恋てふ色は
マスター名:桜紫苑
シナリオ形態: ショート
EX :危険
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/03/11 00:14



■オープニング本文

●火種
「責任を取って頂きたい!」
 そこそこ裕福な呉服問屋の主が、血相を変えて怒鳴り込んで来たのは、恋する男を一途に想う姫を描いた舞台が千秋楽を迎えた日であった。

●暴風地帯
「輝蝶、そこに座りなさい」
 天儀歌舞伎の名門、澤村の次期当主であり、目線1つで女性を虜にすると評判の立役者、澤村龍之介がとん、と畳を叩いた。
 舞台の上では艶めいた色男を演じる事の多い彼の顔に浮かんでいるのは笑み。
 それこそ、世の女性を残らず落としかねない、輝かんばかりの笑顔だ。
 しかし‥‥。
―怖い。めっちゃ、怖いッ!
 赤子の頃からの付き合いである輝蝶は、その笑顔に戦慄を覚えていた。
 綺羅綺羅しい笑顔だからこそ、余計に怖い。
―俺、兄さんを怒らせるような事、何かしたっけ?
 舞台は評判もよく、龍之介との絡みで失敗した記憶もない。
 子供の頃は龍之介の大切にしていたものを壊して怒られた事もあるが、そんな記憶もない。
―‥‥昼に食った葛餅、実は兄さんのだった、とか?
 その可能性はある。が、そこまで狭量ではないはずだ。
 うん。
 心の中で頷きつつ、輝蝶は龍之介の前に正座した。
 何があったのかは分からないが、下手に逆らわない方がいい。
 神妙な顔で、輝蝶は畳に指をついた。
「兄さん、お疲れ様でした。次の舞台もよろしくお願い致します」
「そんな事はどうでもいいよ」
―だから怖ッ!!
 通常であれば、返礼を返して来るはずの礼儀正しい龍之介が「そんな事」と言い切り、「どうでもいい」と言い捨てた。
 その事実だけで、輝蝶は震え上がる。
 だが、そんな心の内は露ほどにも見せず、輝蝶は首を傾げてみせた。ある意味で役者の意地、もしくは見栄である。
「‥‥今日、赤城屋の旦那さんが来られてね」
「赤城屋? あの呉服問屋の?」
 話が見えず、輝蝶は僅かに眉を寄せた。
 赤城屋は裕福だが、娯楽への理解がない‥‥という噂だ。ご贔屓筋から聞かされた話によるものであるから、真実か否かは分からない。故に、輝蝶としても、ほとんど接点のない相手だ。
 そんな大店の旦那が、一体、何をしに来たのか。
「そう、その赤城屋さんだよ‥‥」
 龍之介の声が一段と低くなる。
「話によるとね、お嬢さんが役者に入れ込んでとんでもない事になっているそうだよ‥‥」
 赤城屋の娘となると、父親以上に情報がない。
 輝蝶として街をうろついている時、たまに娘達の噂話を聞く事もあるが、その中でも話題になった事はなかったはずだ。
「お嬢さんがどうかなさったので?」
「‥‥‥‥『揚羽』のせいだ、責任を取れと‥‥赤城屋さんはもの凄い剣幕でね‥‥。揚羽‥‥、お前、まさか‥‥」
「ちょっ、待ッ!!」
 仮面の笑顔をかなぐり捨てて、おどろおどろしい気配を背負った龍之介の言葉に、輝蝶は血の気がひいて行くのを感じたのだった。

●懇願
 受付に依頼状を叩きつけた輝蝶に、受付嬢は瞬きを繰り返した。
 荒事は慣れているので、今更どうという事もないが、輝蝶の顔色が尋常ではなかったのだ。
 青ざめているようであり、赤らんでいるようであり、例えて言うなら中間を取って紫色‥‥とでも表されるような、何とも複雑な色だ。
「どうかしたんですか?」
「赤城屋という呉服問屋の娘について調べて欲しい。付き合っている男がいるなら、その男の素性も。で、赤城屋の主人に「揚羽は無関係」だと報告して貰いたい」
 深くは聞くな。
 ぴくぴくと引き攣る口元が、そう告げていた。
「でも、それだけではどこから攻めていけばいいのか分かりませんよ」
「俺もどうしたらいいのか分からねぇよ!」
 ギルドの中に響き渡った声が、半泣きであった事を、開拓者達は聞こえていないふりをして視線を逸らし合った。

