか言い様のない混乱が病院の中に拡大していく。
 全員が狂気に侵されているわけでは無いようだが、このままでは悲劇が連鎖するだろう。
 現に今、狂気の中で恐れと怯えに塗りつぶされた医者が、自分の喉に刃を突き立てようとして……。
「駄目!」
 細い体ごと医者の手に飛びつく鳳・陽媛(ia0920)。
 治療の手伝いに来ていた彼女は必死で医者の手にすがりついて、その暴挙を止めようとした。
「諦めちゃ駄目です! お医者さんが一番に諦めたら患者さんはどうなるんですか!」
 懸命に言葉を投げかけて、その手から刃をむしり取った陽媛。
 だが、まだ医者の表情はうつろで、その目には絶望が浮かんでいる。
 何かがおかしい、さっきまでは普通に会話していたのに。
 そこで彼女は思い出した。
 冥越でのアヤカシの暗躍と事件の数々、最近ギルドに出ていた幾つかの報告。
 その中にあった冥越八禍衆の一体、混沌の使者とも呼ばれる上級アヤカシの無有羅の事を。
 とっさに荷物の中からギルドで配布されていた楽譜の写しを取りだす陽媛。
 愛用の竪琴を引き寄せて、その楽譜を奏でると、清らかで落ち着いた音色が広がって。
「よかった! 効き目が……」
 音色を聞いて、医師ひとまず落ち着いたようだ。だが混乱と恐怖の残滓は未だに彼の中に残っているよう。
 そこで陽媛はひとまず医者を医師自身の安全のため拘束した。
 この混乱は沈めるためにはその根を断たねばならない。そう思って、陽媛は静かに耳を澄ませた。
 すると、彼女の奏でた音色と同じ音色が、大きな病院のそこかしこから響いてくる。
 だが同時に、荒事の音も響いてきていた。自体は一刻を争うようだ。
 陽媛はぺこりと、意識を失った医師に頭を下げると一目散に走り出すのだった。


 待合室の混乱は、他の場所より激しいようだ。恐怖で泣き叫ぶ女性、武器を手に暴れ出す男。
 その男の武器を鞘で打ち払って、取り押さえた朱華(ib1944)は周囲の大混乱を見て首を傾げた。
「何が起こっている……皆、様子が変だが……」
 不審、だがそれを考える暇も無く朱華は鞘で暴れる患者や職員達をねじ伏せる。
 放っておけば死傷者が連鎖して増えていくだろう。
 すると、もう一人。待合室に佇んでいた大男が拳で暴れていた青年を殴り飛ばして制圧する。
「……命を取らないだけマシと思うこった」
 目を回して気絶した青年を一瞥してその大男、破軍(ib8103)はじろっと朱華を見て、
「この状況、無有羅の野郎だろうな」
「なるほど、話は聞いていたが……たしか、黒の着物に顔色の悪い男、だな。紛れていないか注意しておこう」
 納得した朱華に破軍はただ頷いて、そして2人は広がる混乱を鎮めようと制圧を開始。
 怪我をさせないのは大変だったが、苦労しつつ取り押さえ縄で縛り上げる。
 だが、狂気は広まり感染してしまった人間は増えているようだ。そろそろ手が回らなくなる。
 そんな時に、正面から数人の開拓者が飛び込んできた。
「よくもこのような場所ばかりを見付けてくるものだ。確かに、ここには奴の好きそうな生と死があるがな」
 呪縛符を飛ばして暴れる患者を抑える成田 光紀(ib1846)。
 さらに無有羅を追いかけてここにやってきた月雲 左京(ib8108)とユイス(ib9655)も合流する。
「この有様は、やはり……っ! ああ、ここにあの方がいらっしゃるのですね」
 左京はうっとりと、場にそぐわぬ愉悦の笑みを浮べ身震いをする。
 暴れる見舞客を打ち倒しながら、視線を彷徨わせて無有羅を探す左京。彼女を不安そうにユイスは見つめ。
「無有羅……どうにも、好きになれそうにないアヤカシだ」
 吐き捨てるように独りごちるのだった。


