【修羅】枯れし心〜胎動
マスター名:桜紫苑
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/03/20 19:46



■オープニング本文

●安積寺の噂
 東房の首都、安積寺はご神木の枯死から始まる様々な事象に混乱していた。
 一夜にして枯れてしまった北のご神木。
 そして、アヤカシに囲まれながらも、開拓者と僧兵達が護りきった西のご神木と。
「なんでも、天祥様の一言でアヤカシどもが消えたらしい」
 その噂によく挙がる名は、天祥なる僧だ。
 これまで、祥雲寺という古刹を預かる若き僧として、年に一度か二度、名が挙がる程度の存在であったのに、今ではすっかり安積寺の有名人である。
「天祥様、どうかこの子にお言葉を」
「天祥様、うちの裏で夜な夜な怪しげな影が」
 祥雲寺には、毎日のように人々が押し掛けて天祥への面会を求めているという。だが。
「天祥様はお会いになる事は出来ません。先日の一件、ご自身の身に瘴気を集められたそうで、今は本堂にお籠もりになり、潔斎をなさっておいでです」
「そこを何とか」
 応対の僧は申し訳なさそうに首を振るばかりだ。
「天祥様はご自身の身の穢れが他に及ぶ事を危惧されて、我々にもお顔を見せて下さいませんし、お食事も取られません。穢れが祓われるまで、どうか我々と共にお待ち下さい」
 そんな騒動は、祥雲寺の最奥の本堂には届かない。
 閉め切られた本堂の中、蝋燭の灯がゆらりと揺れる。
「私は‥‥恐ろしいのです。本当にこれでよかったのでしょうか‥‥」
「誰にも知られる事なく、この寺で朽ちて行く事を厭うたのは誰ぞ」
 懺悔にも似た祈りに応えた声に、彼ははっと顔を上げた。
 いつの間に本堂に入って来たのか。
 彼の前に1人の男が立っていた。
 まるで月を集めたよう静謐な、どこか現実味のない男。
「恐れるな。お前は正しい事をすればよいのだ。安積寺の為、天儀の為に」
「あ‥‥あなた様は」
 男は感情のない顔のまま天祥を見下ろすと、やがて静かに背を向けた‥‥。

●暗雲
 神楽の都、開拓者ギルドにて。
 板張りの広間には机が置かれ、数え数十名の人々が椅子に腰掛けている。上座に座るのは開拓者ギルドの長、大伴定家だ。
「知っての通り、ここ最近、アヤカシの活動が活発化しておる」
 おもむろに切り出される議題。集まった面々は表情も変えず、続く言葉に耳を傾けた。
 アヤカシの活動が活発化し始めたのは、安須大祭が終わって後。天儀各地、とりわけ各国首都周辺でのアヤカシ目撃例が急増していた。アヤカシたちの意図は不明――いやそもそも組織だった攻撃なのかさえ解らない。
 何とも居心地の悪い話だった。
「さて、間近に迫った危機には対処せねばならぬが、物の怪どもの意図も探らねばならぬ。各国はゆめゆめ注意されたい」

●天輪王からの依頼
 天輪宗の総本山で、一連の事件の報告を受けた天輪王は短く唸ると、そのまま考え込む素振りを見せた。
「あ‥‥あの、王‥‥?」
 側近の僧の声も耳に入っていないよ、だ。
 しばしの後、瞑想するように目を閉じていた天輪王は口を開く。
「開拓者の報告にもある通り、安積寺を瘴気が覆いつつあるのは事実。このまま放置していては、どのような事態が起きてもおかしくはない」
 居並ぶ僧達が頷く。
 東房だけではない。
 天儀各地でアヤカシの活動が活発になっている。
 アヤカシの世界は未だ分からない事も多い。だが、もしも、この一連の騒動に根があるのならば、東房もこれだけでは済まないのではないか。
「天祥殿は」
「未だ潔斎中にて」
「王、これ以上、天祥殿には‥‥」
 僧の一人が苦渋に満ちた顔で声をあげた。天輪王の前まで走り出ると、そのまま畳に擦り付けるように頭を下げる。
「祥遥殿か」
 かつて、祥雲寺を預かっていた僧だ。
「どうか天祥殿はこのまま穏やかに。お願い致します」
「しかし、この状況下、天祥殿の御力を目の当たりにして、そのような事を言ってはおられませぬ」
 別の僧が不満を述べれば、それに同意する声があちこちから聞こえてくる。
 祥雲はただひたすら天輪王に頭を下げたままだ。
「アヤカシの脅威が迫る今、我々には天祥殿の御力が必要ですぞ」
「その通り」
 口ぐちに告げる僧達を制するように、天輪王は片手をあげた。
 しんと静まり返る堂内に、王の声が響いた。
「どちらにしても、今の状況は好ましくない。先の一件で我らも痛手を負った。アヤカシの目的が何であれ、これ以上の被害が出ぬよう、体制を整えておくべきであろう」
「では?」
 息をのみ、次の言葉を待つ僧達に、天輪王は割れ鐘のような声で指示を出した。
「ギルドに、開拓者に要請を。ご神木が再び狙われる可能性は高い。見回りつつ、安積寺の瘴気を祓い、万が一の場合はアヤカシを撃退するようにと」


