開拓者だって風邪を引く!
マスター名:雪端為成
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 26人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/02/20 21:32



■オープニング本文

「は、はぁっくしょん!!」
 大きなくしゃみをひとつ、そしてぶるりと全身を悪寒が走る。
 なんだかぼーっとしたり、体の節々が痛んだり、喉やらお腹が痛いときも……。
 どうやら風邪を引いたらしい。

 ……夜中まで鍛錬をしていたのが良くなかったのだろうか。
 ……それともこの前、賞金首を追いかけて、川で水浸しになったから?。
 ……もしかするとお酒を飲み過ぎて、炬燵に入ったまま寝てたからかもしれない。

 とにもかくにも体調不良。こんな様子では依頼も満足にこなせないだろう。
 そんな貴方に朗報が。
 不調な体を引き摺って、ギルドに顔を出したときにちらりと目にした小さな広告。
 もしくは、見舞いに来てくれた仲間が教えてくれたとある情報。
 それは、理穴の小さな領地からの提案だ。

 領地の名は葉山領。
 まだ年若い少年領主、葉山雪之丞が治める山間の小領地である。
 特産は薬草類、山にある温泉の温熱を利用して、温室栽培までしているらしい。
 葉山領は、薬草の栽培と医学薬学の研究を特産にしたいと考えているというのだ。
 新たに作られた学問所にも、ちらほらと先生や生徒も集まっているとの話も聞く。
 薬師が常駐する薬草園と治療院、そしてそのすぐ隣には宿がある。
 今回、葉山領では開拓者に風邪が流行っていると聞いて、ここを解放するというのだ。

 さらに、領主の雪之丞少年は考えた。
 わざわざ理穴の田舎までくるのも大変だろう、馬車を仕立てて送迎付だとか。
 開拓者が解放し、開拓者が復興してくれたようなこの領地。
 返しきれない恩があるとのことで、開拓者達には様々な施設を無料開放。
 まだ寒さの厳しい如月。体調不良をさっくり直すためにも、理穴の田舎で湯治はいかが?

 さて、どうする?


■参加者一覧
/ 劉 天藍(ia0293) / 羅喉丸(ia0347) / 柚乃(ia0638) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 霧咲 水奏(ia9145) / ラヴィ・ダリエ(ia9738) / ジルベール・ダリエ(ia9952) / 劉 那蝣竪(ib0462) / 浅葱 恋華(ib3116) / 綺咲・桜狐(ib3118) / イゥラ・ヴナ=ハルム(ib3138) / 御鏡 雫(ib3793) / 宮鷺 カヅキ(ib4230) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / ヴァレリー・クルーゼ(ib6023) / サイラス・グリフィン(ib6024) / コニー・ブルクミュラー(ib6030) / ルシフェル=アルトロ(ib6763) / 御影 紫苑(ib7984) / 雁久良 霧依(ib9706) / 翆(ic0103) / ジャミール・ライル(ic0451) / ティー・ハート(ic1019) / 丑(ic1368) / 三郷 幸久(ic1442) / 葛 香里(ic1461


■リプレイ本文


 たとえ優れた開拓者でも、風邪を引くときは引くものだ。
「……やはり、この季節に川に入ったのはまずかったか」
 体の不調を確かめつつ、眉をしかめる剛の人は羅喉丸(ia0347)。
 頭痛に悪寒、だるさに食欲不振といった症状を考えると軽い風邪気味のようだ。
「無事に賞金首を捕まえられたのは良かったんだが、さすがにこの体調ではきついものがあるな」
 そんな羅喉丸に、丁度良い依頼がありますよと、ギルド職員が教えたのが葉山領の依頼だった。
 丁度良い、と一路羅喉丸は精霊門や送迎の馬車を利用して葉山領に到着して。
「ようこそなのだ! ……む、久しいな羅喉丸殿! 貴殿も風邪かな? 是非ゆっくりしていくと良い!」
「……雪之丞殿か。今回は葉山領の提案、とてもありがたい。世話になるぞ」
 停留所にて、開拓者達を出迎えたのは少年領主の葉山雪之丞。
 挨拶して回っている雪之丞に見送られて、羅喉丸はまず治療院へ向かった。
 診察としてもらい薬を貰って一安心。
 体力に余裕があり軽度の不調な羅喉丸に合わせて薬を見繕ったようで。
 やっと一息ついた羅喉丸、食堂で粥の昼食を取りながら、
「人の好意がありがたいな……」
 そう呟いて、羅喉丸が見る先には、
「あ、ちょっと厨房貸してくれへん? ラヴィに粥作ってやりたいんや!」
 妻のために、と厨房を借りに来たジルベール(ia9952)と
「昼の分の粥はこれか? 貰っていくぞ」
 言葉少なに頭を下げて、妻のための粥を貰って行く劉 天藍(ia0293)が居た。
 同世代で既婚の仲間たちを見て、羅喉丸はふと、
「……独り身だと、こういう時は困る、な」
 ぽつりと呟いて、妙に美味しく感じる粥を一口すするのであった。

