温泉調査隊、その哀
マスター名:桜紫苑
シナリオ形態: イベント
危険
難易度: 不明
参加人数: 26人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/05/08 01:08



■オープニング本文

●王の依頼
「は?」
 敬愛してやまない主に呼び出され、駆けつけたのは楼港にある楼閣の最上階。
 陰殻を代表するシノビの四流が一つ、鈴鹿の頭領、鈴鹿薫は御前にも関わらず、間抜けな声をあげた。
「申し訳ありません、王。もう一度お願い致します」
 忠狂いと呼ばれる鈴鹿の特性を、薫もしっかりと受け継いでいる。
 シノビの長たる慕容王への忠誠は強い。
 慕容王に無能と思われるのは絶対に嫌だ。鈴鹿の頭領としても、薫個人としても、だ。
 なのに、思わず王の言葉を聞き返してしまった。
 しかも、かなりな間抜け面だったと自覚している。
 慌て取り繕いながら頭を垂れる薫の動揺に気付かぬふりで、慕容王は再度、言葉を続けた。
「温泉へ行きなさい」
 ああ、やはり聞き間違いではなかったか。
 薫の頭の中に、慕容王の言葉がぐるぐる回る。
ー温泉に行けとは、どういう事だ? よもや言葉の通りではあるまい? 知らぬ間に新しい陰語が出来たとか、そういう事か?
 主の真意を量りかねて、薫は悩んだ。
ー他の頭領ならば、分かる事なのだろうか‥‥。
 幼い事を恥じるつもりはないが、年齢による経験値という、絶対的不利な条件を抱えている事は確か。いずれ解消出来ると思っていても、「今」はどうにもならない。他の頭領達の顔を思い浮かべながら、薫はぐっと拳を握り締めた。
「‥‥から、他の方々の安全という面において‥‥。‥‥聞いていますか、薫」
「は? はいっ」
 更に深く頭を下げる。
 くすりと笑って、慕容王は煙管の灰を盆へと落とした。
「他国の王やジルベリアの皇女殿下も参加されるのですから、宿と周囲の状況を完璧に把握しておく必要があります」
「確かに‥‥」
 他国の王達はどうでもいいが慕容王も含まれるというのであれば話は別だ。
「鈴鹿薫、鈴鹿の頭領の名誉にかけても、王の逗留地たる温泉と、その周辺についてすぐさま調査致します」
「頼みましたよ、薫」
 短い応えと共に頭を下げた少年が、己に課せられた使命に燃えつつ部屋を辞すると、慕容王はほぅと息を吐き出した。
「幼いこと」
 鈴鹿の頭領に値する技量はある。しかし、まだ十をほんの少し過ぎたばかりの少年。これからの成長が楽しみであり、残念な気もする。
「急いで大人にならずとも良いのですよ、薫‥‥」
 シノビの、それも頭領にそのような悠長な事が許されぬと分かってはいたけれども。

●オイシイ話
 慕容王の御前から下がった数刻後、薫は開拓者ギルドにいた。
 勿論、慕容王と他国の王や天儀の主だった者達が逗留する温泉宿とその周辺の調査を依頼する為である。
「つーかよ、お前の部下にやらせりゃいいんじゃね?」
 開拓者の疑問も予想の範囲だ。
 何しろ、当初は薫もそのつもりだったのだから。だが。
「今、里で色々とあってな。動ける者がお‥‥私しかいないのだ」
 だから依頼を出しに来たのだと薫は胸を張った。
「我らが王の御身を守る為の依頼だ。光栄であろう!」
 顔と目を輝かせて語る薫を生温かく見守りながら、開拓者達は依頼が記された紙を覗き込んだ。
「へえ、これが宿の概要か。ちくしょー、いい宿に泊まってやがんな‥‥って、あれ?」
 ごしごしと目をこする。
 けれど、黒々とした墨跡も鮮やかな文字は消えてくれなかった。
「これ、なんか、違うもんがまじってね? 『足湯から始まり、蒸し湯、砂湯、岩盤浴、美肌の湯、延命長寿の湯、家内安全の湯、商売繁盛の湯、合格祈願の湯、縁結びの湯に安産の湯、血の池の湯等の様々な風呂』ってなんだ!?」
「当然、それらの湯に関する事も完璧に調査してくるのだ。嘘、偽りがあっては王達にも失礼だし、王に調査を任せられた鈴鹿の名に傷がつくのだからなっ」
 腕を組んで胸をはるチビに、拳に力が入ってしまう。
ーが、我慢しろ。一応、アレはシノビの頭領だ。
 そんな呪文を心の中で数回唱えて、開拓者は了解と片手をあげた。
「ま、お偉いさん御用達の温泉宿を堪能できるオマケ付きのオイシー依頼だしな。任せておけ」
 その時、彼は本気で思っていたのだった。
 簡単でオイシイ仕事。
 しかし、世の中にはそんなうまい話がそうそう転がってはいない事を、彼は身を持って知る事になるのだった。
 人里離れた温泉宿で。


■参加者一覧
/ 音有・兵真(ia0221) / 柚乃(ia0638) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 橘 天花(ia1196) / 水鏡 雪彼(ia1207) / 御樹青嵐(ia1669) / 御陵 彬(ia2096) / 黎乃壬弥(ia3249) / 輝血(ia5431) / 沢村楓(ia5437) / からす(ia6525) / 神咲 六花(ia8361) / 和奏(ia8807) / 紅 舞華(ia9612) / 御陰 桜(ib0271) / シルフィリア・オーク(ib0350) / 劉 那蝣竪(ib0462) / 不破 颯(ib0495) / ケロリーナ(ib2037) / 蓮 神音(ib2662) / 吾妻 荘助(ib2729) / 草壁 鞍馬(ib3373) / 緋那岐(ib5664) / フランヴェル・ギーベリ(ib5897) / noel(ib6638