■参加者一覧
野乃宮・涼霞(ia0176
23歳・女・巫
音有・兵真(ia0221
21歳・男・泰
香椎 梓(ia0253
19歳・男・志
柚乃(ia0638
17歳・女・巫
天河 ふしぎ(ia1037
17歳・男・シ
橘 天花(ia1196
15歳・女・巫
紅 舞華(ia9612
24歳・女・シ
シア(ib1085
17歳・女・ジ


■リプレイ本文

●鎮魂
 湿った土を軽く押さえて、柚乃(ia0638)は息を吐いた。
「これで‥‥寂しくないよ‥‥ね?」
 言いながら見上げた大きな木。立派な幹も大きく腕を広げた枝も、その木が安積寺の人々を見守り続けた長い時間を物語っているようだ。
 長い間、安積寺の人々を見守り続けたご神木は、ある日、突然枯れてしまった。
 今、ここにあるのは威容を誇ったご神木の残骸。立派な幹も、枝も、芯まで枯れている。いつ、崩れるか分からない、少し力を入れただけでもぽきりと折れるかもしれない脆さだ。
 その根元に、柚乃は小さな花を植えた。
 まだ小さな蕾しかつけていないが、いずれ可愛い花を咲かせるはずだ。
 いつ倒れるか分からない状態で訪ねる人も絶え、寂しくなったこの場所で、安積寺を見守ったご神木に寄り添ってくれる。きっと。
「‥‥ありがとうございます」
 不意に声を掛けられて、柚乃は飛び上がった。
 振り返れば、手に桶と花を携えた青年僧が1人、佇んでいる。
「あ、あの‥‥」
 突然に現れた僧に、柚乃は狼狽えながら言葉を探した。
「きっと、ご神木も喜んでいます」
 わたわたする柚乃の傍らに膝をついて、青年は今しがた植えられたばかりの花に水をかけた。そして、その隣に自分が持って来た花を置く。
「でも、こんな場所に1人で来てはいけませんよ。あなたの優しい気持ちにご神木も喜んでいるでしょうが、その為にあなたがアヤカシに襲われる事になっては‥‥」
 土だらけの手を取られて、瞳を覗きこまれては柚乃は更に混乱した。どうしていいのか分からなくなったその時、
「大丈夫よ、あたしが一緒だもん」
「え?」
 いつのまに出て来ていたのか、管狐の伊邪那が柚乃の肩から顔を出し、するりと僧の肩へと移る。
「い‥‥伊邪那」
「そ。あたし、伊邪那って言うのよ。よろしくね。ところで、こんな場所に1人で来ているのはあんたもでしょ? アヤカシに襲われたらどうするつもりなのよ。怖くないの?」
 僧が差し伸べた手に伊邪那が飛び乗る。
 柚乃はただハラハラしながら見守るしかない。
「怖くないと言えば嘘になります。ですが、このご神木は、私にとって父も同然だったので‥‥」
「父? お父さん? あんた、ご神木の子供?」
「伊邪那、木から子供は生まれな‥‥」
 言いかけて、柚乃は口を押さえた。顔を赤くする柚乃に、僧は静かに笑む。
「‥‥私は父の顔も母の顔も知りません。子供の頃、親を恋しがって泣く私に祥遥様が‥‥私を育てて下さった方が、このご神木が父に似ていると教えて下さったのです」
「やっぱり木の子供‥‥」
「伊邪那!」
 これ以上、伊邪那に喋らせてはいけない。
 慌てて伸ばした柚乃の手をすり抜けて、伊邪那は再び僧の肩に乗ると頬に頭を擦り付けた。
「大丈夫ですよ、お嬢さん。‥‥父に似ているというのは、姿形がという事ではないのです。大地に根を張り、その恵みを受けて枝を伸ばし、葉をつける。枝は小鳥やリス達の憩いの場となり、夏に多くの生き物の為に日差しを遮って影をつくり、そして秋に落ちた葉は大地に還る。父はそういう人だったそうです。子供の頃はよく分かりませんでしたが、今は何となく分かる気がします」
「そう、ですか‥‥」
「柚乃、こんな所にいたのか」
 安堵の息を漏らして、紅舞華(ia9612)は語らう2人へと歩を進めた。勿論、警戒は緩めない。見知らぬ僧に目礼を送ると、柚乃の肩に手を置く。
「1人で出掛けたりして。皆、心配していたぞ」
「ごめんなさい。でも、私‥‥」
 少し屈んで、俯いた柚乃と目線を合わせると、舞華は安心させるように笑ってみせた。
「ああ。分かっている。でも、一声掛けて欲しかったぞ?」
 くすくすと一頻り笑い合うと、舞華は彼女達を微笑ましく眺めていた僧に向き直る。
「御坊、彼女は何かご迷惑をおかけしませんでしたか?」
 特に、肩に乗っているのが。
 ちらりと伊邪那を見れば、管狐はぷいとそっぽを向いた。
「いいえ、何も。迷惑どころか、お礼を申し上げたいぐらいです」
 伊邪那の毛を軽く撫でる僧に首を傾げたものの、すぐに気を取り直して舞華は彼に話しかける。
「御坊、ここにはよく来られるのですか?」
「‥‥以前は毎日。ですが、今日で最後になると思います」
 悲しげな僧の言葉と表情に、舞華は柚乃と2人、顔を見合わせた。
「何故?」
 肩の伊邪那を柚乃に返すと、僧は無理をしていると分かる微笑を彼女達に向ける。
「‥‥‥‥合わせる、顔がない‥‥ので」
 それだけを呟いて、僧は逃げるようにその場を去って行った。
「‥‥泣きそう‥‥でしたね」
「うむ。‥‥だが」
 はて?
 首を傾げた柚乃に、去って行く僧の後ろ姿を見つめつつ、舞華はぽつりと漏らした。
「少し好みだ」
「‥‥‥‥」
 沈黙は数秒。
「「えええっ!?」」
 柚乃と伊邪那の息の合った叫びがご神木の丘に響き渡ったのは、それから更に数秒経った後だった。