 混乱の中心になっていた待合室には、外と中から次々に開拓者達が集まって来ていた。
「やはり数が多い……このままではまずいのでは?」
「いや、大丈夫だろう。音が近付いてきている。あれは……ギルドに写しがあった『混沌を律する楽譜』だ」
 朱華の言葉に応える成田。彼が言ったとおり、音色を奏でながら、新たに二人が待合室に飛び込んでくる。
 1人は竪琴を爪弾いて、音色を奏でる陽媛。
 彼女は仲間が集まって人々を鎮圧しているのを見て、ほっと安心のため息をひとつ。
 そこにリィムナ・ピサレット(ib5201)も合流する。
「やっぱりこれは無有羅の仕業だね! ……挑戦、受けて立つよ!」
 リィムナはローレライの髪飾りの力で律する楽譜の音色を歌に乗せる。
 音色の力は、無有羅のも狂気感染の影響を一時的に押さえ込むことが出来るのである。
 その様子を見て、成田は自身も楽譜と笛を構えつつ、リィムナに問いかけた。
「ところでリィムナ君。吟遊詩人の奏でる力ある曲の力は、楽譜と両立可能なのか?」
「ううん、試してみたんだけど……駄目みたい」
 残念そうに言いながら、リィムナは首を振る。
「でも、普通なら治療が難しかったり時間のかかる狂気感染なんだけど……」
 リィムナは、陽媛も自分と一緒に混沌を律する楽譜の曲を奏でているのを確認した。
 この楽曲は演奏者が増えれば増えるほど効果が強くなるようだ。
 現に2人の演奏は狂気に囚われた人々に作用し動きを止めている。
 律する楽譜だけで狂気から解放する力は残念ながら無いようだが、鎮めることは可能なようだ。
 動きを止めた人たち押さえつける破軍や朱華達。そこでリィムナは一時、異なる調べを歌い上げ始めた。
「これは、安らぎの子守唄?」
「なるほど、律する楽譜で狂気を鎮めたあとならば、『安らぎの子守唄』で、回復が容易、ということだな」
 ユイスの呟きに、合点がいくと頷く成田。
 吟遊詩人の力と律する楽譜の力を同時に使うことは不可能なようだが、演奏者が2人居れば合奏は出来るようだ。
「力を合わせれば、狂気だって克服できるはず♪ 手分けして諸悪の根源を探しましょう」
 自刃しようとした医者をとっさのところで止めて、後ろ手に縛り上げながら星芒(ib9755)が待合室に。
 彼女も奏者の1人として名乗りを上げて、テキパキと病院内の地理を説明し始めた。
 それまで、星芒は医師の手伝いをしていたらしく、この病院には慣れているようだ。
 こうして待合室に集合した開拓者は八人。そこに最後の2人が合流する。
「全員縛る必要が無いのは助かりますな。正気に戻った軽傷の方には、怪我人を連れて避難して貰いましょう」
 薙刀を振るって錯乱した患者達の手から刃物をはね飛ばす秋桜(ia2482)。
「これ以上の犠牲は出したくありません。皆、諦めていないはずだから」
 そして盾で、暴れる開拓者患者の刃を受け止めて、バッシュで気絶させるイデア・シュウ(ib9551)。
 合計十人の開拓者は、二手に分かれて待合室を飛び出して、元凶を探しに向かうのだった。


 リィムナの歌声が、感染した人たちの狂気を押さえ込む。
 その機を逃がさずに、2班の先頭を行くイデアは声を張り上げた。
「狂気に呑まれるな! 妬んだって、憎んだって、後悔したっていい!」
 その言葉に、患者達は動きを止めた。狂気を律する旋律が、狂気を一瞬押さえ込んでいるのだ。
 そのわずかな瞬間にイデアの声が患者達へと届く。
「諦めていないのなら! 全部抱えて最後まで足掻け!」
 絶望や恐怖、怒りに歪んだ狂気の中で、一瞬だけイデアの声に反応して我に返る患者達。
 即座の治癒は不可能で、時間も足りないがそれでも律する楽譜は十分に狂気に対抗手段となっているようだ。