●部屋の中
 錦絵を見つめて、娘はほぅと溜息をついた。
「す・て・き‥‥」
 今までの人生で、これ程までに胸をときめかせる事など何ひとつ無かった。
 いい着物を着て、美味しいものを食べ、綺麗な世界だけを見て来た彼女に訪れた、衝撃的な出来事。それは、彼女の価値観を一転させてしまう程のものであった。
「ああ、待ち遠しいわ。次はいつお会い出来るのかしら‥‥。揚羽様‥‥」


■参加者一覧
野乃宮・涼霞(ia0176
23歳・女・巫
橘 天花(ia1196
15歳・女・巫
大蔵南洋(ia1246
25歳・男・サ
時任 一真(ia1316
41歳・男・サ
弖志峰 直羽(ia1884
23歳・男・巫
楊・夏蝶(ia5341
18歳・女・シ
狐火(ib0233
22歳・男・シ
玖雀(ib6816
29歳・男・シ


■リプレイ本文

●役者の悲哀
「まァたですか、輝蝶氏」
 狐火(ib0233)の言葉に、輝蝶はがくりと項垂れた。
「久しぶりに顔を見せたと思ったら、また面白い事になってるね」
 どこかのんびりとした口調で時任一真(ia1316)が呟けば、しょぼくれていた輝蝶がきっ、と顔を上げる。
「面白かねぇよ!」
「だね。‥‥まあ、俺にしてみれば他人事だから」
 朗らかに言い切った一真に、輝蝶は再び沈み込んだ。
 2人の遣り取りをくすくす笑いながら、楊夏蝶(ia5341)が二人の前に葛餅を置く。評判の店で買って来たという梅葛餅だ。
「ティエ」
 どこか安堵した表情で視線を向けて来た輝蝶の前に座って、夏蝶はじぃと彼を見つめた。
「ねえ、輝蝶さん」
「ん?」
「街で誰かナンパした?」
 がつん。
 輝蝶が額をぶつけた音が部屋に響く。その音に痛そうに顔を顰めた橘天花(ia1196)が、控えめに口を挟んだ。
「揚羽さんはあの人気ですから、恋焦がれる方が現れるのは珍しくないお話かもしれませんが、輝蝶さんが全くご存知ないのは不思議ですね」
 途端、険を増した夏蝶の視線に輝蝶がたじろぐ。
「やあ、見事」
「はい?」
 肩を叩く一真に、天花は首を傾げた。自分の言葉が与えた影響には気付いていないらしい。
「輝蝶さん」
「な、なんだ?」
「‥‥道でぶつかったり、悪漢から庇ったとか、心当たりは?」
「ないっ! ありませんっ!」
 即座に否定した輝蝶に、狐火が溜息をつく。
「ふぅん?」
「考えてもみろよ? 揚羽が存在する時間は短い上に、場所も限られている。俺ならともかく、揚羽は‥‥」
 はたと我に返った輝蝶が言葉を切った。
「うーん、墓穴を堀ったねぇ」
「あはは。美しさは罪ってヤツですかねぃ、輝蝶君?」
 ずずっと茶を啜った一真の隣で弖志峰直羽(ia1884)が軽く手を叩いた。じろりと睨みつける輝蝶の視線さえも、笑いを誘うらしい。くすくすと笑い続ける直羽に、ぼそり低い声が届く。
「男に口説かれた事もあるしな」
 笑みを浮かべたまま、凍り付いたのは直羽だった。
「なぁ?」
 意地の悪い笑みは、彼が反撃に出た証だ。直羽は素直に降参する事にした。
「もう間違えて口説いた事は言いっこなし! 堪忍して!!」
 悲鳴にも似た叫びに、事情を知る者は苦笑し、知らぬ者は怪訝な顔をして、もだもだと身悶える直羽を生温かく見つめたのだった。
「それはともかく、輝蝶さん、本当に心当たりはないのですか?」
「お前もか」
 呻いた輝蝶を、野乃宮涼霞(ia0176)はぴしゃりと言い放つ。
「自身の潔白の為です。しっかり協力して頂きますよ」
 よよと泣き崩れる様に、涼霞は手を頬にあてて息を吐いた。
「女性より女性めいて見えるのはさすがと申し上げます」
 でも、泣き真似で絆されたりしません。
 情に訴える作戦も不発に終わった輝蝶の肩を、大蔵南洋(ia1246)は軽く叩いた。
「こういった災難と引き換えの自由、という事であろうか。輝蝶殿?」
 無口な男の声に込められた感情は「同情」か。
「「揚羽」は神秘に包まれた、誰も素顔を見た事のない立女形。故に、ある程度の条件を満たしさえすれば、「揚羽」を自称する事が出来る」
「確かに」
 頷いた玖雀(ib6816)が、ふむと考え込む。
「娘に懸想した馬鹿が「揚羽」を騙ったとかありそうだな」
「俺が気になるのは、彼女が入れ込んでいる「揚羽」は本物だけど、揚羽本人は彼女と接触していない可能性‥‥要は、絵草紙なり噂話なりで知った「揚羽像」に入れ込んでんじゃないかな、と」
「そんなん、いちいち相手に出来るか!」
 拳を握って大声をあげた輝蝶を宥めつつ、狐火は仲間達を見回した。
「とにもかくにも、外との接点が少ない揚羽氏と深窓の令嬢と、どこで接点が出来たものかが厄介事を解く鍵になってくるでしょうね」
「だな。‥‥となると」
 呟いた玖雀が障子の向こうに続く庭へと視線を遣る。彼の言わんとする事を察し、力強く頷きを返した。 