「お粥食べるか? 厨房借りて俺が作ってん」
 風邪の妻が待つ部屋に意気揚々とお粥を手にジルベールが帰ってきた。
 待っているのはラヴィ(ia9738)だ、すこし退屈そうに半身を起こして布団の中。
「ありがとうございますジルベール様。あ、でもお粥を食べるなら先にお薬を飲みませんと」
「ああ、そやったな! ……えーと、こっちが飲み薬で……熱冷ましがこれやったっけ?」
 紙で包んである薬を見ながら首を傾げるジルベールに、
「……いえ、熱冷ましがこちらで、この軟膏は鼻の通りをよくするお薬ですよ?」
「ほな、これが飲み薬か?」
「いえ、そっちではなく粉薬のほうでは……」
「……ごめん、もっかい聞いてくるわ」
 見えない尻尾をしょぼんと垂らしてと部屋を出て行くジルベールを見送って、ラヴィはくすっと笑って。
「……やっぱりラヴィは健康の方が良さそうですわ」
 早く風邪を治さなきゃと、改めて思うのであった。
 そして漸く薬の効用を聞き直してきたジルベール、彼の手には氷嚢が。
「いま、お粥温め直すからな。その間、この氷嚢のっけとき。これな、外の雪詰めたんや」
 そういって甲斐甲斐しく妻の世話を焼くジルベール。薬を飲んで、お粥を食べて、一息入れて。
「ただ寝ているだけというのも退屈ですわね〜……ジルベールさま、何かお話して下さいませ♪」
「依頼の話か? ほなら空飛ぶ鯨アヤカシの話とか……」
「ええ、それが聞きたいですわ。たくさんの旅物語、ラヴィ大好きなのです♪」
 こうしてのんびり過ごすのも悪くないと、お互いに思う二人。
「……いっつも寂しい思いさせてごめんな」
 ジルベールは、笑いかけてくれる妻の頬に優しく口づけてそういうと、ラヴィは首を振って。
「……こうやって寝込むのも偶にはいいかもしれませんわね」
「そうか?」
「いつも旅の空の下に出て行ってしまうジルベールさまがずっと傍に居て下さるのですもの」
 幸せそうに旦那様の手を握るラヴィ。彼女は、手を握ったそのまま旅物語の続きをねだるのだった。

「……喉が渇いたわ」
「そうか。なにがいい? お茶か、つめたい飲み物とか……」
 緋神 那蝣竪(ib0462)の言葉に、即座に飛んできてテキパキと希望に応える天藍。
「ん、飲み物じゃなくて果物……林檎が良いわね」
「わかった林檎か。今すり下ろす……」
 わしわしとあらかじめ窓際に積んでおいた林檎をすり下ろして深鉢に盛る天藍。
 風邪で寝込んだ妻の那蝣竪は、夫の心遣いが嬉しくてそれに大いに甘えていた。
「出来たぞ」
「ん、食べさせてくれる?」
 体を起こして待ち構える那蝣竪。新婚の妻を前に、おそるおそる匙を運ぶ天藍。
 薬を飲ませたり、咳き込んだ妻の背をさすったり、粥も同じように食べさせたり。
 那蝣竪がなにかしようとするたびにすぐ飛んでくる天藍。
 那蝣竪は彼のそんな心遣いを幸せに思いながら、体は不調でも心が嬉しさで一杯だった。
 薬のおかげか一息ついた那蝣竪は、隣で静かに本を手にしている天藍をそっと見つめた。
 動揺をひた隠し、何でも無いように大丈夫だよと繰り返していた天藍。
 しかし、彼は本を読んでいるようで頁をめくる手はさっぱり進んでいないようだ。
 天藍は、自分を見つめる妻の視線に気付くと、
「傍にいるから、大丈夫だ。……もう少し良くなったら温泉でのんびりしような」
 そう自分に言い聞かせるように那蝣竪の乱れた髪を直してから再び本を開いて。
 気遣ってくれている天藍の様子に、ますます嬉しい那蝣竪は布団に鼻まですっぽりもぐって微笑んで。
「……大好きよ」
「ん? なにか、手が必要か?」
「ううん、何でも無い……元気になったら温泉行こうね」
 小さく囁いた大好きの言葉は秘密にして那蝣竪は悪戯っぽく目を輝かせて、
「背中流して上げる♪」
 そう告げて、動揺する夫を幸せそうに眺めるのだった。


 けほけほと軽く咳き込む柚乃(ia0638)。
 すると襟巻代わりの宝狐禅、伊邪那がしっかりと彼女の首に巻き付いて。
 さらにはもふらの八曜丸も心配げに彼女を気遣う。からくりの天澪にも心配されて、とうとう柚乃は、
「……少し風邪の症状が見られるので早期治療を」
 そう言って呉服屋の手伝いを休ませて貰って、葉山領へと向かった。
 薬草園で薬を貰いついでに、薬草の種類や風邪に効く薬の話なんかを聞いて、
「やっぱり、お薬は安くはないですし……症状が重くなればそれだけ医療費がかかりますよね」
「ええ、ですが安定して栽培できるようになれば、それだけ薬草も安く提供出来るようになりますよ!」
 元気な薬草園の職員達と語らってしばしお勉強モードの柚乃であった。
 と、丁度そこにやってきた少女が一人。
 礼野 真夢紀(ia1144)は、柚乃と話してた薬草園の職員たちに用事があったようだ。
「温泉の熱を利用した、苺の早期栽培が出来ないか、考えたんですけど……」
 どうやら真夢紀は少し前まで風邪を引いていて、その療養の為に葉山に来たらしい。
 そして体力の回復ついでにいろいろと料理の知恵を絞っているようで。
「苺の栽培、ですか? 一年中食べられるようになると、良いですね」
「薬草だけではなくて、いろいろと薬膳にも活用出来る食材が栽培できたら、と思ったんです」
 柚乃の疑問に真夢紀が答える。
 そして真夢紀は、柚乃さんはどうして葉山に? と尋ねれば、柚乃も風邪を引いたと聞いて、
「なら丁度良かった。私もまだ食欲があんまり戻らないので、消化の良い鍋を作ったんです」
 一緒にどうですか、と柚乃を誘う真夢紀。彼女たちは、沢山の相棒達を連れて、食堂に向かった。