■リプレイ本文

●血の池の湯殺人事件
「僕が秘密裏に手に入れた館内の見取り図によると、噂の血の池の湯は多分、ここだと思う」
 そう告げた天河ふしぎ(ia1037)に、温泉調査中の礼野真夢紀(ia1144)と橘天花(ia1196)はごくりと生唾を呑んだ。
 一応は、王を含んだ天儀を代表する者達が利用する高級温泉宿である。だが、今回の事前調査に参加した開拓者の中には、各種温泉の効能に疑問を抱いた者も多い。
 そして、一部名称に首を傾げ、眉を寄せた者はその数を上回る。
「依頼状に添えられていた資料に記されていた前半の湯はともかく、家内安全以降は神社とかっぽい効能です」
「ですね‥‥」
 温泉と神社を十把一絡にされて、天花は複雑な表情を見せた。
「それはともかく、謂われぐらいは調べておいた方がいいですよね。まさか報告書に「温泉ぬくぬく〜♪ 気持ち良かったですわ♪」なんて、書いて出すわけにはいかないでしょうし」
「で、ですよねー。それでは、私はこちらにお泊まりになる貴賓方の為に、それぞれの仔細を書き込んだ絵図を作る事にします!」
 使命感に燃える少女達の話に笑みを浮かべつつ、ふしぎは引き戸に手をかけた。
「じゃ、まずは一番怪しいトコ、行くよ?」
「はいっ」
 少女達が少し離れた所で互いに身を寄せ合い、万が一に備えたのを確認して、ふしぎは勢いよく戸を開けた。
「湯気が‥‥はっ!?」
「どうかしましたか? ふしぎさ‥‥」
「見ちゃ駄目だっ!!」
 咄嗟に腕を広げて女の子達の前に立ち、ふしぎは湯気の中、ぼんやりと浮かぶ光景を彼女達の目から隠す。
「こんな‥‥こんな事って!」
「一体、何があったのですか?」
 大きく広げられたふしぎの手に視界を遮られたまま、真夢紀が問う。不安で少しばかり声が揺れているのは仕方のないことだ。
「赤い湯の中に、御影さんが‥‥御影さんが浮いていた‥‥」
 呟いて、ふしぎは強く唇を噛みしめた。握り込んだ拳は力を入れ過ぎ、爪が皮膚を破って薄く血を滲ませる。
「ほ、ほら、例えば湯あたりで倒れていらしたとか、気持ち良すぎてついうっかり眠ってしまったとか‥‥」
 不安の影を追い払うように、努めて明るく可能性を告げた天花に、ふしぎは緩く頭を振った。
「湯に顔をつけて、浮かんでる。多分、もう‥‥」
「そんな!」
 少女達が絶句すると同時に、ふしぎは激情のまま、柱に拳を叩きつけた。
「冷静かと思えば熱血っぽくて、落ち着いているかと思えば猫みたいな好奇心をあらわにする。女王様の下僕だという噂もあったし、なんか下着が凄くてびっくりした事もあるけど、御影さんは‥‥御影さんは‥‥こんな風に温泉の中で全裸で死んでいい人じゃなかった!!」
「‥‥凄い下着って何でしょう?」
 首を傾げた真夢紀に、天花は眉をよせる。
「それもですが、私は女王様の下僕という所も気になります」
「僕は‥‥僕は絶対に犯人を許さない! 必ず見つけ出して、罪を償わせてやるっ」
 めらめらと燃えあがるような決意を口に乗せると、ふしぎは真夢紀と天花を振り返った。
「いい? 捜査は現場保存が原則なんだ。詳しく調べるまで、ここはこのままにしておかなくちゃならない」
「でも、青嵐さんをそのままにしておくのは可哀相です」
 せめて引き上げてあげたい。
 天花の訴えに、ふしぎは厳めしい表情を作って首を振る。
「ダメだよ。可哀相だけど、御影さんは既に死んでいるんだ。湯あたりもしないし、溺れたりもしない。少し膨張しちゃうぐらいだから、このままにしておこう。一刻も早く犯人を見つける事が、何より御影さんの為だよ」
「‥‥その通りですの」
 くすんと鼻を啜りあげると、真夢紀は袂から矢立を取り出し、入口に貼られた注意事項の紙に「悲劇有」と書き足した。
「他の皆さんにも、しばらく立ち入り禁止を伝えますの」
「うん。お願いするよ。じゃ、行こう。僕達の使命を果たす為に!」
 ぴしゃりと引戸を閉め、彼らは慌ただしく走り去って行った。
 そして、残されたのは‥‥。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥おい」
 湯船に浸かって一部始終を眺めていた黎乃壬弥(ia3249)は大きく息を吐き出すと、死体と化した御樹青嵐(ia1669)に声を掛けた。
「お子様達、信じちまったじゃねぇか。大騒ぎだぞ。どうするつもりだ?」
 ざばりと音を立てて、それまで死体だった青嵐が体を起こすと、小さく声をあげて笑う。
「さて、どうしましょうかね」
「どうしましょうかね、じゃねーよ。こっちは慰安旅行と家族旅行も兼ねてんだぞ。うちの娘が騒ぎに巻き込まれて、家族団欒が台無しになったらどうしてくれる」
 すみません、と濡れて張り付く前髪を掻き上げながら、青嵐は晴れ晴れとした表情で壬弥を振り返った。
「反省はしています。でも後悔はしていません」
「言い切るなよ‥‥」
 怒る気も失せたのか、壬弥はがっくりと肩を落としたのであった。

●誤解と誤解の果てに
 同時刻、シノビの四大流派の1つ、鈴鹿の頭領たる鈴鹿薫は湯殿に続く廊下で硬直していた。
「今、何と言った?」
 はて?