 楽譜の力と開拓者の連携によって、二班は次々に患者や医師達を制圧していくのだった。
 目標はただひとつ無有羅。だがなかなか見つからないようで。
「ああ、あの方は何処……」
 狂気に囚われた患者達から仲間を守るのは左京は、焦がれるようにぽろりと口にする。
 それを心配げに見るユイス。だが左京は的確に仲間を守りつつ、感染者達を制圧していった。
「無有羅はこっちじゃないみたいね。一班が見つけ出しているといいんだけど」
 地図を思い返して呟く星芒。その時、鋭い合図の笛の音が響いた。
 それは無有羅と遭遇したことを示す呼子笛の音だった。


 病院の裏庭、平屋建ての病院全体を見回せるような丘の上に黒衣の青年が佇んでいた。
「あれが……無有羅」
 その姿を見て、陽媛は冷たい汗が頬を伝うのを感じた。
 威圧感があるわけでない。ただ飄々と立っているだけで、嫌悪感と恐怖が浮かんできてしまう。
 それに負けまいと陽媛は、気力を振り絞り演奏を続けた。
 狂気に抗って律する楽譜を残した演奏者たちに思いを馳せた陽媛の竪琴の音色はより強く深く響く。
 その音色を聞いて不快感も露わにする無有羅。それを前にして、破軍はにやりと獰猛に牙をむいた。
「よう……どうした今日は。いつもの余裕がないようだな」
「ふん、また君か……いつもの小鬼の娘はいないのか?」
 へらへらと笑って挑発する無有羅。だが、その表情には明らかに苛立ちが隠れていることに破軍は気付く。
 なので、破軍は不敵に笑いながら刃を抜き払って。
「お気に入りの玩具を取り上げられて、ご機嫌斜め……と行ったところか」
「……君たちが僕の曲を勝手に改変して演奏をしているわけだからね。温厚な私でも少しは立腹するさ」
 そんな勝手な無有羅の言葉に、同じ一班の朱華も前に出る。
「……狂気も何も、人に依存しなきゃ得られない癖に偉そうに……」
 その言葉に、無有羅はぎしりと動きを止めた。紅の瞳を見開いて、歪んだ笑みのままで朱華と破軍を睨み付けた。
 その目に浮かんでいるのは怒りでもなければ、挑発への嫌悪でもなかった。
 目の前にある玩具を、めちゃくちゃにしてしまおう。そんな狂気と混沌の虚ろな笑みだ。
 無有羅は、ゆらりと手をかざすと、爆ぜて触手の群れと化した。
 人型のまま、その手先と口から迸る触手の群れ、その触手にはびっしりと赤い瞳。
 それが群れとなって開拓者達の方へ迸って……。
「鳳さん、後ろへ!」
「はっ、今日はトコトン殺り合おうじゃねぇか!」
 朱華破軍が前に出て陽媛は後ろに下がりながら演奏を継続。
「自爆でもしてくれれば楽、とおもったのですが、そうは上手く行きませぬなぁ」
 前衛の動きに合せて秋桜も薙刀を手に前進。
 無有羅が欲しているのは楽譜の元となった『禍神の狂える楽譜』だ。
 故に、秋桜は律する楽譜自体には無有羅への効果が無いと感付いて、楽譜の写しを放り出した。
 そして成田は静かに状況を見守っていた。
 5人ではあの触手の群れを突破することは出来ないだろう。
 それに演奏も陽媛と自分の2人だけでは足りない。そう考え静かに好機を窺うのだった。


「……狂気が好物なんだろう?なら、俺も染めてみたらどうだ?」
 切り込む朱華。触手の群れを逆刃刀で流し斬り、そのまま触手の目に付きを放つ。
 ちぎれ飛ぶ触手、だがあとからあとから触手の群れが伸びてきてしまう。
 破軍も秋桜も同じだ。触手の物量に押されてなかなか攻めきれない。
 まるで刃の群れのような触手の大群、それが破軍の頬を掠り、血を流させた。
 だが、それをぬぐいながら刀を握りしめる破軍。彼は、獰猛に笑いながら、なんとその触手の群れに突貫。
 無謀な行動か、それとも狂気に囚われたのか?