 真夢紀が用意してた料理の数々を見て、柚乃は目を丸くする。
 薬も飲んだし、軽く食事をと考えて居た柚乃だったが、ずらりと並んだ料理はなかなかに豪勢だ。
 まずは消化に良い大根鍋と、体を温める生姜鍋。
 病人食の基本の粥には七草入り、食欲が戻ってくれば、優しい味わいの白身魚の煮付けも。
 そして甘い物が欲しければ金柑の甘煮に蜜柑の寒天寄せと勢揃いだ。
「味見してくれませんか? ……相棒さんたちも是非」
 真夢紀がそう言えば、柚乃の相棒達も喜んで味見に加勢、風邪気味の柚乃と一緒にご相伴に預かったようで。
 そんな料理をずらりと並べる真夢紀を見て、柚乃は尋ねる。
「ごめんなさい、賑やかで……でも、真夢紀ちゃんはどうしてこんなにお料理を?」
 すると真夢紀は首を傾げて、
「油が美味しい鴨南蛮でも食欲が湧かない時もありますし、病気でも美味しい物を食べてほしいですから」
「なるほど。やっぱり身近な人達には元気でいて欲しいですものね」
 二人は賑やかな相棒達に囲まれて、のんびりと美味しい料理を味わうのだった。


「料理って意外と難しいのね……」
「えっとあの、この煮えてるのは、どうすればいいのでしょうか……」
 不穏なことを言いつつ、調理場で悪戦苦闘するイゥラ・ヴナ=ハルム(ib3138)と綺咲・桜狐(ib3118)。
 二人は風邪を引いてしまった最愛の仲間、浅葱 恋華(ib3116)のために料理を作っているようだ。
 だが、この3人の中で普段料理を担当しているのは恋華だ。
 つまり料理に不慣れな二人にとって、簡単な料理でもかなりの強敵というわけで。
「こんな感じ? でも、やっぱり恋華ほど上手くお料理できないし、何かと上手くいかないのよね……」
「早くもっていきましょう!」
 なにやら悩むイゥラと、空回り気味の桜狐。
 二人は四苦八苦して作り上げたお粥を恋華の待つ部屋へともっていくのだった。

 で、災難はそれだけではなかった。
「いつもお世話になっていますこういう時位は頑張って看病します……」
 そういって、匙を手に、あつあつのお粥を器を手に取る桜狐。
「あつっ!」
「桜狐ぉ〜。怪我しないようにね? だ、大丈夫かしら……」
 空回りしてる桜狐を心配そうに見つめる病人の恋華に、イゥラは頷いて、
「大丈夫よ。私もフォロー入れてあげるし……」
 だが、すでに桜狐は次の行動に移っていた。熱い粥をすくってふらふらと恋華に差し出して、
「恋華、あーん、してください……」
「大丈夫? ……あ、あーん……」
 ふるふる揺れながら近付く匙、だがテンパった桜狐の匙は狙いをそれて、
「……ぁ」
「あ、熱ぅっ!!」
 鼻に直撃したのだった。
「大丈夫、恋華!」
「ごめんなさいごめんなさい。今すぐに氷嚢で冷やします……」
 慌てるイゥラに氷嚢を取ろうと大混乱の桜狐。だが、氷嚢は氷を入れたばかりで口が開き放し。
 がっしゃんと氷を一面にぶちまいて、さらに大慌て。
 慌ててイゥラが氷を除けて、濡れた服を着替えさせて。
 恋華はますますへろへろになりつつ、自分のために一生懸命な二人を微笑ましそうに眺めるのだった。
 そしてやっと一段落付いて、食べられる温度になったお粥を桜狐が恋華に食べさせつつ、イゥラは後始末。
「……イゥラ、無理はしなくても良いのよ? 片付けは後にして、すこし休んでくれても」
 もぐもぐとお粥を食べさせられつつ恋華がイゥラに言うと、
「我ながら余裕が無い気はしてるけどね」
 となんだか弱気なイゥラ。彼女は、着替えをぺしぺし叩いてから干して、
「でも、恋華が弱ってるの見ると、何とかしてあげたいって思うのよ……」
「まったく、イゥラったら……」
 健気なイゥラの言葉に、幸せな気分の恋華。そんな彼女の様子に気付いて、
「……い、いつも世話になってるからその恩返しってだけよ?」
 慌てるイゥラだったが、恋華にとってはそれすらもほほえましくて嬉しいのであった。