 急に立ち止まった薫を、柚乃(ia0638)は怪訝そうに見る。何故、そんなに驚かれるのか分からない。大きな瞳がそう告げていた。
「柚乃のお話、聞いてなかったの? このお宿は美味しい桜餅があるんだって。だから、お風呂から出たら一緒に‥‥」
「そうじゃなくて! その前だっ!」
 はてはて?
 今度は反対側に首を傾げた柚乃は、絶品という桜餅の評判を語る前の話題を思い出す。確か、朋友と一緒にお風呂に入る事が出来なくて残念だという話をしていた、はず。
「えーと、折角の温泉だし、大勢で楽しく入りたいねって」
「だから‥‥」
 額を押さえた薫の顔をぺちぺちと叩いて、柚乃はにっこり笑みを向けた。
「でも、このお宿はいっぱいお風呂があるけれど、「安産の湯」とか効能を聞いていると柚乃が入っていいのかなって思うお湯もあるし、それに男の人と一緒に入るのは、ちょっと困る‥‥よね?」
「だーかーらー」
 今にも頭を抱えて座り込みそうな鈴鹿の頭領を覗き込むと、その手を取る。
「皆、それぞれの場所を調べているんだから、薫ちゃんも柚乃と女の人の湯を調べに行こ? 調べると言っても、温泉に入ると気持ちいいし、疲れも取れるし、役得だよね」
 間近で落とされる微笑みの爆弾。混じりっ気なしの無邪気な笑みは、薫の目には世にも凶悪な微笑みにしか見えなかった。そして、経験不足の頭領は、不覚にも逃れる術を知らず‥‥。
「ほら、早く早く。ここはどんなお風呂なのかな。楽し‥‥」
「貴様ッ! 鈴鹿薫とか言ったな! 柚乃に不埒な真似は許さんぞッ!」
 そんな叫びと共に割って入ったのは、天の助け‥‥もとい、悪漢の手から柚乃を救いに来た緋那岐(ib5664)だった。
「そこへ直れ、鈴鹿薫っ! 柚乃と一緒に風呂だなんて、そんな‥‥ん? 鈴鹿? 鈴鹿? どこかで聞いたような‥‥あーーーっ!! 俺に刃を突き付けた連中!?」
 柚乃の微笑爆弾と緋那岐から雨霰と浴びせられる言葉の爆弾とに、薫は濁流に落ちた葉の如く翻弄され続けるばかりだ。
 実際、最初の打撃が大きすぎて反応が出来ないままに襟首を掴まれ、ゆっさゆっさと緋那岐に揺さぶられているわけだし。
「そろそろ離してあげないと、薫の魂が飛んで行ってしまいそうだよ」
 苦笑混じりの声と共に、やんわりと緋那岐の手を止めたのは神咲六花(ia8361)だ。その後ろには妹の石動神音(ib2662)もいる。
「久しぶりだね、薫。‥‥薫?」
 くらんくらんと頭を揺らしていた薫が、六花の呼びかけにはっと正気に戻った。
「おっ、お前‥‥」
「立派になったね、薫」
 にこやかな六花の笑顔に、反射的に身構える。様々な記憶が瞬間的に脳裏を廻った結果の、無意識の行動だ。
「あれ、ひどいなぁ。昔は僕の後ろをついて回っていたのに」
「そして、蜂の巣に突撃させられたり、落とし穴に落とされたりしたなっ」
「修行だよ」
 薫の警戒を気にする様子もなく、その肩に手を置くと、六花は黒髪に頬を寄せた。
「うん。本当に大きくなった」
 何やら入り込めない空気が流れ始めた2人の周囲に、柚乃の腕を掴んだ緋那岐がじりじりと後退る。そんな中、勇敢にも六花を現実世界に引き留めた勇者がいた。彼の外套の袖を掴み、首を傾げた神音だ。
「にーさま?」
「神音。そうだったね。薫、温泉の調査なら、僕達と一緒に行かない? 柚乃ちゃんと一緒だと、緋那岐くんの血管が切れちゃうと思うし」
 不思議そうに見上げて来る柚乃に緋那岐が答えるよりも早く、六花が完璧な笑顔で柚乃に向き直った。
「薫には鈴鹿の頭領として一緒に来て貰わなければならないんだ。だから、ごめんね? 柚乃ちゃん」
「頭領さんのお仕事‥‥?」
 うん、と六花は頷いた。しょぼんと項垂れた柚乃の頭を軽く撫でて、更に笑みを深める。
「でも、用が終わったら、皆で一緒に桜餅を食べよう? 美味しいお茶も用意して貰うからね」
 ようやく笑顔を見せた柚乃を緋那岐に任せ、六花は神音と薫の肩を押した。
「なんだよっ、一体!」
「ちょっと気になる話を聞いてね‥‥。慕容王から調査を任されたんだろう、薫。君にはその真偽を確かめる責任があるはずだ」
 打って変わって厳しい表情を見せた六花に、薫も真剣な面持ちになる。
「気になる話?」
「うん。詳しい事は彼女達から聞いた方がいいと思うよ」
 彼女達。
 その言葉に過った一抹の不安を打ち消しながら、薫は促されるままに歩き出した。

●女湯のたくらみ