「……やっときたか。遅ぇぞチビ助。遅れるんじゃねぇぞ」
「お久しく、御会いしとうございました……破軍様、貴方様には譲りませぬ……!」
 無有羅を背後から急襲したのは、左京だ。
 ぐるりと迂回してきて、二班は無有羅を挟み込む位置から挟撃したのである。
 とっさに触手の群れを放つ無有羅。それを受け止めたのはイデアの盾だった。
「あまり、人間を舐めてくれないでくださいよ……この下衆野郎……!」
 オーラ全開で、触手の群れを盾ではじき返し、剣を振るって触手を斬り飛ばす。
 散らばりながら瘴気に還る触手、その表面の紅の瞳がぎろりぎろりと開拓者を睨め付けた。
 たとえ開拓者でも強力な狂気感染の力に合えば無事では済まないだろう。
 そこに響くのは合流したリィムナと星芒の『禍神を律する楽譜』の調べだ。
「演奏を合わせます!」
「4人の合奏ならどう? 無有羅……もて遊ばれるのはどっちかなっ!」
 武僧の身のこなしで触手を回避しながら、星芒は歌を歌い上げ、リィムナも合せる。
 陽媛と成田も2人の歌に合わせて竪琴と笛を演奏し、これで律する楽譜の旋律が四つ。
 それを受けて、狂気の力は散らされていく。
 一度狂気に囚われた人を解放するには別の力がいるだろう。
 だが、狂気の広がりを抑え、それに対抗する力をその旋律は高めていくのだ。
 高い抵抗力を持つ開拓者であれば、『禍神を律する楽譜』の力を借りて狂気感染に抵抗することが出来る。
 そのことに、ただただ無有羅は紅の瞳を見開いて……。
「あれ? そんなに怖いのかい、この音色がさ」
 ユイスは秋桜が散らしていった楽譜の写しに加えて、自らも楽譜をばらまきながら、幻影符を放った。
 無有羅は狂気と幻惑を得意とするアヤカシ、幻覚は効き目が薄いはず。
 さらに幻影符の幻覚に術者は綿密な介在が出来ない。
 だが、今回だけは違っていた。周りには律する楽譜の写しとその旋律。
 その中で無有羅は、無数の楽譜によって狂気が打ち消される幻を見た。
 唯一にして絶対な無有羅の本質、狂気。
 無有羅は初めて、開拓者たちに、自分が孕む無限の狂気が届かないことに気付いたのだ。
 動きの止まった無有羅。触手達の動きが目に見えて鈍くなったその瞬間。
 破軍と秋桜が触手を薙ぎ払う。のたうち暴れる触手を秋桜の白梅香が消滅させる。
 演奏を切り替えた成田の術が触手を飲み込み、朱華の双刀が触手を切り裂いて道を作る。
 そして、ユイスが声をかける必要も無く、左京は走り出していた。
「貴方様の目に、わたくしを……私だけを写して下さいませ……!」
 隙を逃さず懐へ。無有羅の体に浮かび上がった大きな紅瞳に左京の刃が突き立った。
 その一撃に無有羅は初めて、苦しみと怒りの咆哮をあげた。
 すぐさま触手で開拓者達を薙ぎ払う無有羅。それをイデアや破軍が受け止める。
 無有羅は、言葉にならない怒りの呪詛を上げ、そのまま逃走。
「手応えが……これでは、足りませぬ……」
 残念そうに左京が呟くように、深手をあたえられたわけではないようだ。
 そもそも無有羅の本来の姿は触手で出来た巨人だ。奴はまだその本体の姿を晒していないのである。
 だが、旋律の力が大きな助けになることは判明した。

 その後、旋律の力と開拓者の働きで病院の狂気は無事鎮圧された。
 無有羅はまた動き出すだろうが、依頼は成功。
 開拓者はそれぞれの想いと共に、来る決着の時に向けてそれぞれの日常へと帰っていくのだった。