「くしゅん! ……あれ、なんかふらふらする……風邪かなぁ……」
「リィムナちゃん調子悪そうね。きっと働き過ぎよ……ほら、こんなに沢山、依頼に行ってるもの」
 ふらふらしていたリィムナ・ピサレット(ib5201)を寝かしつける雁久良 霧依(ib9706)。
「看病するからゆっくり休みなさい♪」
「ん、わかった……」
 頼りになる霧依に全てを任せて、お布団に埋もれるちびっ子リィムナ。
 彼女にとって、霧依は「優しくておっぱいおっきいお姉さん♪」らしいのだが、
(……ちょっと、お母さんに似てるかも)
 そんな思いとともに、リィムナは霧依の看病で眠りに落ちるのだった。
 さて、そんな病気のリィムナがすやすやと休むのを見て、
「こうしてみてると本当に可愛い♪ いずれ頂く…………何でもないわ♪」
 ちらりとなにか邪念が見えた気がするがそれはさておき。霧依はどっさりとネギを用意して。
 まずはそれをふんだんに使った、「おっきりこみうどん」を作るのだった。
 おっきりこみとは特製の幅広麺を使った煮込み料理で、郷里の葱とともに良い煮え具合。
 それを、一眠りしたリィムナに、ふーふーして食べさせる霧依。
 その様子は、まさしく母と子のようで。
 そして薬を飲ませ、寝汗で湿った寝間着を着替えさせ、世話を焼いてくれる霧依に安心顔のリィムナ。
 だが、続いて霧依が取り出したのは、何故かネギを取り出した。
「……霧依さん、その葱はなに……?」
「リィムナちゃん、お尻出して♪ 大丈夫痛くないから♪」
 ……葱を使った民間に伝わる治療方法。それが今まさに決行されようとしていたのだ。
「えっ!? そのあの心の準備がふにゃああ!」
 というわけで哀れリィムナは霧依の魔の手に……と思いきや。
「あれ? 体が楽になってきた! すごーい、本当に良く効くんだね♪」
「……ね? 良く効くでしょ♪」
 というわけで、意外に早くリィムナの風邪は快方に向かうのであった。
「ね……今だけ、ママって呼んでもいい?」
「勿論いいわよ……リィムナちゃん♪」
「やったぁ……霧依ママ、ママっ」
 甘えん坊のリィムナは霧依の胸に顔を埋めて。霧依はそのまま子守歌。
 いろいろと怪しげな二人だが……。
 子守歌を唱う霧依と甘えて眠るリィムナの姿は、まるで本当の母子のようで、幸せそうである。


「ぐぬ……このヴァレリー、一生の不覚……げほっごほっ」
 げほげほと苦しげに咳をする矍鑠とした壮年の紳士はヴァレリー・クルーゼ(ib6023)。
 普段は知的なその顔も、今日ばかりは風邪で少々苦しそうで。
「先生が風邪!? どど、どうしましょうサイラスさん!」
 不安げな弟子のコニー・ブルクミュラー(ib6030)は思わず頼りになる兄弟子を見上げた。
 その兄弟子のサイラス・グリフィン(ib6024)は、今回彼らの師をこの湯治場に連れてきたのだ。
「天儀も冷える。先生も腰が痛むのだろうな……湯に浸かって少しでも回復すればと思ったんだが……」
 なかなかに手のかかる師匠らしく、疲れた様子のサイラス。
 ため息交じりに、あわあわ慌てる弟弟子と、強がる師匠を苦笑して見守るのだった。
 だが、見守ってばかりは居られない。
「くっ、風邪など何するものぞ……! 心頭滅却すれば高熱など春風に吹かれたようなものだ!!」
 湯治にきて風邪を引いたらしい師匠のヴァレリー、彼は自室の縁側に立つと、雪の庭を見つめて、
「いくぞサイラス、コニー! 乾布摩擦だ!」
 吼えた。
 年寄の冷や水、という程に老骨ではないが、流石に風邪の今それは自殺行為だ。
 だが、弟子たるもの、死地であろうと師匠について行くものと思ったのか、
「はっ! さすがは先生! 乾布摩擦で風邪に対抗するなんて! 僕も! 僕もお供します!」
 おたおたしていた弟子のコニー。彼も勢い込んで庭へと飛び出そうとするのだった。
 そんな師匠と弟弟子を眺めて、盛大にため息をつきつつサイラスは、
「先生、待って下さい! って、お前もやめろ! コニー。……自分の体の状態を考えろ!」
 がしっと二人の首根っこを掴んで部屋に逆戻りするのであった。