 ちゃぽーんと、落ちて来た滴が湯を打つ音が響く。
 湯の面をゆるりと走った波紋に口元を微かに引き上げて、紅舞華(ia9612)はそっと腕を伸ばした。さらりとした湯が肌の上を滑っていく。
「いい湯だ‥‥」
「本当に」
 うっとりと同意を返したのはシルフィリア・オーク(ib0350)だ。
「美肌の湯ってい謳い文句に偽りはないようだね。ほら、すべすべだよ。誰か素敵な殿方に愛でて欲しいぐらいだねぇ〜」
「そっ、それはっ」
 顔を赤らめた舞華に、シルフィリアは悪戯っぽい笑みを浮かべてすり寄る。
「なぁに? じゃあ、あなたは何の為に肌を磨いているのかしら?」
 肩先に指を走らせたシルフィリアに舞華が飛び上がると、糠袋で念入りに手入れしていた御陰桜(ib0271)も話に加わった。
「あたしも、シルフィリアちゃんの意見に賛成よ♪ ほらほら、見て見て。あたしもいつにも増してすべすべになっちゃったわ♪」
「あら、ホント。すべすべで気持ちいいねぇ」
 自分を挟んで、互いの肌のすべすべ具合を確認し始めた桜とシルフィリアに、舞華の口元が引き攣る。
「わ、私は美味い酒を飲みつつ、温泉の風情を楽し‥‥」
「きゃー! 舞華ちゃんも柔らか〜い♪ すべすべ〜♪」
 聞いていないし。何やらペタペタ触られてるし。
 ふるふると舞華は拳を握り締めた。
「舞華君、照れなくてもいいのに♪」
 くすくす笑いで緋神那蝣竪(ib0462)が参戦する頃には、彼女達を取り巻く空気に桃色の霞が掛っている幻すら見えるようだった。
「照れてなどいないっ!」
 すかさず反論した舞華の唇に、那蝣竪はそっと人差し指を当てる。
「し。もうしばらく、大人しく遊ばれていて頂戴な」
「それはどういう‥‥」
 問いかけた舞華の視線が、静かに場所を移動する輝血(ia5431)の姿を捉えた。
「あらやだ。舞華君ったら、どういうもこういうもないじゃなぁい♪」
 そして。
 舞華は彼女らの度を越した触れ合いへの抗議を封じられて、拷問の如き忍耐の時を過ごす事となった。

●縁は異なものにて
 とてとてと小さな足音が廊下に響く。
 僅かに遅れて、どこか自棄っぱちな足音が2つ続く。
「これは由々しき事態だと思います」
 ぐっと握った拳に気合いを込めて、御陵彬(ia2096)は複雑そうな顔でむっすり黙り込んだままの吾妻荘助(ib2729)と草壁鞍馬(ib3373)を振り返った。
「山深い秘境の温泉宿で起きた殺人事件! 皆様と仲良くなるより先に、何としてもこの事件を解決しなくては!」
「‥‥それは、彬が?」
 ぼそり尋ねたのは鞍馬。返って来る答えは予測がついているが、それでも尋ねずにはいられなかった。
「当然です。このような時の為に、常日頃から様々な書を読んでいるようなものですし」
「畳を床板ごと軽く素手でひっくり返す娘さんが出て来るような書が役に立つのでしょうか。事実は小説より奇なりと言いますが、最近の書は現実とはかけ離れてどんどん奇抜になっているような気がしますし。それに、彬さんに万が一の事があったら、僕は鞍馬を百回切り刻んでも足りないぐらい自分を責めなければなりません」
「‥‥長々と喋ったと思ったら、言うに事欠いてほざいてくれるじゃねぇか」
 どんどんと険悪になっていく荘助と鞍馬の様子をまるっと無視して、彬は顎に指を当てて考え込む。
「えーと、被害者は青嵐さん。血の池の湯に浮かんでいる所をふしぎさん達に発見されたんですよね。それで、ふしぎさん達は血の池の湯殺人事件捜査本部を大広間に設置、情報収集に当たっている、と」
 得た情報は、整理してこそ価値が生まれるものだ。
 自分の理解を深める意味も込めて、彬は情報を声に出しつつ事件の経過をまとめていく。
「そ、そもそも‥‥本当に死んでいたのか? 相手は仮にも開拓者なんだし」
「鞍馬と同じ意見だなんて、僕としても不本意ですが、事件自体の信憑性というものは限りなく低いと思います」
 何とか彬を止めようとする2人。しかし、彬には彼らの言葉が届いているのかいないのか。
「とにかく、現場に行ってみないとダメだと思うの。それで、殺害現場と死体を検分して‥‥」
「待て待て待てっ! 死体を検分って、彬!?」
「‥‥‥‥話によると、被害者(仮)は全裸で浮いていたんですよね」
 その時、鞍馬と荘助の心は1つとなった。
「彬、お前がそんな見苦しいものを見る必要はないんだっ」