●早朝
 春が近づいたとはいえ、夜はまだ凍り付くように寒い。昇ったばかりの太陽が大気を温めてくれるまで、もう少し時間がかかりそうだ。
 手に息を吹きかけながら、表戸を開けると見慣れた影が2つ、天花の前に現れた。
 夜通し、赤城屋の観察を行っていた狐火と夏蝶だ。
「お疲れ様です」
 ぺこりと頭を下げた天花に、夏蝶がにこりと笑いかける。
「おはよう、天花ちゃん。早起きなのね」
「あ、はい。今日は澤村のお家に伺おうかと思いまして。それで、赤城屋さんの方はいかがでしたか?」
 赤城屋の内情を探る前準備の偵察。その結果を問う無邪気な少女の顔に、開拓者の表情を見て、狐火は口元を緩めた。
「そこそこ、ですね。ですが、その話は中に戻ってからにしましょう」
「あ、そうですよね、こんな場所では誰に聞かれるか‥‥。すみません」
 ぺこりと頭を下げた天花に、いいえと首を振る。
「ここで立ち話をしていたら、あなたの体が冷えてしまいますよ」
 きょとんと見返してくる天花を促して、狐火は母屋へ足を向けた。
「そう言えば、お聞きしたい事がもう一つあったんです。玖雀さんが使用人さんに接触するとおっしゃった時、皆さん、どうして黙ってしまわれたのでしょう?」
 玖雀が使用人を調べると言った時。
「「‥‥‥‥」」
 その様子を思い出して、夏蝶は明後日の方向に視線を飛ばし、狐火は小さく首を振った。そう、あの時、玖雀はこう言ったのだ。
「女相手は面倒だからな。俺は男の使用人に当たるぜ。出来れば、話がしやすそうな若い男‥‥だな」
 次に訪れた沈黙は、微妙な空気を孕んでいた。互いに目を逸らし合う仲間達の様子を、天花は理解出来なかったらしい。
「まあ、‥‥いずれ分かりますよ」
 多分。
 純真な少女にそんな日が訪れる事を思うと、寂寥感が狐火の心に去来した。出来れば知らずにいて欲しいと思うのは、娘に好いた男が出来る日を憂う男親の心境に似ているのかもしれない。
 馬鹿な事をと苦笑すると、狐火は表情を改めた。