 というわけで、暖かい火鉢が室内をぬくめる温泉宿の一室で。
 今度は布団の中のヴァレリー先生が盛大に呻いていた。
「ぬう、目が霞む……サイラス、コニー、私が死んだら骨はジルベリアに埋めてくれ……」
「そ、そんな事言わないでください先生っ! 僕なんてサイラスさんと違ってまだ未熟なんです!」
 病は人を気弱にするものだ。ヴァレリーはコニーの手をとって、優しい笑みを浮べた。
 それはまるで別れのようで、哀れなコニーは、滂沱の涙を流しつつ
「だから先生に教えてほしいことがたくさんあるのに!! 先生! 先生ーーーーっ!」
 そんなコニーの手から、先生の弱った手が、するりと抜け落ちて……、
「……先生、目が霞むってそりゃ近眼なのに眼鏡してなきゃ霞むんじゃないですか?」
「む、そうだった」
 冷静な兄弟子のツッコミが入って、病床の先生は眼鏡をすちゃっと装着。
 すると、あきれ顔の兄弟子と、大泣きのまま笑い顔という不思議な表情の弟弟子が見つめていて。
 そんな二人を見て、熱のせいかヴァレリーは、
「天儀に来て三年か……二人共立派になった、そろそろ私もお役御免かもしれんな」
 ぽつりとそんなことを告げる先生。
「サイラス、コニー、今までよくついて来てくれた……君達は私の最高傑作だ」
「先生……」
 師の素直な褒め言葉に、再びぶわっと涙を浮べるコニー。
 だが、ヴァレリーはそのままぽふっと布団に倒れて、
「二人とも、どこへ出しても恥ずかしくな……」
 がくっと倒れるのだった。
「せ、先生? ……う、うそでしょう! 先生! 先生ーーーーっ!!」
 再びすがりついて号泣するコニー。だが、そんな彼の肩をサイラスはぽんぽんと叩いて。
「……コニー。寝ただけだ。ほら、いびきかいてるだろ?」
「あ、寝ただけ……よ、良かったぁ……ヘックション! ……あれ?」
「……風邪うつされた、とか勘弁してくれよ? ほら、コニーも寝た寝た!」
 頼りになる兄弟子は弟弟子を布団に追いやって、師弟仲良く風邪で寝込んでいるのを見ながら、
「先生のお役が御免になっても俺のお役は御免にゃなりませんよ」
 ぱたぱたと、生姜湯を用意したり、看病に忙しく働いて。
「……師弟である限りね」
 誰に聞かせるでも無く、世話の焼ける師匠と、弟弟子に向けて呟くのだった。


 温泉に向かう男二人連れ。
「温泉温泉ー、え、何ティーちんはじめてなの?」
 ふらふらと進むジャミール・ライル(ic0451)の言葉に、かくかくとティー・ハート(ic1019)は頷いて。
「うん、俺! おんせんは、はじめてだ!」
 わくわくしているのを隠そうともせずに暢気な笑顔を向けた。
 だが、どうにも兄気分のジャミールの様子がおかしいようだ。
「あ? どうしたんだライル、いつもの5倍はふらふらしてるぞ」
 そういってティーがライルの額に触れると、どうやらちょっと熱いよう。
「んー微熱くらいかな……? 温泉はやめといたほうが……」
「や、大丈夫だって、お前の手が冷たいだけじゃん」
 そうライルに言われて、そんなもんかと納得しかけるティー。
 だがやっぱりどうにもライルは調子が悪そうで、
「折角温泉なのに入らないでどうすんの、休むだけとか絶対やだよ……?」
 じたばたと抵抗するライルを、ティーは、、
「じゃあここにいる間は俺が看病してやるよ喜べ! とりあえず……寝ろ!」
 すこんと転ばせて担ぎ上げると、温泉は後回しにして部屋に連れて行くのだった。
 そのまま強制的に寝かされたライル。頭も痛いし、布団の重みでうつらうつらとしていたら、
「……ん、起きたか。腹減ってると思ってお粥、つくってみた」
 そういってティーがなにかの入った鍋をもってきた。
 聞けば、風邪に効く薬草を入れた、らしいのだが……まずその色が凄かった。
 薬草なら緑になりそうなものなのだが、それはもはや食べ物とは思えない色で、
「どうした? 食べないのか?」
「……いや、そんなに腹減ってねぇし。うん、あとで一緒に食おう」
 きっぱり真顔で拒否したライル。早く風邪を治さないと謎の粥を食わされると悟ったようで。
 必死に回復に努めるのだった。

 半日過ぎて漸く良くなったライル。2人は改めて温泉に入っていた。
「やっぱり、折角温泉があるんだしな、入らないとな!」
 薬やら、ちゃんと食堂で仕入れてきた病人食のおかげで病気はさっぱり治ったようで。
 そうなると、温泉で汗を流すのは存外に気持ち良い物だ。
 温泉にとっぷり浸かってうーんと大きく伸びをするライル、それを眺めるティー。
 ティーは、なぜかライルの腹筋をじっと眺めていた。
「なんだ、腹筋が気になるのか」
 にっと笑って力を込めるライル。彼は動き回るジプシーなので、引き締まっているのも当然だ。
 だが、ティーは吟遊詩人。
「ふ、腹筋なんてなくても生きていけるんだよ」
「腹筋なんて鍛えりゃ出来るだろ、頑張れ」
 からからと笑うライルに、そっぽをむくティー。
 病み上がりのライルは、そんなティーにもたれ掛かって、温泉をのんびり楽しむのだった。