「その通りです。彬さんはこの宿に数多存在する湯の各種効能について調べるという、慕容王からの大切なお役目を果たして下さい」
 湯の効能。
 その一言は、口にした荘助が思う以上に効果を発した。
「温泉の‥‥効能‥‥」
「お、おう。調べたい湯はあるか? 縁結びとか、家内安全とか、どれでも付き合ってやるぞ、彬」
「さらりと手柄を浚って行きましたね、鞍馬」
 つい先ほどまで、事件解決に意欲を燃やしていた彬が頬を赤らめてもじもじと言い淀む様に、睨みあっていた2人も落ち着かない気分になる。
「おい、彬が縁結びの湯に行きたいと言ったら遠慮しろよ、荘助」
「どうして僕が遠慮しなくちゃならないんですか」
 こそこそと水面下の戦いを始めた男達を余所に、彬は消え入りそうな声で願いを口にする。
「わ、私は、文章上達の湯に‥‥」
 ぴたり、と言い争っていた男達の動きが止まった。
「彬‥‥」
「彬さん、いくらなんでもそういう効能の湯があるとは思えま‥‥」
「文章上達の湯だな。この見取り図に場所が記されているぞ」
 背後からぽんと肩を叩かれて、鞍馬はあまりの事に硬直した。
 これほど近くに接近されても気配に気付かなかったという衝撃と、「文章上達の湯」なるものが実在するという二重の衝撃で、だ。
「まあ! 本当ですか? 楓様」
「ああ。実はな、この宿の裏見取り図を鈴鹿のちびっこから預かってある」
 きらーん、と音がつきそうな程に得意げな笑顔で沢村楓(ia5437)は手にした見取り図を3人に示す。
「ここ。ここが「文章上達の湯」だそうだ。ちなみに右が男湯、左が女湯だからな。間違えるな」
「まあ、嬉しいです。早速、入って参ります!」
 言うが早いか、駆け出した彬の背を鞍馬が追う。
 その後ろ姿を見送りつつ、荘助はひらひらと手を振る楓と、裏見取り図とを胡散臭そうに見比べた。
「ん? 貴様は行かないのか?」
「この裏見取り図、全然裏じゃないですよね。て言うか、あなたが示した場所は、正規の見取り図によると「縁結びの湯」の場所で、脱衣所は分かれているけど、中は一緒という混浴のはずでは?」
 立て板に水の荘助からの追及に、楓は不敵に笑ってみせる。目が猫のように鋭くなっているように感じるのは、荘助の思い過ごしだろうか。
「楓ちゃんは名探偵だよ。楓ちゃんの目を誤魔化せるとでも思っているのかな?」
「‥‥‥‥なんだか人が変わっているようですが、僕の気のせいでしょうか」
 荘助の持つ裏見取り図を取り上げて、にぃと口元を吊り上げた。
「温泉の魔力は人を変える力を持っているのかもしれんな。例えば、彼らが向かった縁結びの湯も、そんな温泉の魔力にかかった男女が恋に落ちる事例が重なっ‥‥」
 楓の言葉が終わる前に、荘助は彬と鞍馬の後を追いかけ、長い廊下の向こうに消えて行く。
「さて、と。捜査に戻るか」
 その後、縁結びの湯で湯あたりして倒れた3人が救出されるたが、何がどうしてそうなったのか、彼らは黙して語らず、真実は闇の中に葬り去られてしまう事となった。

●慰安家族旅行
 よぉ、と笑い含みに音有兵真(ia0221)は、浴衣姿で上機嫌の友に声を掛けた。
「いいのか? 殺された男がこんな所を出歩いて。大広間にお前の殺人事件の捜査本部が設置されていたぞ」
「おや、兵真さんこそ‥‥。温泉を堪能して来た、という様子ではありませんね」
 青嵐は兵真の頭から爪先まで視線を走らせると、首を傾げてみせる。
「いいお湯でしたよ。折角ですから、堪能されてはいかがですか?」
「あのな。‥‥俺はちゃんと仕事していたんだ。宿の周辺確認や内部の様子を調べて来た」
 兵真の言葉に、青嵐は幾度か頷いて納得してみせた。
「なるほど。だから、そんなに泥だらけなのですね。では、温泉の調査にご協力頂けませんか? 汚れも疲れも吹き飛びますよ」
 有難い誘いに乗らない手はない。笑顔で是と答えた兵真の目の前に徳利がぶら下げられた。
「おいおい。酒の持ち込みは禁止されてなかったか?」
「堅い事言うなよ。お前だって、いい酒を取っときの環境で味わいたいと思うだろ?」
 これみよがしに壬弥が徳利を振る。中から聞こえて来る音の誘惑には、兵真も諸手を挙げるしかなかった。
「しっかし、色んな湯があるのはいいんだが、家族風呂がないのはなぁ‥‥」
「‥‥壬弥、それは」
「折角の家族旅行だ。家族で湯に浸かりてぇよなぁ」