●東と南
 その姿に、橘天花(ia1196)は思わず感嘆の声を上げた。
 北と西のご神木に異変が起きた事から、仲間達と手分けして東と南のご神木の状態を確認しに来たわけだが‥‥。
「これが、ご神木‥‥」
 目の前にあるのは、年月を経た立派な木。アヤカシを阻むような特別な力があるわけではなさそうだ。けれど。
「精霊様に愛されている木、なのですね」
 頬を当てれば、随分と幼い頃、祖母に抱かれていた時のような安らかな気持ちになる。
 安積寺の人々が、ご神木と慕い、敬う気持ちが天花にも理解出来た。
「天花、1人なの?」
 木にもたれ掛かり、安積寺に生きる命を感じていた天花は、不意にかけられた声に顔を上げた。そこには、覗き込んで来るシア(ib1085)の優しい瞳がある。
「はい。アヤカシの気配もありませんし、瘴気も薄いので、他の方々には別の箇所を見て頂いて‥‥」
「うん。分かるわ。東のご神木も同じような状態だったから。‥‥「状況不明」だったわりに、無傷なのがちょっと気に掛かるけど」
「それは、万が一を考えて、情報統制を敷かれた為‥‥ではないでしょうか」
 野乃宮涼霞(ia0176)の控えめな意見に、シアも頷く。
「でも、何か引っ掛かる。皆もそうでしょ? 枯れた北のご神木、アヤカシに狙われた西のご神木。なのに、東と南には何の異常もない。安積寺に打撃を与えるのなら、心の支えたる4本のご神木を潰してしまえば簡単だわ」
 シアの言葉に、天花も涼霞も黙り込む。
 北と西のご神木に異変が起きた事で、安積寺の人々は動揺した。そして、今も不安の中に暮らしている。
 街の中に瘴気が増えて、危険な状態になりつつある。
「あの男は、何を考えているのでしょうか」
「あの男?」
 涼霞の言葉を聞き咎めて、シアが振り返る。
「ええ、西のご神木に‥‥いた男」
「アヤカシ?」
「分からないの。ただ、この世のものとは思われぬ存在‥‥ではあったわね」
 あの時、涼霞が感じたものを説明するのは少し難しい。シアも怪訝そうに首を傾げるばかりだ。
「ともかく、東と南のご神木を敵‥‥アヤカシに荒らされるわけにはいかないわね。何としてもこの2本は守らなくちゃ。他の2本の分も」
 決意の籠もったシアの言葉、涼霞も天花も大きく頷きを返したのだった。