 そんな賑やかな2人の会話を聞きながら、御影 紫苑(ib7984)はふっと微笑んだ。
 寒いこの季節に、冷え込む蔵の中で調べ物をしてて風邪をこじらせた御影。
 早く直すためにと家人が気を利かせて、今回はこの葉山領にやってきたようだ。
「全く……余計なことを。でもたまにはいいですかね」
 そんな御影が耳を傾けているのは、宿に満ちる様々な音だった。
 温泉で他愛のない会話に花を咲かせる開拓者達。たとえばティーとライルの腹筋談義。
 見れば、開拓者だけではなく土地の住人達も温泉を堪能しているようで、ざわざわと雑音が聞こえる。
 だが、それが御影には妙に心地良いようであった。
 幼き頃から、寝込むときは常に1人だった御影。
 そんな彼にとっては、こんなざわめきの満ちる場所は珍しいようで。
「さて、それでは薬でも貰って一眠りしますか」
 心地よいざわめきの中、御影は湯治を切り上げるのだった。


 御影と同じように、ざわめきを聞く女性が1人。
 その女性弓術士、霧咲 水奏(ia9145)は温泉を見に来ていた。
 男湯の賑わいに比べ、女湯の方はさらに賑やかなようだ。
 風邪の治った桜狐と恋華、そしてイゥラがはしゃいで温泉に落ちたり。
 甲斐甲斐しい雁久良にリィムナが体を洗われていたり。
 そんな様子を眺めて、温泉に入るのはもっと遅い時間にしようと決めた霧咲。
 風邪気味な彼女は、ひとまず宿に荷を解き領主の元へ。
 彼女が指導教官として何度か鍛えたことのある弓兵部隊、水霧隊の元に向かうのだった。
 理穴は弓術士の国、それはここ葉山領でも同じで、弓兵はさらに数を増やしているようだ。
 だが、ざっと兵達の様子を見た霧咲は、指揮官達をつかまえて、
「どうやら、体調不良の者も多いようでございますね?」
「ええ、恥ずかしい限りです。ですが、まだまだ未熟な我らの領、たとえ風邪でも鍛錬は休まずに……」
 そう言いかける年若い指揮官達。それを霧咲は制して、
「いえ、逆でございますよ。熱があるのに押して訓練に励んでも、結果はついてきませぬ」
 諭すように告げた。自分も実は風邪を引いてしまって、と微笑みながら、
「養生するのも仕事の内にございまするよ。拙者も、精進しなければ追い越されてしまいそうですが」
 今日ばかりは、養生させていただきまする、と告げて霧咲は、再び宿に戻るのであった。
 もちろん、風邪が治った暁には、教練に参加するという約束はしっかりと取り付けてきた。
 今度は教師としてでは無く、いち弓術士として。
 ならば、一刻も早く風邪を治さなければならないと考える霧咲。
 彼女は丁度、腕利きの医師がいるとの話を聞いて、宿に戻ったその足で医者の元を尋ねるのだった。
 薬を処方して貰った御影とすれ違い、医者の元に赴くとどうやら医者も開拓者の一員らしい。
 医者の名は、御鏡 雫(ib3793)……話はすこし前に遡る。
 彼女が、この領主にやってきて、最初にしたことは領主の元へ顔を出してある提案をすることだった。
「ふむふむ、治療院にて、医者として手伝いをしてくれる、というのか?」
「ああ、医者の立場で協力するよ。だけど、治療院やら薬草園を開放するだなんて、剛毅な領主様だね」
 そう言って葉山領の少年領主、雪之丞の頭をぐしぐし撫でつつ、姉御肌の御鏡は告げた。
 そんなわけで彼女は治療院の一室にて、医者の一員として待機することとなった。
 薬草園の職員達とも協力して、病の見立てと薬の処方をテキパキとこなす御鏡。
 霧咲の番がやってきた。体調不良の詳細を聞いて、脈を取って体温で感じて、症状の詳細を聞き出して。
 処方する薬草には、いろいろな効用や種類があり、症状に合わせて処方を変えるのが効果的なのだ。
 霧咲には、症状に合わせて薬を処方し、ついでに食事の案内も。
 医術だけではなく、病人食にも研究の余念の無い御鏡。
 彼女の医術と、ここ理穴の葉山領での宿や治療院の取り組みは非常に近しいようで。
「数日ゆっくり休めばすぐに良くなるよ。なにかあったらまた来ておくれ」
 そういって霧咲に薬を手渡す御鏡だった。

 そして、御鏡は霧咲を送り出して、ふと考えた。
 霧咲たち開拓者に聞くところによると、この隣の宿にも沢山の風邪引き開拓者がいるらしい。
 友人知人らと来ている者ならまだしも……
「看病してくれる仲間がおらず、一人寂しく療養する患者も、いるんだろうな……往診も必要そうだな」
 遊軍意思の御鏡は、そういって往診に出発する。
 まず始めは、食堂でいろいろと料理の開発中な真夢紀のところへ。
「これ、病人食に良さそうだね。貰ってって良いかい?」
「ええ、多めに作っておきますよ〜。足りなければいってくださいね」
 御鏡が真夢紀から貰ったのはミカンの寒天寄せ。酸味が食欲の無い病人にも最適だろうとの狙いだ。
 つづいて、顔を出したのは相棒たちに囲まれた柚乃のもと。
「有り難う御座います。やっぱり今回は忙しいですか?」
「ああ、だけど酷い症状の病人はすくないからね。ここで治療すればすぐに皆元気になるだろう」
 柚乃はそう聞いて一安心したよう。途中で羅喉丸に寒天寄せを手渡せば、
「忝い。こういうときはやはり他人の好意が嬉しいものだな」
 そんな羅喉丸にひらひらと手を振って、さらなる患者を探しつつ、のんびりと御鏡は宿を往診するのだった。