 伸ばされた兵真の手がふよふよと宙を泳ぐ。そろそろお年頃の娘と一緒に風呂はないだろう‥‥という良識的な意見も、家族と過ごしたいという壬弥の気持ちの前では告げる事も憚られた。そんな兵真の葛藤を察したのか、青嵐が助け舟を出す。
「露天風呂の方は、壁があるだけですからね。お喋りぐらいは出来ると思いますよ」
「そーだなぁ」
 それでも不満そうな壬弥に、明るい声が掛った。
「壬弥ちゃん! 何してるの? お風呂調べに行かないの?」
「雪彼‥‥。他の奴らはどうした?」
 抱きついて来る水鏡雪彼(ia1207)を受け止めて、壬弥が尋ねる。髪を慈しむように撫でられて、擽ったそうに雪彼は笑った。
「皆、先に行っちゃったの。雪彼はお部屋に忘れ物をして」
「そうか」
 やにさがった顔の壬弥に、青嵐も兵真も顔を見合わせた。でれでれで見ていられないと思う時もあるが、心に温かい気持ちが広がる。
「そういえば、青嵐ちゃん、殺されたって本当? 犯人は誰?」
「さあ、誰が犯人になるんでしょうね?」
「他人事みたいに言うな」
 雪彼の質問ににこにこと答える青嵐に、兵真ば息を吐く。彼が「殺された」現場に居合わせた壬弥に至っては、苦笑いしか出来ない。
「そのうち、優秀な探偵さん達が突き止めて下さいますよ。それまで、私達はゆっくり温泉の調査を続けましょうか」
「あー‥‥その優秀な探偵の1人を、さっきとっ捕まえた」
 兵真の呟きに、その場にいた者達が硬直した。
 捕まえたというのは、少々穏やかではない発言だ。
「何があったか、聞いてもいいか?」
 壬弥の問いに、兵真は再び息を吐いて腕を組む。
「うん。実は、探偵の中に、非常に仕事熱心なお嬢さんがいてね。青嵐殺害犯の捜査と、温泉調査を兼ねて、宿中の湯を調べて歩いていたわけだが‥‥」
 それに出くわしたのは、兵真が宿の裏手、清流に面した周辺の調査から戻った時だ。
 彼ら開拓者が調査の依頼を受けて滞在しているとはいえ、宿は通常営業中であり、実際、幾組かの客が滞在している。
 汚れたままで正面から入るわけにはいかないと、裏口に回った兵真は、その一般男性客の数名が、浴衣を引っ掛けただけの姿で脱衣場から飛び出して来る場面に遭遇したのだ。
 何事かと脱衣場を覗いた兵真の目に飛び込んで来たのは、帳面を片手に簀子の一枚までも裏返している天花の姿だった。
「‥‥‥‥」
「とりあえず、今は大広間で正座させている。説教は適任の者を探してからだがな」
 ははは、と乾いた笑いを返して、青嵐は額を押さえた。
「我々では、さすがに微妙に問題がありますしね」
「ま、今はとりあえず俺達で温泉調査続行しようか」
 諦めたような兵真の一言で、硬直していた者達に笑顔が戻り、彼らはそれぞれ脱衣場の暖簾を潜った。
 その数刻後に惨劇が待っているなど、この時、誰1人として気づいてはいなかったのである。
 
●秘密の‥‥
 閉め切った部屋の中で蝋燭の灯りが揺れる。
 外はまだ明るいはずだが、何故か部屋の中は薄暗く、闇の気配が満ちていた。
「‥‥おい。これは一体、何の真似だ? 茶番に付き合」
「し。黙って」
 こめかみに青筋を立てた薫の言葉を遮ったのは、からす(ia6525)だ。
「あまり騒ぐとまずい事になるかもしれない」
「まずい事って何だ!? というか、顔を下から蝋燭で照らすのはやめろ」
 大きな瞳に独特の雰囲気を持つからすがゆらゆら揺れる灯りに照らし出されると奇妙な迫力が付加されるようだ。
 室内の雰囲気に呑まれて、ケロリーナ(ib2037)などは薫の袖を握り締めて半泣きになっている。
「これはいわゆる百物語というやつだね。百の話が終わった後、蝋燭の火を吹き消せば、何かが起きるという‥‥」
「な、何かってなんですの〜っ?」
 フランヴェル・ギーベリ(ib5897)の呟きに半泣きが八割泣きになったケロリーナは、掴んだ薫の袖をハンケチ代わりにして目元を拭った。
「おっ、おばけなんていないですのよ〜っ」
「そ、そうよそうよ〜っ」
 ケロリーナの反対側で薫の腕をひしと掴んでいた神音も、おばけ全否定でフランを睨みつける。
「おやおや。可愛いお嬢さん方を怖がらせるつもりはなかったんだけどね。薫くん、君も大丈夫かな?」
「別に。そんなもの、存在するはずないし」
 ふんとそっぽを向いた薫に、フランが小さく笑む。
 と、その時。
「はわわ‥‥」
「きゃーっ!!」
 薫に張り付いていた2人が悲鳴を上げた。薄暗がりに浮かぶ幾つかの小さな炎。
「いやですのーーーーっ!」
「きゃーきゃーっ!」