●謎の尻尾
 一枚の紙を睨みながら通りを歩いていた香椎梓(ia0253)の肩を、ぽんと叩く者がいた。
 気配を察していたのか、驚く事も振り返る事もなく、梓は何事もなかったかのようにすたすたと歩み去って行く。
「やれやれ」
 肩を叩いた相手‥‥音有兵真(ia0221)は、そんな梓に軽く肩を竦めると、大股に彼の後を追い、隣に並んで歩き出した。その間にも、梓の目は紙から離れる事はない。
「何か分かったか?」
 問う兵真に、梓は一瞬だけ彼に視線を向けた。
「その前に、ご自分の報告をしようとか、労おうとか、そのようなお気持ちは?」
 はは、と兵真は頬を掻いて両手を上げる。
 梓の方も本気で咎めているわけではないから、くすりと小さく笑って彼に自分が見ていた紙を差し出した。
「これは瘴気の分布図の写し‥‥か?」
「ええ。この地図の通りに辿っていたのですが、ちょっと気になる事がありまして」
 視線に促されて、梓は言葉を続ける。
 安積寺に滞在している貴族に天祥に関する探りを入れた後、瘴気が濃い場所が書き込まれた地図の通りに街を辿り始めて気付いた事。巫女ではない梓には、はっきりとは掴めなかったが、開拓者としてアヤカシ、そして瘴気と接してきた経験と勘が告げている。
「この街には不安が満ちています」
「だろうなぁ。心の支えだったご神木に異変が起きて‥‥」
 ぐるりと周囲を見渡して呟いた兵真が顔色を変えた。精悍な顔立ちに僅かな焦りが過ぎる。
「待てよ? 人々の不安が増して、瘴気も増えた‥‥?」
「ご神木はどのような状態だったのですか?」
「ご神木の周囲に、ご神木を害するものはなかった。だが、何かおかしかった」
 あまり何も無さ過ぎて、気に食わない。ご神木を調べている間、兵真は違和感を拭えなかった。その理由までは分からなかったが。
「これまで安積寺を守って来たというご神木だ。本当にアヤカシを防ぐ力があるかどうかはこの際、置いておこう。だが、長く安積寺と共にあった事は間違いない。そのご神木に異変が起きた。一夜で枯れた北のご神木。アヤカシが大量に湧いた西のご神木」
「ええ」
 梓も、何か思う所があるのだろう。硬い表情で相槌を打つ。
「北も西も、直接的な原因は見つからなかった。東と南は現在も調査中だが‥‥」
「ご神木の周囲に原因が見つからないという事は、「他に」原因があると考えてもいいのでしょうね」
 梓の白い頬に一筋の汗が伝う。
「もしかすると、我々は何者かに踊らされているのかもしれません」
「‥‥天祥という僧の事は何か分かったのか」
 小さく頭を振って、梓は貴族の屋敷で聞き込んで来た話を改めて整理し直す。
「彼がどこの誰なのか、誰も知りませんでした。彼を育てた僧によって、僧に必要な知識以上の教養を身につけ、若くして古刹を託された青年。この安積寺の片隅で、もう十年以上もひっそりと暮らしている彼がどこから来たのか、どんな事情で幼くして天輪宗に預けられたのか、誰も知らないのです。不自然なぐらいに」
 ある日、突然、この安積寺に現れた子供。
 素性も分からない彼が大切に育てられた理由を、梓は貴族の子ではないかと考えた。
 けれど、安積寺に滞在している貴族達は「天祥」という僧にあまり無関心だった。人々の口に上がる噂以上の話は欠片も出なかったのだ。
「まるで人目を避けるように暮らしていた彼が、今になって「表」に出て来た理由は‥‥?」
 欲しい答えが、見えそうで見えない布の向こうにある。
 もどかしさに苛まれながら、二人はそれ以上の言葉を交わす事なく仲間達の元へと向かう足を早めた。