「寒いところでの依頼続きで、体を温めたかったんだけど……って、喉の調子が悪いのか?」
「はい、少々喉がいがらっぽくて、丁度此方で早いうちに治せたら、と……あの、幸久様どうなさいました?」
 葛 香里(ic1461)を誘った三郷 幸久(ic1442)。
 彼は香里から喉の調子が悪いと聞いて、さっと顔色を変えた。
「俺よりそっちが大事じゃないか! 外套もう一枚いるかい?」
「いえ、大丈夫ですから。ありがとうございます」
 慌てて、外套をかけようとしたり、なにか出来ることはと甲斐甲斐しく動き回る幸久。
 とにもかくにも、やはり風邪気味なら行くべきだろうと、予定通り葉山領にやってきた2人。
 わいわいと、多くの開拓者がやってきているその小さな温泉街。
 そこには治療院と薬草園があると聞いて、
「理穴でもこんな所があるんだな……と、香里さん。まずは医者の所に行こうか」
「はい、温室の薬草園も気になりますし、たしか薬草園にもお医者様がいらっしゃるのですよね?」
 そう話を聞いて、2人は薬草園とそこの医者の元へ。
 丁度、同じ開拓者の医者御鏡がそこにいた。薬草をぷちぷち集めて煎じていたところのようだ。
 喉を見て貰い、幸久が是非にというので蜂蜜入りの喉に良い薬湯を煎じて貰い、さらにいろいろと薬を。
「蒸し風呂も丁度良い頃合いだと思うよ。喉にも良いし、入ってくると良い」
 そう御鏡に言われて、2人は蒸し風呂に行くことにしたようだ。
 蒸し風呂では、一応浴衣着用なのだが、2人は男女別の室にはいることにしたようで、別々の小部屋へ。
 塩分の多い温泉の源泉を使い、薬草を薫蒸することで、部屋には薬草の香気が満ちていた。
 それを胸一杯に吸いこんだ香里は、ふと同行してくれる幸久のことを考えた。
(心配を掛けさせてしまいました……真剣に私の体調を気遣っ下さって……)
 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる幸久の姿を思いだしていると、すこしのぼせたような気分に。
 温泉の熱のためか、定かでは無いが、ともかくのぼせないうちに室を出て、着替える香里。
 そして同行者の姿を捜すと、すでに出てから暫く立っている様子の幸久が。
 あわてて、そっと駆け寄る香里。
「お待たせしてしまったのでは……寒くありませんでしたか?」
「香里さんが来てくれただけで、十分温かいからさ」
 我ながら寒い台詞だ、と幸久は思って居るようだが、そんな彼に香里は笑いかけると、
「蒸し風呂の香気で大分喉も楽になりました。お夕飯を頂きに参りましょうか」
 そっと幸久の袖を引いて、2人は食堂へ。折角だからと大広間では無く小上がりの席へ。
 出された料理は、開拓者の礼野真夢紀嬢らも協力した鍋の一品で、大根おろしの鍋に具として、
「蓮根団子汁はどうだろう? 温まるし蓮根は喉にも良いそうだ」
 と幸久が提案して用意して貰った特製の鍋に。
 2人は、会話も控えめに、のんびりゆっくりと料理を楽しんで。
「美味しい……じんわり温まりますね」
「それはよかった。俺も冷えた体が温まった気がするよ。……そうそう食後には金柑の密煮があるよ」
 と、やはり甲斐甲斐しく世話を焼く幸久に、心底幸せそうな笑みを向ける香里。
 そして、食事もお開きに。別々の部屋をとった2人は、また明日と別れ際、幸久が香里の喉に布を巻いて。
 そんな風に気持ちを尽くしてくれる幸久に香里は、
「幸久様 私の事ばかりで……ありがとうございます。お気持ちが嬉しいお薬です」
 きっと、より早く治るでしょう、と頭を下げて、彼女は自分の部屋へ。
 その後ろ姿を見つめつつ、幸久は最後の一歩が踏み出せないでいた。
 幸せそうに微笑んでくれた彼女を、本当は抱きしめたいと思って居たのだが、まだ告白もしていない幸久。
(こじらせてるな……)
 自嘲気味にそう思った幸久。だが、そんな彼を振り返って香里はもう一度頭を下げて。
「せめて夜はゆっくり温かくしてお休み下さいませ」
 そう言いながら、嬉しそうに微笑んだのを見て幸久も、お休みと幸せな気分で告げるのだった。