 ぶんぶんと激しく首を振ったケロリーナの髪が時間差で顔を連打し、泰拳士として修行を積んだ神音に力一杯抱きつかれ、回避する間もなく、薫は満身創痍となった。
「か‥‥薫くん、ちょっと遅いかもしれないけれど、このフラン、きっと貴方のお役に‥‥‥‥」
「‥‥‥‥と思うなら、こいつらを外せ」
「うーん。それはボクには荷が重いかなぁ」
 交わされる会話の合間にも、炎はケロリーナと神音の周囲をふわふわと飛び回り、2人に悲鳴を上げさせている。
「人魂」
 その炎の1つに手を伸ばして、からすは騒ぎから外れた所でにこやかに成り行きを見守っていた六花に視線を向けた。
「手の込んだ事をするな、六花殿」
「いやだな、雰囲気作りだよ」
 ふむ、と人魂を手に、からすは首を傾げる。
「確かに。この場合、場の臨場感を盛り上げる演出としては最適かも」
「に‥‥にーさま?」
 からすと六花の会話に、ようやく神音が顔を上げた。自分を凝視ししてくる妹に、六花は悪びれなく笑いかける。
「あれ、神音。薫のねーさんになるんじゃなかったのかな?」
 笑って指摘すれば、すぐさま真っ赤になって神音が薫から離れた。
「に、にーさまの意地悪っ!」
 自分達を驚かせた炎が六花の悪戯だと知って、神音が頬を膨らませる隣で、ケロリーナは薫の袖を掴んだまま放心状態だ。
「おい、おまえ。そろそろ‥‥」
「言いません」
「は?」
 目元をぐいと拭うと、ケロリーナは薫を見上げた。
「薫くんがおばけが怖いってこと、慕容王おねえさまには言いません!」
「はあ? ちょっと待て! 誰がおばけが怖いって?」
 薫のツッコミもケロリーナの耳には入っていないようだ。目尻に涙を溜めたまま、にっこり笑って請け負う。
「大丈夫。ケロリーナは薫くんの恋を応援するですの!」
「だから待て! おいっ、1人で暴走するのはやめろっ」
「今度、慕容王おねえさまにお会い出来た時に、薫くんの事、ちゃんと褒めておきますの。そして、ケロリーナはおねえさまに」
 薫同様、呆気にとられていたフランが首を竦めた。
「どうやら、こちらのお嬢様は別の世界に飛んで行ってしまったみたいだね。戻って来てくれるかな?」
 フランは、震える薫の肩を同情を込めて叩く。そろそろ、薫が限界だと感じ取ったのだろう。フランなりの慰めであった。
「僕に報告するという話はどこに行ったんだッ!! お前達ッ!!」
「薫、あまり怒りまくってると、そのうち血管切れちゃうよ?」
「黙れ、原因その1」
 よしよしと六花が薫の頭を撫でる。
「嫌がられると分かっていての行動だから、始末に負えん」
「だね」
 からすとフランの会話も薫の神経を逆撫でするが、今はそれどころではない。「気になる話」とやらの報告を受ける為に、この部屋に呼び出されたのだから。
「それでっ、僕に話とは何なんだっ?」
「毛を逆立た子猫の威嚇‥‥」
「うんうん」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 ぶちりと薫の中の何かが切れそうになる直前、からすが閉ざされていた襖をするりと引いた。その向こうには露台へと続く部屋がある。
 明るい日差しが室内に戻り、薫は僅かに目を細めた。
「これが、気になる事だ。薫殿の目で確かめられるとよかろう」
 言われるがままに、薫は露台へと出た。
 別に、とりたてておかしな所はない。
 訝しみながら露台の手すりまで歩み寄って、薫は絶句した。
「素晴らしい景色に声もない、か」
 からすの揶揄も、薫の耳には入っていなかった。
 手すりを掴む手がふるふると震える。
 絶妙に配置された植え込みは、恐らく、下から見れば緑の壁にしか見えないだろう。もしかすると、屋根の張り出しが邪魔をして、植え込みがある事すら分からないのかもしれない。だがしかし、露台からは‥‥。
「なっ、なんだこれはーっ!?」

●天は裁きを下さない
 露台で薫の絶叫が響き渡る少し前のこと。
「壬弥ちゃーん、石鹸忘れちゃったの〜。投げて〜」
「お〜」
 ぽいっと無造作に投げられた石鹸は、見事、竹壁の向こうにいる愛娘の手に収まった。これも愛の為せる技であろうか。
 ‥‥などと、青嵐や兵真が感心していられたのは、僅かな時間だけだった。
 そして、悲劇の幕は上がる。
「壬弥ちゃーん、そっちのお湯はどんな感じー?」
「いい湯だぞ〜。酒もうめぇしな」