●接触
 赤城屋の店先は、品の良い婦人方でごった返していた。男の姿もあるが、それはご婦人に付き添って来た者だったり、商談をしているどこかの店の者だったりで、店内はおっとりまったりとした雰囲気が漂っている。そこへ。
「邪魔するぜ」
 現れたのは、どう贔屓目に見ても一般人には見えない長身の男。
「い、いらっしゃいませ‥‥。どのようなご用件でしょうか?」
 おどおど、びくびくと声を掛けた店員に、男‥‥玖雀は眉を跳ね上げた。
「どのような、か。面白い事を聞くんだな。ここは呉服問屋じゃないのか? 着物の見立てに来る以外に何かあるのか?」
「あ、いえ、その‥‥」
 店員の動揺ぶりに内心笑みを漏らして、玖雀は手近にあった反物を手に取った。
「質はいいが、こりゃ少し地味だな」
「さようでございますか‥‥。あの、どなたがお召しになるのでしょう?」
 商売の話になり、顔の色が戻って来た店員の様子を見つつ、玖雀はさりげなく店内を見回す。皆、それぞれの買い物や商売に夢中で、玖雀を気に留める者はいないようだ。
「まあ、女だな。確か、この店の娘と同じくらいの年だったか」
「それならば、こちらなどいかがでしょうか」
 差し出された反物を吟味する振りをして、玖雀は探りを入れる。
「この店の娘は、こんな安物を仕立ててるのか?」
 店員が差し出したのは、色味は明るいが質は先ほど玖雀が見ていたものより格段に落ちるもの。それを指摘すれば、彼は慌てて首を振った。
「噂では大層な美人と聞いたが」
「美人というよりも、とても可愛らしいお方ですね」
 次に取り出した反物は、娘らしい柄が踊っている。ほぉ、と玖雀は目を細めた。
「なるほど。愛らしく、華やかな雰囲気が似合うというところか。それほどの娘であれば、もう決まった相手もいるのだろうな」
 反物を吟味する振りをして問うと、激しい否定が返って来た。
「とんでもない! 旦那様はお嬢様の事をそれはそれは大切になさっていますから、そのようなお相手がいるとなったら、大騒ぎですよ」
 その大騒ぎに巻き込まれているとは、さすがに言えない。
「‥‥なるほどな。「揚羽」の事を知る者は、まだ限られている、か」
 店員には聞こえないよう呟くと、玖雀は反物を彼の手に戻した。
「こういう事は、やはり本人の好みも大切だ。また寄らせて貰らうぜ」
 と、玖雀が赤城屋を後にした頃、直羽と一真は陣取った甘味処の片隅で愛想笑いの維持に努めていた。
「でねぇ、私がそう言ったら、奥様がねぇ」
「そ、ソウナンデスカ‥‥て、輝蝶君、逃げない」
 そっと席を外そうとする輝蝶の袖を掴むと、直羽は冷めかけた汁粉に目を遣った。
「お汁粉、冷めちゃいましたね。新しいものを頼みましょうか」
「いいえ〜。私、熱いの苦手ですからぁ。それでねぇ、旦那様は」
 卓に肘をつくと、一真は息を吐く。この手の噂好きなご婦人に初めて遭遇するわけではない。ないが、どうしてだろう。アヤカシと死闘を繰り広げる以上に疲れた気分になるのは。
「話の核心に辿り着けるのは、いつになるかね」
「‥‥困ったねぇ」
 こそこそと囁き交わす一真と直羽の様子に気づく事もなく、女は喋り続ける。
 自分達が調べているという痕跡を残さぬよう、最初に水を向けたきり、自由に語らせていたけれど、これではいつまで経っても終わりそうにない。
「そういえばさ、お嬢さんがお年頃って話を聞いたけど」
「ああ、お嬢様ね。なぁに? お兄さん達もお嬢様に興味があるの?」
 お兄さん達「も」。
 彼らは互いの顔を見合わせた。
「いえね、一度、お茶のお稽古の時、お嬢様を待っていた役者さんがいたのよ〜」
「役者?」
 からからと女は笑う。
「ええ。そこの役者かぶれなお兄さんと違って、仕立ての良い着物と揚げ帽子を粋に着こなしてましたよ。喋り方も上品でしたしね」
「役者かぶれ‥‥」
 適当に着崩し、朱の煙管を持った輝蝶の事だろうか。
−すみません、これ、本物です‥‥。
−朱の煙管なんて、めっちゃ怪しいですよねぇ。でも、あれ、一応武器でもあるらしいんで‥‥。
 一真と直羽の心の中での擁護など、輝蝶にも、ましてや喋り続ける女には聞こえやしない。
 とにかく、赤城屋の娘に「役者」の接触が確認された。それだけは間違いなく収獲だ。うん。
 隣でふるふると震えている輝蝶は見なかった事にして、一真と直羽は自分を納得させた。