 そして、風邪を引いた開拓者達のなかで、たまたまに過去の一片に触れる者たちも居た。
「カヅキは本当に薬草好きだね〜。俺とどっちが好きかな〜?」
 恋人の宮鷺 カヅキ(ib4230)に、そんなことを尋ねるルシフェル=アルトロ(ib6763)。
 軽佻浮薄な物言いだが、それもルシフェルなりの愛情の籠もった発言のようで、カヅキは。
「お仕事ですもん。比べられません!」
 と、きっぱり告げつつ、テキパキと働くカヅキ。
 2人は今、葉山領の薬草園にいた。カヅキは師からの頼まれ事をこなし、ルシフェルはその付き添いだ。
 そこに、1人の開拓者がすれちがった。
 軽口を言うルシフェルに、それを楽しそうにあしらいながら作業するカヅキ。
 そんな2人を一瞥してすれ違った翆(ic0103)、瞬間彼の脳裏を大きな動揺が埋め尽くした。
 強い違和感と凄まじい動揺が押し寄せてくる。
 はっと、真剣な表情で振り返りカヅキを見つめる翆。
 余りにじっと見つめるので、
「なにか御用でしょうか?」
 真剣な翆に思わず問いかけるカヅキと、
「??カヅキ、人気者だね〜」
 自分のものだと示すように、カヅキの肩を抱きよせるルシフェル。
 そんな2人を見つつも、翆の脳裏には真っ白な花で埋め尽くされた里が脳裏を過ぎり。
 そして、足の古傷がひどく疼いた。
 そのまま翆は何も言えずに、ただ踵を返して、痛む足を引きずって2人から離れたのであった。

 翆は今でこそ魔術の徒であるが、彼は足に怪我を負ったがため、志士から魔術師になったのだ。
 とある里を襲った強力なアヤカシとの戦いの際に、受けた大きな傷。それが足の疼きの元。
 カヅキを見て、彼はその里を思いだしたのである。
 彼の脳裏を過ぎるのは、1人の子供の顔。それが彼は忘れられないのだが……。

 そして夜。
 温泉から上がったルシフェルがカヅキを探すと、そこでは1人ぼんやりと佇む彼女の姿が。
 歩み寄るルシフェル。だが彼より一足先にカヅキの前に立った男が居た。
 わずかに足の古傷を庇うようにして歩み、カヅキの顔を見て、
「僕のこと、覚えていませんか?」
 そう翆は尋ねた。
 カヅキにはさっぱり心当たりが無かった。ともすれば、一種のナンパのようなこの問いかけ。
 だが、翆の次の言葉を聞いて、カヅキの顔から一切の表情が消えた。
「お身体の具合は如何です?! あの毒は……!」
 翆は、かつて足の傷の治療中、幾度も脳裏を過ぎった子供が、目の前のカヅキだと確信していた。
 足に重傷を負ったが、助けたハズの1人の子。その子供の身を翆は療養中もひたすら案じていたという。
 そして、翆の確信は正しかった。
 表情の抜け落ちた顔でカヅキは呟く。
「……なぜそれを、知っているのです」
 カヅキの脳裏には、静かにふる春の雨音と、誰かの叫び。そしてはっきりと思い出したのは、
「あの時の、開拓者さん……」
「そう。アヤカシを討伐しに行ったのは、僕です」
 2人にとって、言葉に出来ない欠けていた欠片が、ぴたりとはまったような気がした。
 ただ、言葉も無く呆然としている2人、そこに割り込んだのはルシフェルだ。
「おに〜さ〜ん。ナンパするなら他の子にしてくれないかな?」
 ひょいっと割り込んで、カヅキの肩を抱いて、引き寄せて。
「この子はね、俺のだからあげないよ」
 そうとだけ告げて、ルシフェルはその場を離れた。
 カヅキもなすがまま。確かに聞きたいことはあったのだが、恋人に大人しく連行されていって……。
「カヅキは俺のだから、あぁいう男は見なくていいんですよ〜」
 ルシフェルも、恋人の様子になにかを感じたのか、軽口ながらも励ますようにそういえば、
「……やきもち、ですか?」
 少し見上げるようにして、軽口を返すカヅキ。
 カヅキにとっては、忘れていた過去との邂逅だが、心許せる恋人が今は側に居る。
 とりあえずは、それで十分なようであった。

 そして、離れていく2人を見送る翆。
 彼は、万感の思いで幸せそうな2人を見届けて、踵を返した。
 ふと思ったのは、
(2人の名前を聞き忘れたな……)
 そんなことを思いながら、不意に涙がでた。
 ああ、よかった。あのときの子供が生きていた。
 そして、隣で彼女を抱き寄せていた赤い目の彼には、感謝の気持ちが湧いてくる。
 ありがとう、彼女を独りにしないでくれて。
 そして、翆はきっぱりと確信する。
「大丈夫、まだ間に合う」
 かつてのように槍を振るうことは出来なくても、いまは魔術の力と玄人はだしの薬学知識が彼にはあるのだ。
 幸いここは薬草栽培の盛んな理穴、葉山領。
 やること、新たに習得することならいくらでもあるだろう。
 そう確信しながら、翆は学問所へと急いで走って行くのだった。

 こうして葉山の日々は暮れていった。
 独りで静かに病を癒やす者、友と恋人とそして家族とともに看病したり看病されたり時を過ごす者。
 薬草や医学という技を磨くものがいれば、奇縁が結ばれたり、古い縁が思い起こされる者。
 多くの開拓者達の物語がこの葉山では繰り広げられたようだ。
 大きな戦いが、また迫っているようだが、この葉山の時間はまだまだのんびりと過ぎるようで。
 病や傷を癒やし、また新たな戦いへと向かう前に、十分に英気を養う開拓者達であった。