 徳利とお猪口を持ちこんで、ちびりちびりと湯と酒を楽しんでいた彼らを、無邪気な雪彼の言葉が貫いた。
「こっちはねー、ないすばでーなおねーさん達がいっぱいいるのー」
 彼らの手からお猪口が離れ、湯の中へと沈んで行く。
 耳を澄ませば、きゃっきゃうふふと楽しげな声が聞こえて来る。
「‥‥女湯への潜入路の確認はしてあるのか?」
 いつになく真剣な壬弥の言葉に、青嵐は首を振った。
「出会いの湯以外は、完全に湯屋は分かれていましたからね。ただ、ここは露天風呂。石鹸がやり取り出来るわけですし」
 不意に落ちる沈黙。
 彼らの脳内で無限再生されるのは、先ほどの雪彼の言葉だ。
「うん」
 1つ頷いて、兵真が立ち上がった。
「? どうした?」
「見えないから見たいというのは、正常な男の反応だ」
 爽やかに言い切った兵真に、青嵐が一瞬、言葉を失う。
「ちょ、何を堂々と言い切っているんですか」
「それに、お偉いさん達の為の下見だろ? 危険な個所は確認しとかねぇとな」
 よっこいしょと壬弥も腰を上げる。
「あなた方は‥‥」
 やれやれと溜息をつき、青嵐が頭を振った途端に
「あー、輝血ちゃん、背中流してあげようかー?」
 隣から聞こえて来た会話が、彼を硬直させた。
「お、見ろ、兵真。竹壁が途中で切れてるぞ」
「壊れているのかな? でも、それにしては‥‥」
 そんな2人の会話に青嵐が我に返った次の瞬間、
「どわっ!?」
 吹き飛ばされた壬弥が頭から湯に突っ込んで動かなくなる。続けて、どこかに仕掛けられていたらしい手裏剣が兵真を竹壁に縫い付けた。
「一度、覚悟を抱いて行動したからには、どうなっても文句は言えないよね‥‥」
 頭上から降って来た輝血の呟きに、思わず振り返った青嵐は、そのまま暗転。
 天儀を代表する貴人が宿泊する予定の宿自慢の露天風呂に、その日、3体の屍が浮かんでいたという。

●血の池の湯の真実
 血の池の湯の入口に張られた注意書きに、不破颯(ib0495)は目を眇めた。
「悲劇、有り‥‥?」
 何度読み返しても、確かに、そう書かれている。
 その下に、ごく普通の入湯の注意が書かれていたようだが、今は「悲劇」の文字によってその存在を打ち消されていた。
「悲劇の、血の池の湯‥‥ねぇ。確か、ジルベリアの果てには、若さを保つと信じて、娘の血の風呂に入っていた女がいたという伝説が残っているらしいですが」
 ここには、どんな悲劇が眠っているのだろうか。
 好奇心と、ほんの少しだけ高揚する気持ちに急かされるように、颯は戸を開いた。
 脱衣場と湯屋とを仕切る引き戸が細く開いている。そこから湯気と共に流れて来る不可思議な匂い。硫黄の匂いに近い気もするが、少し違う。開拓者は嗅ぎ慣れた匂いにそれは似ていた。
「まさか、ねぇ?」
 引き戸を引いて、颯は押し寄せて来る熱気と異臭に眉を寄せる。
 湯気のもとは、なみなみと湯を湛えた風呂。
 ただし、普通の風呂と違って、その湯の色は赤い。
「これが、血の池の湯というわけですねぇ」
 湯の色が赤い風呂は、颯も幾つか話で聞いた事がある。
 湯に溶け出している鉱石の色だという説から、湯を送る管が錆びて湯が染まるという話まで、様々だ。だが、この湯はどこか違う。
「ま、マジもんの血なんて事は‥‥」
 湯の流れを視線で辿り、湯口から更に湯の元を突き止めるべく、颯はコツコツと壁を叩いてまわる。音に変化がある場所に目処をつけ、湯屋を飛び出す。
「湯を流している場所があるはず。客の目には触れぬ、宿の者だけが出入り出来る場所‥‥」
 奥まった粗末な扉を抜け、先ほど目処をつけた場所を探す。
 そこは、思いのほか簡単に見つかった。
 人が1人、入れるか否かの小さな部屋。中には、先ほど湯屋で嗅いだ匂いが充満している。湯口へと続く溝には赤い湯が流れ、そして‥‥。 
「‥‥‥‥‥お、俺は何も見ていない。うん。何も見なかった」
 赤い湯の「素」が跳ねて、へらへらっと笑った颯の袖にぽつぽつと染みを作ったが、敢えて気付かない振りをする。
「そういえば、殺人事件の捜査本部が出来ていたっけ。あれ、どうなったのかなぁ」
 何事もなかったかのように、颯はその部屋の扉を閉めた。
 匂いがまだ鼻の奥に残っているが、それも無視だ。
「早く家に帰って風呂に入りたいな‥‥」
「悲劇」の注意書きがある入口まで戻った時、思わず漏れた呟きが、彼の偽らざる本心であった。


 そして、血の池の湯の真実は、彼の心の中に封印されたーー。