●祥雲寺
「わ、ここからだと安積寺の街が良く見える。お寺の中なのに色んなものがあるんだなぁ‥‥って! 知ってたんだからなっ! 冗談なんだぞっ!」
 ものめずらしそうに眼下の街を見下していた天河ふしぎ(ia1037)は、はたと我に返って言い訳の言葉を口にした。聞いている者は誰もいないようだったが、それでも万が一という事がある。
 頬を染めつつ、ふしぎは人気のない道を早足で歩み去っていく。
 天祥という僧に会う為に祥雲寺を訪ねたのは、街での聞き込みを一通り終えてからの事だ。
 アヤカシを一言で退散させたという僧に興味もあったのだが、ご神木の確認に向かった仲間の話を聞いているうちに、一つの考えが頭をもたげて居ても立ってもいられなくなったのだ。
「枯れてしまった北のご神木、アヤカシに囲まれた西のご神木、でも東と南のご神木は全くの無傷。もし、この間の事件が陽動だとしたら、もしかすると‥‥アヤカシの真の狙いは」
 祥雲寺では、天祥は未だに潔斎中だと門前払いされたが、もしもふしぎの勘が正しければ、天祥がアヤカシに狙われる可能性は高い。祥雲寺の壁沿いをぐるりと一回りしようと考えたのは、ただの好奇心からではない。
「何かあった時の為なんだからなっ」
 中に入れても貰えなかった寺の奥に住まう人を守る為には、せめて寺の全体像を掴んでおく必要があると、そう思ったのだ。
「けど、なんでこんなにだだっ広いんだっ」
 壁沿いの道を歩き始めてから、どれだけの時間が経ったのだろう。壁は山の中まで続いていた。もしかすると、この山ひとつ丸ごと、祥雲寺の敷地なのかもしれない。
「‥‥もしそうなら、いざという時大変だな」
「きゃあああっ!」
 はふと溜息をついたふしぎは、響き渡った悲鳴に反射的に地を蹴った。
「アヤカシ‥‥それとも盗賊の類かな」
 どちらにしても、切羽詰まった悲鳴の様子からは時間があまりない事が察せられる。懐を探りつつ、ふしぎは声がした方へと走る。邪魔な木の枝をいくつも払い除け、声の主の元に駆けつけた。
「アヤカシ、3匹か」
 熊にも似たアヤカシの鋭い爪が、親子連れを狙っている。距離を計算して、ふしぎは手裏剣を取り出した。アヤカシの注意を出来るだけ彼らから逸らさねばならない。
 己の為すべき事を頭の中で組み立てながら、手裏剣を取り出したふしぎの視界に、不意に薄紫と金の色が過ぎった。
「っ!」
 1人の僧が己の身を盾にして親子を抱え込んでいる。このままでは、と開拓者の本能が警鐘を鳴らす。突然に現れた存在も加味して、標的を捉え直し、手裏剣を投げようとした瞬間の事だった。
 今にも襲い掛かろうとしていたアヤカシが動きを止めた。
 そのまま後退ったかと思うと、アヤカシは山の中へと消えて行く。
 アヤカシの行方を目で追いつつ、ふしぎは呆然とした様子の僧と親子へと近づいた。
「怪我はない?」
 余程怖かったのだろう。
 子供は泣く事も出来ずに震え、その子達を抱き締める母親も同様だ。そして、彼らを庇った僧も、青ざめた顔で唇を戦慄かせていた。
「僕は開拓者なんだ。今のうちに安全な所まで送るよ」
「あの‥‥」
 動揺を色濃く残したままで僧はふらりと立ち上がる。
「お寺の裏門が近くにあるので、よろしければそちらへどうぞ‥‥」
「そう出来るならありがたいけど、勝手に入ってもいいの?」
 問うたふしぎに、僧は儚げな笑みを向けた。
「大丈夫です。このお寺を預かっているのは、私ですので‥‥。天祥、と申します。以後、お見知りおき下されば‥‥」
 寺の奥深くで潔斎中だと面会を拒絶された僧の名に、ふしぎはしばし動く事も出来ず、彼の顔を眺める事しか出来なかった。