●怒り
「‥‥何と言いますか‥‥。すっかり手懐けられていますね」
 部屋の中で帳面をひっくり返している天花と、松也、柳弥の姿に、龍之介がぽつりと呟く。
「あ、龍之介さん、お邪魔しています」
「はい、いらっしゃい。輝蝶の件で調べ物とか?」
 借りた帳面を差し出して、天花は勢いよく頷いた。
「はいっ! 赤城屋さんのお名前がどこかに無いかと思って。もし、お名前があれば、輝蝶さんとの接点も掴めるんじゃないか‥‥と‥‥」
 ゆらり、龍之介が背負った気配に天花は息を呑んだ。
「輝蝶との、接点ですか。そうですねぇ。赤城屋さんから娘を傷物にしたと怒鳴り込まれるぐらいですからねぇ、接点があったとしたら、本気で‥‥」
「「えええっ!?」」
 息の合った反応を返す少年2人と、怒りに震える龍之介の様子に、天花は目を瞬かせた。
 一方、赤城屋の主人を訪ねた南洋も、その爆弾発言に言葉を失っていた。
「き、傷物ですか‥‥」
 件の役者から被った実害がないか調べに来た矢先の事だった。
 澤村座を手伝った事があるという南洋に、主人が溜めこんだ怒りを爆発させたのだ。
−しかし、それは事実なのだろうか?
 もはや何を言っているか分からない主人の叫びを聞き流しながら考える。
 仲間達が行った聞き込み調査から、娘の外出には常に誰かが付き添っていた事が判明している。そんな状況で逢引など出来るはずもない。また、役者らしき者が接触して来た事も、彼らは把握済みだ。だが、さほど重要視していなかった。
−これは、何を意味するのだろうか‥‥。
 右から左に抜けて行く主人の罵詈雑言の嵐の中、南洋は、ただひたすら考え続けたのだった。

●気持ち
 芝居愛好家の娘達に混じって何ら違和感がない‥‥というより、馴染んでいるのはさすがシノビと言うべきだろうか。
 楽しげに情報を交換する夏蝶を待ちながら、涼霞は首を傾げた。
「初対面にしては、親しそうに見えますし」
 役目とあれば、涼霞もある程度の事をこなす自信はあるが、夏蝶のようにどの舞台のどんな場面、どの表情がよかったとか、そこまで深く調べた会話は出来ないだろう。
 そんな事を考えながら、涼霞は席を立った。
 時間も容姿も情報通りだ。
 品の良さげな婦人を伴った娘に話しかける。予め聞いていた稽古事の師の名を出して2人の警戒を解くと、涼霞はもといた店に戻る。
 とりとめない会話を交わした後、頃合いを見計らって涼霞は本題を切り出した。
「そういえば、恋しいお方がおられるそうですね」
 途端に、娘の顔が赤く染まる。
「とても素敵な方だとか」
「名の売れた役者なのです。そのような方に見初めて頂けたなんて、まるでお芝居のようで、私、嬉しくて」
「分かります。愛しい方を思うだけで胸が熱く、幸せな気分になりますものね」
 涼霞のどこか実感の籠った言葉に、娘が顔をあげた。
「考えるだけで幸せな気分、ですか?」
「ええ。お芝居のようにはいかないのが現実の恋ですが、切なく胸が締め付けられたり、会いたくなったり‥‥どんなお芝居よりも心が揺り動かされます」
 胸元を押さえて続けた涼霞に、娘が困惑の表情を見せる。何やら思案していた娘は、やがておそるおそるといった体で問うて来た。
「あの‥‥嬉しい気持ちだけでは、ないのですか?」
「は?」
「胸が締め付けられるとか、そういう気持ちがなければ現実の恋‥‥ではないのでしょうか」
 そして語られた事の真相に、 涼霞と夏蝶はしばし言葉を失ったのだった。

●恋てふ色は
 夏蝶が芝居好きな娘達から聞き込んで来た情報をもとに、揚羽の名を騙る男はすぐに発見され、南洋らの手によって灸をすえられた。
 素顔を知られていない揚羽であれば、名を騙った所でばれないだろう程度の考えの浅い男は気の毒なぐらいに怯えていたという。
 そして、今回の騒動の元となった赤城屋は、役者に舞台から見初められて浮かれた娘の「揚羽の所以外にはお嫁に行けない」という言葉を深読みした父親の暴走だと判明した。
「‥‥似た者親子‥‥」
 疲れたように呟いた狐火に、仲間達は力無い笑みで応えるしかなかった。
「しかし」
 そんな仲間達の輪から少し外れた所で、玖雀は手の中の朱い髪紐に目を落とす。
 夢見がちな娘の感情の暴走に振り回された者達の、愚かしい騒動。だが、その愚かしさが眩しく思えるのは何故だろう。
「誰かを恋い慕う心、か」
 髪紐を強く握り締めて、玖雀は静かに空を見上げた。